吉池拓男の迷盤・珍盤百選 (3) 散財報告書~シューマン第3ソナタ、謎のフィナーレ

Schumann: Beethoven Studies – Olivier Chauzu(p) NAXOS, 8.573540, 2016年
(参考1) Schumann: Concert pour Piano seul – Florian Henschel(p) ARS MUSICI, AM 1306-2, 2002年
(参考2) Schumann and the Sonata 1 – Florian Uhlig(p) 独Hänssler CD 98.603, 2010年

Schumann: Beethoven Studies, Olivier Chauzu(p)

Naxosから出たChauzuの弾くシューマン作品集は衝撃でした。

聴いたこともない曲がピアノソナタ第3番の「廃棄されたフィナーレ」として弾かれていたのです。確かにラスト20秒くらいは現行の第3ソナタと同じなので、間違いなく第3ソナタでしょう。でもこれ何? Wikipediaにもピティナの曲解説にもシューマンマニアのHPにも言及がないし、IMSLPに譜面もないし、最も根性の入った楽譜と思われるヘンレ版「1836年版+1853年版+削除された楽章と変奏付き2冊セット」にもない。同じヘンレ版の新シューマン全集にもない。なんだこれ、誰か教えてくれ。Naxos盤の解説にも「廃棄されたもの」としか書かれていない。うーーーーむ。

そして始まる散財の旅~フィナーレは6つあった?

一般的な曲目解説によれば、シューマンの第3ソナタは1836年春に5楽章のソナタとして自筆譜(初稿)が出来上がりました。ところが出版社の意向で2つのスケルツォ楽章を削り、同年秋に3楽章からなる「管弦楽のない協奏曲」として世に出ます。これが1836年版(初版)といわれるものです。月日は流れて1853年、シューマンは第1楽章とフィナーレに手を入れ、削除されたスケルツォ楽章の1つを復活させて4楽章形式の「グランドソナタ(1853年版:改訂版)」として出版します。初版と改訂版はヘンレ版で譜面確認ができます。

詳細な説明をさらに探し求めました。すると上述した“根性の入った”ヘンレ版楽譜の解説のところに、「このソナタの自筆譜のフィナーレはoriginal versionのbeginningだけが書かれている。new versionは別の紙に書かれた。」とありました。これか?これなのか?でも「beginning」しかないというのにNaxos盤は見事に完結してるぞ。Naxos盤の謎のフィナーレは何なのだ。

そして散財が始まりました。新たに2種類のCD盤を購入。老眼をこらえて解説をむさぼり読み、シューマンの第3ソナタには少なくとも6種類のフィナーレがあることがわかったのです。

【散財のその1: 自筆譜(初稿)の確認】

Schumann: Concert pour Piano seul / Fantaisiestücke op. 12 – Florian Henschel (p)

自筆譜(初稿)はおそらく出版されていませんが、大英図書館にある自筆譜を基に演奏をしたというFlorian Henschelの録音盤があったので、まずこれを購入。聴くと、従来言われていた「初稿からスケルツォ楽章を2つ削ったのが初版」が違うことがわかりました。正確には「初稿からスケルツォ楽章2つを省き、第1・5楽章のところどころ書き換え、変奏曲形式の第4楽章の変奏6つから2つ省いて変奏の順番を入れ替えたのが初版」でした。ただし終楽章はNaxos盤の曲ではなく、初版や改訂版とほぼ同じもの。ヘンレ版解説にある「original versionのbeginning」については何の記載も演奏もありません。どうやら第5楽章は “別の紙に書かれたnew version=初版のフィナーレの自筆譜”を引っ張り出して弾いたと推察されます。確かにこのCDでは「自筆譜で弾いた」とあるので嘘ではないですね。

【散財その2:Florian Uhligによるシューマン全集録音の管弦楽のない協奏曲op.14】

Schumann and the Sonata I – Florian Uhlig(p)

あっけなくもNaxos盤の謎の終楽章はここにありました。シューマンが1829年(?)に作曲したロマンス(断片)を基にソナタのフィナーレを書き始め、4ページだけ書いて止めた“断片”があったというのです。このCDではその“断片”からJoachim Draheimと演奏者が完成版を作って演奏していました。このCDの解説によると「初稿から初版になるときに新しいフィナーレを書いた」とありますので、ヘンレ版の解説の記述とも矛盾しません。ただこの「4ページの断片」はストックホルムにある音楽財団が所有しており、大英図書館の自筆譜にある「beginning」との関係はどこにも記載がなく、確認が取れません。実際に演奏されている曲はとても「beginning」だけなんていうレベルではなく、後述するようにユニークな全体構成を持っていますので、たった4ページ(フィナーレはテンポが速いので初版を基に推測すれば500小節≒15ページくらいあって不思議はない)というのも違和感は残ります。でもまぁ、謎のフィナーレはこれ、ですかね。

とりあえず謎は解決、と思いきや……問題はさらに勃発! Uhlig盤のフィナーレとNaxos盤のフィナーレは最後まで聴くと全然違ったのです。Naxos盤は最後の2~30秒間、初版以降のフィナーレと同じ終わり方をしますが、Uhligのは全く独自のもの。もうこれ以上資料がありません。お手上げです。

ひとまず6つの「フィナーレ」のわかっているデータを載せてみましょう。

 発想記号拍子小節数演奏時間
1836年初稿(自筆譜。Beginningのみ)不明不明不明不明
1836年初稿(別の紙の自筆譜)Prestissimo possibile不明不明7分02秒
1836年初版Prestissimo possibile16分の6拍子714小節7~8分
1853年改訂版Prestissimo possibile4分の2拍子359小節7~8分
Naxos盤のFinale*不明(vivacissimo )不明不明5分13秒
Uhlig盤のFinalePresto possibile16分の6拍子不明5分38秒
Naxos盤の解説にはvivacissimoの発想記号はないが、CDをリッピングするとこの発想記号が曲名表示に現れる

「Beginningのみ」は結局どういう曲だかわかりませんでした。ただ、Uhligが全く弾いていないところから推察するに、4ページ断片と同じ曲なのではないかと思われます。あと、初版と改訂版で小節数が大きく違うのは拍子の取り方の違いによるものです。4分の3拍子の曲を8分の6拍子で書いたら小節数が半分になるのと同じです。細部の違いはあれど初稿(別の紙の自筆譜)と初版と改訂版はだいたい同じ曲です。NaxosのとUhligのはコーダ部分以外は(たぶん)同じ曲です。

ここいらで散財の結果をまとめてドンと私見(偏見)で解決してしまいましょう。音楽学者でもない人間がCD集めだけで得た知識の範囲内ですから、信用しちゃだめよ

極私的見解~シューマン第3ソナタの真実!?

シューマンは1835年頃、第3ソナタを書くにあたって、以前書きかけで止めてたピアノ曲「ロマンス」を引っ張り出して、第5楽章フィナーレとして大改作し始めた。が、なんか気に入らないことがあって放棄。書き始めた自筆譜も最初の辺りだけ書いてそのまんま。試行錯誤した4ページくらいの断片譜面もお蔵入り。気を取り直して新たなフィナーレを速攻で作曲して初稿を完成させる。初稿から出版するにあたり、これにちょこっと手を入れて初版とし、改訂版を作る時にどさっと手を入れる。150年後、シューマン全集録音で一発当てようとしたUhligおよびCD企画者が、シリーズ第1弾の目玉企画として第3ソナタの放棄されたフィナーレ断片(とその原曲のロマンス)を引っ張り出して補作して完成して弾いた。ところがその(たぶん補作者が創った)コーダ部分があまりにダサいため、おそらくはNaxos盤で弾いてるChauzuか誰かがその部分を初版以降のコーダと同じ進行に変えて弾いた。

……ということかな。ま、Chauzuさんにお手紙書けば一発で解決するんですがね。

ようやく喉のつかえが自分勝手に取れました。では最後にこの「廃棄されたフィナーレ」がどういう曲かをお伝えしておきましょう。

シューマンの直筆譜~British Library Music CollectionsのTwitterより

まず、第3ソナタ冒頭から使われる下降音型を含んだ急速で曖昧模糊とした主題で始まり、しばらくすると第2主題っぽいのが出ます。この主題、モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」の有名な「お手をどうぞ」そっくり。ちょっとびっくりします。(ただし、この主題は原曲といわれるロマンスにもあります。)その後いろいろ展開して中間部で静かになり、「クララの主題による変奏曲」楽章の第1変奏がゆったりと奏でられ、その後再び盛り上がってNaxos盤は1836年版、1853年版と同じ音型で終わります

で、ふと気づきます。この曲、第2ソナタの廃棄された終楽章(アレグロ・パッショナート、遺作)と印象が似ているのです。最初の主題の急速で模糊とした感じ、そして途中の主題が過去の有名曲にそっくりなところが。ちなみに第2ソナタの廃棄終楽章ではベートーヴェンのクロイツェルソナタ終楽章にそっくりの主題が中間に現れて展開します。この廃棄された2つのソナタ終楽章の類似が偶然なのかどうか、ちゃんと研究した人の意見を待ちたいものです。ちなみに私の超勝手な妄想は、クララ・ヴィークが「なんかこの終楽章、もごもごしてるし、難しいしで嫌い。それに盗作っぽいわよ。恥ずかしくなくなくない?」みたいなことを言ったのではないかな、と。少なくとも第2ソナタの終楽章を廃棄して書き換えさせたのがクララの意見であることは有名な事実です。

散財によってようやくここまで来ました。ちなみに散財のきっかけを与えてくれたNaxos盤は、この曲のほかにもシューマンの珍品が多数収められています。びっくりするのは「シューベルトの主題による変奏曲」。シューベルトの主題提示がなく、いきなり「謝肉祭 op.9」の冒頭部分が始まります。シューベルトの主題(ワルツ D.365-2)が出るのは、謝肉祭に続いて実質10の変奏(正確にはVariationとRitornellがそれぞれ5曲ずつ)のあと、つまり曲の最後。不思議な構成です。そのほかも珍曲揃いですが、「トッカータ op.7」の原曲「練習曲(1830)」は面白い。よくぞこの「練習曲」から「トッカータ」にまで昇華させたものだと感心します。ちなみに「ショパンの夜想曲による変奏曲」は夜想曲第6番ト短調 op.15 no.3が主題です。

演奏者のOlivier Chauzuはパリ音楽院出。技術的な安定度も高く、割とクールに各曲を攻めていて、この手の珍曲弾きとしてはうってつけです。

以上。

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。