あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(4) 五線譜による1950年代前半のなんとも言い難い曲

(筆者:高橋智子)

 前回はフェルドマンの図形楽譜の成り立ち、彼が図形楽譜で意図していた音楽、ジャクソン・ポロックの絵画技法との関係、演奏の際に生じる矛盾とデイヴィッド・チュードアによる解決方法などをとりあげた。今回はフェルドマンが図形楽譜作品と並行して作曲した1950年代前半の五線譜で書かれた楽曲について考察する。

1 「出来事」と「音それ自体」による音楽

 図形楽譜の楽曲について考える際は、上述のとおり抽象表現主義絵画からの影響、ジョン・ケージ周辺の人間関係等、耳目をひくエピソードをいくつもあげることができて話題に事欠かない。一方、五線譜で書かれたフェルドマンの1950年代前半の楽曲について考察を試みると、図形楽譜の曲と比べて楽曲とそれにまつわるエピソード共々なんとなく地味な印象だ。はっきり言ってどこから手をつけてよいのかわからない。こういう場合でも、まずはいつもどおりスコアを見ながら曲を聴き、作曲家の言説や先行研究を吟味するしかなく、今回もその手順を踏んだ。突発的に鳴らされる和音、オクターヴで重ねられた音の繰り返しといった「出来事」からフェルドマンの楽曲を基礎づけるなんらかの技法、統一性、見取り図のような要素をこれらの手順を経た先に見つけることができるのだろうか。

 楽曲の中のある部分や要素をとり出して、そこに注釈を加える際に「フレーズ」「パッセージ」「モティーフ」「テーマ」といった語がしばしば用いられるが、フェルドマンの音楽、とりわけ50年代から60年代の曲には上記の言葉よりも「出来事」という言葉が使われることが多い。この「出来事(英語圏の先行研究ではevent)」という言葉には連続する時間の感覚やイメージではなく、断続的で不規則で瞬間的な現象の意味合いが強く、1つの出来事が起きて、次に別の出来事が起きるイメージが連想される。たとえば「Intermission 5」(1952)を事前の情報や楽譜なしで聴けば、この「出来事」の感覚を想像できるだろう。

Feldman/ Intermission 5 (1952)

 この曲の特徴を手短に述べると、最初から最後までダンパー・ペダルとシフト・ペダル(una corda)を踏み続けること、pppからfffにおよぶ極端なダイナミクス、極端に広い音の跳躍をあげることができる。前半はクラスターのような和音が思わぬタイミングでいくつか鳴らされ、後半は反復パターンが9回現れる。この曲はもちろん無調だが、曲の進行に沿って現れるそれぞれの音高を並べたところで音列とその展開を見つけられるわけでもない。やはりこのような場合は「出来事」と位置付けるのが無難なのかもしれない。こうしたなんとも言い難い音楽を言語化する際、「出来事」は便利な言葉である。

 「音それ自体 (the sound itself または the sounds themselves)」もフェルドマンの初期の音楽に関して「出来事」と並んでよく用いられる表現だ。この言葉は作曲のレトリックから音を解放すること、抽象的な音の冒険、時間のキャンヴァスなどのフェルドマンの初期作品の鍵となる音楽観と結びついていて、特定の技法や様式を参照しながら楽曲を解明するのが困難な場合に持ち出される便利な表現でもある。フェルドマンはエッセイ「Predeterminate/ Indeterminate」の中で「曲を作るために伝統的に用いられてきた要素を“解放すること”でしか音はそれ自体として存在することができないだろう――記号としてでもなく、他の音楽を呼び起こす記憶としてでもなく。Only by “unfixing” the elements traditionally used to construct a piece of music could the sounds exist in themselves—not as symbols, or memories which were memories of other music to begin with.」[1]と書いている。フェルドマンがここで述べている「音がそれ自体として存在すること」は、創造行為あるいは作曲から人為性をできるだけ排すことを試み、『易経』から着想を得た偶然性をとりいれたケージの態度とも重なる。音を様々な方法で並べて1つの楽曲を構築する従来の作曲行為を前提とすると、フェルドマンがいう「音それ自体」は作曲とは相容れない概念になりうる可能性も出てくる。

 フェルドマンの初期の楽曲を演奏実践と聴取の両方から分析するHirataは「音それ自体」にまつわる疑問や矛盾を率直に表している。「“音それ自体”。すばらしいアイディアだった。もしも彼または彼女(訳注:作曲家)が慎重で、曲の中に音をどう配置するのかに細心の注意を払うならば、それらの音が曲の中に組み込まれていない場合に聴こえるのと全く同じ音を私たちは聴くことになるはずだ。“The sounds themselves.” It was a fantastic idea. That if the composer were careful, careful about how he or she put the sounds into the composition, we might hear those sounds just as we would hear them if they were not in the composition.」[2]。その後もHirataは独白を続け、「だけど、もちろん“音それ自体”を実際に聴いてはいない。“But of course we never really hear ‘the sounds themselves”」[3]ことに気づく。「本当に私たちは曲の外の音を聴くのと同じように曲の中の音を聴いているわけではない。『その前に起きたこと』は実際のところ私たちの記憶から決して消えない。“We never really hear a sound in a composition just as hear it out of the composition. ‘What happened before’ is never really erased from memory”」[4]。Hirataによるこの独白は「音それ自体」と言い出してしまった途端に従来の作曲と楽曲の概念や枠組みが成り立たなくなってしまうことを示唆している。フェルドマンが書いた音は、たとえそれが単音であっても楽曲の枠組みに収まり、フェルドマンの楽曲の体を為す。特に五線譜に書き込まれた音は、もちろん休符も同じく、どんなものであれ、少なくともそれが演奏されている時間の中では、例えば「フェルドマンの〜という曲のGの音」として認識される。「音それ自体」はフェルドマンによる単なる言葉の綾なのか。それとも後付けによる楽曲分析を交わすための予防線なのか。1950年代前半のなんとも言い難い楽曲の数々を知る近道はそう簡単に見つかりそうもないが、楽曲中の瞬発的な断片を「出来事」として片付けてしまうのではなく、また「音それ自体」という言葉にも惑わされずに、そしてあきらめずに楽曲とその背景を見ていこう。