吉池拓男の迷盤・珍盤百選 (15) だってスタッカートなんだもん

Carl Filtsch THALBERG-CHOPIN-LISZT  Leonhard Westermayr(p) MŪNCHENER MUSIK SEMINAR MMS 2616 1998年
The Art of the Piano Transcription Kevin Oldham(p) VAI VAIA 1104 1995年

スタッカートは、通常その音符の音価の半分くらいの長さに音を短く切って弾くことをいいます。ピアノでもポンと跳ねるように短く鍵盤を推すとスタッカートができます。では、音が延びるダンパーペダルを踏みながらスタッカートを弾くとどうなるでしょう。ピアノ演奏の教科書には、音が延びるペダルを踏んでもスタッカート奏法で弾けば音の響きや音色が変わり、適切なペダリングによってスタッカートが表現できると書いてあります。でも、それ、本当ですか? 演奏者が思うほど、ペダルを踏んだらスタッカートは表現できないのではないでしょうか? 

ショパン・夜想曲13番の初版楽譜(Maurice Schlesinger社)から。

たとえば、ショパンの名曲、夜想曲第13番ハ短調 op.48 no.1の最初の部分の左手の伴奏はスタッカートで弾けと指示があるのを、聴いただけでわかる人、いますか? この曲の冒頭から23小節間、哀しく美しくメロディーを支える伴奏部の音にはみなスタッカートの印が付いているのです。しかも同時にペダルも踏めと私の知る限り全ての版の楽譜に書いてあります。改めてお尋ねします。ショパンの夜想曲第13番の冒頭から23小節間の左手が全部スタッカート指示付きだというのが、聴いてわかる人、いらっしゃいますか? ルービンシュタインもチェルカスキーもアシュケナージもポリーニもアルゲリッチも改めて聴きましたが、まったくスタッカートには聴こえませんでした。きっと私の耳が鈍感なのでしょう。

Carl Filtsch THALBERG-CHOPIN-LISZT
Leonhard Westermayr(p)

で、世の中いろいろなピアノ弾きがいるわけで、「だってここスタッカートで弾けって書いてあるじゃん」と、本気でスタッカートで弾いた演奏があります。弾いたのは1976年ドイツ生まれのLeonhard Westermayr、とっても無名ですが数枚のCDは出しているようです。彼は1998年にCarl Filtsch(カール・フィルチュ、ショパンの弟子で14歳で亡くなった)のピアノ曲の世界初録音アルバムを出します。このアルバムの余白にショパンやタールベルク、リストの曲を入れていて、その中にショパンの夜想曲13番があります。冒頭から23小節、Westermayrはペダルを使わずに左手をスタッカートで弾き続けます。その朴訥なポツポツ感たるや、この曲の麗しい美しさを吹き飛ばし、すねたおネエの世迷い言のようになります(イメージCV:深沢敦)。でも「だってスタッカートなんだもん」の熱い主張は伝わってきます。Westermayrは同じアルバムに収録されたショパンの即興曲第1番の中間部でも左手のスタッカーティッシモをかなり克明に出してきます。この辺のこだわりは面白いものです。ちなみに同アルバムに収録されてるリストのハンガリー狂詩曲第2番では自作のちょっとホロヴィッツぽいカデンツァを弾いています、

The Art of the Piano Transcription 
Kevin Oldham(p)

さて、スタッカートへのこだわりならば、デビューアルバムが「TUTTO STACCATO」(全部スタッカート)、続くアルバムが「SOLO STACCATO」(スタッカートだけ)であるMalco Falossiを挙げるべきなのですが、何度聞いても彼の演奏はスタッカート重視に聞こえません。アルバムタイトルの英語訳が「All Detached」であることから、奏法としてのスタッカートを単純に意味しているのではないのかもしれません。では、こだわりのスタッカート弾きがないかと言えば、思い当たる演奏が一つ。33歳で病死したアメリカの作曲家Kevin Oldhamが遺したリスト編曲のバッハ「前奏曲とフーガ イ短調 BWV.543」の録音です。この演奏はスタッカートというよりは徹底したノンペダルという方が正しいかもしれませんが、延ばす音と短く切る音を明確に弾きわけ、おそらくはダンパーペダルはほとんど使わずソステヌートペダルを多用して驚異的な演奏を繰り広げています。曲の冒頭から遅いテンポのスタッカート弾きに驚きます。私の持っている譜面にはそこに「(legato)」という表意記号があるのですが、legatoとは全くかけ離れたアプローチで開始します。その後も曲全体に渡り16分音符の動きはほぼスタッカートで弾き、より長い音価の音符との弾き分けを明確にしていきます。特にフーガが凄い。オルガン曲のピアノ編曲、しかも編曲者がリストであるために随所に手ごわい書法が待ち構えているのですが、完璧なスタッカートコントロールで各声部を紡ぎ、バッハの音楽の多層構造を一層明らかにしながら迫ってきます。恐ろしい指の制御力です。ふと、もしグールドがこのリスト編曲の録音を遺していたらこんな演奏になっていたのではないかという幻も過ります。Oldhamはこのアルバムの他の演奏でも、ノンペダルっぽいパラパラした感触の演奏をいくつか行なってますが、衝撃度・完成度ではBWV.543が頭抜けています。

ピアノのスタッカートは多くの弾き方があり、それとペダリングの組み合わせで、様々な表現が可能です。しかしそんなこと抜きにして、露骨に分かりやすくスタッカートを描くことも、ピアニストの採ってもよい戦略と思います。だって、スタッカートなんだもん!

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。