吉池拓男の迷盤・珍盤百選 (17) 弾いてはいけない旋律 ~Google様ありがとう2~

VLADIMIR HOROWITZ The Unreleased Live Recordings 1966-1983 CD30 Orchestra Hall, Chicago April 8, 1979 SONY CLASSICAL
LUISADA SCHUMANN Jean-Marc Luisada(p) RCA SICC 19025 2018年 ほか

(イントロは稲川淳二調でお読みください) みなさん、この世には、“弾いてはいけない旋律”があるのをご存知でしょうか。おそろしい、おそろしい山の神によって封じられた禁断の旋律。旋律はね、確かにそこに書かれてるんですよ。誰にだって見えるんですよ。でも弾いてはいけない。弾いてはいけないんです。弾けば、山の神のお怒りが……アァ、おそろしい、おそろしい。今日はですね、そんなお話です。

さて、弾いてはいけない旋律が存在するのは、シューマンのフモレスケop.20です。この曲の楽譜を観ずに演奏を聴いた人が、その旋律に気付くことは、10-6.5÷58×10≒9割がたありません(数式の根拠は後述)。では気づく1割はどういう場合か。それは禁を犯し、山の神の戒めに背いた猛者たちのプレイに運よく巡り合った場合のみです。

弾いてはいけない旋律のせいでしょうか。シューマンのフモレスケ op.20は「シューマンのピアノ曲の中でも優れた作品の一つ(ピティナ・ピアノ曲事典)」と言われる割には国内版の楽譜が全音からも音楽之友社からも出ていません。かろうじて春秋社のシューマン集の第4巻に収められている程度です。この旋律の存在に気付かせないようにしているのでしょうか。あぁ、おそろしや、おそろしや。

R. Schumann – Humoreske

さて、フモレスケの構成はWikipediaに従えば7つの部分からなります。このうちの第2部 「Hastig(性急に) ト短調、4分の2拍子」の譜面を観ると、通常のピアノの2段楽譜の真ん中にもう一段、(Innere Stimme)と書かれた旋律があります。Innere Stimmeとは「内なる声」。これが「弾いてはいけない旋律」なのです。ただし、この旋律をどう扱うかはシューマン自身は何の指示も残していません。春秋社から出ている井口基成版の譜面には「この“Innere Stimme”ということころは実際には弾かれない。しかし演奏者は音列の動きの中にこの声を感じとっていなければならない」と注釈があります。では「弾いてはいけない」とは誰の戒めなのか。ヘンレ版楽譜の解説にそれは記されています。1883年にシューマンの山の神クララがフモレスケについて書いた手紙。要約すれば「この旋律を弾いてはいけないわ。感じるのよ。夫だってそう思っていたに違いないわ。」 つまり、この旋律は、

Don‘t Play, Feeeeeel !! 

なのです。この旋律を弾くことは、クララ神の逆鱗に触れるのです。弾かずに感じるものなのです。

でも、この旋律、いくら演奏者が Feeeeeel !!してても聴き手にその存在が伝わるのでしょうか。よく見るとタイがあったりスラーがあったり休符があったりします。確かに右手の細かな音型の中からInnere Stimmeの音を拾うことは出来ますが、タイ、スラー、休符は無理のような気がします。では実際の演奏はどうか。ここで第7回に続いてGoogle Play Music(GPM)様の登場です。GPMで「Schumann Humoreske Hastig」で検索すると58種類の演奏が出てきます。

分類演奏者名(GPMの表記のまま)人数
「内なる声」弾かず (Feeeeelは困難)Weiss、グリーンバーグ、アシュケナージ、ルプー、クエルティ、Ghraichy、ジョルダーノ、Carbonel、Ohmen、Fröschl、アラウ、W.ケンプ、コロンボ、ダルベルト、アックス、Ciocarlie、Fejérvári、Cantos、ロス、Golovko、Kano、ローズ、クーパー、Yang、カテーナ、フランクル、デームス、河村、Beenhouwer、Ehward、Cai、Lin、Cognet、ゴンサレス、ゴラブ、ル・サージュ、マルティ、Collins、Maltempo、Horn、Cheng、Granjon、F.ケンプ、Liao、Cha、Baytelman、アンデルジェフスキ、ベルンエイム、Gamba、ジョルダーノ、Laloum51
「内なる声」の一部分だけを弾くHorowitz
「内なる声」を弾いてしまうリヒテル、クイケン、Gorbunova、ルイサダ、シュミット、メルレ

山の神クララが「弾くな」と言っているのに弾いちゃってる人、いますねぇ。しかも大物まで。

VLADIMIR HOROWITZ The Unreleased Live Recordings 1966-1983

この中ではやはりというか流石がHorowitz(録音はライブで3種類)。彼は「内なる声」の出だしの一部だけを弾き、「あれれ?もう一つ旋律がありそでなさそでなんだろな???」という状況を創り上げます。これなら聴き手も多少Feeeeel!できるかもしれません。見事な演出法です。特に1979年4月8日のライブで弾いた際は、1回目は「内なる声」を少し弾くものの、繰り返しの際はほとんど弾かないというニクい演出もしてきます。この“繰り返しでは弾かない”はこの日の演奏だけで、その直後の2回の演奏会では繰り返しでも「内なる声」を部分演奏します。ただ、Horowitzは「内なる声」の後半の休符のところに音符を付け加えて旋律線を創ってしまうということもします。ですので、譜面に書かれた「内なる声」を完全に感じ取るのは不可能でしょう。ですので「内なる声に気付く計算式」でHorowitzは0.5カウント。GPM上の58人の演奏で、0.5+6=6.5人が「内なる声」を奏でるので先述の計算式となります。

LUISADA SCHUMANN
Jean-Marc Luisada(p)

さて、完全に弾いちゃった6人の中で「内なる声」を最も綺麗に歌わせてるのがルイサダ(新録)です。時折、旋律を鳴らすタイミングを拍子から微妙にずらしたりして「内なる声」を情感豊かに際立たせます。タイやスラーや休符もきちんと表現しています。聴き手もこの演奏で初めてシューマンの書いた「内なる声」の実態がわかるのです。山の神が何と言おうが、作曲家が書き込んだ音符をきちんと伝えるんだという決意が伝わってきます。シュミットもメルレもGorbunovaも同様に弾いてはいますが、ルイサダの方が「内なる声」の扱いが丁寧と思います。リヒテルはまさにHastig(性急に)といった感じでこの第2部に挑み、高速フレーズをバックに「内なる声」を打ち響かせます。でも「内なる声」の表出具合としてはちょっと荒いかなぁ。右手の高速フレーズが内なる声と同じ音を叩くときの音が大きすぎて、「内なる声」が付点付きのポップな旋律に聴こえてしまうところが多々あります。まぁ他者と比べて圧倒的にテンポが速くて勢いがあるので仕方ないのかもしれません。もっとも奇妙な演奏は、年代物のピアノフォルテで演奏したピート・クイケン盤。何度聴いても連弾に聞こえます。フモレスケの他の部分の演奏ではこんな聴こえ方はしないので偶然かとは思いますが、この書法が作曲当時のピアノなら醸せた効果だったとしたら、それはそれで面白いことかもしれません。

弾いてはいけない、と言われてすごすご引き下がるようではいけません。他の奴が弾かないなら俺が弾く、俺のピアノでFeeeeeel!!!させてやる。人前で芸をする人はそれくらいの根性が必要です。なお、何の予備知識もなしにこの譜面を見ると「Innere Stimme」は“単なる内声の旋律”に見えるので、ただ素直に弾いちゃった人も6人の中に含まれているような気がしますが、ま、そこは気にしないで行きましょう。

(補記)

  1. 弾いていない58人の中に細かく動く右手のフレーズから「内なる声」を出そうとしたのではないかと思わせる人は何人かいます。たとえばFilippo Gambaとか。しかし、タイや休符含めて感じさせようとした、までは行っていない気がします。
  2. 諸々の引用は文中に記してあります
  3. 井口基成版の注釈の出典はわかりません。クララの手紙は未公開資料だったので、井口が知っていた可能性はあまり高くない気がします。井口本人の解釈の可能性もありますが、詳細不明です。
  4. ありがたいGoogle Play Music様はまもなくサービスが終了します。どうやらYouTubeに吸収合併されるようです。使い勝手が落ちて欲しくないなぁ。

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。