吉池拓男の迷盤・珍盤百選 (21) 凄腕社長様のご立派な愉しみ

The Celebrated New York Recitals, Vol. 1~13  Mordecai Shehori(p)  Cembal d’amour

クラシック・ピアニスト・オリジナルアルバム数ランキングなんていうものはないとは思いますが、現役ピアニストの中では、アメリカのピアニスト Mordecai Shehoriの47枚という数はトップクラスではないでしょうか。けれども、ふと思います。Mordecai Shehori って誰?と。なんでそんなにアルバムが多いの?、と。

その答えは明快です。Mordecai Shehoriはピアニストであると同時に、Cembal d’amourというCDレーベルのオーナー様なのです。自分の会社なので自分のCDをバンバン出せます。もちろん自分のCDだけでなく、ハイフェッツ、バレル(親子)、チェルカスキー、カッツなどのCDも出しており、零細で厳しいクラシック音盤業界においてレーベル立ち上げから25年以上続いていますので、経営者としてなかなかの腕前と思われます。

では、ピアニストとしてはどうなのか。Shehoriはイスラエル生まれで、渡米してジュリアードで学び、ニューヨーク中心に活動。ホロヴィッツとも親交を結び、晩年のホロヴィッツが協奏曲の練習をする時に第2ピアノを務めていました。発表された47枚をすべて聴いたわけではないですが、なかなかのピアニストではあるようです。なにせあの他人に厳しいホロヴィッツのピアノのお相手として認められたほどですから、並大抵のことではありません。

今回取り上げるのは、彼が1970年代以降にニューヨークで開いたリサイタルのライブ録音のシリーズ「The Celebrated New York Recitals」です。すでに第13集まで出ていますが、これが実に面白い。ライブならではのドラマや羽目外しが所々にあり、Mordecai Shehoriという(少なくとも日本では)無名のピアニストの実像を堪能することができます。なお、このライブシリーズは一つの演奏会をまるごとリリースしたものではなく、前後30年くらいの演奏会の録音からいいとこ取りして組まれています。また録音状態の芳しくないものも少なからずあります。

では、全13集の中から、特におもろいのをピックアップして行きましょう。

【第1集】  CD 107

シリーズの最初を飾るだけあって、おそらくは本人が最も気に入っている自慢の演奏が並んでいると思われます。冒頭のブラームスの第3ソナタは、荒々しいまでの情熱にあふれた巨大なスケール感の演奏です。ショパンのスケ3も同傾向。さらになんとラヴェルの「夜のバスガール」(……40年前の学生ネタ)までも同傾向で、フランス音楽とは思えない野太い咆哮が随所で聴こえてきます。これらの演奏からリリースしたということは彼は彼なりに自分の演奏の本質がこういうところにあると考えているのでしょう。

【第3集】 CD 113

続いては第3集。ショパンの「スケルツォ第1番」では、わりと普通の演奏が続いた後、最後の2ページでいきなりブチ切れ、不協和音を異常に強調した血反吐を吐くようなグロ重いコーダを爆走します。リスト編の「魔王」は、逆に他では聴いたことないほどに淋しげで、ほとんどメゾ・フォルテ以下で弾かれている感じです。最後の2和音も消え入るような弱奏で、客の拍手が来るまでかなりの間があります。何があったのでしょうかねぇ。ローゼンタールの「ウィーンの謝肉祭」は随所にShehoriの手が加わっていて、特に4分40秒目くらいからの盛り上がりでは、ワルツなのに2拍子的なリズムを刻んだり、オクターブ進行装飾を大幅に追加してたりとかなりやってくれます。で、一番呆れるのが曲の最後。楽譜通りの終わり方をしたと思った瞬間、定番のピアノ派手派手フレーズをさらに弾き出し、「いつもより余計に回しておりま~す(*1)」と15秒ほど鍵盤上で暴れまくって終わるというサービスを展開します。いやいや、お見事。冷静なスタジオ録音では絶対やらない、いや、やれない記録です。

【第6集】 CD 166

第6集のセールス的な売りは、ホロヴィッツの作曲作品(ワルツ、練習曲「波」、変わり者の踊り)のライブ演奏です。が、おもろいのはコンフレイの「Humoretless」の演奏。ドヴォルザークのユーモレスクのパロディ作品ですが、観客の笑い声が絶えません。特に1分20秒くらいに観客大爆笑のポイントがあるのですが、たぶんShehoriが仕草でなんかしているためで、残念ながら録音からでは笑いのツボはわかりません。いずれにしろクラシックのピアノライブ録音で観客がこれほど笑ってるドキュメントはレアです。

【第11集】 CD 187

ここにはクライスラーの「美しきロスマリン」の演奏が収められています。クライスラーのバイオリン小品のピアノ編曲ものとしてはあまり弾かれることがない曲ですが、Shehoriは実に優雅にしかもタメをたっぷり入れて奏でます。タメで観客か笑いのどよめきがありますので、仕草上なんかやっていると思われますが録音からはわかりません。なお、曲のクレジットはきちんと書くShehoriですがこの曲の編曲者は記載されていません。

【第12集】  CD 189

Shehoriの録音の中でも怪演中の怪演、リストの「波を渡るパオラの聖フランチェスコ」が入っています。寄せる波を描いた左手の荒海ぶりはかなりのもので、うねり、逆巻き、時折、数回余計に波が押し寄せたりします。その後も音楽はますますヒートアップし、立派な爆演状態となって突き進みます。コーダ前のLentoの直前でもShehoriは独自のフレーズを入れたりしますが、一番の吃驚はラスト。第3集のローゼンタールと同様に、ここで終わった、と思った瞬間、ド派手なフレーズをガリガリ弾きだし、さらに激しく打ち寄せる波を数発かましてから、盛大に終わります。そうか、最初の頃にあれほど打ち寄せた波がどこかに行ってしまって物足りなかったんだね、と優しい気持ちになれば、このあまりに過剰な付け足しを受け止めることができます。Shehoriは同じ曲をスタジオ録音もしていますが、さすがに終わりの過剰付け足しなどはしておらず、音楽の熱さも控えめです。

このライブシリーズはCDでも配信でも聴くことができます。録音時期や録音状態がバラバラという欠点はありますが、意外と凄いピアニストの生な記録として十二分に楽しめます。少なくともオーナー社長がわがままで自分の演奏CDを出しまくったというレベルではないことは確認できるでしょう。

*1:昭和期の太神楽師、海老一染之助染太郎が、傘の上などで升や毬を廻した際に、お客の拍手に応えてさらに芸に続けた場合の決め台詞。

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。