吉池拓男の迷盤・珍盤百選 (22) 珍曲へのいざない その1 往年の大ヒット曲

Francis Planté The Complete Issued Recordings Marston LAGNIAPPE L002 2004年
Legendary Piano Recordings:The Complete Grieg, Saint-Saëns, Pugno, and Diémer Marston 52054-2 2008年
The Art of the Transcription Earl Wild(p) AUDIOFON CD72008-2 1982年

さて、ミューズ・プレスの細谷代表から「最近は珍曲ブームらしいですよ。F間K太朗さんがレア曲だけの配信リサイタルシリーズを主催したり、F田M央さんがアルカン弾いたりしてますよ。」というお話をいただきました。なので数回、“珍曲的なるもの”を扱ってみようと思います。筆者は「もっと良い曲がこの世にはあるに違いない」と信じて30年間くらい素敵な珍曲を探し求めてましたので、その流浪の結果としてひとつ言えることがあります。

珍曲に名曲なし!!探すだけかなり無駄」

IMSLPの作曲家の一覧を見るとわかるように、歴史上「クラシック音楽の作曲家」はごまんといます。恐ろしい数です。正直、9割近くの人の名前は初めてですし、その作品を聴いたことある人となると50人に一人いるかいないかでしょう。つまり、ここには「珍曲」が溢れんばかりに隠れているのです。探してください、一生懸命。いい曲なんてほとんど見つかりませんから。無名の作曲家が無名なのはやはり才能が乏しいからです。人の心にしっかり届いて残り続ける音楽を書けないのです。音楽の長い歴史の中で光を浴びるべき人や作品は、光度のバラツキや明滅はあるにしろ光をすでに浴びています。前述した珍曲扱いのアルカンだって19世紀末の頃にはショパンなどと並ぶ大作曲家と言われていたのです。

さて、否定的なことばかり言ってしまうと夢と希望とこの文章を読む気が無くなるだけです。実際のところ、珍曲の中にも稀に聴き手の珍なる個性とマッチングして(あくまでも個人的な)名曲が見つかることがあります。その時の(あくまでも個人的な)随喜の悦楽と言ったら、麻薬的な泥沼以外の何物でもありません。だから(あくまでも個人的な)珍曲探しはやめられないのです。珍曲探しとは自分にとって音楽とは何かを見つめる旅でもあります。どうぞ、さらなる深みへとお進みください。

さて、今回は一時期は輝く光を浴びていたがすっかり忘れられた作品を2つご紹介します。

Francis Planté
The Complete Issued Recordings

ピアノ演奏録音を遺した音楽家の内で生年が古い人はブラームス(1833年)サン=サーンス(1835年)、プランテ(1839年)あたりではないでしょうか。前二者は主に自作を録音したので、職業ピアニストらしいレパを録ったのはプランテが最も古い一人でしょう。プランテは19世紀フランスを代表するピアニストで優雅極まりないスタイルで人々魅了したようです。彼が18曲ほど録音したのは1928年の89歳の時。ショパン本人にも会ったといわれる人の演奏でしたから、ショパンの演奏(練習曲7曲)はじめ貴重な記録として注目されるのですが、残念ながらあまりよい演奏ではありません。89歳の爺さんがよっこらよっこら弾いてるといった感じで、音楽が結構不自然に流れます。ま、味があるといえば味があります。

Legendary Piano Recordings:The Complete Grieg, Saint-Saëns, Pugno, and Diémer

さて、プランテから少し時代が下って1852年生まれのプーニョもフランスを代表したピアニストでした。彼は1903年に18曲ほど録音を遺します。まだ51歳なので技術的にもバリバリで、自由に舞うような洗練された音楽創りを聴くことができます。特にかなりのスローテンポで弾かれるショパンの夜想曲第5番はショパンの弟子直伝の作法ですし、ショパンのワルツ第2番では「真珠奏法」という秘技を披露しています。(真珠奏法とは色々な文献によればプーニョの特殊なスタッカート奏法らしいが、正直、聴いてもよくわからない。)

で、この歴史的な二人の貴重な録音(ともに18曲)には共通した楽曲があります。それはメンデルスゾーンの無言歌から「狩りの歌」「紡ぎ歌」そして「スケルツォop.16 no.2」です。ここでふと気づきます。スケルツォop.16 no.2 って他のピアニストも結構録音してたような気が???、と。

早速、2020年夏に公開されたイギリスのCD会社APRのピアノSP録音データベース(以降APR/DBと表記)を調べてみましょう。APR/DBは12268ものピアノSP録音データが登録されていて、まさに爆涙ものの情報源です。早速メンデルスゾーンのスケルツォop.16 no.2 を検索してみると……出るわ出るわ、33種類のSP録音が登録されていました。しかもピアニストが凄い。コルトー、フリードマン、モイセイヴィッチ、ザウアー、ケンプ、チェルカスキー、ギレリス、ブライロフスキーなどなど。33種類が多いのか少ないのかを知るにはショパンのワルツ各曲の録音回数と比較するとわかりやすいと思います。APR/DBでは、

ショパンのワルツ・SP録音回数
1番2番3番4番5番6番7番8番9番10番11番12番13番14番
34403222557611119351854111358

となっていました。メンデルスゾーンのスケルツォ op.16 no.2 は華麗なる大円舞曲や別れのワルツ並みの人気楽曲だったのです。しかし、現代のピアニストでこの曲を基本レパートリーにしている人なんて聞いたことがありません。拙文をお読みいただいている貴方も、どういう曲が頭に浮かばないでしょう。有名どころのピアニストがこぞって弾いた曲でしたが、おそらくは20世紀の中ごろに急速に人気を失ったと思われます。20世紀初頭になぜ人気があり、そしてなぜ人気を失ったのか、これに関しては全く見当がつきません。確かに作曲家は有名ですが、もうみんな知らない往年の大ヒット曲、立派な“忘れられた珍曲”の部類に入ってしまっています。

The Art of the Transcription Earl Wild(p)

昔の大ヒット曲という点では、ショーンバークの名著「ピアノ音楽の巨匠たち」に気になる記述があります。それは「70年前には、バッハ=タウジヒのニ短調のトッカータとフーガでリサイタルを始めないのは決まりに反するという感があった。」(新版:p274)です。この本が刊行されたのが1963年ですから70年前とは19世紀末頃。そのころのピアノリサイタルはタウジヒ編のBWV 565から開始するのがお決まりだったというのです。今、この編曲を演奏会の冒頭どころか弾く人さえ稀になりました。理由はいくつか考えられます。BWV 565が鼻から牛乳が出るくらい有名すぎる事、タウジヒ以外にブゾーニやコルトー、レーガー、ブラッサンなどの多彩で優れた編曲版が登場した事などです。特にタウジヒ編曲は冒頭に奇妙な改変が施されています。ど頭の「チャラリ~」というところを、音の上下を変えた上でトレモロ風に二回回すのです(楽譜参照)。これでは「チャリラリラ~ 鼻から牛乳*」となって緊張感は薄れ、ま、少しずっこけます。嘉門タツオ先生もさぞや歌いにくくなったことと思われます。ピアノでBWV 565を弾こうと思った人がいても、この部分を観ただけで他の編曲を手にしたくなることでしょう。20世紀以降でライブでこの編曲を弾いているCDは、アール・ワイルドの「The Art of the Transcription」しか私は知りません。ちなみにこのライブでも演奏会の冒頭には置いていません。 もう「ピアノリサイタルはタウジヒ編で開始」が復活する日はないでしょう。ただ、おかげでこの編曲も珍曲の仲間入りです。

タウジヒ編「トッカータとフーガ ニ短調」はおそらくこの曲の編曲でも最古のもの

一時でも聴衆の人気を博した楽曲には何らかの真実があります。少なくとも人の心を掴んで離さないナニモノかがそこには息づいています。忘れ去られた昔のヒットナンバーを探し出して「底力のある珍曲」として世に問い直すのは一興と思います。昔のヒットナンバー探しはまずはAPR/DB内を探しまくるところから始めましょう。やたらと弾かれている知らない曲、たぶん……ありますよ。

*注:クラシック音楽一筋の皆様へ。「チャラリー 鼻から牛乳」というのは、大阪のシンガーソングライター嘉門タツオが1992年に発表した「鼻から牛乳」という作品において、バッハのBWV.565の冒頭部分のメロディーを引用し、そこに付与した歌詞です。これは偉大なるクラシック音楽に対する冒涜であり、決して許されることではありません。皆様の怒りの声を日本の文化行政にぶつけ、音楽の父たるヨハン・セバスチャン・バッハ(たぶん)の真の姿を無知蒙昧なる庶民に知らしめねばなりません。クラシック音楽の守護神たる貴殿の蜂起を、鼻から焼酎垂れ流しながら待っております。

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。