あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(13) ベケット三部作とオペラ「Neither」-1

Elemental Procedures (1976)

 ベケット三部作の2つ目は「Elemental Procedures」。編成はオーケストラとソプラノ独唱、混声合唱。ソプラノ独唱が入る点でオペラ「Neither」の編成に最も近い。演奏時間は約20分。テンポは♩=約63。「Orchestra」と同じくスコア冒頭に「極端なほど柔らかくExtremely soft」と記されている。

Elemental Procedures (1976)

score:https://www.universaledition.com/morton-feldman-220/works/elemental-procedures-2284

 ソプラノが後半から歌う歌詞はベケットの無声映画「フィルム Film」(1965)の台本からの引用である。「フィルム」はアラン・シュナイダー監督、バスター・キートン主演。ベケットは1964年夏にニューヨークを訪れて撮影に立ち会った。ベケットがアメリカに来たのはこの時一度だけである。[6]シュナイダーはベケットの戯曲と短い芝居のアメリカ初演の演出を手がけており、1960年代のアメリカにおけるベケット受容の鍵を握る人物でもあった。[7]

Samuel Beckett and Alan Schneider/ Film

 フェルドマンが「フィルム」の台本に着目した経緯は以下のように推測される。フェルドマンは既存のベケット作品に目を通し、その中から「Elementary Procedures」でソプラノが歌うテキストとして「フィルム」の序文を選んだようだ。

(編集者注:「Neither」の)委嘱を受けた後、フェルドマンはベケットの戯曲の中でオペラの脚本にふさわしい作品を探したようだ。彼は1964年のサイレント映画「フィルム」のための台本のようなそれほど重要でないベケット作品も読んでいたのは明らかだ。「フィルム」では、男O(「客体 object」を意味する)――アラン・シュナイダーが監督した映画ではバスター・キートンが演じた――が自意識E(「目 eye」を意味する)から走り去るが最後にはカメラに捕らえられてしまい、彼自身の写真と対峙させられる。「ベケット素材」の直後、フェルドマンはこの台本の「序文」から最初の2文を抜粋し、「Elemental Procedures」の最後に順番を逆さまにしてソプラノ独唱の歌詞として用いた。1960年の合唱と室内楽のための「The Swallows of Salangan」、1962年のソプラノと5つの楽器のための「For Franz Kline」以降のフェルドマンの楽曲のすべての声楽パートと同様、それまでソプラノ独唱は指定された音高を歌詞のない「口を開けたハミング」で歌っている。

“After accepting the commission (of Neither-editor’s note), it seems that Feldman searched for a suitable opera libretto within Beckett’s dramatic works. Obviously he also read off-texts like Beckett’s scenario to a silent movie called Film from 1964, where a man O (for “object”) –Buster Keaton in the realized movie by Alan Schneider—runs away from the self awareness E (for “eye”), at the end to be taken by the camera and confronted with his own picture. Immediately after the “Beckett-material”, Feldman took the first two sentences out of the scenario’s “general introductory” to be set in reverse order to the solo soprano at the end of Elemental Procedures, who is singing the indicated pitches “with an open hum” without a text as far as there, like in all vocal parts of Feldman’s works since The Swallows of Salangan for choir and chamber orchestra from 1960 and For Franz Kline for soprano and five instruments from 1962.[8]

この引用で説明されているように、「Elemental Procedures」後半から登場するソプラノの歌詞は「フィルム」の序文冒頭2文の順番を逆さまにして用いていて「Search of …」の文から歌われる。原文は次のとおり。

 All extraneous perception suppressed, animal, human, divine, self-perception maintains in being.
 Search of non-being in flight from extraneous perception breaking down in inescapability of self-perception.[9]

日本語訳:

 動物、人間、神など、あらゆる外的なものによる知覚を抹殺したとしても、その場合なお、自己による知覚は存在しつづける。
 外的なものによって知覚されることから逃れて、非存在を求めようとする試みは、結局、不可避的な自己知覚に直面して、挫折する。[10]

この2文は、どれだけ他者や外からの知覚を逃れようとしても結局は自己の知覚と存在はどこまでも続くことを、諦めにも似た気持ちで私たちに諭している。フェルドマンはこの文意を音楽で描写しようとは思ってもいなかったはずだが、、次にソプラノがどのようにこれらの言葉を発しているのかを見ていく。

 「Elemental Procedures」は11の部分に区切ることができる。「Orchestra」と同じく様々な種類のブロックが垂直に配置されている。ここでは主に半音階的なモティーフ「ベケット素材」とソプラノに焦点を絞ってこの曲の特徴をつかむ。

1: mm. 1-32

冒頭から15小節目まで、ソプラノが長めの音価でE♭5-E5-F5-G♭5-G5の5音からなるベケット素材のモティーフを歌う。合唱は混声四部がさらに3群に分割されていて、クラスター状の複雑な響きを作っている。23-32小節目まで、ソプラノはせり上がるような輪郭のモティーフを歌う。

2: mm. 33-99

ソプラノと合唱によるコラールの部分。このセクションでは、合唱のそれぞれの声部が半音階進行を主とするベケットのモティーフを歌う。49小節目からソプラノが合唱に加わり、C5-D♭5-D5-E♭5-E5のモティーフを重ねる。基本的にソプラノは順次進行や狭い音程で動き回るが、53-55、68-70、77-80小節間のソプラノの3音モティーフ(D♭5-C5-B5)には7度跳躍(C5-B5の音程は長7度)が用いられている。これまで狭い範囲を這うように動いていたところに突如幅広い音程の跳躍を挟む手法は、1950年代のフェルドマンの楽曲から一貫して頻繁に用いられている。

3: mm. 100-154

このセクションの始まりを告げる100小節目のピッコロ、ヴィオラ、チェロのF-G♭の2音が105小節目でソプラノに受け渡される。ここからソプラノはF5-G♭5-G5-A♭5-A5の半音階進行をゆっくりと歌い上げる。124小節目からもソプラノがD♭5からゆっくりと上行するが、130-131小節間のA♭5-B5の跳躍は増2度のため、これまでのなめらかな音の動きにやや不安定な響きが加わる。145-150小節間ではイングリッシュ・ホルンとソプラノがE5の音を交換する。

4: mm. 155-177

ソプラノはE♭5-E5-F5の3音からなるモティーフを歌う。クレシェンドとデクレシェンドによって膨張と収縮と繰り返す弦楽器が劇的な効果をもたらす。

5: mm. 178-258

ソプラノがE5-F5-G♭5からなるベケットのモティーフを途切れなく歌う。この時点ではまだ歌詞を伴わない。そのせいか、ここでのソプラノは歌というよりも、まるで身悶えしているようにも聴こえる。せわしなくさまようソプラノとは対照的に、他のパートには半音階的な和音のブロックが配置されている。

6: mm. 259-324

今まではソプラノの独壇場だったが、このセクションではトランペット、ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ、ヴィブラフォンもC5-D♭5-D5-E♭5からなるベケットのモティーフを繰り返す。

7: mm. 325-338

この14小節間ソプラノと合唱を中心とした短い幕間のような部分である。

8: mm. 339-358

D5-E♭5-E5-F♭5からなるベケットのモティーフをソプラノが歌詞「Search of non-being in flight from extraneous perception breaking down in inescapability of self-perception.」付きで歌う。この1文は曲中で1回しか歌われない。4音のこのモティーフに言葉が付くと、話し声に近い抑揚に聴こえてくる。

9: mm. 359-396

先ほどまでの細かな動きが影を潜め、362-366小節間でソプラノが叫びのようなB♭5-A♭5-A5の3音を歌うと、しばらく静かな場面が続く。380-384小節間でバスクラリネット、チューバ、合唱のソプラノとアルトが同時に半音階的にゆっくりと下行する。388小節目にソプラノのC6、ハープのD♭4、フルートのE6の3音からなる極端に幅広い跳躍のフレーズを作る。その後、391-394小節間のフルートの跳躍を経てソプラノが再びC6を歌う。

10: mm. 397-461

B♭4-C5-C#5/D♭-D5-E♭5-E5-F♭5の6音からなるベケットのモティーフをソプラノが「All extraneous perception suppressed, animal, human, divine, self-perception maintains in being.」の歌詞で歌う。セクション8との違いはこの歌詞が繰り返されることだが、まったく同じかたちで繰り返されるわけではない。1回目(397-403小節間)のこのモティーフは5/16拍子で7小節分の長さ、16分音符と16分休符による6連符のリズムで息つく間もなく動き回る。2回目(406-432小節間)は「All extraneous perception suppressed」が4/2拍子の全休符小節を挟んで5/8拍子で歌われる。「animal, human」は4/2拍子の全休符小節を挟んで3/8拍子で歌われる。「divine」は2/4拍子と3/8拍子の2小節にまたがっており、このモティーフの長さが拡張傾向にあることを示している。この直後(418-420小節間)にフルートがA4-B5-A#4-E6の4音を続ける。この4音は391-394小節間の跳躍音型を半音高くしたものである。11小節間の不在を経て428小節目からソプラノが歌詞の最後の部分「self-perception maintains in being」を歌う。この部分は2/4-3/8-3/4(全休符)-2/2-3/8拍子の計5小節で構成されている。434小節目から「animal, human, divine, self-perception maintains in being」がさらに長さを拡張して繰り返される。434-440小節間はソプラノがC#5-D5-E♭5の3音によるベケットのモティーフを歌う。415-416小節間の「divine」はE♭5-D5の下行形だったが、439-440小節間の「divine」は上行形D5-E♭5で歌われる。このE♭5は増4度跳躍して441小節の「self」のA5へ接続する。441小節目からソプラノはA5のみで「self-perception maintains in being」を歌う。旋律としての起伏を完全に欠いた一連のG5の音は叫びのようにも聴こえる。執拗に同じ音高、しかも高音域の音で歌詞のある部分をソプラノに歌わせる手法はオペラ「Neither」にも用いられている。

11: mm. 462-480

チェレスタと合唱が半音階的に重なった和音を引きのばし、クラスターを作る。これらの和音の構成音が狭い音域内での半音階進行で変化することから、ここでのチェレスタと合唱はベケットのモティーフとみなしてよいだろう。474小節目では、チェレスタと合唱による複雑で繊細な響きの中からソプラノが浮かび上がり、A5とB♭5をゆっくりと歌い上げて曲が終わる。

 狭い音域内を半音階的に動き回るベケットのモティーフや、先に述べたセクション10でのG5の執拗な繰り返しなど、「Elemental Procedures」でのソプラノの書法はオペラ「Neither」にそのまま引き継がれることとなる。この曲での音楽と歌詞との関係をごく単純に解釈するならば、あるいは両者を無理やり関係付けるならば、最後にA5の反復にのせて歌われる「self-perception maintains in being 自己による知覚は存在しつづける」が「Elemental Procedures」の文学的な主題といえるだろう。