あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(14) 不揃いなシンメトリー -2

 「Piano」のテンポは♩=約63。全29ページで構成される出版譜には小節番号や練習番号が付されていないが、フェルドマンのスケッチと1982年に行ったフェルドマンへのインタヴューに基づいたAmesによる分析では、スケッチの段階でフェルドマンが全体を55に区切っていたことが明らかにされている。[5] Amesはこれらの区切りを「システム system」と呼ぶ(本稿では曲中での個々のシステムの範囲については省略する)。Amesはこれら55のシステムをグループとしてまとめ、「Piano」にA-B-C-コーダの構成を見出している[6]

A:スコア1ページ、1小節目(システム1)から16ページ、8小節目(システム28)まで
B:16ページ、9小節目(システム29)から20ページ、12小節目(システム36)まで
C:20ページ、13小節目(システム37)から27ページ最後(システム50)まで
coda:28ページ、1小節目(システム51)から29ページ最後(システム55)まで[7]

 各セクションの長さは、セクションAが最長、Bが最短、CはAとBの中間くらいの長さ、コーダはその性質上Bよりもさらに短い。セクション間の長さを比べると、もしもAとCの長さがほぼ同じだったら、AとCがBを囲むシンメトリー構造になっているといえるが、ここではそうはなっておらず、A-B-Cとコーダの長さの比は不均衡だ。

 曲中の音の動きは以下の8種類に分類できる。下の一覧はこれらの動きの特性と、これらが登場する主な箇所をセクションAを例に記している。

①不規則に動く和音:1ページ目1小節目から2ページ目5小節目など
②左手のB5-C6と右手のD♭6とによって形成されるオシレーションのような動き:2ページ目、5-9小節
③同一和音の連打:5ページ目、6-9小節
④構成音の配置をその都度変えて打鍵される同一和音:3ページ目、9小節目から4ページ目、1小節目まで(右手:F#-G-A♭、左手:D#-E-F)
⑤両手で交互に打鍵される単音:9、10、14、16ページ目
⑥和音の半音階的な下行:4ページ目、5-11小節
⑦コラール風の和音の揺れ動き:5ページ目、10小節目から6ページ目、9小節目まで
⑧同じペースで打鍵される和音:6ページ目、13小節目から7ページ目、5小節目まで

 セクションAでは、上記で言及されなかった範囲の音の動きの大部分が①不規則に動く和音に分類されるといってもよい。①は時に幅広い跳躍を伴い、前後のつながりを考慮せずランダムに和音や単音が配置された1950年代のピアノ曲を思い出させる。この中で比較的、耳でシンメトリーの感覚を捉えやすいのは②のオシレーションのような動き、③の同一和音の連打、④の異なる配置で打鍵される同一和音の響きだと思われる。なぜなら、これら3つは、同じ、またはよく似たものを繰り返すうちに聴き手に記憶の参照点を与えているからだ。最初はなんだかわからなかったパターンや響きに対して、聴き手は反復の過程でそれらに慣れてきて、いつのまにか自分自身の記憶の中になんらかの参照点を作り出す。シンメトリーを形成する明確な中心点の把握にいたらなくとも、聴き覚えのあるパターンや響きの中に規則性の感覚を抱くことも可能だろう。このような一連の聴取の過程を、耳で捉えるシンメトリーということができる。既に述べたように、フェルドマンにとってのシンメトリーの概念は規則性と不規則性、予測可能性と予測不可能性に関わっている。文字で読むだけではこれらの感覚を実感しにくい。「Piano」が生み出す響きと、それを聴く行為を通して、これらの感覚が実体験として現実味を帯びてくる。スコアを見てみると、②③④のいずれも同じものをそっくりそのまま繰り返しているわけではないことがわかる。むしろスコア3ページ目に起きる④は、その都度、和音が転回し、さらには音価も異なるので、この範囲の和音が実は全て同じ構成音の和音であることに気付きにくい。これまでのフェルドマンの楽曲にもしばしば見られたが、記譜、つまり視覚から得る印象と、実際に音を聴いた際に得る印象の乖離がこの曲でも起きている。

 スコア7ページの6小節目からは大譜表が2つ重ねられている。さらには11-14ページの半分までの範囲では大譜表が3つ重ねられている。これらの大譜表の重なりをAmesは「層 layers」とみなして分析している。大譜表の重なりについてAmesがフェルドマンに質問したところ、彼はこれを「機能的なコラージュ functional collage」とみなしたが、後日、次のように解説してくれたという。[8]

実際のところそれはコラージュではない。私のコラージュの定義は2つの明らかに異なる(種類の)素材を持っている場合をいう。私はこれらをさらに深い(テクスチュア)を生み出す垂直な構造だと思っている。コラージュというよりも、「重ね合わせ」が適切に見える……ある意味、私はそれを層よりも対位法や和声の構造に結びつけて考えている……フーガとそっくりな。

It’s not really a collage. My definition of a collage is when you have two obviously different (kind of) material. I feel that these are vertical structures creating a more dense (texture). Rather than collage, I think the word ‘superimposition’ is more apt… in a sense I see it more related to counterpoint and harmonic textures rather than layering… very much like a fugue.[9]

 フェルドマンはひとりのピアニストのために複数の大譜表を重ね合わせて、より深いテクスチュアを作ろうとした。もちろん「Piano」には対位法や、和音間の声部連結法の意味での和声構造は見られない。フーガの要素も希薄だ。ここでフェルドマンが言おうとしているのは、これらの技法そのものではなく、複数の要素を同時に重ねることでできる複雑な構造のことだろう。その喩えとして「フーガ」という言葉が出てきた。絨毯のことを思い出すと、細かいパターンによってできた複数のブロックが寄り集まって1つの面を構成している様子も、ブロック間の重なりや絡まり合いの点でフーガにたとえることができる。スコア13ページの4小節目から14ページ前半までの重なりの様子を見てみると、上から1段目は①の不規則な動き。2段目は④で、13ページでの和音は3ページの9小節目から4ページ、1小節目までの和音と同じで(右手:F#-G-A♭、左手:D#-E-F)、14ページからはこれらの和音の構成音が若干変わる。3段目は⑤の単音の動きを次のページまで続ける。3段とも拍子は同じだが、全く違う3つの流れが同時進行しているといってもよい。極端に速いパッセージではないものの、音域、音の長さ、動きが三者三様のこの箇所をひとりのピアニストが同時に弾くには相応の技術が必要だろう。

 スコア16ページ目の後半から始まるセクションBは、④構成音の配置をその都度変える和音を中心としている。このセクションの冒頭から3小節間は、左手の1つ目の和音に含まれるF#3を例外として、G-G#/A♭-A-B-C-C#-Dの7音でできている。これらの音が様々な組み合わせで配置されている。ここでは交互に記された強弱記号fffとpppもパターンを作る。fffとpppとの交換によるパターンは17ページ後半から18ページ3小節目までの2段目の大譜表、19ページ3段目の大譜表の最終小節から20ページ4小節目までの範囲にも見られる。これらのfffとpppとの交換は強弱の対照的な効果だけでなく、fffでの強力なアタックの残響と余韻をpppが受け止めて、fffから波紋のように広がる音響のイメージを喚起させる。その様子は、絨毯の色のグラデーション効果をもたらすアブラッシュの技術を思い出させる。

 上述の通り、セクションBは7つの構成音の様々な組み合わせから始まる。その後、徐々に構成音が変化し、別の和音やパターンが始まる。耳では把握しにくいが、17ページ2-3小節目の右手和音の最低音E4-B♭4、5-6小節目と7小節目の最高音E5-B♭5は減5度、つまり3全音が3回繰り返されている。フェルドマンがここで3全音の跳躍を繰り返した意図や理由は不明だが、スコアからはっきりと読み取ることができるので指摘しておく。

 セクションBでは拍子記号、小節の配列、休符もシンメトリーの形成に寄与している。1つの大譜表に戻った20ページ、6-12小節間の拍子は3/4 | 5/8 | 3/4 | 5/8 | 3/4 | 5/8 | 3/4 |の順に並んでいる。全休符の9小節目を中心軸に、6小節目と12小節目、7小節目と11小節目、8小節目と11小節目が鏡像形、つまりシンメトリーを形成している。ここで重要なのは対応関係にあるそれぞれの小節が完全に同一ではないことだ。例えば6小節目はG♭1、12小節目はG4-A♭4なので、Gの周辺の音で共通しているが、完全に同じではない。8小節目と11小節目の関係も同じで、この2小節の和音を比べてみると、構成音をいくつか共有しているが完全に同じではない。このようなわずかな差異や逸脱を含んだシンメトリーを「不揃いなシンメトリー」と呼ぶことができるだろう。