あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(11) 1970年代前半の出来事と楽曲-3

文:高橋智子

3 フェルドマンの新たな境地 The Viola in My Life 1-4

 1970年から1971年にかけて作曲された4曲からなる「The Viola in My Life」は1970年代の楽曲の中だけでなく、フェルドマンの楽曲全体を見渡してみても特殊な位置にある作品だ。この当時のフェルドマンの楽曲には珍しく、「The Viola in My Life」では明確に認識できる旋律が登場する。フェルドマンはこれまでに1947年に作曲した独唱曲「Only」や、1950年代、60年代に手がけたいくつかの映画や映像の音楽でも旋律のある曲を書いてきたが、旋律ともパターンともいえない概して抽象的な作風が彼の本分とみなされてきた。だが、1970年に入るとフェルドマンは五線譜の記譜に戻り、「The Viola in My Life」1-4を書いて叙情的な旋律を惜しげもなく披露する。前のセクションで解説した1970年代の楽曲のおおよその傾向を思い出しながら「The Viola in My Life」1-4がフェルドマンの作品変遷の中でどのような位置にあるのかを見ていこう。

 ポール・グリフィスによるインタヴューでタイトル「The Viola in My Life」について訊ねられたフェルドマンは「それが単にすてきなタイトルだと思ったからです。I thought it was just a pretty title.」[1]とだけ答えている。また、独奏楽器としてヴィオラを選んだ理由も特にないと言っている。[2]ここでのフェルドマンの受け答えは実にそっけないが、当時、彼がヴィオラ奏者のカレン・フィリップス[3]と親しくしていたことが独奏パートとしてのヴィオラに関係している。[4]フェルドマン自身によるプログラムノートによると、ハワイ大学での講義のために滞在していたホノルルで1970年7月に「The Viola in My Life」の作曲が始まった。[5]楽曲の特徴については次のように解説されている。

楽曲の形式はとても単純だ。私の大半の音楽と異なり、「The Viola in My Life」の全曲は音高とテンポに関して慣習的な方法で記譜されている。ヴィオラが鳴らすミュートされた全ての音特有の、ゆるやかで微かなクレシェンドの根底にある正確な時間のかたちが私に必要だった。このような側面が音の出来事のリズムによる連続性を決定づけた。

1958年以来(ミニマル絵画の一側面とたいして違わず)、私の音楽の表面は非常に「平坦」だった。ヴィオラのクレシェンドは、行き交う音楽的な着想の相互作用によって決められる音楽の展望ではなく――むしろ限られた風景の中で鳥が羽ばたこうとしている様子にも似た、音楽の展望に再び夢中になったことを意味する。

The compositional format is quite simple. Unlike most of my music, the complete cycle of The Viola in My Life is conventionally notated as regards pitches and tempo. I needed the exact time proportion underlying the gradual and slight crescendo characteristic of all the muted sounds the viola plays. It was this aspect that determined the rhythmic sequences of events.

 Since 1958 (not unlike an aspect of minimal painting) the surface of my music was quite “flat.” The viola’s crescendos are a return to a preoccupation with a musical perspective which is not determined by an interaction of corresponding musical ideas—but rather like a bird trying to soar in a confined landscape.[6]

 「The Viola in My Life」1-4の全てのスコアは、テンポ、拍子、音高、音価(音の長さ)、ダイナミクスといった音楽のパラメータが五線譜で具体的に記されている。とりわけフェルドマンは、クレシェンドを用いたダイナミクスの操作から引き出される音の微妙なカーヴ(文中では「正確な時間のかたち」と呼ばれている)に着目した。音楽においてテンポ、拍子、小節は時間と関わり、時間に規定されている。フェルドマンはクレシェンドを事細かく書き記して、ダイナミクスをも音楽的な時間に関係させようとしたのではないだろうか。1960年代の自由な持続の記譜法の楽曲では、拍子記号や音符では正確に記すことのできない音楽的な時間を具現するものとして、音の減衰が重んじられてきた。「普通の」五線譜に戻った今、フェルドマンは音の減衰だけでなくダイナミクスそのものを掌握し、「平坦」といわれてきた自分の音楽の表面にグラデーションのような効果を加えようとした。だが、ここで求められているのは拍子と小節によって明確に規定された範囲内での微妙なゆらぎである。これまでのフェルドマンの楽曲、例えば前回解説した「Between Categories」は2つのアンサンブルの交わらない時間を敢えて描くことで、不確定で不安定な要素を音楽のどこかに残していた。しかし、ここでの鳥のたとえからわかるように「The Viola in My Life」にはそのような不安定で不確定な要素が入り込む余地はない。

The Viola in My Life 1

 これまでのフェルドマンの楽曲とは異なり、「The Viola in My Life」1-4には音高や音価に関して不確定な要素は一切なく、「開かれた」要素が希薄だ。「The Viola in My Life 1」の編成は独奏ヴィオラ、フルート、ヴァイオリン、チェロ、ピアノ、打楽器(テナードラム、大太鼓、ティンパニ、テンプル・ブロック、ウッドブロック、ヴィブラフォン、グロッケンシュピール)の6人編成。ヴィオラ以外の各パートも奏者は1人だが、このシリーズではヴィオラを独奏パートとみなし、他のパートとは違う特別な地位にあることが明示されている。独奏ヴィオラ、ヴァイオリン、チェロは終始ミュート(弱音器)をつけて演奏する。UE(Universal Edition)のスコアに記載された演奏時間は9分45秒。テンポは二分音符1つ=58で曲の最初から最後まで変わらないが、拍子は不規則に変化する。曲の様相の変化に応じて全体を次の10の部分に区切ることができる。これらは音楽の形式的な区切りというよりも、それぞれの部分で完結している絵本や紙芝居の1ページごとの場面の感覚に近い。

1: mm. 1-19
2: mm. 20-38
3: mm. 39-50
4: mm. 51-71
5: mm. 72-85
6: mm. 86-92
7: mm. 93-98
8: mm. 99-108
9: mm. 109-124
10: mm. 125-126

Feldman/ The Viola in My Life 1

score https://www.universaledition.com/morton-feldman-220/works/the-viola-in-my-life-1-5335

 たとえ通常の五線譜で記譜されていようと、やはりフェルドマンの曲なので「The Viola in My Life 1」も一聴、あるいはスコアを一見してもよくわからない。ここではヴィオラと他のパートとの関係に注目して曲の内容を見てみよう。先に引用したフェルドマンによる楽曲解説のとおり、ヴィオラのすべての音にクレシェンドとデクレシェンドが記されている。ここでのヴィオラは他のパートと同じく1-3小節分の長さで音を引きのばすだけなのだが、ダイナミクスの変化がこれらのフレーズに旋律のような感覚をもたらす。上記の区切りの1-3まではヴィオラによる音の引きのばしに他のパートが続くという、おおよそのパターンに基づいている。このパターンに基づいた平坦なテクスチュアがしばらく続くなか、不意に聴こえてくるチェロのピツィカートによる断片がテクスチュアに変化と驚きをもたらす。例えば、曲が始まってすぐの3小節目にピツィカートで鳴らされるアルペジオは特に注意を引く。また、他のパートの音が鳴らない箇所に随時挿入される打楽器類のトレモロやロールも、この平坦なテクスチュアに異質な要素をもたらす。これらの打楽器を音の陰影のようなイメージとして解釈することもできるだろう。

 3番目と4番目の場面の境界にあたる50小節目の最後にヴィオラがピツィカートでアルペジオを鳴らすと曲が少し動き出す。これまでは同じ音を引きのばすだけだったヴィオラが上行形のパッセージを鳴らし始め、聴き手は旋律に近い音のまとまりを感じることができる。59-61小節目のヴィオラのパッセージ(D3-F3-E4-G♭4-C5-E♭5)は、その直後に65-69でフルート(D4-A4-G#5-D6)に引き継がれる。音の鳴り響きとスコア両方に関して、ここでのヴィオラとフルートに類縁性を見出す理由として、ヴィオラのG♭4-C5とフルートのG#5-D6が増4度と減5度で転回音程の関係をなしていることがあげられる。加えて64-70小節の息の長いヴィオラのパッセージもD#4-G4による減4度を含むため、ここでは増減音程特有の響きがさらに強く印象付けられる。

 6番目の場面(84小節目)からはピアノとヴィブラフォンを中心とした新しいパターンが現れ、ヴィブラフォンのC#4を伴ってピアノは装飾音A5とB4-F#5のパターンを4回繰り返す。このピアノにヴィオラはG3で、チェロはピツィカートのF5でその都度反応する。ピアノのこの短いフレーズは「The Viola in My Life」シリーズの直前の1970年7月に作曲された「Madame Press Died Last Week at Ninety」で既に用いられている。

Feldman/ Madame Press Died Last Week at Ninety (1970)

 7番目の場面(93-98小節)でもさらに曲の様相が変わり、ヴィブラフォン、ピアノ、ヴァイオリン、チェロに続いてヴィオラが、そして少し間を置いてフルートがA♭5を鳴らすパターンを3回繰り返す。8番目でも新たなパターンへと変化し、チェロ、ヴィオラ、ヴァイオリンの順に受け渡されるパターンが繰り返される。ここからは拍子が3/8で一定しているので規則的なリズムの感覚も微かに生じる。9番目の場面(109-124小節)は6と8番目を合体させたパターンで構成されている。ピアノは6番目にも出てきた装飾音と和音、ヴィオラは8番目と同じ音型、フルートは8番目のA♭5より1オクターヴ低いA♭4を鳴らす。ヴァイオリンとチェロのピツィカートはピアノの和音を1拍目と3拍目で縁取るかのように配置されている。最後となる10番目の場面(125-126小節)でグロッケン、ピアノ、チェロが一斉に和音を鳴らすと、ヴィオラが開放弦でE♭3とG3の2音を鳴らし、思わせぶりな仕草で曲が終わる。

 1960年代の楽曲と同じく「The Viola in My Life 1」でも以前出てきたパッセージが不意に再び現れる手法が取られていることがわかった。「The Viola in My Life 1」ではヴィオラに独奏パートとして特別な地位が与えられているが、演奏者6人による比較的小規模な室内楽編成のため、時にピアノなど他のパートが楽曲の中心を担う場面も見られる。続く「The Viola in My Life 2」ではヴィオラと他の楽器はどのような関係を築いているのだろうか。

The Viola in My Life 2

Feldman/ The Viola in My Life 2

 「The Viola in My Life 2」は独奏ヴィオラとフルート、クラリネット、チェレスタ、打楽器(ヴィブラフォン、ティンパニ、カスタネット、マラカス、スネアドラム、テナードラム)、ヴァイオリン、チェロの合計7人の奏者による室内楽編成。1番と同じく独奏ヴィオラ、ヴァイオリン、チェロは終始ミュートを着けて演奏される。スコアに記載されている演奏時間は約10分。楽曲の冒頭にはテンポと全体的な曲想「♩=c 66極めて静かに。全てのアタックはビートの感覚を出さず最小限に抑えて。♩=c 66 Extremely quiet, all attacks at a minimum with no feeling of a beat.」[7]が記されている。先の「The Viola in My Life 1」ではダイナミクス記号は独奏ヴィオラのパートに限られていたが、「The Viola in My Life 2」ではヴィオラ以外のパートにもダイナミクスが細かく記されている。

 曲全体を区切ると9つの場面に分けられる。1-4(1-99小節)の場面までは3/4拍子で一定しているが、5(100小節目以降)からはヴィオラの旋律のゆらぎや、合間に挿入される全休符での沈黙の時間の長さに伴って拍子が目まぐるしく変わる。

1: mm. 1-23
2: mm. 24-34
3: mm. 35-57
4: mm. 58-99
5: mm. 100-117
6: mm. 118-129
7: mm. 130-138
8: mm. 139-173
9: mm. 174-187

 ダイナミクスの他に「The Viola in My Life 1」と異なる点として、それぞれのパートの役割がより明確になっていることがあげられる。このことはスコアの譜表の配置にも反映されている。「The Viola in My Life 1」ではヴィオラは弦楽セクションの一部として配置されていたが、「The Viola in My Life 2」ではヴィオラは独奏パートとして譜表の最上段に記されている。譜表の配置は些細な事柄かもしれないが、このことから、ヴィオラの独奏パートとしての性格が「The Viola in My Life 2」においてさらに強まっていると考えられる。

 ヴィオラ以外のパートの性格と、それらによって生み出される音楽的な役割と効果もここでははっきりしている。Saxerはこの曲の1ページ目が3つの層で構成されていると指摘する。1つ目は「絶えず動き続ける弦楽器の持続音 durchgeende, dynamisch bewegt Haltetöne der Streicher」[8]、2つ目は「フルート、クラリネット、カスタネットによるパターン Pattern aus Flöte, Klarinette und Castagnetten」[9]、3つ目は「ヴィオラの独立した旋律 individualle Melodik der Viola」[10]。これら3つの層によるテクスチュアは1-4(1-99小節)まで概ね変わらない。さらに細かく各パートの動きを見て行くと、ヴァイオリンとチェロはSaxerの指摘どおり音の引きのばしによる持続音で構成されている。だが、「The Viola in My Life 1」と同じく時折チェロがピツィカートを鳴らし、持続音によるテクスチュアとは異なる音色をここに加える。例えば、27-41小節目でのチェロはピツィカートでトレモロを鳴らして打楽器のような効果を出している。84-93小節目でもチェロのピツィカートが現れる。ここでは先ほどの打楽器的な効果とは違い、ヴィオラの旋律を思い出させるゆるやかな音型を作っている。

 木管楽器、すなわちフルートとクラリネットに関していうならば、この2つの楽器はSaxerの指摘どおり一対としてパターンを形成している。フルートの持続音に数拍遅れてクラリネットが追従するパターンはスコアでも耳でも把握しやすい。5番目の場面が始まる箇所からしばらく(100-115小節)、「The Viola in My Life 1」のピアノに、そして「Madame Press Died Last Week at Ninety」にも用いられているパターンと同じパターンが音高を変えてフルートで6回繰り返される。もしも「The Viola in My Life 1」を知っていれば、このフルートのパターンから「The Viola in My Life 1」の記憶が一瞬よみがえるような錯覚に陥るかもしれない。

 打楽器の用法も独特だ。この曲でフェルドマンはカスタネットとマラカスのトレモロを頻繁に用いている。今までのフェルドマンの楽曲の中でこれほどカスタネットとマラカスが聴こえてくる曲は他にない。カスタネットとマラカスに限らず、この曲ではスネアドラム、テナードラム、ティンパニのロールが頻繁に現れる。多くの場合、これらは他のパートに呼応して鳴らされるが、音色の性質上、他の楽器に埋もれることなく強い印象を与えている。

 ヴィオラは「The Viola in My Life 1」よりも息の長いフレーズを奏でる。ここでの一連のヴィオラは旋律といってもよいだろう。この曲ではヴィオラが、木管楽器による反復パターン、弦楽器の持続音とたまに聴こえるチェロのピツィカート、チェレスタの和音、打楽器類のトレモロやロールといったあらゆる要素から抜きん出た存在として扱われているのはたしかだ。旋律とその他のパートというはっきりした関係がヴィオラとその他のパートの間で構築されているともいえる。これまでのフェルドマンの楽曲を振り返ると、各パートや声部間の関係が判然としない楽曲が多くを占めたが、「The Viola in My Life 2」は多層的でありながらも比較的わかりやすい構成でできている。

 独奏ヴィオラによる旋律とそれぞれの楽器の層からなる関係は8番目の場面(139-173小節)から一変する。ここからはチェロの伴奏にのせてヴィオラが旋律を奏でる(この旋律は後に「Rothko Chapel」(1971)の独奏ヴィオラにも登場する)。時折スネアドラムが挿入されるが、ここはヴィオラとチェロの二重奏といってもよいだろう。チェロはF3-G2の2音パターンと、D3-C#4-F4のアルペジオをヴィオラの伴奏としてピツィカートで鳴らす。曲の最後となる9番目の場面(174-187小節)からヴィオラのパートナーはヴィブラフォンに変わる。ここからはヴィオラは旋律ではなく、先ほどチェロが鳴らしていたアルペジオと同じ和音D3-C#4-Fを鳴らす。その直前まで劇的な盛り上がりを見せたヴィオラの旋律が姿を潜め、曲の終わりへゆっくり着地する筋書きだ。これまでこの連載ではフェルドマンの音楽を概して「何とも言い難い」と表してきたが、「The Viola in My Life 2」を見る限りもはやそれは当てはまらない。フェルドマンは物語性さえも感じさせるロマンティックな音楽を書いている。

The Viola in My Life 3

 「The Viola in My Life 3」はヴィオラとピアノの編成。スコア記載の演奏時間は6分10秒。前の2曲が6〜7人の奏者による室内楽だったのに対し、編成も曲の長さも急に縮小する。曲の構成も単純で、半音階的な和音を中心としたピアノ伴奏にのせてヴィオラがダイナミクスを変化させながら持続音を弾く。前の2曲にも登場したヴィオラによるゆるやかに上行、下行する音型も登場する。ヴィオラは持続音の合間に2/3拍子、8分音符で記された12音(G♭3-C4-B3-E4-E♭-C#4-D4-A♭-C5-E5-A5-B5)からなる特徴的なパッセージを3回奏でる。ひと筆書きのように演奏される、音域の広いこのパッセージは増4度(G♭3-C4)と減5度(D4-A♭)を含んでいるせいなのか、聞き流そうとしても印象に残ってしまう奇妙な性格を持つ。実はこのパッセージは既に「The Viola in My Life 2」の83、105小節目に登場している。

 曲中のヴィオラ、ピアノともに全休符の小節は全てテンポ♩=66、2/2拍子で統一されている。このように音の鳴らない時間と空間も具体的に規定することで、フェルドマンは測られた沈黙の状態をここに作り出している。また、不意に現れる全休符による沈黙はヴィオラの持続音が旋律に発展するのを邪魔しているようにも見える。「The Viola in My Life」シリーズは全体的に旋律の性格が強い楽曲だが、フェルドマンは思いだけないタイミングで沈黙を挟むことによって連続する感覚を希薄にしようとしたのではないだろうか。「垂直」の概念に囚われていた1960年代半ばにも、彼は水平に連続する音楽的な時間の感覚に抗おうとしていた。そのことが今ここでも思い出される。

Feldman/ The Viola in My Life 3

score https://www.universaledition.com/morton-feldman-220/works/the-viola-in-my-life-3-5337

The Viola in My Life 4

 「The Viola in My Life」シリーズの最後となる「The Viola in My Life 4」は独奏ヴィオラと管弦楽による最も大きな編成。スコア記載の演奏時間は20分。シリーズの中で最も長い。管弦楽の編成は木管6部、バストロンボーンも加わった金管5部、打楽器奏者2人、ハープ、チェレスタ兼ピアノ、弦楽という一般的なものである。今度は二手に分かれた打楽器には、1番と2番で目立っていたカスタネットとマラカス等の他にチャイムやアンティーク・シンバルも加わり、「The Viola in My Life 4」ではより幅広い種類の打楽器の音色を聴くことができる。1番、2番と同じく鍵盤打楽器以外の打楽器は大半がトレモロやロールとして現れる。

Feldman/ The Viola in My Life 4

score https://www.universaledition.com/morton-feldman-220/works/the-viola-in-my-life-4-5338

「The Viola in My Life 4」作曲の経緯や、ここでのヴィオラの旋律についてフェルドマンは次のように解説している。

 The Viola in My Life Ⅳは1971年開催のヴェニス・ビエンナーレによる委嘱作品で、この曲に先立つ3つの室内楽曲で用いられた素材の管弦楽への「翻訳」と言えるだろう。私のここでの意図は旋律とモティーフの断片について考えることと―—ロバート・ラウシェンバーグが彼の絵画の中に写真を使うように—―私の楽曲にさらに特徴的な静的な音の世界にそれを重ねることだった。

 多少なりとも「ありきたりな」響きに聴こえそうな曲なのに、そこに形式的な思考が欠けていることは伝わりにくい。

 周期的に現れる旋律は構造的な機能を持たない。この旋律はこの曲に沿って動くものというより「記憶」として戻ってくる。状況は発展というより微かな変化を伴って繰り返す。静止は期待とその実現との間で発展する。夢の中のように、私たちが目を覚ますまでそこから逃れられない。だが、その夢が終わってしまったからというわけではない。

 The Viola in My Life Ⅳ was commissioned by the Venice Biennale for its 1971 Festival, and could be described as an orchestral “translation” of material used in the three chamber pieces preceding it. My intention was to think of melody and motivic fragments—somewhat the way Robert Rauschenberg uses photographs in his painting[11]—and superimpose this on a static sound world more characteristic of my music.

 What is difficult to convey is the absence of formal ideas on what appears to be a more or less “conventional” sounding composition.

 The recurrent melody serves no structural function. It comes back more as “memory” than as something that moves the work along. Situations repeat themselves with subtle changes rather than developing. A stasis develops between expectance and its realization. As in a dream, there is no release until we wake up, and not because the dream has ended.[12]

 ここでフェルドマンが言及しているラウシェンバーグの写真を使った作品とは、新聞や雑誌の写真を溶液やテレピン油に浸水させ、それを擦って紙に転写するトランスファー・ドローイング、あるいはソルヴェント・トランスファーと呼ばれる技法だと推測できる。[13]この技法を用いて写真をフロッタージュのような方法で擦り付けて紙に転写することで、その写真の持っていた元来の意味や歴史が失われる、またはもとのものとは違う存在として浮かび上がる。これも時間、歴史、記憶に関係する異化効果の1つだといってもよいだろう。このような異化効果と記憶の作用は、場合によっては微かに姿を変えて、少し前に現れた旋律や断片が思いがけない箇所で再び突然現れるフェルドマンの音楽と共通している。「The Viola in My Life」1-3を管弦楽に翻訳した「The Viola in My Life 4」は、これら3曲から曲中の素材や断片が引き出され、全体が再構成されている。フェルドマンがここでラウシェンバーグに言及しているとおり、このような構成方法は絵画におけるコラージュやフォトモンタージュに例えることも可能だろう。

 スコアの概要を見ていこう。スコア冒頭に「♩=c 63極めて静かに。全てのアタックはビートの感覚を出さず最小限に抑えて。♩=c 63 Extremely quiet, all attacks at a minimum with no feeling of a beat.」と、テンポと全体の曲想が記されている。テンポが♩=c 66から♩=c 63へとほんの少し遅くなった点以外、この文言は「The Viola in My Life 2」と同じだ。独奏ヴィオラのパートは弦楽セクションの一番上に配置されている。独奏ヴィオラ、金管楽器と弦楽器(ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ)にはミュート装着の指示が記されている。だが、169-175小節の独奏ヴィオラでは、この曲のシリーズの中で初めてヴィオラがミュートを外して演奏する。ダイナミクスに関する表記は、この曲でもほぼ全パートに渡って細かく指示されていて、前の3曲に続いてダイナミクスの変化が楽曲の中で重要視されていることがわかる。めまぐるしく変化する拍子は独奏ヴィオラの持続音と旋律に基づいており、独奏ヴィオラと他のパートとの従属関係はここでも明白だ。

 場面の変化に応じて全体を12に区切ることができる。下線が引かれているのは、「The Viola in My Life 2」118-129小節目の独奏ヴィオラが旋律を奏で、チェロがその伴奏を担う箇所をそっくりそのまま転用した部分である。先に引用したフェルドマンがラウシェンバーグのトランスファー・ドローイングに言及したと思われる楽曲解説を思い出すと、これらの部分は「The Viola in My Life 2」からのコラージュともいえる。

1: mm. 1-22
2: mm. 23-52
3: mm. 53-65
4: mm. 66-83
5: mm. 84-96
6: mm. 97-132
7: mm. 133-168
8: mm. 169-175
9: mm. 176-187
10: mm. 188-234
11: mm. 235-251
12: mm. 252-259
13: mm. 260-278

 「The Viola in My Life 2」でのヴィオラの旋律だけではなく、「The Viola in My Life 4」は前の3つの曲と素材を共有している。あるいは前の3つの曲に由来する旋律やパッセージをこの曲の中に見つけることができる。それぞれのパッセージの初出はどこなのかをいくつか探してみよう。例えば、曲が始まってすぐの独奏ヴィオラによるG5-B♭5-A5-B5の4音(2-4小節目)は、「The Viola in My Life 1」の中で最も息の長いパッセージを構成する67-69小節目の4音C-5-E5-C#5-F5を想起させる。この2つのパッセージは跳躍の幅、つまり各音の間の音程がまったく同じではないものの、どちらも4音の動きが上行-下行-上行による山と谷を描いており、類似する音型とみなしてよいだろう。2番目の場面にあたる23小節目からは独奏ヴィオラが6〜7音からなる上行形のパッセージをその都度、音高を変えて5回繰り返す。これらのパッセージは、音の数や増減音程を含む点で、そのルーツを「The Viola in My Life 2」の58小節目に現れるG♭3-C4-E4-F4-B4-E♭5にさかのぼることができる。もう1つ、「The Viola in My Life 2」からの引用として、105小節目の独奏ヴィオラの12音からなるパッセージ(G♭3-C4-B3-E4-E♭-C#4-D4-A♭-C5-E5-A5-B5)をあげることができる。「The Viola in My Life 2」83小節目の、この印象深いパッセージは「The Viola in My Life 3」にもそっくりそのまま登場することは既に述べた。「The Viola in My Life 4」では、このパッセージが少しずつかたちを変えながら113、154、225、227、229、231、241小節目で鳴らされる。特に225-231では短いスパンでこのパッセージが繰り返されるので、緊張感を伴う劇的な効果が曲にもたらされている。

 独奏ヴィオラ以外にも前の3曲からのコラージュ、あるいは引用が行われている。6番目の場面にあたる97-99小節の間にピッコロがG4-E♭4の、フルートがG5-E♭5のフレーズを2回繰り返す。この2音は「The Viola in My Life」シリーズの前身ともいえる「Madame Press…」からの引用であり、また「The Viola in My Life 2」100-137小節の間でフルートのB5-G#5として何度も繰り返されるフレーズと同類のものである。「The Viola in My Life 4」では曲の後半になるとフルート以外のパートにもこのフレーズが敷衍されていて、151、153小節では他の木管楽器全てとホルン、トランペット、ヴィオラ、チェロがこのフレーズを鳴らす。

 管弦楽の書法については、9番目の場面にあたる176-187小節がこの曲の中で特筆すべき箇所である。チェロの伴奏を伴わない純然たる独奏ヴィオラの直後、オーケストラのトゥッティが突然始まり、E♭-D-G-Fのフレーズがユニゾンで繰り返される。ダイナミクスのppからfffへの変化もあいまって、まるで映画音楽のようでもある。曲の進行と同じく唐突だが、ここで1つ仮説を立ててみよう。この管弦楽の書法は、ユニゾンを基調としながらもいくつかのパートの内声部によって響きにグラデーションがもたらされていること、2拍3連符によるゆるやかな音型、ダイナミクスの細かな変化といった点で、武満徹の「弦楽のためのレクイエム」(1955-1957)の冒頭と類似しているのではないだろうか(奇しくも「弦楽のためのレクイエム」では短いが独奏ヴィオラが入る)。もちろん「The Viola in My Life 4」の作曲に際してフェルドマンが武満の「弦楽のためのレクイエム」を参照していた確証はまったくないし、これまでのインタヴューやその他資料でも触れられていない。さらには、この2人の直接的な交流が始まったのは1977年代後半[14]からなので、1971年の時点でフェルドマンがどれくらい武満の音楽を知っていたのかもわからない。しかし、「The Viola in My Life 4」の176-187小節間に聴こえる響きは「弦楽のためのレクイエム」との何かしらのつながりや共通点を感じさせる。

武満徹/弦楽のためのレクイエム(1957)

 トゥッティでの劇的な身振りを経て、10番目の場面から(189小節目)、再び独奏ヴィオラの旋律が聴こえてくるが、今度は先の9番目の場面のユニゾンのフレーズから派生した3音のフレーズを鳴らすピッコロとフルートが加わる。この3音は2-3小節目の独奏ヴィオラのフレーズとも同じ音型である。今まではピツィカートだったチェロの伴奏形もここで変わり、旋律と伴奏というこれまでの関係がやや複雑になる。11番目の場面以降もこの3音のフレーズは様々なパートに敷衍される。12番目(252-259小節)での独奏ヴィオラとチェロの二重奏を経て、13番目の場面が始まる。274小節目から再び独奏ヴィオラの旋律が始まる。だが、繰り返し聴こえてきた独奏ヴィオラの旋律で静かに幕を閉じるという予想はあっさり裏切られる。283小節目でピアノが和音を強打し、これまでの叙情的な雰囲気が突然断ち切られるのだ。ピアノの和音の響きの中で独奏ヴィオラが力強くA♭4とD3の2音を鳴らし、これに続いてコントラバスがA♭2をひっそりとpppで引きのばして曲が終わる。

 フェルドマンが楽曲解説で述べていたように、「The Viola in My Life」1-3を管弦楽に翻訳した「The Viola in My Life 4」は先の3曲からの引用やコラージュで構成されていることがわかった。フェルドマンには珍しい要素である旋律を前面に出した曲として特殊な楽曲とみなされるものの、「The Viola in My Life 4」は楽曲の長さや協奏曲風の編成の点で1970年以降の彼の音楽の行く末を予示している。

 次回は1970年代中頃から頻繁に見られるようになった独奏楽器とアンサンブルによる協奏曲風の楽曲についてとりあげる予定である。


[1] Morton Feldman Says: Selected Interviews and Lectures 1964-1987, Edited by Chris Villars, London: Hyphen Press, 2006, p. 47
[2] Ibid., p. 47
[3] Karen Ann Phillipsは1942年ダラス生まれのヴィオラ奏者、ピアニスト、音楽教師。1979年頃に演奏活動を休止している。詳しい経歴はMorton Feldman Page https://www.cnvill.net/mftexts.htmのテキスト・リストにある”Karen Phillips- A Chronology”参照。
[4] Ibid., p. 269
[5] Morton Feldman, “I Met Heine on the Rue Fürstemberg,” Give My Regards to Eighth Street: Collected Writings of Morton Feldman, Edited by B. H. Friedman, Cambridge: Exact Change, 2000, p. 90
[6] Ibid., p. 90
[7] Morton Feldman, The Viola in My Life 2, UE 15399, 1972
[8] Marion Saxer, Between Categories: Studium zum Komponieren Morton Feldmans von 1951 bis 1977, Saarbrücken, Pfau, 1998, s. 181
[9] Ibid., s. 181
[10] Ibid., s. 181
[11] トランスファー・ドローイング、あるいはソルヴェント・ドローイングの概要は以下のサイトに解説されている。Robert Rauschenberg Foundation https://www.rauschenbergfoundation.org/art/lightboxes/transfer-drawings
滋賀県立近代美術館 http://www.shiga-kinbi.jp/db/?p=11967
[12] Feldman 2000, op. cit., pp. 90-91
[13] 前掲の滋賀県立美術館の解説を参照した。http://www.shiga-kinbi.jp/db/?p=11967
[14] 1977年に武満徹はバッファロー大学に招かれて講演を行い、彼の曲も演奏された。フェルドマンは東京で行われたインター・リンク・フェスティヴァルのために1985年に来日し、武満と対談を行った。

高橋智子
1978年仙台市生まれ。Joy DivisionとNew Orderが好きな無職。
(次回は3月18日更新予定です)

あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(11) 1970年代前半の出来事と楽曲-2

文:高橋智子

2 1970年代の楽曲の主な特徴

 同じニューヨーク州内とはいえ、人口密度の高い大都市ニューヨーク市から、ナイアガラの滝に接するバッファロー市への引越しはフェルドマンの人生に劇的な変化をもたらしたと想像できる。この環境の変化は彼の音楽にも大きく影響し、とりわけ曲の長さや編成に反映されている。1972年にバッファローに拠点を移したフェルドマンの音楽の新たな境地はどのように受け止められたのだろうか。ニューヨーク時代のフェルドマンのかつての教え子で作曲家のトム・ジョンソンは、1973年2月14日にカーネギー・ホールで行われたバッファロー大学のThe Center of the Creative and Performing Artsの演奏会評を『Village Voice』に寄稿している。この演奏会ではフェルドマンの「Voices and Instruments 2」が演奏された。

 とても柔らかなこの曲(訳注: Voices and Instruments 2)は独立した音と和音で構成されていて、その大半が引きのばされており、いわゆる旋律やリズムにまつわる着想はない。音高と音色は注意深く選び抜かれていて、そこから生じた絶えず揺れ動く響きがこの曲での重要な事柄だ。この曲ではアンサンブルはフルート、2人のチェロ、コントラバス、曲の大部分を高音域のハミングで歌う3人の歌手で構成されている。

 この新しい曲はフェルドマンの典型的な楽曲よりもかなり長いのだが、1つの感覚を最初から最後まで維持するというよりも、曲の性格を著しく変化させている。ある箇所では、1つの和音が、その和音の構成音が再び変化するまでしばらく引きのばされる。1つか2つのパートがしばらく演奏しない時もある。この曲の響きの感覚も曲中の別の箇所では違っているように見える。だが、これらの変化は極めて微かだったので、一度聴いただけでは指摘できない。

 今ではフェルドマンはさらに長い形式へと移っていて、時間に対する彼の鋭敏な感覚、響きと音色に対する絶妙な(ぎりぎりの)操作はこれまで以上に目を引いた。フェルドマンを一風変わった細密画家とみなしていた人々は再考を迫られるだろう。

The piece is very soft and consists of individual notes and chords, mostly sustained, without any melodies or rhythmic ideas, to speak of. The pitches and colors are carefully chosen, and there is great concern for the constantly fluctuating harmonies which result from them. In this case, the ensemble consists of flute, two cellos, bass, and three singers who hum, mostly in the upper register.

 The new piece, however, is much longer than the typical Feldman piece, and it changes character noticeably, rather than maintaining one feeling from beginning to end. At one point, a single chord is sustained for quite a while before the notes start to change again. Sometimes one or two instruments will not play for a while. The harmonic feeling of the music also seems to be different in different parts of the piece, though these changes were too subtle for me to put my finger on in one hearing.

 Now that Feldman is moving into longer forms, his sensitivity to time and his exquisite (oops) control over harmonies and tone colors are more apparent than ever. Those who have considered Feldman a quaint miniaturist will be forced to take a second look.[1]

 フェルドマンの元教え子だけあり、ジョンソンによる「Voices and Instruments 2」の描写は的確だ。各パートの音の引きのばしで構成されているこの曲のテクスチュアは動きが少なく平坦に感じられる。ジョンソンが書いているように、この曲は一聴しただけではそれぞれの和音の変化など細部を指摘するのが難しい。スコアを見てみると、彼が言及していないいくつかの特徴を見つけることができる。この曲では平坦なテクスチュアの合間にいくつかの異質な出来事が随所に起きている。6ページの後半からフルートのパートが音のまとまりを感じさせる動きを見せる。また、チェロとコントラバスが予期せぬタイミングでピツィカートによる単音を鳴らす。これらは平坦なテクスチュアに異質な要素を密かにさし挟む役割を担っている。時間の感覚と拍子について補足すると、スコア中央部に配置されたフルートのパートに拍子記号が記されていて、他のパートもこの記号に倣う。1960年代後半の楽曲と同じく、ここでも拍子がめまぐるしく変化する。このコンサートでの演奏についてジョンソンは「彼らはとても柔らかく演奏していたので演奏中の大半は制御を失うかどうかの瀬戸際に立っており、さらにはチェロの弓や歌い手の声がほんの一瞬、制御不能に陥った。They played so softly that they were right on the brink of losing control most of the time, and occasionally a cello bow or a singer’s voice did go out of control briefly.」[2]と描写するが、この曲に対する演奏家たちのアプローチを概ね高く評価している。

Feldman/ Voices and Instruments 2 (1972)

score https://www.universaledition.com/morton-feldman-220/works/voices-and-instruments-2-5700

 ジョンソンは1970年代のフェルドマンの音楽に起きた変化について、音の引きのばしによる音色の絶妙な操作と長さを指摘した。これまでにこの連載で何度か解説したように、1950年代、1960年代のフェルドマンの音楽は記譜法とともに変遷してきたことも看過できない。1967年に図形楽譜の使用をやめ、1969年に自由な持続の記譜法による最後の楽曲「Between Categories」を書いて以来、1970年代から1987年のフェルドマン最晩年の楽曲に至るまで、ほとんどすべての楽曲が慣習的な五線譜による記譜法で書かれている。ポール・グリフィスによる1972年のインタヴューの中で、図形楽譜を再びやめて五線譜に戻った理由を訊ねられたフェルドマンは「それがどんな記譜法であれ、その曲が必要としていると思った記譜法でいつも作曲しているのです。I always worked with whatever notation I felt the work called for.」[3]と答えている。五線譜による正確な記譜法を用いるようになった技術的な理由として、フェルドマンはクレシェンドの用法をあげている。

例えば「The viola in my life」では、ヴィオラのほとんどすべての音の下に微かなクレシェンドが記されています。もはや自由な持続の記譜法ではクレシェンドを書くことができません。リズムのかたちは様々な種類のクレシェンドの長さからもたらされたのです。今では私は正確な記譜法に魅了されるようになりました。なぜなら、私はこの記譜法を他の事柄を測るためにも用いているからです。普通ならこんなことを考えもしなかったでしょう。この2年間の私の音楽の大半は正確に記譜されていますが、曲ごとに違う理由があるのです。

For example, in The viola in my life underlying almost every viola sound there is a slight crescendo. Now in a free duration you cannot write a crescendo, so the rhythmic proportions were brought about because of the durations of the various types of crescendo. I’ve become fascinated with precise notation now, because I use it to measure other things, which ordinarily I would never have thought of. Most of my music of the past two years is precisely notated, but each piece for a different reason.[4]

 1960年代の自由な持続の記譜法による大半の楽曲では、スコアの冒頭に曲全体に対するダイナミクスとアタックの指示「「極端なくらい柔らかくExtremely soft.」(「De Kooning」の演奏指示)や「それぞれの音は最小限のアタックでEach sound with a minimum of attack.」(「Chorus and Instruments」の演奏指示)が書かれるだけだったが、1970年代の楽曲にはクレシェンド、デクレシェンドが細かく書き付けられ、強弱記号も使われるようになる。「The Viola in My Life」1-4 (1970-71)がその顕著な例で、これらの楽曲ではクレシェンドによる音の強弱の変化から音の輪郭を引き出す試みがなされている。五線譜による正確な記譜法はダイナミクスやリズム以外の音楽の側面を測りうるともフェルドマンは言っている。おそらくこれは、細かな指示のダイナミクスと並ぶこの時期の楽曲の特徴のひとつ、拍子の頻繁な変化を指しているのだと考えられる。緻密な記譜の傾向はこの頃から徐々に強まり、やがて1970年代後半からの反復による長大な楽曲へと行き着く。

 1960年代の楽曲は珍しい組み合わせによる室内楽編成が中心だったが、1970年代からは独唱、混声合唱、弦楽四重奏、管弦楽による楽曲も増えてくる。新しい音楽に理解のあるバッファロー大学の同僚や学生による演奏の機会に恵まれたことと、フェルドマンが楽団や組織等から楽曲の委嘱を受けるようになったことが編成の変化にも関係していたはずだ。例えば1973年作曲、1975年1月初演の「String Quartet and Orchestra」は当時バッファロー・フィルハーモニクの音楽監督を務めていた指揮者のマイケル・ティルソン・トーマスと同楽団からの委嘱作品だ。タイトルが示すとおり、この曲は弦楽四重奏と管弦楽による大規模な編成である。1970年代には独奏や独唱と弦楽四重奏、独奏と管弦楽などの一見、協奏曲風の編成の楽曲群も始まる。ここで「協奏曲風」と書いたのは、これらの編成の楽曲では、独奏パートによるカデンツァ、独奏楽器とアンサンブルとの対比などの慣習的な協奏曲の原理とはやや異なる様相でそれぞれのパートが位置付けられている場合が少なくないからだ。フェルドマンの協奏曲編成の楽曲についてはいずれこの連載で考察する予定である。

Feldman/ String Quartet and Orchestra (1973)

score https://www.universaledition.com/morton-feldman-220/works/string-quartet-and-orchestra-5015

 1970年代からは曲も長くなる。フェルドマンは演奏に5~7時間を要する「String Quartet 2」(1983)などの長時間の楽曲で知られているが、この傾向も1970年代から始まる。しかし、ある日突然フェルドマンの音楽が長くなったわけではない。また、曲の長さだけが延びたのではなく、音楽の書法そのものにも変化が伴っている。先に引用した演奏会評の約2年後にあたる1975年3月24日発行の『Village Voice』に掲載されたフェルドマンの「Instruments 1」(1974)について書いた文章の中で、ジョンソンはこの曲の特徴を次のように描写している。

フェルドマンのすべての曲と同様に、概して楽器は孤立した音と和音を演奏し、テクスチュアも比較的まばらだ。だが、初期の楽曲には起きたことのない多くのジェスチュアも見られる。ミュート付きのトロンボーンは時折グリッサンドを演奏する。オーボエの音によるシークエンスは旋律のような性質に近づいているともいえるだろう。柔らかなティンパニとバスドラムのロールがたまに挿入される。とある箇所でマラカスの静かなさざめきが始まる。その穏やかさにもかかわらず畏怖さえ感じさせる背景のなかで、それはとても劇的だ。

As in all Feldman’s works, the instruments generally play isolated tones and chords, and the texture is relatively sparse. But there are also a number of gestures which never occurred in earlier pieces. The muted trombone plays occasional glissandos. A sequence of oboe tones may become almost melodic in character. Soft-timpani and bass-drum rolls occasionally intrude. At one point a quiet swish of maracas comes in, so dramatic in the context that it seems almost scary for all its gentleness.[5]

 「Instruments 1」はアルト・フルート兼ピッコロ、オーボエ兼コール・アングレ、トロンボーン、チェレスタ、打楽器奏者2人による6人編成の室内楽曲だ。演奏時間は約18分。記譜法は「Voices and Instruments 2」とほぼ同じ形式で書かれているが、ここでジョンソンが解説しているように、トロンボーンの低音域でのグリッサンド、オーボエの音型、打楽器の用法などの点でこれまでのフェルドマンの楽曲にはない要素が新たに加わっている。この文章の終盤では、ジョンソンはフェルドマンの楽曲が響きによる空間と実際の演奏時間両方において規模が大きくなっていると指摘する。

今や彼はこれまで以上の大きさで作曲しているが、大きなキャンヴァスの使い方を語っていたことがある。大きなキャンヴァスにはマラカスの奇妙なグリッサンドや風を切るような音が絵の中に入り込む可能性もおおいにあるのだと。60年代の彼の曲は全面絵画とみなすことができ、最初から最後まで一定のムードを保っていた。しかし、今は音楽の残りの部分からむしろ著しく際立った領域を彼のキャンヴァスに見出すこともある。これもまた色の問題だ。60年代の彼の作品の大半がパステルで描かれていたが、現在、彼は茶色やグレーもたまに使う。

He talked about how, now that he was working on a larger scale, using larger canvases, there was a greatest possibility that a strange glissando or a swish of maracas would enter the picture. One could say that his pieces of the ‘60s were all-over paintings, which maintained a constant mood from beginning to end. But now, one sometimes finds areas in his canvases which stand out rather sharply from the rest of the music. It is also a question of color. While his work in the ‘60s was done largely in pastels, he now uses occasional browns and greys as well.[6]

 ここではキャンヴァスが曲の長さや規模にたとえられていて、60年代の楽曲をパステルで描かれた全面絵画とみなすならば、70年代前半の楽曲はグレーや茶色の色彩にマラカスによるグラデーションが加わった、より微細な変化を描いた大きなキャンヴァスの絵画ということができるだろう。ここでジョンソンが書いているとおり、60年代後半から70年代前半にかけてのフェルドマンの楽曲には太鼓類、マラカス、カスタネットなど打楽器のトレモロやロールが頻繁に現れる。次のセクションで解説する「The Viola in My Life」の1、2、4番でもこれらの打楽器が用いられており、弦楽器、管楽器、鍵盤楽器、声の音色に陰影や奥行きを感じさせる効果をもたらしている。70年代前半の楽曲によく見られる打楽器のトレモロは音の空間的な広がりに寄与しているとも考えられる。

Feldman/ Instruments 1 (1974)

score https://www.universaledition.com/morton-feldman-220/works/instruments-1-2896

 「Instruments 1」に見られたような音の響きの余韻や広がりを受けて、フェルドマンの音楽が次第に長くなっていったのではないだろうか。楽譜が出版されている70年代の主な楽曲の演奏時間とその変遷を見てみよう。これらの演奏時間はUniversal Editionのスコアに記載されている演奏時間を参照した。

1970年に作曲された楽曲

  • Madame Press Died Last Week at Ninety: 4分
  • The Viola in My Life 1: 9分45分
  • The Viola in My Life 2: 12分
  • The Viola in My Life 3: 6分10秒

1971年に作曲された楽曲

  • The Viola in My Life 4: 20分
  • I Met Heine on the Rue Fürstemberg: 10分
  • Rothko Chapel: 30分
  • Chorus and Orchestra 1: 15分

1972年に作曲された楽曲

  • Cello and Orchestra: 19分
  • Chorus and Orchestra 2: 22分
  • Voice and Instruments 1: 15分

1973年に作曲された楽曲

  • String Quartet and Orchestra: 22分
  • Voice and Cello: 7分

1974年に作曲された楽曲

  • Voice and Instruments 2: 12分
  • Instruments 1: 18分

1975年に作曲された楽曲

  • Piano and Orchestra: 21分
  • Instruments 2: 18分
  • Four Instruments: 6分

1976年に作曲された楽曲

  • Oboe and Orchestra: 18分
  • Voice, Violin and Piano: 5分
  • Orchestra: 18分
  • Elemental Procedures: 20分
  • Routine Investigations: 9分

1977年に作曲された楽曲

  • Neither: 55分
  • Piano: 25分
  • Instruments 3: 15分
  • Spring of Chosroes: 12分

1978年に作曲された楽曲

  • Flute and Orchestra: 35分
  • Why Patterns?: 35分

1979年に作曲された楽曲

  • Violin and Orchestra: 65分
  • String Quartet No. 1: 100分

 1971年の「The Viola in My Life 4」20分、「Rothko Chapel」30分を皮切りに、1972年以降から「Cello and Orchestra」(1972)、「String Quartet and Orchestra」(1973)をはじめとする20分前後の曲が増えてくる。その後、依然として1973年から76年までの間も20分前後の曲が続く。1977年の1幕編成、演奏時間55分のオペラ『Neither』を経た1978年から「Flute and Orchestra」35分、「Why Patterns?」35分、「Violin and Orchestra」65分と、以前よりさらに曲が長くなり、1979年には100分を要する「String Quartet No. 1」に行き着く。80年代以降はよく知られているように、さらに長い大曲が生み出されることとなる。本稿で既に述べたバッファローへの転居によって作曲に集中できるようになったことや委嘱の増加が、フェルドマンの曲が長くなった環境的な要因として考えられる。また、1976年にバッファロー大学 Center of the Creative and Performing Artsの演奏旅行でイランのシラズを訪問した際、フェルドマンが現地で絨毯の世界に目覚めたことも1970年代後半以降の長時間の楽曲と大きく関係している。中東の絨毯と後期の楽曲についてはこの連載で後に解説する予定だが、ここでごく簡単にまとめると、連綿と続く細かな織のパターンが1970年代後半以降のフェルドマンの記譜法や時間の感覚に大きな影響を与えたといわれている。

 このセクションでは「普通の」五線譜に戻った1970年代のフェルドマンを取り巻く環境と彼の音楽の変化を概説した。次のセクションでは、1970年代前半の彼の楽曲のなかでもやや特殊な性格の「The Viola in My Life」1-4について解説する。


[1] Tom Johnson, “On the soft and wild sides,” Village Voice, February 22, 1973
[2] Ibid.
[3] Morton Feldman Says: Selected Interviews and Lectures 1964-1987, Edited by Chris Villars, London: Hyphen Press, 2006, p. 47
[4] Ibid., p. 47
[5] 記事の初出は1975年3月24日発行の『Village Voice』。Tom Johnson, “Morton Feldman’s Instruments,” The Voice of New Musicにも収録されている。この著作集にはページ番号が打たれていない。
[6] Ibid.

高橋智子
1978年仙台市生まれ。Joy DivisionとNew Orderが好きな無職。
(次回は3月4日更新予定です)

あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(11) 1970年代前半の出来事と楽曲-1

文:高橋智子

1 1970年代前半の出来事と楽曲

 これまでのフェルドマンの創作の歩みをごく簡単に振り返ってみよう。1950年代のフェルドマンは、ジョン・ケージを介して出会った抽象表現主義の画家や詩人たちとの交流の中から創作の着想を得て試行錯誤を重ねた。1960年代に入っても彼の創作はニューヨークを中心とする画家や詩人との交友関係が重要な役割を果たしていた。「For Franz Kline」(1962)や「De Kooning」(1963)は彼の友人でもある画家たちに捧げられた楽曲だ。1964年にはレナード・バーンスタイン指揮、ニューヨーク・フィルによって自身の楽曲が演奏され(第8回でとりあげたように、この演奏会の評判は芳しくなかったが)、「ニューヨークの気鋭作曲家」としての地位が徐々に確立されてきた。楽譜出版に関しては、1962年にフェルドマンはペータース Edition Petersと契約し、1950年代、1960年代のほとんどの楽曲はここから出版されている。1969年にフェルドマンはウニヴェルザール(またはユニヴァーサル)Universal Edition(以下、UE)と契約した。彼の最後の図形楽譜となった「In search of an orchestration」(1967)がUEから初めて出版された楽譜だ。以降フェルドマンの楽譜はUE[1]から出版されている。1970年代前半は出版社だけでなく、フェルドマンの周りの環境も音楽も大きく変わった時期である。

 1970年代前半にフェルドマンに起きた主な出来事として、ヨーロッパでの評価の高まり、教師としてのキャリアの始まり、バッファローへの転居があげられる。1950年代、60年代に既にヨーロッパ各地で演奏や講演活動をしていたケージとデヴィッド・チュードア、そして彼のライバルだったカールハインツ・シュトックハウゼンとピエール・ブーレーズをとおしてフェルドマンの存在と音楽はヨーロッパでも注目され始めていた。60年代後半から特にイギリスの現代音楽界で注目され、1966年にフェルドマンはイギリスでの2週間の講演ツアーを行った。また、フェルドマンは1950年代後半頃から既にコーネリアス・カーデューとも親交があった。フェルドマンとイギリスの現代音楽界との関係が1970年代に入るとますます強まる一方、彼は地元ニューヨークに対する失望と苛立ちを見せるようになる。1973年に書かれたエッセイ「I Met Heine on the Rue Fürstemberg」[2]の中で、1950年代、60年代当時のニューヨークのシーンのやや閉じた雰囲気について回想している。

その時ヴィレッジ[3]で、私たちは一般的に世界にまだ知られていなかった芸術の何かを共有しているのだと感じていた。それは一種の袋小路だったが、それでも私はその気分を楽しんでいる。私は同時代の音楽を聴くことがほとんどできなかった時代に育った。もしもそういう音楽を聴くことができた人に出会ったなら、その人はその音楽に関わっている人だった。

We had the feeling, then in the Village, of sharing something in art that was unknown to the world at large. It was a kind of cul-de-sac, and I still enjoy the feeling. I grew up in an era when there was very little ability to hear contemporary music. And when you met someone who could, there was that kinship.[4]

 このシーンの渦中にいた本人たちはそれなりに満足していただろうが、刺激や新しさの点でフェルドマンは物足りなさを感じていたのかもしれない。また、自分の音楽はもっと注目され、評価されてしかるべきという気持ちもあったのだと推測できる。そんな彼の苛立ちを少し和らげたのはイギリスの音楽界との接点だった。

 私はほぼ同時にイギリスの知識層とアングラに注目された。1950年後半にはコーネリアス・カーデューに、1960年代前半はウィルフリッド・メラーズ[5]によって。
 1966年から私は年に2、3ヶ月をイギリスで過ごしていて、おそらくバッファローの後にロンドンに行くだろう。イギリスの観客は他の観客とは違う。最高の雰囲気だ。私は変わり者だとまったく思われていない。
 例えば1972年にB.B.C(訳註:BBC)で「The Viola in My Life」と「Rothko Chapel」のオーケストラ演奏に加えて、自分ひとりによる3時間の番組を2回行った。私はイギリスの音楽生活の一部となった。アメリカでは「音楽生活の一部」になるようなことはありえない。

I was picked up in England by the establishment and the underground at about the same time. By Cornelius Cardew in the late fifties and by Wilfrid Mellers in the early sixties.
From 1966 on I’ve spent two or three months of the year in England, and I’ll probably go to London after Buffalo. They listen like no other audience. It’s the best atmosphere. I’m not really considered far-out.
In 1972, for instance, I had two three-hour one-man shows on the B.B.C.[sic], plus orchestral performances of The Viola in My Life and Rothko Chapel. I’ve become part of musical life in England. In America there’s really no such thing as “part of musical life.”[6]

 ここでフェルドマンは、集団即興の可能性を追求していたカーデューをイギリスの「アングラ」、音楽批評家として同時代の音楽を積極的に紹介していたメラーズを「知識層」と位置付けている。自分の音楽がイギリスの実験音楽界隈と現代音楽界隈の両方で受容されていることにフェルドマンは満足げだ。当時、彼はロンドンにフラットの一室を借りていてロンドンのシーンに直接的に関わっていた。また、この頃の楽曲のいくつかはイギリスのアンサンブル・グループ Fires of Londonや作曲家アラン・ハッカーのグループ Matrixに献呈されている。[7]ニューヨーク以外の場所とのつながりや評価が増していくにつれて、フェルドマンのニューヨークに対する想いが冷めていく。詳しくは後述するが、このエッセイが書かれた1973年当時、彼は既にバッファローに転居していた。

 ニューヨークとの接点を失ってしまった。私はいつもある種の部外者だったし、よい批評もされなかった。知ってのとおり、ニューヨークはパリと同じく現代音楽の街ではなかった。観客は忘れっぽく、作曲家についてもっと知ろうとする興味も抱かない。
 (ニューヨーク・フィルハーモニックの指揮者としての)ブーレーズのプログラムは実験的ではない。むしろ予測できる反応とともに、どこかで最初になされた事例を華麗に示してくれる。
 だから私は決まった音楽サークルに近づかなかった。実際バッファローでこうしていることが私にとっての初めてのアカデミックな状況だ。
 革新的な作曲家と人々は言う。だが、私は常に大きな歴史意識、つまり伝統や継続性の感覚を持っている。

  I’ve lost contact with New York. I was always sort of Odd Man Out, not good reviews. New York, you know, was never a modern music city, any more than Paris. The audience has no memory, not interested in getting to know more about a composer.
  Boulez’s programs[as conductor of New York Philharmonic]are not experimental. Rather glamorous samples of things done first somewhere else, with a known reaction.
 So I didn’t come up through regular music circles. In fact, this thing in Buffalo is my first academic situation.
 Radical composer, they say. But you see I’ve always had this big sense of history, the feeling of tradition, continuity.[8]

 1950年末頃から数年続いたケージ、デヴィット・チュードア、アール・ブラウン、クリスチャン・ウォルフとのニューヨーク・スクールとしての活動、ジャクソン・ポロック、フランツ・クライン、デ・クーニングらとのクラブやセダー・タヴァーンでの芸術談義はフェルドマンにとってもはや過去のものとなり、心情的にも彼とニューヨークのシーンとの隔たりは1970年代頃から顕著になっていく。ニューヨークのシーンに対するフェルドマンの想いをさらに複雑にさせた出来事があった。それは1970年10月にニューヨークのマルボロ・ギャラリーで開催されたフィリップ・ガストンの個展だ。この個展が開かれるまでフェルドマンとガストンは親友同士だった。1950年から1966年頃までのガストンの抽象時代[9]の作品は、キャンヴァスに描かれたくすんだ色彩による微かなかたちを特徴とする。まるで何かの痕跡のようにも見えるガストンのこの時期の作品は、破線を用いて楽譜の中に音楽の痕跡を描こうとしたフェルドマンの自由な持続の記譜法に少なからず影響を与えたと推測できる。前回解説した「Between Categories」(1969)をはじめとする1960年代に書かれたフェルドマンのエッセイにガストンが度々登場し、フェルドマンの音楽における時間や空間の概念に大きな示唆を与えていた。1964年にはフェルドマンは自由な持続の記譜法によるピアノ小品「Piano Piece (to Philip Guston)」を作曲している。だが、2人の友情は1970年10月のガストンの個展をきっかけに、しかもフェルドマンから一方的に終わってしまう。[10]

 マルボロ・ギャラリーで開かれたガストンの個展は主に1967年から1970年までに描かれた作品[11]で構成されていた。この頃からガストンは1950年代から1966年頃までの抽象とは全く異なる、具象というより漫画や戯画のような作風に転じる。この作風の変化がフェルドマンを大きく失望させ、彼はガストンとの友情にも終止符を打つ。この個展は当時どのように受けとめられたのだろうか。1970年11月5日発行の『Village Voice』に掲載された批評を見てみよう。

ガストンの新しい絵は漫画調で、変てこで、哀れで、社会的だ。頭巾をかぶって(KKK?)、切れ長の目をした人物がガタガタの車でうろつき、絵を描き、互いに殴り合い、たばこを吸う。時計、電球、指さし、ぶかぶかの靴は戯画化された姿で責め立ててくる。それはまるでデ・キリコが二日酔いでベッドに入り、アメリカが崩壊する話のクレイジー・カット[12]の夢を見ているようだった。過剰なのだ。彼のくすんだピンク色は私を打ちのめす強烈な絵画特有の色彩の流れとして、今もなお目に焼き付いている。だが、それは専らあやまちや恐怖による悲喜劇に寄与している。この変化をゲームの後半戦に持ってくるのは大変な勇気を必要とした。なぜなら、多くの人々がこれらをひどく嫌うのは自明だからだ。私は違うが。

Guston’s new paintings are cartoony, looney, moving, and social. Hooded (KKK?), slot-eyed figures rumble around in cars, paint paintings, beat each other, smoke cigars. Clocks, light bulbs, pointing hands, and out-sized shoes spoof and accuse. It’s as if De Chirico went to bed with a hangover and had a Krazy Kat dream about America falling apart. Too much. His smoky pinks are still in sight, as are terrific painterly passages that knock me out. But it’s all in the service of a tragi-comedy of errors or terrors. It really took guts to make this shift this late in the game, because a lot of people are going to hate these things, these paintings. Not me.[13]

 この批評から、KKK(クー・クラックス・クラン)を彷彿させる白頭巾のキャラクターや漫画調の作風がフェルドマンだけでなく当時の多くの人々に落胆と衝撃を与えたのだと想像できる。ガストンと絶交状態にあったものの、フェルドマンは1980年にガストンが亡くなった際には追悼文を書き、1984年には長時間の楽曲の1つでもある「For Philip Guston」を作曲する。一方、ガストンは1978年に「Friend – To M. F.」のタイトルでフェルドマンのポートレートを描いており、この絵はフェルドマンの著作集『Essays』[14](1985)と『Give My Regards to Eighth Street: Collected Writings of Morton Feldman』(2000)の表紙に使われている。

 この時期のフェルドマンと画家との関わりとして、マーク・ロスコとの交友と「Rothko Chapel」委嘱もあげられる。ロスコもフェルドマンと親しく付き合っていた画家の1人だ。キャンヴァス一面に色を塗り重ねたロスコの全面絵画といわれる様式は、フェルドマンが音楽の「表面」について思索するきっかけともなった。1965年、ロスコはメニル財団からテキサス州ヒューストンに建設予定の無宗教の礼拝堂[15](今日「ロスコ・チャペル」として知られている)に設置される壁画の委嘱を受ける。ロスコは1967年に礼拝堂の壁画を完成させるが、礼拝堂の完成を見ぬまま1970年2月25日に自殺。67歳だった。1971年2月27日のロスコ・チャペル建立を記念してメニル財団はフェルドマンに楽曲を委嘱した。フェルドマンは作曲に集中するため1971年春にデ・メニル夫妻が所有するフランスのポンポワンの別荘で過ごした。[16]その結果生まれたのがソプラノ独唱、混声合唱、室内楽による「Rothko Chapel」[17]である。この曲はフェルドマンの楽曲には珍しく叙情性にあふれた旋律が用いられており、その少し前に作曲された「Viola in My Life」1-4と同じ作品群と見なされる。

Feldman/ Rothko Chapel (1971)

 友人との別れも人生に大きな悲しみや変化をもたらすが、さらに直接的な環境の変化がフェルドマンに起こる。それは教師としてのキャリアの始まりである。1970年からフェルドマンは画家のメルセデス・マッターが創設したニューヨーク・スタジオ・スクール New York Studio School of Drawing, Painting and Sculpture[18]の学科長を務める。おそらくこれが彼にとって初めての教職のはずだ。以前、この連載の第1回と第6回でも少し触れたが、フェルドマンは家業の子供服工場を手伝いながら音楽活動を続けていた。フェルドマンが作業着姿でアイロンをかける様子を見た作曲家で指揮者のルーカス・フォスは1964年頃からフェルドマンのために大学のポストを見つけようと奔走していた。[19]その間、フェルドマンはドイツ学術交流会 DAADの奨学金で1971年9月から1972年10月までベルリンに滞在していた。ベルリン滞在時は「Cello and Orchestra」(1972)、「Voices and Instruments」(1972)など、編成がそのままタイトルとなっている楽曲が作曲された。

 フォスの数年にわたる尽力が実り、1972年秋にフェルドマンはニューヨーク州立大学バッファロー校(以下、バッファロー大学)音楽学部作曲科のスリー教授 Slee Professor[20]に就任する。フェルドマンは約1年のベルリン滞在を終えるとバッファローに直行した。バッファロー大学教授就任に伴い、ついにフェルドマンはニューヨークを離れた。生まれも育ちもニューヨークで、生粋のニューヨーカーのフェルドマンはニューヨーク以外の街で暮らせるはずがないと思われており、フェルドマンのバッファローへの転居は当時、彼の友人たちをたいへん驚かせた。[21]マンハッタンの喧騒から離れたフェルドマンは新天地バッファローで作曲に集中し、これが結果として1970年代後半頃から現れる長時間の楽曲にもつながる。ニューヨーク以外の土地で無事にやっていけるのかという周囲の不安をよそに、安定した収入、快適な住居、そして何よりも学生や多くの一流の演奏家による演奏の機会を得たフェルドマンはバッファローでの暮らしを楽しんでいた。[22]当初フェルドマンの教授職は1年ごとの契約制だったが1974年には任期なしに変わり、ポストの名称もフェルドマン自らの希望でエドガー・ヴァレーズ教授 Edgard Varèse Chairとなった。

 フェルドマンは大学で作曲を教えることについてどのように考えていたのだろうか。バッファローに移る直前の1972年8月にポール・グリフィスによって行われたインタヴューでフェルドマンは次のように発言している。

グリフィス:音楽教育に対するあなたの考えをぜひともお聞かせください。たしか、今年の夏にダーティントンのサマースクール[23]にいらっしゃる予定ですね。

フェルドマン:その予定です。音楽教育で非常に残念なことのひとつは、音楽教育が作曲家を生み出していないことです。1、2年前にとてもよい条件の仕事の話を断りました。なぜなら、教えることに対する私の考えは大学の学科で起きているようなものとは違うからです。自分の学生には演奏グループに関わってほしくないし、演奏のために作曲してほしくもありませんでした。

Griffiths: I would be interested to hear your views on music education, as I believe you are coming to Dartington this summer.

Feldman: Yes I am. Well, one of the tragedies of music education is that it doesn’t produce composers. I turned down a very good job a year or two ago, because my idea of teaching just isn’t what’s happening in departments. I didn’t want my students involved in performance groups, or in writing music for performance.[24]

ここでのフェルドマンは音楽教育、とりわけ大学で作曲を教えることに対して否定的な立場を取っているように見える。最終的に彼は教職に就くが、その直前まで大学での音楽教育には懐疑的だった。こうした態度の背景には、音楽院や大学ではなく、シュテファン・ヴォルペやケージらの私的なレッスンをとおして作曲を学んできたフェルドマン自身の経験が反映されているとも考えられるだろう。

グリフィス:では、音楽教育は何をすべきなのでしょう?

フェルドマン:音楽教育は専ら演奏家向けにすべきだと思います。作曲が教えられるべきものだとは思いません。今のアメリカで4人の最も影響力のある作曲家たち――私自身、アール・ブラウン、ケージ、実は古典学者だという理由でクリスチャン・ウォルフ――が音楽学科と一切関係せず、音楽学科での訓練も受けてこなかったことは興味深いです。私の態度はこう言えるでしょう。できる限り人間らしく全てをやり続けなさい。バランス感覚、作品に対して好ましい雰囲気、平穏さを作り出し、それらが必要な時に助けてくれる素晴らしい人々との関係を作ること。こうした事柄がもたらした一時的な関わり合いに対して彼らを密かに落胆させ、そしてそこから彼らを解放しなさい。なんらかのユートピアを作るのではなくて。

Griffiths: So what should music education be doing?

Feldman: I think it should just be for performers; I don’t think composition should be taught. It’s interesting that the four most influential composers in America today—myself, Earle and Cage, and Christian Wolff really because he’s a classicist—had no connections and no training in music departments. So my attitude is: keep everything as human as possible, create a sense of proportion, good atmosphere to work, quietude, fantastic people there to help when they need them, and let them quietly get discouraged and get out of this tentative commitment they made; rather than creating some kind of Utopia.[25]

 音楽教育は作曲家ではなく演奏家に向けて行うべきというのがフェルドマンのこの時点での持論だったようだ。おそらくここでフェルドマンが問題にしているのは、音楽に関する技術や考え方というより、作曲家と演奏家との間に構築される関係性のことだろう。ある一定のコミュニティや場がひとたび構築されると、そこからなかなか踏み出せない。フェルドマンはそのような「ユートピア」に安住してはいけないと言っている。だが、このような発言を生んだフェルドマンの状況はバッファロー大学着任後に一変したように思われる。フェルドマンは、同時代の様々な上演芸術に特化した音楽学部の組織 The Center of the Creative and Performing Arts(以下、CA)での活動に精力的に取り組んでいた。当時、このセンターにはジュリアス・イーストマン[26]、ジャン・ウィリアムス[27]、デヴィッド・デル・トレディチ[28]らを中心とする気鋭の演奏家や作曲家たちが在籍していた。フェルドマンは彼らとアメリカ国内外へツアーを行い、バッファローを当時のアメリカにおける現代音楽の拠点のひとつにしようと力を注いだ。演奏会ではフェルドマンの作品だけでなく、他の教員や学生、ゲストとして招いた様々な音楽家の作品が演奏された。フェルドマンがバッファロー大学での音楽活動に大きく貢献したことは確かで、1975年6月には音楽祭 June in Buffaloを始める。この音楽祭はCAの後続組織 The Center for 21st Century Music主催でレクチャー、ワークショップ、演奏会を含む行事としてバッファロー大学で現在も毎年行われている。[29] 第1回のJune in Buffaloではフェルドマンのかつてのニューヨーク・スクール仲間である、ケージ、ブラウン、ウォルフの作品がとりあげられた。

 着任前は「作曲は大学で教えられべきではない」と言っていたフェルドマンだが、もちろん実際は後進の指導に取り組んだ。バッファロー大学でのフェルドマンの著名な教え子としてバニータ・マーカス[30]とバーバラ・モンク・フェルドマン[31]の名前があげられる。1980年代に入るとフェルドマンはカナダ、オランダ、南アフリカ、ドイツ、日本など音楽祭やワークショップの講師を務めるようになり、行く先々で当時の若手音楽家や学生たちと対話を重ねた。例えばフェルドマンの講義録『Words on Music: Lectures and Conversations/Worte über Musik: Vorträge und Gespräche』[32]には、難解な比喩や音楽以外のエピソードを用い、時に受講生を困惑させながら自身の音楽観を説くフェルドマンのいくつかの講義が収められている。

 次のセクションでは1970年代のフェルドマンの音楽の変化について解説する。


[1] Universal Editionのフェルドマンのページ https://www.universaledition.com/morton-feldman-220
[2] 初出は1973年4月21日発行Buffalo Evening News。本稿はフェルドマンのエッセイ集Morton Feldman, Give My Regards to Eighth Street: Collected Writings of Morton Feldman, Edited by B. H. Friedman, Cambridge: Exact Change, 2000に収録されているものを参照した。
[3] ここでフェルドマンが言っている「ヴィレッジ」はマンハッタン南西部のグリニッジ・ヴィレッジのこと。この界隈にはアーティストが集うクラブやバーが軒を連ねていた。
[4] Morton Feldman, “I Met Heine on the Rue Fürstemberg,” Give My Regards to Eighth Street: Collected Writings of Morton Feldman, Edited by B. H. Friedman, Cambridge: Exact Change, 2000, p. 116
[5] Wilfrid Mellers (1914-2008)イギリスの音楽学者、批評家、作曲家。http://www.mvdaily.com/mellers/
[6] Ibid., p. 117
[7] Morton Feldman Says: Selected Interviews and Lectures 1964-1987, Edited by Chris Villars, London: Hyphen Press, 2006, p. 43
[8] Feldman 2000, op. cit., p. 120
[9] ガストン財団 The Guston Foundationの作品カタログの時代区分に基づく。 https://www.gustoncrllc.org/home/catalogue_raisonne
[10] Feldman 2006, op. cit., p. 268
[11] ガストン財団のカタログでこの時期の作品を見ることができる。
https://www.gustoncrllc.org/home/search_result?search%5Btag%5D=Figurative 1968〜1972年代にかけてのガストンの作品に登場するKKKのキャラクターをめぐっては今日も主にレイシズムの観点から議論されている。ワシントンD.C.のナショナル・ギャラリーなど4つの美術館を2021年1月から巡回予定だったガストンの大規模な回顧展はBLMなどの社会機運を考慮し、展示内容を再考したうえで2024年に延期されることとなった。
National Art Gallery of Artの声明文https://www.nga.gov/press/exh/5235.html
[12] Krazy Kat 1913年から1944年まで新聞に連載されたコミック・ストリップ。
[13] John Perreault, “Art”, Village Voice, November 5, 1970
[14] Morton Feldman, Morton Feldman Essays, edited by Walter Zimmermann, Kerpen: Beginner Press, 1985
[15] Rothko Chapel http://www.rothkochapel.org/
[16] Feldman 2006, op. cit., p. 268
[17] フェルドマンの「Rothko Chapel」の概要は拙論参照。 https://geidai.repo.nii.ac.jp/?action=pages_view_main&active_action=repository_view_main_item_detail&item_id=435&item_no=1&page_id=13&block_id=17
[18] https://nyss.org/
[19] Ibid., p. 265
[20] Ibid., p. 270
[21] バッファローの音楽コミュニティ形成に貢献した、弁護士でアマチュア音楽家のFrederick Sleeと、その妻Alice Sleeからの寄付によって創設された教授ポスト。バッファロー大学には彼らの名前を付したSlee Hallもある。http://www.buffalo.edu/administrative-services/managing-facilities/planning-designing-and-construction/building-profiles/profile-host-page.host.html/content/shared/university/page-content/facilities/slee.detail.html
[22] Renée Levine Packer, This Life of Sounds: Evening for New Music in Buffalo, New York: Oxford University Press, 2010, p. 118
[23] Dartington Summer School https://www.dartington.org/about/our-history/summer-school/
[24] Feldman 2006, op. cit., pp. 48-49
[25] Ibid., p. 49
[26] Julius Eastman https://www.wisemusicclassical.com/composer/5055/Julius-Eastman/
[27] Jan Williams https://peoplepill.com/people/jan-williams
[28] David Del Tredici https://www.daviddeltredici.com/
[29] June in Buffalo https://arts-sciences.buffalo.edu/music21c.html
[30] Bunita Marcus http://www.bunitamarcus.com/index.html
[31] Barbara Monk Feldman http://www.composers21.com/compdocs/monkfelb.htm 1987年6月にフェルドマンと結婚した。
[32] Morton Feldman, Words on Music: Lectures and Conversations/Worte über Musik: Vorträge und Gespräche, edited by Raoul Mörchen, Band Ⅰ&Ⅱ, Köln: MusikTexte, 2008

高橋智子
1978年仙台市生まれ。Joy DivisionとNew Orderが好きな無職。
(次回は2月25日更新予定です)

吉池拓男の名盤・珍盤百選(31) 魔煮悪ピアノコロシアム バトルChopin op. 34-1

Rudolph Ganz(p) Guild Historical GHCD2377
Wilhelm Backhaus(p) Archipel ARPCD0333 など
Arturo Benedetti Michelangeli(p) Profil PH18063 など
Sergio Fiorentino(p) KLASSICSOTAKU CD-8022
Ignacy Jan Paderewski(p) APR APR6006
Arthur Rubinstein(p) IRON NEEDLE IN 1313 など

アナウンサー:お待たせいたしましたっ! 時空を超えた音楽バトル、魔煮悪ピアノコロシアム2021、いよいよ開幕です。本日の解説は魔煮悪音楽大学非常識講師の吉池拓男さんです。吉池さん、どうぞよろしく。

解説:よし、行け、ヲタクの吉池です。どうぞよろしく。

アナ:本日のコースはFC34-1(※1)。吉池さん、見所は?

解説:コース製作者Frédéric Chopin氏の作品の中では難易度は低めです。しかし、途中6回ある「プラルトリラーから急速音階駆け上がり(譜例1)」をどう魅せるかが勝敗の決め手になりますね。ここで規定通りのポイントまでの駆け上がり、ま、これをシングルと言いますが、シングルだけでは予選通過すら難しい。さらに1オクターブ上まで駆け上がるダブル(譜例2)を決めないとメダルは狙えませんね。

譜例1:シングル
譜例2:ダブル

アナ:ダブルは確かに華麗ですが、規定を外れた反則なのではないですか?

解説:いやいや、Chopin氏の手書きの規定書には4番目の音階駆け上がり、いわゆる第4駆にダブルが書いてあるものがありますし、Petersから出版されているNew Critical Editionには第3駆と第4駆のossiaにダブルを載せています。19世紀にはこういうvariantがあったようです。ただ、コース途中の第3・4駆でダブルをかましてもお客さまは喜びません。やはり終盤間際の第5駆、第6駆の勝負ですね。

Rudolph Ganz(p)

アナ:わかりました。さあ、いよいよ最初の選手の登場です。最初の選手はスイス代表のGanz1920選手。あまり名の知られた選手ではありませんが、コース製作も得意と聞いています。さあ、スタートしましたっ!

解説:なかなかに速めでそれでいて優雅な滑り出しですね。

アナ:第1駆から第4駆は規定通りに綺麗にこなしています。さぁ、いよいよ第5・6駆、どうだっ? おおっ、ダブルですね、吉池さん。

解説:う~~ん、確かにダブルですが、スピードが足りなくてワルツのリズムがかなり崩れましたねぇ。それと第5駆の左手の3拍目、ミスってますねぇ。ダブルに挑んだ右手に気を取られたようですね。

Wilhelm Backhaus(p)

アナ:これでは高評価は難しいでしょう。さて、お次はドイツ代表、Backhaus1950選手です。Backhaus選手と言えば、LvBコースの名手として圧倒的な存在ですが、FCコースでの出場とは意外ですね。

解説:いやいやBackhaus選手は若いころからFCコースは積極的に取り組んでいますよ。なにせFC11・2(※2)のソロアレンジも自ら施しているくらいです。

アナ:さぁ、スタートです。おお、完璧なまでの規定通りで第1~4駆をこなしていますね。

解説:規定が目に浮かぶようです。これはこれでBackhaus選手らしい律儀さですね。

アナ:いよいよ第5・6駆だ、どう来るか! おおっ、ダブルだ、しかも低音にパンチ一発!

解説:しかもプラルトリラーではなく明らかにトリルからのダブルです。音多いですねぇ。ちょっとスローダウンしましたが、スローのさせ方が実に芸術的。直後に規定にない低音の増強一発を入れたのも流石です。

アナ:プラルトリラーをトリルにしてもいいんでしょうか?

解説:コース製作者はそのあたりの表記は曖昧だったようです。選手のノリに任せていいんじゃないですか。

Sergio Fiorentino(p)

アナ:さすがBackhaus選手、LvB以外でも魅せますねぇ。しかもかなり自由。これは高評価でしょう。さぁ、続いてスタイリッシュに登場してきたのはイタリア代表Michelangeli1962選手です。イタリアからはもう一人Fiorentino1979選手が出場する予定だったのですが、本人未承認の海賊登録だったそうで、出場が取り消しになっています。

解説:残念ですねぇ。Fiorentino1979選手はダブルの鮮やかさもさることながら、ラストの296小節からを重音で弾くなど小洒落ていたのですが、正規登録を待つしかないでしょう。

アナ:てなことをお話ししているうちに、Michelangeli1962選手のスタートです。美しい音、素晴らしいバランス、うっとりしますねぇ。おや、第1駆から他の選手と違いますね。

Arturo Benedetti Michelangeli(p

解説:プラルトリラーではなくトリルからシングルを優雅に決めてます。これは第5・6駆に期待が持てます。

アナ:さぁ、第5駆だっ……ダブルです、ダブルです!実に優雅なダブルです!

解説:ワルツのテンポも崩れていませんね。素晴らしい。

アナ:……っと、ここで審判団から物言いです。物言いがつきました。……フライング???どうやらフライングだということのようです。もう一度聴いてみましょう。

解説:あぁ、確かに。第5・6駆ではプラルトリラーもトリルもなく、小節の頭からいきなり音階を駆け出しますね。これならダブルでも綺麗に収まります。うーーーん、芸術点は高いのですが、確かにフライングです。

アナ:Michelangeli1962選手、どこ吹く風で飄々と構えていますが、あとは審判団にお任せしましょう。

~ Sake & Water Break ~

Ignacy Jan Paderewski(p)

アナ:さぁいよいよ競技も大詰めです。エントリー残すはあと2人。FCの本場、ポーランドからPaderewski1912選手です。いよっ、大統領!そう言いたい気分になりますね。

解説:大統領ではなく首相です。マダム殺しのエンジェルヘアが眩しいですね。

アナ:颯爽と今スタートしました。Paderewski1912選手と言えば、FCの規定に精通していて、Paderewski版というコースの規定指南書を出していますね。

解説:あの指南書は後世の人が作ったという話ですが、名前を冠されるくらいですから指南書通りの見事な技を期待したいところですね。

アナ:実に優雅な滑り出しです。まず第1駆。ここはシングルですね。

解説:シングルですが、プラルトリラーの音を2拍分延ばさずにすぐ音階に行ってますね。一連の装飾音型として弾いているようです。指南書にはこんなこと書いていませんね。

アナ:おっと、第3駆からこれはダブルか。

解説:第1・2駆と同じようにプラルトリラーから一連の動きで表現してますね

アナ:さて注目の第5・6駆……ここも一連型からのダブルです。おおっと、直後に強烈なクラスターチョ~ップ! 1発、2発、これはシビレますね。

解説:Paderewski1912選手は1911にも同じコースを攻めていて、やはりここでクラスターチョップを打っています。確信犯ですね。ただ、名前入りの指南書があるのにそれと違うことをするのは如何なものでしょうか。権力者はいつの時代もほんと言行不一致です。

Arthur Rubinstein(p)

アナ:ま、それも世の常というものでしょう。さて、いよいよ最後の選手、同じポーランド代表で優勝候補のRubinstein1928選手の登場です。

解説:この選手は1930年頃に自己批判して研鑽する前ですから暴れん坊丸出しです。期待できますよ。

アナ:さぁスタートです。快調に飛ばしてます。おおっっ、第1駆からダブルです、しかもテンポの間延びがありません。これは見事、第5・6駆への期待が否応なしに高まります。さぁ第5駆!

解説:ダブルですね、第6駆も。微塵の揺るぎもない。さすが優勝候補。

アナ:そしてコーダ。うおおおおっ!!速い、速すぎる。まさに電光石火、前人未到の爆走ですっ!

解説:これは大変な記録が出たかもしれませんね

アナ:満場、割れんばかりの拍手と歓声です。さすがRubinstein1928選手。熱狂の渦に包まれています。

解説:待ってください。他の選手が猛然と抗議していますよ。

アナ:そうですね、審判団に食って掛かっています。何があったのでしょうか? え、なに?なに?Rubinstein1928選手は第3駆と第4駆を弾いてない??それは反則だろうって??

解説:あぁ、言われてみれば第3・4駆のセクションをカットしてますね。いやぁ、あまりに見事で気づきませんでした。芸術点的には全くOKなんですが、これは審判団、難しい判断を迫られますねぇ。

アナ:猛烈な抗議、一向に止みそうにありません。会場、混沌として参りました。これは当分結果が出そうにありません。ひとまずここで現場からの中継を終わりにしようと思います。吉池さん、今日はどうもありがとうございました。

解説:いえいえ、こちらこそ楽しませていただきました。ありがとうございました。

アナ:それでは魔煮悪ピアノコロシアム2021、この辺で失礼いたします。

※1:ショパンのワルツop. 34 no. 1のことです
※2:ショパンのピアノ協奏曲第1番op. 11の第2楽章のことです

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。

あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(10) 音楽の表面-3

(文:高橋智子)

3 自由な持続の記譜法の独自性と類似例

 これまでこの連載で数回にわたって解説してきたとおり、自由な持続の記譜法は1960年代のフェルドマンの楽曲の大半を占めている。持続または音価を具体的に定めずに演奏者に最終的な決定をある程度委ねることで、フェルドマンは拍子やリズムに従属しない可変的な時間を描こうと試みた。このような記譜法が生まれた背景には、連続性ではなくて積み重なる時間をイメージした「垂直」の概念が大きく関係している。フェルドマンが音楽的な時間にまつわる思索を深めていくにつれて「垂直」の概念はやがて「表面」の概念へと変化した。1960年代中頃から自由な持続の記譜法に小節線や拍子記号が加わり始め、音符が記されている部分と音符が記されていない沈黙の部分との違いが明らかになってきた。この変化の様子は第9回でとりあげた「De Kooning」やセクション2で解説した「Between Categories」のスコアを見ればはっきりとわかる。フェルドマンは1986年に行われた講演の中で1960年代後半の自由な持続の記譜法を次のように振り返っている。

1960年代の後半の私の曲のいくつかは、沈黙の曖昧さゆえに、音の持続に関して多かれ少なかれ偶数拍子のゆっくりとしたテンポで音が鳴る状況を作り、さらに続けるならば、5/4拍子で、例えば四分音符1つあたり76かそのくらいのテンポの沈黙の小節を書いたものだった。私は沈黙が記された小節を測り始めたが、音の素材を依然として測らずにそのままにしておいた。なぜならそれ(訳注:音の素材)は耳に入ってくる音の状況の中にあったからだ。この曲を演奏しようとする人はこの曲をちゃんとわかっていると思っていた。

There are some pieces of mine in the late sixties because of the ambiguity of the silence, I would have the sound situation in terms of its durations more or less in a slow tempo on even beats, if you will, and then I would have the silent measures like five-four and the crotchet equals, say, seventy-six or something. I started to measure the silence and had the sound material still unmeasured. Because it was in an acoustical situation. So I felt the person that’s going to play has a sense of the piece.[1]

 自由な持続の記譜法における小節線、拍子、メトロノーム記号を伴う沈黙、つまり全休符の小節では時間が測られているが、音の鳴る箇所では時間が測られていない。実際は「Between Categories」では音符が記されている箇所にも拍子やメトロノーム記号が散見されるが、フェルドマンの全休符小節の扱い方は曲中に計測された沈黙を配置する目的だったことがわかり、「Between Categories」1ページ目アンサンブル2に測られた沈黙の実例が見られる。このように考えると、エッセイ「Between Categories」での「時間をただそのままにしておくべきなのだ。Time simple must be left alone.」[2]は、音が鳴り響いている時間に言及しているのだと解釈できる。このエッセイでフェルドマンは音や時間の構造と対立する概念として「表面」を掲げ、「表面」を構成されていない錯覚や幻影のようなものと位置付けた。この考え方も「時間をそのままにしておくこと」とつながるのだが、構成や構造を放棄すれば「構成する、組み立てるcompose」から派生した「作曲 composition」の根幹が揺らいでしまうのではないだろうか。もちろんフェルドマンもそれを自覚しており、エッセイ「Between Categories」の終盤での彼の議論は「作曲すること」と「音や時間をそのままにしておくこと」とのジレンマに苛まれる。この議論と逡巡の結果として、当座の答えとして引き出されたのが「時間と空間の間。絵画と音楽の間。音楽の構造と音楽の表面の間 Between Time and Space. Between painting and music. Between the music’s construction, and its surface.」[3]だった。彼は音楽家で作曲家だが、自分の創作を音楽という1つのカテゴリーに限定するのではなく、音楽と音楽以外の別のカテゴリーとの間(あいだ)に位置付けようとしている。ここでのフェルドマンは絵画に問題解決の手がかりを見出そうとしているというより、もはや絵画への思慕を表しているのではないだろうか。彼の絵画への憧憬や思慕は既に1967年のエッセイ「Some Elementary Questions」でも記されていた。

例えば、モンドリアンの特定のドローイングに比肩するものは音楽には何もない。モンドリアンのドローイングの場合、代替案が上書きされているが、消されてしまった輪郭やリズムはまだ見える。音楽の悲劇は完璧さから始まることだ。

There is nothing in music, for example, to compare with certain drawings of Mondrian, where we still see the contours and rhythms that have been erased, while another alternative has been drawn on top of them. Music’s tragedy is that it begins with perfection.[4]

 絵画と違って音楽は完璧さで始まる。それは音楽の悲劇である。これは何を意味しているのだろうか。ここでフェルドマンが音楽の悲劇と称している「完璧さ」は作曲家が楽譜に書いた音符と、そこから生じる鳴り響きを指す。モンドリアンのドローイングには彼が試行錯誤した痕跡が消えることなく残っており、その過程を私たちがキャンヴァスの中に見て取ることができる。一方、作曲家が書き記した音符には作曲家の試行錯誤の過程をたどることはできない。これがここでの「完璧さ」にまつわる絵画と音楽との大きな違いだ。フェルドマンはさらにルノワール、自分、ベリオを引き合いに出して、絵画と音楽における「ためらい」の要素の違いを述べる。

かつてルノワールは、同じ色が2つの違う手で塗りつけられれば、2つの異なる色調が得られるだろうと言った。音楽の場合、同じ音符が2人の違う作曲家に書かれていようと、それがもたらすのは――やはり音符だ。私がB♭を書くとする。ベリオもB♭を書く。そこで得られるのは常にB♭だ。画家は制作する時に自分の媒体を創り出さないといけない。それが彼の作品にもたらすのはためらい、つまり絵画にとって致命的ともいえる不安感だ。作曲家は既に存在している媒体で創作する。絵画におけるためらいは不朽の名声に寄与する。音楽におけるためらいは負けを意味する。

Renoir once said the same color, applied by two different hands, would give us two different tones. In music, the same note, written by two different composers, gives us—the same note. When I write a B flat, and Berio writes a B flat, what you get is always B flat. The painter must create his medium as he works. That’s what gives his work that hesitancy, that insecurity so crucial to painting. The composer works in a preexistent medium. In painting if you hesitate, you become immortal. In music if you hesitate, you are lost.[5]

 画家は自分の創作に際して色彩や色調を自分自身で試行錯誤して作り出す。しかし、楽曲の概念を持ち、既存の楽器で演奏される類の音楽を作る作曲家は既存の媒体としての音を使わざるを得ない。フェルドマンであろうとベリオであろうとB♭はB♭である。複数の音の組み合わせなどによって作曲家は自分の音楽を作り出す。ここにフェルドマンは絵画と音楽との大きな違いを見出している。少なくとも楽譜に書かれた音符からは、作曲家の試行錯誤やためらいを読み取ることはできない。たとえそれが演奏に際して不確定な音楽であろうとも、そのスコアができるまでの創作の過程をドローイングに何重にも描きつけられた線のように読み取ることはできない。完成された楽曲は、常にスコアとして完成された完璧な体裁で私たちの前に提示される。

 自由な持続の記譜法における破線、垂直線、矢印付き垂直線は通常の五線譜とは大きく異なる外見だ。見ようによっては、これらの線は楽譜の書きかけやスケッチにも思える。これまで本稿で述べてきたように、自由な持続の記譜法におけるそれぞれの線は実用的な機能を持っている。だが、もしかしたらフェルドマンはこのような線を自身のスコアの中に残しておくことで音楽の悲劇である「完璧さ」に抵抗しようとしたのではないだろうか。絵画のためらいの痕跡である何重もの上塗りをフェルドマンは音楽の中で試みようとした。その結果が、あの一見奇怪な線でつなげられた自由な持続の記譜法なのだと考えられる。

 1960年代のフェルドマンの音楽は小節線の全くない、あるいは部分的に小節線の引かれた自由な持続の記譜法なしには語れない。だが、19世紀末から20世紀中頃までの西洋芸術音楽の歩みの中で、ルネサンス以前の多声音楽を想起させる小節線のない五線譜による記譜を再び使い始めた先駆者がフェルドマンだったというわけではない。時代をさかのぼると既にエリック・サティが似たような記譜法を実践している。サティは初期のピアノ曲の1つである「Quatre Ogives」(1889, 1965)で既に小節線のない五線譜を用いていた。よく知られているサティのピアノ曲「Trois Gnossiennes nos. 1-3」 (1889-1890)も小節線のない五線譜で書かれている。だが、サティによる小節線のない楽譜の意図はもちろんフェルドマンと異なる。例えば「Quatre Ogives」は、拍子の感覚と概念がまだ希薄だったグレゴリオ聖歌の単線旋律を思わせる旋律ゆえに小節線も拍子もない。ここでは小節線と拍子を欠くものの、この曲では旋律のまとまりを示唆するスラーが記されている。一方、フェルドマンの小節線のない楽譜にはサティのような歴史意識はほとんど見られず、彼の関心は専ら音の減衰や音楽的な時間に当てられている。そしてその背後には彼が敬愛してきた画家たちと絵画の存在がある。

Satie/ Quatre Ogives no. 1(1889, 1965)
Satie/ Trois Gnossiennes no. 1 (1889-90)

 「Between Categories」は2つの同じ編成のアンサンブルが別々のことをしながら同時に走り出す曲だ。1つの曲の中に複数の異なる時間や出来事が起こる楽曲のアイディアもフェルドマンが起源ではない。チャールズ・アイヴズは管弦楽曲「Central Park in the Dark」(1906)の中で既にこの状態を記譜によって具現していた。

Ives/ Central Park in the Dark (1906)

 セントラル・パーク内での夕方の風景を描写したこの曲の編成は木管楽器(フルート、オーボエ、クラリネット、ファゴット)、金管楽器(トランペット、トロンボーン)、弦楽5部、ピアノ(1人あるいは2人)、打楽器。管楽器+打楽器+ピアノで1つのアンサンブルを、弦楽器がもう1つのアンサンブルを作っている。公園での夜の微かな音と暗闇の静寂を描写した弦楽器によるアンサンブルは「きわめてゆるやかに Molt Adagio」のテンポ指示のもとでコラール風のフレーズを終始繰り返す。この静寂は喧騒を描く管楽器、打楽器、ピアノによってしばしば妨げられる。管楽器、打楽器、ピアノは公園の池の向こうのカジノの騒音、ストリート・バンド、新聞売りの少年の声、あちらこちらのアパートメントで繰り広げられるピアノラ(自動演奏ピアノ)によるラグタイム合戦など[6]、弦楽器による夜の静寂とは対照的な音の世界を次々と繰り広げる。いくらこのアンサンブルが騒々しくとも、弦楽器は若干のテンポの変化を伴いつつも決して取り乱すことなく淡々とコラール風のフレーズに徹する。この曲にはある種の並行世界が描かれているとも言える。もちろん、サティの小節線のない記譜法の場合と同じく、フェルドマンがアイヴズのこの種の楽曲を念頭に置いていたとは到底考えられないが、フェルドマンの「Between Categories」における記譜や音楽的時間に関する様々な試みについて少し視野を広げて考えると、類似する例をいくつか見つけることができる。フェルドマンに関していえば、それぞれのパートの音がメトロノームでは測り得ないテンポと時間の感覚で混ざり合う自由な持続の記譜法は、絵画の作法を参照しているがアイヴズのような具体的な風景や心象風景の要素は一切ない。

 フェルドマンの1960年代後半の自由な持続の記譜法の楽曲に見られる複数の時間と出来事が同時に作り出す混沌とした状態に近い作品のひとつとして、ジョン・ケージが1961年に行ったレクチャー「われわれはどこへ行くのか、そして何をするのか。 Where Are We Going? and What are We Doing?」[7]をあげることができる。この講演のテキストは「全部一緒に、あるいはその一部を水平及び垂直に用いる」。[8]また、この講演は4つの講演が同時に聞こえるように構成されていて、講演者は1人で4つ全ての講演を行わなくてはならず、ライブで、つまりその場で後援者が4つの講演を読み上げてもよいし、予め録音した素材を用いてもよい。[9]講演の際に音量を変化せることもでき、もしそうするのならばケージの作品「WBAI」(1960)[10]のスコアを用いてほしい[11]と、ケージ自身が講演の前書きで記している。講演を収録したケージの著作集『Silence』の中で、この講演は英語による原書と日本語翻訳版(日本語版のレイアウトは文字が縦書き)ともに4つの異なるフォントで書き分けられている。英語で読んでも日本語で読んでもこの講演を1行ずつ追っていくと目が泳いでしまう。この混乱はフェルドマンの「For Franz Kline」(1962)をスコアを見ながら聴いている時の、スコアと演奏とのずれの只中に放り込まれた経験に近い。複数の異なる出来事が同時に走る点では「Between Categories」の2つのアンサンブルの関係にも似ているだろう。後者の場合は互いに素材を共有していることが徐々に明らかになってくる。一方、ケージのこの講演の中で4つの出来事は交わることなく進む。

 ケージはこの講演の狙いについて前書きで「われわれの経験というものは、一度に全部与えられると、理解を超えるものになってしまうことを、私は言おうとしていたからである。」[12]と述べている。講演原稿を記した文章と五線譜に書かれた楽曲はそれぞれ違う媒体から成り立ち、違うカテゴリーに属している。さらには、当然ながらフェルドマンはケージのこの講演について自身のエッセイその他において言及していない。しかし、両者を並べてみると、フェルドマンの「Between Categories」の記譜法と音楽的な時間にまつわる考え方はケージの講演「われわれはどこへ行くのか、そして何をするのか。」と全く無関係でもなさそうだ。

 1960年代のフェルドマンの創作は音楽的な時間に対する関心と問題意識から生じた自由な持続の記譜法によって実践された。1970年代に入ると、フェルドマンは五線譜による慣習的な「普通の」記譜法に戻る。この変化は一体何に発端するのだろうか。次回は1970年代前半の楽曲について考察する予定である。


[1] Morton Feldman, Words on Music: Lectures and Conversations/Worte über Musik: Vorträge und Gespräche, edited by Raoul Mörchen, Band Ⅰ, Köln: MusikTexte, 2008, p. 292
[2] Morton Feldman, “Between Categories” Give My Regards to Eighth Street: Collected Writings of Morton Feldman, Edited by B. H. Friedman, Cambridge: Exact Change, 2000, p. 85
[3] Ibid., p. 88
[4] Morton Feldman, “Some Elementary Questions,” Give My Regards to Eighth Street: Collected Writings of Morton Feldman, Edited by B. H. Friedman, Cambridge: Exact Change, 2000, p. 65
[5] Ibid., p. 65
[6] Charles Ives, “Note”, Central Park in the Dark, New York: Boelke-Bomart, Inc., 1973
[7] ジョン・ケージ「われわれはどこへ行くのか、そして何をするのか。」、『サイレンス』 柿沼敏江訳、東京:水声社、1996年、311-406頁(John Cage, “Where Are We Going? and What are We Doing?”, Silence, Middletown: Wesleyan University Press, 1961, pp. 194-259)
[8] 同前、311頁
[9] 同前、311頁
[10] John Cage/ WBAI https://johncage.org/pp/John-Cage-Work-Detail.cfm?work_ID=243
[11] 前掲書、311頁
[12] 同前、311頁

高橋智子
1978年仙台市生まれ。Joy DivisionとNew Orderが好きな無職。
(次回は2月18日更新予定です)

あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(10) 音楽の表面-2

(文:高橋智子)

2 Between Categories (1969)  2つのアンサンブル、2つの時間

 1960年代後半からのフェルドマンの楽曲でも依然、自由な持続の記譜法による室内楽曲が多くを占めている。この時期の楽曲のいくつかは同じ編成の2組のアンサンブルを1つの曲の中で並走させて、より複雑な音楽的な時間を創出している。このような傾向を持つ楽曲として「First Principles」(1966-67)、「False relationships and the extended ending」(1968)、「Between Categories」(1969)の三部作があげられる。今回はこの三部作の最後の作品に当たり、自由な持続の記譜法による60年代のフェルドマンの楽曲を締めくくる「Between Categories」を検討する。

 フェルドマンは1983年に行われたレクチャーの中で「Between Categories」を次のように紹介している。

では、次の曲はたしか……Between categories……この曲は重要ではないけれど……とにかくBetween categoriesだ。私の曲「De Kooning」を聴いたことのある人にとって、この曲は(De Kooningと)そっくりそのまま同じ構成だ。この曲で重要なことを1つあげると、私にとってのこの曲のアイディアの要は、ドッペルゲンガーのように同じ編成の2つの小さなグループを使うことだった。それは音色がシンメトリーだからという、それだけの理由で、ある種の気味の悪いシンメトリーをなしていた。だが、実際は同じ音楽ではない。終わりに差しかかる頃にようやく、一方のピアノでのアルペジオが、いくらか距離をとってもう一方のピアノから(訳注:アルペジオを)引き受けている様子が聴こえる。

Then, probably the next piece is… Between categories… I think, it’s not important …anyway Between categories. For those of you that heard my piece De Kooning, it’s very much the same format. And I think the one important thing about the piece, that is, the essential idea of the piece for me, was to have two small groups, like a doppelganger, of the same instrumentation and it was a kind of, creepy type of symmetry, only because of the symmetry of the colours. But not really of the same musics. Only towards the end do you hear an arpeggio on one piano taken up in some kind of distant relationship with the other piano.[1]

 フェルドマンがここで「ドッペルゲンガー」と表したように、スコアには2つの全く同じ編成のアンサンブルの譜表が配置されて同時に進む。この曲を「重要ではないけれど」とフェルドマンは言っているが、「De Kooning」以降の自由な持続の記譜法の変化や、同じ編成のアンサンブルの並置がもたらすより複雑な時間の感覚の点で「Between Categories」は注目に値する曲と言ってもよいだろう。フェルドマンの言うように、「Between Categories」は記譜法や編成において「De Kooning」と同じ構成の曲とみなすことができる。だが、さらに近い曲として、1965年に作曲された「Four Instruments」があげられる。「Four Instruments」の編成は「Between Categories」と同じピアノ、チャイム、ヴァイオリン、チェロ。「Between Categories」で頻繁に見られる同じ音の反復がこの曲でも用いられている。

Feldman/ Four Instruments (1965)

 ペータース版のスコアにはこの時期の他の自由な持続の記譜法とほとんど同じ演奏指示「同期している音と単音の持続は極度にゆっくりと。全ての音は、特に何も記されていない限り、休符を挟まずにつなげられている。ダイナミクスはこれ以上ないほど控えめに、しかし聴こえる程度に。Durations of simultaneous and single sounds are extremely slow. All sounds are connected without pauses unless notated. Dynamics are exceptionally low, but audible.」[2]が記されている。1965年12月21日にカーネギー・ホールで行われた演奏会「新しい音楽の夕べ Evening for New Music」で初演された際のプログラムノートには「音の順序だけなく、単音、同期する音のすべてが決められているが、音と音の間の実際の持続は演奏者が演奏する時に決定される。このような意味で、それぞれの奏者は指揮者の機能も持っている。Though all single and simultaneous sounds are given, as well as their sequence, the actual duration between sounds is determined at the moment of playing by the performer. In this sense each performer has a conductional function.」[3]と、演奏家の役割が出版譜よりも詳しく書いてある。2曲とも記譜法は「De Kooning」とほぼ同じ形態の自由な持続の記譜法だが、「Four Instruments」 と「Between Categories」では拍子のある小節にも音が書かれている(「De Kooning」では拍子のある小節全てに全休符が記されている)。

 これら3曲の関係は「De Kooning」(1963)の編成や記譜法を土台としてできたのが「Four Instruments」(1965)、さらに「Four Instruments」を拡張して複雑にしたのが「Between Categories」(1969)と整理することができる。

Feldman/ Between Categories (1969) YarnWireによる演奏[4]

左:アンサンブル1 右:アンサンブル2

Feldman/ Between Categories (1969) The Barton Workshopによる演奏

score: https://issuu.com/editionpetersperusal/docs/p6971

 ペータース版のスコアの演奏指示は編成について「ピアノ、チャイム、ヴァイオリン、チェロ(それぞれの楽器に奏者2人)Piano, Chimes, Violin, Violincello (2 of each instrument)」[5]と書いてある以外「Four Instruments」と同一なので、ここでは割愛する。この曲は2つのアンサンブルが同時に演奏を始める。本稿ではスコア上部に配置されたアンサンブルをアンサンブル1、下部に配置されたアンサンブルをアンサンブル2として曲の内容を見ていく。例えばアンサンブル1のピアノをピアノ1、アンサンブル2のチェロをチェロ2と表記する。

 この曲のスコアは全9ページ、平均的な演奏時間は10〜13分前後。この曲の各パートのおおまかな傾向は次のように表すことができる。ピアノは主に和音や音域の広いオクターヴ重複による同一音を鳴らす。フェルドマンによる楽曲解説で記されているように、後半は印象的なアルペジオが2つのアンサンブル間で受け渡される。チャイムは大半が単音で登場するが2音の時もある。チャイムはアタックのはっきりした特徴的な音色なので他の楽器とも区別しやすい。ヴァイオリンとチェロは開放弦が多用されている。アタックとダイナミクスをできるだけ抑制して演奏されるこれらの弦楽器が単独で現れる場面は、演奏者だけでなく聴き手にも緊張感をもたらす。

1ページ目
 アンサンブル1には拍子記号がない。アンサンブル2は冒頭を除いてメトロノーム記号(テンポ)を伴う拍子記号で小節線が引かれている。この違いがそれぞれのアンサンブルが異なる時間で進み行くことを示している。アンサンブル2のピアノとチャイムの前打音から始まる。アンサンブル1はフェルマータのついた沈黙を経てチャイムを鳴らし、ピアノとヴァイオリンが続く。このページで特徴的なのはピアノ1の右手の和音だ。最初に鳴らされるE4-D#5-F#5はB4-E♭5-G♭5、G4-E♭5-G♭5に形を変えて現れる。D#5-F#5とE♭5-G♭5は異名同音であるため、この3つを同質的な和音を見なすことができる。チャイム1のE♭4は、アンサンブル2の6小節目(3/2拍子)でチャイム2にも現れる。1ページ目の時点では曲の様相はまだつかめない。

2ページ目
 1ページ目の形勢が逆転してアンサンブル1には小節線が引かれ、アンサンブル2には小節線のない部分と小節線の引かれた部分とが入り混じる。上位2音をD#5-F#5またはE♭5-G♭5とする、1ページ目のピアノ1で指摘した和音が、今度はアンサンブル2の1、3小節目でピアノ2にも現れる。この和音はページ前半に配置されているため、どちらのアンサンブルのピアノがこの和音を鳴らしているのか聴き手には区別がつきにくい。同様のことはこのページ最後の小節のチャイムにも見られる。ここではチャイム1、2ともにE4が書かれている。演奏の際はそれぞれのアンサンブルは異なるペースで進むため、記譜上の配置と実際の鳴り響きが完全に同期するわけではない。だが、近い箇所で同じ楽器が同じ音高を鳴らすことがわかっており、ここでもピアノの和音の例と同じく、アンサンブル間の区別を曖昧しようとするフェルドマンの意図がうかがえる。2つのアンサンブルによるドッペルゲンガーのような効果が早速ここで発揮されている。2つのアンサンブルはそれぞれ独立した異なる時間の感覚で進み行くが、和音や音高を共有していることがここまでで明らかになった。

3ページ目
 アンサンブル1は一斉に鳴らされる和音による部分と、鳴らすべき音の順序が破線で示された部分からなる。チャイム1のC4-チェロ1のD2-チャイム1のE4が破線で繋げられて3音のフレーズを作っている。このフレーズは2回現れる。一方のアンサンブル2はこのページ全体に小節線が引かれており、その中で和音が鳴らされるだけだが、チャイム、ヴァイオリン、チェロが3小節間に渡るパターンを形成している。このページの1-3小節目(5/2, 2/2, 3/2拍子)は4-5小節目のピアノを挟んで6-8小節目にまったく同じかたちで現れる。

4ページ目
 このページのアンサンブル1には小節線が一切引かれていない。ピアノ1はA♭5を最高音に据えた和音を5回鳴らす。この和音は現れるたびに構成音が変わり、また、一緒に鳴らされる楽器の組み合わせもその都度異なる。ピアノ以外のパートにも同音反復が見られ、チャイム1はC5を、ヴァイオリン1はD#4を、チェロ1は開放弦でA3をそれぞれ繰り返す。アンサンブル1には譜面いっぱいに和音が配置されているのに対して、アンサンブル2はややまばらなテクスチュアだ。ピアノ2はピアノ1と同じくA♭5を最高音に据えた和音を3回繰り返す。記譜の外見はそれぞれ異なるものの、ピアノ1とピアノ2がA♭5を共有していることから、2つのアンサンブルが完全に無関係でもないと徐々にわかってくる。ピアノ2の後半では1-2ページ目に頻出したE4-D#5-F#5が1回目は前打音を伴って、2回目は他の全てのパートと一緒に鳴らされる。以前現れた出来事が不意に再び現れる手法は、聴き手の記憶を試すフェルドマンの常套手段である。

5ページ目
 アンサンブル1は4ページ目のアンサンブル2の構成の前後を逆さまにした構成で、前半は破線による音のつながり、後半はいくつかのパートが同期する和音を中心としている。フェルドマンが解説で述べていたピアノによるアルペジオが、ここでようやくアンサンブル2に現れる。このアルペジオの構成音はG#4-A4-D5-F5-E♭6の5音で、しばしばF#1かG1の前打音を伴う。また、他の楽器と同期して鳴らされることもある。このアルペジオの和音は5ページ目ではピアノ2が2回鳴らすだけだが、以降、曲が進むにつれて登場頻度が増す。曲の始まりからここまでの地点では、同じ編成の2つのアンサンブルが各々ペースで音を散発的に鳴らし続けるだけの茫漠とした楽曲だったが、このアルペジオの登場によって「アルペジオと他の音の動き」の構図が急に浮かび上がってくる。

6ページ目
 G#4-A4-D5-F5-E♭6の和音が両方のアンサンブルで鳴らされる。このアルペジオ以外でも目を引く音の動きがいくつか挙げられる。G#4-A4-D5-F5-E♭6のアルペジオの合間を縫うように、破線と垂直線を用いて描かれるチェロ、ヴァイオリン、ピアノのパターンが現れる。ピアノ1のE♭-Dの2音に注目すると、この2音はE♭2-D4、D1-E♭1-D4- E♭4として鳴らされる。チャイムもこの2音をE♭4-D5として引き継ぐ。E♭-Dの2音は8ページにも現れる。このページのアンサンブル1の最後に鳴らされるチェロのピツィカートでのアルペジオF#2-G2- D3-F3-E♭4は、ピアノのアルペジオと構成音を共有している。アンサンブル2もピアノ2が同じアルペジオを2回鳴らす。既にこのアルペジオが曲の中心的な存在であることを音の響きからも認識できる。ここでもページの終わりに、1ページ目のピアノ1の最初の和音(左手C3-D3-B3 右手E4-D#5-F#5)がピアノ2に唐突に現れる。もちろん、この和音の再登場は耳でははっきりと把握できないが、あるいは記憶できないが、スコアを見る限りでは急に最初の和音が戻ってきたので奇妙な印象を与えている。

7ページ目
 7ページ目のアンサンブル1は6ページ目とよく似た構成で、ページの前半にアルペジオが鳴らされ、その後に破線で繋がれた音の連なりが続き、最後にチェロのアルペジオで締めくくられる。アルペジオはアンサンブル1のピアノ1とチェロ1に限定されており、アンサンブル2には現れない。このページも同じ和音やパターンによって構成されている。最初のピアノ1の2音E♭1-D4は6ページ目のE♭-Dを引き継いだものと見なされる。チャイム1のD♭4-C5は8ページ目のピアノ1と2、9ページ目のピアノ2にも現れる。ピアノ1のF-Gの2音はF1-G4、F1-G3、再びF1-G4として、音域をその都度変えて繰り返される。垂直線で繋げられたチェロ1のF2とチャイムG4もこの2音を鳴らす。F-Gは8ページのピアノ1にも現れる。このページのアンサンブル1の最後にも、8ページ目と同じくチェロ1のピツィカートでのアルペジオF#2-G2- D3-F3-E♭4が記されている。アンサンブル2は複数のパートで同時に鳴らされる和音を中心としており、アンサンブル1に比べて動きが少ない。ピアノ2の和音は半音階的に音が重ねられているのでトーン・クラスター風の様相を呈する。

8ページ目
 7ページ目はアンサンブル1に動きがあり、アンサンブル2は動きが少なかったが、ここで形勢が逆転する。アンサンブル1のピアノ1では、7ページ目のピアノ1で頻出したF-Gの2音がF2-G5-G6とF1-G3に姿を変えて現れる。チャイム1は6ページ目のE♭4-D5と、7ページ目の音型D♭-C5を引き継いでいる。アンサンブル1で目を引くのがB♭だ。ヴァイオリン1が開放弦でB♭4を、チェロ1がB♭3を、ピアノ1がオクターヴ重複でB♭3- B♭7を順番に鳴らす。その間、アンサンブル2はピアノ1がE♭-Dの2音とアルペジオを交互に鳴らしてこの2つをさらに印象付ける。チャイム2もE♭4-D5としてE♭-Dをピアノから引き継いでいる。6ページ目と同じく、このページの終盤に、ピアノ2が突然思い出したように1-2ページで何度も鳴らされた和音E4-D#5-F#5(左手にC3-D3-Bを伴う6ページ目と全く同じ和音)を一撃する。
 8ページ目に記されている音の出来事をまとめると、そのアンサンブル2の破線で結ばれた音の動き以外は、そのほとんどがこの楽曲の中で既に起きた出来事だとわかる。言い換えれば、一見、無秩序、無規則に配置されているそれぞれの音の大半が他のパートとつながりを持っている。

9ページ目
 アンサンブル1はピアノ1がアルペジオを鳴らすのみで、その後の最後の1小節は5/2拍子。どのパートにも音符が書かれていないので実際は全休符だ。なぜここに拍子記号が必要なのかを想像すると、フェルドマンがここで意図していたのは測られた沈黙の時間だったのではないかと考えられる。アンサンブル2は8ページ目のアンサンブル1のいくつかの出来事を引き継いでいる、あるいは繰り返している。チャイム2は8ページ目のチャイム1同じくD♭-C5を鳴らす。チェロ2、ヴァイオリン2、ピアノ2は8ページ目のアンサンブル1のドッペルゲンガーとして、B♭をそれぞれの音域で鳴らす。

 以上のように、2つのアンサンブルの関係に注目して「Between Categories」の出来事をたどってみた。2つのアンサンブルは各自のペースで進み、スコアを読んでいても、演奏を聴いていても、1-4ページ目までは曲の特徴が掴みにくく、2つのアンサンブル間の関係も判然としない。だが、5ページ目でピアノのアルペジオが現れると霧が晴れたように曲の様相が明らかになり、2つのアンサンブルは決して無関係ではなく、いくつかの音楽的な出来事を共有しているのだとわかる。しかし、フェルドマンの楽曲の例に漏れず、2つのアンサンブルの関係は聴き手にはすぐにわからないように仕組まれている。この曲がセクション1で解説した同題のエッセイとどのくらい関係があるのかはっきりと判断できないが、この2つを無理やり引きつけて考えると、エッセイ「Between Categories」での「表面」の概念は、もしかしたら1-4ページまでの混乱した様相に具現されているのではないだろうか。ここまでの判然としない響きが描く混沌は構成されていない、つまり作曲されていない時間のあり方の比喩とみなすこともできる。

 次のセクションでは1960年代のフェルドマンの自由な持続の記譜法の独自性と、この記譜法に類似したいくつかの作品を参照する。


[1] Morton Feldman Says: Selected Interviews and Lectures 1964-1987, Edited by Chris Villars, London: Hyphen Press, 2006, p. 177
[2] Morton Feldman, Four Instruments, Edition Peters, EP 6966, 1965
[3] Morton Feldman, Four Instruments, from Program Notes of Evening for New Music, Carnegie Recital Hall (December 21, 1965) このプログラムノートは フェルドマンの著作集Give My Regards to Eighth Street: Collected Writings of Morton Feldman, p. 20に“Four Instruments”として収録されている。
[4] YarnWireによる演奏はスコアのレイアウトをある程度忠実に再現した演奏で、2つのアンサンブルがどこを演奏しているのかがスコアでも把握しやすい。2つ目のリンク、The Barton Workshopによる演奏はYarnWireに比べると全体的にテンポが遅い。2つのアンサンブルはスコアのレイアウトをやや逸脱する傾向があり、YarnWireの演奏よりも茫漠とした印象を受ける。
[5] Morton Feldman, Between Categories, Edition Peters, EP 6971, 1969

高橋智子
1978年仙台市生まれ。Joy DivisionとNew Orderが好きな無職。
(次回は2月4日更新予定です)

吉池拓男の名盤・珍盤百選(30) ガヴリーロフという幸福

FRÉDERIC CHOPIN Andrei Gavrilov(p)  K&K Verlagsanstadt  LC 04457 2000年
FREDERIC CHOPIN NOCTURNES  Andrei Gavrilov(p)  UCM 2013年
Musci as Living Consciousness vol.1 Andrei Gavrilov(p) UCM/DA VINCI CLASSICS C00330 2020年

筆者は主に経済的な理由で滅多に演奏会に行きません。しかし、2020年の秋に珍しく2回演奏会に足を運びました。それがガヴリーロフです。本当は1回だけのつもりでしたのですが、あまりに自由奔放にして繊細かつ乱暴な(矛盾してるが本当)演奏だったために、それが常態なのか確認のためにもう一度聴きに行った次第です。で、2回ともほぼ同じ演奏でした。何度も暗譜がこけたり、打鍵が強烈過ぎるせいか前半だけでピアノの調律が狂いまくったのはご愛敬として、解釈やフレージングはほぼ定番ギャグの世界にまで昇華されていると深く感じ入った次第です。

ドイツグラモフォンに移籍して以降ほとんどフォローしていなかったので、今回略歴などを読み、改めてここ20年くらいの3枚のアルバム(それしかないはず)を聴き、なかなか大変な人生航路を辿って、今、こういうピアニストになっているのだなぁと勝手に解釈させていただきました。私見を交えた経歴としては、

1955年生まれ
1974年チャイコフスキー国際コンクール優勝
1976~1990年EMI専属 特に前半は暴れん坊ぶりを発揮。ガンガンバリバリの凄演多々。
80年代前半はソ連政府から政治的理由で睨まれて、なかなか大変だったようだ
1990~1993?年ドイツグラモフォンに移籍。らしくないつまらない演奏のCDを次々と出す。角を矯めてなんとやらの典型か。
1994~2000年演奏活動を離れて、哲学や宗教の研究に没頭。ま、迷ったのね。
2000年~演奏再開。ただもう忘れられたピアニストとなっていた模様。
2011年自伝発表。(筆者は未読)
2013年ショパンの夜想曲集のCDを自分で立ち上げたレーベル(UCM)から発表。たぶん10数年ぶりのCD。このCDは最初は自伝第2版の付録だったらしい。
2020年「生きていることを意識する音楽」シリーズ第1集を自分のレーベルから発売
2020年から始めたCD連作のネーミング(特に和訳)がスゴイですねぇ。迷った挙句の帰結にしては若干まだイタい感じがあります。

ではそんな迷いの時代のガヴリーロフのCDをご紹介しましょう。

★ショパン ライブ 1999年9月10日  K&K Verlagsanstadt  LC 04457

FRÉDERIC CHOPIN Andrei Gavrilov(p) 

1999年にドイツの修道院で行われた演奏会のライブ録音盤。演奏活動を離れて哲学と宗教の研究に没頭していたという時期のもの。ソナタ2番、バラード1・4番、練習曲5曲を収録。演奏解釈自体はグラモフォン時代のように真っ当で、後述する2013年の夜想曲集のようなことはありません。ただ、ガヴリーロフの長所の一つである美弱音へのこだわりも薄め。で、問題は技巧的な乱れ。いくらライブと言えども、ミスタッチや音抜け、暗譜落ちに近い別フレーズ弾きが細々とあり、特にバラード1番は悲しい出来です。2000年にこのCDを聴いたとき、個人的にはガヴリーロフというピアニストと別れを告げた思い出があります。このころ何を悩み、何処を目指していたのか。今回、宗教と哲学の日々だったという経歴情報を得てみると、この録音の出来の意味は変わってくるような感じがします。

★ショパン 夜想曲集 UCM 2013年

FREDERIC CHOPIN NOCTURNES  Andrei Gavrilov(p)

10年以上の時を経て発表された夜想曲集は、ガヴリーロフが独自の世界に旅立った事を如実に語っています。伸縮自在のテンポとフレージング、美弱音への徹底的なこだわり。2020年の来日公演での演奏とほぼ同じで、その時の印象含めて言えば「幸せなことがあって泥酔しているおっさんの鼻唄」です。もっとも特徴が良く出ているのが夜想曲第13番。特に前半は一拍ごとにテンポが変化するような凄いフレージング。右手の主旋律の歌い崩しもベテラン演歌歌手のようです。5番と9番はやたら休符やスタカーティッシモを意識した不思議なフレージング、第8番では極上の美弱音で揺らぎまくる鼻唄フレージングを聴けます。13番ほどの違和感はないのですが、いずれもテンポの揺れは激しいのでご注意ください。

このCDでは各曲のわりと長い解説もガヴリーロフが書いています。作曲者の声を直感によって現代の声に翻訳して伝えるというのが悩んだ日々の末にガヴリーロフが見つけた光明のようで、楽曲にとっぷりと身と心を委ねた姿が良くわかります。気のせいかもしれませんが、19世紀スタイルで弾いていた戦前のピアニストの演奏美学に近い香りが漂います。ただし、見方を変えると「おっさんのかなり困った自己本位演奏」でのあるので、聴く側にも度量が求められるなかなかにオモロイ演奏集です。

★「生きていることを意識する音楽」シリーズ第1集 UCM/DA VINCI CLASSICS C00330 2020年

Musci as Living Consciousness vol.1 Andrei Gavrilov(p)

あらためて見ても凄いタイトルですねぇ。収録曲はシューマンの「蝶々」「交響的練習曲」ムソルグスキーの「展覧会の絵」で、2019年の来日公演のプロと同じです。ジャケットのイラストからして、作曲家と自分が一体化していることを表現していると思われます。日本発売盤の帯裏には「この多面性を持ったアルバムによって、私は自身の新知識、技術、科学。哲学、演奏、新しい音楽のすべてを聴衆と共有している。直観を置き換えることは、音楽言語を純粋に知ることであり、それぞれの作曲家の音楽言語を純粋に知ること(日本語訳:生塩昭彦)」というありがたいガヴリーロフのお言葉が掲げられています。

で、2013年の夜想曲集からさらにどう進化したかと言うと……わりとフツーになっています。もちろん泥酔おっさん鼻唄風のこだわりフレージングは所々観られます。テンポの細かくて激しい揺れも健在です。自由度の大きい「展覧会の絵」の方がそういう行った側面は顕著ですが、全体としてみると「もっと2013年の夜想曲集の先にある独自世界を見たかった」という感想でしょうか。

かなり苦難の歴史を経てきたガヴリーロフは少なくとも2013年の夜想曲集以降、独自の新しい境地に進みつつあると思います。そのあまりに自由で“直感”的な演奏は羨ましくもあります。ライブで演奏が終わると聴衆に向かってWピースサインを突き出す彼の笑顔は、一つの確かな幸福を具現化しているように思います。演奏家はどんどん独自の道に行けばよいのです。誰も行かない道で見つけた幸せを私たちと共有できれば(あくまでも「できれば」ね)良いと私は信じます。

補記1《某所の演奏会で私の隣にいた品の良いおばさまたちの会話》
「なに、今日の演奏会。ピアノを強く叩きすぎてうるさいし、ショパンは変よね。ガヴリーロフだけはもう勘弁だって、主催者の〇〇さんに言っておくわ。」

補記2《ガンガンバリバリ時代の代表録音》
ガヴリーロフがEMI時代に録音したラフマニノフの前奏曲変ロ長調op.23-2。某ピアニストがこの演奏の2分18秒からの和音の連打は人間離れしていて呆れるしかないと語っていた。

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。

あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(10) 音楽の表面-1

(文:高橋智子)

 前回はフェルドマンの友人である画家のウィレム・デ・クーニングにちなんだ楽曲「De Kooning」の時間の感覚、記譜法の変化について考察した。これまでの考察から、フェルドマンの記譜法の変化は音楽的な時間と空間に対する彼の考え方に連動していることがわかっている。今回はエッセイ「Between Categories」と、さらに複雑な音楽的な時間を創出した楽曲のうちのひとつで、このエッセイと同じタイトルの「Between Categories」を中心に考察を進める。

1 音楽の表面 エッセイBetween Categoriesを読む

 1960年代前半のフェルドマンの音楽は「垂直」の概念とともに音楽的な時間を作曲、記譜、演奏、聴取それぞれの側面で探求してきた。前回とりあげた「De Kooning」(1963)はその記譜法や曲中の沈黙の扱い方などから、フェルドマンが時間だけでなく空間にも関心を寄せ始めた楽曲とみなすことができる。不可視の存在である時間にまつわる概念や着想を、空間の観点あるいはメタファーで語ることで彼はさらなる概念を見出す。同時にそれは難題でもあった。その新たな概念が「表面」である。

 1960年代になると、フェルドマンによる自作が初演される演奏会のための楽曲解説だけでなく雑誌への寄稿が増えてくる。1969年のエッセイ「Between Categories」の中で、彼は「音楽の表面とは何か」、「表面を持っている音楽と表面を持たない音楽の違いは何か」を問う。このエッセイの初出は雑誌『The Composer』(Vol.1, No.2 September 1969)と『Mundus Artium: A Journal of International Literature and the Arts』(Vol.6, No. 1. 1973)、後にフェルドマンの著作集『Give My Regards to Eighth Street: Collected Writings of Morton Feldman』にも収録された。今回は著作集に掲載されたものを参照した。絵画と音楽の比較に始まり、最後はいささか強引にフェルドマンの思うままに完結させられる縦横無尽なこのエッセイを読み解いてみよう。

 このエッセイでフェルドマンは絵画を引き合いに出して音楽の構造と表面の問題へと接近する。これまでも何度か触れてきたように、フェルドマンは歴史的、慣習的に確立されてきた構造や規則に否定的な立場をとっている。このエッセイでも彼の態度はほとんど変わっておらず、彼が新たに打ち出したい「表面」の概念を主題ないし構造と対置させようと試みる。フェルドマンによれば、音楽の主題は形式的、構造的な土台無しに突然現れるものではなく、そこには必ず形式と構造がある。構造と形式は音楽の歴史的な発展を反映した結果なのだ。フェルドマンがここで名前をあげているギヨーム・ド・マショーからピエール・ブーレーズに至るまでの、つまり中世から20世紀後半までの歩みの中での進歩史観が西洋芸術音楽の構造、形式、技法の発展を支えてきた。図形楽譜と不確定性による音楽の実践、音そのものへのこだわりなど、これまでのフェルドマンの創作を振り返ると、彼の態度は常に西洋芸術音楽の進歩史観とは違う立場にいたいという意思表明だったともいえるだろう。これは彼に限らずジョン・ケージらニューヨーク・スクールの仲間と共有してきた態度でもあった。

絵画と同じく、音楽は表面だけでなく主題も持っている。マショーからブーレーズにいたるまで、音楽の主題とは常にその構造にあったように思われる。。旋律や十二音音列は単に起きるのではない。それらは構築されていないといけない。リズムは不意にどこからともなく現れるのではない。それらも構築されていないといけない。構造であれ拘束であれ、音楽におけるなんらかの形式的な考えを提示することは構造の問題であり、そこでは方法論が作曲の支配的なメタファーだ。だが、ある楽曲の表面を描きたければ、私たちは何らかの困難にぶつかる。それは絵画からのアナロジーが役立つかもしれない領域だ。歴史上の2人の画家が頭に浮かんだ――ピエロ・デッラ・フランチェスカ[1]とセザンヌだ。この2人を並べてみたい――(危険を承知で)彼らの構造と表面を描写し、音楽における表面、あるいは聴覚的地平にまつわる短い議論に戻ってこよう。 

Music, as well as painting, has its subject as well as its surface. It appears to me that the subject of music, from Machaut to Boulez, has always been its construction. Melodies or 12 tone rows just don’t happen. They must be constructed. Rhythms do not appear from nowhere. They must be constructed. To demonstrate any formal idea in music, whether structure or stricture, is a matter of construction, in which the methodology is the controlling metaphor of the composition. But if we want to describe the surface of a musical composition we run into some difficulty. This is where analogies from painting might help us. Two painters from the past come to mind —Piero della Francesca and Cezanne. What I would like to do is juxtapose these two men — to describe (at my peril) both their construction and surface, returning for a brief discussion of the surface, or aural plane, in music. [2]

 ブーレーズはフェルドマンにとって20世紀後半の音楽の歴史的、主知的発展を象徴する人物のひとりだ。同時代の作曲家同士として実際に親交があったブーレーズに対するフェルドマンの理解は主観的で、さらに言えばフェルドマンによる嫉妬や偏見さえも感じられるほどで、他のエッセイでもブーレーズは頻繁に言及されている。「Between Categories」の4年前、1965年に書かれたフェルドマンのエッセイ「Predeterminate/ Indeterminate」でもフェルドマンは音の鳴り響きよりも構造や作曲システムを優位に置くブーレーズについて「今日のどの作曲家よりもシステムに新たな威信を与えているのはブーレーズだ――かつてあるエッセイで、ブーレーズは曲がどう鳴り響くかに興味はなく、それがどのように作られているかのみが自分の関心なのだと言っていた。It is Boulez, more than any composer today, who has given system a new prestige—Boulez, who once said in an essay that he is not interested in how a piece sounds, only in how it is made. 」[3]と述べている。続けてフェルドマンは「そんな言い方をする画家はいないだろう No painter would talk that way.」[4]と、フィリップ・ガストンをブーレーズの対極に置こうとする。

フィリップ・ガストンはかつて私にこう話してくれた。彼は絵がどのようにできているのかを察知することでその絵に飽きてくるのだと。何かを作ることへの没頭、システムと構造への没頭は今日の音楽に特徴的にも思える。それは多くの場合、作曲の現実的な主題となっている。

Philip Guston once told me that when he sees how a painting is made he becomes bored with it. The preoccupation with making something, with systems and construction, seems to be a characteristic of music today. It has become, in many cases, the actual subject of musical composition.[5]

 作曲家と画家を比較するのはあまりフェアではないようにも見えるが、フェルドマンはガストン寄りの立場だ。彼はガストンの逸話を引いて作品の生成過程よりもその結果を重視している。音楽でいうならば、作曲に用いたシステムや構造や技法よりも、それらの結果として生じたその曲の鳴り響きがフェルドマンにとって重要なのだと解釈できる。先の「Between Categories」からの引用を思い出すと、フェルドマンによれば、実際の音の鳴り響きはブーレーズの興味の範疇ではない。ブーレーズがフェルドマンによる一方的な批判の的にされ続けているのは少し気の毒にも思えてくるが、フェルドマンはブーレーズをはじめとする当時のトータル・セリーの潮流に対して意義を唱えたかったのだろう。Kyle Gannは、フェルドマンが著述でブーレーズとシュトックハウゼンに執拗に言及している様子を「彼(訳注:フェルドマン)はライバルたちのことで頭がいっぱいだ。ブーレーズとシュトックハウゼンの名前は20世紀音楽の悪癖を示すものとして何度も繰り返し出てくる。Rivals preoccupy him; the names of Boulez and Stockhausen come up over and over again as illustrations of twentieth-century music’s ills.」[6]と描写している。このエッセイの後の段落ではやはりシュトックハウゼンも登場する。この2人の作曲家はフェルドマンの仮想敵のような存在として、むしろ彼の創作理念の具現化に貢献しているともいえる。

 「表面」の話を進めよう。フェルドマンはデッラ・フランチェスカの絵画がもたらす永遠の感覚を例に、絵画における錯覚と表面の関係を論じる。

私たちは、新たに発見された遠近法の原理を空間的な関係性の中に採り入れた世界を覗き見ている。遠近法は計測のための手段だったが、ピエロはこれを無視して私たちに永遠を与える。実際、彼の絵画は永遠に向かって消えゆくように見える――キリスト教的なエトスを起源とする、ある種のユング派集合無意識[7]へと消えゆく。この表面は絵画を全体として経験するために踏み入るための扉に過ぎないように思える。こんな風にだって言えるだろう――それ(訳注:表面)に対する全ての事実にも関わらず、表面など存在しない。おそらく遠近法それ自体が錯覚のような仕掛けであることに起因する。遠近法は画家の対象を切り離して、それらに相互関係をもたらす統合を成し遂げるための錯覚の仕掛けなのだ。その結果が幻覚による形式だ――デッラ・フランチェスカがそれだ。絵画であれ音楽であれ、構成原理を利用しようとする試み全ては幻覚の側面を持っている。

We are looking into a world whose spatial relationships have adopted the newly discovered principles of Perspective. But Perspective was an instrument of measurement. Piero ignores this, and gives us eternity. His paintings indeed seem to recede into eternity, into some kind of Jungian collective memory of the beginning of the Christian ethos. The surface seems to be just a door we enter to experience the painting as a whole. One might also say, despite all the facts against it, that there is no surface. Perhaps it is because Perspective itself is an illusionistic device, which separates the painter’s objects in order to accomplish the synthesis that brings them into relationship with each other. Because this synthesis is illusionistic, we are able to contain both this separation and unity as a simultaneous image. The result is a form of hallucination, which della Francesa is. All attempts at utilizing an organizational principle, either in painting or music, has an aspect of hallucination. [8]

 もちろん、ここでのフェルドマンのデッラ・フランチェスカの遠近法にまつわる議論は学術的な厳密さを追求していない。あくまでも「フェルドマンの目に写ったピエロ・デッラ・フランチェスカ」に基づいている。上記の一節はデッラ・フランチェスカのどの作品を想定しているのかが明記されていないが、彼の特殊な遠近法にフェルドマンは永遠の感覚と表象を見出したことがわかる。遠近法は主体と客体との差異や関係を明示する方法のひとつでもある。遠近法は主体と客体との関係を明確にして、全体の構造を分節する効果も持っている。フェルドマンは遠近法を「錯覚の仕掛け」とみなし、絵画のそれぞれの部分のまとまりによって構成される全体的な構造も幻覚や錯覚の形式に過ぎないと結論付ける。このような幻影、幻覚、錯覚の特性を帯びた絵画の一側面をフェルドマンは「表面」と呼ぶ。彼は音楽にも「表面」があると主張する。私たちは音楽の表面をどのようにして知覚できるのだろうか。遠近法と絡めて絵画の表面について彼なりの見解を示したフェルドマンだが、音楽の表面に対してはしばらく葛藤し続ける。次に引用する段落から彼の自問自答が始まる。

今や音楽の表面を覆う聴覚的な地平がいったい何なのかを真正面から問うべき時にきているのではないかと、私は危惧している。それは音楽を聴いている時にたどる音程の輪郭だろうか? それは私たちの耳の中に輝きを放つ音の垂直な、あるいは和声の拡がりになれるのだろうか? ある音楽には表面があって、別の音楽には表面がないのだろうか? 音楽だけで表面を完全に実現できるのだろうか――または別の媒体である絵画に関係する現象なのだろうか?

I’m afraid that the time has now come when I will have to tackle the problem of just what is the surface aural plane of music. Is it the contour of intervals which we follow when listening? Can it be the vertical or harmonic proliferation of sound that casts a sheen in our ears? Does some music have it, and other music not? Is it possible to achieve surface in music altogether —or is it a phenomenon related to another medium, painting? [9]

 現実世界の音響として実際に私たちの耳に入ってくる音と、それにまつわる一連の現象を「聴覚的な地平」と解釈するならば、音楽の表面は音響という実体に覆われた何かだと推測できるだろう。あるいは、音楽の表面は実際に鳴っている音とは別のもので、実体のない形而上的な存在に近いのかもしれない。この時点では音楽の表面についての明確な答えは出ていない。だが、フェルドマンはここでめげずに、次の疑問「表面を持っている音楽と表面を持たない音楽」にも立ち向かう。

 「音楽の表面」で葛藤するフェルドマンは友人で批評家、美術家のブライアン・オドハーティに電話でこう尋ねる。「私がいつも君に話している音楽の表面とはなんだと思う? what is the surface of music I’m always talking to you about?」[10] こんな電話が突然かかってきたら面食らって何も言えなくなりそうだが、オドハーティは「作曲家ではない自分には音楽の充分な知識はないけれど Not being a composer—not knowing that much about music」[11]とためらいながらも、フェルドマンからの唐突な問いに誠実に対応した。オドハーティは「作曲家の表面とは、彼が現実的なもの――つまり音――をそこに置く錯覚のこと。画家の表面とは、彼がそこから錯覚を創り出す現実的なもの。The composer’s surface is an illusion into which he puts something real —sound. The painter’s surface is something real from which he then creates an illusion.」[12]と答えた。先の段落の内容を振り返ると、フェルドマン自身は音楽の表面(錯覚)と聴覚的な地平(現実に聴こえる音)を別のものとみなしていた。オドハーティからの答えもフェルドマンの考え方と概ね同じだと言える。この回答に満足したフェルドマンはオドハーティにさらなる問いを投げかける。「ブライアン――今度は表面を持っている音楽と表面を持っていない音楽との違いを言ってくれないか?Brian—would you now please differentiate… between a music that has a surface and a music that doesn’t.」[13]これに対してオドハーティは「表面を持っている音楽は時間とともに構成されている。表面を持たない音楽は時間に従属し、リズムの連なりとなる。A music that has a surface constructs with time. A music that doesn’t have a surface submits to time and becomes a rhythmic progression.」[14]と答えた。時間に言及したオドハーティによる「表面を持っている音楽と表面を持たない音楽」の違いは、前回この連載で引用した、彼がウィリアム・デ・クーニングの絵画とフェルドマンの音楽について考察したオドハーティの論考の一文「音は進むのではなく、同じ場所で積み上がって蓄積するだけだ(ジャスパー・ジョーンズのナンバーズのように)。 Sounds don’t progress but merely heap up and accumulate in the same place (like Jasper Johns’ numbers).」[15]を思い出させる。ここでオドハーティが言う「進むのではなくて同じ場所で積み上がって蓄積するだけの音」は、連続や進行の時間の感覚を持たないフェルドマンの音楽が提示する時間の特性を描写している。この特性はオドハーティがフェルドマンに対して答えた、時間に従属せず時間とともに構築される「表面を持っている音楽」とおおかた一致している。また、「表面を持っている音楽」は時間の水平な連続性ではなく、「今」の垂直な積み重なりによるフェルドマンの「垂直」の概念とも重なっているといえるだろう。どちらの概念も音楽的な時間とその経験や知覚に深く関わっている。この後、フェルドマンの「表面」への問いは音楽的な時間への問いへと発展していく。

(音楽が)時間とともに構成されているなら表面が存在するのだとオドハーティが言った時、彼は私の思っていることととても近い――この考え方は、時間を作曲の一要素として扱うよりも、時間をそのままにしておく意味に近いと思っているが。いや、時間とともに構成されていようと、時間をそのままにしておくことにはならないだろう。時間をただそのままにしておくべきなのだ。

When O’Doherty says that the surface exists when one constructs with Time, he is very close to my meaning—though I feel that the idea is more to let Time be, than to treat it as a compositional element. No—even to construct with Time would not do. Time simple must be left alone. [16]

 フェルドマンは、演奏者に音価の決定を委ねる自由な持続の記譜法を通して「時間をそのままにしておく」ことを既に実践していた。1960年代の彼の多くの楽曲で用いられている自由な持続の記譜法は、規則的な拍節やメトロノームで計測できる時間とは異なる音楽的な時間を獲得する手段のひとつだった。「時間をそのままにしておく」ことと逆の例として、フェルドマンはシュトックハウゼンと交わした会話を持ち出す。

 ある日、シュトックハウゼンはフェルドマンに「ねえ、モーティ――自分たちは天国に住んでいるのでなくて、地上で生きている。You know, Morty—we don’t live in heaven but down here on earth.」[17]と語りかけてテーブルを叩き始めた。「音はここにもある――ここにも――ここにも A sound exists either here—or here—or here.」[18]と言いながらテーブルを叩き続けるシュトックハウゼンの行動の真意を、フェルドマンは「彼(訳注:シュトックハウゼン)は私に現実を見せていることを確信していた。拍、そして拍との関係で考えられる配置は作曲家が現実として把持できた唯一のものだった。He was convinced that he was demonstrating reality to me. That the beat, and the possible placement of sounds in relation to it, was the only thing the composer could realistically hold on to.」[19]と分析する。ここでシュトックハウゼンが見せたようなテーブルを叩いて生じた音、つまり私たちの現実世界に溢れている様々な音を、拍や拍子という測られた時間の単位に当てはめて音楽を構築する行為は「時間を自分の意のままに操ることができ、さらにはそれを区分けできる Time was something he could handle and even parcel out, pretty much as he pleased.」[20]のだと作曲家に思い込ませる。フェルドマンにとって、このような時間の操作と構築は凡庸でつまらない考えだったようだ。

率直にいうと、時間に対するこのようなアプローチは退屈だ。私は時計職人ではない。時間をまだ構成されていない存在の中に投げ入れることに興味がある。私の興味は、つまり、この野生動物が動物園ではなくジャングルの中でどうやって生きていくのかにある。私たちが肉球状の足でそっと時間に触れたり、時間に思いや想像をめぐらせる前は、時間はどのように存在しているのだろうか。これが私の興味だ。[21]

Frankly, this approach to Time bores me. I am not a clockmaker. I am interested in getting Time in its unstructured existence. That is, I am interested in how this wild beast lives in the jungle, not in the zoo. I am interested in how Time exists before we put our paws on it, our minds, our imaginations, into it.[22]

 ここでフェルドマンが時間をジャングルの野生動物にたとえていることをふまえると、リズムや拍子は動物園の檻にたとえられるだろう。なんらかの制限、枠組、構造、形式に入れられていない時間を探求したいと彼は言っている。これは1960年代の自由な持続の記譜法の楽曲によってある程度到達できた。だが、前回解説したように、1963年頃から自由な持続の記譜法が徐々に変化し、音価やテンポに関して部分的だが具体性を持つようになってくる。ブーレーズやシュトックハウゼンを、構造やシステムばかりに目が行って実際に聴こえる音をおざなりにしていると槍玉に挙げてきたフェルドマンだが、実は彼も時間に手を加えている。フェルドマンは「時間をまだ構成されていない存在の中に投げ入れることに興味がある」といいつつも、「De Kooning」をはじめとする1960年代中頃にかけての自由な持続の記譜法に小節線、拍子、メトロノーム記号が姿を現す。多くの場合、時間にまつわるこれらの記号や規則は全休符による沈黙の部分に用いられている。このエッセイから読み取る限りでは「時間をそのままにしておく」方を好むフェルドマンだが、実際は彼も自身の楽曲の中で時間を測り構成しているのだった。例えば前回とりあげた「De Kooning」や「Chorus and Instruments」(1963)では拍子やテンポを具体的に指定した箇所が途中に挿入されている。しかし、これらの楽曲を聴いてみると、ここでもたらされる時間の感覚は規則正しさや秩序立った構造とはまったく別のものだとわかる。彼が目指していたのは、記譜によって設計されてはいるが無秩序に聴こえる音楽だったのかもしれない。結果として聴こえる音を重視したフェルドマンは、あたかも「時間をそのままにしておく」ように見える音楽を書くことに腐心していたのではないだろうか。

「時間をそのままにしておくこと」と作曲することとは相容れない概念にも見える。そのジレンマについて、フェルドマンは次のように告白する。

表面に対する私の強迫観念は私の音楽の主題だ。そういう意味では、私の曲は実はまったく「曲」ではない。私の楽曲は時間のキャンヴァスと呼ばれることもある。時間のキャンヴァスには多かれ少なかれ音楽の全体的な色合いが下塗りされている。私は次のことを学んできた。作曲や構成をすればするほど――人は手つかずの時間を音楽の支配的なメタファーにさせまいとする方に傾く。

My obsession with surface is the subject of my music. In that sense, my compositions are really not “compositions” at all. One might call them time canvasses in which I more or less prime the canvas with an overall hue of the music. I have learned that the more one composes or constructs–the more one prevents Time Undisturbed from becoming the controlling metaphor of the music. [23]

「時間のキャンヴァス」は1950年代の図形楽譜の頃からフェルドマンが自作を説明する際にしばしば使われてきた概念である。1950年代の時間のキャンヴァスはグラフ用紙の1マスを1拍分とみなし、そこに演奏者の任意の音高を投影していく、実体のある存在だった。図形楽譜そのものも時間のキャンヴァスとみなしてもよいならば、そこには実用的な側面さえあったともいえる。1960年代後半になると時間のキャンヴァスは「表面」の概念と結びつき、実体のよくわからない禅問答のような性質を帯びてきた。オドハーティとの会話を思い出すと、表面を持っている音楽は時間とともに構成され、表面を持たない音楽は時間に従属している。上記の引用から読み取る限りでは、フェルドマンにとっての「曲」とは「手つかずの時間」が優位に置かれた音楽を意味するが、それは果たして曲と呼べるのか。彼の「表面」への問いは「曲」とは何か、さらには「作曲すること」とは何かという、とてつもなく壮大な問いへと発展する可能性さえはらんでいる。実際、1970年代以降の著述、インタヴュー、講演などでフェルドマンはこれらの根源的な問いを頻繁に発するようになる。

 音楽の表面を追求する過程での逡巡に対してフェルドマンがひとまずここで出した答えは、音楽や美術などと限定せず、複数の分野や領域をまたぐ存在を自認することだった。

これらの用語――空間、時間――は数学、文学、哲学、科学と同様に音楽と視覚芸術にも使われ始めている。だが、音楽と視覚芸術はその専門用語に関してこれらの他の領域に依拠しているかもしれないが、それに関わる研究と結果は全く違う。例えば、私が初めて演奏者に様々な選択の余地を与える曲を発明した時、数学理論の知識を持つ人々は、「不確定性」あるいは「無作為」をこれらの音楽的なアイディアに結びつけて非難した。一方、作曲家たちは私が行っていたことが音楽と何も関係がないのだと言い張った。いったいそれはなんだったのか? 依然、それはなんなのか? 私は自分の作品をどちらかというと「カテゴリーの間(あいだ)」として考えたい。時間と空間の間。絵画と音楽の間。音楽の構造と音楽の表面の間。

Both these terms—Space, Time—have come to be used in music and the visual arts as well as in mathematics, literature, philosophy and science. But, though music and the visual arts may be dependent on these other fields for their terminology, the research and results involved are very different. For example, when I first invented a music that allowed various choices to the performer, those who were knowledgeable in mathematical theory decried the term “indeterminate” or “random” in relation to these musical ideas. Composers, on the other hand, insisted that what I was doing had nothing to do with music. What then was it? What is it still? I prefer to think of my work as: between categories. Between Time and Space. Between painting and music. Between the music’s construction, and its surface.[24]

もちろん、ここでフェルドマンが言おうとしている「カテゴリーの間」はフルクサスらの実践に代表されるジャンルやメディアを横断した創作やパフォーマンスではない。いくら絵画に詳しくとも、フェルドマンは決して自分で絵筆をとらなかった。フェルドマンの領分は間違いなく音楽だが、自分を「カテゴリーの間」に置くことで、当時の彼の音楽に対する周りの雑音を締め出そうとしていたのかもしれない。

 結局、フェルドマンがここで自問自答していた「表面」とはなんなのだろうか。このエッセイの最後の段落でフェルドマンは次のように書いている。「私には理論がある。芸術家は自分の表面で自身をさらけ出す。I have a theory. The artist reveals himself in his surface.」[25] これを字義通りに受け取ると、表面とは芸術家が作り手である自分の主体をさらけ出す場所なのだと定義できる。表面と芸術家の主体に関する見解としてMarion Saxerの考察を参照すると、フェルドマンのいう音の表面は「芸術的な行為の直接的な産物とみなされており、従って作曲家の主体的な役割に対する再評価を求めることも念頭に置いている die als unmittelbares Produkt künstlerischen Agierens gedacht wird und die damit dem Wunsch nach einer Aufwertung der Rolle des kompositorischen Subjektes Rechnung trägt」[26]との解釈も可能だ。これまでのフェルドマンの創作と音楽観を振り返ると、彼は作り手個人の表現、主体、主観といったものから故意に遠ざかっていたように見えるが、音高や音価など、演奏者に楽曲の決定権の一部を委ねる楽曲を通して、作曲家の役割に対する新たな問題意識が彼の中に芽生えてきたのかもしれない。「表面」は音楽作品や絵画作品の構造や形式だけではなく、創作行為の意義にも問いかける。

 音楽の表面、構造、時間、空間など、エッセイ「Between Categories」で語られている事柄の数々は1950年代から60年代までのフェルドマンの音楽を総括すると同時に、これ以降の彼の創作に立ちはだかるいくつかの命題も予示している。「表面」の概念はマーク・ロスコからの影響が顕著になる1970年代前半の楽曲においても引き続き重要な役割を担うこととなる。

次のセクションではこのエッセイと同じタイトルの室内楽曲「Between Categories」(1969)の記譜法と時間の性質について考察する。


[1] Piero della Francesca https://www.nationalgallery.org.uk/artists/piero-della-francesca
[2] Morton Feldman, “Between Categories,” Give My Regards to Eighth Street: Collected Writings of Morton Feldman, Edited by B. H. Friedman, Cambridge: Exact Change, 2000, p. 83
[3] Morton Feldman, “Predeterminate/Indeterminate,” Give My Regards to Eighth Street: Collected Writings of Morton Feldman, Edited by B. H. Friedman, Cambridge: Exact Change, 2000, p. 33
[4] Ibid., p. 33
[5] Ibid., pp. 33-34
[6] Kyle Gann, “The Writings of Morton Feldman”, in Art Forum, February 2001 https://www.artforum.com/print/200102/the-writings-of-morton-feldman-31769
[7] フェルドマンは ‘Jungian collective memory’ と記しているが、これは彼の勘違いで、おそらくここではユングの集団的無意識 collective unconsciousのことを言っていると思われる。
[8] Feldman 2000, op. cit., pp. 83-84
[9] Ibid., pp. 84-85
[10] Ibid., p. 85
[11] Ibid., p. 85
[12] Ibid., p. 85
[13] Ibid., p. 85
[14] Ibid., p. 85
[15] Brian O’Doherty, American Masters The Voice and Myth in Modern Art: Hopper, Davis, Pollock, De Kooning, Rauschenberg, Wyeth, Cornell, New York: Dutton, 1982, p. 145
[16] Feldman 2000, op. cit., p. 85
[17] Ibid., p. 87
[18] Ibid., p. 87
[19] Ibid., p. 87
[20] Ibid., p. 87
[21] Ibid., p. 87
[22] Ibid., p. 87
[23] Ibid., p. 87
[24] Ibid., p. 88
[25] Ibid., p. 89
[26] Marion Saxer, Between Categories: Studiem zum Komponieren Morton Feldmans von 1951 bis 1977, Saarbrücken, Pfau, 1998, s. 165

高橋智子
1978年仙台市生まれ。Joy DivisionとNew Orderが好きな無職。
(次回は1月28日更新予定です)

あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(9) 自由な持続の記譜法の変化-3

(文:高橋智子)

3 「Chorus and Instruments」のスコアにおける時間と空間の相互関係

 「De Kooning」での破線と矢印付き直線の出現以降、自由な持続の記譜法はさらに変化していく。「De Kooning」から半年後の1963年11月に完成された[1]合唱と室内アンサンブルによる「Chorus and Instruments」でも自由な持続の記譜と、小節線と拍子を持つ記譜が混ざっている。先にとりあげた「De Kooning」では拍子記号が書かれた小節は全てが全休符だったが、「Chorus and Instruments」曲では拍子記号を伴う小節にも音符が書かれている。この点が「De Kooning」のスコアとの大きな違いだ。記譜法の混在がもたらす音の長さの解釈の可能性を中心に考察していこう。

 「Chorus and Instruments」の編成は混声合唱、ホルン、チューバ、打楽器、チェレスタ兼ピアノ、ヴァイオリン、チェロ、コントラバス。合唱はヴォカリーズで歌われる。1963年、フェルドマンはこの他にも無伴奏合唱曲「Christian Wolff in Cambridge」、合唱とソプラノ独唱と室内楽による「Rabbi Akiba」を作曲している。これら2曲も作品リストによれば「De Kooning」と同じ1963年11月の日付が記されているが、フェルドマンがこの時期に合唱を用いる曲を3つ書いた理由は定かではない。合唱と室内楽の編成は「Chorus and Instruments Ⅱ」(1967)で再び現れ、1970年代に入ると「Chorus and Orchestra 1」(1971)、「Chorus and Orchestra Ⅱ」(1972)といった合唱と管弦楽編成に発展する。

 「Chorus and Instruments」のスコアにもフェルドマン独自の演奏指示が記されている。器楽パートに対する記述は他の楽曲とほぼ同じだが、合唱パートの自由な持続の記譜法の読み方が具体的に指示されている。

Feldman/ Chorus and Instruments (1963)

score: https://issuu.com/editionpetersperusal/docs/p6958

1. 破線は楽器が連なる順番を示す。
2. 先行する音が消え始めたら各楽器が入ってくる。
3. 垂直線は同時に鳴らす楽器への合図を示している。
4. 全ての全休符は指揮者の合図で。
5. それぞれの音は最小限のアタックで。
6. ダイナミクスは終始とてもひかえめに。
7. 装飾音はゆっくり演奏される。
8. ピアノとチェレスタ(1人の奏者で)
9. 打楽器(奏者1人)は以下の楽器を演奏する。
 チャイム、アンティーク・シンバル、ティンパニ、大型バスドラム、
 大型ヴィブラフォン(モーターなし)

合唱

大半の部分で、指揮者は合唱によって歌われるそれぞれの和音の持続(極端なくらいゆっくりと)を決める。2ページ目のティンパニが入ってくる箇所(3/2拍子が記されている)まで、また、3ページ目の複縦線(チェレスタが入ってくる箇所)まで、合唱による各和音の持続は同じページ上で対応している器楽パートとの関係をふまえて考えないといけない。

6ページ目ではソプラノは記譜のとおりティンパニと同時に始める。これ以後、指揮者は合唱の響きの長さを自由に選べるが、7ページ目の最後のチェレスタの音より長くなってはいけないのだと心に留めておく。指揮者は拍の総数が示された小節の長さを選んでもよい。

1. Broken line indicates sequence of instruments.
2. Each instrument enters when the preceding sound begins to fade.
3. The vertical line with an arrow indicates the instrument cueing in a simultaneous sound.
4. All open notes are cued by the conductor.
5. Each sound with a minimum of attack.
6. Dynamics very low throughout.
7. Grace notes to be played slowly.
8. Piano-Celesta (1player).
9. Percussion (1 player) requires the following instruments: chimes, ant. cymbals, timpani, large bass drum, large vibraphone (without motor)[2]

 「Chorus and Instruments」も1960年代のフェルドマンの楽曲によく見られる風変わりな編成だ。木管楽器がないので、ホルン、チューバが上部に配置され、その下に混声四部合唱、打楽器、ピアノ兼チェレスタ、弦楽三部が並ぶ。6-7ページでは合唱パートがスコア上部へと移動し、その下にホルン以下の器楽パートが連なる。8ページ目からスコアの配置が元に戻る。演奏すべき音の順番を示す破線はしばしばいくつものパートをまたいで鋭角線を描く。3ページ目のバス→ヴァイオリン→ホルン→チューバ→チャイム→コントラバスを繋ぐ破線はその典型といえるだろう。破線の錯綜は1-5ページまでによく見られる。自由な持続の記譜法によって整然と垂直に揃えられた合唱パートを最上部に置く6-7ページでも破線は様々な鋭角線を描くが、ここでの破線は器楽パート間に限定されているので、合唱をまたぐ必要がなくなっている。この2ページの間、合唱と器楽がそれぞれ別の時間と空間に置かれ、各自のペースで進むかのようにも見える。スコアから見ることのできるこれらの視覚的な印象は、実際の演奏にどのように反映されているのだろうか。それとも反映されていないのだろうか。演奏指示を参照しながら演奏の際の音の長さについて検討してみよう。

 「Chorus and Instruments」の2ページ目、3ページ目の特定の範囲内での合唱に対する演奏指示の一文「合唱による各和音の持続は同じページ上で対応している器楽パートとの関係をふまえて考えないといけない。」に従うと、スコアの視覚的な性質や印象がこの曲の演奏に直接影響をおよぼしているといえる。このように、スコアの外見と演奏結果が直接結び付くこの曲は、音高の選択をマス目の配置(高・中・低)から読み取り、演奏者が決めていくフェルドマンの1950年代の図形楽譜とほぼ同じ機序で作用しているといってもよいだろう。ここに初期の図形楽譜の名残を見ることができる。

 演奏指示に書いてあるように、スコアの音符の配置から音の長さや各パートの相互関係を読み取ることは理解できるが、拍子が書かれていない小節(合唱)と自由な持続の記譜法(器楽パート)が同時に存在する6-7ページはどのように演奏すればよいのだろうか。先に指摘した、スコアの中での各パートの並びが変わる6-7ページ目の合唱に関して、演奏指示では「6ページ目ではソプラノは記譜のとおりティンパニと同時に始める。」と記されている。たしかに6ページ目はソプラノとティンパニが垂直線で結ばれており、出だしを揃えて演奏するのだと一目してわかる。このソプラノとティンパニの後、合唱パートと器楽パートはそれぞれの道を進むかのように見えるが、リンク先の動画の演奏では、合唱パートの空間的な配置に合わせて器楽パートが鳴らされている。6ページ目後半から7ページ目前半にかけての拍子記号を伴う小節でも、器楽パートは合唱パートに合わせるように演奏されている。この部分では演奏指示のとおり、合唱の音の長さは指揮者に委ねられているが、「7ページ目の最後のチェレスタの音より長くなってはいけないと心に留めておく。」と書いてあるので、あまりにも遅く、あるいは長く音をひきのばしてはいけない。合唱パートは7ページ目の最後の小節が終わると、その後は空白だ。その間、器楽パートはページ最後のチェレスタのB♭6を終点とする鋭角線を描く。リンク先の動画による演奏では、7ページ目で合唱がB♭を歌うと、後半のスコアの空白そのままに合唱パートはしばらく沈黙する。

 8ページ目以降はスコアの様相がもとに戻る。前半と比べると、破線による音の結びつきよりも音の垂直な配置の割合が増えている。8-9ページはその都度、拍子とテンポが変わるめまぐるしい印象の記譜だが、10ページ以降は自由な持続の記譜法のみとなり、これ以降の時間の感覚が不確定かつ可変的な性質を強めてくることを示唆している。15ページでは合唱に強弱記号が記され、これまでは曲全体に対する強弱の指定「ダイナミクスは終始とてもひかえめに。」のみだったところに、局所的、具体的な強弱の指示が加わった。pppのような極端に弱い強弱記号とクレシェンド、デクレシェンドを併用して合唱のダイナミクスに変化を持たせる書法は後に「Rothko Chapel」(1972)の合唱でも用いられている。また、非常に狭い範囲での強弱記号の用法は反復を主体とする1970年代後半からの楽曲で頻繁に姿を現す。

 今回とりあげた楽曲はいずれも楽譜の中の音符の空間的な配置、つまり見た目が音の長さやパート間の関係に直接的な影響をおよぼす。本稿では、次第に時間と空間を混同し出したオドハーティの論考を論理が不明確だと批判した。だが、自由な持続の記譜法による「De Kooning」と「Chorus and Instruments」のスコアを読んでみると(読むというより眺める作業に近い)、そして、その後スコアとともに音を聴くと、この2つの曲がもたらす時間はスコアの中で見る空間なしにはありえない性質だとわかってきた。本稿は音楽的な時間に関わる問題として音の長さを議論しているつもりだったが、いつのまにか議論の中心はスコアに書かれた様々な線、音符と音符との空間、スコアの配置といった空間と視覚に依拠していた。オドハーティと同じ轍を踏んでいたのである。

 楽曲の構造や枠組み、実際の音の鳴り響き、記譜の視覚的な性質など、音楽の様々な側面に時間と空間の問題がつきまとう。これらを個別に論じるには長大な時間を要するが、楽譜に焦点を絞ると、コーネリアス・カーデューは楽譜の中の時間と空間を切り分けず、ひとまとまりに「時間−空間 Time-space」として扱っている。時間−空間の中では「ページに書かれた音符の間隔と長さは音のタイミングと持続に多かれ少なかれ直接的に関連付けられる the spacing and length of the notes on the page, are put into a more or less direct relation to the timing and duration of the sounds.」。[3]カーデューが考える時間−空間は単純で楽観的だ。彼は「なんと、記譜は紙の空間を占めるので時間-空間を用いるのは簡単で、それを「時間」と呼んでも問題はない。 Heaven, it is easy to use time-space, because music-writing takes paper-space, and it’s no problem to give it the name ‘time’.」[4]と結論づける。

 フェルドマンの楽曲の場合、楽譜は楽曲の保存や記録の手段、演奏のための手段といった実用的な側面だけでなく、その曲のあり方や美的特性とも深く結びついている。今回とりあげた2曲「De Kooning」と「Chorus and Instruments」はいずれもスコアの見た目のインパクトが強い。これらの楽譜と記譜法は機能と実用以外の性質も持ち、そこに書かれた音符や線も楽曲として静かに存在感を主張しているようにも見える。

 この後しばらくフェルドマンは拍子記号を伴う小節を挿入した自由な持続の記譜法での作曲を続ける。1966年頃からはこの記譜法がさらに複雑になり、「First Principles」(1966-67)、「False relationships and the extended ending」(1968)、「Between Categories」(1969)の三部作が作曲される。これら3曲は、自由な持続の記譜法で記された複数の小さなアンサンブルが互いに異なる時間の歩みで楽曲を同時に紡いでいく構造だ。この時期のフェルドマンの関心は「垂直」から「表面」へと移っていき、1969年のエッセイ「Between Categories」において音楽の表面とは何かを自問自答する。次回はこのエッセイを参照しながら同題の室内楽曲「Between Categories」について考察する予定である。


[1] パウル・ザッハー・アーカイヴでの資料調査に基づいてSebastian Clarenが作成した作品カタログ(Claren, Neither: Die Musik Morton Feldmans, Hofheim: Wolke Verlag, 2000に収録)によると、「Chorus and Instruments」は1963年11月に完成したが初演日時は不明。
[2] Morton Feldman, Chorus and Instruments, Edition Peters, No. 6958, 1963
[3] Cornelius Cardew, “Notation: Interpretation, etc.”, in Tempo, New Series, No. 58, Summer 1961, p. 21
[4] Ibid., p. 22

高橋智子
1978年仙台市生まれ。Joy DivisionとNew Orderが好きな無職。
(次回は1月21日更新予定です)

吉池拓男の名盤・珍盤百選(29) 珍曲へのいざない その4 なんでもコンチェルト

MENDELSSOHN THE PIANO CONCERTOS Matthias Kirschnereit(p)Frank Beermann/Robert-Schumann-Philharmonie Chemnitz  ARTE NOVA 2CD 8869738622 2  2009年
Dmitri Kabalevsky  The Complete Works for Piano & Orchestra  
Michael Korstick(p)Alun Francis/NDR Radiophilharmonie  2012年
Emil Gilels Legacy vol.9 
Emil Glels(p) Kyrill Kondrashin/Moscow Philharmonic Orchestra  DOREMI DHR-7980  2011年
RACHMANINOFF  SUITES I & II FOR PIANO AND ORCHSTRA 
Lee Hoiby(p)Jorge Mester/ London Philharmonic Orchestra, Lawrence Foster/London Symphony Orchestra   

「珍曲に名曲なし!!探すだけかなり無駄」と第22回で書きました。作曲家の才能と楽曲の出来がほぼほぼ比例する以上、無名に終わった作曲家達のオリジナル作品のほとんど全ては厳しい現実を内包しています。実際、音楽史に燦然と輝く大作曲家でも「つまんねぇな、この曲」の方が多かったりします。それほど万人に響く“名曲”は奇跡的な存在なのです。では良い珍品を見つけるにはどうしたらよいか。無名作曲家のオリジナル作品はほぼ全滅と思ってよいので、有名曲の珍なる編曲ものを探すのが効率的です。過去の珍曲シリーズでご紹介してきたものの多くは編曲もしくは再創造ものです。ダメな作曲家でも元ネタがしっかりしていると、当たりをかます確率が高くなります。

MENDELSSOHN THE PIANO CONCERTOS Matthias Kirschnereit(p)

今回は、原曲をピアノと管弦楽のための協奏曲スタイルにしてしまった編曲ものの珍品をご紹介しましょう。まずは元ネタがヴァイオリン協奏曲だったもの。ベートーヴェン自身がピアノ用編曲した通称・ピアノ協奏曲第6番ニ長調もこの類かも知れません。最近ではクロアチアのピアニスト、Dejan Lazicが5年をかけて編曲したブラームスのCDが話題になりました。ネット上にはチャイコフスキーのをピアノ協奏曲に編曲した楽譜付き動画があり、演奏はPCの打ち込み音源ですが全曲聴くことができます。ただしヴァイオリンのピアノ編曲としてはかなりお淋しいもので鑑賞は中々シンドイです。その他もきっとあるとは思いますが、割と存在を見つけにくい作品としては、Matthias Kirschnereitが弾いたメンデルスゾーン・ピアノ協奏曲集に入っていた世界初録音のピアノ協奏曲ホ短調があります。メンデルスゾーンは1842年にピアノ協奏曲第3番として書き始めましたが、第2楽章から第3楽章への移行部までで中断、あの有名なヴァイオリン協奏曲の作曲の方に移ってしまったという未完成作品です。同じ調性なので曲も同じか!と期待しますが、一部の主題の類似性が指摘されてはいるものの全くの別音楽です。この協奏曲を全3楽章の形で補作完成させたR. Larry Toddは、書かれなかった第3楽章にヴァイオリン協奏曲の第3楽章をまるまるピアノ用に編曲して引用しています。第3楽章への移行部分は書かれたというので、そこがヴァイオリン協奏曲と同じだった可能性はありますが、ライナーノートに記載はありません。で、この編曲がかなり良くできている。ヴァイオリン独奏部の動きはほぼすべて取り入れながら、ピアノ的な装飾や付加を随所に加え、立派な“メンデルスゾーン風ピアノ協奏曲”になっています。第3楽章がヴァイオリン協奏曲からの引用であることはインデックスには全く書かれていないので、CDをお店で手にしてもわかりません。聴いてみて初めてビックリという慎ましい珍品です。

その他のCDで聴けるピアノ協奏曲化は、シューベルトのピアノ連弾用の幻想曲ヘ短調、アルカンの短調練習曲の協奏曲第1楽章、ショパンの演奏会用アレグロ・チェロソナタ・演奏会用大二重奏曲、リストのスペイン狂詩曲、ムソルグスキーの展覧会の絵、ラフマニノフのピアノ三重奏曲・2台のピアノのための組曲・交響曲第2番などがあります。たぶん世界にはいろんなことにトライする連中がいますので、CD商品化されていないものを含めると実際はもっともっとあるでしょう。たとえばラフマニノフの第2交響曲のピアノ協奏曲化があったということは、ベートーヴェンあたりの交響曲が無理矢理ピアノ協奏曲化されるのも時間の問題のような気がします。

さて、CDで聴けるピアノ協奏曲化で抜群に出来の良いのは、カバレフスキーの編曲したシューベルトの幻想曲ヘ短調でしょうか。昔はGilelsの弾いた古めのライブ盤数種しか録音がなかったのですが、CPOから出たKorstickの弾くカバレフスキーのピアノ協奏曲全集にも録音が収められました(演奏自体はギレリスの圧勝)。冒頭の主題が13小節目からオケで奏でられるとき、カバレフスキーが付けた音階風のピアノ装飾は切なさ倍増で胸キュン(死語)ものです。曲後半には独自のカデンツァも挿入され、編曲者の創造的な個性が刻まれたオミゴトな編曲作品です。

Dmitri Kabalevsky  The Complete Works for Piano & Orchestra – Michael Korstick(p)
Emil Gilels Legacy vol.9 – Emil Glels(p)

RACHMANINOFF  SUITES I & II FOR PIANO AND ORCHSTRA  Lee Hoiby(p)

発売されたレーベルのマイナー度で言えばCitadel Recordsから出たラフマニノフの2台のピアノのための組曲のコンチェルト版が珍しかったでしょうか。CD盤に表記された発行年は1994年ですが、もっと以前からLPでは存在していて、ネット上の情報では1968年頃の録音のようです。編曲者は組曲第1番がRebekah Harkness、組曲第2番がピアノ演奏も務めるLee Hoibyです。曲の性格にもよりますが、第1番はピアノ入り管弦楽団の往年銀幕音楽風、第2番は結構ピアノコンチェルトしています。第1番の舟歌は予想通りのピアノ・オケ配分で始まりますが、中間部ではピアノのキラキラフレーズをあまり採用せずにオケ的に盛り上げてみたり、原曲にはない旋律を足したりと色々と仕掛けて来ます。時折ピアノならではの細かで速いフレーズをオケにさせてアンサンブルが崩れかかる所がありますが、大目に見てあげましょう。舟歌のコーダ部分は編曲者がかなり手を加えていて、最後にオケが強く奏でる4音(原曲にはない)は吹き出すほどの違和感です。中間の2曲は麗しく流れ行き、終曲の復活祭は期待通りのお祭り騒ぎ。最後で金管のブォゥッ!ブォゥッ!という咆哮(原曲にはない)が増強されるあたりは笑いのツボに嵌ります。あぁ、ラフマニノフはほとんど映画音楽なんだなぁと陥りがちな誤解にとっぷりと浸れる名アレンジです。組曲第2番の序奏は第4協奏曲を想わせるようなピアノ・オケ配分で開始されます。ワルツは少しテンポが遅いですかねぇ。2台ピアノ並みに飛ばすのはピアノとオケでは難しかったかな。ただ、高速な音列と絡んで奏でられる息の長い旋律はオケで演ると気持ちよいです。ロマンスは美しいピアノ・オケ作品に昇華していてゆったりと浸れます。終曲のタランテラはワルツ同様にテンポは遅め。たとえばアルゲリッチ姐さんとフレイレのコンビは5分20秒で演りますが、このコンチェルト版は6分54秒。おかげで快速燃焼タランテラというよりは“ご立派なピアノ協奏曲の終楽章”風になっていて、それはそれで演奏者たちの狙いだったのかもしれません。

このラフマニノフの組曲コンチェルト版も編曲者たちの想いが溢れた創造的作品になっています。とってもよい、とは言いませんがね。少なくとも編曲者でピアニストであるLee Hoibyのオリジナル作曲作品よりは遥かに「名曲」だと思います。珍曲探しの泥沼旅に疲れたら、珍編曲探しに針路修正すると素敵なオアシスが見つかる……か……も……。

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。