吉池拓男の迷盤・珍盤百選 (25) 珍曲へのいざない その4 恐るべし、高校ブラバン部

交響的印象「教会のステンドグラス」より 武田晃/陸上自衛隊中央音楽隊 BRAIN MUSIC BOCD-7355
ミス・サイゴン 宍倉昭作品集LIVE 埼玉栄高等学校吹奏楽部 BRAIN MUSIC OSBR-25005

《前口上の言い訳》
筆者は吹奏楽部の経験はなく、日本の吹奏楽界では当たり前のことも知らない元ピアノヲタクです。ですので本稿は吹奏楽経験者には「なんもわかっとらんな、こいつ」という内容に溢れていますが、あくまでもピアノ系マニアから観た拙劣な感想文であることをご寛容のほどよろしくお願い申し上げ奉ります。

交響的印象「教会のステンドグラス」より 武田晃/陸上自衛隊中央音楽隊

《本文》
アレクサンドル・ニコラエヴィチ・スクリャービン作曲「おお、神秘なる力よ!」という楽曲名を見た時、第1交響曲の終楽章?法悦?プロメテ?遺作の神秘劇???そんな曲、あったっけな?と、衰え行く記憶力を奮い立たせましたが、一向に思いつきませんでした。で、これ、実はピアノソナタ第5番op.53の吹奏楽編曲版に付けられたタイトルだったのです。あの複雑で小難しいピアノ書法てんこ盛りの第5ソナタを吹奏楽でピーヒャラパンパカパーンと演るとは何考えとんのじゃっ、と呆れにも似た感情で聴き始めました……ありゃ?……うへっ……おをっ……畏れ入りました。私が悪うございました。ちゃんとやってますね、スクリャービンの5番。陸上自衛隊の皆様、どうか無知蒙昧な私を抹殺しないでくださいませ。編曲者は吹奏楽の世界では高名な田村文生せんせ。さらに驚いたのは、編曲を共同で委嘱したのが4つの高校の吹奏楽部とのこと。う~~~む、難しいだけでなく、この曲はクラシック音楽史上もっともエロい音楽と思っているのですが、それを高校吹奏楽部がお願いするなんて。恐ろしや、恐ろしや。

曲のタイトルにはピアノソナタ第5番の編曲とは全く書かれていません。曲の進行はほぼ原曲通りなのですが、編曲者の創造性が大きく加筆されているためと思われます。まず冒頭。打楽器の強打からピアノ原曲を遥かに超えるオドロオドロしさで始まります。ただ、この段階で「あ、スクリャービンの5番だっ」と気付く人は少ないかも。直後のLanguido(13小節)からは蕩けるような世界が始まり、「おっ、スクリャービンの5番じゃん。うわぁ、陶酔感マシマシじゃん」となります。ここからしばらくは堂々たるスクリャービン5番の吹奏楽版を堪能できます。独自のいじりを見せるのは96-97、100-101、104-105小節。原曲にはない上昇音階を入れていますが、これはピアノ版に逆輸入する価値があるかもしれない良い改編です。その後はちょこちょこ独自の小さな改変が続き、273-274小節、277-278小節で原曲がアルペジオっぽいのを弾くところでは管楽器独奏による独自のカデンツァを入れています。中々に蠱惑的で素晴らしい創造編曲です。で、原曲と大きく違うのが329小節からのPrestissimoの部分。原曲ではリズミカルに昂まってゆく部分なのですが、この編曲では逆にぐっとテンポを落とし、リズミカルなことも止め、ねとーーっとした泥濘のような耽美をまさぐります。私の個人的な感想としては、う~~む、ちょっと、ねぇ、でしょうか。原曲においてここの昂まりは輝きに満ち、全曲の中でも屈指の エレクトポイントと溺愛していたのですが……この変更はもったいないなぁ。で、357小節あたりから音楽は従来の活力を取り戻し、最後の高みへと昇っていきます。417小節からの大歌い上げは流石多人数合奏の豪奢なパワーが漲っていて羨ましくなります。特に金管の絶頂咆哮は圧倒的、これはピアノでは真似できませんねぇ。原曲から完全に逸脱するのが、ラスト16小節のPresto部分。ここは編曲者が「《法悦の詩》の終結部の様式をピアノソナタ第5番の動機を用いて(*1)」新作しています。原曲が昂奮の坩堝の中で射〇的に終了するのに対し、あくまでも荘厳に神々しく終了します。まさに「おお、神秘なる力よ!」。教育的配慮もバッチリです。

まさかのテンペスト、ブラバン編曲(異国情緒風)まで

このCDを出しているブレーン株式会社という吹奏楽中心の音盤製作会社はこれまで全く知ることがありませんでした。かなりの数の吹奏楽のCDを出しており、それを見るとピアノ曲からの編曲ものが結構あります。リストのスペイン狂詩曲・バッハの名による幻想曲とフーガ、ラフマニノフの音の絵(op.33-2,4,6, op,39-9)・パガニーニの主題による狂詩曲(10分短縮版)、ラヴェルのクープランの墓からトッカータなどなど、まさに恐るべしです。そんなラインナップの中から一つ。ベートーヴェンのピアノソナタ第17番op.31-2「テンペスト」の第3楽章をご紹介しましょう。編曲は宍倉晃せんせ、演奏は埼玉県の吹奏楽強豪校・埼玉栄高校です。

ミス・サイゴン 宍倉昭作品集LIVE 埼玉栄高等学校吹奏楽部

結論から言うとピアノで弾くテンペスト終楽章とはイメージがだいぶズレますが、素晴らしいアレンジです。カスタネットなどの打楽器を多用したり、リズムの取り方がワルツっぽい3拍子を刻んだりするので、感触的にはスペイン風舞曲に近いものがあります。あのテンペストが味付け一つでこんなに異国情緒になるなんて、実に素晴らしい。(皮肉ではありません、本当に賛美しています。念のため。)冒頭から提示部はほぼ譜面通りに音楽は進みます。ま、47小節あたりから刻むカスタネットのリズムが最初の「おやぁ?」でしょうか。展開部はかなり編曲者独自の対旋律や装飾が付加されています。113小節あたりの半音階下降もハマってますし、150小節からのベースライン変更も切なくて良いですね。193小節からは小太鼓が入って来てかなり明確な3拍子ダンスになり、再現部に向けての長い小太鼓ロールは妙に納得感があります。小太鼓ロールで盛り上げた後ですので、原曲の再現部は弱奏指示ですが「f」で力強く来ます。これも大納得。このあたりから付けてる和声がちょっとお洒落で今っぽい感じになり、247小節の濁った感じの装飾は(ちょっとズッコケますが)おもしろい。270小節で吃驚の全休止してから、ガツンと271小節を始めるところも良い演出です。音楽は次第に盛り上がり、350小節からは豪華絢爛大舞踏会状態に突入。原曲のラストは弱奏で終わりますが、こちらは大舞踏会状態のまま強奏で終わります。で、私個人は圧倒的にこの編曲の終わり方が好きです。もうベートーベンではありません。でも本当に素敵な音楽です。しかも演奏は高校生ですからね。大したもんです。(*2

この素晴らしいテンペストはピアノ独奏用に逆編曲すべきでしょう。タイトルは、Valse-caprice de concert sur le finale de “Tempest” Sonate de Beethoven=Shishikura かな。結構イケる気がします。

今回、高校生たちの想いのこもった吹奏楽によるピアノ音楽演奏、感服いたしました。ピアノ音楽にはみなさんのアレンジの魔手が延びてくるのを心待ちにしている名曲がうじゃうじゃいます。とりあえずはバラ4かアルカンの交響曲、ラフマニノフの第2ソナタあたりからよろしくお願いいたします。

注*1:CD解説より引用
注*2:同じアルバムには、狂詩曲「ショパン・エチュード」というピアノ弾きに喧嘩を売ってるような楽曲も入っています。Op.10-4,12、op.25-7-11の4曲による自由なパラフレーズで、op.10-4とop.25-7は原曲のテンポ感で、op.10-12はゆったりエレジー風に、op.25-11は哀しきファンファーレのように使われてます。Op.10-4は演奏が大変そうでかなりゴクロウサンです。

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。

吉池拓男の迷盤・珍盤百選 (24) 珍曲へのいざない その3 執念の人々

Unknown Piano Music of Alkan – Original works and transcriptions John Kersey(p)RDR CD30
Piano music of Sydney Smith (1839-89) Original works and paraphrases John Kersey(p)RDR CD24

忘れられた作曲家や埋もれた作品を世に出すことに凄まじいパワーを注いだピアニストがいます。代表的なのはアルカンの復活に心血を注いだ人たち。19世紀末頃はリストやショパンと並ぶ大作曲家と言われていたのに、20世紀前半段階でほとんど誰も弾かなくなっていた(ま、そりゃ無理ないかな)アルカンの復活にRaymond Lewenthal(1923 – 1988)とRonald Smith(1922 – 2004)は凄まじい情熱を傾けました。この2人が交流を持っていたのか、どう影響し合ったのかはわかりません。しかしこの2人の執念なくしては、アルカンの復活は無かったでしょう。日本でも中村攝(金澤攝)が1990年頃、アルカン・リバイバルに執心していました。今現在は森下唯が集中的にアルカンに取り組んでいます。これまでの先人たちが難しすぎて手を出さなかったスケルツォ・フォコーソop.34に見事な演奏で光を当てたのは森下の素晴らしい成果と思います。ともあれ21世紀になってピアノサークルの発表会やストリートピアノでもアルカンを弾く人がいるような世の中になったのはLewenthalとSmithのおかげです。彼らの執念に深く深く感謝しましょう。(余談ですが、Kapustinが世界中に知られて弾かれるようになったのは、日本のピアノ愛好家たちの力と私は思っていますが、どうでしょう。)

さて、忘れられた作曲家や埋もれた作品の復活に心血を注ぐ演奏家は、数多く存在していると思います。その中でもかなりアツイのがイギリスの音楽学者でピアニストのJohn Kersey先生でしょう。彼は19世紀ロマン派のピアノ音楽の発掘に執念を燃やしており、自ら録音してリリースし続けています。彼のCDは(私が買った時、そしてたぶん今も)輸入CD店やamazonでの取り扱いはなく、彼のホームページから直接買うしかありませんでした。そのCDリリース数たるや凄まじく、聞いたことのない作曲家名や珍曲に溢れたサイトのカタログアーカイブスコーナーもあり)を見るだけで嘆息の嵐となってしまいます。一応連番であるCD番号はすでに103です。

私が買ったのは「Unknown Piano Music of Alkan」と「Piano music of Sydney Smith」の2枚。ただでも珍曲作家扱いのアルカンのさらに「知られざるピアノ音楽」とは何だ?と見てみると、

  1. Handel=Alkan: Chœur des Prêtres de Dagon from ‘Samson’
  2. ‘Il était un p’tit homme’: Rondoletto, op. 3
  3. Weber=Alkan: Chœur-Barcarolle d’Obéron (Les filles de la mer)
  4. Beethoven=Alkan: Chant d’Alliance (Wedding Song)
  5. Désir, petit fantaisie
  6. Variations quasi fantaisie sur une barcarolle napolitaine, op. 16 no. 6
  7. Grétry=Alkan: Marche et Chœur des Janissaires
  8. Nocturne no 3 in F sharp major, op. 57
  9. Marcello= Alkan: ‘I cieli immensi narranno’ from Psalm 18
  10. Gluck=Alkan: ‘Jamais dans ces beaux lieux’ from ‘Armide’
  11. Variations on ‘La tremenda ultrice spada’ from Bellini’s ‘Montagues and Capulets’, op. 16 no. 5
  12. Réconciliation: petit caprice mi-partie en forme de zorcico, ou Air de Danse Basque à cinq temps, op. 42
  13. Variations on ‘Ah! segnata è la mia morte’ from Donizetti’s ‘Anna Bolena’, op. 16 no. 4
  14. Anon=Alkan: Rigaudons des petits violons et hautbois de Louis XIV
Unknown Piano Music of Alkan – Original works and transcriptions

初期作品や編曲もの中心のラインナップで、リリースされた2007年当時では世界初録音曲が含まれていました。初期アルカン作品は変態的な難技巧や過激な書法はほとんどなく、エルツやピクシスを思わせるようなサロン風の明るさと程よい華美に包まれています。中でもOp.16 no.6 の変奏曲はリストのタランテラの中間部と同じ旋律を使っていて、結構興味深く聴けます。編曲ものもおとなしめのものばかり。これは執念の人John Kersey先生がアルカン全盛期の変態的難技巧をあびせ倒すようなテクをたぶん持っていないことにも起因していると思います。確かにKersey先生はアルカンの交響曲のライブ録音もリリースしてます。が、アルカンに取り組んだ豪腕系ピアニストたちと比べると多少酷な感じです。もちろん「Unknown Piano Music of Alkan」の各曲はきちんと弾いてはいて、たどたどしくはないです。ただ、華麗なる系のフレーズをピアノ的美感に昇華させるまでのピアノ弾きではありません。

Piano music of Sydney Smith (1839-89)

もう1枚はイギリスの作曲家シドニー・スミス (1839-1889)の作品集。シドニー・スミスはいくつかのペンネームを使い分けながら、いわゆるサロン風ピアノ曲をわんさか書いていた人です。自作だけでなく有名管弦楽曲やオペラのブリリアントなパラフレーズも量産しています。LPやCDやYouTubeのなかった時代、音楽鑑賞と普及がこうしたピアノ編曲によって行われていたことは有名な話です。さて、このCDの注目曲は「メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲によるパラフレーズ」です。オペラ楽曲や歌曲、管弦楽曲のピアノ独奏用編曲は普通にありますが、ヴァイオリン協奏曲によるものはかなり珍しく、ゴドフスキが編曲したゴダールのカンツォネッタ(Concerto Romantique Op.35第3楽章)くらいしか知りませんでした。早速聴いてみると、全3楽章で25分くらいある原曲をそのままの順番で14分サイズに縮めています。何じゃこのカットは、という突っ込みどころは満載。第2楽章の温存度は高いですが、両端楽章はかなりザックリ行っています。ピアノ技巧的には妙なキラキラフレーズを入れたりせずに素直に創っています。楽譜はIMSLPのメンデルゾーンのヴァイオリン協奏曲のArrangementタブの中にあります。ザックリカットに耐えられるならば、ピアノ学習者用コンテンツにはなる気がします。なんといっても原曲が超有名ですからね(*1)。さて、その他にはスミスの自作曲や有名オペラパラフレーズなどが8曲ほど収められています。Kersey先生によるベストセレクションなのでしょうが、特に自作曲は身震いするほどツマラナイです。無名で終わった作曲家の実力が遺憾なく発揮されていますので、ぜひ歯を食いしばってご堪能ください。

Kersey先生が後の世で「●●●の曲が世界中で弾かれるようになったのはKerseyの執念のおかげ」と言われるかどうかはわかりません。彼の膨大な発売CDを全て買って聴き込み、その執念に共感するところから未来は広がるでしょう。私は財力もなく、スミスの曲を聴いた徒労感から、その冒険に出ることはないでしょう。未来はKerseyの門を叩いた貴方から始まります。どうぞどうかお気張りやっしゃ。

注*1:CDには収録されていませんが、スミスは同じメンデルスゾーンのピアノ協奏曲第1番の短縮独奏版も作っているようです。

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。

吉池拓男の迷盤・珍盤百選 (23) 珍曲へのいざない その2 麗しき泥船、その名は「全集」

珍曲を探し求める泥沼旅には頼りになる気がする泥船が浮かんでいます。その船の名は「全集」。私の嗜好領域のピアノ音楽の世界で言えば「Complete piano works of “作曲家”」と銘打たれたCDです。とにかく一人の作曲家のピアノ音楽が全部聴ける。主要作品から半端作品、場合によっては未完成や断片作品まで聴ける。しかも人生全般にわたってピアノ曲を書いた作曲家の場合は、作風の変遷を通じて作曲家の人生行路まで辿れるような気がして来る、それが麗しき泥船「全集」の魅力です。

今のCD業界の全集発売攻撃は凄まじいものがあります。ピアノCDの世界で全集をよく出している3つのピアノ重視レーベルから「ピアノ作品全集」が出ている作曲家を並べてみましょう。(2020年9月現在)

★PIANO CLASSICS★
DebussyPintoBernsteinShamo武満RavelUstvolskaya

★TOCCATA CLASSICS★
PeykoRespighiHermannEllerEnglundBeckLevitzkiHurlstoneR. MalipieroTajčevićLyadovO’BrienReichaBuschRameau

★GRAND PIANO★
Saint-SaënsWeinbergA. TcherepninBalakirevPonceSamazeuilhVoříšekBabadjanianLe FlemMosolovEnescuKaprálováArutiunianLouriéKvandalGlinkaRoslavetsKalomirisSatieStanchinskyBersaLutosławskiAntoniouKuulaBarjanskyBalassaHarsányiRotaMokranjacBottiroli

「全集」以前に「誰やこいつ」という人がたくさん並んでます。ドビュッシーなど有名作曲家の全集も今更作ってどうすんのと思いがちですが、新発見作品とか異稿とか編曲ものとかが次々と加わり、よりパワフルになってきています。例えばGRAND PIANOから出ているSaint-Saëns全集などは、VOXから40年くらい前に出ていたDosse盤には収録されていなかった作品が世界初録音9曲含めて13曲入っています。さらに聞いたことのない作曲家の数々。そのピアノ曲がコンプリートで聴けてしまうのですから、ほんと、イイ時代です。もちろん他のレーベルからも有象無象の作曲家の「ピアノ作品全集」が出ていますので泥船の楽しみは尽きません。もうひとつ。「全集」の有難いところは、刊行中の出版物にもIMSLPにも楽譜がなく、存在すら掴みづらい楽曲を知ることができる点にあります。「全集」企画者たちの楽譜集めの苦労は相当なものと思われますが、世界には結構無名の作曲家でも研究対象にしている人がいるので、研究者さえ見つかればなんとかなるものかもしれません。

さて、これまでに手にした「全集」の中で印象に残っているものを3つほどご紹介しましょう。

【Grieg Piano Music  Einar Steen-Nokleberg(p)  NAXOS 全14集】 1995年

収録曲の多さで度肝を抜かれたSteen-Noklebergのグリーグ全集。音楽的に重要な作品ではないでしょうが「ノルウェーの旋律 全152曲」がCD3枚に渡って収められていたのには驚きました。さらにはいくつかの短いスケッチだけで終わったピアノ協奏曲ロ短調(断片)とかも収められていました。有名なイ短調の協奏曲と比べたらイマイチな音楽だったのは否めないものの、なかなかに興味の湧く素材です。この全集録音(発売当時は1枚ずつ出た)は何よりも演奏のレベルが素晴らしく高いのです。ピアノの音やフレージングから北欧音楽の香りが凛と漂い、この録音さえあればもうグリーグのピアノ曲の他の録音はいらんなぁとしみじみ思わせた、まさに「全集録音の鑑」。

【Mily Balakirev The Complete Pino Music  Alexander Paley(p)  ESS.A.Y 全6集】1994年
【Mily Balakirev Complete Piano Works  Nicolas Walker(p) GRAND PIANO 全6集】2013~20年

今から40年くらい前、バラキレフに「ショパンの2つの前奏曲の主題による即興曲」というけったいなタイトルのピアノ曲があることがわかったのですが、ネットもIMSLPもなかった時代に実態が全く分からずにいました。1994年にPaleyのバラキレフ全集が出て、ようやく確認できた喜びは今も記憶に残っています。ショパンの前奏曲op.28の第14番変ホ短調と第11番ロ長調の動機を使って5分くらい拡大・展開させた作品でした。特に第14番。原曲は急速な両手ユニゾンの作品ですが、少しテンポを落として分厚い和音交互連打作品へと大化けさせています。残念ながらPaleyの演奏は技巧的に不満要素が多く、GRAND PIANOレーベルから出ているNicolas Walkerの全集録音(他には音楽史上の即興曲を集めたアルバムのMargarita Glebovの演奏)の方が遥かに良く、バラキレフのアホさ加減がもりもりと伝わってきます。なお、Paleyより後から出たNicolas Walkerの全集録音にはピアノソナタop.3などの世界初録音曲に加え、バラキレフがショパンのスケルツォ第2番のラスト2ページくらいを大胆に書き換えたびっくりヴァージョンも収録されています。後出し全集充実の法則ですね。

【Cyril Scott  Complete Piano Music  Leslie De’Ath(p)  DUTTON  全5集(9枚)】2005~9年

異国情緒あふれるピアノ曲「Lotus Land」で有名なスコットは、他にもピアノ曲を沢山遺しています。この全集録音を買って初めて知った珍曲が、第3集に収められている「2台のピアノのためのバッハによる3つの小品」。2声のインヴェンション第8番BWV 779、イギリス組曲第2番BWV 807のサラバンド、フランス組曲第5番BWV 816のジーグを2台ピアノ用に自由にアレンジした作品です。最も手の込んでいるのはBWV 779で、イギリス民謡系近代音楽風味のゆったりとした序奏部(*1)が1分くらいあった後、おなじみのBWV 779が始まります。当然ピアノ2台なので次第に音は足されて行きます。1分ほどで原曲通りの進行が終わると、スコットによる独自の展開が始まります。これが近代和声に彩られ、中々にお洒落で面白い。正直、他のスコットの膨大なオリジナルピアノ曲より優れモノです。続くBWV.807は和声を厚めにしているくらいであまり変えていません。BWV 816もほぼ原曲通りの進行ですが、曲の最後の構成を変えて前半のジーグ主題を回帰させ、高らかに鳴らして締めくくるようにしています。この流れは自然であり、高揚感も原曲以上です。この全集録音盤を買わなかったら、作品の存在に気付くことも無かったでしょう。スコットくらいの知名度ではWikipediaにも作品リストがろくになかったりするのです。本当にありがたい泥船です。

これらの作曲家以外にも沢山の全集録音が出ています。主要作曲家以外で聴いたのは、Sgambati、Turina、JongenFieldGraingerC. Schumann、Wiklund、RodrigoMompouGuastavinoGinasteraPaderewski等々。GodowskyBortkiewiczSéveracも全集に近い状況になってきています。その一方でMoszkowski、Friedman、Tournemire、Pierné、Chasinsは出そうで出ないですねぇ。世界の誰か、がんばって! 

AmazonやYouTube Musicの配信にも多くの全集録音が登録されています。泥船はすでに乗り易い船団となって貴方をお迎えする準備を整えています。ぜひ皆様のご乗船を心よりお待ち申し上げます。泥沼の泥船ではありますが……。

*1:この序奏部がスコットのイギリス民謡風のオリジナルではなく、バッハの何らかの作品の変容である可能性もあるが、筆者の知識の中ではわからなかった。CDの解説にも何の言及もない。

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。

吉池拓男の迷盤・珍盤百選 (22) 珍曲へのいざない その1 往年の大ヒット曲

Francis Planté The Complete Issued Recordings Marston LAGNIAPPE L002 2004年
Legendary Piano Recordings:The Complete Grieg, Saint-Saëns, Pugno, and Diémer Marston 52054-2 2008年
The Art of the Transcription Earl Wild(p) AUDIOFON CD72008-2 1982年

さて、ミューズ・プレスの細谷代表から「最近は珍曲ブームらしいですよ。F間K太朗さんがレア曲だけの配信リサイタルシリーズを主催したり、F田M央さんがアルカン弾いたりしてますよ。」というお話をいただきました。なので数回、“珍曲的なるもの”を扱ってみようと思います。筆者は「もっと良い曲がこの世にはあるに違いない」と信じて30年間くらい素敵な珍曲を探し求めてましたので、その流浪の結果としてひとつ言えることがあります。

珍曲に名曲なし!!探すだけかなり無駄」

IMSLPの作曲家の一覧を見るとわかるように、歴史上「クラシック音楽の作曲家」はごまんといます。恐ろしい数です。正直、9割近くの人の名前は初めてですし、その作品を聴いたことある人となると50人に一人いるかいないかでしょう。つまり、ここには「珍曲」が溢れんばかりに隠れているのです。探してください、一生懸命。いい曲なんてほとんど見つかりませんから。無名の作曲家が無名なのはやはり才能が乏しいからです。人の心にしっかり届いて残り続ける音楽を書けないのです。音楽の長い歴史の中で光を浴びるべき人や作品は、光度のバラツキや明滅はあるにしろ光をすでに浴びています。前述した珍曲扱いのアルカンだって19世紀末の頃にはショパンなどと並ぶ大作曲家と言われていたのです。

さて、否定的なことばかり言ってしまうと夢と希望とこの文章を読む気が無くなるだけです。実際のところ、珍曲の中にも稀に聴き手の珍なる個性とマッチングして(あくまでも個人的な)名曲が見つかることがあります。その時の(あくまでも個人的な)随喜の悦楽と言ったら、麻薬的な泥沼以外の何物でもありません。だから(あくまでも個人的な)珍曲探しはやめられないのです。珍曲探しとは自分にとって音楽とは何かを見つめる旅でもあります。どうぞ、さらなる深みへとお進みください。

さて、今回は一時期は輝く光を浴びていたがすっかり忘れられた作品を2つご紹介します。

Francis Planté
The Complete Issued Recordings

ピアノ演奏録音を遺した音楽家の内で生年が古い人はブラームス(1833年)サン=サーンス(1835年)、プランテ(1839年)あたりではないでしょうか。前二者は主に自作を録音したので、職業ピアニストらしいレパを録ったのはプランテが最も古い一人でしょう。プランテは19世紀フランスを代表するピアニストで優雅極まりないスタイルで人々魅了したようです。彼が18曲ほど録音したのは1928年の89歳の時。ショパン本人にも会ったといわれる人の演奏でしたから、ショパンの演奏(練習曲7曲)はじめ貴重な記録として注目されるのですが、残念ながらあまりよい演奏ではありません。89歳の爺さんがよっこらよっこら弾いてるといった感じで、音楽が結構不自然に流れます。ま、味があるといえば味があります。

Legendary Piano Recordings:The Complete Grieg, Saint-Saëns, Pugno, and Diémer

さて、プランテから少し時代が下って1852年生まれのプーニョもフランスを代表したピアニストでした。彼は1903年に18曲ほど録音を遺します。まだ51歳なので技術的にもバリバリで、自由に舞うような洗練された音楽創りを聴くことができます。特にかなりのスローテンポで弾かれるショパンの夜想曲第5番はショパンの弟子直伝の作法ですし、ショパンのワルツ第2番では「真珠奏法」という秘技を披露しています。(真珠奏法とは色々な文献によればプーニョの特殊なスタッカート奏法らしいが、正直、聴いてもよくわからない。)

で、この歴史的な二人の貴重な録音(ともに18曲)には共通した楽曲があります。それはメンデルスゾーンの無言歌から「狩りの歌」「紡ぎ歌」そして「スケルツォop.16 no.2」です。ここでふと気づきます。スケルツォop.16 no.2 って他のピアニストも結構録音してたような気が???、と。

早速、2020年夏に公開されたイギリスのCD会社APRのピアノSP録音データベース(以降APR/DBと表記)を調べてみましょう。APR/DBは12268ものピアノSP録音データが登録されていて、まさに爆涙ものの情報源です。早速メンデルスゾーンのスケルツォop.16 no.2 を検索してみると……出るわ出るわ、33種類のSP録音が登録されていました。しかもピアニストが凄い。コルトー、フリードマン、モイセイヴィッチ、ザウアー、ケンプ、チェルカスキー、ギレリス、ブライロフスキーなどなど。33種類が多いのか少ないのかを知るにはショパンのワルツ各曲の録音回数と比較するとわかりやすいと思います。APR/DBでは、

ショパンのワルツ・SP録音回数
1番2番3番4番5番6番7番8番9番10番11番12番13番14番
34403222557611119351854111358

となっていました。メンデルスゾーンのスケルツォ op.16 no.2 は華麗なる大円舞曲や別れのワルツ並みの人気楽曲だったのです。しかし、現代のピアニストでこの曲を基本レパートリーにしている人なんて聞いたことがありません。拙文をお読みいただいている貴方も、どういう曲が頭に浮かばないでしょう。有名どころのピアニストがこぞって弾いた曲でしたが、おそらくは20世紀の中ごろに急速に人気を失ったと思われます。20世紀初頭になぜ人気があり、そしてなぜ人気を失ったのか、これに関しては全く見当がつきません。確かに作曲家は有名ですが、もうみんな知らない往年の大ヒット曲、立派な“忘れられた珍曲”の部類に入ってしまっています。

The Art of the Transcription Earl Wild(p)

昔の大ヒット曲という点では、ショーンバークの名著「ピアノ音楽の巨匠たち」に気になる記述があります。それは「70年前には、バッハ=タウジヒのニ短調のトッカータとフーガでリサイタルを始めないのは決まりに反するという感があった。」(新版:p274)です。この本が刊行されたのが1963年ですから70年前とは19世紀末頃。そのころのピアノリサイタルはタウジヒ編のBWV 565から開始するのがお決まりだったというのです。今、この編曲を演奏会の冒頭どころか弾く人さえ稀になりました。理由はいくつか考えられます。BWV 565が鼻から牛乳が出るくらい有名すぎる事、タウジヒ以外にブゾーニやコルトー、レーガー、ブラッサンなどの多彩で優れた編曲版が登場した事などです。特にタウジヒ編曲は冒頭に奇妙な改変が施されています。ど頭の「チャラリ~」というところを、音の上下を変えた上でトレモロ風に二回回すのです(楽譜参照)。これでは「チャリラリラ~ 鼻から牛乳*」となって緊張感は薄れ、ま、少しずっこけます。嘉門タツオ先生もさぞや歌いにくくなったことと思われます。ピアノでBWV 565を弾こうと思った人がいても、この部分を観ただけで他の編曲を手にしたくなることでしょう。20世紀以降でライブでこの編曲を弾いているCDは、アール・ワイルドの「The Art of the Transcription」しか私は知りません。ちなみにこのライブでも演奏会の冒頭には置いていません。 もう「ピアノリサイタルはタウジヒ編で開始」が復活する日はないでしょう。ただ、おかげでこの編曲も珍曲の仲間入りです。

タウジヒ編「トッカータとフーガ ニ短調」はおそらくこの曲の編曲でも最古のもの

一時でも聴衆の人気を博した楽曲には何らかの真実があります。少なくとも人の心を掴んで離さないナニモノかがそこには息づいています。忘れ去られた昔のヒットナンバーを探し出して「底力のある珍曲」として世に問い直すのは一興と思います。昔のヒットナンバー探しはまずはAPR/DB内を探しまくるところから始めましょう。やたらと弾かれている知らない曲、たぶん……ありますよ。

*注:クラシック音楽一筋の皆様へ。「チャラリー 鼻から牛乳」というのは、大阪のシンガーソングライター嘉門タツオが1992年に発表した「鼻から牛乳」という作品において、バッハのBWV.565の冒頭部分のメロディーを引用し、そこに付与した歌詞です。これは偉大なるクラシック音楽に対する冒涜であり、決して許されることではありません。皆様の怒りの声を日本の文化行政にぶつけ、音楽の父たるヨハン・セバスチャン・バッハ(たぶん)の真の姿を無知蒙昧なる庶民に知らしめねばなりません。クラシック音楽の守護神たる貴殿の蜂起を、鼻から焼酎垂れ流しながら待っております。

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。

吉池拓男の迷盤・珍盤百選 (21) 凄腕社長様のご立派な愉しみ

The Celebrated New York Recitals, Vol. 1~13  Mordecai Shehori(p)  Cembal d’amour

クラシック・ピアニスト・オリジナルアルバム数ランキングなんていうものはないとは思いますが、現役ピアニストの中では、アメリカのピアニスト Mordecai Shehoriの47枚という数はトップクラスではないでしょうか。けれども、ふと思います。Mordecai Shehori って誰?と。なんでそんなにアルバムが多いの?、と。

その答えは明快です。Mordecai Shehoriはピアニストであると同時に、Cembal d’amourというCDレーベルのオーナー様なのです。自分の会社なので自分のCDをバンバン出せます。もちろん自分のCDだけでなく、ハイフェッツ、バレル(親子)、チェルカスキー、カッツなどのCDも出しており、零細で厳しいクラシック音盤業界においてレーベル立ち上げから25年以上続いていますので、経営者としてなかなかの腕前と思われます。

では、ピアニストとしてはどうなのか。Shehoriはイスラエル生まれで、渡米してジュリアードで学び、ニューヨーク中心に活動。ホロヴィッツとも親交を結び、晩年のホロヴィッツが協奏曲の練習をする時に第2ピアノを務めていました。発表された47枚をすべて聴いたわけではないですが、なかなかのピアニストではあるようです。なにせあの他人に厳しいホロヴィッツのピアノのお相手として認められたほどですから、並大抵のことではありません。

今回取り上げるのは、彼が1970年代以降にニューヨークで開いたリサイタルのライブ録音のシリーズ「The Celebrated New York Recitals」です。すでに第13集まで出ていますが、これが実に面白い。ライブならではのドラマや羽目外しが所々にあり、Mordecai Shehoriという(少なくとも日本では)無名のピアニストの実像を堪能することができます。なお、このライブシリーズは一つの演奏会をまるごとリリースしたものではなく、前後30年くらいの演奏会の録音からいいとこ取りして組まれています。また録音状態の芳しくないものも少なからずあります。

では、全13集の中から、特におもろいのをピックアップして行きましょう。

【第1集】  CD 107

シリーズの最初を飾るだけあって、おそらくは本人が最も気に入っている自慢の演奏が並んでいると思われます。冒頭のブラームスの第3ソナタは、荒々しいまでの情熱にあふれた巨大なスケール感の演奏です。ショパンのスケ3も同傾向。さらになんとラヴェルの「夜のバスガール」(……40年前の学生ネタ)までも同傾向で、フランス音楽とは思えない野太い咆哮が随所で聴こえてきます。これらの演奏からリリースしたということは彼は彼なりに自分の演奏の本質がこういうところにあると考えているのでしょう。

【第3集】 CD 113

続いては第3集。ショパンの「スケルツォ第1番」では、わりと普通の演奏が続いた後、最後の2ページでいきなりブチ切れ、不協和音を異常に強調した血反吐を吐くようなグロ重いコーダを爆走します。リスト編の「魔王」は、逆に他では聴いたことないほどに淋しげで、ほとんどメゾ・フォルテ以下で弾かれている感じです。最後の2和音も消え入るような弱奏で、客の拍手が来るまでかなりの間があります。何があったのでしょうかねぇ。ローゼンタールの「ウィーンの謝肉祭」は随所にShehoriの手が加わっていて、特に4分40秒目くらいからの盛り上がりでは、ワルツなのに2拍子的なリズムを刻んだり、オクターブ進行装飾を大幅に追加してたりとかなりやってくれます。で、一番呆れるのが曲の最後。楽譜通りの終わり方をしたと思った瞬間、定番のピアノ派手派手フレーズをさらに弾き出し、「いつもより余計に回しておりま~す(*1)」と15秒ほど鍵盤上で暴れまくって終わるというサービスを展開します。いやいや、お見事。冷静なスタジオ録音では絶対やらない、いや、やれない記録です。

【第6集】 CD 166

第6集のセールス的な売りは、ホロヴィッツの作曲作品(ワルツ、練習曲「波」、変わり者の踊り)のライブ演奏です。が、おもろいのはコンフレイの「Humoretless」の演奏。ドヴォルザークのユーモレスクのパロディ作品ですが、観客の笑い声が絶えません。特に1分20秒くらいに観客大爆笑のポイントがあるのですが、たぶんShehoriが仕草でなんかしているためで、残念ながら録音からでは笑いのツボはわかりません。いずれにしろクラシックのピアノライブ録音で観客がこれほど笑ってるドキュメントはレアです。

【第11集】 CD 187

ここにはクライスラーの「美しきロスマリン」の演奏が収められています。クライスラーのバイオリン小品のピアノ編曲ものとしてはあまり弾かれることがない曲ですが、Shehoriは実に優雅にしかもタメをたっぷり入れて奏でます。タメで観客か笑いのどよめきがありますので、仕草上なんかやっていると思われますが録音からはわかりません。なお、曲のクレジットはきちんと書くShehoriですがこの曲の編曲者は記載されていません。

【第12集】  CD 189

Shehoriの録音の中でも怪演中の怪演、リストの「波を渡るパオラの聖フランチェスコ」が入っています。寄せる波を描いた左手の荒海ぶりはかなりのもので、うねり、逆巻き、時折、数回余計に波が押し寄せたりします。その後も音楽はますますヒートアップし、立派な爆演状態となって突き進みます。コーダ前のLentoの直前でもShehoriは独自のフレーズを入れたりしますが、一番の吃驚はラスト。第3集のローゼンタールと同様に、ここで終わった、と思った瞬間、ド派手なフレーズをガリガリ弾きだし、さらに激しく打ち寄せる波を数発かましてから、盛大に終わります。そうか、最初の頃にあれほど打ち寄せた波がどこかに行ってしまって物足りなかったんだね、と優しい気持ちになれば、このあまりに過剰な付け足しを受け止めることができます。Shehoriは同じ曲をスタジオ録音もしていますが、さすがに終わりの過剰付け足しなどはしておらず、音楽の熱さも控えめです。

このライブシリーズはCDでも配信でも聴くことができます。録音時期や録音状態がバラバラという欠点はありますが、意外と凄いピアニストの生な記録として十二分に楽しめます。少なくともオーナー社長がわがままで自分の演奏CDを出しまくったというレベルではないことは確認できるでしょう。

*1:昭和期の太神楽師、海老一染之助染太郎が、傘の上などで升や毬を廻した際に、お客の拍手に応えてさらに芸に続けた場合の決め台詞。

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。

吉池拓男の迷盤・珍盤百選 (20) いくらなんでも速すぎでんがな

Condon COLLECTION HOROWITZ SBSM0003-2 BMG 1991年(他にも収録盤多数) 
Encores & Rarities  Mark Hambourg(p) APR 6023 2018年

通常より速いテンポで演奏すること自体は何の問題もありません。たとえばゾルタン・コチシュのラフマニノフ協奏曲全集。濃厚ロシア風味はありませんが実に爽快です。永く聴き続けるには意外と適した演奏かもしれません。たとえばTESTAMENTから出ているジョン・オグドンの弾くリストの小人の踊り。2分14秒で完奏という驚異の速度で、常軌を逸したピアノテクを堪能できますし、音楽としてもある種の狂気を孕んでいて圧倒されます。

しかし、ものには限度というものがあります。曲自体が崩壊しかねない、または何の曲かわからないほど速いというのは如何なものなのでしょうか。第13回で取り上げたFalossiのモーツァルトのピアノソナタK.545の第2楽章もこの類に入る気がします。で、あるのですね、さらにひど……スゴいのが。

Condon COLLECTION HOROWITZ

まずは大ホロヴィッツ様。1928年、まだ20代半ばのホロヴィッツが自動ピアノに記録したラフマニノフの前奏曲op.32 no.8。この曲を知ってる人のみならず初めて聴く人でも、あまりに急速に動く音の渦に呆気にとられることでしょう。もはや“音楽”として成立していないレベルの高速音塊です。もともとテンポの速い音楽で、通常のこの曲の演奏は1分40秒くらいです。で、ホロヴィッツは1分08秒。この短い曲でこれだけ尺を縮めるとなると、平均的な演奏テンポ♩=160を♩=240近くに上げなければなりません。しかも楽曲は16分音符の連続。♩=240ということは16分音符を毎秒16、1分では960弾くことになります。これだけ音を高速で詰め込むと“音楽”が変質してしまうのがご理解できるのではないでしょうか。で、一つの疑問が浮かびます。この演奏は自動ピアノによる記録なので、機械的にテンポを速めている、もしくは再生ミスではないかと。これに関して「ホロヴィッツの遺産」の共著者である木下淳氏によれば、「このop.32 no.8が記録されたロールにはもう1曲、ラフマニノフのop.32 no.10も記録されていて、そちらの演奏は普通のテンポ感であるため、op.32 no.8の異常高速はトリックや再生ミスではなく本来のものであろう」とのこと。うーーむ、状況証拠的に納得。ただ、納得はしましたが、やっぱこれ、いくらなんでも速すぎでんがな。

Encores & Rarities
Mark Hambourg(p)

さて、お次は第1回に続いての登場、マーク・ハンブルク。もっぱら熱血暴れん坊タイプの演奏をする御仁です。彼が1921年に録音したセヴラックの「古いオルゴールが聞こえるとき」が異様に速い。この曲はオルゴールの動きや音色を模した可愛らしい作品で、ピティナ・ピアノ曲事典では標準演奏時間1分30秒となっています。実際、多く演奏は平均的にそのくらいのスピード感で可愛くキラキラッと弾いています。それに対しハンブルクは1分00秒。正直、速過ぎてオルゴール感はゼロ。可愛らしさもゼロ。どうしてもいうなら「ネジ巻きすぎてぶっ壊れる寸前!半壊オルゴール、戦慄の暴走」のような音楽になってしまっています。私も正直この演奏を最初に聴いたとき、セヴラックのこの曲だとは気づかないほどでした。しかし、ハンブルクの場合さらに上には上があるのです。ハンブルクが同じ1921年に録音したクープランの「神秘的なバリケード」。この曲はゆったりとした分散和音を慈しむように奏でる作品で、ある種の崇高感すら漂う柔らかな音楽です。ピティナ・ピアノ曲事典によれば演奏時間は2分20秒くらいです。かの暴れん坊シフラも2分30秒程度、人によっては3分30秒くらいかけて厳かに弾く人もいます。これに対し、ハンブルクはたったの1分08秒。クープランからはかけ離れた超快速お指の練習曲のようにしか聴こえません。この演奏を聴いて「あぁ、クープランの神秘的なバリケードだな」と思う人は皆無でしょう。私もまったく気づきませんでした。なんかごちゃごちゃ凄い勢いで分散和音弾いてるなぁ位にしか聴こえなかったのです。もちろん神秘性なし、バリケード(=障壁)って早弾きの難しさの事?という演奏です。ハンブルクがこれら2曲においてなぜ異常高速演奏を行ったのかはわかりません。収録時間の短かった1921年当時の録音盤に無理矢理押し込むためとも考えられますが、他の楽曲では部分的に省略するなどして時間を削り、音楽としてのテンポ的な体裁は保つ場合が多いのです。やはりこの2曲に関してはハンブルクの確信犯的解釈ではないかと思う次第です。うーーむ、ただ、やっぱこれ、いくらなんでも速すぎでんがな。

やたらと遅いコブラの演奏。一方ではやたらと速いこれらの演奏。どちらが音楽破壊度が高いかと言えば、やたらと速い方に軍配が上がると思います。常軌を逸した速さ。その意気は大いに認めましょう。ただ、何の曲かもわからないほど速いというのは、ゲテモノ好きの私でも考え込んでしまいます。

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。

吉池拓男の迷盤・珍盤百選 (19) 演奏事故物件鑑賞会

VLADIMIR HOROWITZ live at CARNEGIE HALL  CD27/28 – SONY CLASSICAL, 2013年
EMIL GUILELS en concert – RODOLPHE RPC 32491, 1987年
Jorge Bolet plays Chopin, Mendelsshon, Liszt – ASdisc AS 123, 1993年

演奏は生ものです。アクシデントは付き物。単なるミスタッチくらいなら、アクシデントに入らないでしょうが、人生と同様、何が起こるかわからないものです。

誰もが動画を撮り、誰もが世界に発信できる時代、YouTubeでいくつか有名になっている演奏事故動画があります。たとえば、ラローチャがモーツァルトの27番だと思ってリハに行ったら、ラフマニノフの2番をオケは用意していて急遽変えたという1983年の動画。わりと冷静に曲の変更をこなしていますが、出来ちゃうのが凄い。さらに有名なのが、ピリスがモーツァルトの協奏曲をアムステルダムのランチコンサートで弾こうとしたら、予定してたのとは違う20番の協奏曲が始まって愕然とし、オケの演奏が続く中、絶望的な表情で指揮者と交渉する動画。ピリスが「この曲の楽譜は家に置いてあるわ」と言えば、指揮者が「最近どこかで弾いてたみたいから大丈夫でしょ」と返し、結局、絶望的な表情のまま、弾き出して弾いてしまします。ピリスの暗い表情が20番の曲想にとてもよく合っています。ブラジルのロドリゲスという女性ピアニストは演奏中にピアノが故障。結局、スタッフが色々努力するも修理できず、舞台上の(せり)(昇降リフト)で壊れたピアノを下ろし、新しいピアノを迫で上げてセッティングして再開します。で、このピアニストの凄いのは、その間、ずっとトークと色々なピアノ演奏を続けて客は大ウケ大喝采という一部始終の動画があります。もちろん彼女もピアノと一緒に迫に乗り一旦は舞台下に消えますが、ずっと弾き続けます。すばらしい芸人魂です。

演奏中のアクシデント、巨匠はどう対応した?

VLADIMIR HOROWITZ live at CARNEGIE HALL

こうしたアクシデントの記録を正規に商品として販売してしまった例はさほどありません。そりゃ普通は録り直すか、こんなの売らないでくれ、となりますからね。有名なのは1946年にシュナーベルがモーツァルトの協奏曲第23番の第3楽章で度忘れして全然違うことを弾き出し、演奏が止まった例があります。これは海賊盤っぽいレーベル含めて過去に数回発売されています。では正規盤で出たのはといえば、私の知る限りホロヴィッツが多いのです。細かいことを言えば1930年スタジオ録音のラフマニノフ第3協奏曲第3楽章再現部で何をとっちらかったか違う調で数小節弾いてしまった例や、1931年録音のラフマニノフの前奏曲op.23 no.5の後半でおそらく興奮のあまり何を弾いてるかわからなくなってる例があります。これらは録り直しや発売中止も出来たはずですが世に出ました。そのころ本人希望でお蔵入りになった録音も他の曲では沢山ありましたので不思議な「OK」です。で、これらとは違い本人ミスではないアクシデントは1968年11月24日のカーネギーホール・ライブ。ホロヴィッツ・ファンならご存知でしょうが、ラフマニノフの第2ソナタの第2楽章4分06秒のところで、ばちょ~~ん、という音がして弦が切れます。ホロヴィッツはそこから数小節は弾くのですが、ほどなく断念。客席からは拍手が起こります。伝えられている話では、調律師が真っ青になって舞台袖から駆け付け、切れた弦を必死に取り除いている最中、ホロヴィッツは調律師に優しく声をかけてニコニコしながら脇に立っていたとのこと(*1)。当然、弦を取り除き、調整して弾けるようになるまでにはかなりの時間がかかったと思いますが、そこは割愛されています。ホロヴィッツは弦の切れた個所の少し前から演奏を再開し、彼の弾いたラフマニノフのソナタの中でも一段と気合の入った演奏を繰り広げます。お見事なカバーリングです。

EMIL GUILELS en concert

さて、弦が切れたのにずっと弾いていたライブ盤もあります。演奏者はエミール・ギレリス。1966年7月20日、エクサン・プロヴァンス音楽祭のライブ中の出来事です。この日はベートーヴェンのソナタ21番と28番に続き、リストのソナタを弾きました。事件はリストのソナタで起きます。演奏開始から14分33秒後、第2部で盛り上がる395小節の2拍目の右手、fffで叩かれるBがバシッとキレます(参照楽譜の赤矢印の音)。ギレリスは動揺したのか396小節の左手の低音を濁らせます。さらに旋律線内に切れたBの音が出て来る399小節ではBの音の個所で楽譜にはないトリルを入れて瞬発的に繕おうとしたようです。もちろん切れた弦はほとんど鳴らないのでかなり聴き取りにくいですし、トリルにしても何の解決にもなりません。ただ、ホロヴィッツとは違い、ギレリスは演奏を止めることなく弾き続けます。おかげで420小節以降の静かな音階風フレーズではBは鳴らず、「スカッ」とか「カシュッ」とかなんとも哀しい音がします。なにせB-minorの曲なのでBの弦が切れたのは影響大。曲の後半でも至るところで「スカッ」「カシュッ」が淋しく響きます。ただ、演奏自体は実に堂々たるもの。お見事です。

Jorge Bolet plays Chopin, Mendelsshon, Liszt

もう一つおまけに違うパターンの事故記録を。おそらく正規録音盤ではないのですが、ホルヘ・ボレット(*2)が1972年1月5日にニューヨークで行った演奏会のライブ盤です。曲目はショパンのバラード全曲とリストのソナタなど。この日のボレットは好調で、特にバラード4曲はバラード演奏の中でも極上のものという評を読んだことがります。たぶん会場録音なので録音状態自体はあまりよくないものの、素晴らしい演奏と思います。で。このライブで想定外の事態が起きます。せっかくの名演が吹っ飛ぶようなまさかまさかの事態が。曲はバラード第4番。この曲の途中で観客の拍手が入るのです。場所はコーダに入る直前。一瞬静まる前にヘ短調の属和音(コードでいえばC)をfffで叩きますね。この場所で「あ、曲が終わった」と一斉に拍手が沸き起こるのです。確にその直前のボレットのアッチェランドはかなりのものですし、聴いてて昂まる気持ちはわからんでもないですが、音楽的にここは終わらんでしょ、普通。ボレットは拍手が収まるのを待って続きを弾き始めます。この時にボレットが聴衆に対して何らかのジェスチャーをしたのかどうかはわかりません。演奏家にしてみればかなり想定外の事態だったとは思いますが、こういうこともあるのですねぇ。そういえばオケの世界ではフルトヴェングラーが振ったチャイコの5番の終楽章のライブでコーダ前に拍手が起きるという有名な事象がありましたね。ボレットのライブはそれと並ぶ、もしくはそれ以上の想定外フライング拍手のような気がします。ちなみに本当にバラ4が終了した時の聴衆の熱狂はそれはそれは凄いもんです。思わずフライング拍手が出るくらいの稀なる演奏だったのです。

演奏事故物件は原則、世に出ません。ここに上げた諸々の件は演奏よりもドキュメンタリーとして鑑賞すべき類かも知れません。しかし、プロ中のプロの有事に対する振る舞いもまた、音楽を知る愉しみの一つと思います。ぜひとも世にも珍しい事故物件を皆様もお見つけくださり、そこのある演奏家の人間ドラマをご堪能ください。

(余談)
筆者がとある演奏家本人から聞いたアクシデントとしては、ABACA形式の作品を弾いたところ、ACAで終わってしまったというのがあります。本人はCを弾き始めて間もなく気付いたそうで、気分的には真っ青だったとのこと。ただ「結局、誰にも気付かれなかった」と笑い飛ばしておりました。さすがにこのライブの録音があったとしても世に出ることはないでしょうね。ちなみに、その作品とはシューマンのアラベスクです。

(補記)
*1:この時、調律師は舞台袖から新しい弦を抱えてやって来て必死に張り替えたという説もあります。
*2:編注 主に英語圏で活動したため、ジョージ・ボレットという読み方を常用していたとオフィシャルサイトにあります。日本ではホルヘ・ボレットという読み方が現在一般的ですが、かつてはホルヘ・ボレという表記が用いられていました。(スペイン語では単語末尾のtを読まないのが一般的)

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。

吉池拓男の迷盤・珍盤百選 (18) 怒りの修正報告書 シューマン第3ソナタ、謎のフィナーレ

Schumann  Beethoven Studies   Olivier Chauzu(p) NAXOS 8.573540 2016年
参考 Schumann and the Sonata 1  Florian Uhlig(p) hänssler CD 98.603 2010年

怒印 Schumann Concert pour Piano seul Florian Henschel(p) ARS MUSICI AM 1306-2 2002年

Schumann Beethoven Studies – Olivier Chauzu(p)

第3回でNaxosから出たChauzuの弾くシューマンの第3ソナタの謎のフィナーレについてテキトーな推論を書きました。なんと、有難くも畏くもMuse Pressさんが大英図書館のシューマンの自筆譜を閲覧できるようにしてくださいました(編注:問い合わせをした後、いつの間にかサイトで公開されてましたが、問い合わせがきっかけなのかは不明)。さらに有難くも畏くもNaxosさんがChauzuの弾いてる謎のフィナーレの譜面を出版しているサイトを教えてくれました。で、シューマンの第3ソナタのフィナーレに関してかなりのことがわかってきました。

第3回ではシューマンのピアノソナタ第3番に6種のフィナーレがあると書きました。その一覧は、

 発想記号拍子小節数演奏時間 
1836年初稿(自筆譜。Beginningのみ)不明不明不明不明
1836年初稿(別の紙の自筆譜)Prestissimo possibile不明不明7分02秒
1836年初版Prestissimo possibile16分の6拍子714小節7~8分
1853年改訂版Prestissimo possibile4分の2拍子359小節7~8分
Naxos盤のFinale不明(vivacissimo )不明不明5分13秒
Uhlig盤のFinalePresto possibile16分の6拍子不明5分38秒
※Naxos盤の解説にはvivacissimoの発想記号はないが、CDをリッピングするとこの発想記号が曲名表示に現れる

です。

Schumann Concert pour Piano seul – Florian Henschel(p)

で、今回、大英図書館の自筆譜を観て私は激怒しました。同時に、第3回をお読みいただいた皆様に深く陳謝いたします。“大英図書館の自筆譜から第3ソナタのオリジナルバージョンを演奏した”としていたFlorian HenschelのCDですが……違いました。確かに自筆譜を基にオリジナルに近い形で演奏してますが、初稿になくて初版で初めて出たフレーズや後年の改訂版の時に創られたフレーズを弾いていたりしたのです。売り文句とちゃうやんけ、ごるあぁぁ!!ヲジサンはマジに怒ったぞ、CD代返せ! ただし、自筆譜を観たことで嬉しい発見もありました。正体不明だった①(自筆譜Beginningのみ)が確認できたのです。さらに⑤の楽譜の製作に関わった人のサイトで謎のフィナーレの元であるストックホルムの音楽財団が持っているフィナーレの自筆譜断片」も確認できました。

大英図書館の自筆譜(初稿②)はとても読みにくく、時折シューマン本人による達筆のドイツ語でメモ書きがあったり、継ぎ足して書いてる紙が挟んであったり、書いてはみたものの×を付けてカットしている部分があったりします。初稿の分析は研究者による精緻なアプローチ(近々ある、との噂)を待とうと思います。

で、以上の自筆譜情報からわかったこととして……

◆初稿②と初版③のフィナーレは判読しづらいが何か所か違いがあると思われる。ちなみに第1楽章でも違うところがある。一方で「大英図書館の自筆譜を基にした」と標榜していたHenschelの演奏で、違いが著しいと思っていた箇所はHenschelの勝手な変更だったりした。

◆Uhlig⑥とChauzu⑤が弾いている謎のフィナーレは、同じ「ストックホルムの音楽財団が持っているフィナーレの自筆譜断片」から再構成されたものである。この断片にはメモ的な構成指示含めて曲の9割がたが書かれているが、コーダ部分が書かれていないため、現代の人が補作している。⑤と⑥の違いはその補作の違い。コーダの補作違いはもう一つあり、⑤の出版譜に載っている。また⑤と⑥では自筆譜上でシューマンが「×」を付けてカットした小節の扱いに違いがある。

◆①の1836年初稿(自筆譜。Beginningのみ)と「ストックホルムの音楽財団が持っているフィナーレの自筆譜断片」は曲としてはほぼ同じだった。ただし、細部は所々違う。どっちが先に書かれたかはわからない。なお①の発想記号はPrestissimoで、拍子は16分の6拍子だった。

◆フィナーレではないが、第1楽章の別エンディングを確認できた。

で、以上の情報を総合して新たな一覧表です。

 発想記号拍子小節数演奏時間 
1836年初稿(自筆譜。Beginningのみ)Prestissimo16分の6拍子55小節
1836年初稿(自筆譜)Prestissimo possibile16分の6拍子
※2

※3
1836年初版Prestissimo possibile16分の6拍子714小節7~8分
1853年改訂版Prestissimo possibile4分の2拍子359小節7~8分
Naxos盤のFinalePresto possibile16分の6拍子401小節5分13秒
⑪の別コーダ版Presto possibile16分の6拍子398小節⑪と同様
Uhlig盤のFinalePresto possibile16分の6拍子不明5分38秒
※2:⑧の小節数は自筆譜が非常に読みにくくてカウントしづらいので計数を諦めました
※3:Henschelの演奏が必ずしも初稿に基づいていないため、演奏時間は不明としました

まぁ、⑪⑫⑬は書かれなかったコーダ部分を補作した後世の人による違いなので、これらを別バージョンと言うかどうかはちょっと微妙かな。とにかく⑦⑪⑫⑬はほぼ同じ曲で「廃棄されたフィナーレ」、⑧⑨⑩がほぼ同じ曲で「現行のフィナーレ」でした。

これ以上は専門の研究者の領域です。ヲタクの爺さんの手に負えるものではありません。しかし、シューマンの第3ソナタのフィナーレは、大きく分けて2系統、少なくとも計7種類のバージョンがある事がわかりました。これだけでも少しは腹落ちしましたね。それにしても、Henschelめ、許さんぞ、成敗じゃっ!

●補足をひとつ●

Schumann and the Sonata 1
– Florian Uhlig(p)

Naxos盤の⑤の譜面の販売サイトから行ける楽譜製作者のサイトには楽曲の解説も載っています。その中に私が前回指摘した「途中で出てくるモーツァルトの“お手をどうぞ”そっくりの主題」についても言及しています。曰く、これはクララに対するメッセージであると。原曲はドン・ジョヴァンニが他人の嫁さんに「あっち行ってイチャつこうぜ」と誘う露骨な愛の歌ですから、クララへの愛のメッセージなのだと。でも、これはちょっとおかしい。⑤⑥⑦のフィナーレにはロマンスというタイトルの原曲があり、Uhlig盤に収録されています。この「お手をどうぞ」もどきの主題はそこでも使われています。ロマンスの作曲年代は1829年ころで、シューマンは19歳。クララとはすでに出会っていますが、まだ9歳。これでは東京都青少年健全育成条例と児童福祉法に違反してしまいます。片想い含めて女性関係はかなり派手なシューマンとはいえ、そこまでのヘンタイ君ではなかったのではないかと思われます。ま、私の勝手な推測では、ロマンスは19歳ころに懸想していた他の女(しかも人妻か?)が狙いで作ったものであって、1836年頃(26歳)になってから障壁満載の恋愛関係にあったクララに思いを伝える曲として、いけしゃあしゃあと昔のネタを引っ張り出して利用した可能性はないとは言えない、と思いますがどうなのでしょう。

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。

吉池拓男の迷盤・珍盤百選 (17) 弾いてはいけない旋律 ~Google様ありがとう2~

VLADIMIR HOROWITZ The Unreleased Live Recordings 1966-1983 CD30 Orchestra Hall, Chicago April 8, 1979 SONY CLASSICAL
LUISADA SCHUMANN Jean-Marc Luisada(p) RCA SICC 19025 2018年 ほか

(イントロは稲川淳二調でお読みください) みなさん、この世には、“弾いてはいけない旋律”があるのをご存知でしょうか。おそろしい、おそろしい山の神によって封じられた禁断の旋律。旋律はね、確かにそこに書かれてるんですよ。誰にだって見えるんですよ。でも弾いてはいけない。弾いてはいけないんです。弾けば、山の神のお怒りが……アァ、おそろしい、おそろしい。今日はですね、そんなお話です。

さて、弾いてはいけない旋律が存在するのは、シューマンのフモレスケop.20です。この曲の楽譜を観ずに演奏を聴いた人が、その旋律に気付くことは、10-6.5÷58×10≒9割がたありません(数式の根拠は後述)。では気づく1割はどういう場合か。それは禁を犯し、山の神の戒めに背いた猛者たちのプレイに運よく巡り合った場合のみです。

弾いてはいけない旋律のせいでしょうか。シューマンのフモレスケ op.20は「シューマンのピアノ曲の中でも優れた作品の一つ(ピティナ・ピアノ曲事典)」と言われる割には国内版の楽譜が全音からも音楽之友社からも出ていません。かろうじて春秋社のシューマン集の第4巻に収められている程度です。この旋律の存在に気付かせないようにしているのでしょうか。あぁ、おそろしや、おそろしや。

R. Schumann – Humoreske

さて、フモレスケの構成はWikipediaに従えば7つの部分からなります。このうちの第2部 「Hastig(性急に) ト短調、4分の2拍子」の譜面を観ると、通常のピアノの2段楽譜の真ん中にもう一段、(Innere Stimme)と書かれた旋律があります。Innere Stimmeとは「内なる声」。これが「弾いてはいけない旋律」なのです。ただし、この旋律をどう扱うかはシューマン自身は何の指示も残していません。春秋社から出ている井口基成版の譜面には「この“Innere Stimme”ということころは実際には弾かれない。しかし演奏者は音列の動きの中にこの声を感じとっていなければならない」と注釈があります。では「弾いてはいけない」とは誰の戒めなのか。ヘンレ版楽譜の解説にそれは記されています。1883年にシューマンの山の神クララがフモレスケについて書いた手紙。要約すれば「この旋律を弾いてはいけないわ。感じるのよ。夫だってそう思っていたに違いないわ。」 つまり、この旋律は、

Don‘t Play, Feeeeeel !! 

なのです。この旋律を弾くことは、クララ神の逆鱗に触れるのです。弾かずに感じるものなのです。

でも、この旋律、いくら演奏者が Feeeeeel !!してても聴き手にその存在が伝わるのでしょうか。よく見るとタイがあったりスラーがあったり休符があったりします。確かに右手の細かな音型の中からInnere Stimmeの音を拾うことは出来ますが、タイ、スラー、休符は無理のような気がします。では実際の演奏はどうか。ここで第7回に続いてGoogle Play Music(GPM)様の登場です。GPMで「Schumann Humoreske Hastig」で検索すると58種類の演奏が出てきます。

分類演奏者名(GPMの表記のまま)人数
「内なる声」弾かず (Feeeeelは困難)Weiss、グリーンバーグ、アシュケナージ、ルプー、クエルティ、Ghraichy、ジョルダーノ、Carbonel、Ohmen、Fröschl、アラウ、W.ケンプ、コロンボ、ダルベルト、アックス、Ciocarlie、Fejérvári、Cantos、ロス、Golovko、Kano、ローズ、クーパー、Yang、カテーナ、フランクル、デームス、河村、Beenhouwer、Ehward、Cai、Lin、Cognet、ゴンサレス、ゴラブ、ル・サージュ、マルティ、Collins、Maltempo、Horn、Cheng、Granjon、F.ケンプ、Liao、Cha、Baytelman、アンデルジェフスキ、ベルンエイム、Gamba、ジョルダーノ、Laloum51
「内なる声」の一部分だけを弾くHorowitz
「内なる声」を弾いてしまうリヒテル、クイケン、Gorbunova、ルイサダ、シュミット、メルレ

山の神クララが「弾くな」と言っているのに弾いちゃってる人、いますねぇ。しかも大物まで。

VLADIMIR HOROWITZ The Unreleased Live Recordings 1966-1983

この中ではやはりというか流石がHorowitz(録音はライブで3種類)。彼は「内なる声」の出だしの一部だけを弾き、「あれれ?もう一つ旋律がありそでなさそでなんだろな???」という状況を創り上げます。これなら聴き手も多少Feeeeel!できるかもしれません。見事な演出法です。特に1979年4月8日のライブで弾いた際は、1回目は「内なる声」を少し弾くものの、繰り返しの際はほとんど弾かないというニクい演出もしてきます。この“繰り返しでは弾かない”はこの日の演奏だけで、その直後の2回の演奏会では繰り返しでも「内なる声」を部分演奏します。ただ、Horowitzは「内なる声」の後半の休符のところに音符を付け加えて旋律線を創ってしまうということもします。ですので、譜面に書かれた「内なる声」を完全に感じ取るのは不可能でしょう。ですので「内なる声に気付く計算式」でHorowitzは0.5カウント。GPM上の58人の演奏で、0.5+6=6.5人が「内なる声」を奏でるので先述の計算式となります。

LUISADA SCHUMANN
Jean-Marc Luisada(p)

さて、完全に弾いちゃった6人の中で「内なる声」を最も綺麗に歌わせてるのがルイサダ(新録)です。時折、旋律を鳴らすタイミングを拍子から微妙にずらしたりして「内なる声」を情感豊かに際立たせます。タイやスラーや休符もきちんと表現しています。聴き手もこの演奏で初めてシューマンの書いた「内なる声」の実態がわかるのです。山の神が何と言おうが、作曲家が書き込んだ音符をきちんと伝えるんだという決意が伝わってきます。シュミットもメルレもGorbunovaも同様に弾いてはいますが、ルイサダの方が「内なる声」の扱いが丁寧と思います。リヒテルはまさにHastig(性急に)といった感じでこの第2部に挑み、高速フレーズをバックに「内なる声」を打ち響かせます。でも「内なる声」の表出具合としてはちょっと荒いかなぁ。右手の高速フレーズが内なる声と同じ音を叩くときの音が大きすぎて、「内なる声」が付点付きのポップな旋律に聴こえてしまうところが多々あります。まぁ他者と比べて圧倒的にテンポが速くて勢いがあるので仕方ないのかもしれません。もっとも奇妙な演奏は、年代物のピアノフォルテで演奏したピート・クイケン盤。何度聴いても連弾に聞こえます。フモレスケの他の部分の演奏ではこんな聴こえ方はしないので偶然かとは思いますが、この書法が作曲当時のピアノなら醸せた効果だったとしたら、それはそれで面白いことかもしれません。

弾いてはいけない、と言われてすごすご引き下がるようではいけません。他の奴が弾かないなら俺が弾く、俺のピアノでFeeeeeel!!!させてやる。人前で芸をする人はそれくらいの根性が必要です。なお、何の予備知識もなしにこの譜面を見ると「Innere Stimme」は“単なる内声の旋律”に見えるので、ただ素直に弾いちゃった人も6人の中に含まれているような気がしますが、ま、そこは気にしないで行きましょう。

(補記)

  1. 弾いていない58人の中に細かく動く右手のフレーズから「内なる声」を出そうとしたのではないかと思わせる人は何人かいます。たとえばFilippo Gambaとか。しかし、タイや休符含めて感じさせようとした、までは行っていない気がします。
  2. 諸々の引用は文中に記してあります
  3. 井口基成版の注釈の出典はわかりません。クララの手紙は未公開資料だったので、井口が知っていた可能性はあまり高くない気がします。井口本人の解釈の可能性もありますが、詳細不明です。
  4. ありがたいGoogle Play Music様はまもなくサービスが終了します。どうやらYouTubeに吸収合併されるようです。使い勝手が落ちて欲しくないなぁ。

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。

吉池拓男の迷盤・珍盤百選 (16) アメリカ巡業万歳 ~100年の時を超えて~

Anton Rubinstein  Marius van Paassen(p) ATTACCA Babel 8741-4 1988年頃
Live at Carnegie Hall Wibi Soerjadi(p) PHILIPS 456-247-2 1997年

19世紀ロシアの大ピアニストにして作曲家アントン・ルビンシテインのop.93は、「色々な作品集」と題され、おそらくは書き溜めていた大小さまざまな24曲が寄せ集められています。この中に1曲、桁外れに規模が大きく、全曲演奏すると30分近くかかる大変奏曲があります。その名も「Variations sur l’air Yankee Doodle」。和訳しましょう、「アルプス一万尺による変奏曲」です。楽譜はIMSLPにありますのでご覧いただければと思いますが、荘重な序奏に続く主題、そして40くらいの変奏からなる力作です。

作曲のきっかけは1872年のアントン・ルビンシテイン・アメリカ大巡業でした。この時の演奏旅行は8か月に及び、演奏会の数はなんと215回。8か月と言うと240日くらいですから、連投に次ぐ連投の地獄の“営業”だったと思われます。しかし、おかげでしこたま儲けたそうで、帰国後に現地で聴いたメロディを基に気をよくして書いたとされるのがこの変奏曲です。変奏曲というわりには、主題があまり崩されずに繰り返し出てきます。かなりの時間「アルプス一万尺」のてんこ盛りとなります。これが実はなかなかにキツい。

【キツいとこその1】

日本人にはこの曲は「アルプス一万尺 小槍の上で アルペン踊りを踊りましょう」の歌詞が幼時体験的に染みついています。なのでメロディが聴こえるたびに呪文のように歌詞が脳内に木霊し、アルペン踊りを踊りたくなります(*1)。さらに筆者の場合はもっと深刻で、昭和3年生まれの父親が酔っぱらうと「どうせやるなら でっかいことやろう 奈良の大仏 屁で飛ばそう」と歌っていたものですから、大量放屁誘発音楽にしか聴こえません。前述したように変奏曲のくせにメロディーが温存されて繰り返し出てきます。キツいです。さらにこれらの歌詞に続く部分は「らんららんららんらんらん」ですから、脳内御花畑が満開咲き乱れとなります。とてもキツいです。ちなみにWikipediaによれば原詞もあまりろくな内容ではありません。

【キツいとこその2】

かように人口に膾炙されまくった脳天気快晴音楽なので、この曲を人前で弾くこともさることながら、練習することすら……恥ずかしい……感じになります。とはいえアントン・ルビンシテインの作品ですから結構難しいのです。なのにアルペン踊り(筆者は大量放屁)の連呼ですから、「いいのか俺、こんなことしていて本当にいいのか、もっと他にやるべきことがあるのではないか」と、レパートリーにしようと思った自己嫌悪との戦いがピアニストの前に立ちはだかります。ここまでピアニストにその在り方を迫る難曲は、グレインジャー編曲のチャイコフスキーのピアノ協奏曲独奏版(序奏部だけで見事終了)、クルサノフ編曲の「渚のアデリーヌ」くらいかも知れません。

Anton Rubinstein
Marius van Paassen(p)

かような困難を克服し(?)、1987年にこの曲を録音したのはオランダのピアニスト、Marius van Paassenです。デビューアルバム「20世紀音楽の中の動物たち」が即完売になった経歴を持ち、最近は自作曲のアルバムなどを出しているようです。1986年にルビンシテイン作品のコンサートを開き、翌年このアルバムを録音します。Paassen氏はその間1年以上アルペン踊りを踊り続けたと思われます。さすがのPaassen氏もこの曲の指示する繰り返しはすべては行いません。全曲を23分30秒で弾いていますが、もし原曲の繰り返しをすべて行っていたら30分程度になったと思われます。だって、無理ですよ、この曲……らんららんららんらんらん……ですからねぇ。ともあれ、よくぞ、ここまでやってくれたものです。

Live at Carnegie Hall
Wibi Soerjadi(p)

さて、アメリカ巡業から帰国後の作曲なので、ルビンシテイン本人はこの長大変奏曲をアメリカでは弾いていないと思われます。では、こんな感じの曲をアメリカ人の前で弾いたらどんなリアクションになったのか。それを彷彿とさせるアルバムがあります。Paassenと同じオランダのピアニスト、Wibi Soerjadiがルビンシテインのツアーからおよそ120年後の1996年11月22日にカーネギーホールで開いたコンサートのライブ盤です。Soerjadiは19世紀以来の伝統に則り、その場のお客さんにウケそうな曲、たとえば人気ミュージカルナンバー、映画音楽などを豪華絢爛なピアノ曲に仕立てて弾くことを“お約束”にしています。で、この日のコンサートのラストを飾ったのが、Soerjadi自作の「アメリカ幻想曲(*2)」。盛大なアルペジオとオクターブ進行でアメリカの楽曲をド派手に飾り付けた7分弱のお見事お馬鹿ピアノショーピースです。当然この日の演奏会のラストの出し物。19世紀ッぽい盛り上がるイントロに続いて「星条旗よ永遠なれ(国歌の方)」がブ厚い和音と駆け巡るアルペジオで始まると、会場からはやんややんやの歓声と大拍手! その後、アメリカの古典的人気ナンバーが次々と出て、ラスト2分くらいは、いよっ、待ってましたぁ!「Yankee Doodle(アルプス一万尺)」のオンパレード!あの手この手でアルペン踊りをデコレーションしてから最後にもう一度国歌を朗々と歌い上げて、19世紀スタイルの華麗なるエンディングでフィニッシュ。会場は歓喜の絶叫に包まれます。ピアニストも聴衆もいいノリで、この日の演奏会はまさに“熱狂的”だったと伝えられています。ほんと、見事な“営業”です。

筆者にとっては大量放屁の誘発音楽でも、海を越えた世界ではそのパワーは国民のアイデンティティとなり、愛国の坩堝の絶頂へと誘う。音楽というものは本当に奥が深いとしみじみ感じ入る2曲でございました。

*1)昔から山好きの間では議論となっているが、アルペン踊りがどういう踊りかは全く不明である。また「小槍」は北アルプスの槍ヶ岳の脇に実在する岩峰で標高は3030m、ちょうど一万尺となる。ただし、岩登りの専門家しか登れない急峻な岩峰で、その頂上は極めて狭く、とても踊りを踊ることは出来ないといわれている(ネット上にはチャレンジ動画多数)。なお「小槍」を「子山羊」と聞き間違えて動物虐待ソングと思うのは定番のあるあるである。

*2)冒頭部分に欠落があるが、Soerjadiが別の機会で弾いた「アメリカ幻想曲」の動画がある。

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。