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アルメニア音楽の歴史を語る上で絶対に欠かせない作曲家であるエドゥアルド・バグダサリアン。彼の代表作である「24の前奏曲」は長年絶版で大変入手困難な楽譜でしたが、彼の作品のスペシャリストであるピアニストのラフィ・ベサリアンによる入念な校訂を通して21世紀に再び蘇ります。
24の前奏曲 第6番(演奏:ラフィ・ベサリアン)
校訂者 ラフィ・ベサリアンによる楽曲解説
『24の前奏曲』は、非常に多種多様なスタイルで作曲され、全長調と短調を網羅している。1951年、1953年、1954年、そして1958年に6曲づつ4度に渡って作曲され1961年に初出版された。特異な発想、充溢した比喩的イメージ、濃厚で新鮮なハーモニーの表現、民謡に感化され更にバグダサリアンによってより濃くされたアルメニア音楽の色彩はこの作曲集特有のものである。更にバグダサリアン自身の流暢な鍵盤さばきが様々なピアノテクニックを用いた多種多様な個々の前奏曲の作曲を発展する根源となったのであろう。第2番は舞曲であり、アルメニア民謡の中でももっとも流行したスタイル、そしてこの作品集内でもよく使われているジャンルである。それとは別に第3番は東洋風のプレストエチュード。そして、第4番は技巧的なトッカータ。もっとも表現豊かでロマンチックな壮大たる第6番は、色彩豊かでヴィルトゥオージックな『絵画』であり、アルメニアの広大な風景を連想させ、前奏曲集のハイライトと言える程の代表的な作品である。エスニックな遊び心にジャズ的な要素を含みながらも中間にベースラインのソノリティーが駆動する第7番。儚い美しさの中にニューエイジ音楽を仄めかす第8番では、上品に透明感のある印象主義的なカラーをも纏う。第9番は優雅なメヌエット。そして、第11番でバグダサリアンは、ひとつの独特なフィギュレーションを曲全体において発展させ、ミステリアスなトランクイロ(A部, A’部)が底力のあるダンスのような展開部(B部)と見事に並置される。印象音楽のようにはじまる第14番はやがて情熱的なラフマニノフのように中部で迫力とドラマを伴う。第18番はショパンのような親密なノクターン。短い曲である第23番のトッカータは本作品集内のもうひとつのクライマックスとなり、痛烈かつ刺激的である第24番はそのラプソディックな気質にとても感動的なアルメニア歌曲のようなメロディーをたずさえる。まるでバラードのように。
エドゥアルド・バグダサリアン(Eduard Baghdasarian)
アルメニア音楽の近代発展において重要な存在である。輝かしいピアニストであり作曲家、そして教育者でもあったバグダサリアンは彼の故郷であるアルメニア共和国により1963年に『名誉芸術家』と命名された。エレヴァンのコミタス音楽大学でG.V.サラジェヴ氏(ピアノ)とG.I.イェギザリアン氏(作曲)の門下よりピアノ科と作曲科の両課程で学位を取得。その後1951年から1953年の間、モスクワでG.I.リティンスキー氏のもとで博士号を取得する。その間、1953年にバグダサリアンはアルメニアの遠隔地へ旅をしながら各地の民謡などを収集し、そのメロディーを彼自身の作曲に次々と用いた。(まさに『アルメニア音楽の父』と呼ばれるコミタス・ヴァスルダペットが20世紀初頭に行ったことと同じである。)バグダサリアンはロマノス・メリキアン音楽大学教授を勤めたのちエレヴァン・コミタス音楽大学の教授となった。
バグダサリアンは全ての音楽ジャンルに精通し、クラシック、ジャズ、ポップや付随音楽を作曲し、アルメニアの中世音楽を編集した作品集まで見事に作り上げた。彼がほぼ全てのジャンルでの作曲を手がける。そんな中、バレエ曲『チェス』(1960)とピアノ協奏曲(1970)は、もっとも有名と言えることができ、バグダサリアンの創造性の主な焦点はピアノを用いた楽曲にある。彼の素晴らしい感性とピアノという楽器の性質に対する理解力は、最高度の表現を用いた作曲を可能にした。アルメニア民謡や伝統音楽を根元に、またそこに自然と繋がる彼自身のピアノ楽曲のスタイルを開花する事が出来たのである。バグダサリアンの作品の中で是非ここで記載しておきたいのは、ピアノ五重奏、24の前奏曲、クラリネットとピアノのためのソナタ、ピアノのためのアルメニアン・フォークダンス作品集、そしてかの有名なヴァイオリンとピアノのためのラプソディーとノクターン。バグダサリアンは度々、彼自身の作品の初演コンサートを行ったことでも知られている。
ラフィ・ベサリアン
「ホロヴィッツらのロシアンピアニズムの正統を受け継ぐ存在」(ショパン誌)、「伴盤の奇才」(フ ァンファーレ誌)、「威厳ある存在と解釈の天分に恵まれた驚異のピアニスト」(アメリカン レコー ドガイド)、「力強く切れのよいタッチ、たっぷりと情緒のこもる表現を聴かせるなど高い水準を行く充実したリサイタルはこのピアニストへの注目をうながすに十分だ」(レコード芸術)と称賛され たラフィ・ベサリアンは、人を引きつける魅力と情熱によりその国際的な名声を確立した。
アルメニア・エレバン生まれのベサリアンは、特別英才児のためのチャイコフスキー音楽学校で学んだ後、エレバン・コミタス音楽大学で音楽修士号、及び博士号を取得。更に米国ローワン大学、ニューヨークのマンハッタン音楽大学で学位を取得。セルゲイ・ベルセギアン、著名なアメリカのピアニストであるバイロン・ジャニスに師事。モスクワ国立音楽院においてアレクセイ・ナセドキン、ヴィクター・メルジァノフ、ナウム・シュタルクマンに師事し研鑽を積む。ジョセフ・ホフマン国際コンクール、ニューヨーク フリンナ・アーバーバック国際コンクール、 アーティスト国際コンクールなどでも優勝。北米南米、ヨーロッパ、ロシアそしてアジアで演奏活動を繰り広げ、彼の演奏は2003年のカーネギーホールデビューをはじめ、ニューヨークのマーキンホール、ケネディ―センター、シカゴ・オーケストラホール、アトランタ・シンフォニーホール、デトロイト・マックス・フィッシャーミ ュージックホール、モスクワ音楽院ラフマニノフホール、ロシアのマリーザル、そして日本ではいずみホール、フェニックスホールなど名声ある会場において喝采を受けてきた。