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大練習曲 第9番「春」
大練習曲 第10番「嵐」
大練習曲 第11番「悲劇的」(左手のために)
大練習曲 第12番「山嶺」
イェディディアの24の練習曲、最初の12曲を締めくくる曲集です(元々12曲として構想され、のちに後半12曲が2012〜2020年にかけて作曲されました)。
大練習曲第9番『春』は1995年に作曲され、世界的ピアニスト、マルタ・アルゲリッチに捧げられている。ホ長調の右手のための三度のヴィルトゥオーゾ的練習曲。
大練習曲第10番 ロ短調は、1996年8月に作曲された。『嵐』という副題が付けられ、ピアニストのイーヴォ・ポゴレリチに捧げられたこの曲は、両手のためのユニゾンの練習曲で、鍵盤上を暗く大胆に駆け巡る。
大練習曲第11番 変イ短調は、1996年12月末に作曲された。『悲劇的』という副題が付けられた左手のための練習曲である。この曲の暗い響きは、イェディディアに自らの悲劇的な最期を想起させ、彼は自分自身にこの作品を捧げることを決意した。 2人の偉大な作曲家が、異なる視点からこの曲にインスピレーションを与えた。
大練習曲第12番『山嶺』は、プロコフィエフのピアノ協奏曲第3番の冒頭を想起させる素早い右手のテトラコードの練習曲である。透明感があり、左手のベースラインが明るく響くこの曲は、副題の『山嶺』を強調し、まるで飛翔するかのように、巨大な山々の間や上空を滑空し、多様な風景や色彩を見渡すことができる。
ロン・イェディディアの作品は過去20年間に国際的な注目を浴びるようになりました。彼の作品は世界の主要なコンサートホールで取り上げられている他、映画、ラジオ、テレビ番組にも登場し、彼の作曲家兼ピアニストとしての地位を確かなものにしています。
1960年、イスラエルのテルアビブに生まれ、幼い頃からアルフレッド・コルトーの弟子であったプニーナ・ザルツマンのもとでピアノを学びました。8歳にして「Young Concert Artists Competition of Israel」で第1位を受賞しピアニストしてのキャリアをスタートさせましたが、15歳で作曲家の道に進むことを決意します。1984年にジュリアード音楽院の作曲科に進学しデイヴィッド・ダイアモンドやミルトン・バビットの元で研鑽を積みながらLincoln Center Scholarship、the Irving Berlin Scholarship、Henry Mancini Prize、the Richard Rodgers Scholarship等の主要な賞や奨学金を贈与された他、1987年と1989年にはジュリアード作曲コンクールに入賞しました。
1991年に同音楽院の博士課程を卒業した後は当時の現代音楽の流行からの脱却を決意し、伝統的な旋律 - 和声 - 形式 - 耽美主義 - 和声感 - ドラマ性 - 対話性の再構築に乗り出しました。彼はフォークやジャズといったクラシック以外のジャンルも愛好しており、これらの音楽が根源的に調性に基づいていることから、彼の音楽語法の拡大に結びつきました。彼は現在まで、独奏から大編成オーケストラ作品、宗教音楽やフォークソングなども生み出しています。2007年5月にはオーケストラ作品「ステップ・イン・ザ・ワンダーランド」の世界初演がイスラエル・フィルハーモニー管弦楽団によって行われました。主な作曲委嘱元には サン・アントニオ国際ピアノコンクール(ラプソディー、2006年)、 シアトル室内楽協会(ピアノとクラリネットとチェロのためのトリオ、2007年)、 ニューヨークのZamir Choraleがあり、2009年には、マンハッタンのBaruch Performing Arts Centerで開催されたThe Concert Meister Seriesのレジデントコンポーザーを務め、数々の作品がベルリン・フィルハーモニー管弦楽団等の著名なオーケストラによって演奏されました。
1994年にはワンダ・トスカニーニ=ホロヴィッツの依頼によりウラディミール・ホロヴィッツの未出版ピアノ作品の校訂と録音にも携わっています。 現在までにイェディディアの作品は、EMIやナクソス、ソニーBMGなどの大手レーベルにも収録されました。イギリスのレーベル・Altarusによってリリースされた自作自演アルバム『Yedidia Plays Yedidia』は世界中の作曲家やピアニストから注目を浴び話題となりました。また、ニューヨーク・ピアノ・アカデミーの創設者でもあり後進の育成に力を注ぎ多くの作曲家やピアニストを育て上げています。