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2017年のサントリーサマーフェスティバルにて取り上げられ、一躍再評価の高まった大澤壽人のピアノ独奏曲「ウッドブロックス」の初出版です。大澤作品を取り上げているピアニスト・小倉直子による校訂と音楽学者・生島美紀子の作品解説付きです。
生島美紀子による作品解説より抜粋
大澤壽人(おおさわ・ひさと、1906-53)は神戸に生まれ、戦前に欧米で認められた天才作曲家である。ボストン交響楽団を日本人として初めて指揮し、自作自演のパリデビューでも喝采を浴びた。帰国後は暗い時局と欧米と母国楽壇との落差に直面したが、ラジオや映画の世界に活動を拡げ、47歳で急逝するまでに1000に近い作曲・編曲作品を遺した。以降長らく幻の存在だったが、没後半世紀を経て再評価が急速に進んでいる。
大澤の創作期は、Ⅰ:留学前(1922-29年)、Ⅱ:ボストン・パリ留学(1930-35年)、Ⅲ:帰国から終戦まで(1936-45年)、Ⅳ:戦後から晩年まで(1945-53年)の4期に区分される。〈ウッドブロックス〉はⅡ期の作品で、1933年5月23日に完成した。当時の大澤はボストン大学音楽学部とニューイングランド音楽院に籍を置く学生ながら、新進の前衛作曲家として同地で注目の存在だった。作品発表会もボストン日本協会の支援を受けて既に開いており、本作品はその2回目となる1934年5月25日「作品展」において初演された。ピアノ独奏を担当したのはボストン大学のレイモンド・ヘイヴンス講師で、〈ウッドブロックス〉は〈シンバル〉と対を成す形で、《トゥー・サウンド・ノーツ》という作品名の下に発表された。
自筆譜には英語で「旧い芝居の場面から」と書き込まれている。 また、書簡に「作品名はオリエンタルの打楽器からのサウンド・ノート」という言及があることから、〈ウッドブロックス〉は拍子木のイメージと推定される。これを証明するのは〈シンバル〉の方 で、後に交響組曲《路地よりの断章》第6曲〈銅鑼〉に編曲された際、 初演時のオーケストラ編成で用いられていたウッドブロックス が、再演時には拍子木に変更されている。