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ファルハド・プペルによる作品解説
福間洸太朗氏からバッハに関連したピアノ独奏曲を書いてみないかと打診されたとき、私は大変感激し、この曲を書くことを決意しました。この作品はドビュッシーが言ったように“すべての音楽家が己の凡庸さから身を守るために祈りを捧げるべき慈悲深い神”である偉大なヨハン・ゼバスティアン・バッハへのラブレターです。バッハへのオマージュとして書かれた作品の多くは、彼の対位法における卓越した技術を強調していますが、私はこの作品では別のものを強調したいと考えました。それは彼の劇的で構造的な和声と調性の使い方、そして精巧な旋律です。バッハは先人たちが築いた調性の可能性を前例のないレベルにまで高めましたが、興味深いのは、当時は和声を教えるメソッドが存在しておらず、彼が声部進行の知識、手や耳を使い自らの力で独自の言語を確立したことです。そのことを念頭に置きつつ、曲中の基本的なセクションが和声的な特徴によって分割された、バッハと同じような和声の緊張と解決を持ちながらも、現代的な和声と変則的な声部進行を持つ作品にしようと考えました。精巧なメロディを持つ暗いセクションは、“Chahar-Gah”と呼ばれるペルシャの旋法に由来する動機で開始され、やや型破りな2つのパートを伴って展開します。疑似的なフガートの構造(ここでも和音の響きが強調されています)で展開し、クライマックスの不協和音に到達します。その後、より伝統的な和声や声部進行を用いた穏やかな中間部へと移行していきます。この部分では、バッハ自身も複数の作品で使用した有名な合唱曲 “O Welt, sieh hier dein Leben”の冒頭のフレーズが使われており、展開部の動機を伴って曲のクライマックスを迎えます。その後コーダでは2つの主旋律が穏やかに重なります。
この作品は2層構造になっています。根底にあるのは、暗闇から光へと向かう構造です。もうひとつは、バッハのミサ曲 ロ短調の中の“Cum Sancto Spirito”から発想を得たもので、左右対称の構造になっており、穏やかな合唱を伴う中間部分に到達します。この部分に関して私は、人生に行き詰まりを感じていた人が(中間部でイメージされる)バッハへの旅を通して精神的な充足感を得た後、心の闇が裂けるかと思われたが、実際には光と闇の両方が融合して調和しているような様子を想像しています。
福間洸太朗氏の演奏を聴いてまず気がついたのは、色彩のニュアンスを見事にコントロールしているということでした。彼のこの驚くべき音楽性が作品全体を通して私は大きな感動を覚えました。例えばコーダでは、2つの声部をあたかも遠くにある別々の楽器のように演奏することになっていますが、彼は非常に忠実にこの部分を再現してくれています。
ファルハド・プペル
イランのイスファハーンに生まれたファルハド・プペルは、“豊富な知識と優れた能力を持つ正統派の音楽的思想家。彼の今後の成長が楽しみである。”(サイモン・モンディー / International Festival Review) と評され、彼の音楽は、“瞬時に聴衆の注意を引く音楽。幽玄なものであれ、激しいものであれ、ハーモニーとメロディは愛と情熱、色鮮やかな音の風景と融合している”(ジェフリー・ビーゲル / The Great American Pianist)と評されています。彼の作品は、サントリーホール(日本)、ラ・ロック・ダンテロン国際ピアノ音楽祭(フランス)、ヤナーチェク音楽アカデミー(チェコ)、カールスクローナ国際ピアノフェスティバル(スウェーデン)、Windsor Capitol Theatre(カナダ)、Stoller Hall(イギリス)等、世界各地のコンサートホールや音楽祭で演奏されており、演奏には福間洸太朗、マーガレット・フィンガーハット、ペーテル・ヤブロンスキー、ダニエル・グリムウッド、クリスティナ・ズナメナチュコヴァなどの著名な音楽家が関わっています。その他、ウィンザー交響楽団やオランダのラジオ局Radio 4(オランダ)等でも取り上げられています。彼の音楽は各地で高い評価を得ており、「Road to Bach for piano solo」(福間洸太朗)や、「The Legend of Bijan and Manijeh for Piano, Choir and Orchestra」(ジェフリー・ビーゲル、ウィンザー交響楽団初演)などの委嘱を受けています。プペルは9歳の時にペルシャを起源に持つダルシマー(サントゥール)という楽器を通して音楽に出会いました。その後すぐに、Amin Savabiにピアノの手ほどきを受け、最終的にはイランの偉大な作曲家であるSaeed Sharifianのもとで5年半にわたり和声、対位法、作曲を個人的に学びました。独立して半年後には、カナダのウィンザー交響楽団によって初演された「Zayande-Rud for string orchestra」を書き上げ、国際的なキャリアをスタートさせました。