吉池拓男の迷盤・珍盤百選 (4) 破門された子分の独白

Coleman Blumfield piano – SONORIS SCD5151 1993年

Coleman Blumfield piano

へい、組を破門されたコールマンっつうのは確かにあっしの事です。組に居たのは昭和31年から2年ほどっすね。厳しい親父で、子分は7人くらいいたんですが、次々破門されちまいまして、組に残れたのはジャニス兄貴、グラフマン兄貴、あと弟分のトゥリーニの野郎くらいでっさ。あっし含めて破門された奴らは、組に居たことを名乗ることも許されねえし、その後のしのぎもさんざんでさぁ。あ、デイヴィスの野郎だけは、組に入った時点でもう一端の仕事人だったんで破門されても上手くやってたな。

組に入ったいきさつですかい? まぁ、親父もあの世に行っちまったんでお話ししますよ。

あっしは最初は別の組にいたんでさぁ。その別の組でも冴えねえ下っ端だったんですが、大姐御の紹介で親父に会わせていただき、ラッキーなことに仕事っぷりが気に入られてお世話になることになったんですわ。親父と言えば雲の上の上の上のお人でしたから、その時は天にも昇るような、ほんとに夢のような気持ちになりやした。そこから2年、みっちりしのぎを叩き込まれたんっすが、どうも覚えが悪くて親父に見限られたっていうとこでさ。無理ないっすよ、親父は超天才っす。化け物っす。誰も親父のようにはできないっす。しかも親父は教え方が気まぐれで、散々振り回されましたわ。恨んでるかって? うーーーん、確かにわだかまりはありやすが、親父の仕事が凄すぎて破門されてからも憧れの的でしたっすね。とにかくあの親父は別格っす。誰もかなわないっす。いや、もう逝っちまったんで、誰もかなわなかった、っすね。

平成の元年に親父が亡くなったんで、破門されたあっしですが、ま、怒るお方もおりやせんので、勝手に追善興行をさせていただきやした。世間様は情け深い人が多ござんして、こんな破門されたあっしの興行を結構褒めてもらえましてね。それで今度しぃーでーを出そうかって話になりまして、追善興行の演目で演らせていただきやした。おや、よくよく考えたら、あっしの初アルバムですかねぇ。南米の熱帯雨林でもあっしの過去仕事は見つからないそうで。ま、嬉しいやら、悲しいやら、ってとこっすかね。

追善興行しぃーでーの内容ですかい? 嬉しいですねぇ、聞いてくださるんすか。お話ししやしょう。

まずは親父お得意のすかるらってぃから3つ。皆親父が演ってたもの(L.23,203,164)でっさ。親父ほどキリッとは演れませんが綺麗でっしゃろ。続きますはしうべるとの90-3。親父は2種類演ってたんですが、あっしは変止の方で演りやした。お次は親父の肝煎り、展覧会の絵っす。親父は帳面に仔細を残してくれなかったんで苦労しやしたよ。でも、だいたい親父の作法で演ってやすよ。最後もちゃんとデレデデレデデレデデレデって思いっきり演りやしたよ。細けえこと言やあ、ちょこちょこ違うところはありやすが、ま、破門された身なんでご愛敬ということでご勘弁を。親父の好きだったしよぱんからは、ばらあどのピンを演らせていただきやした。親父みたいに低音ドカーンと、しかも中入りでかまさせていただきやした。ちょっと雑? へっ、しょせん破門された野郎ですよ。最後は親父がバリバリだった頃の十八番、さんさんすの死の舞踏。追善のケツにはうってつけですわな。もちろん親父のようには行かんかったですが、結構気張らせていただきやした。南無阿弥陀仏。

へ? 親父の名前ですか? ウラディミール・ホロヴィッツいいます。あっしですか? あっしの名前はコールマン・ブルムフィールドっす。ま、ほとんどどなたもご存じないですがね。


以上、グレン・プラスキン著「ホロヴィッツ」第19章:九十四丁目の音楽学校、から筆者による勝手な翻案。

補足資料:Wikipedia英語版 Vladimir Horowitz よりStudentsの項に掲載された7人の弟子。カッコ内は弟子入りしていた時期。晩年には何人かのお友達的門人(ペライアなど)を受け入れている。

この7人のうちピアニストとして華々しいキャリアを築けたのは、ジャニスとグラフマンのみ。デイヴィスは(Wikiによれば)生涯に12枚のアルバムを発表する程度の活躍は続けられた。

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。