吉池拓男の名盤・珍盤百選(31) 魔煮悪ピアノコロシアム バトルChopin op. 34-1

Rudolph Ganz(p) Guild Historical GHCD2377
Wilhelm Backhaus(p) Archipel ARPCD0333 など
Arturo Benedetti Michelangeli(p) Profil PH18063 など
Sergio Fiorentino(p) KLASSICSOTAKU CD-8022
Ignacy Jan Paderewski(p) APR APR6006
Arthur Rubinstein(p) IRON NEEDLE IN 1313 など

アナウンサー:お待たせいたしましたっ! 時空を超えた音楽バトル、魔煮悪ピアノコロシアム2021、いよいよ開幕です。本日の解説は魔煮悪音楽大学非常識講師の吉池拓男さんです。吉池さん、どうぞよろしく。

解説:よし、行け、ヲタクの吉池です。どうぞよろしく。

アナ:本日のコースはFC34-1(※1)。吉池さん、見所は?

解説:コース製作者Frédéric Chopin氏の作品の中では難易度は低めです。しかし、途中6回ある「プラルトリラーから急速音階駆け上がり(譜例1)」をどう魅せるかが勝敗の決め手になりますね。ここで規定通りのポイントまでの駆け上がり、ま、これをシングルと言いますが、シングルだけでは予選通過すら難しい。さらに1オクターブ上まで駆け上がるダブル(譜例2)を決めないとメダルは狙えませんね。

譜例1:シングル
譜例2:ダブル

アナ:ダブルは確かに華麗ですが、規定を外れた反則なのではないですか?

解説:いやいや、Chopin氏の手書きの規定書には4番目の音階駆け上がり、いわゆる第4駆にダブルが書いてあるものがありますし、Petersから出版されているNew Critical Editionには第3駆と第4駆のossiaにダブルを載せています。19世紀にはこういうvariantがあったようです。ただ、コース途中の第3・4駆でダブルをかましてもお客さまは喜びません。やはり終盤間際の第5駆、第6駆の勝負ですね。

Rudolph Ganz(p)

アナ:わかりました。さあ、いよいよ最初の選手の登場です。最初の選手はスイス代表のGanz1920選手。あまり名の知られた選手ではありませんが、コース製作も得意と聞いています。さあ、スタートしましたっ!

解説:なかなかに速めでそれでいて優雅な滑り出しですね。

アナ:第1駆から第4駆は規定通りに綺麗にこなしています。さぁ、いよいよ第5・6駆、どうだっ? おおっ、ダブルですね、吉池さん。

解説:う~~ん、確かにダブルですが、スピードが足りなくてワルツのリズムがかなり崩れましたねぇ。それと第5駆の左手の3拍目、ミスってますねぇ。ダブルに挑んだ右手に気を取られたようですね。

Wilhelm Backhaus(p)

アナ:これでは高評価は難しいでしょう。さて、お次はドイツ代表、Backhaus1950選手です。Backhaus選手と言えば、LvBコースの名手として圧倒的な存在ですが、FCコースでの出場とは意外ですね。

解説:いやいやBackhaus選手は若いころからFCコースは積極的に取り組んでいますよ。なにせFC11・2(※2)のソロアレンジも自ら施しているくらいです。

アナ:さぁ、スタートです。おお、完璧なまでの規定通りで第1~4駆をこなしていますね。

解説:規定が目に浮かぶようです。これはこれでBackhaus選手らしい律儀さですね。

アナ:いよいよ第5・6駆だ、どう来るか! おおっ、ダブルだ、しかも低音にパンチ一発!

解説:しかもプラルトリラーではなく明らかにトリルからのダブルです。音多いですねぇ。ちょっとスローダウンしましたが、スローのさせ方が実に芸術的。直後に規定にない低音の増強一発を入れたのも流石です。

アナ:プラルトリラーをトリルにしてもいいんでしょうか?

解説:コース製作者はそのあたりの表記は曖昧だったようです。選手のノリに任せていいんじゃないですか。

Sergio Fiorentino(p)

アナ:さすがBackhaus選手、LvB以外でも魅せますねぇ。しかもかなり自由。これは高評価でしょう。さぁ、続いてスタイリッシュに登場してきたのはイタリア代表Michelangeli1962選手です。イタリアからはもう一人Fiorentino1979選手が出場する予定だったのですが、本人未承認の海賊登録だったそうで、出場が取り消しになっています。

解説:残念ですねぇ。Fiorentino1979選手はダブルの鮮やかさもさることながら、ラストの296小節からを重音で弾くなど小洒落ていたのですが、正規登録を待つしかないでしょう。

アナ:てなことをお話ししているうちに、Michelangeli1962選手のスタートです。美しい音、素晴らしいバランス、うっとりしますねぇ。おや、第1駆から他の選手と違いますね。

Arturo Benedetti Michelangeli(p

解説:プラルトリラーではなくトリルからシングルを優雅に決めてます。これは第5・6駆に期待が持てます。

アナ:さぁ、第5駆だっ……ダブルです、ダブルです!実に優雅なダブルです!

解説:ワルツのテンポも崩れていませんね。素晴らしい。

アナ:……っと、ここで審判団から物言いです。物言いがつきました。……フライング???どうやらフライングだということのようです。もう一度聴いてみましょう。

解説:あぁ、確かに。第5・6駆ではプラルトリラーもトリルもなく、小節の頭からいきなり音階を駆け出しますね。これならダブルでも綺麗に収まります。うーーーん、芸術点は高いのですが、確かにフライングです。

アナ:Michelangeli1962選手、どこ吹く風で飄々と構えていますが、あとは審判団にお任せしましょう。

~ Sake & Water Break ~

Ignacy Jan Paderewski(p)

アナ:さぁいよいよ競技も大詰めです。エントリー残すはあと2人。FCの本場、ポーランドからPaderewski1912選手です。いよっ、大統領!そう言いたい気分になりますね。

解説:大統領ではなく首相です。マダム殺しのエンジェルヘアが眩しいですね。

アナ:颯爽と今スタートしました。Paderewski1912選手と言えば、FCの規定に精通していて、Paderewski版というコースの規定指南書を出していますね。

解説:あの指南書は後世の人が作ったという話ですが、名前を冠されるくらいですから指南書通りの見事な技を期待したいところですね。

アナ:実に優雅な滑り出しです。まず第1駆。ここはシングルですね。

解説:シングルですが、プラルトリラーの音を2拍分延ばさずにすぐ音階に行ってますね。一連の装飾音型として弾いているようです。指南書にはこんなこと書いていませんね。

アナ:おっと、第3駆からこれはダブルか。

解説:第1・2駆と同じようにプラルトリラーから一連の動きで表現してますね

アナ:さて注目の第5・6駆……ここも一連型からのダブルです。おおっと、直後に強烈なクラスターチョ~ップ! 1発、2発、これはシビレますね。

解説:Paderewski1912選手は1911にも同じコースを攻めていて、やはりここでクラスターチョップを打っています。確信犯ですね。ただ、名前入りの指南書があるのにそれと違うことをするのは如何なものでしょうか。権力者はいつの時代もほんと言行不一致です。

Arthur Rubinstein(p)

アナ:ま、それも世の常というものでしょう。さて、いよいよ最後の選手、同じポーランド代表で優勝候補のRubinstein1928選手の登場です。

解説:この選手は1930年頃に自己批判して研鑽する前ですから暴れん坊丸出しです。期待できますよ。

アナ:さぁスタートです。快調に飛ばしてます。おおっっ、第1駆からダブルです、しかもテンポの間延びがありません。これは見事、第5・6駆への期待が否応なしに高まります。さぁ第5駆!

解説:ダブルですね、第6駆も。微塵の揺るぎもない。さすが優勝候補。

アナ:そしてコーダ。うおおおおっ!!速い、速すぎる。まさに電光石火、前人未到の爆走ですっ!

解説:これは大変な記録が出たかもしれませんね

アナ:満場、割れんばかりの拍手と歓声です。さすがRubinstein1928選手。熱狂の渦に包まれています。

解説:待ってください。他の選手が猛然と抗議していますよ。

アナ:そうですね、審判団に食って掛かっています。何があったのでしょうか? え、なに?なに?Rubinstein1928選手は第3駆と第4駆を弾いてない??それは反則だろうって??

解説:あぁ、言われてみれば第3・4駆のセクションをカットしてますね。いやぁ、あまりに見事で気づきませんでした。芸術点的には全くOKなんですが、これは審判団、難しい判断を迫られますねぇ。

アナ:猛烈な抗議、一向に止みそうにありません。会場、混沌として参りました。これは当分結果が出そうにありません。ひとまずここで現場からの中継を終わりにしようと思います。吉池さん、今日はどうもありがとうございました。

解説:いえいえ、こちらこそ楽しませていただきました。ありがとうございました。

アナ:それでは魔煮悪ピアノコロシアム2021、この辺で失礼いたします。

※1:ショパンのワルツop. 34 no. 1のことです
※2:ショパンのピアノ協奏曲第1番op. 11の第2楽章のことです

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。

吉池拓男の名盤・珍盤百選(30) ガヴリーロフという幸福

FRÉDERIC CHOPIN Andrei Gavrilov(p)  K&K Verlagsanstadt  LC 04457 2000年
FREDERIC CHOPIN NOCTURNES  Andrei Gavrilov(p)  UCM 2013年
Musci as Living Consciousness vol.1 Andrei Gavrilov(p) UCM/DA VINCI CLASSICS C00330 2020年

筆者は主に経済的な理由で滅多に演奏会に行きません。しかし、2020年の秋に珍しく2回演奏会に足を運びました。それがガヴリーロフです。本当は1回だけのつもりでしたのですが、あまりに自由奔放にして繊細かつ乱暴な(矛盾してるが本当)演奏だったために、それが常態なのか確認のためにもう一度聴きに行った次第です。で、2回ともほぼ同じ演奏でした。何度も暗譜がこけたり、打鍵が強烈過ぎるせいか前半だけでピアノの調律が狂いまくったのはご愛敬として、解釈やフレージングはほぼ定番ギャグの世界にまで昇華されていると深く感じ入った次第です。

ドイツグラモフォンに移籍して以降ほとんどフォローしていなかったので、今回略歴などを読み、改めてここ20年くらいの3枚のアルバム(それしかないはず)を聴き、なかなか大変な人生航路を辿って、今、こういうピアニストになっているのだなぁと勝手に解釈させていただきました。私見を交えた経歴としては、

1955年生まれ
1974年チャイコフスキー国際コンクール優勝
1976~1990年EMI専属 特に前半は暴れん坊ぶりを発揮。ガンガンバリバリの凄演多々。
80年代前半はソ連政府から政治的理由で睨まれて、なかなか大変だったようだ
1990~1993?年ドイツグラモフォンに移籍。らしくないつまらない演奏のCDを次々と出す。角を矯めてなんとやらの典型か。
1994~2000年演奏活動を離れて、哲学や宗教の研究に没頭。ま、迷ったのね。
2000年~演奏再開。ただもう忘れられたピアニストとなっていた模様。
2011年自伝発表。(筆者は未読)
2013年ショパンの夜想曲集のCDを自分で立ち上げたレーベル(UCM)から発表。たぶん10数年ぶりのCD。このCDは最初は自伝第2版の付録だったらしい。
2020年「生きていることを意識する音楽」シリーズ第1集を自分のレーベルから発売
2020年から始めたCD連作のネーミング(特に和訳)がスゴイですねぇ。迷った挙句の帰結にしては若干まだイタい感じがあります。

ではそんな迷いの時代のガヴリーロフのCDをご紹介しましょう。

★ショパン ライブ 1999年9月10日  K&K Verlagsanstadt  LC 04457

FRÉDERIC CHOPIN Andrei Gavrilov(p) 

1999年にドイツの修道院で行われた演奏会のライブ録音盤。演奏活動を離れて哲学と宗教の研究に没頭していたという時期のもの。ソナタ2番、バラード1・4番、練習曲5曲を収録。演奏解釈自体はグラモフォン時代のように真っ当で、後述する2013年の夜想曲集のようなことはありません。ただ、ガヴリーロフの長所の一つである美弱音へのこだわりも薄め。で、問題は技巧的な乱れ。いくらライブと言えども、ミスタッチや音抜け、暗譜落ちに近い別フレーズ弾きが細々とあり、特にバラード1番は悲しい出来です。2000年にこのCDを聴いたとき、個人的にはガヴリーロフというピアニストと別れを告げた思い出があります。このころ何を悩み、何処を目指していたのか。今回、宗教と哲学の日々だったという経歴情報を得てみると、この録音の出来の意味は変わってくるような感じがします。

★ショパン 夜想曲集 UCM 2013年

FREDERIC CHOPIN NOCTURNES  Andrei Gavrilov(p)

10年以上の時を経て発表された夜想曲集は、ガヴリーロフが独自の世界に旅立った事を如実に語っています。伸縮自在のテンポとフレージング、美弱音への徹底的なこだわり。2020年の来日公演での演奏とほぼ同じで、その時の印象含めて言えば「幸せなことがあって泥酔しているおっさんの鼻唄」です。もっとも特徴が良く出ているのが夜想曲第13番。特に前半は一拍ごとにテンポが変化するような凄いフレージング。右手の主旋律の歌い崩しもベテラン演歌歌手のようです。5番と9番はやたら休符やスタカーティッシモを意識した不思議なフレージング、第8番では極上の美弱音で揺らぎまくる鼻唄フレージングを聴けます。13番ほどの違和感はないのですが、いずれもテンポの揺れは激しいのでご注意ください。

このCDでは各曲のわりと長い解説もガヴリーロフが書いています。作曲者の声を直感によって現代の声に翻訳して伝えるというのが悩んだ日々の末にガヴリーロフが見つけた光明のようで、楽曲にとっぷりと身と心を委ねた姿が良くわかります。気のせいかもしれませんが、19世紀スタイルで弾いていた戦前のピアニストの演奏美学に近い香りが漂います。ただし、見方を変えると「おっさんのかなり困った自己本位演奏」でのあるので、聴く側にも度量が求められるなかなかにオモロイ演奏集です。

★「生きていることを意識する音楽」シリーズ第1集 UCM/DA VINCI CLASSICS C00330 2020年

Musci as Living Consciousness vol.1 Andrei Gavrilov(p)

あらためて見ても凄いタイトルですねぇ。収録曲はシューマンの「蝶々」「交響的練習曲」ムソルグスキーの「展覧会の絵」で、2019年の来日公演のプロと同じです。ジャケットのイラストからして、作曲家と自分が一体化していることを表現していると思われます。日本発売盤の帯裏には「この多面性を持ったアルバムによって、私は自身の新知識、技術、科学。哲学、演奏、新しい音楽のすべてを聴衆と共有している。直観を置き換えることは、音楽言語を純粋に知ることであり、それぞれの作曲家の音楽言語を純粋に知ること(日本語訳:生塩昭彦)」というありがたいガヴリーロフのお言葉が掲げられています。

で、2013年の夜想曲集からさらにどう進化したかと言うと……わりとフツーになっています。もちろん泥酔おっさん鼻唄風のこだわりフレージングは所々観られます。テンポの細かくて激しい揺れも健在です。自由度の大きい「展覧会の絵」の方がそういう行った側面は顕著ですが、全体としてみると「もっと2013年の夜想曲集の先にある独自世界を見たかった」という感想でしょうか。

かなり苦難の歴史を経てきたガヴリーロフは少なくとも2013年の夜想曲集以降、独自の新しい境地に進みつつあると思います。そのあまりに自由で“直感”的な演奏は羨ましくもあります。ライブで演奏が終わると聴衆に向かってWピースサインを突き出す彼の笑顔は、一つの確かな幸福を具現化しているように思います。演奏家はどんどん独自の道に行けばよいのです。誰も行かない道で見つけた幸せを私たちと共有できれば(あくまでも「できれば」ね)良いと私は信じます。

補記1《某所の演奏会で私の隣にいた品の良いおばさまたちの会話》
「なに、今日の演奏会。ピアノを強く叩きすぎてうるさいし、ショパンは変よね。ガヴリーロフだけはもう勘弁だって、主催者の〇〇さんに言っておくわ。」

補記2《ガンガンバリバリ時代の代表録音》
ガヴリーロフがEMI時代に録音したラフマニノフの前奏曲変ロ長調op.23-2。某ピアニストがこの演奏の2分18秒からの和音の連打は人間離れしていて呆れるしかないと語っていた。

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。

吉池拓男の名盤・珍盤百選(29) 珍曲へのいざない その4 なんでもコンチェルト

MENDELSSOHN THE PIANO CONCERTOS Matthias Kirschnereit(p)Frank Beermann/Robert-Schumann-Philharmonie Chemnitz  ARTE NOVA 2CD 8869738622 2  2009年
Dmitri Kabalevsky  The Complete Works for Piano & Orchestra  
Michael Korstick(p)Alun Francis/NDR Radiophilharmonie  2012年
Emil Gilels Legacy vol.9 
Emil Glels(p) Kyrill Kondrashin/Moscow Philharmonic Orchestra  DOREMI DHR-7980  2011年
RACHMANINOFF  SUITES I & II FOR PIANO AND ORCHSTRA 
Lee Hoiby(p)Jorge Mester/ London Philharmonic Orchestra, Lawrence Foster/London Symphony Orchestra   

「珍曲に名曲なし!!探すだけかなり無駄」と第22回で書きました。作曲家の才能と楽曲の出来がほぼほぼ比例する以上、無名に終わった作曲家達のオリジナル作品のほとんど全ては厳しい現実を内包しています。実際、音楽史に燦然と輝く大作曲家でも「つまんねぇな、この曲」の方が多かったりします。それほど万人に響く“名曲”は奇跡的な存在なのです。では良い珍品を見つけるにはどうしたらよいか。無名作曲家のオリジナル作品はほぼ全滅と思ってよいので、有名曲の珍なる編曲ものを探すのが効率的です。過去の珍曲シリーズでご紹介してきたものの多くは編曲もしくは再創造ものです。ダメな作曲家でも元ネタがしっかりしていると、当たりをかます確率が高くなります。

MENDELSSOHN THE PIANO CONCERTOS Matthias Kirschnereit(p)

今回は、原曲をピアノと管弦楽のための協奏曲スタイルにしてしまった編曲ものの珍品をご紹介しましょう。まずは元ネタがヴァイオリン協奏曲だったもの。ベートーヴェン自身がピアノ用編曲した通称・ピアノ協奏曲第6番ニ長調もこの類かも知れません。最近ではクロアチアのピアニスト、Dejan Lazicが5年をかけて編曲したブラームスのCDが話題になりました。ネット上にはチャイコフスキーのをピアノ協奏曲に編曲した楽譜付き動画があり、演奏はPCの打ち込み音源ですが全曲聴くことができます。ただしヴァイオリンのピアノ編曲としてはかなりお淋しいもので鑑賞は中々シンドイです。その他もきっとあるとは思いますが、割と存在を見つけにくい作品としては、Matthias Kirschnereitが弾いたメンデルスゾーン・ピアノ協奏曲集に入っていた世界初録音のピアノ協奏曲ホ短調があります。メンデルスゾーンは1842年にピアノ協奏曲第3番として書き始めましたが、第2楽章から第3楽章への移行部までで中断、あの有名なヴァイオリン協奏曲の作曲の方に移ってしまったという未完成作品です。同じ調性なので曲も同じか!と期待しますが、一部の主題の類似性が指摘されてはいるものの全くの別音楽です。この協奏曲を全3楽章の形で補作完成させたR. Larry Toddは、書かれなかった第3楽章にヴァイオリン協奏曲の第3楽章をまるまるピアノ用に編曲して引用しています。第3楽章への移行部分は書かれたというので、そこがヴァイオリン協奏曲と同じだった可能性はありますが、ライナーノートに記載はありません。で、この編曲がかなり良くできている。ヴァイオリン独奏部の動きはほぼすべて取り入れながら、ピアノ的な装飾や付加を随所に加え、立派な“メンデルスゾーン風ピアノ協奏曲”になっています。第3楽章がヴァイオリン協奏曲からの引用であることはインデックスには全く書かれていないので、CDをお店で手にしてもわかりません。聴いてみて初めてビックリという慎ましい珍品です。

その他のCDで聴けるピアノ協奏曲化は、シューベルトのピアノ連弾用の幻想曲ヘ短調、アルカンの短調練習曲の協奏曲第1楽章、ショパンの演奏会用アレグロ・チェロソナタ・演奏会用大二重奏曲、リストのスペイン狂詩曲、ムソルグスキーの展覧会の絵、ラフマニノフのピアノ三重奏曲・2台のピアノのための組曲・交響曲第2番などがあります。たぶん世界にはいろんなことにトライする連中がいますので、CD商品化されていないものを含めると実際はもっともっとあるでしょう。たとえばラフマニノフの第2交響曲のピアノ協奏曲化があったということは、ベートーヴェンあたりの交響曲が無理矢理ピアノ協奏曲化されるのも時間の問題のような気がします。

さて、CDで聴けるピアノ協奏曲化で抜群に出来の良いのは、カバレフスキーの編曲したシューベルトの幻想曲ヘ短調でしょうか。昔はGilelsの弾いた古めのライブ盤数種しか録音がなかったのですが、CPOから出たKorstickの弾くカバレフスキーのピアノ協奏曲全集にも録音が収められました(演奏自体はギレリスの圧勝)。冒頭の主題が13小節目からオケで奏でられるとき、カバレフスキーが付けた音階風のピアノ装飾は切なさ倍増で胸キュン(死語)ものです。曲後半には独自のカデンツァも挿入され、編曲者の創造的な個性が刻まれたオミゴトな編曲作品です。

Dmitri Kabalevsky  The Complete Works for Piano & Orchestra – Michael Korstick(p)
Emil Gilels Legacy vol.9 – Emil Glels(p)

RACHMANINOFF  SUITES I & II FOR PIANO AND ORCHSTRA  Lee Hoiby(p)

発売されたレーベルのマイナー度で言えばCitadel Recordsから出たラフマニノフの2台のピアノのための組曲のコンチェルト版が珍しかったでしょうか。CD盤に表記された発行年は1994年ですが、もっと以前からLPでは存在していて、ネット上の情報では1968年頃の録音のようです。編曲者は組曲第1番がRebekah Harkness、組曲第2番がピアノ演奏も務めるLee Hoibyです。曲の性格にもよりますが、第1番はピアノ入り管弦楽団の往年銀幕音楽風、第2番は結構ピアノコンチェルトしています。第1番の舟歌は予想通りのピアノ・オケ配分で始まりますが、中間部ではピアノのキラキラフレーズをあまり採用せずにオケ的に盛り上げてみたり、原曲にはない旋律を足したりと色々と仕掛けて来ます。時折ピアノならではの細かで速いフレーズをオケにさせてアンサンブルが崩れかかる所がありますが、大目に見てあげましょう。舟歌のコーダ部分は編曲者がかなり手を加えていて、最後にオケが強く奏でる4音(原曲にはない)は吹き出すほどの違和感です。中間の2曲は麗しく流れ行き、終曲の復活祭は期待通りのお祭り騒ぎ。最後で金管のブォゥッ!ブォゥッ!という咆哮(原曲にはない)が増強されるあたりは笑いのツボに嵌ります。あぁ、ラフマニノフはほとんど映画音楽なんだなぁと陥りがちな誤解にとっぷりと浸れる名アレンジです。組曲第2番の序奏は第4協奏曲を想わせるようなピアノ・オケ配分で開始されます。ワルツは少しテンポが遅いですかねぇ。2台ピアノ並みに飛ばすのはピアノとオケでは難しかったかな。ただ、高速な音列と絡んで奏でられる息の長い旋律はオケで演ると気持ちよいです。ロマンスは美しいピアノ・オケ作品に昇華していてゆったりと浸れます。終曲のタランテラはワルツ同様にテンポは遅め。たとえばアルゲリッチ姐さんとフレイレのコンビは5分20秒で演りますが、このコンチェルト版は6分54秒。おかげで快速燃焼タランテラというよりは“ご立派なピアノ協奏曲の終楽章”風になっていて、それはそれで演奏者たちの狙いだったのかもしれません。

このラフマニノフの組曲コンチェルト版も編曲者たちの想いが溢れた創造的作品になっています。とってもよい、とは言いませんがね。少なくとも編曲者でピアニストであるLee Hoibyのオリジナル作曲作品よりは遥かに「名曲」だと思います。珍曲探しの泥沼旅に疲れたら、珍編曲探しに針路修正すると素敵なオアシスが見つかる……か……も……。

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。

吉池拓男の名盤・珍盤百選(28) バイデン大統領就任記念 星条旗異聞

Moment with Annette Annette DiMedio(p) Direct-to-Tape Recording DTR8704CD 1994年
Arrangements and Variations for Digital Piano  Gordon Green  CENTAUR CRC 2187  1993年
HIGH FIDELITY OOM-PAH-PAH FOR NON-THINKERS Guckenheimer Sour Kraut Bandほか Jasmine JASMCD 2697 2019年

「Moment with Annette」というアルバムには極めて痛……もとい、極めて珍しい特徴があります。収録曲の解説を演奏者自身が書いていること自体は珍しくありませんが、このアルバムの曲目解説は「演奏者であるAnnette様が創ったポエム」なのです。例えば、(私の拙訳ですみませんが・・・)

橋の上に立ち 月に誘われて水面を見下ろす

彼の影が静かな水に映り 夢が叶う

二人はリズミカルに動き 心の旋律は一つになる

うーーーむ、いったい橋の上で夜中に何をしてるんでしょうかね。さて、このポエム、何の曲の紹介でしょうか、わかりますか? 実はこれ、ショパンの夜想曲第13番ハ短調なのです。ちょっとはづかしいでしゅね。

お次は、

時の流れの中 私の魂は舞い上がる

悲哀と後悔が快く過ぎ行く

私という存在の最奥に飛び込む

そこで歓喜、情熱、そして究極の平和を見つける

このポエムで何の曲だかわかった人、はい、いらっしゃいますか? いたら天才というかもうほとんどエスパーか霊能力者ですね。これはヒナステラのピアノソナタ第1番第2楽章の解説ポエムなのです。収録されているすべての曲(*1)にAnnete様のポエムが付いています。ポエムを読んでも、演奏理解の参考には(たぶん)全くなりません。むろん楽曲の情報性も皆無です。

Moment with Annette – Annette DiMedio(p)

ポエムだらけのアルバムはジャケ写もご覧の通り。ピアノの上に乗っかってグラビアモデルの定番「下から見上げ目線」のポーズ。うーーむ、ちょっと、なんだよなぁという感興と同時に、古い世代のおっさんである筆者は、大切な楽器の上に乗っかるという行為自体に抵抗感が沸き上がります。(ちなみにお前お前お前もだぞ、ピアノに乗るな!)

ではこのアルバム、演奏自体はどうなのか。とある1曲を除いて、まったくフツーの出来です。ダメとか下手とか個性的とかいうのでもありません。ブックレットのポエムほどの破壊力はないのです。では、そのとある1曲とは……まずポエムをご紹介しましょう。

太鼓のリズム シンバルの炸裂 

音の花火を持ってきてください

赤と白と青が空に満ち 大気に歓喜と祝典が溢れるように

うん、これは少しだけ何の曲かわかりますね。そう、スーザ作曲「星条旗よ永遠なれ」です。Annette様はアルバムの最後で星条旗を弾いています。星条旗と言えば、かの魔神Hの定番。多くのピアノ弾きの人生を狂わせたり、昭和の御代には「星条旗を弾くような奴は芸術家にあらず」などと蔑みの象徴にもなっていたりした有名編曲があるのですが、Annette様はなんと自作編曲(arr: DiMedio)を披露しています。しかしこのAnnette様編曲のベースは明らかに魔神Hのもの。なので正確には、Sousa=魔神H=Annette様という表記にすべき仕上がりです。ではどの辺を変えているのか。星条旗の形式をABCBCBとすると、まずAはかなり魔神H編に近いです。続く1回目のBは割と独自性の高い編曲で、魔神H編から低音部のリズムパターンを減らす代わりに、高音部の装飾を手の交差で左手で取り、さらに合いの手的な旋律線を加えて、より複雑な印象を与えます。Cはまるっきり魔神H。注目の2回目のBは魔神Hよりはズンチャッ、ズンチャッのマーチリズムが立っていて複雑ながらも素直な印象です。ただ残念な事にメインメロディーをごく一部弾くことを諦めています。最後の3回目のBはほぼ魔神H編です。特筆すべきこととしてAnnette様の演奏はテンポが吹奏楽演奏並みに速いこと。魔神H御自らの演奏は確かに衝撃的なのですが、冷静に聴けば星条旗の吹奏楽演奏と比べるとかなりテンポが遅い。その点Annette様は一般的な印象通りのテンポ感で飛ばして行きますので、これは爽快です。時折左手に現れるオクターヴ下降音型の速さも頑張っています。

さてこのAnnette様、まだご健在です。しかもこの星条旗の動画を2014年に公開しています。正直、これはあまり観て欲しくない動画です。テンポがずうんと遅くなり、演奏時間自体1分近く伸びています。それなのにオクターヴ進行は滑らかではなく、相当残念感満載ですので、編曲法の確認程度にとどめてください。

Arrangements and Variations for Digital Piano – Gordon Green

さて、Annette様の“詩情”溢れる星条旗を聴いた後は、より個性的な星条旗で心を潤しましょう。もっと過剰なピアノ系星条旗が聴きたいという貴方には、Gordon Greenの星条旗よ永遠なれがオススメ。電子ピアノによる打ち込み演奏ですが、ほぼカオスに近いような莫大な音数が詰め込まれており、冒頭部分など3~4人がそれぞれのピアノで勝手な音楽を同時に弾いている(そのうち1人は間違いなく星条旗よ永遠なれですが……)ような感じ。ま、コラージュと言えばコラージュっぽいですがね。途中からはバラバラ感はなくなり、ひたすら過剰装飾と過剰トレモロのさすが打ち込み電子ピアノという世界が繰り広げられます。ラストには恐ろしく速いトリルが延々と鳴らされますが、ピアノの速すぎるトリルはホイッスルか電波障害音にしか聴こえません。ピアノ作品は音が多すぎるとほんと美しくないですねぇ。

HIGH FIDELITY OOM-PAH-PAH FOR NON-THINKERS

逆にココロ暖まる星条旗をという貴方には、Guckenheimer Sour Kraut Bandの星条旗よ永遠なれがオススメ。この管楽バンドは1949年に結成されてカリフォルニアを中心に人気を博し、36年間活動を続けて3枚のアルバムを遺しています。彼らが1958年に発売した「MUSIC FOR NON- THINKERS」*2)は、お得意のポルカやワルツに加え、ハンガリー狂詩曲第2番なども演奏しているアルバムです。ここで演奏されている星条旗よ永遠なれが実にスバラシイ。特に、構成的言うとABCBB(2回目のCは省略してます)の2回目のBに男声独唱が入るのですが、ここが得も言われぬ絶妙な味わい。素晴らしい調性感覚で、心豊かに和みます。

すっかり星条旗尽くしになってしまいました。ま、とりあえずは梅田譲新大統領就任記念ということにしときましょう。

*1)Moment with Annette収録曲
Rachmaninoff:Etude Tableaux op.39-5/Scriabin:Etude op.2-1,op.8-12/Chopin:Nocturne op.9-2, op.48-1/Debussy:La Cathédrale engloutie/Prokofiev:Toccata op.11/Ginastera:Piano Sonata no.1 op.22/Sousa (arr:DiMedio) The Stars and Stripes Forever

(*2) Guckenheimer Sour Kraut Bandの「MUSIC FOR NON- THINKERS」は現在「HIGH FIDELITY OOM-PAH-PAH FOR NON-THINKERS」というタイトルのCDに、他のバンドのLP盤と共に収録されいます。LP発売時のジャケット写真は彼らの雰囲気をよく表しています。

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。

吉池拓男の迷盤・珍盤百選 (27) 嘘か誠か イタリアの不思議な音

Fiorentino EDITION vol.2 THE COMPLETE LISZT RECORDINGS  Sergio Fiorentino(p) PIANO CLASSICS PCLM0041(6枚組) 2013年
Fiorentino EDITION vol.4 EARLY RECORDINGS 1953-1966 Sergio Fiorentino(p) PIANO CLASSICS PCLM0104(10枚組) 2016年

セルジオ・フィオレンティーノ(1927~1998)は謎の多いピアニストです。メジャーレーベルからのレコードリリースはありません。来日公演もなく、少なくとも存命中に日本国内では全く知られていませんでした。いくつものコンクールに優勝したとされてますが、入賞歴ゼロという記述もあります(1947年のジュネーヴで2位は確か)。わかっているのは演奏活動を始めて間もない1954年に、南米であわやの飛行機事故に遭遇し、以降トラウマで飛行機に乗れなくなって、演奏活動から身を引いてしまったこと。教職に専念する一方で、マイナーレーベルで細々と録音を続けていたこと。しかもそれらは架空のピアニストの名前で売られていたりしたこと。積極的に演奏活動を始めたのはもう晩年になってからだったことなどなど。

で、少なくとも遺された録音から判断するに、素晴らしいピアニストであったことは間違いありません。ミケランジェリは「イタリアで俺以外でピアニストと呼べるのはフィオレンティーノだけだ」と言っていたそうです。ピアノ編曲者としても独創的で優れた作品を多く遺していて、ラフマニノフのヴォカリーズなどは恐ろしく少ない音なのにピアノが無駄なく鳴る見事な技を見せています。ワイルド編の対極ですね。復刻はAPRなどから行われていましたが、2012年からPIANO CLASSICSで全4集計28枚のCDが体系的にリリースされ、彼のスタジオ録音のほぼ全貌が明らかになりました。この中の第2集と第4集が今回ご紹介するCDです。彼が表舞台から姿を消していた時期(1950年代・60年代)に録音されていたもので、壮年期の演奏を堪能できます。ただ、これらの演奏を凄い、凄いと手放しで悦ぶには少し躊躇する点があります。それは当時の彼の録音の担当者がWilliam H. Barrington-Coupeだったということです。こやつはあのJoyce Hattoの夫、つまり“ハットー事件”の主犯なのです。Barrington-Coupeは、自分のConcert Artistというレーベルから、他人の演奏を勝手にピックアップしてデジタル処理で手を加えて(時には本当に“改良”してしまって)CD化し、妻のハットーの名義で次々と発表していました。さらにBarrington-Coupeはフィオレンティーノの名前でも大量の偽録音を出していました。その真贋を区別したサイトもあるほどです。音楽詐欺と改竄の権化のような人物が関わっていたのですから、その演奏の真贋や質などにもどうしても疑いの目が光ってしまいます。ただ、PIANO CLASSICSから出た28枚は、晩年のフィオレンティーノと親交のあったErnst A. Lumpe(LP時代の匿名・偽名演奏の発掘と特定の研究家。上記真贋サイトの作成者)がプロデュースしています。Lumpeは研究家の観点から偽録音を除外し、真贋という点ではかなり信用はおけるものとなっていると思われます。

Fiorentino EDITION vol.4 EARLY RECORDINGS 1953-1966よりCD9

前置きが長くなりました。このPIANO CLASSICSのフィオレンティーノの演奏には演奏の良し悪しはさておき、不思議な音のする録音が含まれています。それは第4集「EARLY RECORDINGS 1953-1966」のCD9に収められたショパンのアンダンテ・スピアナートop.22。初めてこの演奏を聴いたとき、家庭内BGMとしてながら聴きしていたこともあって「あれぇ、アンダンテ・スピアナートだけど変な編曲しているなぁ。左手パートだけハープで演奏してる。」と思ったのです。演奏を確認してみてビックリ。フィオレンティーノによるピアノソロ演奏でした。慌ててきちんと聴き直しましたが、やはり左手の伴奏部はハープに聴こえます。当然のことながら、アンダンテ・スピアナートに続いて華麗なる大ポロネーズも演奏されていて、そこでは全くハープ音は聴こえません。さらに言うと、この録音は1960年9月11~13日にハンブルクでポロネーズ全16曲+op.22を一気に録った時のものなのですが、他の曲からはここまでのハープ音は聴こえません。強いて言うなら幻想ポロネーズの冒頭部分で少しする程度でしょうか。実に不思議で、しかも美しい音色です。使用したピアノに関するデータはありません。フィオレンティーノはヴィンテージピアノにも関心が高く、古いエラールでの録音も遺しています。このポロネーズ全曲録音もそうしたピアノを使用した可能性があります。所々、ヴィンテージっぽい音がしなくもないです。ただ、零細なマイナーレーベルの一気録りにそういうこだわりが通用したかは疑わしい所です。単に安く調達したのがくたびれかけた楽器だったのかもしれません。この録音にはさらなる逸話があります。Barrington-Coupeはこの全曲録音は出来が悪いとして、5年もお蔵入りさせた後、フィオレンティーノではなく架空のピアニスト名の廉価版LPで発売してしまうのです。のちの音楽詐欺師の一端を垣間見るようなエピソードです。では本当に出来の悪い演奏なのか? 私は全くそうは思いません。Op.22のポロネーズは豪快ではないもののキレッキレですし、英雄のあのズダダダズダダダ部分の加速も羨ましい限りです。なんといっても普通はつまらない8番以降の初期作品をイイ歌いまわしと指さばきで聴かせ倒してくれます。そしてアンダンテ・スピアナートの不思議で魅力的な音。ショパン・ポロネーズ全17曲版の録音としては相当イケてる仕上がりと思いますが、如何でしょうか。

Fiorentino EDITION vol.2 THE COMPLETE LISZT RECORDINGS

音と言えば第2集「THE COMPLETE LISZT RECORDINGS」のCD3(APRから出ていた「Contemplative Liszt」というアルバムと同じ内容)にも特徴的な録音があります。このTrack 1の前奏曲「泣き、嘆き、悲しみ、慄き」はピアノの音自体がとても悲しいのです。音楽が悲しいだけでなく音そのものにこれほどの悲しみが籠っているのは、ラフマニノフの弾いたシューベルトの「セレナーデ」やリパッティの弾いた「イエス、私はあなたの名を呼ぶ」と並ぶものと思います。録音が古いだけじゃん、なんて突っ込みは野暮というもの。フィオレンティーノの場合、同じ日に録音された楽曲も収録されていますが、音の悲しさはTrack 1がの前奏曲「泣き、嘆き、悲しみ、慄き」が頭抜けています。演奏家の力と録音条件がコラボした素敵な偶然をこのCDで素直に楽しめます。

……で、やはりふと思うのです。この不思議な音も、想像以上に良い演奏も、本当に本物なのだろうか、と。音楽詐欺師の錬金術に惑わされているだけなのではないか、と。

哀しいことです。

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。

吉池拓男の迷盤・珍盤百選 (26) 珍曲へのいざない 番外編 歌謡曲クラシック列伝

上田知華+KARYOBIN  WARNER L-10151E (1979年) *1
春野寿美礼 Chopin et Sand -男と女-  EPIC RECORDS ESCL 3495 (2010年)

クラシック音楽のポップス化は洋の東西でこれまで大量に行われています。ヒットチャートを飾った楽曲も少なくありません。日本でも古くはザ・ピーナッツの「情熱の花」(1959年)、同じ原曲のフレーズをさらに多く取り入れたザ・ヴィーナスの「キッスは目にして!」(1981年)、平原綾香「Jupiter」(2003年)、SEAMO「Continue」(2008年)あたりが売れましたね。中でも平原綾香は全曲クラシックというアルバムをこれまで3枚リリースしています。まぁ「Jupiter」でデビューした平原綾香がクラシックを演るのは当たり前な感じがあるのですが、意外なところではその昔、殿様キングスが全曲クラシックネタというアルバム「パロッタ・クラシック」(1983年)というのを出してました。その中の収録曲では「係長5時を過ぎれば」は多少知られてますかな。楽曲がヒットしたわけではないですが、人口に膾炙したといえばCM NETWORKの「ちちんVVの唄」(ディスコバージョンよりオーケストラバージョンの方が面白い)もありました。CM音声からはわかりにくいのですが、この曲の歌詞はかなり春歌っぽく、令和の世で人前で歌うことは厳しいものがあります。そういえばシュワちゃんのCMが流れた1990年のレコード藝術誌の読者投書欄に「ちちんVVの唄はショスタコーヴィチに対する許しがたい冒涜だ」という檄文が載ったのも覚えています。あの頃はまだそんな純粋培養系聖クラマニが棲息していましたし、レコ藝誌側もそんな投稿を掲載したりする感覚が残存していたのですね。

さて、歌謡ポップス化したクラシック、しかもピアノ曲からのものをいくつかご紹介しましょう。全曲ピアノ曲という由紀さおり・安田祥子のアカペラスキャットアルバム「ピアノのけいこ」が一般的には良く知られてると思います。バイエルから4曲歌うなど見事な大衆路線である一方、トリに収録されたトルコ行進曲などは中々に見事です。ただ、このアルバムはクラシックの楽曲を歌謡ポップス側の人がほぼ音符そのままで「声で演奏」したもの。どうせなら歌詞を付けちゃったものの方が余計なイメージが色々と添加されていて面白い。

まずは上田知華+KARYOBINが1979年に発表したアルバムに入っていた「BGM」という曲。大人になり切れないお馬鹿さんな彼より私の方が先に大人になってしまった、という内容の別れを予感させる歌詞です。さぁ、この曲、何でしょうか。実はベートーヴェンのピアノソナタ第8番「悲愴」の第3楽章なのです。わりと原曲に沿ったアレンジで、ABACA形式からACAでワンコーラスを創っています。Cのところの歌詞なんて「笑い転げて生きられたなら 少女は女にならずに済むわ」(作詞:山川啓介)ですからね。ベートーヴェン様もびっくりでしょう。よくCをこういう風に変えたもんだと感心すると同時に、ちょい苦笑のツボに嵌ります。上田知華+KARYOBINはピアノ五重奏(ピアノ弾き語り+弦楽四重奏)というかなり特殊な編成のグループでしたので、こういうクラシックな楽曲には音色的に合っていました。編曲及び音楽ディレクターは作曲家の樋口康雄。ピアノ五重奏版の悲愴ソナタ第3楽章としても随所に良い感じを醸し出していて納得のアレンジです。

ピアノ曲の歌謡ポップス化アレンジとして珍しいものには、ショパンの幻想即興曲があります。もちろん古いミュージカルナンバー「I’m always chasing rainbows(虹を追って)」は有名です。アメリカの往年のシンガーは結構歌っていて、幻想即興曲の中間部のメロディをゆったりと引用して淡い夢と希望を紡ぎます。で、中間部のメロディーをポピュラー音楽として歌うのは想像の範囲内なのですが、2010年に幻想即興曲のあの急速な冒頭部分に歌詞を付けて歌うという快挙(または暴挙)に出たアルバムが発売されます。歌ったのは日本の春野寿美礼。元宝塚歌劇団花組トップスターで、2007年の退団後もミュージカル女優として活躍しています。彼女が発表した「Chopin et Sand -男と女-」はクラシックから5曲(ショパン3曲、シューマン、マーラー)選んで歌っているミニアルバムです。この中の「メモワール -Memories of Paris-」が幻想即興曲なのです。さすがにあのフレーズを急速なままは歌いません。テンポをぐっと落とし、ものすごくムーディーに壊れかけた恋を歌うのです。冒頭のフレーズに付いた歌詞は「私がこのままこの部屋出て行けば 永遠にあなたを失うでしょう」(作詞:菅野こうめい)です。原曲の13小節目からなんて「ねえ何か話してよ まだ愛してるなら」ですからね。ウーーーム、雰囲気や良し。問題はメロディラインです。たとえテンポを落としたとしても、人間が歌うことなんて全く想定外で書かれているメロディですから、音域は極めて広く、ぽんぽん飛びます。これを歌うだけでも大変な作業と思われますが、宝塚っぽさとアンニュイな雰囲気を保ったまま歌い続けた春野寿美礼の努力には頭が下がります。ま、でも、結果的には選曲ミス、かなぁ。いずれにしろあの幻想即興曲をここまで変容させてしまった音楽的衝撃という点では弩級でしょう。なお、同じアルバムにはショパンの夜想曲第20番をタンゴっぽく演った「追憶のバルセロナ」も収録されていて、これもかなりのインパクトがあります。

メタモルフォーズされた音楽は、作曲者が思いもしなかったような魅力が引き出されることがたまにあります。その新たな魅力、往々にして時代の最新の衣を纏った魅力は、原曲の演奏解釈にプラスになることがないわけではない……ようなやっぱダメなような……ともあれ演奏においてオモシロイ“抽斗”にはなるでしょう。開けるかどうかは別としてね。それが歌謡曲クラシックの魅力のひとつです。なかなか見つけにくい存在ですが、ぜひとも探索してみてください。ひたすらにアンニュイな幻想即興曲とか、「笑い転げて生きられたなら少女は女にならずに済むわ」という詞が脳裏に木霊するような悲愴を聴いてみたいじゃないですか。

クラシックには良質のメロディーがわんさかあります。ネタに困った音楽プロデューサーやミュージシャンが新たな発掘と改変を続けて行ってくれることでしょう。改変の幅は創造力の続く限り広大無辺です。その中でもかなり振り切った方の好例として春野寿美礼のアプローチは語り継がれると思います。ま、私は本稿の脱稿後、二度と聞かないとは思いますが・・・

*1:上田知華+KARYOBINのアルバムは演奏者名とアルバムタイトルが同じ。

《補足:その他の私のおすすめ歌謡ポップス化クラシック 3題》

  • ブリーフ&トランクス 「ティッシュ配り」(1998年)
    ラヴェルのボレロにギャグ系の歌詞を付けたブリトラの傑作。メロディだけではなく低弦と小太鼓が刻むリズムの方にも歌詞を付け、そちらを先行させたのが秀逸。彼らにはクラシックネタの楽曲がいくつかあり「小フーガ ハゲ短調」「カテキン」などもよい。
  • ザ・ズートルビー 「水虫の唄」(1968年)
    イントロにベートーヴェンの田園交響曲冒頭、歌のサビにメンデルスゾーンの春の歌を引用して創られている。ギャグ系の歌詞だが、春の歌の部分の歌詞は曲想に合っていて麗しい。
  • 薬師丸ひろ子 「花のささやき」(1986年)
    モーツァルトのピアノ協曲第23番第2楽章。薬師丸ひろ子の合唱部的な透明感あふれる歌唱が美しく、ヲジサンの中の乙女心に切なく響く。クラシックの歌謡ポップス化の中の名品と溺愛している。女優歌唱の珍品としては高岡早紀の「バラ色の館」もある。妖しい雰囲気が良いが歌唱力に難があって薬師丸には遠く及ばない。

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。

吉池拓男の迷盤・珍盤百選 (25) 珍曲へのいざない その4 恐るべし、高校ブラバン部

交響的印象「教会のステンドグラス」より 武田晃/陸上自衛隊中央音楽隊 BRAIN MUSIC BOCD-7355
ミス・サイゴン 宍倉昭作品集LIVE 埼玉栄高等学校吹奏楽部 BRAIN MUSIC OSBR-25005

《前口上の言い訳》
筆者は吹奏楽部の経験はなく、日本の吹奏楽界では当たり前のことも知らない元ピアノヲタクです。ですので本稿は吹奏楽経験者には「なんもわかっとらんな、こいつ」という内容に溢れていますが、あくまでもピアノ系マニアから観た拙劣な感想文であることをご寛容のほどよろしくお願い申し上げ奉ります。

交響的印象「教会のステンドグラス」より 武田晃/陸上自衛隊中央音楽隊

《本文》
アレクサンドル・ニコラエヴィチ・スクリャービン作曲「おお、神秘なる力よ!」という楽曲名を見た時、第1交響曲の終楽章?法悦?プロメテ?遺作の神秘劇???そんな曲、あったっけな?と、衰え行く記憶力を奮い立たせましたが、一向に思いつきませんでした。で、これ、実はピアノソナタ第5番op.53の吹奏楽編曲版に付けられたタイトルだったのです。あの複雑で小難しいピアノ書法てんこ盛りの第5ソナタを吹奏楽でピーヒャラパンパカパーンと演るとは何考えとんのじゃっ、と呆れにも似た感情で聴き始めました……ありゃ?……うへっ……おをっ……畏れ入りました。私が悪うございました。ちゃんとやってますね、スクリャービンの5番。陸上自衛隊の皆様、どうか無知蒙昧な私を抹殺しないでくださいませ。編曲者は吹奏楽の世界では高名な田村文生せんせ。さらに驚いたのは、編曲を共同で委嘱したのが4つの高校の吹奏楽部とのこと。う~~~む、難しいだけでなく、この曲はクラシック音楽史上もっともエロい音楽と思っているのですが、それを高校吹奏楽部がお願いするなんて。恐ろしや、恐ろしや。

曲のタイトルにはピアノソナタ第5番の編曲とは全く書かれていません。曲の進行はほぼ原曲通りなのですが、編曲者の創造性が大きく加筆されているためと思われます。まず冒頭。打楽器の強打からピアノ原曲を遥かに超えるオドロオドロしさで始まります。ただ、この段階で「あ、スクリャービンの5番だっ」と気付く人は少ないかも。直後のLanguido(13小節)からは蕩けるような世界が始まり、「おっ、スクリャービンの5番じゃん。うわぁ、陶酔感マシマシじゃん」となります。ここからしばらくは堂々たるスクリャービン5番の吹奏楽版を堪能できます。独自のいじりを見せるのは96-97、100-101、104-105小節。原曲にはない上昇音階を入れていますが、これはピアノ版に逆輸入する価値があるかもしれない良い改編です。その後はちょこちょこ独自の小さな改変が続き、273-274小節、277-278小節で原曲がアルペジオっぽいのを弾くところでは管楽器独奏による独自のカデンツァを入れています。中々に蠱惑的で素晴らしい創造編曲です。で、原曲と大きく違うのが329小節からのPrestissimoの部分。原曲ではリズミカルに昂まってゆく部分なのですが、この編曲では逆にぐっとテンポを落とし、リズミカルなことも止め、ねとーーっとした泥濘のような耽美をまさぐります。私の個人的な感想としては、う~~む、ちょっと、ねぇ、でしょうか。原曲においてここの昂まりは輝きに満ち、全曲の中でも屈指の エレクトポイントと溺愛していたのですが……この変更はもったいないなぁ。で、357小節あたりから音楽は従来の活力を取り戻し、最後の高みへと昇っていきます。417小節からの大歌い上げは流石多人数合奏の豪奢なパワーが漲っていて羨ましくなります。特に金管の絶頂咆哮は圧倒的、これはピアノでは真似できませんねぇ。原曲から完全に逸脱するのが、ラスト16小節のPresto部分。ここは編曲者が「《法悦の詩》の終結部の様式をピアノソナタ第5番の動機を用いて(*1)」新作しています。原曲が昂奮の坩堝の中で射〇的に終了するのに対し、あくまでも荘厳に神々しく終了します。まさに「おお、神秘なる力よ!」。教育的配慮もバッチリです。

まさかのテンペスト、ブラバン編曲(異国情緒風)まで

このCDを出しているブレーン株式会社という吹奏楽中心の音盤製作会社はこれまで全く知ることがありませんでした。かなりの数の吹奏楽のCDを出しており、それを見るとピアノ曲からの編曲ものが結構あります。リストのスペイン狂詩曲・バッハの名による幻想曲とフーガ、ラフマニノフの音の絵(op.33-2,4,6, op,39-9)・パガニーニの主題による狂詩曲(10分短縮版)、ラヴェルのクープランの墓からトッカータなどなど、まさに恐るべしです。そんなラインナップの中から一つ。ベートーヴェンのピアノソナタ第17番op.31-2「テンペスト」の第3楽章をご紹介しましょう。編曲は宍倉晃せんせ、演奏は埼玉県の吹奏楽強豪校・埼玉栄高校です。

ミス・サイゴン 宍倉昭作品集LIVE 埼玉栄高等学校吹奏楽部

結論から言うとピアノで弾くテンペスト終楽章とはイメージがだいぶズレますが、素晴らしいアレンジです。カスタネットなどの打楽器を多用したり、リズムの取り方がワルツっぽい3拍子を刻んだりするので、感触的にはスペイン風舞曲に近いものがあります。あのテンペストが味付け一つでこんなに異国情緒になるなんて、実に素晴らしい。(皮肉ではありません、本当に賛美しています。念のため。)冒頭から提示部はほぼ譜面通りに音楽は進みます。ま、47小節あたりから刻むカスタネットのリズムが最初の「おやぁ?」でしょうか。展開部はかなり編曲者独自の対旋律や装飾が付加されています。113小節あたりの半音階下降もハマってますし、150小節からのベースライン変更も切なくて良いですね。193小節からは小太鼓が入って来てかなり明確な3拍子ダンスになり、再現部に向けての長い小太鼓ロールは妙に納得感があります。小太鼓ロールで盛り上げた後ですので、原曲の再現部は弱奏指示ですが「f」で力強く来ます。これも大納得。このあたりから付けてる和声がちょっとお洒落で今っぽい感じになり、247小節の濁った感じの装飾は(ちょっとズッコケますが)おもしろい。270小節で吃驚の全休止してから、ガツンと271小節を始めるところも良い演出です。音楽は次第に盛り上がり、350小節からは豪華絢爛大舞踏会状態に突入。原曲のラストは弱奏で終わりますが、こちらは大舞踏会状態のまま強奏で終わります。で、私個人は圧倒的にこの編曲の終わり方が好きです。もうベートーベンではありません。でも本当に素敵な音楽です。しかも演奏は高校生ですからね。大したもんです。(*2

この素晴らしいテンペストはピアノ独奏用に逆編曲すべきでしょう。タイトルは、Valse-caprice de concert sur le finale de “Tempest” Sonate de Beethoven=Shishikura かな。結構イケる気がします。

今回、高校生たちの想いのこもった吹奏楽によるピアノ音楽演奏、感服いたしました。ピアノ音楽にはみなさんのアレンジの魔手が延びてくるのを心待ちにしている名曲がうじゃうじゃいます。とりあえずはバラ4かアルカンの交響曲、ラフマニノフの第2ソナタあたりからよろしくお願いいたします。

注*1:CD解説より引用
注*2:同じアルバムには、狂詩曲「ショパン・エチュード」というピアノ弾きに喧嘩を売ってるような楽曲も入っています。Op.10-4,12、op.25-7-11の4曲による自由なパラフレーズで、op.10-4とop.25-7は原曲のテンポ感で、op.10-12はゆったりエレジー風に、op.25-11は哀しきファンファーレのように使われてます。Op.10-4は演奏が大変そうでかなりゴクロウサンです。

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。

吉池拓男の迷盤・珍盤百選 (24) 珍曲へのいざない その3 執念の人々

Unknown Piano Music of Alkan – Original works and transcriptions John Kersey(p)RDR CD30
Piano music of Sydney Smith (1839-89) Original works and paraphrases John Kersey(p)RDR CD24

忘れられた作曲家や埋もれた作品を世に出すことに凄まじいパワーを注いだピアニストがいます。代表的なのはアルカンの復活に心血を注いだ人たち。19世紀末頃はリストやショパンと並ぶ大作曲家と言われていたのに、20世紀前半段階でほとんど誰も弾かなくなっていた(ま、そりゃ無理ないかな)アルカンの復活にRaymond Lewenthal(1923 – 1988)とRonald Smith(1922 – 2004)は凄まじい情熱を傾けました。この2人が交流を持っていたのか、どう影響し合ったのかはわかりません。しかしこの2人の執念なくしては、アルカンの復活は無かったでしょう。日本でも中村攝(金澤攝)が1990年頃、アルカン・リバイバルに執心していました。今現在は森下唯が集中的にアルカンに取り組んでいます。これまでの先人たちが難しすぎて手を出さなかったスケルツォ・フォコーソop.34に見事な演奏で光を当てたのは森下の素晴らしい成果と思います。ともあれ21世紀になってピアノサークルの発表会やストリートピアノでもアルカンを弾く人がいるような世の中になったのはLewenthalとSmithのおかげです。彼らの執念に深く深く感謝しましょう。(余談ですが、Kapustinが世界中に知られて弾かれるようになったのは、日本のピアノ愛好家たちの力と私は思っていますが、どうでしょう。)

さて、忘れられた作曲家や埋もれた作品の復活に心血を注ぐ演奏家は、数多く存在していると思います。その中でもかなりアツイのがイギリスの音楽学者でピアニストのJohn Kersey先生でしょう。彼は19世紀ロマン派のピアノ音楽の発掘に執念を燃やしており、自ら録音してリリースし続けています。彼のCDは(私が買った時、そしてたぶん今も)輸入CD店やamazonでの取り扱いはなく、彼のホームページから直接買うしかありませんでした。そのCDリリース数たるや凄まじく、聞いたことのない作曲家名や珍曲に溢れたサイトのカタログアーカイブスコーナーもあり)を見るだけで嘆息の嵐となってしまいます。一応連番であるCD番号はすでに103です。

私が買ったのは「Unknown Piano Music of Alkan」と「Piano music of Sydney Smith」の2枚。ただでも珍曲作家扱いのアルカンのさらに「知られざるピアノ音楽」とは何だ?と見てみると、

  1. Handel=Alkan: Chœur des Prêtres de Dagon from ‘Samson’
  2. ‘Il était un p’tit homme’: Rondoletto, op. 3
  3. Weber=Alkan: Chœur-Barcarolle d’Obéron (Les filles de la mer)
  4. Beethoven=Alkan: Chant d’Alliance (Wedding Song)
  5. Désir, petit fantaisie
  6. Variations quasi fantaisie sur une barcarolle napolitaine, op. 16 no. 6
  7. Grétry=Alkan: Marche et Chœur des Janissaires
  8. Nocturne no 3 in F sharp major, op. 57
  9. Marcello= Alkan: ‘I cieli immensi narranno’ from Psalm 18
  10. Gluck=Alkan: ‘Jamais dans ces beaux lieux’ from ‘Armide’
  11. Variations on ‘La tremenda ultrice spada’ from Bellini’s ‘Montagues and Capulets’, op. 16 no. 5
  12. Réconciliation: petit caprice mi-partie en forme de zorcico, ou Air de Danse Basque à cinq temps, op. 42
  13. Variations on ‘Ah! segnata è la mia morte’ from Donizetti’s ‘Anna Bolena’, op. 16 no. 4
  14. Anon=Alkan: Rigaudons des petits violons et hautbois de Louis XIV
Unknown Piano Music of Alkan – Original works and transcriptions

初期作品や編曲もの中心のラインナップで、リリースされた2007年当時では世界初録音曲が含まれていました。初期アルカン作品は変態的な難技巧や過激な書法はほとんどなく、エルツやピクシスを思わせるようなサロン風の明るさと程よい華美に包まれています。中でもOp.16 no.6 の変奏曲はリストのタランテラの中間部と同じ旋律を使っていて、結構興味深く聴けます。編曲ものもおとなしめのものばかり。これは執念の人John Kersey先生がアルカン全盛期の変態的難技巧をあびせ倒すようなテクをたぶん持っていないことにも起因していると思います。確かにKersey先生はアルカンの交響曲のライブ録音もリリースしてます。が、アルカンに取り組んだ豪腕系ピアニストたちと比べると多少酷な感じです。もちろん「Unknown Piano Music of Alkan」の各曲はきちんと弾いてはいて、たどたどしくはないです。ただ、華麗なる系のフレーズをピアノ的美感に昇華させるまでのピアノ弾きではありません。

Piano music of Sydney Smith (1839-89)

もう1枚はイギリスの作曲家シドニー・スミス (1839-1889)の作品集。シドニー・スミスはいくつかのペンネームを使い分けながら、いわゆるサロン風ピアノ曲をわんさか書いていた人です。自作だけでなく有名管弦楽曲やオペラのブリリアントなパラフレーズも量産しています。LPやCDやYouTubeのなかった時代、音楽鑑賞と普及がこうしたピアノ編曲によって行われていたことは有名な話です。さて、このCDの注目曲は「メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲によるパラフレーズ」です。オペラ楽曲や歌曲、管弦楽曲のピアノ独奏用編曲は普通にありますが、ヴァイオリン協奏曲によるものはかなり珍しく、ゴドフスキが編曲したゴダールのカンツォネッタ(Concerto Romantique Op.35第3楽章)くらいしか知りませんでした。早速聴いてみると、全3楽章で25分くらいある原曲をそのままの順番で14分サイズに縮めています。何じゃこのカットは、という突っ込みどころは満載。第2楽章の温存度は高いですが、両端楽章はかなりザックリ行っています。ピアノ技巧的には妙なキラキラフレーズを入れたりせずに素直に創っています。楽譜はIMSLPのメンデルゾーンのヴァイオリン協奏曲のArrangementタブの中にあります。ザックリカットに耐えられるならば、ピアノ学習者用コンテンツにはなる気がします。なんといっても原曲が超有名ですからね(*1)。さて、その他にはスミスの自作曲や有名オペラパラフレーズなどが8曲ほど収められています。Kersey先生によるベストセレクションなのでしょうが、特に自作曲は身震いするほどツマラナイです。無名で終わった作曲家の実力が遺憾なく発揮されていますので、ぜひ歯を食いしばってご堪能ください。

Kersey先生が後の世で「●●●の曲が世界中で弾かれるようになったのはKerseyの執念のおかげ」と言われるかどうかはわかりません。彼の膨大な発売CDを全て買って聴き込み、その執念に共感するところから未来は広がるでしょう。私は財力もなく、スミスの曲を聴いた徒労感から、その冒険に出ることはないでしょう。未来はKerseyの門を叩いた貴方から始まります。どうぞどうかお気張りやっしゃ。

注*1:CDには収録されていませんが、スミスは同じメンデルスゾーンのピアノ協奏曲第1番の短縮独奏版も作っているようです。

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。

吉池拓男の迷盤・珍盤百選 (23) 珍曲へのいざない その2 麗しき泥船、その名は「全集」

珍曲を探し求める泥沼旅には頼りになる気がする泥船が浮かんでいます。その船の名は「全集」。私の嗜好領域のピアノ音楽の世界で言えば「Complete piano works of “作曲家”」と銘打たれたCDです。とにかく一人の作曲家のピアノ音楽が全部聴ける。主要作品から半端作品、場合によっては未完成や断片作品まで聴ける。しかも人生全般にわたってピアノ曲を書いた作曲家の場合は、作風の変遷を通じて作曲家の人生行路まで辿れるような気がして来る、それが麗しき泥船「全集」の魅力です。

今のCD業界の全集発売攻撃は凄まじいものがあります。ピアノCDの世界で全集をよく出している3つのピアノ重視レーベルから「ピアノ作品全集」が出ている作曲家を並べてみましょう。(2020年9月現在)

★PIANO CLASSICS★
DebussyPintoBernsteinShamo武満RavelUstvolskaya

★TOCCATA CLASSICS★
PeykoRespighiHermannEllerEnglundBeckLevitzkiHurlstoneR. MalipieroTajčevićLyadovO’BrienReichaBuschRameau

★GRAND PIANO★
Saint-SaënsWeinbergA. TcherepninBalakirevPonceSamazeuilhVoříšekBabadjanianLe FlemMosolovEnescuKaprálováArutiunianLouriéKvandalGlinkaRoslavetsKalomirisSatieStanchinskyBersaLutosławskiAntoniouKuulaBarjanskyBalassaHarsányiRotaMokranjacBottiroli

「全集」以前に「誰やこいつ」という人がたくさん並んでます。ドビュッシーなど有名作曲家の全集も今更作ってどうすんのと思いがちですが、新発見作品とか異稿とか編曲ものとかが次々と加わり、よりパワフルになってきています。例えばGRAND PIANOから出ているSaint-Saëns全集などは、VOXから40年くらい前に出ていたDosse盤には収録されていなかった作品が世界初録音9曲含めて13曲入っています。さらに聞いたことのない作曲家の数々。そのピアノ曲がコンプリートで聴けてしまうのですから、ほんと、イイ時代です。もちろん他のレーベルからも有象無象の作曲家の「ピアノ作品全集」が出ていますので泥船の楽しみは尽きません。もうひとつ。「全集」の有難いところは、刊行中の出版物にもIMSLPにも楽譜がなく、存在すら掴みづらい楽曲を知ることができる点にあります。「全集」企画者たちの楽譜集めの苦労は相当なものと思われますが、世界には結構無名の作曲家でも研究対象にしている人がいるので、研究者さえ見つかればなんとかなるものかもしれません。

さて、これまでに手にした「全集」の中で印象に残っているものを3つほどご紹介しましょう。

【Grieg Piano Music  Einar Steen-Nokleberg(p)  NAXOS 全14集】 1995年

収録曲の多さで度肝を抜かれたSteen-Noklebergのグリーグ全集。音楽的に重要な作品ではないでしょうが「ノルウェーの旋律 全152曲」がCD3枚に渡って収められていたのには驚きました。さらにはいくつかの短いスケッチだけで終わったピアノ協奏曲ロ短調(断片)とかも収められていました。有名なイ短調の協奏曲と比べたらイマイチな音楽だったのは否めないものの、なかなかに興味の湧く素材です。この全集録音(発売当時は1枚ずつ出た)は何よりも演奏のレベルが素晴らしく高いのです。ピアノの音やフレージングから北欧音楽の香りが凛と漂い、この録音さえあればもうグリーグのピアノ曲の他の録音はいらんなぁとしみじみ思わせた、まさに「全集録音の鑑」。

【Mily Balakirev The Complete Pino Music  Alexander Paley(p)  ESS.A.Y 全6集】1994年
【Mily Balakirev Complete Piano Works  Nicolas Walker(p) GRAND PIANO 全6集】2013~20年

今から40年くらい前、バラキレフに「ショパンの2つの前奏曲の主題による即興曲」というけったいなタイトルのピアノ曲があることがわかったのですが、ネットもIMSLPもなかった時代に実態が全く分からずにいました。1994年にPaleyのバラキレフ全集が出て、ようやく確認できた喜びは今も記憶に残っています。ショパンの前奏曲op.28の第14番変ホ短調と第11番ロ長調の動機を使って5分くらい拡大・展開させた作品でした。特に第14番。原曲は急速な両手ユニゾンの作品ですが、少しテンポを落として分厚い和音交互連打作品へと大化けさせています。残念ながらPaleyの演奏は技巧的に不満要素が多く、GRAND PIANOレーベルから出ているNicolas Walkerの全集録音(他には音楽史上の即興曲を集めたアルバムのMargarita Glebovの演奏)の方が遥かに良く、バラキレフのアホさ加減がもりもりと伝わってきます。なお、Paleyより後から出たNicolas Walkerの全集録音にはピアノソナタop.3などの世界初録音曲に加え、バラキレフがショパンのスケルツォ第2番のラスト2ページくらいを大胆に書き換えたびっくりヴァージョンも収録されています。後出し全集充実の法則ですね。

【Cyril Scott  Complete Piano Music  Leslie De’Ath(p)  DUTTON  全5集(9枚)】2005~9年

異国情緒あふれるピアノ曲「Lotus Land」で有名なスコットは、他にもピアノ曲を沢山遺しています。この全集録音を買って初めて知った珍曲が、第3集に収められている「2台のピアノのためのバッハによる3つの小品」。2声のインヴェンション第8番BWV 779、イギリス組曲第2番BWV 807のサラバンド、フランス組曲第5番BWV 816のジーグを2台ピアノ用に自由にアレンジした作品です。最も手の込んでいるのはBWV 779で、イギリス民謡系近代音楽風味のゆったりとした序奏部(*1)が1分くらいあった後、おなじみのBWV 779が始まります。当然ピアノ2台なので次第に音は足されて行きます。1分ほどで原曲通りの進行が終わると、スコットによる独自の展開が始まります。これが近代和声に彩られ、中々にお洒落で面白い。正直、他のスコットの膨大なオリジナルピアノ曲より優れモノです。続くBWV.807は和声を厚めにしているくらいであまり変えていません。BWV 816もほぼ原曲通りの進行ですが、曲の最後の構成を変えて前半のジーグ主題を回帰させ、高らかに鳴らして締めくくるようにしています。この流れは自然であり、高揚感も原曲以上です。この全集録音盤を買わなかったら、作品の存在に気付くことも無かったでしょう。スコットくらいの知名度ではWikipediaにも作品リストがろくになかったりするのです。本当にありがたい泥船です。

これらの作曲家以外にも沢山の全集録音が出ています。主要作曲家以外で聴いたのは、Sgambati、Turina、JongenFieldGraingerC. Schumann、Wiklund、RodrigoMompouGuastavinoGinasteraPaderewski等々。GodowskyBortkiewiczSéveracも全集に近い状況になってきています。その一方でMoszkowski、Friedman、Tournemire、Pierné、Chasinsは出そうで出ないですねぇ。世界の誰か、がんばって! 

AmazonやYouTube Musicの配信にも多くの全集録音が登録されています。泥船はすでに乗り易い船団となって貴方をお迎えする準備を整えています。ぜひ皆様のご乗船を心よりお待ち申し上げます。泥沼の泥船ではありますが……。

*1:この序奏部がスコットのイギリス民謡風のオリジナルではなく、バッハの何らかの作品の変容である可能性もあるが、筆者の知識の中ではわからなかった。CDの解説にも何の言及もない。

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。

吉池拓男の迷盤・珍盤百選 (22) 珍曲へのいざない その1 往年の大ヒット曲

Francis Planté The Complete Issued Recordings Marston LAGNIAPPE L002 2004年
Legendary Piano Recordings:The Complete Grieg, Saint-Saëns, Pugno, and Diémer Marston 52054-2 2008年
The Art of the Transcription Earl Wild(p) AUDIOFON CD72008-2 1982年

さて、ミューズ・プレスの細谷代表から「最近は珍曲ブームらしいですよ。F間K太朗さんがレア曲だけの配信リサイタルシリーズを主催したり、F田M央さんがアルカン弾いたりしてますよ。」というお話をいただきました。なので数回、“珍曲的なるもの”を扱ってみようと思います。筆者は「もっと良い曲がこの世にはあるに違いない」と信じて30年間くらい素敵な珍曲を探し求めてましたので、その流浪の結果としてひとつ言えることがあります。

珍曲に名曲なし!!探すだけかなり無駄」

IMSLPの作曲家の一覧を見るとわかるように、歴史上「クラシック音楽の作曲家」はごまんといます。恐ろしい数です。正直、9割近くの人の名前は初めてですし、その作品を聴いたことある人となると50人に一人いるかいないかでしょう。つまり、ここには「珍曲」が溢れんばかりに隠れているのです。探してください、一生懸命。いい曲なんてほとんど見つかりませんから。無名の作曲家が無名なのはやはり才能が乏しいからです。人の心にしっかり届いて残り続ける音楽を書けないのです。音楽の長い歴史の中で光を浴びるべき人や作品は、光度のバラツキや明滅はあるにしろ光をすでに浴びています。前述した珍曲扱いのアルカンだって19世紀末の頃にはショパンなどと並ぶ大作曲家と言われていたのです。

さて、否定的なことばかり言ってしまうと夢と希望とこの文章を読む気が無くなるだけです。実際のところ、珍曲の中にも稀に聴き手の珍なる個性とマッチングして(あくまでも個人的な)名曲が見つかることがあります。その時の(あくまでも個人的な)随喜の悦楽と言ったら、麻薬的な泥沼以外の何物でもありません。だから(あくまでも個人的な)珍曲探しはやめられないのです。珍曲探しとは自分にとって音楽とは何かを見つめる旅でもあります。どうぞ、さらなる深みへとお進みください。

さて、今回は一時期は輝く光を浴びていたがすっかり忘れられた作品を2つご紹介します。

Francis Planté
The Complete Issued Recordings

ピアノ演奏録音を遺した音楽家の内で生年が古い人はブラームス(1833年)サン=サーンス(1835年)、プランテ(1839年)あたりではないでしょうか。前二者は主に自作を録音したので、職業ピアニストらしいレパを録ったのはプランテが最も古い一人でしょう。プランテは19世紀フランスを代表するピアニストで優雅極まりないスタイルで人々魅了したようです。彼が18曲ほど録音したのは1928年の89歳の時。ショパン本人にも会ったといわれる人の演奏でしたから、ショパンの演奏(練習曲7曲)はじめ貴重な記録として注目されるのですが、残念ながらあまりよい演奏ではありません。89歳の爺さんがよっこらよっこら弾いてるといった感じで、音楽が結構不自然に流れます。ま、味があるといえば味があります。

Legendary Piano Recordings:The Complete Grieg, Saint-Saëns, Pugno, and Diémer

さて、プランテから少し時代が下って1852年生まれのプーニョもフランスを代表したピアニストでした。彼は1903年に18曲ほど録音を遺します。まだ51歳なので技術的にもバリバリで、自由に舞うような洗練された音楽創りを聴くことができます。特にかなりのスローテンポで弾かれるショパンの夜想曲第5番はショパンの弟子直伝の作法ですし、ショパンのワルツ第2番では「真珠奏法」という秘技を披露しています。(真珠奏法とは色々な文献によればプーニョの特殊なスタッカート奏法らしいが、正直、聴いてもよくわからない。)

で、この歴史的な二人の貴重な録音(ともに18曲)には共通した楽曲があります。それはメンデルスゾーンの無言歌から「狩りの歌」「紡ぎ歌」そして「スケルツォop.16 no.2」です。ここでふと気づきます。スケルツォop.16 no.2 って他のピアニストも結構録音してたような気が???、と。

早速、2020年夏に公開されたイギリスのCD会社APRのピアノSP録音データベース(以降APR/DBと表記)を調べてみましょう。APR/DBは12268ものピアノSP録音データが登録されていて、まさに爆涙ものの情報源です。早速メンデルスゾーンのスケルツォop.16 no.2 を検索してみると……出るわ出るわ、33種類のSP録音が登録されていました。しかもピアニストが凄い。コルトー、フリードマン、モイセイヴィッチ、ザウアー、ケンプ、チェルカスキー、ギレリス、ブライロフスキーなどなど。33種類が多いのか少ないのかを知るにはショパンのワルツ各曲の録音回数と比較するとわかりやすいと思います。APR/DBでは、

ショパンのワルツ・SP録音回数
1番2番3番4番5番6番7番8番9番10番11番12番13番14番
34403222557611119351854111358

となっていました。メンデルスゾーンのスケルツォ op.16 no.2 は華麗なる大円舞曲や別れのワルツ並みの人気楽曲だったのです。しかし、現代のピアニストでこの曲を基本レパートリーにしている人なんて聞いたことがありません。拙文をお読みいただいている貴方も、どういう曲が頭に浮かばないでしょう。有名どころのピアニストがこぞって弾いた曲でしたが、おそらくは20世紀の中ごろに急速に人気を失ったと思われます。20世紀初頭になぜ人気があり、そしてなぜ人気を失ったのか、これに関しては全く見当がつきません。確かに作曲家は有名ですが、もうみんな知らない往年の大ヒット曲、立派な“忘れられた珍曲”の部類に入ってしまっています。

The Art of the Transcription Earl Wild(p)

昔の大ヒット曲という点では、ショーンバークの名著「ピアノ音楽の巨匠たち」に気になる記述があります。それは「70年前には、バッハ=タウジヒのニ短調のトッカータとフーガでリサイタルを始めないのは決まりに反するという感があった。」(新版:p274)です。この本が刊行されたのが1963年ですから70年前とは19世紀末頃。そのころのピアノリサイタルはタウジヒ編のBWV 565から開始するのがお決まりだったというのです。今、この編曲を演奏会の冒頭どころか弾く人さえ稀になりました。理由はいくつか考えられます。BWV 565が鼻から牛乳が出るくらい有名すぎる事、タウジヒ以外にブゾーニやコルトー、レーガー、ブラッサンなどの多彩で優れた編曲版が登場した事などです。特にタウジヒ編曲は冒頭に奇妙な改変が施されています。ど頭の「チャラリ~」というところを、音の上下を変えた上でトレモロ風に二回回すのです(楽譜参照)。これでは「チャリラリラ~ 鼻から牛乳*」となって緊張感は薄れ、ま、少しずっこけます。嘉門タツオ先生もさぞや歌いにくくなったことと思われます。ピアノでBWV 565を弾こうと思った人がいても、この部分を観ただけで他の編曲を手にしたくなることでしょう。20世紀以降でライブでこの編曲を弾いているCDは、アール・ワイルドの「The Art of the Transcription」しか私は知りません。ちなみにこのライブでも演奏会の冒頭には置いていません。 もう「ピアノリサイタルはタウジヒ編で開始」が復活する日はないでしょう。ただ、おかげでこの編曲も珍曲の仲間入りです。

タウジヒ編「トッカータとフーガ ニ短調」はおそらくこの曲の編曲でも最古のもの

一時でも聴衆の人気を博した楽曲には何らかの真実があります。少なくとも人の心を掴んで離さないナニモノかがそこには息づいています。忘れ去られた昔のヒットナンバーを探し出して「底力のある珍曲」として世に問い直すのは一興と思います。昔のヒットナンバー探しはまずはAPR/DB内を探しまくるところから始めましょう。やたらと弾かれている知らない曲、たぶん……ありますよ。

*注:クラシック音楽一筋の皆様へ。「チャラリー 鼻から牛乳」というのは、大阪のシンガーソングライター嘉門タツオが1992年に発表した「鼻から牛乳」という作品において、バッハのBWV.565の冒頭部分のメロディーを引用し、そこに付与した歌詞です。これは偉大なるクラシック音楽に対する冒涜であり、決して許されることではありません。皆様の怒りの声を日本の文化行政にぶつけ、音楽の父たるヨハン・セバスチャン・バッハ(たぶん)の真の姿を無知蒙昧なる庶民に知らしめねばなりません。クラシック音楽の守護神たる貴殿の蜂起を、鼻から焼酎垂れ流しながら待っております。

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。