2023年6月の新刊情報(服部百音、ニコライ・ホジャイノフ、アルフォンソ・ソルダーノ)

2023年6月の新刊情報をお届けします。

服部百音:L.v.ベートーヴェン 《ヴァイオリン協奏曲 ニ長調》作品61へのカデンツァ

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若手ヴァイオリニストの中でも随一の人気と実力を誇る服部百音。21歳の時に初めてベートーヴェンのヴァイオリンコンチェルトの実演に挑む際、当時の桐朋学園大学学長だった梅津時比古氏の助言で書き下ろし、見事サントリーホールで演奏をした自作のカデンツァが登場です。この曲へのカデンツァは多くの作曲家やヴァイオリニストによって書かれていますが、服部は良く知られたクライスラーのカデンツァを導入に引用してオマージュを捧げています。

服部百音(はっとり もね)
1999年9月14日生まれ。 5歳よりヴァイオリンを始め、幼少期より辰巳明子、ザハール・ ブロンに師事。 8歳でオーケストラと初共演し、2009年にポーランドでのリピンスキ・ヴィエニャフスキ国際ヴァイオリンコンクールで史上最年少第1位並びに特別賞を受賞。10歳より演奏活動を始め11歳でミラノのヴェルディホールでリサイタルを行いグランドデビュー。ロシア、ヨーロッパに於いても演奏活動を始める。 2013年にはヤング・ヴィルトゥオーゾ国際コンクールでグランプリ、新曲賞を受賞。 また同年開催のノヴォシビルスク国際ヴァイオリンコンクールでは13歳でシニア部門に飛び級エントリーし、史上最年少グランプリを受賞。 2015年にはボリス・ゴールドシュタイン国際コンクールでグランプリを受賞。 2016年10月「ショスタコーヴ ィチ:ヴァイオリン協奏曲第1番、ワックスマン:カルメン 幻想曲」でCDデビューし、レコード芸術の特選盤に選出される。 2017年新日鉄住金音楽賞、岩谷時子賞、 2018年アリオン桐朋音楽賞、服部真二音楽賞、2020年ホテルオークラ音楽賞、出光音楽賞を受賞し 2021年1月にはブルガリ アウローラ アワードを受賞した。 現在はN響、読響、東フィル、東響、日フィルをはじめとする数々の著名オーケストラ、指揮者と共演を重ね海外でもマリインスキー劇場をはじめ様々な演奏活動を行っている。 21年10月より桐朋学園大学音楽学部大学院に進学。使用楽器は日本ヴァイオリンより特別貸与のグァルネリ・デル・ジェス。


ニコライ・ホジャイノフ:平和の花びら – ピアノのために

楽譜表紙(MP-08803)

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ニコライ・ホジャイノフは、2022年11月にジュネーブの国連事務局の「人権と文明の同名の間」で行われたコンサートのために、《平和の花びら》という名のピアノ作品を作曲しました。ホジャイノフはこれまでに数曲の編曲作品を生み出し、これまでに2曲出版されていますが、自作の作品の出版は初めてです。

最近は誰もが戦争のことを気にかけている状況なので驚くことでなくなったかもしれませんが、国連によると現在、世界で25もの国々が戦争状態にあるそうです。そのことを思い、この演奏会のために特別にこの曲を作り、国連で初演しました。 私はこの作品を「Petals of Peace(Pétales de la Paix、平和の花びら)」と名付けました。 平和とは蜃気楼のようなもの、美しい幻影のようなものです。時には目にすることができるし、触れることもできるけれど、同時に、私たちみんなが求め、何よりも必要とするものでもあります。 この作品は、美が支配し、私たちが一つでいられる、別の世界を表すものです。それは、私たちが永遠に望み続ける夢といえるでしょう。
―ニコライ・ホジャイノフの解説より

ニコライ・ホジャイノフ
ピアニスト、ニコライ・ホジャイノフの音楽性と恐るべきテクニックは、全世界の聴衆を魅了している。これまで、ニューヨークのカーネギーホールやリンカーン・センター、ワシントンのケネディ・センター、ロンドンのウィグモアホール、パリのシャンゼリゼ劇場やサル・ガヴォー、モスクワのチャイコフスキーホール、東京のサントリーホール、シドニー・オペラハウス、チューリッヒのトーンハレ、ローマのクイリナーレ宮殿、マドリード国立音楽堂、国連など、世界の主要なコンサートホールで演奏。リサイタルやコンチェルトで多くの会場を満席にしている。

Photo: Marie Staggat

アルフォンソ・ソルダーノ:ラフマニノフの作品に基づく2つのピアノ編曲

楽譜表紙(MP-02904)

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ラフマニノフやボルトキエヴィチ等のロシア音楽を得意とするアルフォンソ・ソルダーノによる新たなラフマニノフのピアノ編曲作品を出版します。今回、ラフマニノフの代表作として語られる「アダージョ」(交響曲第2番より)、そして、元々は2台ピアノのために作曲された「愛…夜」(組曲第1番より)がピアノ独奏版として生まれ変わります。ピアノが本来持つ特性を活かしつつも、さまざまな楽器の役割をピアノ一台で表現しています。

トランスクリプションやパラフレーズは、知的な引用や単なる移調ではなく、最も文化的な意味で、独自の生命を持つ作品としてとらえることができる。ピアノ演奏は、本来、さまざまな楽器の担い手(オーケストラ、室内楽、声楽、オペラ)のために考えられたもので、これは白黒写真の発明に匹敵するほどの重要な発明である。実際、この最新技術の出現以前には、美術館にある芸術作品のようなものを深化させ、遠くに届ける手段は存在しなかった。白黒写真は、オリジナルの色彩の復元することができないが、作品の特徴を忠実に再現することができる。トランスクリプションも、高度な技術を用いることで、楽曲のイメージや感覚、様式、楽器の知識に関する情報を同じように提供しており、稀に原曲よりも詳細な情報をもたらすこともある。(ラヴェルの《ラ・ヴァルス》の2台ピアノ版など)
―アルフォンソ・ソルダーノの解説より

アルフォンソ・ソルダーノ
生来の技巧派、洗練された音楽解釈で高い評価を受けているアルフォンソ・ソルダーノ(1986・イタリア、トラ―ニ在住)はニコロ・ピッチンニ音楽院にてアルド・チッコリーニやピエルイージ・カミーチャに師事し、若くして優秀な成績“Distinguished Degree with Honor”で卒業した。またサンタ・チェチーリア国立音楽院においてもベネデット・ルポに師事しディプロマを取得。数々のコンクールにおいて優勝し、現在はイタリア各地でのマスタークラスをはじめ、ヨーロッパ各地に招待されている。2013年4月には“International Gold Medal Prize for Best Italian Artist (ベスト・イタリアン・アーティストに贈られる賞)”を受賞し、ローマ・ラ・サピエンツァ大学の式典に出席。17歳のころよりバカウ・フィルハーモニー管弦楽団のラフマニノフ作品の公演に出演している他、イタリア国内外のオーケストラにてO.Balan、 D. Frandes、 M. Cormio、V. Zhadkoといった指揮者と共演している。

シャルル・ケクラン~フランス音楽黄金期の知られざる巨匠(6)

 1902年3月、ケクランの私生活には変化の兆しが見えていた。彼はそれまで8年ほど住んでいたパリ16区のプラス・ディエナ(Place d’Iéna)を後にして、同じ区内のオートゥイユにあるヴィラ・モンモランシー(Villa Montmorency)へと居を移す。16区といえば、現在でも富裕層が多く集まる高級住宅地として知られているが、アルザス地方のブルジョワ家系を出自とするシャルル・ケクランが生まれたのもこの地区だった。豊かな家庭環境に生まれ育った彼にしてみれば、この高級な地域の雰囲気は居心地の良いものだったのか、何度かこれ以後も同じ区内で引っ越しを繰り返している。

 まさに同じ頃、隣接する17区のカルディネ通り58番地では、歌劇《ペレアスとメリザンド》の初演を約1カ月後に控えて、ドビュッシーが最終段階の作業を行っていた。この時にはまだ力ある多くの作曲家の一人でしかなかった彼も、フランスを代表する作曲家としての名声が確立されてからの1905年には、16区のブローニュの森にほど近い一軒家へと移り住んでいる。

 まさかもうすぐ、たった一つの歌劇が楽壇を震撼させフランス音楽の歴史を塗り替えることになろうとはつゆ知らず、ヴィラ・モンモランシーに引っ越したケクランは、ここで一人の女性と出会う。

エッフェル塔から見下ろした16区の風景。奥の森がブローニュの森。
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シャルル・ケクラン~フランス音楽黄金期の知られざる巨匠(5)

 パリ音楽院のフォーレ・クラスの仲間たちについてはすでに述べた。若き才能のるつぼの中で切磋琢磨する日々が、作曲家としての形成期にあったケクランに与えた影響は計り知れない。彼がフォーレの門下生となってから2年後の1898年、新たな仲間がこのクラスに加わった。若者の名はモーリス・ラヴェルであった。

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【新刊情報】山中惇史:翡翠の時 (2021) – ピアノソロ —

この度、作曲家・ピアニストとして活躍する山中惇史のピアノ作品「翡翠の時」を出版いたします。

「翡翠の時」の楽譜表紙

本作品は、2021年に開催されたピティナ・ピアノコンペティションの特級セミファイナルの課題曲として委嘱されたことにより誕生しました。コンクールという極限の状態にいる音楽への愛を携えた演奏者たちと作曲者が幼少期に出会った凛とした翡翠の姿が重なった奇跡的な作品です。こちらのページからご購入いただけます。

「翡翠の時」作品に寄せて
小学校からの帰り道、生茂る木々を分け入った先に小さなほとりがあり、枝の先に翡翠が。息を飲むように、そっと覗き見たエメラルドグリーンの美しさは今でも脳裏に鮮烈に焼き付いています。

コンクールという極限状態にさらされる場に音楽への愛を携え挑もうとする皆さんを思った時、何故かその翡翠の凛とした姿が頭によぎりました。この上なく純で、一瞬で過ぎ去る幻の時。

ファンタジーを持って演奏していただければ幸いです。

商品情報
作品名:「翡翠の時」(2021)
序文(英語・日本語):山中 惇史
ページ数:16ページ
ISBN978-4-90966-88-2
表紙イラスト:Rachel Toll
表紙デザイン&コンセプト:泉 美菜子

今泉響平による演奏

【お知らせ】
なお、こちらの「翡翠の時」は、作曲者である山中惇史によって下記の演奏会にて取り上げられます。
チケットをご希望の方は、①お名前 ②枚数 ③ご連絡先 を明記の上、以下のメールまでお問い合わせください。
山中惇史ピアノ・リサイタル実行委員会:[email protected]


山中惇史
東京藝術大学音楽学部作曲科を経て同大学音楽研究科修士課程作曲専攻修了。後に同大学器楽専攻ピアノ科卒業。第26回奏楽堂日本歌曲コンクール作曲部門第1位受賞。器楽、室内楽、合唱など多数がヤマハミュージックメディア、カワイ出版などから出版されている。
またピアニストとしては2018年にリサイタル・デビュー。共演者としても絶大なる信頼を置かれ、国内外の著名なアーティストに指名を受け共演を重ねる。ピアニスト、作曲家、アレンジャーとして参加した各CDはレコード芸術誌にて特選盤、 準特選盤に選出されている。東京交響楽団、東京フィルハーモニー交響楽団、神奈川フィルハーモニー管弦楽団、群馬交響楽団など多数のオーケストラとの共演、作品が演奏されている。2020年にピアニスト・作曲家の高橋優介とのピアノデュオ『176』(アン・セット・シス)を結成。自らの編曲によりオーケストラ作品の演奏に挑み、第1弾として『レスピーギ/ローマ三部作』をメインに演奏会を開催、同時にカワイ出版より楽譜出版、ライブレコーディングもされた。
最新アルバム『ジョン・ウィリアムズ・ピアノコレクション』がエイベックス・クラシックスより2021年10月に発売。今シーズン(2021)では、ピティナ・ピアノコンペティション特級新曲課題曲、朗読音楽劇「シャーロックホームズ」(主演・山寺宏一、脚本/演出/構成・野坂実)の作曲を担当、セントラル愛知交響楽団定期公演に招かれリスト/ピアノ協奏曲第1番を演奏など、活動は多岐にわたる。東京藝術大学非常勤講師。

Twitter: @ginyamagin Instagram: @yamanaka.atsushi

山中惇史
photo ©Imura Shigeto

2022年5月の新刊情報(平野弦、山本純ノ介、レスリー・ハワード、ローガン・スケルトン、ゴドフスキー、カミェニャク、ブランシェ)

2022年5月の新刊情報をお届けします。


平野弦:ピアノ作品集
彼の名前をYouTubeで見かけたことがある方も多いかもしれません。恐らくは、人間離れした驚異的なテクニックで超難曲である一柳慧の「タイム・シークエンス」や「ピアノ・メディア」を演奏している姿をYouTubeでご覧になった方が多いでしょう。これまで、彼の自作曲である「前奏曲とフーガ」や平野弦による「弦楽のためのアダージョ」(作曲:バーバー)のピアノ独奏編曲は、楽譜出版を要望する声が多数上がっていました。今回それらの作品も含め、一部のピアノ愛好家で存在が囁かれていた平野弦によるオリジナルピアノ作品も数曲、そして平野弦による楽曲解説も加えピアノ作品集として登場します。

収録楽曲
練習曲 ヘ短調(第1稿)/ 練習曲 ヘ短調(第2稿) / 前奏曲とフーガ / フーガ ヘ短調 / 夜想曲「壊れた籠」- 左手のために / フーガ 変ホ短調 – 左手のために(或いは両手のために) / 「荒城の月」の主題によるフーガ / サミュエル・バーバー:弦楽のためのアダージョ(ピアノ独奏編曲:平野弦)


山本純ノ介:梅花月下の舞(二十五絃筝のために)
日本を代表する箏曲家の野坂操壽の委嘱によって作曲家の山本純ノ介は二十絃筝の魅力に憑りつかれ約1年半の歳月をかけ、2016年に「梅花月下の舞」を完成させました。この作品は、二十五絃筝による私小説のような交響詩的抒情組曲として生まれ、現代人としての感覚を活かした浪漫的でより抒情的な時間と空間に想いを馳せた作品にしたいという考えが根底にあります。

山本純ノ介の解説より
一曲目「蕾膨らむ」は厳しい寒さの中で新しい芽、命が「存(ある)」場所や意義、主張を感じさせる。その瞬間、喜びや不安が交錯し対峙しはじめる。鼓動その息吹。
二曲目「花見ゆる」は実際の花芯が花神によって何層にも織りなす花弁に変様、変貌する様。成長の喜び、期待であるが「待つこと」への試練、我慢が同時にある。最後の三曲目「散華」は多くの困難なパッセージ群を完奏し最後に短歌を吟じることで、新しい事象に到達したとする。散華は感謝、救い、希望に昇華した音楽に変貌する。吟唱後の結尾では第一曲目冒頭の音列を活かしたフレーズが変容され再現。続いて第三曲冒頭の律動による異なる音律が現れ、新たな息吹の存在を予見して曲は閉じる。

サン=サーンス/ゴドフスキー編曲:白鳥(ピアノ独奏版)
本作品は、ゴドフスキーの数多くの編曲作品の中でも最も演奏の機会に恵まれている編曲作品です。今回、出版にあたってアメリカ議会図書館に所蔵されている自筆譜の情報も取り入れています。新版となって登場です。解説は、日本を代表するゴドフスキーの研究家・演奏家でもある西村英士によるもので、サン=サーンスとゴドフスキーの関係にフォーカスした充実の解説となっています。

西村英士の解説より
...ゴドフスキーはフランス、トルヴィルの港で船を降り、リストの住むワイマールを目指した。しかし汽車が出発して間もなく、彼の目に飛び込んできたのは、何とリストの訃報を知らせる新聞記事だった。ちょうどこの直前、7月31日にリストは74歳でこの世を去ったのだった。あてを失ったゴドフスキーは途方に暮れたに違いない。しばらく彼はパリに滞在し、今後の身の振り方を考えた。フランス語を話せず、お金もなく、生活に苦労する中、アメリカへ戻ることも頭をよぎったが、結局、彼はヨーロッパに残って別の音楽家に師事することを模索した。リスト亡き後、ゴドフスキーが欧州最高の音楽家と考えたのはサン=サーンスだった。...

エミール=ロベール・ブランシェ:エチュード・ポリトナル 作品94
作曲家として、また登山家としても知られるスイス出身のエミール=ローベル・ブランシェの未出版ピアノ作品のひとつであった作品が初の出版となります。「エチュード・ポリトナル」というタイトルの通り”多調”の個性的な作品です。


エミール=ロベール・ブランシェ
スイス生まれのコンポーザー=ピアニスト。音楽の手ほどきをイグナツ・モシュレスの弟子でもあり、教会オルガニストでもあった父シャルル・ブランシェから受ける。また、ドイツに渡り、グスタフ・イェンセンとフリードリヒ・ヴィルヘルム・フランケ、フェルッチョ・ブゾーニの下で学んだ。ドイツから帰国後は、ローザンヌ音楽院でピアノ科の教授を務めるが、1908年以降は、教育活動、作曲活動、コンサート活動や登山に専心した。彼の作品は作品番号が付くものだけで100曲以上、その中で相当の数がピアノ独奏のために書かれている。


レスリー・ハワード:カタラーニのオペラ「ラ・ワリー」の回想 – ピアノのための演奏会用幻想曲
「もしもリストがカタラーニ作曲のオペラ《ラ・ワリー》に基づきパラフレーズを作曲していたなら?」そのような構想のもと、フランツ・リストの作品のスペシャリストであるレスリー・ハワードが幻想曲に仕立て上げました。「ラ・ワリー」の中のアリアである「Ebben’ ne andrô lontano(さようなら、故郷の家よ)」は、この幻想曲の大部分を占めます。ちなみに、このアリアは数年前に人気を博した映画「ディーバ」でも取り上げられたことにより非常に多くの方に知られることになりました。レスリー・ハワード自身の演奏によって英国の音楽レーベルであるHyperionから録音もリリースされています。


チャイコフスキー:ソナタ ヘ短調 第1番 – 遺作(校訂:補筆完成:レスリー・ハワード)
ロシアで出版されたチャイコフスキーのピアノ作品集の中に掲載されたピアノソナタ(作品集の中では”Allegro”と名付けられています)の断片をレスリー・ハワードが補筆・完成させました。このピアノソナタが作曲された経緯や作曲が途中で破棄された理由などは謎に包まれたままです。しかし、レスリー・ハワードは「このソナタは、《ピアノソナタ ハ短調 作品80》とも引けを取らない程の力強さを持った作品」と語っています。なお、ハワード自身の演奏によって英国の音楽レーベルであるHyperionから録音もリリースされています。

レスリー・ハワードの解説より
今回の補筆完成版では、主題回帰の導入、第2主題への移行の導入と第2主題の若干の変更、自筆譜で削除された旋律から続く短いコーダの導入を行いました。コーダについては、チャイコフスキーの初期作品「ロシア風スケルツォ(Scherzo à la russe)」 作品1 第1番を参考にしています。編曲にあたっては、言うまでもなく可能な限り少ない改編を念頭におきました。完成した編曲は338小節から成る約10分のソナタで、自信に満ちた若きチャイコフスキーの修辞的なジェスチャーと旋律的な抒情味が後に成熟した彼の個性を予期させます。(チャイコフスキーはこの作品の第2主題を「スケルツォ」 作品2 第2番のトリオに導入しています)。

レスリー・ハワード:アルバムリーフ & ピアノソナタ 第1番
レスリー・ハワードによるオリジナルのピアノ作品が初出版です。アルバムリーフは、イギリスに永住をした後の1973年にロンドンで作曲され、1曲目は「ドムラとピアノフォルテのためのロシアの主題による小品」(レスリー・ハワード作曲)の旋律を用いた復調の作品。2曲目は、パーシー・グレインジャーの音楽の「未知」の部分に焦点を当てた作品です。ピアノソナタは、21歳の時に作曲された十二音技法的作品です。


W.A. モーツァルト:組曲(補筆:ローガン・スケルトン&ヒョン・ジョン・ウォン)
数々の名曲を生み出してきたW.A. モーツァルトは、意外なことに序曲、アルマンド、クーラントやジーグ、そしてサラバンドの断片といった組曲の様式に模倣した、または組曲の断片と考えることができる鍵盤楽器作品を作曲していました。モーツァルトの死後、妻のコンスタンツェによって彼のスケッチの9割ほどが破棄されたと言われており、これらの組曲の断片は破棄を免れた作品の一部かもしれません。この楽譜は、モーツァルトの未完のバロック組曲、あるいは失われたかもしれない組曲を再構築するための試みが具現化されたものです。ローガン・スケルトンによる4ページに渡る充実した解説、約80ページに渡る2種類の組曲と付録を掲載し、充実した楽譜となっています。

収録楽曲
組曲 – 修正版(序曲、アルマンド、クーラント、ドゥーブルを伴うサラバンド、メヌエットとトリオ、ガヴォット、ジーグ)/ 組曲 – ハ長(序曲、アルマンド、クーラント、ドゥーブルを伴うサラバンド、メヌエットとトリオ、ガヴォット、ジーグ)/ サラバンド(原曲の断片)、モーツァルトによるトリオ 変ロ長調(原調)/ M.シュタードラーによるトリオ ロ短調(原調)/ M.シュタードラーによるトリオ イ短調 / ガヴォット《Les petits rien》より(原調) / ジーグ ト長調(原調)


トマシュ・カミェニャク:ピアノ編曲集(サン=サーンス、グノー、リスト、イギリス国歌&クイーン)
19世紀に目覚ましく発展した「編曲」の伝統。リスト、タールベルク、サン=サーンス、アルカンなどが次々と編曲作品を生み出し、ロマン派時代を語る上で外すことのできない名編曲は数多く存在しています。このピアノ編曲集には、その伝統に対して深い共感と尊敬を持ったカミェニャクによる「ピアニスティック」な編曲作品が収められています。なお、リスト、サン=サーンス、そしてイギリス出身のロックバンドであるQueenの作品の個性的な編曲作品が並びます。演奏会のアンコールピースとしてもピッタリです。

収録楽曲
フランツ・リスト:信頼(Verlassen) / サン=サーンス:もしもあなたが私に何も言うことがないのなら(Si vous n’avez rien à me dire) / カミェニャク:英国国家に基づく幻想曲”Al-Li-Thal” / Queen: Who Wants to Live Forever


トマシュ・カミェニャク:ピアノソナタ 第1番「孤独」 作品39
ベルリンを拠点に活躍するコンポーザー=ピアニストであるトマシュ・カミェニャクがヘンリク・グレツキの娘であるアンナ・ゴレツカの委嘱によって作曲したピアノソナタ第1番が初出版です。カミェニャクは、ピアニストとしてもヨーロッパを中心として活躍し、シャルル=ヴァランタン・アルカンやフランツ・リストなどのロマン派音楽を積極的に演奏しています。このピアノソナタは、アラン・ポーの詩「孤独」からインスピレーションを得て、フランツ・リストの《ピアノソナタ ロ短調》を倣ったものかつ、リヒャルト・ワーグナーの精神をも受け継いだ作品です。カミェニャクによる演奏はコチラで聴くことができます。

シャルル・ケクラン~フランス音楽黄金期の知られざる巨匠(4)

文:佐藤馨

 パリ音楽院第5代院長のアンブロワーズ・トマが1896年に亡くなると、新たな6代目院長には作曲科教授だったテオドール・デュボワが就任した一方、もう一人の作曲科教授であったジュール・マスネは職を辞して音楽院を去ってしまった。ケクランを含む、残された元マスネ・クラスの生徒たちは、この出来事を機に新たな師と出会う――ガブリエル・フォーレ(1845-1924)だ。

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あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(18)-2 (最終回)フェルドマンの音楽がもたらした影響

文:高橋智子

2 フェルドマン没後の受容と評価

 フェルドマン死去の翌日、1987年9月4日の『New York Times』に訃報が掲載された。この記事の冒頭でフェルドマンは「今世紀最も重要な実験作曲家の1人で、ミニマリストと称されている人たちよりも真のミニマリスト、モートン・フェルドマンがバッファロー・ジェネラル・ホスピタルで昨日、膵臓癌で死去した。Morton Feldman, one of the century’s most important experimental composers and a truer minimalist than many so labeled, died of pancreatic cancer early yesterday at Buffalo General Hospital.」[1]と紹介されている。通常、訃報記事はその人物の当時の評価や一般的なイメージを反映して書かれている。この訃報記事は「晩年にはアメリカの支持者や、とりわけヨーロッパから興味を持たれていたにもかかわらず、彼は音楽界からの孤立を感じていた。In his later years, even with continued interest in his work from American champions and, especially, Europeans, he felt cut off from the musical world.」[2]と、やや寂しい論調で締めくくられているが、フェルドマンの当時の音楽界からの評価と受容について次のように記されている。

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あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(18)-1 (最終回)フェルドマンの音楽がもたらした影響

文:高橋智子

1 フェルドマンとクリスチャン・ウォルフ

 1987年3月にラジオドラマ「Words and Music」の録音を終え、その後、6月12日に「For Samuel Beckett」のアムステルダムでの初演を終えたフェルドマンは、7月にオランダのミッデルブルクで連続講義を行い、また、そこで彼の事実上の最期の楽曲となった新作「Piano, Violin, Viola, Cello」を初演した。この慌ただしいスケジュールの合間の6月に彼はバッファロー大学の学生だった作曲家のバーバラ・モンク・フェルドマン[1]と結婚した。その数日後、フェルドマンが膵臓癌に冒されていることが判明する。彼は7月のミッデルブルクでの講義と「Piano, Violin, Viola, Cello」初演に病を押して参加した。バッファローに戻って治療を再開するも1987年9月3日に逝去。[2] 61歳だった。フェルドマンは9月9日にロサンゼルスでジョン・ケージ75歳の誕生日を祝した講演を行う予定だったが、急遽予定が変更され、ケージがフェルドマン追悼として「Scenario for M. F.」を朗読した。この詩はフェルドマンの60歳の誕生日を記念して前年の1986年に書かれたものだった。[3] 同じ日(1987年9月9日)にクイーンズ地区のサイナイ教会にてフェルドマンの葬儀が行われた。その後、彼はニューヨーク州ウェスト・バビロンにあるユダヤ人墓地、Beth Moses Cemeteryに埋葬された。[4]

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あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(17)-3 フェルドマンの最晩年の楽曲

文:高橋智子

3 最期の楽曲 「For Samuel Beckett」(1987)と「Piano, Violin, Viola, Cello」(1987)

 「Words and Music」の後、フェルドマンはもう1つ、ベケットにまつわる曲を書いた。それが1987年のホランド・フェスティヴァルから委嘱された「For Samuel Beckett」である。1987年3月10日、「Words and Music」ラジオ放送用のレコーディング中に行われたインタヴューの最後で、フェルドマンは「ホランド・フェスティヴァルのためものを仕上げているところです。 I’m finishing something up for the Holland Festival」[1]と発言しており、2つの曲がほとんど間を置かずに作曲されたことがわかる。もしかしたら、フェルドマンが2つの曲を同時進行で作曲していた可能性もある。だが、この曲にベケットの名前を付した理由を彼ははっきり語っていない。1つ前のセクションで解説した「Words and Music」がフェルドマンにとって音楽と表現、言葉、情緒との関係を再考するきっかけとなり、フェルドマン最晩年の新境地を切り拓いたことを考えると、「For Samuel Beckett」作曲中の彼の頭の中には常にベケットの存在があったのかもしれない。編成は23人の奏者のための室内アンサンブル。演奏時間は約55分。「For Samuel Beckett」はフェルドマンが生涯のうちで書いた最後から2番目の曲だ。

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あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(17)-2 フェルドマンの最晩年の楽曲

文:高橋智子

2 ラジオドラマ「Words and Music」

 おそらく1985年頃、フェルドマンは自身の2作目となるはずだったオペラを着想し、1977年の「Neither」と同じくサミュエル・ベケットに台本を依頼した。しかし、ベケットから断られてしまった。[1] フェルドマンの2作目のオペラ台本執筆の依頼を断ったベケットだったが、この2人は1986-1987年にラジオドラマ「Words and Music」で再び「共演」することになる。「Words and Music」は晩年のフェルドマンにとって最も大きなプロジェクトだ。

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