あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(17)-2 フェルドマンの最晩年の楽曲

文:高橋智子

2 ラジオドラマ「Words and Music」

 おそらく1985年頃、フェルドマンは自身の2作目となるはずだったオペラを着想し、1977年の「Neither」と同じくサミュエル・ベケットに台本を依頼した。しかし、ベケットから断られてしまった。[1] フェルドマンの2作目のオペラ台本執筆の依頼を断ったベケットだったが、この2人は1986-1987年にラジオドラマ「Words and Music」で再び「共演」することになる。「Words and Music」は晩年のフェルドマンにとって最も大きなプロジェクトだ。

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あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(17)-1 フェルドマンの最晩年の楽曲

文:高橋智子

 今回はフェルドマンの晩年に当たる1980年代の活動をたどる。後半はフェルドマンが再びサミュエル・ベケットと関わりを持ったラジオドラマ「Words and Music」、ベケットに捧げた「For Samuel Beckett」、彼の最期の楽曲「Piano, Violin, Viola, Cello」について解説する。

1 晩年の活動とベケット再び――「Words and Music」と「For Samuel Beckett」

 1971年秋にニューヨーク州立大学バッファロー校音楽学部教授に就任し、晴れて専業作曲家となったフェルドマンは、1977年のオペラ「Neither」、いくつかのオーケストラ曲の委嘱、自身のアンサンブルを率いてのアメリカ国内外への演奏旅行、音楽祭での招待講演など、今や国際的な作曲家としてのキャリアを順調に積み重ねていた。その活動範囲はアメリカやヨーロッパに留まらず、フェルドマンは1983年7月に第一南アフリカ放送協会(First South African Broad Corporation: SABC1)主催の現代音楽祭に招かれたフェルドマンは受講者の自作曲を用いた作曲のマスタークラスと、彼がひたすらしゃべり続ける講義を行った。[1] 1984年と1986年にはダルムシュタット夏季現代音楽講習会の講師を務めた。1984年には作曲家のヴァルター・ツィンマーマン Walter Zimmermanが企画した講演「The Future of Local Music」をフランクフルトで行なった。この講演は、ツィンマーマンの編集によるフェルドマンの著作集『Essay』[2] と、もう1つのフェルドマンの著作集『Give My Regards to Eighth Street: Collected Writings of Morton Feldman』[3] に同じタイトルで収録されている。大学の学務、講演、演奏旅行などで多忙な日々を送っていたせいなのか、フェルドマンが1984年に作曲したのは前回解説したフルート、打楽器、ピアノ/チェレスタのための「For Philip Guston」だけだった。オランダのミッデルブルクで夏に開催される現代音楽講習会Nieuwe Muziekにて1985年から1987年までの3年間、フェルドマンはゼミナールと講義を行った。1986年にはバニータ・マーカス、ヤニス・クセナキス、ルイ・アンドリーセンが、1987年にはコンラッド・ベーマー、カイヤ・サーリアホがゲスト講師に招かれた。この時の講義のいくつかは『Words on Music Lectures and Conversations: Morton Feldman in Middelburg / Worte üebr Musik Vorträge und Gespräche』[4]1、2巻に収録されている。この講義録を編集したRaoul Mörchenは、「その果てしない大きさ、慣習をものともしない態度、迷宮のように渦巻く思考、自由奔放な展開、精密さと過剰さ、簡潔さと小さなこぼれ話、倫理観と喜劇的挿話による刺激的な組み合わせ its vast scale, its disregard of all conventions, the labyrinthine flow of thoughts, its rhapsodic development, the exciting combination of precision and excess, succinctness and anecdote, moralism and comic relief」[5]と表されるフェルドマンの講義スタイルそのものが彼の後期作品を理解する際の鍵になると述べている。ミッデルブルグではゼミ形式でのディスカッションも行われたはずだったが、Mörchenによれば、極めて雄弁なフェルドマンは時に受講者からの疑問や異論を認めず、彼自身の思考を披瀝し続けたようだ。[6]この連載でも数多く引用してきたフェルドマンの講演、エッセイ、インタヴュー等の言説を振り返ると、自身のゆるぎない信念をもとに熱弁をふるうフェルドマンの様子を想像できる。

 1985年11月に東京で開催されたインターリンク・フェスティバル’85に参加するため、フェルドマンは最初で最後となる来日を果たした。この時フェルドマンとともに、作家で批評家のスーザン・ソンタグも来日した。企画者の一柳慧が立案したテーマ「音楽の現在〜日本・アメリカ 前衛からポスト・モダンへ」のもと、4回の演奏会と、フェルドマン、ソンタグ、武満徹、建築家の磯崎新を迎えたシンポジウム「文化のゆくえ−21世紀への展望」(司会 山口昌男)が行われた。演奏会ではフェウドマンの作品「King of Denmark」と「For Bunita Marcus」(日本初演)が演奏された他、フレデリック・ジェフスキ、ルー・ハリソン、ジョージ・クラム、ヘンリー・ブラント、エリオット・カーター、ジョン・ケージ、チャールズ・アイヴズらアメリカの作曲家の作品と、石井眞木、諸井誠、武満、近藤譲、高橋悠治、一柳、間宮芳生、小鍛冶邦隆ら日本の作曲家の作品が組み合わされたプログラムだった。フェルドマン、武満、近藤の対談「“閉じた”音楽、開かれた会話」と、シンポジウムでの登壇者の発言は『季刊 へるめす』創刊1周年記念別巻(1986年)に収録されている。武満と近藤を交えた対談は、歴史との向き合い方、音楽における時間と記憶などの話題を中心に進められた。シンポジウムはその顔ぶれからもわかるように、話題は音楽に限らず、芸術、文化、文明、教育とさらに広い視野での議論が展開された。来日時もフェルドマンは相変わらず饒舌だったようだ。そんな彼の様子を近藤はエッセイ「フェルドマンのこと」で次のように描写している。

口数の少ない物静かな人間はしばしば暴力的なまでに激しく大音響に充ちた音楽を書き、静謐な音楽の作曲者は、たいてい、饒舌である。フェルドマンは、大きな体躯になみなみと湛えたエネルギーを無限に吐き出し続けるかのように、いつも、圧倒的に話し、決して止むことがない。彼と対話する人は、話すことを楽しむより、むしろ、聞くことの楽しみを択ばざるを得ない。[7]

 ミッデルブルグでのフェルドマンの様子を回想した先のMörchenの引用と同じく、彼の大きな体から放出される途方もないエネルギーが対話の相手や聴衆を圧倒していたようだ。だが、ここで近藤が述べている通り、フェルドマンの音楽は細かく書き付けられたダイナミクスと、注意深く発せられる音の響きが織りなす静謐さをその大きな特徴としていた。

 フェルドマンは1986年1月12日に60歳の誕生日を迎えた。1985年から彼はCalArts(California Institute of the Arts カリフォルニア芸術大学)にアーティスト・イン・レジデンスとして滞在していた。CalArtsにて2月21、22日の2日間にわたり、フェルドマン60歳を記念した演奏会が行われた。この演奏会は最初期の楽曲、ソプラノ、チェロ、ピアノのための「Four Songs to e. e. cummings」(1951)から後期の長大な楽曲の1つ「For Philip Guston」まで、これまでのキャリアの集大成といえるプログラムだった。フェルドマンの楽曲の他に、彼とゆかりのある作曲家たち、近藤、ケージ、エドガー・ヴァレーズ、シュテファン・ヴォルペ、マーカス、ニルス・ヴィーゲランの曲も演奏された。1986年の途中からフェルドマンはアーティスト・イン・レジデンスの滞在先をカリフォルニア大学サンディエゴ校に移した。1985年から1986年の間、フェルドマンはバッファローを離れて西海岸を活動拠点にしていたのだった。この時期の西海岸滞在には理由があったようだ。1980年代に入るとバッファロー大学の予算が削減され、この状況を不満に思ったフェルドマンはサンディエゴ校の教授職に応募していたと言われている。[8]しかし、バッファロー大学からカリフォルニア大学への移籍は叶わず、実際のところフェルドマンはバッファローに留まることとなった。順風満帆のように見えた作曲家、大学教授としてのフェルドマンのキャリアだが、人知れぬところで彼は将来を案じていたのかもしれない。そんな状況の中、彼の創作意欲を駆り立てるプロジェクトの話が舞い込んでくる。それは約10年ぶりとなるサミュエル・ベケットとのやや風変りな共同作業だった。

 次のセクションでは、ベケットのラジオドラマ「Words and Music(邦題 言葉と音楽)」の音楽に見られる、フェルドマンの「いつもと少し違う」側面を探る。


[1] ヨハネスブルクでのフェルドマンの講演記録はMorton Feldman Pageのテキスト集 https://www.cnvill.net/mfmasterclasses.htm で閲覧できる。
[2] Morton Feldman, Morton Feldman Essays, edited by Walter Zimmermann, Kerpen: Beginner Press, 1985
[3] Morton Feldman, Give My Regards to Eighth Street: Collected Writings of Morton Feldman, Edited by B. H. Friedman, Cambridge: Exact Change, 2000
[4] Morton Feldman, Words on Music: Lectures and Conversations/Worte über Musik: Vorträge und Gespräche, edited by Raoul Mörchen, Band Ⅰ&Ⅱ, Köln: MusikTexte, 2008
[5] Ibid., p. 8
[6] Ibid., p. 10
[7] 近藤譲「フェルドマンのこと」『季刊 へるめす』創刊1周年記念別巻、1986年、111頁。
[8] Morton Feldman Says: Selected Interviews and Lectures 1964-1987, Edited by Chris Villars, London: Hyphen Press, 2006, p. 274

高橋智子
1978年仙台市生まれ。Joy DivisionとNew Orderが好きな音楽学者。
(次回掲載は10月21日の予定です)

あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(16) 1980年代の室内楽曲-2

文:高橋智子

2 1980年代の室内楽曲の記譜法

 フェルドマンの楽曲の変遷には必ずといってよいほど記譜法の変化が伴う。この連載では1950年代の五線譜と図形楽譜に始まり、1960年代のやや複雑になった図形楽譜と自由な持続の記譜法による五線譜、1970年代の五線譜への回帰にいたるまでの道のりをいくつかの楽曲を例にたどってきた。中東地域の絨毯に出会ったフェルドマンの五線譜による記譜法は1970年代後半からさらに緻密になり、微かな差異を伴って繰り返されるパターンとその配置から構成されるスコアの外見は「不揃いなシンメトリー」の概念を体現している。1980年代の記譜法は70年代後半の記譜法の延長線上にあるが、この時期の室内楽曲の記譜法の特徴として小節のレイアウト、パート間で異なる拍子があげられる。

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あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(16) 1980年代の室内楽曲-1

文:高橋智子

 中東地域の絨毯との出会いから編み出した概念「不揃いなシンメトリー」は、1970年代後半から1980年代前半のフェルドマンの作曲や記譜法に大きな影響を与えた。前回解説した1981年のピアノ独奏曲「Triadic Memories」はその影響をうかがえる代表的な楽曲の1つだ。今回は「不揃いなシンメトリー」のその後の展開として、1980年代前半の室内楽曲に焦点を当てる。

1 1980年代の室内楽曲の編成と演奏時間

 フェルドマンの創作変遷を振り返ると、1950年代と1960年代は小・中規模の室内楽曲の時期、1970年代は協奏曲風の編成を含むオーケストラ曲、オペラ「Neither」などの大規模な楽曲の時期として、時代ごとにおおよその傾向を掴むことができる。楽曲様式や技法の変遷に伴って記譜法も変化や発展を遂げている様子は、これまでにこの連載で何度も述べてきた通りである。1980年代に入るとアメリカだけでなくヨーロッパ各地での講演や演奏会に飛び回っていたフェルドマンだったが、惜しくも1987年9月3日に膵臓癌で亡くなってしまう。享年61歳。このような事情から1980年代は既にフェルドマンにとって晩年に当たる。1980年代の楽曲の特徴や傾向をひとことで表すのは難しいので編成、記譜法、技法の観点から概観する。

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あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(15) 不揃いなシンメトリーと反復技法-3

3 Triadic Memories パターンとその反復

文:高橋智子

 80年代最初のピアノ曲「Triadic Memories」は1981年7月23日に完成し、高橋アキとロジャー・ウッドワードに献呈されている。ウッドワードが1981年10月5日にロンドンで世界初演を、高橋が1982年3月18日にバッファローでアメリカ初演を行なった。標準的な演奏時間は約90分。3/8拍子で始まり、曲の前半は拍子が一定だ。時折、譜表が3段になる。メトロノーム記号によるテンポ表示はないが、フェルドマンの後期作品で慣例とされている63-66のテンポで演奏すると曲全体の長さが90分に満たないことから[1]、これよりも遅く演奏されることがある。反復記号が頻出するが、具体的な反復回数は指定されていない。いくつかの録音を聴いてみると、反復回数には奏者によって2〜6回の幅がある。もう1つ、この曲の演奏で特徴的なのはペダルの使い方だ。ペダルを半分踏み込む、ハーフ・ペダルが曲の間中ずっと指示されている。フェルドマンはハーフ・ペダルのアイディアを友人で画家のサイ・トゥオンブリー[2]のジェッソ(キャンヴァスに塗る下地材)の使い方から得たと語っている。

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あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(15) 不揃いなシンメトリーと反復技法-2

2 フェルドマンのピアノ曲

文:高橋智子

 「Triadic Memories」の考察に入る前に、このセクションでは、これまでのフェルドマンの楽曲におけるピアノ曲の位置付けと変遷について概観する。現在までに作曲年代が判明しているフェルドマンのピアノ曲をSebastian Clarenの著書Neither[1]とウェブサイト Morton Feldman Pageの「Works」[2]を参照して下記にまとめた。ここにまとめたのはピアノ独奏曲か複数ピアノによる楽曲で、ピアノと他の楽器による楽曲は含まれない。1950年以降の楽曲の( )の数字は演奏者の人数およびピアノの台数を表す。同じ( )に記されているのは初演時のピアニストの名前で、Tはデイヴィッド・チュードア、Cはジョン・ケージ、Fはフェルドマンを表す。

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あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(15) 不揃いなシンメトリーと反復技法-1

文:高橋智子

 前回は、中東の絨毯との出会いをきっかけに1977年頃からフェルドマンの音楽が新たな局面を迎えたことを解説した。前回に引き続き、絨毯にまつわる知識の深まりと熱意から生まれた概念「不揃いなシンメトリー」を参照しながらフェルドマンの楽曲における反復技法を考察する。

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あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(14) 不揃いなシンメトリー -2

2. 絨毯からの影響 1970年代後半から1980年にかけての楽曲の変化

 絨毯の結び目の種類、織り方、染色、パターンによる構成についての知識が深まるにつれて、フェルドマンは絨毯の技術や製法に引きつけて自分の創作を思索し始める。先のセクションに引き続き、「不揃いなシンメトリー Crippled Symmetry」の概念の解釈の可能性を探りながら、絨毯が彼の楽曲に与えた影響を考える。

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あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(14) 不揃いなシンメトリー -1

文:高橋智子

 1976年のベケット三部作、1977年の唯一のオペラ「Neither」を経たフェルドマンの音楽はその後どのように変化したのだろうか。今回は「Neither」以降の彼の音楽を知るうえで欠かせない事柄の1つ、中東地域の絨毯からの影響と、フェルドマンの後期作品を物語る概念「不揃いなシンメトリー」を考察する。

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あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(13) ベケット三部作とオペラ「Neither」-2

文:高橋智子

2. オペラ「Neither」

 1976年7月に「ベケット三部作」による一通りの試作を終えたフェルドマンは1976年9月18日に行われた「Orchestra」初演のためグラスゴーに滞在していた。[1]グラスゴーでの初演の後フェルドマンはベルリンに赴き、9月20日の昼頃シラー劇場で「あしあと Footfalls」と「あのとき That Time」のリハーサルをしていたベケットと初めて会う。[2]劇場の中は照明が暗転して真っ暗だった。暗闇の中でベケットはフェルドマンの親指に握手した。[3]これが彼らの初対面の瞬間だ。フェルドマンはベケットを劇場近くのレストランにランチに誘い、ここで彼は自身のオペラについて話した。[4]「自分の考えだけでなく彼(訳注:ベケット)の考えにひれ伏したかった I wanted slavishly to adhere to his feelings as well as mine.」[5]と語り、ベケットを信奉していたフェルドマンはベルリンで交わした会話を次のように回想している。

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