吉池拓男の迷盤・珍盤百選 (25) 珍曲へのいざない その4 恐るべし、高校ブラバン部

交響的印象「教会のステンドグラス」より 武田晃/陸上自衛隊中央音楽隊 BRAIN MUSIC BOCD-7355
ミス・サイゴン 宍倉昭作品集LIVE 埼玉栄高等学校吹奏楽部 BRAIN MUSIC OSBR-25005

《前口上の言い訳》
筆者は吹奏楽部の経験はなく、日本の吹奏楽界では当たり前のことも知らない元ピアノヲタクです。ですので本稿は吹奏楽経験者には「なんもわかっとらんな、こいつ」という内容に溢れていますが、あくまでもピアノ系マニアから観た拙劣な感想文であることをご寛容のほどよろしくお願い申し上げ奉ります。

交響的印象「教会のステンドグラス」より 武田晃/陸上自衛隊中央音楽隊

《本文》
アレクサンドル・ニコラエヴィチ・スクリャービン作曲「おお、神秘なる力よ!」という楽曲名を見た時、第1交響曲の終楽章?法悦?プロメテ?遺作の神秘劇???そんな曲、あったっけな?と、衰え行く記憶力を奮い立たせましたが、一向に思いつきませんでした。で、これ、実はピアノソナタ第5番op.53の吹奏楽編曲版に付けられたタイトルだったのです。あの複雑で小難しいピアノ書法てんこ盛りの第5ソナタを吹奏楽でピーヒャラパンパカパーンと演るとは何考えとんのじゃっ、と呆れにも似た感情で聴き始めました……ありゃ?……うへっ……おをっ……畏れ入りました。私が悪うございました。ちゃんとやってますね、スクリャービンの5番。陸上自衛隊の皆様、どうか無知蒙昧な私を抹殺しないでくださいませ。編曲者は吹奏楽の世界では高名な田村文生せんせ。さらに驚いたのは、編曲を共同で委嘱したのが4つの高校の吹奏楽部とのこと。う~~~む、難しいだけでなく、この曲はクラシック音楽史上もっともエロい音楽と思っているのですが、それを高校吹奏楽部がお願いするなんて。恐ろしや、恐ろしや。

曲のタイトルにはピアノソナタ第5番の編曲とは全く書かれていません。曲の進行はほぼ原曲通りなのですが、編曲者の創造性が大きく加筆されているためと思われます。まず冒頭。打楽器の強打からピアノ原曲を遥かに超えるオドロオドロしさで始まります。ただ、この段階で「あ、スクリャービンの5番だっ」と気付く人は少ないかも。直後のLanguido(13小節)からは蕩けるような世界が始まり、「おっ、スクリャービンの5番じゃん。うわぁ、陶酔感マシマシじゃん」となります。ここからしばらくは堂々たるスクリャービン5番の吹奏楽版を堪能できます。独自のいじりを見せるのは96-97、100-101、104-105小節。原曲にはない上昇音階を入れていますが、これはピアノ版に逆輸入する価値があるかもしれない良い改編です。その後はちょこちょこ独自の小さな改変が続き、273-274小節、277-278小節で原曲がアルペジオっぽいのを弾くところでは管楽器独奏による独自のカデンツァを入れています。中々に蠱惑的で素晴らしい創造編曲です。で、原曲と大きく違うのが329小節からのPrestissimoの部分。原曲ではリズミカルに昂まってゆく部分なのですが、この編曲では逆にぐっとテンポを落とし、リズミカルなことも止め、ねとーーっとした泥濘のような耽美をまさぐります。私の個人的な感想としては、う~~む、ちょっと、ねぇ、でしょうか。原曲において……この変更はもったいないなぁ。で、357小節あたりから音楽は従来の活力を取り戻し、最後の高みへと昇っていきます。417小節からの大歌い上げは流石多人数合奏の豪奢なパワーが漲っていて羨ましくなります。特に金管の絶頂咆哮は圧倒的、これはピアノでは真似できませんねぇ。原曲から完全に逸脱するのが、ラスト16小節のPresto部分。ここは編曲者が「《法悦の詩》の終結部の様式をピアノソナタ第5番の動機を用いて(*1)」新作しています。原曲が昂奮の坩堝の中で射〇的に終了するのに対し、あくまでも荘厳に神々しく終了します。まさに「おお、神秘なる力よ!」。教育的配慮もバッチリです。

まさかのテンペスト、ブラバン編曲(異国情緒風)まで

このCDを出しているブレーン株式会社という吹奏楽中心の音盤製作会社はこれまで全く知ることがありませんでした。かなりの数の吹奏楽のCDを出しており、それを見るとピアノ曲からの編曲ものが結構あります。リストのスペイン狂詩曲・バッハの名による幻想曲とフーガ、ラフマニノフの音の絵(op.33-2,4,6, op,39-9)・パガニーニの主題による狂詩曲(10分短縮版)、ラヴェルのクープランの墓からトッカータなどなど、まさに恐るべしです。そんなラインナップの中から一つ。ベートーヴェンのピアノソナタ第17番op.31-2「テンペスト」の第3楽章をご紹介しましょう。編曲は宍倉晃せんせ、演奏は埼玉県の吹奏楽強豪校・埼玉栄高校です。

ミス・サイゴン 宍倉昭作品集LIVE 埼玉栄高等学校吹奏楽部

結論から言うとピアノで弾くテンペスト終楽章とはイメージがだいぶズレますが、素晴らしいアレンジです。カスタネットなどの打楽器を多用したり、リズムの取り方がワルツっぽい3拍子を刻んだりするので、感触的にはスペイン風舞曲に近いものがあります。あのテンペストが味付け一つでこんなに異国情緒になるなんて、実に素晴らしい。(皮肉ではありません、本当に賛美しています。念のため。)冒頭から提示部はほぼ譜面通りに音楽は進みます。ま、47小節あたりから刻むカスタネットのリズムが最初の「おやぁ?」でしょうか。展開部はかなり編曲者独自の対旋律や装飾が付加されています。113小節あたりの半音階下降もハマってますし、150小節からのベースライン変更も切なくて良いですね。193小節からは小太鼓が入って来てかなり明確な3拍子ダンスになり、再現部に向けての長い小太鼓ロールは妙に納得感があります。小太鼓ロールで盛り上げた後ですので、原曲の再現部は弱奏指示ですが「f」で力強く来ます。これも大納得。このあたりから付けてる和声がちょっとお洒落で今っぽい感じになり、247小節の濁った感じの装飾は(ちょっとズッコケますが)おもしろい。270小節で吃驚の全休止してから、ガツンと271小節を始めるところも良い演出です。音楽は次第に盛り上がり、350小節からは豪華絢爛大舞踏会状態に突入。原曲のラストは弱奏で終わりますが、こちらは大舞踏会状態のまま強奏で終わります。で、私個人は圧倒的にこの編曲の終わり方が好きです。もうベートーベンではありません。でも本当に素敵な音楽です。しかも演奏は高校生ですからね。大したもんです。(*2

この素晴らしいテンペストはピアノ独奏用に逆編曲すべきでしょう。タイトルは、Valse-caprice de concert sur le finale de “Tempest” Sonate de Beethoven=Shishikura かな。結構イケる気がします。

今回、高校生たちの想いのこもった吹奏楽によるピアノ音楽演奏、感服いたしました。ピアノ音楽にはみなさんのアレンジの魔手が延びてくるのを心待ちにしている名曲がうじゃうじゃいます。とりあえずはバラ4かアルカンの交響曲、ラフマニノフの第2ソナタあたりからよろしくお願いいたします。

注*1:CD解説より引用
注*2:同じアルバムには、狂詩曲「ショパン・エチュード」というピアノ弾きに喧嘩を売ってるような楽曲も入っています。Op.10-4,12、op.25-7-11の4曲による自由なパラフレーズで、op.10-4とop.25-7は原曲のテンポ感で、op.10-12はゆったりエレジー風に、op.25-11は哀しきファンファーレのように使われてます。Op.10-4は演奏が大変そうでかなりゴクロウサンです。

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。

あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(7) 1960年代前半の記譜法−自由な持続の記譜法

(筆者:高橋智子)

 フェルドマンの作品を見渡す際に最も重要と言えるのが記譜法の変化だ。この連載の初回から見てきたように、彼の創作の変遷は記譜法の変化と重なる。1950年から始まる図形楽譜、1950年代後半から見られる音価の定まっていない楽譜や極端に音符の少ない五線譜など、彼が書いた楽譜の数々にはその時期における彼の音楽観が強く反映されている。今回は図形楽譜に次いでユニークな記譜法である1960年代の自由な持続の記譜法を見ていく。

1. 「自由な持続の記譜法」にいたるまで

 これまでのフェルドマンの記譜法の特徴と変遷を簡単に振り返ってみよう。1950年代のフェルドマンの創作は五線譜と図形楽譜の両方で試行錯誤を重ねていた。初期の図形楽譜の狙いについて、フェルドマンは「この曲(訳注:「Projection 2」)での私の願いは「作曲すること」ではなく、音を時間に投影し、ここには必要のない作曲のレトリックから音を解放することだった。My desire here was not to “compose”, but to project sounds into time, free from a compositional rhetoric that had no place here.」[1]と振り返っている。「Projections 1-5」(1950-51)「Intersections 1-4」(1951)といった初期の図形楽譜では慣習的な書法とは全く異なる地平での作曲の可能性を探求した。ただ、これまでも何度か述べてきたように、これら初期図形楽譜の楽曲では音高の選択が演奏者に任されているので即興演奏と混同されることが多く、実際の演奏においてフェルドマンの意図が完全に達成されることはほとんどなかった。この大きな問題を解決するために、前回とりあげた打楽器独奏曲「The King of Denmark」(1964)では演奏方法(この曲ではマレットやスティックの使用が禁じられている)と、曲の中で鳴らすべき音色がこれまでの図形楽譜より具体的に指示されている。一方、フェルドマンの五線譜の記譜法もその段階ごとに異なる様相を見せる。例えば第4回で解説した「Piano Piece 1952」(1952)や第5回で解説した「Piece for 4 Pianos」(1957)には小節線が書かれておらず、どちらの場合も拍節やリズムの感覚が希薄である。さらに「Piece for 4 Pianos」では4人の演奏者が同じ楽譜を見て演奏するが、演奏のペースは各自に委ねられているので偶発的な音の重なりによる響きが具現する。慣習的な五線譜、演奏結果が不確定な図形楽譜、今回解説する自由な持続の記譜法、それぞれの特性の違いがあるものの、フェルドマンの記譜法は3つの要素——作曲家の創造性、演奏者の創造性、音に内在する特性——が決して均等ではない力関係で絡まり合っている。音そのものに着目し、音に内在する特性を最大限引き出すために音高や音価(音の長さ)を不確定にした結果、実際の演奏では演奏者の創造性や個性が予想以上に前面に出てしまうのが1950年代前半の図形楽譜での試みだった。他の作曲家と同じく厳密かつ精密に記譜すれば自分の理想とする響きを得ることができるが、それは「音の解放」や「抽象的な音の冒険」といった自身の理念と矛盾するのだとフェルドマンは自覚していた。このような逡巡が図形楽譜や、小節線のない五線譜といった初期の記譜法に駆り立てたともいえるだろう。

 1953年から58年までフェルドマンは図形楽譜を一旦中止し、「正確さ」を求めて五線譜の楽曲に専念する。しかし、以下の発言から、ここでも彼は満足な結果を得られなかったようだ。

だが、正確さも私にはうまくいかなかった。それ(訳注:五線譜による正確な記譜)はあまりにも一面的だった。まるでその記譜法は、どこかで動きを「生み出さないと」いけない絵を描いているようだった——私が満足できる可塑性はそこでもまだ得られなかった。やはりこの記譜法はあまりにも一面的だった。それは、どこかに常に水平線が引かれている絵を描いているようで、正確に作業しつつも常に「動き」を作り出さなければいけなかった——それでも私は充分な可塑性を得られなかったのだ。2つの管弦楽曲で図形楽譜に戻り、今度は「Atlantis」(1958)と「Out of Last Pieces」(1960)において個々のパッセージが最小限に抑制された、より垂直な構造を用いた。

But precision did not work for me either. It was too one-dimensional. It was like painting a picture where at some place there is had to “generate” the movement—there was still not enough plasticity for me either. It was too one-dimensional. It was like painting a picture where at some place there is always a horizon, working precisely, one always had to “generate” the movement—there was still not enough plasticity for me. I returned to the graph with two orchestral works: Atlantis (1958)[2] and Out of Last Pieces (1960) using now a more vertical structure where soloistic passages would be at a minimum.[3]

 文中でフェルドマンは五線譜による記譜を2度も「あまりにも一面的 too one-dimensional」と評している。それは何を意味するのか。楽譜は音符を紙上に書きとめることによって成り立っており、通常このことは自明とされているし、楽譜は書かれた音符を演奏として具現する機能と役割を持った実用的な側面も備えていないといけない。これに疑問を挟む余地はないだろう。だが、たとえ楽譜の上に記された出来事であっても、何かが書きとめられて静止している状態、または固定された状態は、ジャクソン・ポロックによるドリッピングや、ウィレム・デ・クーニングによる荒々しい筆の動きとその痕跡をキャンヴァスに投影した抽象表現主義絵画に共感していた当時のフェルドマンにとって当たり前のことではなかったようだ。もちろん、実際に鳴り響く音に動きや方向を感じることができるが、フェルドマンは記譜にも可塑性や運動性を求めた。だが、楽譜や記譜に運動性や可塑性を持たせることは可能なのだろうか。楽譜をアニメーションで作成すれば、文字どおり音符が動く楽譜が実現するが、もちろん、ここでフェルドマンが言おうとしていたのはこのような即物的な話ではない。しかも時代は1960年代である。今のように誰もがコンピュータでアニメーションを作成時代できる時代でもない。では、この当時、フェルドマンが記譜に求めた可塑性とはいったい何なのだろうか。

 たいていの五線譜の場合、拍子に即して音符を書き連ねることでリズムが生じ、音楽の輪郭や動きも生まれる。楽譜に記された音符の連なりと、そこから予測される動きや展開は楽曲のあり方、響き方、聴こえ方にも深く結びついている。従って、通常は記譜の精度が高いほど、記譜された音符と、実際の鳴り響きとの隔たりが縮まる。多くの楽譜は音符だけでなく、様々な記号や文言を駆使しながら、このような隔たりを縮めるための工夫がなされている。西洋の近代的な芸術音楽における記譜法の歴史を紐解けば、その歩みが記号や言語で曲のあらましを具体的に記述する方法を模索する歴史だったことがわかるだろう。一方、拍子、音価、音高のどれかを厳密に規定せず、どこかを必ず「開いておく」フェルドマンの記譜法では、五線譜と図形楽譜両方の場合において整数分割にきちんと当てはまらない特性が否応なしに出てきてしまう。むしろ彼自身はこの割り切れない、不合理な特性を1950年代の自分の音楽の独自性を打ち出すために積極的に打ち出してきた。輪郭のはっきりしたフレーズやパッセージといった言葉よりも、出来事やジェスチャーといった刹那的で何かしらの動きや曖昧さを含む言葉の方がフェルドマンの音楽を描写する際に向いている理由もここにある。始まり・中間・終わりのプロットに基づき、周期的な拍節に即した時間とともに展開する五線譜は、一目すれば事の成り行きをある程度、正確に見渡せるので、フェルドマンには「あまりにも一面的」で膠着した慣習に映ったのかもしれない。

 図形楽譜を一旦休止して五線譜に専念し、それからまた図形楽譜に戻ったフェルドマンが作曲した2つの管弦楽曲「Atlantis」と「…Out of ‘Last Pieces’」は、第5回で解説したマース・カニングハムのダンス作品「Summerspace」のための「Ixion」(1958)と同じく、小さな渦のようなジェスチャーが次々と現れては消えていく散発的なテクスチュアの楽曲だ。「Atlantis」の編成はフルート、ピッコロ、クラリネット、バスクラリネット、ファゴット、コントラファゴット、ホルン、トランペット、トロンボーン、チューバ、ハープ、シロフォン、ヴィブラフォン、ピアノ、チェロ、コントラバス。「…Out of ‘Last Pieces’」の編成はオーボエ、バスクラリネット、バストランペット、バストロンボーン、打楽器(テナードラム、大太鼓、アンティーク・シンバル、グロッケンシュピール、ヴィブラフォン、モーター付グロッケンシュピール、シロフォン、テンプル・ブロック)、ハープ、エレクトリック・ギター、ピアノ/チェレスタ、ヴァイオリン、コントラバス。どちらの曲も中規模編成で、前回述べたように同時期の小編成の室内楽曲と同様にあまり見慣れない組み合わせから成っている。これら2曲はマス目に演奏すべき音の数、グリッサンドやピツィカートなどの演奏法、装飾音が記された図形楽譜で書かれている。他の図形楽譜と同じく具体的な音高は指定されていない。楽譜の外観からはフェルドマンが求めた可塑性はほとんど感じられないが、回転するジェスチャー、アタックを最小限に抑えたどこからともなく立ち上がってくる持続音、異なる音色の交差などの現象が、この2曲が生み出す動きの感覚に大きく寄与していることがわかる。これら2曲がもしも五線譜だったら、複雑な拍子とそのめまぐるしい交替、クラスターの頻出、不合理分割による連符が多用された譜面になっていたことだろう。理論上、この曲の記譜は正確で緻密な五線譜でも不可能ではないものの、一筆描きのような音のジェスチャーを実際の演奏で得るには、整数分割に基づいた既存の五線譜のシステムよりも、やはり曖昧さや不合理性に対して間口を開けておく図形楽譜の方が適しているといえる。フェルドマンが自分の楽譜の中に書きたかったのは直線や直角よりも、曲線や滲んだ線のイメージだったのかもしれない。

Feldman/Atlantis(1959)
Feldman/ … Out of ‘Last Pieces’ (1960)

 先の引用で「Atlantis」と「…Out of ‘Last Pieces’」についてフェルドマンは「より垂直な構造 a more vertical structure」と述べているが、音楽における垂直な構造の最もわかりやすい例は、音と音とが同じタイミングで垂直の方向に(縦に)重なってできる和音である。和音は単体では垂直な構造だが、規則に即して和音同士の連結を繰り返しながら全体へと発展する機能和声の場合、和音は連続性を獲得する。同じく旋律も音と音との水平な連続から生まれる。

音が出来事の水平な連なりとみなされるなら、水平な考え方に都合のよいものにするために音の特性すべてを抽出しないといけない。多くの人々にとって、今やいかにこうした音の特性を抽出するのかが作曲の過程となってきている。こんなに間隔が詰まった複雑な時間の秩序を明確にするために、ここでは差異を作り出すことが作曲の最優先事項として強調されていると言い出す人もいるだろう。ある意味、このアプローチから生まれた作品には「音」がないと言えるだろう。私たちが聴くのはむしろ音のレプリカだ。もしもこのアプローチでうまく行ったのならば、マダム・タッソーの有名な美術館の人形のいずれにも劣らず驚くべきことだ

When sound is conceived as a horizontal series of events all its properties must be extracted in order to make it pliable to horizontal thinking. How one extracts these properties now has become for many the compositional process. In order to articulate a complexity of such close temporal ordering one might say differentiation has become here the prime emphasis of the composition. In a way, the work result in from this approach can be said not to have a “sound.” What we hear is rather a replica of sound, and when successfully done, startling as any of the figures in Mme. Tussaud’s celebrated museum.[4]

 ここでのフェルドマンは、水平な、つまり連続的に流れる時間の秩序に即して作曲し、記譜することで音の特性が失われるのだと主張する。このような方法で作曲された音楽の中で鳴る音と聴こえる音は音の複製物(レプリカ)に過ぎず、音そのものを聴いているのではないというのが彼の考えだ。複製物ではない音を追求し、「水平」を忌避したフェルドマンが試みた「より垂直な構造」の中では、音が立ち現れるその都度の出来事やジェスチャーが各自の中で完結する。水平で連続する時間の中での音(ここでのフェルドマンはこれを音とは認めていないが)とは異なり、そこでは前後の論理的なつながりはほとんど重視されない。むしろ、それぞれの音は連続性を生み出すことがないように注意深く配置されている。これは1950年代、1960年代までの彼の多くの楽曲に当てはまり、彼はパターンとして認識できる音の動きをできるだけ回避することで、連続性とは異なる楽曲の進み方と時間の感覚を獲得した。

2. 自由な持続の記譜法の楽曲 「Durations」1-5(1960-1961)

 「より垂直な構造」という新たな概念を見出したフェルドマンは五線譜で書かれた小編成の室内楽曲シリーズ「Durations」1-5を1960年に始める。前回は、この時期のフェルドマンのオーケストレーションと音色の用法が楽器や声の特性を活かすよりもそれぞれの音色の出自を曖昧にする効果を狙っていたことを解説した。様々な音色をほぼ均等に扱う彼のやり方は、一見ランダムな図形楽譜の高・中・低音域が実はほぼ同じ割合で配置されている全面的なアプローチを思い出させる。「Durations」シリーズは全5曲が拍子記号と小節線のない五線譜で書かれている。拍子や拍節がなく、さらには符尾のない音符で占められたこの記譜法では、それぞれの音価(音の長さ、持続)が演奏者に委ねられていることから、「自由な持続の記譜法 free durational notation」と呼ばれている。自由な持続の記譜法は1950年代の図形楽譜に次いでフェルドマンの特筆すべき記譜法である。既に1950年代後半にこの様式の記譜が用いられていたが、「垂直な構造」の発見により、この記譜法は「自由な持続の記譜法」として定着する。この新たなシリーズについてフェルドマンは次のように語っている。

「Piece for Four Pianos」と他の同様の楽曲では、演奏者たち全員が同じパートのスコアを読む——そこで経験するのは、同じ響きの源泉から生じたリヴァーヴの連続のような効果だ。「Durations」では、それぞれの楽器が各自の独立した音の世界の中で自分たちの独立した生を生きる、さらに複雑な様式に到達した。

In “Piece for Four Pianos” and others like it, the instruments all read from the same part—and so what you have there is like a series of reverberations from an identical sound source. In “Durations” I arrived at a more complex style in which each instrument is living out its own individual life in its own individual sound world.[5]

 「Piece for 4(Four) Pianos」や「Two Pianos」(1954)は同じ楽器の複数の奏者が同じ楽譜を用いるが、それぞれのペースで曲を進めていく方法で演奏されるので、ここでフェルドマンが言うように、同じ音色が時間差でリヴァーヴ効果のように聴こえてくる。一方、彼の新たな「さらに複雑な様式a more complex style」の「Durations」は、上記2曲と同じく演奏者が各自のペースで演奏するが、今度は異なる楽器による室内楽曲編成なので、当然そこでは同時に様々な種類の音色が鳴り響く。聴こえてくる音色の種類と幅が増えることによって、響きの構造も複雑さを増すと同時に、聴き手が感じる時間の性質にも変化が生じる。Saniによれば、「Durations」でのフェルドマンの意図は「聴き手の聴覚的な記憶を消し去ること。つまり、その前に起きたことに対する聴き手の音楽的な意識を混乱させること to erase the aural memory of the listener, and that is, to confuse the listener’s musical awareness of what had come before.」[6]にある。通常の楽曲、特に調性音楽ならば曲を聴き進めていくうちに、その旋律などが記憶に残り、曲の途中や後半で再び同じものが現れるとそれを察知できるが、フェルドマンの音楽はそのような慣れや親しみを歓迎しない。一度、曲の中で以前に起きたことは二度と同じかたちで現れないか、もし再び登場したとしても、それ以前の音高と半音1つ分だけ違っていたり、音域や演奏パートが異なっていることがあるので、まったく同じものが現れる可能性はとても低い。彼の音楽はわざと覚えにくく作られていると言ってもよいだろう。楽譜を見ずに耳だけで音を追いかけていると、この覚えられなさ、馴染めなさはさらに強まる。聴き手の感覚や記憶に挑むかのような傾向は1960年代から1980年代の晩年の長大な楽曲に至るまで、彼の創作の中で徐々に増していく。「Durations」シリーズの意図的な記憶抹消効果は「String Quartet II」(1983)、「Piano and String Quartet」(1985)といった後期の演奏時間の長い楽曲の予兆としても考えられる。

Feldman/ Durations 1-5 (1960-61)

 アルトフルート、ピアノ、ヴァイオリン、チェロによる「Durations 1」(1960)は4つのパートの楽譜上での重なりによってできる156種類の和音から構成されている。これらの和音の大半はトーン・クラスターのような半音階的な重なりによってできている。そのうちのどの1つも構成音が完全に一致する同じ和音はない。「Durations 1」の標準的な演奏時間は約10分。この10分間に耳に入ってきた音の響きを記憶し、それらを呼び起こすことはとても難しい。人間の記憶は反復によって強化されるが、この曲ではある音が反復されたとしても常に微細な差異を伴うので、その現象が他の現象と同一であると認識するに至らない場合が多い。

 「Durations」シリーズをはじめとする自由な持続の記譜法で書かれた楽譜の和音は、楽譜の中に記された音符の縦の重なりとしての外見上の和音に過ぎない。実際の演奏の中では、和音としての音のまとまりや重なりよりも、それぞれのパートが各自のペースで鳴らす音の散発的な響きが多数を占め、ここで私たちが主に耳にするのは音の揺らぎと余韻である。「Durations 1」の場合は156種類の音の重なりの瞬間が記譜されているが、それらは全てがタイミングを揃えて鳴らされるわけではないので、楽譜上の音と、聴こえてくる音とは必ずしも一致しない。楽譜に記された音符でたどっている音の動きや楽曲のあらましは楽譜の中の出来事であり、演奏によって現れる響きとは別の次元にあるともいえるだろう。

 「Durations 3」も聴き手に記憶の拠り所を作らせない音楽だ。「Durations 1」同様、聴き手がこの曲の音の動きを追ったり、覚えたりすることは難しい。「Durations 3」の編成はヴァイオリン、チューバ、ピアノ。楽譜には小節線が引かれていない。曲全体はテンポ表示の異なる短い4つの部分——Ⅰ:Slow, Ⅱ: Very Slow, Ⅲ:Slow, Ⅳ:Fast——に分かれている。どのパートもアタックをできるだけ抑えて演奏されるはずだが、筆者はCD等の録音を聴くと、高音域で鳴らされるチューバの音に最も注意を惹かれてしまう。パートⅠは全ての楽器が一斉に音を鳴らすテュッティで始まり、3つの楽器が徐々に中心から離れるように各自のペースで進む。パートⅡはテュッティで始まるのではなく、チューバ、ピアノ、ヴァイオリンの順で始まる。全ての楽器の響きが渾然一体となった「Duration 1」と違い、ここではそれぞれの楽器がある程度の独立性を保っている。パートⅡと、速いテンポで演奏されるパートⅣは比較的それぞれの音の動きを追いやすいが、反復や覚えやすいフレーズが出てくるわけではないので、やはり記憶し難い音楽には変わりない。

 テュッティで始まるパートⅢは4つの部分に分けることができ、DeLioはこれらの部分をジェスチャーと呼んで分析している[7]。表の最上段の数字は3つの楽器の垂直な重なり(楽譜では和音に見える)を示す。このような垂直な重なりから生じる全体的な響きを、DeLioの方法に倣い、曲の進行に伴うテクスチャーの変化に即して4つのジェスチャーに区分けした。ジェスチャー1は1-15番目、ジェスチャー2は16-21番目の、ジェスチャー3は22-29番目の、ジェスチャー4は30-37番目の音の範囲である。表中の塗りつぶしはF#、G、A♭の3音が現れる箇所を示す。

Durations 3 パートⅢ

ジェスチャー1 *( )はヴァイオリンのハーモニクス

 12345678
violinA♭4 (D♭5)A♭4 (D♭5)A♭4 (D♭5)A♭4 (D♭5)A♭4 (D♭5)F#5 (B5)F#5 (B5)F#5 (B5)
tubaF#1F#1F#1F#1F#1G2G2G2
pianoG5G5G5G5G5A♭6A♭6A♭6
 9101112131415
violinG4 (C5)G4(C5)G4 (C5)G4(C5)A♭5 (D♭6)A♭5 (D♭6)A♭5 (D♭6)
tubaA♭3A♭3A♭3A♭3F#2F#2G1
pianoF#2F#2F#2F#2G6G6F#7

ジェスチャー2

 161718192021
violinG4F#5A♭3G3 (C4)F#4A♭6
tubaF#3A♭2F#4G3A♭1G5
pianoA♭2G5G5F#1G5F#3

ジェスチャー3

 2223242526272829
violinD4 F5G♭4A3 (D♭4)G6F4G5 G6(装飾音)
tubaA2G1C#3D2A3 G3B♭3
piano A♭6 F#2G4 A♭6C4 B5B4/A♭4 F#2/G3C1A♭4/G5 F#3A♭4/G5 F#3

ジェスチャー4

 3031323334353637
tubaC3B1D2B♭1E3D#3G#1C2

 表を見ると、ジェスチャー1とジェスチャー2に出てくる音高が半音階的に隣り合った3音——F#、G、A♭——に限られており、曲の半分以上がこの3音で占められている様子がひと目でわかる。ここまでの範囲は各楽器間での3音の受け渡しだけで構成されている。だが、3つの全く異なる種類の楽器の音色と、その都度変わる音域の組み合わせから、ここまでの範囲がたった3つの音でできていることを耳だけで把握するのはあまり簡単ではない。

 ジェスチャー3から曲の様相が徐々に変化する。ピアノの音高は大半が依然としてF#、G、A♭を占め、この曲の響きの枠組みを守っているように見えるが、ヴァイオリンとチューバはこれまで登場しなかった新たな音高を少しずつとりいれ始める。DeLioは「曲のテクスチュアがさらに異質で断片的になる結果として、それぞれの楽器が新たな、より独立した役割を果たし始める。The instruments begin to take on new, more independent roles as a result of which the texture becomes more heterogeneous and fragmented」[8]と指摘する。これは、最初は同質かつ均等に扱われてきたヴァイオリン、ピアノ、チューバの三者の間に微かな関係性の変化が生じていることを意味する。特にチューバはその後も存在感を増して行き、曲を締めくくるジェスチャー4ではついにチューバ独奏となる。ジェスチャー4でのチューバは、ジェスチャー3での極端な跳躍に比べると、旋律のようななめらかな動きさえ見せる。今までの3音による同質的なテクスチャーは、まるでこのチューバ独奏のための序章だったかのようだ。

 「Durations 1」も「Durations 3」も特に劇的な音楽的効果は用いられていない。特に「Durations 3」は一見、同質なテクスチャーが楽器や音域の配置によって微細な差異を獲得しながら静かに進むので、今聴いている音と、その前に聴いたはずの音とがそれほど遠くない関係にあるのだと気づきにくい。複雑でとりとめのない音楽に聴こえるが、楽譜を見てみると限られた音が少しだけ姿を変えて現れるだけで、実はそれほど複雑な構造ではないことがわかる。次にとりあげる「For Franz Kline」ではその傾向が強まり、楽譜と鳴り響きの関係もさらに乖離する。

3. 「For Franz Kline」(1962) スコアを眺める目が泳ぐ曲

 「Durations」シリーズと同じく自由な持続の記譜法で書かれた「For Franz Kline」(1962)の編成はソプラノ(ヴォカリーズ)、ホルン、ピアノ、チャイム、ヴァイオリン、チェロ。前回はこの曲のオーケストレーションが楽器独自の音色を活かすのではなく、むしろそれを消し去ろうとしていることを指摘した。このような音色の抽象化はこの曲が捧げられた画家、フランツ・クラインの黒と白を基調にしたモノトーンの作品と重なる。今回は楽譜と実際に聴こえてくる音との乖離に着目してこの曲を見ていく。

Feldman/ For Franz Kline (1962)

score: https://issuu.com/editionpeters/docs/fm22

 ペータース版のスコア冒頭にはフェルドマンによる演奏指示が書かれている。

最初の音は全ての楽器が同時に鳴らす。それぞれの音の持続は演奏者に任せられている。全ての拍はゆっくりと。全ての音は最小限のアタックで。装飾音をあまりにも速く演奏すべきではない。音と音の間に記された数字は無音の拍を示す。ダイナミクスはとても控えめに。同じ弦で鳴らされる音の時はピツィカートで再び鳴らすのではなく、最初のピツィカートを維持できるよう指を弦の上に強く落とす。ホルンの音については楽譜のとおり。

The first sound with all instruments simultaneously. The duration of each sound is chosen by the performer. All beats are slow. All sounds should be played with a minimum of attack. Grace notes should not be played too quickly. Numbers between sounds indicate silent beat. Dynamics are very low. For sound occurring on the same string, instead of rearticulating pizz., drop finger heavily to carry through the sound of the first pizz. Hn. sounds as written.[9]

 弦楽器やホルンの具体的な演奏指示以外は「Durations」シリーズとほとんど変わらず、ゆっくりとしたテンポ、最小限のアタック、速すぎない装飾音、全休符とほぼ同じ意味を持つ数字が記されたフェルマータ(上記の演奏指示では「音と音の間に記された数字」と表現されている)は、この時期のフェルドマンの楽曲にとっては定番の事柄といってもよいだろう。「Durations」シリーズの一部でも既に用いられていた、同じ音符を結ぶ点線の登場頻度が「For Franz Kline」では格段に増している。この点線は通常の五線譜におけるタイと同じ役割を持ち、点線で結ばれた拍の分だけ音をのばす。点線で結ばれた持続音はその場面に求められている響きの土台を作るともいえるだろう。

 曲の出だしではソプラノのE5(3拍分)、チャイムのD4(5拍分)、チェロのF3(4拍分)が点線で結ばれている。対して、残りのピアノ、ホルン、ヴァイオリンは単音を1つ鳴らす。このように、冒頭では持続音と散発的な音とが対比されている。他の自由な持続の記譜法による楽曲と同じく、全パートが始めにほんの一瞬、揃った後、それぞれが各自のペースで進む。

 スコアをただ眺める限りでは1950年代後半の五線譜の楽曲に並んでなんとも言い難い楽曲なのだが、少し詳しく見ていくと、この曲を構成する3つの要素を見つけることができる。1つ目は点線で結ばれた持続音、2つ目は他の音とつながりを持たない独立した単音または和音、3つ目はいくつかの単音のまとまりからできるジェスチャー[10]。この3つの視点で楽譜を見ると、先に言及した「Durations 3」パートⅢのように曲の進行に伴って徐々に変容するテクスチャーと、さらには先にあげた3つの要素の役割が明確になってくることがわかる。

 スコア1ページ目は3つの要素全てが満遍なく出揃った賑やかな見た目だ(実際の鳴り響きは賑やかではないが)。1ページ目前半では、幅広い跳躍のチェロの3音のジェスチャーに重なるように、ソプラノが7度音程による2音のジェスチャー(A4-B3)を歌う。フェルマータ2つ分の休止を経て、ソプラノの10拍、つまり音符10個からなる長めのジェスチャーが続く。このソプラノのジェスチャーもフェルドマンが好んで用いる7度音程(D4-C5、G5-A♭4、A♭4-B♭3、F4-E5)を主としている。7度音程を基調とするソプラノのジェスチャーは1ページ目後半にもA5-B4-C#4の3音として現れる。ヴォカリーズで声を用いる場合、フェルドマンは声と他の楽器の音色とをほぼ同質に扱う傾向にあるが、ここではピアノ、ヴァイオリン、チャイムが和音を鳴らし、ホルンとチェロが音をひきのばす中でソプラノのジェスチャーが唯一の連続する動きとして際立たせられているように見える。他に目を引くのは、徐々に積み上がっていくチャイムの和音(D4-F4-C#5-E5)と、1ページ目の後半で複数回鳴らされるピアノの和音(D3-F#3-F4-A♭4-E♭5)だ。この和音は3拍分ひきのばされた後、左手の2音が1オクターヴ上に移高し、フェルマータを挟んで3回繰り返される。

 2ページ目に入ると、ソプラノに加えてホルン、ヴァイオリン、チェロがジェスチャーを担う。ピアノとチャイムは引き続き和音に徹し、場面全体の響きの土台を形成している。この2つのはざまで、時折ピアノとチェロが和音を単発で鳴らす。混沌とした1ページ目に比べて、2ページ目以降からは混沌がやや収まり、先に述べた3つの要素を見つけやすい。

 3ページ目のジェスチャーは、ソプラノのE♭5-C5からなる反復的な音型、その後の息の長い10音(B3-E♭4-D4-A♭4-C5-C#4-E4-G5- A♭4-B3)、音域の離れた2度音程を基調としたホルンの4音(G#3-A4-D♭4-C3)、ヴァイオリンによる3音(D5-G-5-F#6)、ページ最後のチェロによる4音(A♭3-D4-A4-F4)の5箇所である。点線で結ばれた持続音は各パートに満遍なく割り当てられている。このページの最後ではチェロ以外の全パートが点線で結ばれた持続音を鳴らす。

 最後となる4ページ目にジェスチャーは現れず、チェロとピアノによるアルペジオの和音以外は持続音が全体を占めている。これまでは3つの要素がそれぞれのページに必ず現れて、動きと静止の両方の性格を曲中に見出すことができた。しかし、4ページ目では持続音が多数を占めるので、曲全体のテクスチュアが同質化し、静止している印象が強まる。

 ここまでの記述は楽譜に書かれた音符だけを頼りに行ってきた。では、実際のこの曲はどのように鳴り響くのだろうか?読譜に慣れていれば、譜面だけで音の鳴り響きをある程度想像して再現できるし、スコアを目で追いながら聴くこともそれほど難しくない。だが、この曲の場合は事情が異なる。いくら曲を熟知していてもスコアを目で追いながら聴くのが難しい。なぜなら、ひとたび曲が始まると6つのパート全てが違うペースで進むので、時間の経過とともに各パート間の差異が明確になってくるからだ。どれか1つのパートが全体のテンポから大きく逸脱することはないものの、アンサンブルやオーケストラ編成での自由な持続の記譜による楽曲では、全てのパートの動向を一度に把握することは容易ではない。随所に挿入されるフェルマータもスコアに基づいた聴き取りを難しくする要因の1つだ。あるパートがフェルマータに記された数字の拍だけ無音でいる間にも、他のパートはそれを関知するはずもなく次々と音が鳴る。他のパートの音に気を取られているうちに、そのパートの無音の部分は終わり、既に新しい音が鳴ってしまっている。どこか1つを見ているだけでは不十分だが、だからと言って全体を見渡そうとしても、常に足並みが揃わないので全てが五里霧中になるような状況に陥ってしまう。加えて、それぞれのパートの音色の特性を活かさないフェルドマンのオーケストレーションがこの状況をさらに難しくする。このことは、普段、私たちが音のどの側面を頼りに音色を特定しているのかを逆説的に明らかにしている。演奏指示に記されているように、この曲で求められているのはアタックを極力抑えた演奏だ。彼の様々な楽曲で目にするこの演奏指示は音に対する彼の考え方を反映している。

音のアタックはその音の特性ではない。実際、私たちが耳にしているのはそのアタックであって音ではない。しかし、減衰は音の去り際の風景であり、音が私たちの聴取のどこに存在するのかを示してくれる——音は私たちに向かっているというより私たちから去り行く。

The attack of a sound is not its character. Actually, what we hear is the attack and not the sound. Decay, however, this departing landscape, this expresses where the sound exists in our hearing—leaving us rather than coming toward us.[11]

 フェルドマンの考えに倣えば、音の特性はアタックではなく減衰、つまり音が消え行くプロセスにある。音の減衰は響きや余韻でもあり、これらは時間の経過と共に存在する。この曲の聴取に際しては無理に音色を特定しようとせず、声と楽器が混ざり合った響き全体を聴けということなのだろうか。だが、この連載では彼の音楽を楽しむだけでなく「知る」ことも目的としているので茫洋と聴き流すのとは違う聴き方を提示したい。

 「For Franz Kline」を聴いていて最もわかりやすい音の目印はチャイムの音である。楽譜の中では声によるジェスチャーがこの曲の中で際立った存在だが、実際の鳴り響きでは楽譜から読み取ることのできる姿とは別の姿が浮かび上がってくる。楽器の特性を加味すると、アタックを極力抑えてもハンマーで打ち鳴らすチャイムからアタックを完全に消し去ることはできず、曲中では思いがけず強い存在感を放つ。チャイムのような、どうしても消し去ることのできない楽器の特性と音色が聴き手に道標を与えてくれる。スコアを見る目が泳いでどのパートがどこを演奏しているのかわからなくなったら、アルペジオのように1音ずつ積み重なるチャイムの響きを探してみてほしい。

 楽譜は概念や創造性を具現し、表現する場であると同時に、演奏や記録のための実用性も備えている。それはもちろん「For Franz Kline」においても同じだ。この曲の出版譜は全6パートの音が垂直に整然と並んでいる。読譜から想像できるのは、6つのパートが一体となって1つの和音を作り、それが次々と鳴らされる響きだろう。しかし、先に見てきたように、「For Franz Kline」を実際に聴いてみると、スコアに整然と並んだ音符からは想像できない混沌が響きとして現れる。自由な持続の記譜法による楽曲では、楽譜と鳴り響きとの隔たりが大きくなる傾向があるが、この曲はその隔たりが「Durations」よりもさらに著しい。スコアを具に見れば見るほど、楽譜の中の音像と実際の演奏から現れる音像との距離がますます開いていくように感じるのだ。自由な持続の記譜法はむしろこの2つの縮まらない隔たりを是とし、聴き手の読譜と聴取の技量を試しているようにも思われる。

4. フェルドマンにとって記譜法とは? 伝統と革新、論理と直感との間

 もしも、フェルドマンが楽譜と鳴り響きとの隔たりを縮めようと試みたならば、どのような記譜がこの曲に適しているのかを想像してみよう。先に見てきたように、アタックをできるだけ抑えて演奏される「Durations」と「For Franz Kline」には、複数の音の響きとその減衰が混ざり合って生まれる効果を聴かせる狙いがあると考えられる。これらの曲の楽譜の外見と実際の鳴り響きのイメージとを一致させようとした場合、均質に色が塗られ、形が整えられた音符の符頭が規則的に配置された楽譜ではなく、ぼやけた輪郭と不均質な濃淡の符頭が不規則な感覚でぽつりぽつりと配置された楽譜が浮かんでくる。演奏のための実用性を考慮しなくても済むのなら、作曲家が求める音のイメージを忠実に再現した楽譜はこのような姿になり、楽曲で求められている音のイメージを演奏者に対して具体的に喚起することもできる。今ここで勝手に想像している楽譜に記された、ぼやけた輪郭と不均質な濃淡の音符はクライン、デ・クーニング、フィリップ・ガストンら、この当時のフェルドマンと親しく付き合っていた画家たちの作風を彷彿させる。彼らの作品もまた、キャンヴァスという固定された媒体に衝動や運動を描きつける方法をそれぞれの方法で模索していた。フェルドマンが五線譜による正確な記譜法を「一面的」で可塑性を欠いているとみなしたことと、抽象表現主義画家がキャンヴァスに動きの要素をもたらそうとしたことは、その根底で同じ方向を希求していたといえるだろう。だが、フェルドマンは絵画に詳しかっただけでジョン・ケージのように絵の才能があったわけではなく[12]、同時代のフルクサスのような実験芸術にもそれほど共感していなかったので、記譜法そのものを根本的に覆す自分独自のセンセーショナルな楽譜を書こうとはしなかった。フェルドマンが楽譜の外観と音の関係に注意を払っていたが、楽譜自体の見た目の美しさや革新性にさほど関心がなかったことは、彼の最晩年に当たる1986年にオランダ南西部の都市、ミデルブルフで行われた連続講義での次の発言からわかる。

私はスコアがどんな風に見えるのかで頭がいっぱいだ——ほとんど数学的ともいえる等式に気付いた。自分の記譜法が狂えば狂うほど、それはよりよく鳴り響くのだった。視覚的な見た目が必ずしもこの種の音響を把握する鍵になるわけではなかった。だから私は記譜法にとても興味があり、図像的な魅力よりも、ポリフォニーから逸した音響的な現実性を記譜から得ようとしている。

I’m very involved with how the score looks—I found an almost mathematical equation: that the crazier my notation was, the better it sounded; that the visual look not necessarily was the key towards that type of sonic comprehension. So I’m very interested in notation, of trying to get the sonic reality of the piece, rather than its graphic attractiveness, which is out of polyphony. [13]

 フェルドマンは例えばバッハが書いたようなポリフォニーの楽譜に見られる秩序や洗練を記譜に求めていなかった。このことは後述する学生への助言でも明らかだ。彼が1950年から始めた図形楽譜は歴史的に見ると革新的だが、左から右へと読むなど五線譜の仕組みを踏襲し、その外観も比較的単純だ。1960年代に本格化した自由な持続の記譜法も1つの曲の中に複数の音楽的な時間を創出する点での革新性を持っているが、五線譜を基調としているのでそれほど突飛な見た目ではない。彼は他の作曲家のように[14]音符そのものの形を変える自分独自の記譜体系を作ろうとはせず、五線譜の基本的な枠組みを維持した。

 1960年代の自由な持続の記譜法では、楽譜の中の音符から符桁ふこう(音符のはたの部分)を取り去り、音符と音符とを連桁れんこう(連符を作るために用いられる音符の旗の部分)で水平方向に繋げず、音符をひとつひとつ楽譜に置いていった。このように音符と音符とを結びつけて束縛せず、せめて見た目だけでも独立させることで、楽譜の中の音符を少しでも自由にしようとしたのかもしれない。自由な持続の記譜法は、小節線の引かれた伝統的で慣習的な五線譜に比べれば革新的ではあるものの、突飛になり過ぎることもない記譜を模索していた彼なりの最良手段だったともいえるだろう。

 より精緻な五線譜による記譜法へと完全に移行した1980年のインタヴューで、フェルドマンは「少なくとも自分にとって、記譜法がその曲の様式を決める notation, at least for me, determined the style of the piece」[15]と発言している。この発言を受けて、図形楽譜または自由な持続の記譜法が五線譜に対する断絶を意味するのかとたずねられた彼は、「私はそれ(訳注:図形楽譜または自由な持続の記譜法)を本当に全く別個のものとして見なしている。ある人が彫刻も作れば絵も描くのと同じようなことだ。I saw it, very, very, differently. I saw it somebody does a sculpture and then does a painting.」[16]と答え、記譜法の選択はその時の自分の創作に適した語彙と手段であることを強調した。彼の作曲にとって記譜は音楽の様式を決める重要な事柄に変わりないが、どれを使うかはその時々によるということなのだろう。だが、実際の彼の作品変遷を見てみると、図形楽譜は1967年頃に終わり、自由な持続の記譜法は1970年代以降ほとんど用いられていない。フェルドマンは「伝統的な記譜法に回帰したことは本当になかった。I never really ‘returned’ traditional notation.」[17]と言っているものの、実際のところ1970年代以降の楽曲に用いられている五線譜の記譜法は年代が進むにつれて精度が上がって正確さが増し、彼がいう「伝統的な記譜法」にどんどん近づいて行っている。このような発言の矛盾はさておき、彼自身が言うように、記譜法がこの作曲家の音楽の様式を決めることはたしかであり、この連載でもこれまでに何度か言及してきた。1950年代、1960年代におよそ10年周期で記譜法を変えてきたフェルドマンは楽譜を書く作業をどのように捉えていたのだろうか。先に引用した1986年のミデルブルフでの講義で彼は学生たちを前にこのように語っている。

記譜法にまつわる考え方の全ては音符の配置についてのなんらかの思いつき、音符をここかあちらかに置いて、それを動かす際のアイディアを授けてくれる。私は何か形式的なことについて話しているわけではない。本能でやってのける人もいるだろうと言っているのだ。ここに音符を書けばあそこにも音符を書く。あなたたちは対位法をあまり勉強しなかったのでは?そうでしょう?ご存知の通り、対位法は楽譜のページ設計を見せてくれる点で役に立つ。すばらしいことだ。あなた方は本能の力を伸ばしている…

The whole idea about notation is to give you some idea of placement, of putting it here or there, moving the note around. I am not talking about anything formal, really. I am talking about one might even do it by instinct. You put it here and you put it there. You didn’t study much counterpoint, did you? No. Well, you see, what counterpoint does is it gives you a look of the design of the page. It’s marvelous. You develop an instinct…[18]

 本能や直感に従って音符を書いていくことと、唐突に出てきた対位法がここで対比されている。これは作曲の基本的な訓練をどれほどしたのかを問うフェルドマンから学生たちへの皮肉のようにも見える発言だが、1960年代の自由な持続の記譜法によるフェルドマンの楽曲も完璧に構築された対位法の楽譜や記譜法とは全く相容れない。従って、上記の発言は学生への皮肉であり、フェルドマン自身に対する自己批判とも解釈できる。

 本能や直感か、それとも規則や論理なのかという問いは、既存の作曲のレトリックの超克を模索したフェルドマンの創作に一貫する命題でもあった。最終的にフェルドマンは、「あなたたちはよい耳を持っている You have a good ear.」[19]と言い、対位法に長けたバッハのような俯瞰的な視野を持たなくとも作曲と記譜を発展させていく方法を学生たちに語る。フェルドマンはその具体的な方法として「正確に記譜し、それを眺めて、その楽譜の均整が取れているかどうか悩め。notate exactly and then you see and worry about the proportions」と学生たちに助言する。「だが、さらにうまくやりたいなら… もっとうまくやる方法を教えよう。とにかくもっと慎重になれ。But if you want to do it better…I tell you how to do it better. Just be more selective.」[20]と続けて彼は学生たちを鼓舞した。上記の発言から、フェルドマンにとっての作曲は、対位法のような音の設計と構築を指すのではなく、音をじっくり聴くことを通して、音を慎重に選び取り、それを楽譜に書き付けていく作業を意味するのだとわかる。だが、ここでの学生たちへの助言も素直に受け止めてよいものではない。「Durations 3」パートⅢの冒頭からしばらく続く3音の受け渡しのように、無作為に抽出されたかに見える音の配置であっても、楽譜を詳細に見ていくとそこになんらかの類縁性や関係性が浮かび上がってくることがよくある。直感的、本能的に書かれたかのように見える自由な持続による記譜でも、そこには音と音とのなんらかの関係性が必ずどこかに隠れているのだ。このことも1960年代前半のフェルドマンの楽曲の中で、楽譜と音の鳴り響きがいかに乖離しているのかを物語っているといえるだろう。

 「垂直」を発見した1960年代のフェルドマンはしばらく自由な持続の記譜法を続ける。だが、「垂直」ばかりに気を取られていては、一見よくわからない楽譜に潜む微かな関係性や類縁性を見落とす危険があり、やはり記譜された音符を水平と垂直の両方向から見ていく必要がある。引き続き、次回は自由な持続の記譜法で書かれた楽曲と、フェルドマンのいう「垂直」についてさらに詳しく考察する予定である。


[1] Morton Feldman, “Autobiography”, in Essays, Kerpen: Beginner Press, 1985, p. 38
[2] ここでフェルドマンは「Atlantis」の作曲年代を1958年、「Out of Last Pieces」の作曲年代を1960年と書いているが、パウル・ザッハー・アーカイヴでの資料調査に基づいてSebastian Clarenが作成した作品カタログ(Claren, Neither: Die Musik Morton Feldmans, Hofheim: Wolke Verlag, 2000に収録)によると、前者の作曲年代は正しくは1959年、後者の作曲年代は正しくは1961年。「Out of Last Pieces」のタイトル表記はカタログ、出版譜、CD等では「…Out of ‘Last Pieces’」とされることが多い。本稿でも引用を除いて「…Out of Last Pieces」と表記する。
[3] Ibid., p. 39
[4] Morton Feldman, Give My Regards to Eighth Street: Collected Writings of Morton Feldman, Edited by B. H. Friedman, Cambridge: Exact Change, 2000, p. 12
ここで言及されているマダム・タッソーの美術館とは、歴史上の人物や有名人の蝋人形を展示しているマダム・タッソー蠟人形館である。ロンドンを拠点に世界各国にこの蠟人形館がある。
[5] Feldman 1985, op. cit., p. 39
[6] Frank (Francesco) Sani, “Feldman’s ‘Durations Ⅰ’: a discussion”, in Morton Feldman Page www.cnvill.net/mfsani1.htm
[7] Thomas DeLio, “Toward an Art of Imminence: Morton Feldman’s Durations Ⅲ, #3”, originally published in Interface, vol. 12, 1983, pp. 465-480, published online in Morton Feldman Page https://www.cnvill.net/mftexts.htm in 2008. 今回はオンライン版を参照したので引用した箇所のページ数は不明である。
[8] Ibid.
[9] Feldman, For Franz Kline, Edition Peters, EP 6984, 1962.
[10] ここでの「ジェスチャー」は、先に引用したDeLioの用法(3つの楽器の全体的な響きから生じるテクスチャーの意味)とやや異なり、曲中に現れる各パートの音の連続とその動きを意味する。
[11] Feldman 2000, op. cit., p. 25
[12] フェルドマンの著述や講義録に掲載されているいくつかのイラストや図を見る限り、彼には絵画の才能とセンスがなかったことがわかる。
[13] Morton Feldman, Words on Music: Lectures and Conversations/Worte über Musik: Vorträge und Gespräche, edited by Raoul Mörchen, Band Ⅰ, Köln: MusikTexte, 2008, p. 58
[14] 例えばフェルドマンやケージとも親交のあったヘンリー・カウエル Henry Cowell(1897-1965)は1930年にNew Musical Resourcesを出版し、既存の五線譜とは異なる自分独自の理論と記譜体系の構築を試みた。
[15] Morton Feldman Says: Selected Interviews and Lectures 1964-1987, Edited by Chris Villars, London: Hyphen Press, 2006, p. 91
[16] Ibid., p. 91
[17] Ibid., p. 91
[18] Feldman 2008, op. cit., p. 296
[19] Ibid., p. 298
[20] Ibid., p. 298

高橋智子
1978年仙台市生まれ。Joy DivisionとNew Orderが好きな無職。

(次回更新は11月15日の予定です)

吉池拓男の迷盤・珍盤百選 (24) 珍曲へのいざない その3 執念の人々

Unknown Piano Music of Alkan – Original works and transcriptions John Kersey(p)RDR CD30
Piano music of Sydney Smith (1839-89) Original works and paraphrases John Kersey(p)RDR CD24

忘れられた作曲家や埋もれた作品を世に出すことに凄まじいパワーを注いだピアニストがいます。代表的なのはアルカンの復活に心血を注いだ人たち。19世紀末頃はリストやショパンと並ぶ大作曲家と言われていたのに、20世紀前半段階でほとんど誰も弾かなくなっていた(ま、そりゃ無理ないかな)アルカンの復活にRaymond Lewenthal(1923 – 1988)とRonald Smith(1922 – 2004)は凄まじい情熱を傾けました。この2人が交流を持っていたのか、どう影響し合ったのかはわかりません。しかしこの2人の執念なくしては、アルカンの復活は無かったでしょう。日本でも中村攝(金澤攝)が1990年頃、アルカン・リバイバルに執心していました。今現在は森下唯が集中的にアルカンに取り組んでいます。これまでの先人たちが難しすぎて手を出さなかったスケルツォ・フォコーソop.34に見事な演奏で光を当てたのは森下の素晴らしい成果と思います。ともあれ21世紀になってピアノサークルの発表会やストリートピアノでもアルカンを弾く人がいるような世の中になったのはLewenthalとSmithのおかげです。彼らの執念に深く深く感謝しましょう。(余談ですが、Kapustinが世界中に知られて弾かれるようになったのは、日本のピアノ愛好家たちの力と私は思っていますが、どうでしょう。)

さて、忘れられた作曲家や埋もれた作品の復活に心血を注ぐ演奏家は、数多く存在していると思います。その中でもかなりアツイのがイギリスの音楽学者でピアニストのJohn Kersey先生でしょう。彼は19世紀ロマン派のピアノ音楽の発掘に執念を燃やしており、自ら録音してリリースし続けています。彼のCDは(私が買った時、そしてたぶん今も)輸入CD店やamazonでの取り扱いはなく、彼のホームページから直接買うしかありませんでした。そのCDリリース数たるや凄まじく、聞いたことのない作曲家名や珍曲に溢れたサイトのカタログアーカイブスコーナーもあり)を見るだけで嘆息の嵐となってしまいます。一応連番であるCD番号はすでに103です。

私が買ったのは「Unknown Piano Music of Alkan」と「Piano music of Sydney Smith」の2枚。ただでも珍曲作家扱いのアルカンのさらに「知られざるピアノ音楽」とは何だ?と見てみると、

  1. Handel=Alkan: Chœur des Prêtres de Dagon from ‘Samson’
  2. ‘Il était un p’tit homme’: Rondoletto, op. 3
  3. Weber=Alkan: Chœur-Barcarolle d’Obéron (Les filles de la mer)
  4. Beethoven=Alkan: Chant d’Alliance (Wedding Song)
  5. Désir, petit fantaisie
  6. Variations quasi fantaisie sur une barcarolle napolitaine, op. 16 no. 6
  7. Grétry=Alkan: Marche et Chœur des Janissaires
  8. Nocturne no 3 in F sharp major, op. 57
  9. Marcello= Alkan: ‘I cieli immensi narranno’ from Psalm 18
  10. Gluck=Alkan: ‘Jamais dans ces beaux lieux’ from ‘Armide’
  11. Variations on ‘La tremenda ultrice spada’ from Bellini’s ‘Montagues and Capulets’, op. 16 no. 5
  12. Réconciliation: petit caprice mi-partie en forme de zorcico, ou Air de Danse Basque à cinq temps, op. 42
  13. Variations on ‘Ah! segnata è la mia morte’ from Donizetti’s ‘Anna Bolena’, op. 16 no. 4
  14. Anon=Alkan: Rigaudons des petits violons et hautbois de Louis XIV
Unknown Piano Music of Alkan – Original works and transcriptions

初期作品や編曲もの中心のラインナップで、リリースされた2007年当時では世界初録音曲が含まれていました。初期アルカン作品は変態的な難技巧や過激な書法はほとんどなく、エルツやピクシスを思わせるようなサロン風の明るさと程よい華美に包まれています。中でもOp.16 no.6 の変奏曲はリストのタランテラの中間部と同じ旋律を使っていて、結構興味深く聴けます。編曲ものもおとなしめのものばかり。これは執念の人John Kersey先生がアルカン全盛期の変態的難技巧をあびせ倒すようなテクをたぶん持っていないことにも起因していると思います。確かにKersey先生はアルカンの交響曲のライブ録音もリリースしてます。が、アルカンに取り組んだ豪腕系ピアニストたちと比べると多少酷な感じです。もちろん「Unknown Piano Music of Alkan」の各曲はきちんと弾いてはいて、たどたどしくはないです。ただ、華麗なる系のフレーズをピアノ的美感に昇華させるまでのピアノ弾きではありません。

Piano music of Sydney Smith (1839-89)

もう1枚はイギリスの作曲家シドニー・スミス (1839-1889)の作品集。シドニー・スミスはいくつかのペンネームを使い分けながら、いわゆるサロン風ピアノ曲をわんさか書いていた人です。自作だけでなく有名管弦楽曲やオペラのブリリアントなパラフレーズも量産しています。LPやCDやYouTubeのなかった時代、音楽鑑賞と普及がこうしたピアノ編曲によって行われていたことは有名な話です。さて、このCDの注目曲は「メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲によるパラフレーズ」です。オペラ楽曲や歌曲、管弦楽曲のピアノ独奏用編曲は普通にありますが、ヴァイオリン協奏曲によるものはかなり珍しく、ゴドフスキが編曲したゴダールのカンツォネッタ(Concerto Romantique Op.35第3楽章)くらいしか知りませんでした。早速聴いてみると、全3楽章で25分くらいある原曲をそのままの順番で14分サイズに縮めています。何じゃこのカットは、という突っ込みどころは満載。第2楽章の温存度は高いですが、両端楽章はかなりザックリ行っています。ピアノ技巧的には妙なキラキラフレーズを入れたりせずに素直に創っています。楽譜はIMSLPのメンデルゾーンのヴァイオリン協奏曲のArrangementタブの中にあります。ザックリカットに耐えられるならば、ピアノ学習者用コンテンツにはなる気がします。なんといっても原曲が超有名ですからね(*1)。さて、その他にはスミスの自作曲や有名オペラパラフレーズなどが8曲ほど収められています。Kersey先生によるベストセレクションなのでしょうが、特に自作曲は身震いするほどツマラナイです。無名で終わった作曲家の実力が遺憾なく発揮されていますので、ぜひ歯を食いしばってご堪能ください。

Kersey先生が後の世で「●●●の曲が世界中で弾かれるようになったのはKerseyの執念のおかげ」と言われるかどうかはわかりません。彼の膨大な発売CDを全て買って聴き込み、その執念に共感するところから未来は広がるでしょう。私は財力もなく、スミスの曲を聴いた徒労感から、その冒険に出ることはないでしょう。未来はKerseyの門を叩いた貴方から始まります。どうぞどうかお気張りやっしゃ。

注*1:CDには収録されていませんが、スミスは同じメンデルスゾーンのピアノ協奏曲第1番の短縮独奏版も作っているようです。

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。

吉池拓男の迷盤・珍盤百選 (23) 珍曲へのいざない その2 麗しき泥船、その名は「全集」

珍曲を探し求める泥沼旅には頼りになる気がする泥船が浮かんでいます。その船の名は「全集」。私の嗜好領域のピアノ音楽の世界で言えば「Complete piano works of “作曲家”」と銘打たれたCDです。とにかく一人の作曲家のピアノ音楽が全部聴ける。主要作品から半端作品、場合によっては未完成や断片作品まで聴ける。しかも人生全般にわたってピアノ曲を書いた作曲家の場合は、作風の変遷を通じて作曲家の人生行路まで辿れるような気がして来る、それが麗しき泥船「全集」の魅力です。

今のCD業界の全集発売攻撃は凄まじいものがあります。ピアノCDの世界で全集をよく出している3つのピアノ重視レーベルから「ピアノ作品全集」が出ている作曲家を並べてみましょう。(2020年9月現在)

★PIANO CLASSICS★
DebussyPintoBernsteinShamo武満RavelUstvolskaya

★TOCCATA CLASSICS★
PeykoRespighiHermannEllerEnglundBeckLevitzkiHurlstoneR. MalipieroTajčevićLyadovO’BrienReichaBuschRameau

★GRAND PIANO★
Saint-SaënsWeinbergA. TcherepninBalakirevPonceSamazeuilhVoříšekBabadjanianLe FlemMosolovEnescuKaprálováArutiunianLouriéKvandalGlinkaRoslavetsKalomirisSatieStanchinskyBersaLutosławskiAntoniouKuulaBarjanskyBalassaHarsányiRotaMokranjacBottiroli

「全集」以前に「誰やこいつ」という人がたくさん並んでます。ドビュッシーなど有名作曲家の全集も今更作ってどうすんのと思いがちですが、新発見作品とか異稿とか編曲ものとかが次々と加わり、よりパワフルになってきています。例えばGRAND PIANOから出ているSaint-Saëns全集などは、VOXから40年くらい前に出ていたDosse盤には収録されていなかった作品が世界初録音9曲含めて13曲入っています。さらに聞いたことのない作曲家の数々。そのピアノ曲がコンプリートで聴けてしまうのですから、ほんと、イイ時代です。もちろん他のレーベルからも有象無象の作曲家の「ピアノ作品全集」が出ていますので泥船の楽しみは尽きません。もうひとつ。「全集」の有難いところは、刊行中の出版物にもIMSLPにも楽譜がなく、存在すら掴みづらい楽曲を知ることができる点にあります。「全集」企画者たちの楽譜集めの苦労は相当なものと思われますが、世界には結構無名の作曲家でも研究対象にしている人がいるので、研究者さえ見つかればなんとかなるものかもしれません。

さて、これまでに手にした「全集」の中で印象に残っているものを3つほどご紹介しましょう。

【Grieg Piano Music  Einar Steen-Nokleberg(p)  NAXOS 全14集】 1995年

収録曲の多さで度肝を抜かれたSteen-Noklebergのグリーグ全集。音楽的に重要な作品ではないでしょうが「ノルウェーの旋律 全152曲」がCD3枚に渡って収められていたのには驚きました。さらにはいくつかの短いスケッチだけで終わったピアノ協奏曲ロ短調(断片)とかも収められていました。有名なイ短調の協奏曲と比べたらイマイチな音楽だったのは否めないものの、なかなかに興味の湧く素材です。この全集録音(発売当時は1枚ずつ出た)は何よりも演奏のレベルが素晴らしく高いのです。ピアノの音やフレージングから北欧音楽の香りが凛と漂い、この録音さえあればもうグリーグのピアノ曲の他の録音はいらんなぁとしみじみ思わせた、まさに「全集録音の鑑」。

【Mily Balakirev The Complete Pino Music  Alexander Paley(p)  ESS.A.Y 全6集】1994年
【Mily Balakirev Complete Piano Works  Nicolas Walker(p) GRAND PIANO 全6集】2013~20年

今から40年くらい前、バラキレフに「ショパンの2つの前奏曲の主題による即興曲」というけったいなタイトルのピアノ曲があることがわかったのですが、ネットもIMSLPもなかった時代に実態が全く分からずにいました。1994年にPaleyのバラキレフ全集が出て、ようやく確認できた喜びは今も記憶に残っています。ショパンの前奏曲op.28の第14番変ホ短調と第11番ロ長調の動機を使って5分くらい拡大・展開させた作品でした。特に第14番。原曲は急速な両手ユニゾンの作品ですが、少しテンポを落として分厚い和音交互連打作品へと大化けさせています。残念ながらPaleyの演奏は技巧的に不満要素が多く、GRAND PIANOレーベルから出ているNicolas Walkerの全集録音(他には音楽史上の即興曲を集めたアルバムのMargarita Glebovの演奏)の方が遥かに良く、バラキレフのアホさ加減がもりもりと伝わってきます。なお、Paleyより後から出たNicolas Walkerの全集録音にはピアノソナタop.3などの世界初録音曲に加え、バラキレフがショパンのスケルツォ第2番のラスト2ページくらいを大胆に書き換えたびっくりヴァージョンも収録されています。後出し全集充実の法則ですね。

【Cyril Scott  Complete Piano Music  Leslie De’Ath(p)  DUTTON  全5集(9枚)】2005~9年

異国情緒あふれるピアノ曲「Lotus Land」で有名なスコットは、他にもピアノ曲を沢山遺しています。この全集録音を買って初めて知った珍曲が、第3集に収められている「2台のピアノのためのバッハによる3つの小品」。2声のインヴェンション第8番BWV 779、イギリス組曲第2番BWV 807のサラバンド、フランス組曲第5番BWV 816のジーグを2台ピアノ用に自由にアレンジした作品です。最も手の込んでいるのはBWV 779で、イギリス民謡系近代音楽風味のゆったりとした序奏部(*1)が1分くらいあった後、おなじみのBWV 779が始まります。当然ピアノ2台なので次第に音は足されて行きます。1分ほどで原曲通りの進行が終わると、スコットによる独自の展開が始まります。これが近代和声に彩られ、中々にお洒落で面白い。正直、他のスコットの膨大なオリジナルピアノ曲より優れモノです。続くBWV.807は和声を厚めにしているくらいであまり変えていません。BWV 816もほぼ原曲通りの進行ですが、曲の最後の構成を変えて前半のジーグ主題を回帰させ、高らかに鳴らして締めくくるようにしています。この流れは自然であり、高揚感も原曲以上です。この全集録音盤を買わなかったら、作品の存在に気付くことも無かったでしょう。スコットくらいの知名度ではWikipediaにも作品リストがろくになかったりするのです。本当にありがたい泥船です。

これらの作曲家以外にも沢山の全集録音が出ています。主要作曲家以外で聴いたのは、Sgambati、Turina、JongenFieldGraingerC. Schumann、Wiklund、RodrigoMompouGuastavinoGinasteraPaderewski等々。GodowskyBortkiewiczSéveracも全集に近い状況になってきています。その一方でMoszkowski、Friedman、Tournemire、Pierné、Chasinsは出そうで出ないですねぇ。世界の誰か、がんばって! 

AmazonやYouTube Musicの配信にも多くの全集録音が登録されています。泥船はすでに乗り易い船団となって貴方をお迎えする準備を整えています。ぜひ皆様のご乗船を心よりお待ち申し上げます。泥沼の泥船ではありますが……。

*1:この序奏部がスコットのイギリス民謡風のオリジナルではなく、バッハの何らかの作品の変容である可能性もあるが、筆者の知識の中ではわからなかった。CDの解説にも何の言及もない。

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。

吉池拓男の迷盤・珍盤百選 (22) 珍曲へのいざない その1 往年の大ヒット曲

Francis Planté The Complete Issued Recordings Marston LAGNIAPPE L002 2004年
Legendary Piano Recordings:The Complete Grieg, Saint-Saëns, Pugno, and Diémer Marston 52054-2 2008年
The Art of the Transcription Earl Wild(p) AUDIOFON CD72008-2 1982年

さて、ミューズ・プレスの細谷代表から「最近は珍曲ブームらしいですよ。F間K太朗さんがレア曲だけの配信リサイタルシリーズを主催したり、F田M央さんがアルカン弾いたりしてますよ。」というお話をいただきました。なので数回、“珍曲的なるもの”を扱ってみようと思います。筆者は「もっと良い曲がこの世にはあるに違いない」と信じて30年間くらい素敵な珍曲を探し求めてましたので、その流浪の結果としてひとつ言えることがあります。

珍曲に名曲なし!!探すだけかなり無駄」

IMSLPの作曲家の一覧を見るとわかるように、歴史上「クラシック音楽の作曲家」はごまんといます。恐ろしい数です。正直、9割近くの人の名前は初めてですし、その作品を聴いたことある人となると50人に一人いるかいないかでしょう。つまり、ここには「珍曲」が溢れんばかりに隠れているのです。探してください、一生懸命。いい曲なんてほとんど見つかりませんから。無名の作曲家が無名なのはやはり才能が乏しいからです。人の心にしっかり届いて残り続ける音楽を書けないのです。音楽の長い歴史の中で光を浴びるべき人や作品は、光度のバラツキや明滅はあるにしろ光をすでに浴びています。前述した珍曲扱いのアルカンだって19世紀末の頃にはショパンなどと並ぶ大作曲家と言われていたのです。

さて、否定的なことばかり言ってしまうと夢と希望とこの文章を読む気が無くなるだけです。実際のところ、珍曲の中にも稀に聴き手の珍なる個性とマッチングして(あくまでも個人的な)名曲が見つかることがあります。その時の(あくまでも個人的な)随喜の悦楽と言ったら、麻薬的な泥沼以外の何物でもありません。だから(あくまでも個人的な)珍曲探しはやめられないのです。珍曲探しとは自分にとって音楽とは何かを見つめる旅でもあります。どうぞ、さらなる深みへとお進みください。

さて、今回は一時期は輝く光を浴びていたがすっかり忘れられた作品を2つご紹介します。

Francis Planté
The Complete Issued Recordings

ピアノ演奏録音を遺した音楽家の内で生年が古い人はブラームス(1833年)サン=サーンス(1835年)、プランテ(1839年)あたりではないでしょうか。前二者は主に自作を録音したので、職業ピアニストらしいレパを録ったのはプランテが最も古い一人でしょう。プランテは19世紀フランスを代表するピアニストで優雅極まりないスタイルで人々魅了したようです。彼が18曲ほど録音したのは1928年の89歳の時。ショパン本人にも会ったといわれる人の演奏でしたから、ショパンの演奏(練習曲7曲)はじめ貴重な記録として注目されるのですが、残念ながらあまりよい演奏ではありません。89歳の爺さんがよっこらよっこら弾いてるといった感じで、音楽が結構不自然に流れます。ま、味があるといえば味があります。

Legendary Piano Recordings:The Complete Grieg, Saint-Saëns, Pugno, and Diémer

さて、プランテから少し時代が下って1852年生まれのプーニョもフランスを代表したピアニストでした。彼は1903年に18曲ほど録音を遺します。まだ51歳なので技術的にもバリバリで、自由に舞うような洗練された音楽創りを聴くことができます。特にかなりのスローテンポで弾かれるショパンの夜想曲第5番はショパンの弟子直伝の作法ですし、ショパンのワルツ第2番では「真珠奏法」という秘技を披露しています。(真珠奏法とは色々な文献によればプーニョの特殊なスタッカート奏法らしいが、正直、聴いてもよくわからない。)

で、この歴史的な二人の貴重な録音(ともに18曲)には共通した楽曲があります。それはメンデルスゾーンの無言歌から「狩りの歌」「紡ぎ歌」そして「スケルツォop.16 no.2」です。ここでふと気づきます。スケルツォop.16 no.2 って他のピアニストも結構録音してたような気が???、と。

早速、2020年夏に公開されたイギリスのCD会社APRのピアノSP録音データベース(以降APR/DBと表記)を調べてみましょう。APR/DBは12268ものピアノSP録音データが登録されていて、まさに爆涙ものの情報源です。早速メンデルスゾーンのスケルツォop.16 no.2 を検索してみると……出るわ出るわ、33種類のSP録音が登録されていました。しかもピアニストが凄い。コルトー、フリードマン、モイセイヴィッチ、ザウアー、ケンプ、チェルカスキー、ギレリス、ブライロフスキーなどなど。33種類が多いのか少ないのかを知るにはショパンのワルツ各曲の録音回数と比較するとわかりやすいと思います。APR/DBでは、

ショパンのワルツ・SP録音回数
1番2番3番4番5番6番7番8番9番10番11番12番13番14番
34403222557611119351854111358

となっていました。メンデルスゾーンのスケルツォ op.16 no.2 は華麗なる大円舞曲や別れのワルツ並みの人気楽曲だったのです。しかし、現代のピアニストでこの曲を基本レパートリーにしている人なんて聞いたことがありません。拙文をお読みいただいている貴方も、どういう曲が頭に浮かばないでしょう。有名どころのピアニストがこぞって弾いた曲でしたが、おそらくは20世紀の中ごろに急速に人気を失ったと思われます。20世紀初頭になぜ人気があり、そしてなぜ人気を失ったのか、これに関しては全く見当がつきません。確かに作曲家は有名ですが、もうみんな知らない往年の大ヒット曲、立派な“忘れられた珍曲”の部類に入ってしまっています。

The Art of the Transcription Earl Wild(p)

昔の大ヒット曲という点では、ショーンバークの名著「ピアノ音楽の巨匠たち」に気になる記述があります。それは「70年前には、バッハ=タウジヒのニ短調のトッカータとフーガでリサイタルを始めないのは決まりに反するという感があった。」(新版:p274)です。この本が刊行されたのが1963年ですから70年前とは19世紀末頃。そのころのピアノリサイタルはタウジヒ編のBWV 565から開始するのがお決まりだったというのです。今、この編曲を演奏会の冒頭どころか弾く人さえ稀になりました。理由はいくつか考えられます。BWV 565が鼻から牛乳が出るくらい有名すぎる事、タウジヒ以外にブゾーニやコルトー、レーガー、ブラッサンなどの多彩で優れた編曲版が登場した事などです。特にタウジヒ編曲は冒頭に奇妙な改変が施されています。ど頭の「チャラリ~」というところを、音の上下を変えた上でトレモロ風に二回回すのです(楽譜参照)。これでは「チャリラリラ~ 鼻から牛乳*」となって緊張感は薄れ、ま、少しずっこけます。嘉門タツオ先生もさぞや歌いにくくなったことと思われます。ピアノでBWV 565を弾こうと思った人がいても、この部分を観ただけで他の編曲を手にしたくなることでしょう。20世紀以降でライブでこの編曲を弾いているCDは、アール・ワイルドの「The Art of the Transcription」しか私は知りません。ちなみにこのライブでも演奏会の冒頭には置いていません。 もう「ピアノリサイタルはタウジヒ編で開始」が復活する日はないでしょう。ただ、おかげでこの編曲も珍曲の仲間入りです。

タウジヒ編「トッカータとフーガ ニ短調」はおそらくこの曲の編曲でも最古のもの

一時でも聴衆の人気を博した楽曲には何らかの真実があります。少なくとも人の心を掴んで離さないナニモノかがそこには息づいています。忘れ去られた昔のヒットナンバーを探し出して「底力のある珍曲」として世に問い直すのは一興と思います。昔のヒットナンバー探しはまずはAPR/DB内を探しまくるところから始めましょう。やたらと弾かれている知らない曲、たぶん……ありますよ。

*注:クラシック音楽一筋の皆様へ。「チャラリー 鼻から牛乳」というのは、大阪のシンガーソングライター嘉門タツオが1992年に発表した「鼻から牛乳」という作品において、バッハのBWV.565の冒頭部分のメロディーを引用し、そこに付与した歌詞です。これは偉大なるクラシック音楽に対する冒涜であり、決して許されることではありません。皆様の怒りの声を日本の文化行政にぶつけ、音楽の父たるヨハン・セバスチャン・バッハ(たぶん)の真の姿を無知蒙昧なる庶民に知らしめねばなりません。クラシック音楽の守護神たる貴殿の蜂起を、鼻から焼酎垂れ流しながら待っております。

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。

吉池拓男の迷盤・珍盤百選 (21) 凄腕社長様のご立派な愉しみ

The Celebrated New York Recitals, Vol. 1~13  Mordecai Shehori(p)  Cembal d’amour

クラシック・ピアニスト・オリジナルアルバム数ランキングなんていうものはないとは思いますが、現役ピアニストの中では、アメリカのピアニスト Mordecai Shehoriの47枚という数はトップクラスではないでしょうか。けれども、ふと思います。Mordecai Shehori って誰?と。なんでそんなにアルバムが多いの?、と。

その答えは明快です。Mordecai Shehoriはピアニストであると同時に、Cembal d’amourというCDレーベルのオーナー様なのです。自分の会社なので自分のCDをバンバン出せます。もちろん自分のCDだけでなく、ハイフェッツ、バレル(親子)、チェルカスキー、カッツなどのCDも出しており、零細で厳しいクラシック音盤業界においてレーベル立ち上げから25年以上続いていますので、経営者としてなかなかの腕前と思われます。

では、ピアニストとしてはどうなのか。Shehoriはイスラエル生まれで、渡米してジュリアードで学び、ニューヨーク中心に活動。ホロヴィッツとも親交を結び、晩年のホロヴィッツが協奏曲の練習をする時に第2ピアノを務めていました。発表された47枚をすべて聴いたわけではないですが、なかなかのピアニストではあるようです。なにせあの他人に厳しいホロヴィッツのピアノのお相手として認められたほどですから、並大抵のことではありません。

今回取り上げるのは、彼が1970年代以降にニューヨークで開いたリサイタルのライブ録音のシリーズ「The Celebrated New York Recitals」です。すでに第13集まで出ていますが、これが実に面白い。ライブならではのドラマや羽目外しが所々にあり、Mordecai Shehoriという(少なくとも日本では)無名のピアニストの実像を堪能することができます。なお、このライブシリーズは一つの演奏会をまるごとリリースしたものではなく、前後30年くらいの演奏会の録音からいいとこ取りして組まれています。また録音状態の芳しくないものも少なからずあります。

では、全13集の中から、特におもろいのをピックアップして行きましょう。

【第1集】  CD 107

シリーズの最初を飾るだけあって、おそらくは本人が最も気に入っている自慢の演奏が並んでいると思われます。冒頭のブラームスの第3ソナタは、荒々しいまでの情熱にあふれた巨大なスケール感の演奏です。ショパンのスケ3も同傾向。さらになんとラヴェルの「夜のバスガール」(……40年前の学生ネタ)までも同傾向で、フランス音楽とは思えない野太い咆哮が随所で聴こえてきます。これらの演奏からリリースしたということは彼は彼なりに自分の演奏の本質がこういうところにあると考えているのでしょう。

【第3集】 CD 113

続いては第3集。ショパンの「スケルツォ第1番」では、わりと普通の演奏が続いた後、最後の2ページでいきなりブチ切れ、不協和音を異常に強調した血反吐を吐くようなグロ重いコーダを爆走します。リスト編の「魔王」は、逆に他では聴いたことないほどに淋しげで、ほとんどメゾ・フォルテ以下で弾かれている感じです。最後の2和音も消え入るような弱奏で、客の拍手が来るまでかなりの間があります。何があったのでしょうかねぇ。ローゼンタールの「ウィーンの謝肉祭」は随所にShehoriの手が加わっていて、特に4分40秒目くらいからの盛り上がりでは、ワルツなのに2拍子的なリズムを刻んだり、オクターブ進行装飾を大幅に追加してたりとかなりやってくれます。で、一番呆れるのが曲の最後。楽譜通りの終わり方をしたと思った瞬間、定番のピアノ派手派手フレーズをさらに弾き出し、「いつもより余計に回しておりま~す(*1)」と15秒ほど鍵盤上で暴れまくって終わるというサービスを展開します。いやいや、お見事。冷静なスタジオ録音では絶対やらない、いや、やれない記録です。

【第6集】 CD 166

第6集のセールス的な売りは、ホロヴィッツの作曲作品(ワルツ、練習曲「波」、変わり者の踊り)のライブ演奏です。が、おもろいのはコンフレイの「Humoretless」の演奏。ドヴォルザークのユーモレスクのパロディ作品ですが、観客の笑い声が絶えません。特に1分20秒くらいに観客大爆笑のポイントがあるのですが、たぶんShehoriが仕草でなんかしているためで、残念ながら録音からでは笑いのツボはわかりません。いずれにしろクラシックのピアノライブ録音で観客がこれほど笑ってるドキュメントはレアです。

【第11集】 CD 187

ここにはクライスラーの「美しきロスマリン」の演奏が収められています。クライスラーのバイオリン小品のピアノ編曲ものとしてはあまり弾かれることがない曲ですが、Shehoriは実に優雅にしかもタメをたっぷり入れて奏でます。タメで観客か笑いのどよめきがありますので、仕草上なんかやっていると思われますが録音からはわかりません。なお、曲のクレジットはきちんと書くShehoriですがこの曲の編曲者は記載されていません。

【第12集】  CD 189

Shehoriの録音の中でも怪演中の怪演、リストの「波を渡るパオラの聖フランチェスコ」が入っています。寄せる波を描いた左手の荒海ぶりはかなりのもので、うねり、逆巻き、時折、数回余計に波が押し寄せたりします。その後も音楽はますますヒートアップし、立派な爆演状態となって突き進みます。コーダ前のLentoの直前でもShehoriは独自のフレーズを入れたりしますが、一番の吃驚はラスト。第3集のローゼンタールと同様に、ここで終わった、と思った瞬間、ド派手なフレーズをガリガリ弾きだし、さらに激しく打ち寄せる波を数発かましてから、盛大に終わります。そうか、最初の頃にあれほど打ち寄せた波がどこかに行ってしまって物足りなかったんだね、と優しい気持ちになれば、このあまりに過剰な付け足しを受け止めることができます。Shehoriは同じ曲をスタジオ録音もしていますが、さすがに終わりの過剰付け足しなどはしておらず、音楽の熱さも控えめです。

このライブシリーズはCDでも配信でも聴くことができます。録音時期や録音状態がバラバラという欠点はありますが、意外と凄いピアニストの生な記録として十二分に楽しめます。少なくともオーナー社長がわがままで自分の演奏CDを出しまくったというレベルではないことは確認できるでしょう。

*1:昭和期の太神楽師、海老一染之助染太郎が、傘の上などで升や毬を廻した際に、お客の拍手に応えてさらに芸に続けた場合の決め台詞。

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。

あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(6) 1960年代前半の創作 音色の観点から

(筆者:高橋智子)

 前回は、1954年にケージらニューヨーク・スクールとして近しい関係にあった仲間たちがマンハッタンを離れたことをきっかけに、フェルドマンの音楽にも若干の変化が見られた様子をたどった。彼の音楽様式が記譜法の変遷と連動していることは初回に述べたとおりで、このことは1960年以降の創作を語る際にも当てはまる。連載6回目にしてようやく1960年代に入った今回は、記譜法の議論に入る前に触れておきたい、フェルドマンのこの当時の音楽における音色や楽器編成に焦点を当てる。

1. フェルドマンの映画、映像音楽

 ケージたちが1954年頃を境にマンハッタンを離れてからも、フェルドマンはこの地にとどまった。ハンス・ネイムス監督によるポロックの映像作品へ音楽を書いたり、ヨーロッパ・ツアーに出たケージとチュードアを介して作品が演奏されたり、1962年にペータース社と楽譜出版の契約を結んだりと、この頃のフェルドマンは作曲家としてのキャリアを順調に積み上げているかのように見えるが、実はまだ専業作曲家になってはいなかった。当時も彼は家業である子供服会社で働いて生計を立てていた。1963年のある日、そんな彼の様子を見た作曲家のルーカス・フォスはフェルドマンが作曲に専念できるよう、彼のために大学教員のポストを探すが、この時点ではフォスの尽力は実らなかった[1]。このような事情で、フェルドマンは1960年代のある地点まで昼間は子供服会社で働きながら音楽活動を続けていた。

 1960年代のフェルドマンの創作において看過できないジャンルとして映画や映像のための音楽が挙げられる。フェルドマンは1960年から1969年の間にいくつかの映画音楽と映像作品の音楽を書いている。また、実際には制作されなかった映画のために書かれたと思われるスコアも残存している。[2]

[フェルドマンが1960年代に手がけた映画と映像の音楽][3]

Something Wild (1961) 監督:Jack Garfein 約113分
The Sin of Jesus (1961) 監督:Robert Frank 約37分
Willem De Kooning: The Painter (1961) 監督:Hans Namuth&Paul Falkenberg 約14分
Room Down Under (1964) 監督:Dan Klugherz(1964) 約64分
Time of the Locust (1966) 監督:Peter Gessner 約13分
American Samoa: Paradise Lost? (1969) Dan Klugherz 約55分

 上記のリストの1番目「Something Wild」はブロンクスとマンハッタンを中心に撮影され、当時のニューヨークの街並みを知るうえでも貴重な作品と見なされている。この映画がフェルドマンにとっての本格的な長編映画音楽デビューになるはずだった。だが、彼が書いた音楽はこの映画に採用されなかった。ジャック・ガーフェイン監督の妻だったキャロル・ベイカー演じる主人公、メアリー・アンが映画の冒頭でレイプされるシーンにフェルドマンはチェレスタ、ホルン、弦楽四重奏による変ホ長調の短い曲(「Mary Ann’s Theme」として録音されている)を書いたのだ。この曲がガーフェインの逆鱗に触れて彼はこの映画音楽を降板させられる[4]。彼の代わりを務めたのは既に映画音楽の作曲家としての実績を充分に持っていたアーロン・コープランドだった。

コープランドの音楽によるメアリー・アンのシーン
https://www.cnvill.net/SomethingWild-Copland.mp4

フェルドマンの音楽によるメアリー・アンのシーン
https://www.cnvill.net/SomethingWild-Feldman.mp4

Aaron Copland/ New York Profile (opening theme of Something Wild) (1961)

 当初フェルドマンが書いたサティ風の幻想的な変ホ長調の音楽と、コープランドによる劇的な効果を活かした緊張感の高い音楽を同じシーンで聴き比べてみてほしい。理屈のうえでは、どんな音楽もその映画の映画音楽になりうるのだとしばしば言われるが、フェルドマンとコープランドの音楽を並べてみた場合、生きる目的を失いつつも自分の道を見つけようともがき続ける若者の様子を描いたこの映画にはコープランドが適任だったと思い知らされる。後にコープランドはこの映画音楽を独立した管弦楽曲「Music for a Great City」(1964)として再構成した。

Copland/ Music for a Great City (1964)

 「Something Wild」での降板劇をふまえるとフェルドマンは映画や映像の内容と背景を一切省みず傍若無人に音楽を書いた作曲家のように思えるが、決してそうではない。1951年に制作されたジャクソン・ポロックの短編ドキュメンタリー映像でのフェルドマンの音楽を評価していたハンス・ネイムスとパウル・ファルケンベルクは、ウィレム・デ・クーニングに迫った短編ドキュメンタリーで再び彼に音楽を依頼した。この時のフェルドマンの音楽は無事に映像に使われている。フェルドマンはこの映像のために作曲した「De Kooning」を「(ポロックのドキュメンタリー映像の音楽のチェロのデュオとは対照的に)映像の文脈がなくても独り立ちできる viable even without the film context (as opposed to the Pollock duo)」[5]曲とみなし、その完成度にある程度満足していたようだ。出版された楽譜においてはデ・クーニングのドキュメンタリー映像のことは言及されていない。現に、フェルドマンの楽曲リストの中で「De Kooning」は映画音楽ではなく独立した楽曲として位置付けられている。

 結局は採用されなかった「Something Wild」のサティ風の小曲の例からわかるように、フェルドマンの映画音楽は、音楽における抽象性を探求し続けた彼の「通常の」楽曲とは明らかに趣が違う。職業映画音楽家ではない作曲家にとって、映画や映像の音楽は既に確立された作曲家としてのパブリック・イメージとは違う音楽を書く実験の場でもある。このことはフェルドマンにも当てはまるだろう。これまでこの連載でとりあげてきた彼の楽曲のほとんど全ては、標題を持たず(放棄している、背を向けているともいえる)、旋律(メロディ)や伴奏といった声部間の明確な機能と役割分担もほとんどなく、その概要の説明に骨の折れる類の音楽である。だが、例えばサモア諸島の東側、アメリカ領サモアの人々の生活を追ったドキュメンタリー「American Samoa: Paradise Lost?」のための音楽を聴くと、やはりフェルドマンも映画音楽の中で普段の彼のパブリック・イメージとは違うことを大胆に行っていたのではないかと考えられる。

 「American Samoa: Paradise Lost?」はサモア諸島の人々の暮らしと、アメリカ統治下で彼らが直面している様々な社会問題を扱ったドキュメンタリーだ。当然ながら、フェルドマンはサモアの風土や文化を彷彿させる要素をこの音楽に何一つとりいれていない。青年がカヌーで海に繰り出す冒頭のシーンには、ハープの伴奏によるコルネットの穏やかで素朴な旋律の音楽がつけられている。この旋律にはしばしばフェルドマンが単音楽器に課す1オクターヴ以上にもおよぶ極端な跳躍や、三全音などの不穏な音程がほとんど用いられておらず、人間が無理なく身を委ねることのできる自然な音楽の流れが形成されている。このコルネットの旋律はフルートなど他の楽器でもその都度少しずつ違うかたちで演奏されることから、この映画音楽におけるライトモティーフのような機能を持っているともいえる。コルネットによる旋律の他に、チェロ、トロンボーン、マリンバ、ヴィブラフォン、ピアノで構成された輪郭のはっきりした快活な曲が劇中で何度か聴こえてくる。もしも、このような雰囲気の曲を「Something Wild」のために書いていればフェルドマンは降板させられなかったかもしれないが、「American Samoa」でのフェルドマンによる仕事ぶりから彼は映画音楽の作曲家としての任務を果たしていて、その能力も充分に持っていたことがわかる。従来のフェルドマンの曲に慣れている人にはこの映画における一連の穏やかで、時にロマンティックな音楽がかえって不気味にも聴こえ、裏に何かあるのではないかと勘ぐってしまいたくなるだろう。しかし、何度聴き返してもこの映画音楽には聴き手を不安にさせる要素はほとんどないので最初から最後まで安心して聴くことができるし、映画を観る際の妨げにもならない。

American Samoa: Paradise Lost?
part 1 https://www.youtube.com/watch?v=pF3wieHjtPM
part 2 https://www.youtube.com/watch?v=ssrzxlTePfA

 旋律は従来のよく知られたフェルドマンの音楽において異例で特殊な要素だ。だが、60年代に彼が映画音楽で試みた旋律による実験は一過性のものではない。フェルドマンは映画音楽で初めて旋律を書いたわけではなく、既に1947年、ライナー・マリア・リルケの詩に曲をつけた無伴奏の独唱曲「Only」を作曲している。また、旋律の要素は60年代以降の創作の一部に引き継がれている。未出版だが、フェルドマンは1960年にボリス・パステルナークの詩に曲をつけたピアノ伴奏付き歌曲「Wind」を作曲している。70年代を代表する楽曲「The Viola in My Life 1-4」(1970-71)と「The Rothko Chapel」(1971)にも旋律が現れる。これらの楽曲での旋律はシナゴーグの鐘の音に触発されたといわれているが「American Samoa」でのコルネットの旋律ともそう遠くない関係に聴こえる。映画や映像の音楽に着目すると、その作曲家のこれまでの創作やその後の動向を知る手がかりとなる。映画音楽の中で突然出てきたように見えるフェルドマンの旋律だが、このように視野を広げて見てみると、彼の創作の変遷において旋律の要素が実は密かに連続しているとわかる。

Feldman/ Only (1947)

2. 60年代前半の室内楽曲の編成 

 先に触れた「Something Wild」や「American Samoa」の音楽ではチェレスタ、ヴィブラフォン、コルネット、ハープといった、50年代までの楽曲にはほとんど登場しなかった楽器が用いられている。この傾向はフェルドマンの映画音楽に限ったことではなく、「通常の」彼の音楽も1960年頃から楽器の編成に変化が見られる。むしろ彼の音楽全体が1960年前後を境に新たな段階に突入したといった方がよいかもしれない。1950年代のフェルドマンの楽曲に頻繁に用いられているのはピアノ、チェロ、ヴァイオリン、フルートで、図形楽譜による室内楽編成の楽曲にはトランペット、ホルン、チェレスタがしばしば登場する。1960年に始まる「Durations」シリーズを皮切りに風変わりな編成による室内楽作品がこの時期のフェルドマンの作曲の中心となっていく。1960年以降の室内楽編成の楽曲に頻出する楽器として、主にフルート、アルトフルート、ホルン、トランペット、トロンボーン、チューバ、ヴィブラフォン、打楽器、ハープがあげられる。1961年の図形楽譜の楽曲「The Strait of Magellan」でのエレクトリックギターの使用と1963年の無伴奏の合唱曲「Christian Wolff in Cambridge」も1950年代までのフェルドマンの楽曲には見られなかった試みだ。1960年代前半の主な室内楽作品の編成を見てみると、この時点でフェルドマンが用いた木管楽器は主にフルートとアルトフルートで、オーボエ、クラリネット、ファゴットはほとんど使われていない。弦楽器と金管楽器には偏りがないものの「Durations 3」はヴィオラとピアノにチューバという、やはりあまり見慣れない組み合わせでできている。「Vertical Thoughts」3と5、「For Franz Kline」など、この時期のいくつかの楽曲には声のパートもアンサンブルの一員として登場する。「Vertical Thoughts」3と5ではヘブライ語で書かれたユダヤ教の聖典タルムードTalmudの詩篇 Psalm第144篇からの1節を英訳した「life is a passing shadow」がテキストとして用いられている。「Vertical Thoughts 5」においては、チューバとティンパニと太鼓類が轟く中でソプラノがひきのばされた1音にテキストのうちの1語か2語をのせて歌う。ソプラノが1音ないし1語を歌い終わると、次の音が出てくるのはそれからしばらく間を置いてからだ。このように途切れ途切れの断片としてソプラノの声部が書かれているので、この声は歌の旋律とはいえないかもしれない。通常、楽器の音に対して人間の声は聴き手に特別な注意を引くが、曲が進むにつれて、ソプラノの声色としての認識さえ曖昧になってくる。ここでのソプラノはどちらかというと楽器のパートと同等な一声部の意味合いが強いといえるだろう。打楽器にかんしては、フェルドマンのこの時期の楽曲ではヴィブラフォンが、鍵盤楽器にかんしてはピアノの他にチェレスタが頻繁に用いられている。チェレスタは1970年代以降の楽曲にも特によく登場し、多くの場合、ピアノ奏者がピアノとチェレスタを兼ねている。映画と映像の音楽においてもこの2つの楽器の音が聴こえてくる瞬間がいくつもあり、70年代、80年代の楽曲でもこれらの楽器の登場回数が多い。

Feldman/ The Straits of Magellan (1961)
Feldman/ Christian Wolff in Cambridge (1966)
Feldman/ Vertical Thoughts 5

1960年代の主な室内楽曲の編成
Durations (1960-1961)
1: アルトフルート、フルート、ピアノ、ヴァイオリン、チェロ
2: チェロ、ピアノ
3: ヴィオラ、チューバ、ピアノ
4: ヴィブラフォン、ヴァイオリン、チェロ
5: ホルン、ヴィブラフォン、ハープ、ピアノ/チェレスタ、ヴァイオリン、チェロ

The Straits of Magellan (1961): フルート、ホルン、トランペット、ハープ、エレクトリックギター、ピアノ、コントラバス

Vertical Thoughts (1963)
1 : 2台ピアノ
2 : ヴァイオリン、ピアノ
3 : ソプラノ、フルート/ピッコロ、ホルン、トランペット、トロンボーン、チューバ、打楽器2(トムトム、ティンパニ、アンティーク・シンバル、ゴング、ヴィブラフォン、モーター付きグロッケン)、ピアノ/チェレスタ、ヴァイオリン、チェロ、コントラバス
4 : ピアノ
5 : ソプラノ、チューバ、打楽器(大太鼓、トムトム、ティンパニ、アンティーク・シンバル)、チェレスタ、ヴァイオリン
*6番、7番は未完

For Franz Kline (1962): ソプラノ、グロッケンシュピール、ピアノ、ヴァイオリン、チェロ、チャイム

De Kooning (1963): ホルン、打楽器(テナードラム、大太鼓、アンティーク・シンバル、ヴィブラフォン、モーター付きグロッケン)、ピアノ/チェレスタ、ヴァイオリン、チェロ

 上記の一覧を見ると、たしかにこの時期からフェルドマンの楽曲は編成の幅が広がっている。しかし、彼はこれらの試みを通して楽器や声固有の豊かな音色の世界を探求していたのではない。むしろフェルドマンの場合はその逆で、楽器や声の音の特性を引き出すよりも覆い隠す方に注力する傾向が見られ、それぞれのパートを出どころのわからない音として響かせようとしていた。この傾向は1962年の「For Franz Kline」でも顕著だ。この曲は1961年5月13日に脳卒中で急逝した抽象表現主義の画家、フランツ・クライン[6]を偲んで作曲された。この曲はフェルドマンが親しい友人の名前をタイトルに付けたシリーズの最初の作品でもある。グロッケンシュピールとチャイムが用いられているので、きらびやかな音の響きを期待してしまうが、実際の鳴り響きは必ずしもそうとはいえない。グロッケンシュピールとチャイム、そしてホルンが用いられているにもかかわらず、なぜかくすんだ音色が聴こえてくるのだ。もしもクラインとフェルドマンの創作の態度に通じる事柄があるならば、それは絵画における色彩と音楽における音色の関係に見出すことができるだろう。

Feldman/ For Franz Kline (1962)

 クラインの晩年はあたかも色彩を邪魔者として扱うか[7]のような、黒と白のモノトーンを基調にした作風だった。絵画なのに色彩を邪魔とみなし、用いる色を黒と白に限定するクラインのやり方は、楽器本来の音色の魅力を引き出すのではなく全体的にくすんだ響きを志向したフェルドマンの書法と重なっている。Bernardはこの曲の音色の特徴を楽器の組み合わせ、抑制されたダイナミクスと最小限のアタック、楽器と声との垂直な(和音として重なる音)組み合わせの3つの観点から述べている[8]。1つ目の楽器の組み合わせについては、フェルドマンの楽器法がその楽器の特性を活かす音型をあえて回避していることが指摘されている。たとえば、呼吸に基づいた滑らかな連続と持続は声(ソプラノ)の音楽的な特徴の1つだが、フェルドマンはこの曲において断片的な音型や単音をソプラノのパートに課すことが多い。

ホルン、歌詞のないソプラノ、チャイム、ヴァイオリン、チェロの組み合わせは最大限「カラフルに」することを狙っているように思えるが、実際、この組み合わせはまったくそんな風に鳴り響かないのだとわかる。奇妙なまでに個性が抑制されている効果の理由は、これらの楽器が「通常の」オーケストレーションの中でその楽器だとわかるような固有の音型やパッセージの中で用いられていないからだ。これらの楽器は単音で構成された声部、安定しない時間の中でひきのばされた、あるいは孤立した和音の中に現れる。時間的に隣接しているソプラノの音高は、跳躍によって分断されていて、たいていの場合大きく離されている。

The combination of horn, wordless soprano, piano, chimes, violin, and cello seems destined to be “colorful” in the extreme. Yet somehow it turns out not to sound that way at all. One reason for the curiously neutral effect is that the instruments are not displayed in any of the characteristic figures or passagework that often serve to identify them in “normal” orchestrational situations: the parts consist of single notes, sustained for varying lengths of time, or isolated chords; the soprano’s temporally adjacent pitches are all separated by leaps, usually large ones.[9]

 2つ目の、全体的に低く抑えられたダイナミクスと最小限に留められたアタックは、「パート間に生じるはずの差異を均すことにつながる (which) tends to smooth out the differences that might emerge among the instruments in these dimensions」[10]効果に一役買っている。通常、声、弦楽器、管楽器、打楽器、ピアノといった種類の異なる音色を用いる目的は多様な響きを獲得するためだが、フェルドマンは違う。彼は様々な種類の音色を駆使してモノトーンを目指しているのだ。これは絵の具を何色も混ぜていくと最後には黒や茶色のよくわからない色に行き着いてしまう現象とも似ている。3つ目の楽器と声との垂直な組み合わせは各パートが同時に響くことを意味し、Bernardは3つの中で最も重要な事柄とみなしている。

3つ目の要因はおそらく何よりも重要だ。それは楽器と声が作り出す垂直な組み合わせで、そのどちらも慣習的な楽器や声として認識されない。響きに対するフェルドマンの完全に独創的な耳(訳注:聴き方)は、どのパートが最も低く、どのパートが最も高く、どのパートがその中間なのかをしばしばフラストレーションを感じながら特定しようと試みる練習であることを意味する。

A third factor, perhaps the most important of all, is the kind of vertical combinations that the instruments and voice form, none of which are recognizable as conventional. Feldman’s utterly original ear for sonority means that it is often an exercise in frustration to try to identify which part of lowest, which highest, which in between.[11]

 この3つ目の指摘は若干の説明が必要だ。フェルドマンの多くの曲、特に50年代のピアノ曲によく見られるのが、例えばC4からD3のように隣接した音高間の移行を、あえて1オクターヴかそれ以上の広い間隔で行うことによって音の高低の間隔と感覚両方をあいまいにさせる手法だ。曲中、この手法が和音の重なりとして試みられている。これまで、この手法はある音からある音へ移る際に用いられてきたが、今度は同時に鳴らされるひとまとまりの音の中で音の高・中・低の感覚を混乱させようとしているのだ。実際に、この曲の中でどの音がどのパートによるものなのかをスコアを見ずに聴き分けるのはあまり簡単ではない。冒頭にテュッティで鳴らされる和音でさえ、ホルンとソプラノとチェロという全く違う種類の音なのに、どれがどのパートの音なのかを正確に特定するにはある程度訓練された耳でないと難しい。それぞれの楽器の音色と、その楽器の特性を活かした音楽に慣れてしまった私たちの耳は、この曲のように楽器の個性をできるだけ抑えた響きに対してBernardがいう「フラストレーション」を感じてしまうだろう。「For Franz Kline」を聴いて、それぞれのパートが特定できなければできないほど、この曲でのフェルドマンの試みは成功しているともいえる。

 詳しくは次回に解説する予定だが、この曲のスコアは拍子や小節線のない自由な持続の記譜法で書かれている。曲の随所に記された数字とその上に書かれたフェルマータは通常の五線譜における全休符と同じ役割である。Bernardはフェルマータで記された休止と静止の空間をクラインのモノトーンの絵画における白の部分に、音符を黒の部分に見立てている[12]。しかし、この曲では静寂と音とがはっきりと区分けされておらず、白と黒とが混ざり合った灰色の状態を作り出している。これをBernardは次のように描写する。

実際にこの曲の静寂の性質は音の性質と不可分で、音の響きは1つ、2つ、3つかそれ以上の楽器が同時に鳴っている事実を以ってしても、はっきりと階層付けられるわけではない(おそらくその理由の一部として、同じタイミングでのアタックであれ、楽譜の中の音符が記譜された通りのタイミングで同時に鳴ることがほとんどないからだ)。

The quality of silence in this work, actually, is inseparable from the quality of sound, in which sonorities are not markedly hierarchized by the fact of one, two, three, or more instruments sounding at once (probably in part because notes sounding at the same time are rarely if ever attacked at the same time).[13]

 前回とりあげた「Piece for 4 Pianos」と同じく、この曲でも記譜と実際の鳴り響きが完全に一致しない。一斉に始まる冒頭を除いてそれぞれのパートが各自のペースで進むので、楽譜の上では同じタイミングで垂直に整然と重なっている音やフェルマータであっても実際はそれぞれの出来事が起こるタイミングには微妙なずれが生じる。フェルドマンは各パートの随所にフェルマータを記すことで音の鳴っていない状態を作り出しているが、この曲ではすべてのパートに同じタイミングでフェルマータが付けられている箇所はなく、いくつかのパートにフェルマータが付いていようと常にどこかで音が鳴っている。このようなはっきりしない音と静寂の混ざり合いも、フェルドマンにとってはモノトーンの音楽を具現する1つの手段だったのだろう。

 通常、音楽における豊かな色彩の感覚は概ね肯定的な特性として歓迎されるはずだが、フェルドマンは「For Franz Kline」において「豊かな」音色や色彩という美的価値観とは逆のことを試みているのだ。この曲に見られるように多様な楽器を用いるが、その楽器の特性を活かすのではなくて、できるだけ抑えることで、どっちつかずのよくわからない音響を創出する手法は1960年代のフェルドマンが新たに到達した境地の1つでもある。

3. 打楽器作品における音色へのアプローチ 「The King of Denmark」

 図形楽譜の楽曲でもフェルドマンは楽器法と音色に対する独自のアプローチを追求していた。1964年に作曲された「The King of Denmark」は打楽器の独奏曲で、フェルドマンの楽曲の中では演奏される頻度が高い。この曲のスコアはこれまでに紹介してきた図形楽譜の楽曲――「Intersection」シリーズ(1951)、「Ixion」(1958)――とほとんど同じ形態をとっていて、縦の段が音域、横の方向が時間の経過を示す。他の図形楽譜の楽曲と同じく具体的な音高は記されず、マス目(スコアの指示書では四角形、またはボックスと記されている)に演奏すべき音の数と演奏指示が記されている。テンポは1つのマス目あたり1分間に66-92と幅がある。図形楽譜を約5年ぶりに再開した1958年以降の楽曲ではマス目に装飾音や八分音符も書かれるようになり、50年代前半の図形楽譜よりも緻密になったことは前回解説したとおりだ。「The King of Denmark」の最後はヴィブラフォンと、グロッケンシュピールかアンティーク・シンバルで演奏する音が五線譜で書かれており、フェルドマンの図形楽譜の書法に新たな側面が加わっている。

The King of Denmark (1964) スコアと演奏を同期させた映像
The King of Denmark (1964) 同じ演奏者による演奏の映像

 この曲で興味深いのはやはり打楽器の種類と音色との関係である。予め明記されているゴング、シンバル、トライアングル、ティンパニ、ヴィブラフォン以外の楽器の選択は演奏者に委ねられている。スコア冒頭には以下の演奏指示が記載されている。

  1. グラフに記された高・中・低の四角形1つをMM 66-92のテンポとみなす。最上段あるいはそれより少し上の場所は最高音域。最下段あるいはそれより少し下の場所は最低音域。
  2. 数字は1つの四角の中で演奏される音の数を示す。
  3. 全ての楽器はスティックやマレットを使わずに演奏しなければならない。演奏者は指、手、あるいは腕のどの部分を使って演奏してもよい。
  4. ダイナミクスは極端に抑えてできるだけ均等に。
  5. 太い水平線[14]はクラスターを示す。(可能ならば様々な楽器で演奏すべき)
  6. ローマ数字は同時に鳴らす音の数を示す。
  7. (高・中・低の四角の全部に及ぶ)大きく書かれた数字は全ての音域でどのような時間のシークエンスでも演奏できる単音を示す。
  8. 破線は引きのばす音を示す。
  9. ヴィブラフォンはモーターを使わずに演奏する。
  • 各種記号:
    • B ベルのような音
    • S 膜鳴楽器(訳注:あるいは太鼓類)
    • C シンバル
    • G ゴング(訳注:銅羅)
    • R ロール
    • T. R. ティンパニのロール
    • △ トライアングル
    • G. R. ゴングのロール
  1. Graphed High, Middle and Low, with each box equal to MM 66-92. The top line or slightly above the topline, very high. The bottom line or slightly beneath, very low.
  2. Numbers represent the number of sounds to be played in each box.
  3. All instruments to be played without sticks or mallets. The performer may use fingers, hand, or any part of his arm.
  4. Dynamics are extremely low, and as equal as possible.
  5. The thick horizontal line designates clusters. (instruments should be varied when possible.)
  6. Roman numerals represent simultaneous sounds.
  7. Large numbers (encompassing High, Middle and Low) indicate single sounds to be played in all registers and in any time sequence.
  8. Broken lines indicate sustained sounds.
  9. Vibraphone is played without motor.
  • Symbols Used:
    • B-Bell-like sounds
    • S-Skin instruments
    • C-Cymbal
    • G-Gong
    • R-Roll
    • T. R.-Tympani roll  
    • △- Triangle
    • G. R.-Gong roll [15]

 即興演奏と混同される可能性や、演奏者の手癖やパターンが入り込んでしまう余地のあった50年代の図形楽譜に比べると「The King of Denmark」は具体的で明確な演奏方法が記されているように見える。だが、スコアにはこの演奏指示には含まれていない記号がいくつか存在する。クラスターは太線で示されているが、曲中にはグリッサンドも登場する。斜線がグリッサンドを示し、1つの音域で完結していることもあれば、複数の音域をまたぐこともある。装飾音もしばしば登場するが演奏指示では言及されていない。たいていのフェルドマンの楽曲における装飾音はあまり速すぎないように演奏することが指示されているので、おそらくこの曲の装飾音にも同じ演奏方法が適用される。数字のみが記されている箇所ではその音域に即した楽器を選んで、その数字と同じ数の音を1つのマス目の中に収まるように演奏しなければならない。これは最初期の図形楽譜「Projections」シリーズから一貫した方法だ。初期の図形楽譜はほとんどがチェロ、ピアノ、ヴァイオリンなど音高のある楽器で演奏されるため、マス目に書かれた数字の数だけ指定された音域内で異なる音高を演奏すれば、音高による差異の効果が音楽にもたらされる。打楽器で演奏され、さらに楽器の選択も演奏者に任されているこの曲では、初期の図形楽譜の場合とやや事情が異なる。例えば冒頭の高音域のマス目に7と書かれた場所では、この7つの音を高音域の同じ楽器、同じ音色で演奏しても間違いではない。しかし、できるだけ違った種類の楽器や音色で高音域の7つの音を鳴らした方がより多様な音色による効果が得られるのも事実だ。リンク先の映像では、演奏者はこの7音をガラスの皿、陶器、鈴、カウベル、小型の太鼓など様々な楽器で鳴らしている。選択肢が広がった分、演奏者は効果的な楽器の組み合わせを考える必要がある。

 冒頭の7音のように、異なる楽器の組み合わせによる多様な音色を狙った箇所もあれば、同属の楽器の響きでの演奏が各種記号や文字によって指定されている箇所もある。スコア1ページ目2段目の後半はゴング、2ページ目の2段目の後半は皮(膜鳴楽器)、3段目はシンバルが指定されている。3ページ目1段目はベルのような音がこの段の半分以上を占めている。ゴングとシンバルの場合は大きさや種類の異なるそれぞれの楽器を用意すれば3つの音域に応じた音を出すことができる。だが、3ページ目の「ベルのような音」の指示はやや漠然としていて、演奏者に音のイメージの構築が求められる。リンク先のスコア付きの映像では4分11秒、演奏の映像では4分18秒頃からこの「ベルのような音」の箇所が始まる。この演奏では演奏者は大きなカウベル、アンティーク・シンバル、ヴィブラフォン、金属製のボウルなどを使ってベルのような音を作り出している。この「ベルのような音」は金属の音とも解釈できるが、この曲の演奏とその分析を行った打楽器奏者のDaryl L. Prattは、トライアングルのパートが別個に三角形の記号で書かれているので、ここに含めない方がよいという見解を示している[16]。演奏実践の視点から考えると、この曲では奏法、音色、楽器の属性が響きの性格を決める重要なパラメータとして機能しているといえる。では、フェルドマンは打楽器の音色についてどのように考えていたのだろうか。

 実際のスコアの演奏指示と違いがあるが、1983年のジャン・ウィリアムズによるインタヴューの中で、この曲を作曲した当時フェルドマンは打楽器の音を楽器の大きな一群とみなし、金属、ガラス、木の音に分類した[17]と語っている[18]。だが、これらの分類に基づくそれぞれの音は金属製の楽器で金属の音を出すことや木製の楽器で木の音を出すことを必ずしも意図しているのではなく、どんな種類や素材の打楽器でも「耳にとって金属のように聴こえる音、ガラスや木に聴こえる音sounded like metal, sounded like glass and wood to the ear」[19]を出すことができればこの分類に適った音になる。「The King of Denmark」は奏者が指定された箇所にどの楽器を割り振るかによって演奏の結果生じる音の響きが大きく変わってくる点で不確定性の音楽である。だが、演奏指示とスコア、そして上記の発言から、フェルドマンはどこをどの音色で演奏すべきか、この曲の中で自分が理想とする音色のイメージをある程度具体的に持っていたようにも思われる。おそらくここで彼が求めていたのは、その出自が特定されている「〜という楽器の音」よりも、出どころのあまりはっきりしない「〜のような音」や、既存の楽器から生じる「〜とは思えない音」だったのかもしれない。通常、打楽器は様々な度合いのアタックがその音響や音色を特徴付けるが、スティックとマレットを用いた演奏を禁じたこの曲では、従来の打楽器奏法では得られないアタックの音響的な効果も期待されている。

 フェルドマンによれば「The King of Denmark」はガムラン音楽、ジョン・ケージの1940年代初期の楽曲、ヴァレーズの楽曲をモデルにして書かれた[20]。彼はロングアイランドのビーチに座って数時間でこの曲を書き上げた時の様子を次のようにふりかえっている。

作曲していた時の記憶を実際に呼び起こすことができる――遠くで微かに聴こえる子供たちの声、トランジスターラジオの音、ブランケットを敷いた他の人たちの場所から漂う会話といった音がこの曲に入り込んできたことを覚えている。私が言っているのはこの種の断片のことだ。私はこの断片にとても大きな印象を受けた。長く続かない物事の印象がこの曲のイメージとなった。それは周りで起きていたことのイメージだ。このイメージを補強するために、いかなるマレットも使わず、指と腕を使うことを思いついた。そうすることで全部の音がそこにただ漂っては消え、長い時間そこに残らないのだ。

And I can actually conjure up the memory of doing it—that kind of muffled sound of kids in the distance and transistor radios and drifts of conversation from other pockets of inhabitants on blankets, and I remember that it did come into the piece. By that I mean these kinds of wisps. I was very impressed with the wisp, that things don’t last, and that became an image of the piece: what was happening around. To fortify that, I got the idea of using the fingers and the arms and doing away with all mallets, where sounds are only fleetingly there and disappear and don’t last very long.[21]

 これを読むと、フェルドマンがビーチで見聞きした様々な出来事とその音の断片がこの曲の音の響きのイメージを形成していることがわかる。彼は、打楽器奏者がスティックやマレットを使わず、全ての楽器を自身の指と腕で演奏しなければならないアイディアを作曲中に思いついたといっているが、これについては別の説がある。1964年秋に行われたニューヨーク・アヴァンギャルド・フェスティヴァルでこの曲を初演したマックス・ノイハウスによれば、指や手だけを用いる演奏はフェルドマン立ち合いのもとで行われた練習の中で現れたアイディアだったらしい。

2回目と3回目のセッションでも彼(フェルドマン)はまだ「違う、音が大きすぎる、うるさすぎる」と強く主張した。打楽器科の学生だった頃、コンサートが始まる直前のステージで自分たちのパートをいつもどのように練習していたかを突然思い出した。観客に自分たちの練習の音が聴こえないようにスティックではなくて指を使っていたのだ。私はスティックを下に置いて、自分の指だけで練習した。モーティは仰天して「それだ、それだ!」と叫んだ。

In the second or third session, he was still insisting, ‘no, it’s too loud, too loud’. I suddenly remembered how, as percussion students, we used to practice our parts on stage just before a concert started. In order that the audience not hear us, we used our fingers instead of sticks. I put down my sticks and started to play with just my fingers. Morty was dumbstruck, ‘that’s it, that’s it!’ he yelled.[22]

 2人の間での記憶の違いがどうであれ、打楽器曲にもかかわらず「The King of Denmark」ではフェルドマンの他の多くの楽曲と同じく、できるだけ控えめに、ダイナミクスを抑えた演奏が求められる。具体的な楽器の種類が全て特定されていないものの、太鼓類やトライアングルでアタックや音量を曲の間中できるだけ抑えて、しかも可能な限り平坦なダイナミクスで演奏しなければならない。この点からも先に触れた「For Franz Kline」と同じく、この曲はその楽器本来の特性を活かす書法とは逆の方法で書かれているといえる。

 最初から最後までダイナミクスを控えめに静かに演奏しなければならないことの狙いには、実は別の背景がある。エバーハルト・ブルームによれば、フェルドマンはニューヨークでカールハインツ・シュトックハウゼンの「Zyklus」(1959)を聴いた後、自身の打楽器曲(「The King of Denmark」)を「「Zyklus」に対するアメリカ的な返答 the American answer to “Zyklus”」[23]と述べた。シュトックハウゼンの「Zyklus」はトムトムやログドラムの強打が印象的な、どちらかというと「うるさい」類の楽曲だ。一方、「The King of Denmark」は終始アタックとダイナミクスを抑えて演奏される「静かな」類の楽曲である。誰か(シュトックハウゼン)が大きな音の打楽器曲を書いたので、自分(フェルドマン)は大きくない音の打楽器曲を書いてみたといったところだろうか。「Zyklus」の存在を視野に入れることで、打楽器曲にもかかわらずフェルドマンが静かさや最小限のアタックにこだわった理由がより明確になる。

 フェルドマンは作曲が終わってからこの曲に「The King of Denmark」とタイトルをつけた。タイトルについて彼は「長続きしないもの、はかなさ、絶対的に静寂であることへの哀愁があった。There was something about the wistfulness of things not lasting, of impermanence, and of being absolutely quiet.」[24]と語っている。作曲当時のフェルドマンはこれらのイメージと、第二次世界大戦期のナチスに抵抗してダビデの星をつけ、何も言わずに街を歩き回ったデンマーク王クリスチャン10世の逸話とを重ねた[25]。クリスチャン10世の逸話は事実とは異なるという説があるが、ダビデの星をつけた彼の行動は無言の抵抗の象徴として今も語り継がれている。なぜクリスチャン10世がビーチにいたフェルドマンに去来したのか、彼自身その理由を明かしていないが、この2つは「その時の自分の頭の中で強く結びついていた。there was a strong connection in my mind at that time」[26]。一方、ブルームは「The King of Denmark」をフェルドマンの他の楽曲には見られない唯一の政治的な性質を帯びた楽曲だとみなしている[27]。デンマーク王クリスチャン10世にまつわる逸話をふまえると、この曲は音から人間に対する無言の、あるいは小さな声での抵抗とも考えられるのかもしれず、フェルドマンが人の手によって音を操作する、秩序付けることについて逡巡し続けていた作曲家だったことも思い出される。1960年代の彼の創作においても「音そのもの」は引き続き重要な命題として彼につきまとっていた。

 今回は映画音楽、室内楽、図形楽譜の楽曲における音色の観点から1960年代前半のフェルドマンの創作をたどった。ここでとりあげたいくつかの例からわかるように、彼は音色に対しても独自の考え方を持っていた。次回は1960年代の五線譜の楽曲の大半を占める、自由な持続の記譜法について考察する予定である。


[1]Morton Feldman Says: Selected Interviews and Lectures 1964-1987, Edited by Chris Villars, London: Hyphen Press, 2006, p. 265
[2] “Untitled film music”としてCD, Morton Feldman: Something Wild-Music for Film(KAI0012292, 2003)に収録されている。この映画音楽集の詳細はhttps://www.gramophone.co.uk/review/feldman-something-wild-music-for-film 参照。
[3] Morton Feldman Page https://www.cnvill.net/mfhome.htm 内の Morton Feldman Film Music https://www.cnvill.net/mffilmmusic.htm に各作品の詳細、映像や音源の抜粋が掲載されている。
[4] Feldman 2006, op. cit., p. 264
[5] Peter Niklas Wilson, “Canvasses and time canvasses: Comments on Morton Feldman’s film music” https://www.cnvill.net/mffilm.htm このテキストは脚注2で言及したアルバムのライナーノーツとして書かれた。
[6] Franz Kline (1910-1962) MoMAによるFranz Klineのページ参照 https://www.moma.org/artists/3148
[7] Jonathan W. Bernard, “Feldman’s Painters,” in The New York Schools of Music and Visual Arts: John Cage, Morton Feldman, Edgard Varèse, Willem de Kooning, Jasper Johns, Robert Rauschenberg, edited by Steven Johnson, New York: Routledge, 2002, p. 196
[8] Ibid., p. 196
[9] Ibid., p. 196
[10] Ibid., p. 196
[11] Ibid., p. 196
[12] Ibid., p. 197
[13] Ibid., p. 197
[14] 原文に“The thick horizontal line”と書いてあるので水平線としたが、スコアではクラスターは太い垂直線で記されている。
[15]The King of Denmark, EP 6963, 1965
[16] Pratt, p. 77
[17] Feldman 2006, op. cit, p. 151
[18] Ibid., p. 151
[19] Ibid., p. 151
[20] Ibid., p. 151
[21] Ibid., p. 152
[22] Max Neuhaus, https://www.cnvill.net/mfneuhaus.htm このテキストはCD The New York School: Nine Realizations by Max Neuhaus (22NMN.052, 2004)のライナーノーツとして書かれた。
[23] Eberhard Blum, “Notes on Morton Feldman’s The King of Denmark,” English translation by Peter Söderberg, https://www.cnvill.net/mftexts.htm
[24] Feldman 2006, op. cit, p. 152
[25] Ibid., p. 152
[26] Ibid., p. 152
[27] Blum, op cit.

高橋智子
1978年仙台市生まれ。Joy DivisionとNew Orderが好きな無職。

(次回更新は10月15日の予定です)

吉池拓男の迷盤・珍盤百選 (20) いくらなんでも速すぎでんがな

Condon COLLECTION HOROWITZ SBSM0003-2 BMG 1991年(他にも収録盤多数) 
Encores & Rarities  Mark Hambourg(p) APR 6023 2018年

通常より速いテンポで演奏すること自体は何の問題もありません。たとえばゾルタン・コチシュのラフマニノフ協奏曲全集。濃厚ロシア風味はありませんが実に爽快です。永く聴き続けるには意外と適した演奏かもしれません。たとえばTESTAMENTから出ているジョン・オグドンの弾くリストの小人の踊り。2分14秒で完奏という驚異の速度で、常軌を逸したピアノテクを堪能できますし、音楽としてもある種の狂気を孕んでいて圧倒されます。

しかし、ものには限度というものがあります。曲自体が崩壊しかねない、または何の曲かわからないほど速いというのは如何なものなのでしょうか。第13回で取り上げたFalossiのモーツァルトのピアノソナタK.545の第2楽章もこの類に入る気がします。で、あるのですね、さらにひど……スゴいのが。

Condon COLLECTION HOROWITZ

まずは大ホロヴィッツ様。1928年、まだ20代半ばのホロヴィッツが自動ピアノに記録したラフマニノフの前奏曲op.32 no.8。この曲を知ってる人のみならず初めて聴く人でも、あまりに急速に動く音の渦に呆気にとられることでしょう。もはや“音楽”として成立していないレベルの高速音塊です。もともとテンポの速い音楽で、通常のこの曲の演奏は1分40秒くらいです。で、ホロヴィッツは1分08秒。この短い曲でこれだけ尺を縮めるとなると、平均的な演奏テンポ♩=160を♩=240近くに上げなければなりません。しかも楽曲は16分音符の連続。♩=240ということは16分音符を毎秒16、1分では960弾くことになります。これだけ音を高速で詰め込むと“音楽”が変質してしまうのがご理解できるのではないでしょうか。で、一つの疑問が浮かびます。この演奏は自動ピアノによる記録なので、機械的にテンポを速めている、もしくは再生ミスではないかと。これに関して「ホロヴィッツの遺産」の共著者である木下淳氏によれば、「このop.32 no.8が記録されたロールにはもう1曲、ラフマニノフのop.32 no.10も記録されていて、そちらの演奏は普通のテンポ感であるため、op.32 no.8の異常高速はトリックや再生ミスではなく本来のものであろう」とのこと。うーーむ、状況証拠的に納得。ただ、納得はしましたが、やっぱこれ、いくらなんでも速すぎでんがな。

Encores & Rarities
Mark Hambourg(p)

さて、お次は第1回に続いての登場、マーク・ハンブルク。もっぱら熱血暴れん坊タイプの演奏をする御仁です。彼が1921年に録音したセヴラックの「古いオルゴールが聞こえるとき」が異様に速い。この曲はオルゴールの動きや音色を模した可愛らしい作品で、ピティナ・ピアノ曲事典では標準演奏時間1分30秒となっています。実際、多く演奏は平均的にそのくらいのスピード感で可愛くキラキラッと弾いています。それに対しハンブルクは1分00秒。正直、速過ぎてオルゴール感はゼロ。可愛らしさもゼロ。どうしてもいうなら「ネジ巻きすぎてぶっ壊れる寸前!半壊オルゴール、戦慄の暴走」のような音楽になってしまっています。私も正直この演奏を最初に聴いたとき、セヴラックのこの曲だとは気づかないほどでした。しかし、ハンブルクの場合さらに上には上があるのです。ハンブルクが同じ1921年に録音したクープランの「神秘的なバリケード」。この曲はゆったりとした分散和音を慈しむように奏でる作品で、ある種の崇高感すら漂う柔らかな音楽です。ピティナ・ピアノ曲事典によれば演奏時間は2分20秒くらいです。かの暴れん坊シフラも2分30秒程度、人によっては3分30秒くらいかけて厳かに弾く人もいます。これに対し、ハンブルクはたったの1分08秒。クープランからはかけ離れた超快速お指の練習曲のようにしか聴こえません。この演奏を聴いて「あぁ、クープランの神秘的なバリケードだな」と思う人は皆無でしょう。私もまったく気づきませんでした。なんかごちゃごちゃ凄い勢いで分散和音弾いてるなぁ位にしか聴こえなかったのです。もちろん神秘性なし、バリケード(=障壁)って早弾きの難しさの事?という演奏です。ハンブルクがこれら2曲においてなぜ異常高速演奏を行ったのかはわかりません。収録時間の短かった1921年当時の録音盤に無理矢理押し込むためとも考えられますが、他の楽曲では部分的に省略するなどして時間を削り、音楽としてのテンポ的な体裁は保つ場合が多いのです。やはりこの2曲に関してはハンブルクの確信犯的解釈ではないかと思う次第です。うーーむ、ただ、やっぱこれ、いくらなんでも速すぎでんがな。

やたらと遅いコブラの演奏。一方ではやたらと速いこれらの演奏。どちらが音楽破壊度が高いかと言えば、やたらと速い方に軍配が上がると思います。常軌を逸した速さ。その意気は大いに認めましょう。ただ、何の曲かもわからないほど速いというのは、ゲテモノ好きの私でも考え込んでしまいます。

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。

吉池拓男の迷盤・珍盤百選 (19) 演奏事故物件鑑賞会

VLADIMIR HOROWITZ live at CARNEGIE HALL  CD27/28 – SONY CLASSICAL, 2013年
EMIL GUILELS en concert – RODOLPHE RPC 32491, 1987年
Jorge Bolet plays Chopin, Mendelsshon, Liszt – ASdisc AS 123, 1993年

演奏は生ものです。アクシデントは付き物。単なるミスタッチくらいなら、アクシデントに入らないでしょうが、人生と同様、何が起こるかわからないものです。

誰もが動画を撮り、誰もが世界に発信できる時代、YouTubeでいくつか有名になっている演奏事故動画があります。たとえば、ラローチャがモーツァルトの27番だと思ってリハに行ったら、ラフマニノフの2番をオケは用意していて急遽変えたという1983年の動画。わりと冷静に曲の変更をこなしていますが、出来ちゃうのが凄い。さらに有名なのが、ピリスがモーツァルトの協奏曲をアムステルダムのランチコンサートで弾こうとしたら、予定してたのとは違う20番の協奏曲が始まって愕然とし、オケの演奏が続く中、絶望的な表情で指揮者と交渉する動画。ピリスが「この曲の楽譜は家に置いてあるわ」と言えば、指揮者が「最近どこかで弾いてたみたいから大丈夫でしょ」と返し、結局、絶望的な表情のまま、弾き出して弾いてしまします。ピリスの暗い表情が20番の曲想にとてもよく合っています。ブラジルのロドリゲスという女性ピアニストは演奏中にピアノが故障。結局、スタッフが色々努力するも修理できず、舞台上の(せり)(昇降リフト)で壊れたピアノを下ろし、新しいピアノを迫で上げてセッティングして再開します。で、このピアニストの凄いのは、その間、ずっとトークと色々なピアノ演奏を続けて客は大ウケ大喝采という一部始終の動画があります。もちろん彼女もピアノと一緒に迫に乗り一旦は舞台下に消えますが、ずっと弾き続けます。すばらしい芸人魂です。

演奏中のアクシデント、巨匠はどう対応した?

VLADIMIR HOROWITZ live at CARNEGIE HALL

こうしたアクシデントの記録を正規に商品として販売してしまった例はさほどありません。そりゃ普通は録り直すか、こんなの売らないでくれ、となりますからね。有名なのは1946年にシュナーベルがモーツァルトの協奏曲第23番の第3楽章で度忘れして全然違うことを弾き出し、演奏が止まった例があります。これは海賊盤っぽいレーベル含めて過去に数回発売されています。では正規盤で出たのはといえば、私の知る限りホロヴィッツが多いのです。細かいことを言えば1930年スタジオ録音のラフマニノフ第3協奏曲第3楽章再現部で何をとっちらかったか違う調で数小節弾いてしまった例や、1931年録音のラフマニノフの前奏曲op.23 no.5の後半でおそらく興奮のあまり何を弾いてるかわからなくなってる例があります。これらは録り直しや発売中止も出来たはずですが世に出ました。そのころ本人希望でお蔵入りになった録音も他の曲では沢山ありましたので不思議な「OK」です。で、これらとは違い本人ミスではないアクシデントは1968年11月24日のカーネギーホール・ライブ。ホロヴィッツ・ファンならご存知でしょうが、ラフマニノフの第2ソナタの第2楽章4分06秒のところで、ばちょ~~ん、という音がして弦が切れます。ホロヴィッツはそこから数小節は弾くのですが、ほどなく断念。客席からは拍手が起こります。伝えられている話では、調律師が真っ青になって舞台袖から駆け付け、切れた弦を必死に取り除いている最中、ホロヴィッツは調律師に優しく声をかけてニコニコしながら脇に立っていたとのこと(*1)。当然、弦を取り除き、調整して弾けるようになるまでにはかなりの時間がかかったと思いますが、そこは割愛されています。ホロヴィッツは弦の切れた個所の少し前から演奏を再開し、彼の弾いたラフマニノフのソナタの中でも一段と気合の入った演奏を繰り広げます。お見事なカバーリングです。

EMIL GUILELS en concert

さて、弦が切れたのにずっと弾いていたライブ盤もあります。演奏者はエミール・ギレリス。1966年7月20日、エクサン・プロヴァンス音楽祭のライブ中の出来事です。この日はベートーヴェンのソナタ21番と28番に続き、リストのソナタを弾きました。事件はリストのソナタで起きます。演奏開始から14分33秒後、第2部で盛り上がる395小節の2拍目の右手、fffで叩かれるBがバシッとキレます(参照楽譜の赤矢印の音)。ギレリスは動揺したのか396小節の左手の低音を濁らせます。さらに旋律線内に切れたBの音が出て来る399小節ではBの音の個所で楽譜にはないトリルを入れて瞬発的に繕おうとしたようです。もちろん切れた弦はほとんど鳴らないのでかなり聴き取りにくいですし、トリルにしても何の解決にもなりません。ただ、ホロヴィッツとは違い、ギレリスは演奏を止めることなく弾き続けます。おかげで420小節以降の静かな音階風フレーズではBは鳴らず、「スカッ」とか「カシュッ」とかなんとも哀しい音がします。なにせB-minorの曲なのでBの弦が切れたのは影響大。曲の後半でも至るところで「スカッ」「カシュッ」が淋しく響きます。ただ、演奏自体は実に堂々たるもの。お見事です。

Jorge Bolet plays Chopin, Mendelsshon, Liszt

もう一つおまけに違うパターンの事故記録を。おそらく正規録音盤ではないのですが、ホルヘ・ボレット(*2)が1972年1月5日にニューヨークで行った演奏会のライブ盤です。曲目はショパンのバラード全曲とリストのソナタなど。この日のボレットは好調で、特にバラード4曲はバラード演奏の中でも極上のものという評を読んだことがります。たぶん会場録音なので録音状態自体はあまりよくないものの、素晴らしい演奏と思います。で。このライブで想定外の事態が起きます。せっかくの名演が吹っ飛ぶようなまさかまさかの事態が。曲はバラード第4番。この曲の途中で観客の拍手が入るのです。場所はコーダに入る直前。一瞬静まる前にヘ短調の属和音(コードでいえばC)をfffで叩きますね。この場所で「あ、曲が終わった」と一斉に拍手が沸き起こるのです。確にその直前のボレットのアッチェランドはかなりのものですし、聴いてて昂まる気持ちはわからんでもないですが、音楽的にここは終わらんでしょ、普通。ボレットは拍手が収まるのを待って続きを弾き始めます。この時にボレットが聴衆に対して何らかのジェスチャーをしたのかどうかはわかりません。演奏家にしてみればかなり想定外の事態だったとは思いますが、こういうこともあるのですねぇ。そういえばオケの世界ではフルトヴェングラーが振ったチャイコの5番の終楽章のライブでコーダ前に拍手が起きるという有名な事象がありましたね。ボレットのライブはそれと並ぶ、もしくはそれ以上の想定外フライング拍手のような気がします。ちなみに本当にバラ4が終了した時の聴衆の熱狂はそれはそれは凄いもんです。思わずフライング拍手が出るくらいの稀なる演奏だったのです。

演奏事故物件は原則、世に出ません。ここに上げた諸々の件は演奏よりもドキュメンタリーとして鑑賞すべき類かも知れません。しかし、プロ中のプロの有事に対する振る舞いもまた、音楽を知る愉しみの一つと思います。ぜひとも世にも珍しい事故物件を皆様もお見つけくださり、そこのある演奏家の人間ドラマをご堪能ください。

(余談)
筆者がとある演奏家本人から聞いたアクシデントとしては、ABACA形式の作品を弾いたところ、ACAで終わってしまったというのがあります。本人はCを弾き始めて間もなく気付いたそうで、気分的には真っ青だったとのこと。ただ「結局、誰にも気付かれなかった」と笑い飛ばしておりました。さすがにこのライブの録音があったとしても世に出ることはないでしょうね。ちなみに、その作品とはシューマンのアラベスクです。

(補記)
*1:この時、調律師は舞台袖から新しい弦を抱えてやって来て必死に張り替えたという説もあります。
*2:編注 主に英語圏で活動したため、ジョージ・ボレットという読み方を常用していたとオフィシャルサイトにあります。日本ではホルヘ・ボレットという読み方が現在一般的ですが、かつてはホルヘ・ボレという表記が用いられていました。(スペイン語では単語末尾のtを読まないのが一般的)

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。

吉池拓男の迷盤・珍盤百選 (18) 怒りの修正報告書 シューマン第3ソナタ、謎のフィナーレ

Schumann  Beethoven Studies   Olivier Chauzu(p) NAXOS 8.573540 2016年
参考 Schumann and the Sonata 1  Florian Uhlig(p) hänssler CD 98.603 2010年

怒印 Schumann Concert pour Piano seul Florian Henschel(p) ARS MUSICI AM 1306-2 2002年

Schumann Beethoven Studies – Olivier Chauzu(p)

第3回でNaxosから出たChauzuの弾くシューマンの第3ソナタの謎のフィナーレについてテキトーな推論を書きました。なんと、有難くも畏くもMuse Pressさんが大英図書館のシューマンの自筆譜を閲覧できるようにしてくださいました(編注:問い合わせをした後、いつの間にかサイトで公開されてましたが、問い合わせがきっかけなのかは不明)。さらに有難くも畏くもNaxosさんがChauzuの弾いてる謎のフィナーレの譜面を出版しているサイトを教えてくれました。で、シューマンの第3ソナタのフィナーレに関してかなりのことがわかってきました。

第3回ではシューマンのピアノソナタ第3番に6種のフィナーレがあると書きました。その一覧は、

 発想記号拍子小節数演奏時間 
1836年初稿(自筆譜。Beginningのみ)不明不明不明不明
1836年初稿(別の紙の自筆譜)Prestissimo possibile不明不明7分02秒
1836年初版Prestissimo possibile16分の6拍子714小節7~8分
1853年改訂版Prestissimo possibile4分の2拍子359小節7~8分
Naxos盤のFinale不明(vivacissimo )不明不明5分13秒
Uhlig盤のFinalePresto possibile16分の6拍子不明5分38秒
※Naxos盤の解説にはvivacissimoの発想記号はないが、CDをリッピングするとこの発想記号が曲名表示に現れる

です。

Schumann Concert pour Piano seul – Florian Henschel(p)

で、今回、大英図書館の自筆譜を観て私は激怒しました。同時に、第3回をお読みいただいた皆様に深く陳謝いたします。“大英図書館の自筆譜から第3ソナタのオリジナルバージョンを演奏した”としていたFlorian HenschelのCDですが……違いました。確かに自筆譜を基にオリジナルに近い形で演奏してますが、初稿になくて初版で初めて出たフレーズや後年の改訂版の時に創られたフレーズを弾いていたりしたのです。売り文句とちゃうやんけ、ごるあぁぁ!!ヲジサンはマジに怒ったぞ、CD代返せ! ただし、自筆譜を観たことで嬉しい発見もありました。正体不明だった①(自筆譜Beginningのみ)が確認できたのです。さらに⑤の楽譜の製作に関わった人のサイトで謎のフィナーレの元であるストックホルムの音楽財団が持っているフィナーレの自筆譜断片」も確認できました。

大英図書館の自筆譜(初稿②)はとても読みにくく、時折シューマン本人による達筆のドイツ語でメモ書きがあったり、継ぎ足して書いてる紙が挟んであったり、書いてはみたものの×を付けてカットしている部分があったりします。初稿の分析は研究者による精緻なアプローチ(近々ある、との噂)を待とうと思います。

で、以上の自筆譜情報からわかったこととして……

◆初稿②と初版③のフィナーレは判読しづらいが何か所か違いがあると思われる。ちなみに第1楽章でも違うところがある。一方で「大英図書館の自筆譜を基にした」と標榜していたHenschelの演奏で、違いが著しいと思っていた箇所はHenschelの勝手な変更だったりした。

◆Uhlig⑥とChauzu⑤が弾いている謎のフィナーレは、同じ「ストックホルムの音楽財団が持っているフィナーレの自筆譜断片」から再構成されたものである。この断片にはメモ的な構成指示含めて曲の9割がたが書かれているが、コーダ部分が書かれていないため、現代の人が補作している。⑤と⑥の違いはその補作の違い。コーダの補作違いはもう一つあり、⑤の出版譜に載っている。また⑤と⑥では自筆譜上でシューマンが「×」を付けてカットした小節の扱いに違いがある。

◆①の1836年初稿(自筆譜。Beginningのみ)と「ストックホルムの音楽財団が持っているフィナーレの自筆譜断片」は曲としてはほぼ同じだった。ただし、細部は所々違う。どっちが先に書かれたかはわからない。なお①の発想記号はPrestissimoで、拍子は16分の6拍子だった。

◆フィナーレではないが、第1楽章の別エンディングを確認できた。

で、以上の情報を総合して新たな一覧表です。

 発想記号拍子小節数演奏時間 
1836年初稿(自筆譜。Beginningのみ)Prestissimo16分の6拍子55小節
1836年初稿(自筆譜)Prestissimo possibile16分の6拍子
※2

※3
1836年初版Prestissimo possibile16分の6拍子714小節7~8分
1853年改訂版Prestissimo possibile4分の2拍子359小節7~8分
Naxos盤のFinalePresto possibile16分の6拍子401小節5分13秒
⑪の別コーダ版Presto possibile16分の6拍子398小節⑪と同様
Uhlig盤のFinalePresto possibile16分の6拍子不明5分38秒
※2:⑧の小節数は自筆譜が非常に読みにくくてカウントしづらいので計数を諦めました
※3:Henschelの演奏が必ずしも初稿に基づいていないため、演奏時間は不明としました

まぁ、⑪⑫⑬は書かれなかったコーダ部分を補作した後世の人による違いなので、これらを別バージョンと言うかどうかはちょっと微妙かな。とにかく⑦⑪⑫⑬はほぼ同じ曲で「廃棄されたフィナーレ」、⑧⑨⑩がほぼ同じ曲で「現行のフィナーレ」でした。

これ以上は専門の研究者の領域です。ヲタクの爺さんの手に負えるものではありません。しかし、シューマンの第3ソナタのフィナーレは、大きく分けて2系統、少なくとも計7種類のバージョンがある事がわかりました。これだけでも少しは腹落ちしましたね。それにしても、Henschelめ、許さんぞ、成敗じゃっ!

●補足をひとつ●

Schumann and the Sonata 1
– Florian Uhlig(p)

Naxos盤の⑤の譜面の販売サイトから行ける楽譜製作者のサイトには楽曲の解説も載っています。その中に私が前回指摘した「途中で出てくるモーツァルトの“お手をどうぞ”そっくりの主題」についても言及しています。曰く、これはクララに対するメッセージであると。原曲はドン・ジョヴァンニが他人の嫁さんに「あっち行ってイチャつこうぜ」と誘う露骨な愛の歌ですから、クララへの愛のメッセージなのだと。でも、これはちょっとおかしい。⑤⑥⑦のフィナーレにはロマンスというタイトルの原曲があり、Uhlig盤に収録されています。この「お手をどうぞ」もどきの主題はそこでも使われています。ロマンスの作曲年代は1829年ころで、シューマンは19歳。クララとはすでに出会っていますが、まだ9歳。これでは東京都青少年健全育成条例と児童福祉法に違反してしまいます。片想い含めて女性関係はかなり派手なシューマンとはいえ、そこまでのヘンタイ君ではなかったのではないかと思われます。ま、私の勝手な推測では、ロマンスは19歳ころに懸想していた他の女(しかも人妻か?)が狙いで作ったものであって、1836年頃(26歳)になってから障壁満載の恋愛関係にあったクララに思いを伝える曲として、いけしゃあしゃあと昔のネタを引っ張り出して利用した可能性はないとは言えない、と思いますがどうなのでしょう。

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。