吉池拓男の迷盤・珍盤百選 (5) 里帰り子分の独白

CARNEGIE HALL presents Ronald Turini (p) January 23, 1961
The Great Moment at CARNEGIE HALL(43枚組)よりCD 10/11 – SONY Classical 2016年

いえ、私は破門されてはいません。組の代紋をかつぐことは認められています。ただ、もうすっかり無沙汰をしてまして、しのぎ、いやいや、お仕事もあまり目立つことはしていません。

親父には本当によくしていただきました。親父の下で修業させていただいたのは昭和32年から37年まで。七人いた子分の中では一番長かったんじゃないかなぁ。昭和36年の金木会館かーねぎーほーるでの御披露目興行も親父に準備していただきました。他所のお国のショバにかちこみ、いやいやいや、武者修行にも行かせてもらいました。まぁ、てなことしてる内に「そろそろ独り立ちしたらどうだ?」と親父に言われてお暇した次第です。円満卒業、ですよ。その後も親父がいろいろ仕事を世話してくれたんですが、なんか里心がついてしまいまして、故郷の加奈陀かなだに帰りました。故郷じゃ、若いもんに仕事を教えるのが好きになりましてね、もっぱらそれで食べさせてもらってます。独り仕事ですか? いやぁ、独りで大舞台に立つのはちょっと。誰かと室内で楽しく演るのが性に合ってますね。井田いだの姐御とはよく演らせてもらってます。「あいつは腕は確かだが、度胸がなくていけねぇ」ですって? ああ、親父が私のことをそう言ってましたか。何でもお見通しですね。

The Great Moment at CARNEGIE HALLのCD10と11に収録

そういえば金木会館の125周年記念記録盤全43巻に、私の御披露目興行が2巻に渡って入ったそうですね。畏れ多いことです。だって親父も入ってますし、親父の義理の親父さんも入ってる、露西亜ろしあ組の有名な御仁たちもいらっしゃる、そんな中に加えていただけたなんて身に余る光栄ですよ。

え、出来を紹介してくれって? うーーん、一言でいうと若気の至り。若い力と感激に 燃えよ若人 胸を張れ、って感じですかね。親父の愛弟子の御披露目ということで各界の方々に注目していただきましたし、親父からも徹底的にしごかれましたから、すごい緊張感ですよ。最初の臭満しゅーまん短編小説のゔぇれって其の壱もこんな瑞々しく生気に溢れた仕上がりは珍しいでしょ。同じ臭満の奏鳴曲そなた第弐も全力で突っ走っりましたよ。活きの良さなら負けないですからね。あ、最終章ふぃなーれは親父の大好きな捨てられた最初の奴(遺作)で演らせてもらってます。当時は珍しい試みだったと思いますよ。

それから勺旁しょぱんをいくつか演りました。特に訓練曲えちゅーど拾之壱は1分41秒で駆け抜けました。これはちょいと自慢です。ここまでの切れ味はそうそうないですよ。もちろん勢いだけでないところは訓練曲廿伍之七でお出ししてますがね。え、所々威勢の良さが顔を出すって? 言ったでしょ、若気の至りだって。続けて勺旁は譚詩曲ばらーど第壱も演りました。細かいしくじりはありますが、なかなかの勢いでしょう。そのあとの貧出水戸ひんでみっとの奏鳴曲第弐は私の大得意。同じ近世ものでは親父得意の救狸夜瓶すくりゃーびんの訓練曲を親父がバリバリの頃よりも速く演ってます。続く一覧表りすと拾四行詩そねっと佰四をこんなに想いのこもったキレの良さで演った例は滅多にないんではないでしょうか。興行のトリは親父譲りの洪牙利はんがりー狂詩曲。親父に敬意を表して親父の演ってない拾弐番目を献上いたしました。速いでしょ。活きがいいでしょ。熱さと激しさなら前人未到かも、なんてね。若かったなぁ……親父は弟子が親父流の改変をするとお怒りになることがあるので、なるべく帳面通りに演りました。

お聴きのようにお客さんは大喜び。奏鳴曲の途中だっつうのにどっかんどっかん拍手来るんだから吃驚でしたよ。こんだけ喜んでいただいたんですから、調子に乗ってもう四つ舞台で演ってしまいました。最後の解れ端らゔぇる接触曲とっかーたはちょっと飛ばしすぎましたかね。いや、お恥ずかしい。ただねぇ、この興行、残念なことに記録の具合が良くないんですよ。昭和36年でこの状態というのは申し訳ない限りですね。普通はもう少し綺麗な感じになるんですがねぇ。ま、それでも私の灼熱の若気はわかってもらえると思います。

え、親父の名前ですか? ウラディミール・ホロヴィッツですよ。私ですか? 私はロナルド・トゥリーニです。親父が認めた三人の弟子のうちの一人です。


以上、グレン・プラスキン著「ホロヴィッツ」第19章:九十四丁目の音楽学校、から筆者による勝手な翻案。

補記:
・「若い力と感激に 燃えよ若人 胸を張れ、」 作詞:佐伯孝夫(1947)「若い力」から引用
・「臭満」 某大学ピアノサークルのY氏の発案(1972頃)から引用
・「貧出水戸」…この物語はフィクションであり 実在の人名団体名 特に地名とはまったく関係ありませんので そこんとこよろしく (補記の説明:魔夜峰央「翔んで埼玉」(1982)から引用)

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。