〇:history’s carnival Alexandre Bragé (p) art classics ART-171 2009年
×:The Sound of Time Alexandre Brazhe(p) art classics ART-060 2004年
音楽配信やYouTubeで有名無名の演奏家の音源が大量に聴ける時代になりました。で、ひとつ確信したことがあるのですが、この世の中、ピアノが技術的に上手く弾ける輩は山ほどいるということです。なのに多くの人が無名のまま消えていく。栄枯盛衰の違いは何なのでしょう。イケメン度か、スカートの丈の短さか、単なる運か。そんな中、状況を打破すべく「他人様とわかりやすく違ってなんぼ」という主張をぶつけてくる演奏家が私は大好きです。今回ご紹介するブラージェ(綴りは盤によって違う)もそんな一人です。
手持ちの2枚のCDにはなんとブラージェの経歴が一切書かれていません。わかることと言えばたぶんロシア人で今35歳くらいだろうということ。YouTubeには10年前の演奏映像があります。で、彼が2009年に発表した「history’s carnival」が面白い。弾いているのはC.P.E.バッハのソナタが3曲、ショパンのスケルツォ1番、マズルカ2曲、ワルツop.64、シューマンの謝肉祭、シュヴァルツのPas-de-Patineursによる自作の編曲ものです。C.P.E.バッハのソナタは、CD解説に「Guldの息子」(たぶんGouldの息子の間違い)と評されているように、キレの良いリズム感で快適に演奏されています。これはこれで見事。続くショパンはどうってことない演奏で、強いて言えば子犬のワルツのテンポの緩急が激しいことくらい。
で、ちょっとびっくりのシューマン謝肉祭が始まります。アルバムタイトルと関係した選曲が実はこれ1曲だけであることからして、ブラージェがいかにこの演奏に賭けていたかわかります。「前口上」からキレが良く、表情付けも豊かなわりと良い演奏だなと思ってると、ラスト3小節で低音部に聴きなれないゴロゴロトリルがっ! 続く「ピエロ」では中間で楽譜にない右手のキラキラフレーズ(Good!)を加え、「高貴なワルツ」では譜面にない繰り返しをして17小節目からはイイ感じの内声旋律を浮かび上がらせます。「浮気女」の緩急は振れ幅が大きくてユニーク。そして「スフィンクス」。これ、音が多い!ラフマニノフ版よりも遥かに多い。低音のトリルに始まり鍵盤を広く駆け巡る完全自作曲。さらに、想定外の手を加えてくるのが続く「パピヨン」。後半の一部フレーズを4分の2拍子ではなく8分の6拍子風にリズムを変え、さらに曲終了直前で音楽を止めて自作「スフィンクス」の冒頭を一瞬弾いて終わります。これには呆気にとられました。しかも不思議とこの「スフィンクス」の無理矢理挿入は納得感があります。いや、面白い。演奏も音楽がキラッキラッ活きている。お見事。「ショパン」は繰り返し2回目の10小節目は当然のように1回目とは違う装飾フレーズを弾き、「パンタロンとコロンビーヌ」では中間部のMeno Prestoの繰り返しを、続くTempo Iに2小節進んでから行います。これはこれでまたまた妙に納得。よくこんなこと考えたものです。そのあとは多少ネタ切れなのか、低音のオクターブ下げ強調が入るくらいですが、終曲の最後で前口上と同じ低音トリルをゴロゴロ追加して多めの音で終わります。
シューマンの作品はショパンと比べれば手を加えて弾く人が少なく、ブラージェのアプローチは凄く新鮮です。演奏自体も生気に溢れてて楽しい。このアルバムは最後、あまり聴いたことのないポルカっぽい曲の重音ごちゃごちゃ自作編曲で終わります。この編曲はラフマニノフの「W.R.のポルカ」へのオマージュな感じがします。かなり難しそうですが、悪くないナンバーです。
無理筋の改変か果敢な挑戦か? ブラージェ版ラコッツィ行進曲
さて、ブラージェは2004年にも「The Sound of Time」というアルバムを出しています。収録曲はショパンのマズルカop.63、ソナタの2番、夜想曲18番、リストのメフィストワルツ第1番と小人の踊り。実はここまではなんということのない普通の演奏です。注目するのは、その次の自分で編曲したハンガリー狂詩曲第15番「ラコッツィ行進曲」と「サウンド・オブ・ミュージック」によるパラフレーズです。ラコッツィはホロヴィッツやワイルドといった先人の圧倒的編曲がある中、ブラージェの採った戦略はというと、リストのハンガリー狂詩曲15番の原曲の尊重でした。全体進行・構成はほぼリストのまま。冒頭から楽譜で1ページ半くらいはリストの原曲を弾いている感じですが、だんだん和声や装飾をいじりだし、「いやいや、そりゃやりすぎでしょ」「そんなにするなら原曲のままでよくね?」と突っ込みたくなるような無理筋の改編が延々と続きます。その割に中間部終わりのカデンツァ風のところやエンディングの盛り上がる所はほぼリストのママだったりします。なんともゴクローサンな編曲で、どちらかと言うと「色々考えたんですけど肝心なところを思いつかなくてダメになってしまいました」の典型のような大変お勉強になる仕上がりです。こうなると期待は最後の「サウンド・オブ・ミュージック」によるパラフレーズに移ります。これはおなじみのメロディが次から次に出てきて、ピアノ書法的にもチープめの華麗さに彩られ、素人さんの会のアンコールには最適です。ただ、尺がたったの2分42秒。ちょっと短いかなぁ。どうせならリスト並みに10分くらいのパラフレーズにした方が良かった感じですね。
つまりこの「The Sound of Time」は明らかな失敗作。特に個性を開陳しようとしたところが、ことごとくうまくいっていません。ですが、それもまたCD集めの楽しみ。名盤だけじゃオモシロくない。
ブラージェはこのほかに2枚くらいアルバム(「remakes & variations 」「Kreisleriana」)を出していますが、特に前者は中古市場にもなく、入手が大変そうです。「Kreisleriana」は手に入りそうですので、万が一オモシロかったらまたご紹介いたしましょう。なかなかに問題のあるピアニストですが、少なくともシューマンの謝肉祭は他に例を見ない面白さに溢れ、C.P.E.バッハのソナタも一聴に値します。
やはり人前で芸をする人の基本は“他人と違ってなんぼ”ですね。結果の良し悪しは別として……。
【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。