吉池拓男の迷盤・珍盤百選 (8) おなまえ最強!ハイペリオン・ナイト~前編

The Magnificent Steinway   Hyperion Knight(p)   golden string(金弦天碟) GSCD 031A 1996年
RHAPSODY  Hyperion Knight(p) with Ensemble members  Stereophile  STPH-010-2  1998年

Hyperion Knight、日本風に言えば“天照騎士” です。本名ですかねぇ、芸名ですかねぇ。安いRPGの勇者でもこんなネーミングはしないかな。私の知る限り古今東西のピアニスト中、最強のおなまえですね。(語感的にはマッコイ・タイナーとか強そうですが……)

The Magnificent Steinway Hyperion Knight(p) 

そんな最強の天照騎士さまは1996年に「The Magnificent Steinway」という編曲ものばかり集めたCDを出しました。アメリカの金弦天碟というマイナーレーベルから出たために全く知られませんでしたが、なかなかに気合の入った主張を展開しています。もっとも注目すべきは天照騎士さま本人が編曲したパッヘルベルのカノン。「この作品のblue-collar bloodline(肉体労働者的血統?)にひるむことなく、むしろダルベール、ブゾーニ、ケンプのバロック作品編曲の偉大な世界に遡った」と訳の分からん注釈付きの渾身の編曲です。楽譜も公開されているので拝読しながら聴いてみますと、前半はなんて事のない編曲なのですが、あの16分音符の有名フレーズが出る所(山下達郎でおなじみ)から、重音のメロディ進行を両手で交互に分担しながら、上下で広く和音を補強するという厄介な書法を入れ、そのあとはちょっとジョージ・ウィンストンを思わせるようなアレンジ部分が続き、やがて装飾的な音階進行が加えられて、ちょっとダサく盛り上がって終わります。ウーーーむ。どこがブゾーニやねん。どこがダルベールやねん。あの真ん中あたりの分厚いところか?「審判団はこの演奏に敢闘賞を与えるべきか協議の結果、見送ることにしました」って感じかな。パッヘルベルのカノンのピアノ編曲は個人的にはJerry Lanningのものが最も原曲に忠実かつピアニスティックで優れていると思いますが、その対極にある問題多編曲として天照騎士さまの編曲は楽しむことができます。

このアルバムにはカノンよりも注目すべきアレンジが実は2つあります。まずはチャイコフスキー=グレインジャーの花のワルツ。グレインジャーの編曲は良くできてはいるのですが、冷静に聴くとカデンツァ的な部分が長すぎますし、曲の終わり方もグレインジャー独自の作曲で、これが正直いま3。そこで天照騎士さまは曲の進行を極力チャイコフスキーの原曲通りにし、コーダ部分もチャイコフスキーの原曲通りに自分で創って弾いています。手元にあるグレインジャー編の楽譜(全16ページ)でざっくり言うと、p.2、11-12、16はほぼカットです。で、この方がはるかに良いです。コーダの独自編曲部分はもう少しやりようがあったかなと思いますが、やはり原曲の方が音楽の流れと盛り上がりが数十段良い。無名に終わっている改編ですが、今後、花のワルツを弾く人は天照騎士さまのを手本とすべきでしょう。

もうひとつは名目上はオスカー・レヴァント編曲になっている剣の舞。実態はシフラとレヴァントとおそらく天照騎士さまの混合編曲です。シフラの編曲は原曲から離れすぎ、レヴァントのはシフラのを聴くとおとなしすぎ、たぶんそう思った天照騎士さまが花のワルツ同様、原曲の流れを重視して創り上げたものでしょう(解説には何の言及もなし)。曲の構成をA/B/C/A/CodaとするとAはシフラ編。Bの1回目はレヴァント編、Bの繰り返しはかなり複雑な天照騎士さま編、AにつなぐCはレヴァント編、Codaはレヴァントと天照騎士さま編です。曲の流れはほぼ原曲通りで、聴いてる分には確かにこちらの方が良い。Aの部分で左手にミスが多いと一瞬思いますが、良く聴いていると意図的なものでミスでないことがわかります。演奏自体もこのアルバムの中で抜群によく、剣の舞のピアノ演奏ではシフラと双璧と私は思います。

他の楽曲についても補足すると、ムソルグスキー=ラフマニノフの熊蜂でもなぜか1ページ目だけに天照騎士さまはちょこちょこ手を入れています。この改編は悪くない。アール・ワイルド編のヴォカリーズは非常に良い演奏ですが、冒頭主題部分でなぜか低音を16分の1拍早く弾くという演出をしていて若干の違和感があります。

もちろん「普通」の録音もあるが……

さて、かように積極果敢なCDをリリースした天照騎士さまですが、ピアニストとしての力量は若干問題があります。このアルバムの少し前に「展覧会の絵+ヒナステラのソナタ」というアルバムを出しているのですが、「鈍くて太めの単色ペンでまじめに描きました」風のつまらない内容なのです。この「The Magnificent Steinway」も実は全体的にはそんな感じの演奏が多いです。ローゼンタールのシュトラウス幻想曲はなどは、こんな鈍重にしか弾けないなら止めときゃいいのにと思います。もちろん例外もあります。剣の舞とか岸辺のモリーとか、ね。私の邪推ですが、彼は自分の演奏の“ぬぐえないつまらなさ”に気付いていて、そこを払拭すべくこの手を入れまくった編曲集を出したのではないかと思います。

RHAPSODY
Hyperion Knight(p)

このアルバムに続いて、1998年に天照騎士さまはガーシュインアルバムを出します。そこでも、ラプソディーインブルーを独自編成(木琴鉄琴など打楽器多め)のアンサンブル版で弾いてます。これはこれで妙で面白い。さらに同じ編成でガーシュインの3つの前奏曲も弾きます。それ以外はピアノ独奏で演っているのですが、ワイルドの編曲などをかなり好きに弾いています。ただガーシュインでは割と軽快に弾いていますので、音楽のノリがどちらかというとそちら側にある人なのかもしれませんね。

で、今回執筆にあたり色々探しているうちに、天照騎士さまのトンデモナイCDに遭遇します。皆様の敬愛するあの方で好き放題した確信犯的自己主張盤 。その顛末はまた次回。

補記:「The Magnificent Steinway」はその後、発売元を変えながら何回かリリースされていて、Fimというレーベルから同名のタイトルで出ていますし、CD Babyから「Classical Knight」というタイトルでも曲の順番を変えて発売されています。

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。