あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(3) 1950年から1953年までの図形楽譜

(筆者:高橋智子)

 前回は1951年頃からニューヨーク・スクールのサークルに出入りするようになったモートン・フェルドマンの周りで起きた出来事が彼の創作に大きな影響を及ぼした様子を振り返った。今回はフェルドマンが1950年末から1953年の間に書いた図形楽譜の作品について、いくつかの側面から考察する。

1. 図形楽譜の始まり ワイルドライスを待ちながら Waiting for wild rice

 音楽史の書籍や教科書においてフェルドマンは図形楽譜を最も早くに始めた作曲家として紹介されることが多い。特にフェルドマンの「Projection 1」(1950)とアール・ブラウンの「December 1952」(1952)は第二次世界大戦後のアメリカ音楽に関する項目での掲載頻度が高い。

Earle Brown/ December 1952

 ブラウンの「December 1952」は音高、拍子、テンポ、編成といった要素が指定されていない。

 1950年12月の末、ケージがワイルドライス[1]を料理している間、フェルドマンは後に「Projections 1」として結実する図形楽譜のスケッチを書いた。その時の様子をフェルドマンは1983年に行われたインタヴューの中で次のように振り返る。

それがどのように起こったのかわからない。実際、ジョン・ケージと同じ建物に住んでいて、彼が私をディナーに招待してくれた。ディナーの準備はまだできていなかった。ジョンは誰も知る由がないような方法でワイルドライスを料理していた。お湯が沸騰するのをひたすら待って、新たに沸騰したお湯をワイルドライスに注ぎ、それからポットもう一杯分のお湯を追加し、ワイルドライスを湯切りするなどをしていて、ワイルドライスができるまでの長い時間を私たちは待っていた。ワイルドライスを待っている間、私はケージの机にちょっと腰掛けてノートの1ページを取り出し、そこになんの考えもなしに書き始めた。私が書いたのは気ままに書きなぐったグラフ用紙の1ページだった――そこに現れたのは高・中・低のカテゴリーだった。それはまったくの無意識だった――ゆえにもちろんのこと、これについて語ったこともなかった――議論したこともなかった。

I have no idea how it came about. Actually, I was living in the same building as John Cage and he invited me to dinner. And it wasn’t ready yet. John was making wild rice the way most people don’t know how it should be made. That is, just waiting for boiling water and then putting new boiling water into the rice and then having another pot boiling and then draining the rice, etc, etc, so we were waiting a long time for the wild rice to be ready. It was while waiting for the wild rice that I just sat down at his desk and picked up a piece of notepaper and started to doodle. And what I doodled was a freely drawn page of graph paper—and what emerged were high, middle, and low categories. It was just automatic—I never had any conversation about it heretofore you know—never discussed it.[2]

 1966年に行われたフェルドマンとケージの対談によれば、この時のスケッチは同じくその日のディナーに呼ばれていたデイヴィッド・チュードアがすぐにケージのピアノで演奏した。[3] 「Projection 1」は最終的にチェロ独奏の曲として完成するが、この時点ではまだ楽器が特定されていなかったと推測できる。それからフェルドマンはこのアイディアを基にした一連の図形楽譜楽曲の作曲に取り掛かり、1950年12月末に「Projection 1」が完成する。彼の図形楽譜のアイディアに興奮したケージは約1週間かけてフェルドマンのさらに2つのスケッチを清書した。そこでできたのが2台ピアノのための「Projection 3」[4]と、ヴァイオリンとピアノのための「Projection 4」の2曲だ。この2つのスコアを見れば「ジョン・ケージの筆跡と彼が当時使っていたペンだとわかるだろう。If you look at these scores of mine, you will recognize John Cage’s handwriting and the pen he used it at that time.」[5]。以上の経緯でフェルドマンは図形楽譜のアイディアを自分の作品へと仕上げていった。「実のところ、私にはいかなる類の理論もなく、それがどのように現れようとしているのかも考えつかなかったが、もしもあの時ワイルドライスを待っていなかったら、あのようなワイルドな(突飛な)アイディアを思いつかなかっただろう。Actually I didn’t have any kind of theory and I had no idea what was going to emerge, but if I wasn’t waiting for that wild rice, I wouldn’t have had those wild ideas.」[6]とフェルドマンが言うように、図形楽譜の誕生の現場にはいくつかの偶然性が働いていたが、ここでの最大の貢献者は、おそらく一般的なレシピを無視した謎の調理方法でワイルドライスにやたら時間を費やしたケージかもしれない。もしもこの夜のメニューがすぐにできあがる料理だったら、フェルドマンの図形楽譜は生まれていなかった可能性もある。このエピソードに倣い、私たちは手持ち無沙汰の時間を大事にしなければならない。

 現在までに確認されているフェルドマンの図形楽譜による楽曲は全部で17曲。作曲年代は1950年から1953年と、1958年から1967年の2つの時期に分けられる。1954年からの約4年間の空白は、フェルドマンが図形楽譜の在り方に疑問を抱き、図形楽譜にまつわる諸問題を再考していた時期とみなされる。図形楽譜の空白期間とその間の彼の葛藤は後で改めて検討することにして、今回は1953年までの図形楽譜の楽曲を対象とする。

[図形楽譜によるフェルドマンの楽曲]

Projection 1(1950):チェロ独奏 約2分50秒
Projection 2(1951年1月3日):フルート、トランペット、ヴァイオリン、チェロ、ピアノ 約4分40秒
Projection 3(1951年1月5日):2台ピアノ 約1分30秒
Projection 4(1951年1月16日):ヴァイオリン、ピアノ 約4分40秒
Projection 5(1951年):フルート3、トランペット、チェロ3、ピアノ2 約2分10秒
Intersection 1(1951年2月):打楽器なしの管弦楽 約12分30秒
Marginal Intersection (1951年7月):管弦楽、エレクトリック・ギター、オシレーター2、事前に録音されたノイズ 約5分50秒
Intersection 2(1951年8月):ピアノ独奏 約9分
Intersection 3(1953年4月):ピアノ独奏 約2分20秒
Intersection 4(1953年11月22日):チェロ独奏 約3分

  1954年から1957年の間、図形楽譜は一時中断される。

Ixion(1958年8月):室内アンサンブル 約20分20秒
Atlantis(1959年9月28日):室内アンサンブル(2種類の編成で演奏可能) 約8分
Ixion (1960年1月):2台ピアノ 約7分20秒
…Out of ‘Last Pieces’(1961年3月):管弦楽とエレクトリック・ギター 約8分50秒
The Straits of Magellan(1961年12月):フルート、ホルン、トランペット、ピアノ、エレクトリック・ギター、コントラバス 約4分50秒
The King of Denmark(1964年8月):打楽器独奏 約5分10秒
In Search of an Orchestration(1967年):管弦楽 約7分40秒

 半数以上の楽曲の演奏時間が3〜5分程度だが、「Intersection 1」「Intersection 2」「…Out of ‘Last Pieces’」といった10分前後を要する作品も見られ、全体的にばらつきがある。「Projection」 1-5と「Intersection」 1-5は独奏と小規模なアンサンブルを中心としている。この中で最も大きな編成の「Marginal Intersection」では高周波と低周波のオシレーター2つが用いられている。フェルドマンはこの2つのオシレーターを「聞こえないが「感じ」られる。These cannot be heard, but are “felt.”」と説明している[7]。タイトルにある「marginal へりの、辺境の」もふまえると、2つのオシレーターは可聴域の際(きわ)の、聴こえるか聴こえないかの周波数に合わせるのがふさわしいのではないかとClineは指摘する[8]。だが、この曲の唯一の録音「Feldman Edition Vol. 9 Composing by Number: The Barton Workshop plays graphic scores」[9]に収録されている演奏ではオシレーターがはっきりと聴こえる周波数と音量で演奏に用いられていることから、どちらがより正統な演奏方法なのかはすぐに結論を出せない。電気による増幅や伝統的な楽器以外の音源に対して積極的ではなかったフェルドマンは「…Out of ‘Last Pieces’」「The Straits of Magellan」「Marginal Intersection」でエレクトリック・ギターを用いるなど、音色や編成の点で五線譜による楽曲には見られない試みが図形楽譜の楽曲の中でなされている。

2. 中心のない、時間のキャンヴァス

 他の作曲家による意匠に工夫を凝らした図形楽譜に比べて、グラフ用紙のマス目を基本とするフェルドマンの図形楽譜はだいぶ単純で簡素に見える。最もよく知られた「Projection 1」の冒頭はこのサイト「The art of visualizing music」で見ることができる。フェルドマンの図形楽譜におけるグラフ用紙のマス目は大抵がメトローム記号によるテンポ表示と対応している。「Projection」シリーズの場合、このマス目はさらに内部で4分割されていると見なすことができ、1つのマス目を4拍子の1小節分、その内部が1拍として数えられる。グラフ用紙の垂直方向は高・中・低の音域を指示している。具体的な音高の選択は奏者に任せられているので、奏者は指定された音域内ならどの音高を鳴らしてもよい。内部の小さなマス目にはピチカートや開放弦などの演奏記号や、そこで鳴らされるべき音の数がアラビア数字で記されていることもある。このように具体的な音高は指定されず、音域と音が鳴らされるタイミングのみが記されているフェルドマンの図形楽譜の楽曲は、方法は決まっているが結果がその都度異なる不確定性の音楽に分類される。以下の演奏では「Projection 1」の中で鳴らされる音とスコアとが同期しており、これを見ればフェルドマンの図形楽譜のおおよその読み方と、その結果生じる音響の概要をつかむことができる。実際のスコアはモノクロだが、この映像では高音域が黄色系、中音域が赤系、低音域が青系の色に色分けされている。

Projection 1

 先の「Marginal Intersection」のオシレーターの例からもわかるように、彼の図形楽譜は簡素なだけに解釈や分析に対して開かれているともいえる。フェルドマンの図形楽譜について考える場合、史実と美学の両側面からの成り立ち、主に音域の分布と音の持続に注視した楽曲の構造、解釈と演奏実践の可能性といった複数の視点が必要だ。史実については上述のワイルドライスのエピソードと前回とりあげたザ・クラブやセダー・タヴァーンでの出来事が図形楽譜の成立を考察する際のヒントとなる。美学については、前回触れた抽象表現主義絵画、とりわけキャンヴァスを床に置いてそこに絵の具や塗料を直接垂らすジャクソン・ポロックの技法がフェルドマンの図形楽譜の作業手順に直接的な影響をもたらしたと考えられる。以下は1981年に書かれたフェルドマンのエッセイ「Crippled Symmetry」からの引用である。

当時を振り返ると、私の1951年の音楽的な理念が彼の創作方法と類似していたことを今になって実感している。ポロックはキャンヴァスを床に置き、その周りを歩きながら描いた。私はグラフ用紙を壁に貼った。グラフ用紙の1枚1枚が同じ長さの時間の持続の枠にはめられ、実際に視覚的なリズム構造でもあった。ポロックと似ていたのは時間のキャンヴァスに対する私の「全面的な」アプローチだった。通常の左から右へと走るページではなくて、グラフ用紙の横方向のマス目はテンポを表している。――マス目の中のそれぞれの四角形は予め設定された音の入り[10]と等しい。垂直方向の四角形はこの曲の編成を表している。

In thinking back to that time, I realize now how much the musical ideal I had in 1951 paralleled his mode of working. Pollock placed his canvas on the ground and painted as he walked around it. I put sheets of graph paper on the wall; each sheet framed the same time duration and was, in effect, a visual rhythmic structure. What resembled Pollock was my “allover” approach to the time-canvas. Rather than the usual left-to-right passage across the page, the horizontal squares of the graph paper represented the tempo—with each box equal to a preestablished ictus; and the vertical squares were the instrumentation of the composition.[11]

 ここでフェルドマンはポロックと自身の図形楽譜との類似性を明言している。「時間のキャンヴァス」の表現に注目すると、フェルドマンが五線譜ではない媒体に音楽を書き付けた理由の一端が推測できる。一般的に、五線譜は時間の経過を左から右へと可視化する媒体だ。これまで当たり前と思われてきた五線譜の中で左から右へと流れる時間と、それに沿って音の連続体を構成することとは違う方法で音楽を作る1つの策としてフェルドマンはグラフ用紙を壁に貼ってみたのだろうか。フェルドマンがグラフ用紙で行ったのは、キャンヴァスに見立てたグラフ用紙に音を投げつける作業だったのかもしれない。グラフ用紙1枚1枚は一定の長さの時間の枠組みが規定されていて、その中で様々な方向に視線を動かすことができる。グラフ用紙のマス目を行きつ戻りつしながら音を書き付けるフェルドマンの姿はキャンヴァスの周りを歩きながら絵の具を垂らすポロックと重なる。このように考えると、フェルドマンの初めての図形楽譜作品が「Projection 投影」と題されたのも納得できるだろう。

 これまで引用してきたフェルドマンの言葉をここでもう一度考えてみると、彼は図形楽譜の誕生が無作為で、直感的で、衝動的だったと言いたげな主張を繰り返していることがわかる。一見、直感的で衝動的なポロックの絵画技法はこの当時のフェルドマンの意図と一致しているともいえる。フェルドマンは自身の音楽的な時間へのアプローチを「全面的 allover」という言葉で説明していることも、ポロックの1940年代からの作品における中心の欠如の影響だと考えられるだろう。だが、ポロックのポーリングやドリッピングの技法が全くの直感でランダムに行われていたのではなく、実は腕を動かすスピードや高さが意識されていたことを実証する研究結果が絵画研究や物理学の領域においていくつか出ている[12]。同様にフェルドマンの「Projection」シリーズと「Intersection」シリーズには、「全面的なアプローチ」と中心点の欠如を達成するための作者による微調整の痕跡を見ることができる。

 これまでフェルドマンの図形楽譜にまつわる研究といえば抽象表現主義絵画との同時代性や類似性で語られることが多かったが、Clineの『The Graph Music of Morton Feldman』はスケッチと出版譜を徹底的に分析する実証的な手法で一連の図形楽譜作品を解き明かしている。彼の分析によれば、「Projection」シリーズ、「Intersection」シリーズ、「Marginal Intersection」のそれぞれにおける音域の分布と、アンサンブルや管弦楽編成の場合はパートごとの出現頻度にある程度の均衡が見られる[13]。たとえば、ヴァイオリンとピアノのための「Projection 4」の両パート合わせた音域の分布は高音域34%、中音域34%、低音域32%。わずかな差があるものの、3つはほぼ同じ割合と言える[14]。さらにヴァイオリンとピアノとにそれぞれ割り当てられた音の数の割合はヴァイオリン52%、ピアノ48%と、ここでもやはり均衡が見られる[15]。さらにミクロな視点から、Clineの分析は「Projection 4」の全8ページの見開き2ページごとの音域とパートの分布にも同様の均衡が見られることも明らかにしている[16]。この傾向は同時期の他の図形楽譜の作品にも観測される。だが、この分析はフェルドマンが実際に各パートの記号の数を数えていたことを裏付けるわけではない[17]。「むしろ彼は幅広く均整のとれたやり方で記号(訳注:数字や音符もここでの「記号 symbols」に含まれる)を配置しようとしていて、おそらくそれぞれの音域や楽器のパートに1つずつ順番に記号を書き足していった。 It is, instead, that he meant to distribute symbols in a broadly balanced fashion, possibly by adding one symbol to each register location or instrumental part in turn. 」[18] ことがこの分析から推測される。図形楽譜における音域とパートの均衡のとれた分布から、フェルドマンが志向した「全面的なアプローチ」は演奏として鳴り響く音よりも、作曲と記譜の過程において到達されていると考えられる。

Projection 4

Projection 4

 この曲の記譜法は「Projection 1」とほぼ同じ方法で書かれているが、マス目の中に演奏すべき音の数がアラビア数字で記されている。

 慣習的な五線譜の中での一方向の流れに沿っていたら、フェルドマンが言う全面的なアプローチはできない。瞬間的、衝動的に生じた音を拾い上げて書き付けるには、彼にとっては五線譜よりグラフ用紙の方がやりやすかったのだろう。ポロックの腕のコントロールやフェルドマンの音域の均等な分布のように、たとえその実践において作者が実用的な理由で何らかの方策を内に秘めていようと、第二次世界大戦後のアメリカの芸術思潮は即興的な直感と衝動を創作の源泉としていたともいえる。このような傾向についてBelgradは自発性と間主観性の観点から次のように分析している。

戦後の自発性の主流は実存主義的な哲学の欠点をうまく回避し、主観性にまつわるより急進的な場の理論に対する支持の表れとして、実存主義的な精神と肉体の二項対立の痕跡を拒絶する。間主観性の信条と矛盾することなく、自発性は自分の素材との即興的な対話に入り込む戦略を具現した。抽象表現主義の作品に特徴的な閉じられた感覚の欠如を説明しているのは、このような対話――ギヴ・アンド・テイクが決して完結することはなく、完全な理解にも到達しない――の感覚だった。

The mainstream of postwar spontaneity eluded the shortcomings of existentialist philosophy, rejecting its vestiges of a mind/body/dichotomy in favor of a more radical field theory of subjectivity. Consistent with the tenet of intersubjectivity, spontaneity embodied a strategy of entering into improvisational dialogue with one’s materials. It was this sense of dialogue –of give-and-take never completely ended, and full understanding never completely accomplished—that accounted for the characteristic lack of closure in abstract expressionist works.[19] 

 ここで言われている間主観性は人間と人間との関係に限定されるのではなく、人間とその人の創作の素材や方法との関係だと解釈した方がこの文脈に適合すると考えられる。自分の素材と対話し、その対話を完結させず開いておく態度はフェルドマンの創作の中で「音の解放」として現れている。彼は「Projection 2」の解説で「私のここでの欲望は“作曲すること”ではなくて、音を時間に投影し、ここには必要がなかった作曲のレトリックから音を解放することだ。my desire here was not to “compose,” but to project sounds into time, free from a compositional rhetoric that had no place here.」[20]と書いている。彼の一連の図形楽譜の楽曲は演奏の場で鳴り響く音の可能性が開かれている不確定性の音楽だ。楽曲や作品の体裁を取るからには楽譜に記されて固定されているが、フェルドマンが目指していたのは、音があたかも自発的にそこに現れ、あるいは天啓のように作曲家のもとに降臨し、それをすかさず彼がグラフ用紙に書き付ける一連の流れだと想像できる。彼の図形楽譜の作品では演奏ごとに実際に聴こえてくる音が変わるので、その曲は楽曲として固定されていながらも流動性を持ち、開かれた状態を維持することができる。だが、実際の演奏の現場では作曲家が描いたこのような理想的な状況はそう簡単に実現しなかった。

3. 図形楽譜の理想と現実

 フェルドマンの意図を十分に理解し、彼が書いた通りに演奏すれば図形楽譜は当時彼が目指していた音楽を実現するのに最適な方法になるはずだったが、スムーズにことが運んだわけではなかった。図形楽譜はむしろ作曲や演奏にまつわる議論を提起している。フェルドマンの図形楽譜の楽曲に限らず、不確定性の音楽についてしばしば問題になるのが即興との違いだ。フェルドマンは図形楽譜による自分の楽曲が即興ではないことを明言している。

図形楽譜の音楽を何年か書いてみて、最も重要な欠点に気づき始めた。私は音を自由にさせているだけではなかった――演奏者にも自由を与えていたのだった。図形楽譜を即興の芸術と考えたことは一度もなく、むしろ完全に抽象的な音の冒険と思っていた。もしも演奏者がうまく演奏できなかったら、それは彼らの存在を感じさせるパッセージと連続性に私がまだ関与しているせいではないとその時理解したので、このことに気づけたのは重要だった。

After several years of writing graph music I began to discover its most important flaw. I was not only allowing the sounds to be free – I was also liberating the performer. I had never thought of the graph as an art of improvisation, but more as a totally abstract sonic adventure. This realization was important because I now understood that if the performers sounded bad it was less because I was still involved with passages and continuity that allowed their presence to be felt. [21]

 フェルドマンは作曲家と演奏者それぞれの記憶の中で固定されたパターンや連続性、演奏者の手癖を完全に排した抽象的な音楽を目指していたが、音高の選択を演奏者の任意にするだけでは彼が描いた抽象性に到達できなかった。上記の引用の中でフェルドマンは演奏の成否にも言及しているが、いったい何を基準にそれが決まるのだろうか。もしかしてフェルドマンが求めていた具体的な音の響きがあったのだろうか。理想とする音を常に鳴らしたいならば、音高を指定することによって問題はすぐに解決するはずだ。だが、それでは図形楽譜における不確定性の意味がなくなってしまう。着想と創作の段階ではさほど矛盾なく理解して共感できるフェルドマンの図形楽譜は、演奏の段階になると概念と実践両方においての課題が生じる。フェルドマンの図形楽譜のピアノ曲の初演を手がけたチュードアは当時どのようにして演奏したのだろうか。

 チュードアに献呈されたピアノ独奏のための「Intersection 3」はマス目1つあたりのテンポが176に指定されている。高・中・低それぞれの音域のマス目に書かれた数字は一度に演奏する音の数を示している。3/3、6/2といった分数の箇所では1つの音域内で2つの音の塊を作る必要がある。冒頭の中音域の3/3は中音域で3音、もう1つ別の3音の、合計6音を演奏する。曲が終盤にさしかかった369番目のマス目では高音域で10/10、中音域11/9と書かれており、速いテンポの中で一度に40の音を鳴らさないといけないことを意味する。実際の演奏では、この曲は速いテンポでのトーン・クラスターが次々展開されるわけだが、図形楽譜だけを見て、そこに記された数の音を即座に打鍵するのは超絶技巧のピアニストでも不可能だろう。チュードアはこの曲の演奏に先立って五線譜に書き換えた自分用の楽譜を作成していた[22]。チュードアがしたようにあらかじめ五線譜に書き換えておけば、時間をかけて何度も練習してすばやく精確にクラスターを打鍵することができる。これは実用的でとてもよいアイディアだが、作曲家や演奏者の記憶に束縛されない完全に抽象的な音の冒険というフェルドマンの理念との矛盾が出てきてしまう。しかし、演奏家にとっては五線譜に書き換えた楽譜があれば演奏の際の困難さが解消されるのはたしかだ。精確に演奏しようとすればするほど、五線譜に書き換えた楽譜が必須になってくる。もしも五線譜なしにこの超絶技巧の楽曲を演奏しようとするならば、速いテンポの中で指定された数の音を精確に打鍵するのは途端に困難になる。実のところ、聴き手には何が正しくて何が間違っているのか判断できないが、図形楽譜だけの演奏だとこの曲の記譜上の精確さが失われてしまうし、フェルドマンが回避しようとした即興演奏に近づいてしまうかもしれない。「Intersection 3」は作曲家が理想とする、この曲のあり方――作曲家や演奏者の記憶に束縛されない完全に抽象的な音の冒険――を追求すると、ここで要求される超絶技巧ゆえ楽譜通りの正しさから遠のいてしまうという皮肉な結果になる。

Intersection 3

 ピエール・ブーレーズは1951年12月にケージに宛てた手紙の中で、フェルドマンの図形楽譜を「退化 a regression」として批判している[23]。 特にブーレーズが批判したのはフェルドマンの図形楽譜におけるリズムの単純さだ。ブーレーズが指摘するように、指定されたテンポに即してグラフ用紙のマス目に書かれたタイミングで音を鳴らすだけでは複雑なリズムを創出することができない。フェルドマンの図形楽譜に対するブーレーズの率直な感想は「現在、私たちは音楽家であって画家ではありません。絵画は演奏されるために描かれているわけではないのです。Now, we are musicians and not painters, and pictures are not made to be performed.」[24]という一文に集約されている。

 おそらくフェルドマンも上記の矛盾や困難さを十分に自覚していたはずだ。彼はこれらをどのように解決しようとしたのだろうか。次回は同時期に書かれた五線譜の楽曲に焦点を当てて、図形楽譜作品との共通点や違いについて考えたい。


[1] イネ科マコモ属の一年草。可食部である黒い種子が米に似ているためワイルドライスと呼ばれている。
[2] Morton Feldman Says: Selected Interviews and Lectures 1964-1987, Edited by Chris Villars, London: Hyphen Press, 2006, p. 153
[3] John Cage and Morton Feldman, Radio Happenings: Conversations, Köln: Musik Texte, 1993, p. 17
[4] Morton Feldman Says, p. 153 フェルドマンは2台ピアノのための「Intersections」を挙げているが、作曲時期と編成から判断するとこの時ケージが清書したのは「Projection 3」の可能性が高い。
[5] Ibid., p. 153
[6] Ibid., p. 153
[7] Morton Feldman, Give My Regards to Eighth Street: Collected Writings of Morton Feldman, Edited by B. H. Friedman, Cambridge: Exact Change, 2000, p. 10
[8] David Cline, The Graph Music of Morton Feldman, Cambridge: Cambridge University Press, 2016, p. 30
[9] mode 146, 2005
[10] 自身の図形楽譜に関してフェルドマンはictus(強音、アクセント)という言葉を好んで用いた。彼は音の入りやアタックを意図していたと考えられる。
[11] Feldman 2000, op. cit., p. 147
[12] ポロックの絵画技法と力学との関係についてはブラウン大学のこの記事が参考になる。Scientists reveal the physics of Jackson Pollock, https://phys.org/news/2019-10-scientists-reveal-physics-jackson-pollock.html October 30, 2019.
[13] Cline 2016, op. cit., Chapter 5, “Holism,” pp. 140-162
[14] Ibid., p. 141
[15] Ibid., p. 141
[16] Ibid., p. 156
[17] Ibid., p. 142
[18] Ibid., p. 143
[19] Daniel Belgrad, The Culture of Spontaneity: Improvisation and the Arts in Postwar America, Chicago: The University of Chicago Press, 1998, p. 10
[20] Feldman 2000, op. cit., p. 6
[21] Ibid., p. 6
[22] チュードア研究家のJohn Holzaepfelがチュードアによる五線譜の詳細を論じている。John Holzaepfel, “Painting by Numbers: The Intersections of Morton Feldman and David Tudor,” in The New York Schools of Music and Visual Arts: John Cage, Morton Feldman, Edgard Varèse, Willem de Kooning, Jasper Johns, Robert Rauschenberg, edited by Steven Johnson, New York: Routledge, 2002, pp. 159-172
[23] The Boulez-Cage Correspondence, English version, Edited by Jean-Jacques Nattiez, translated and edited by Robert Samuels, Cambridge: The Press Syndicate of the University of Cambridge, 1993, p. 115
[24] Ibid., p. 116

高橋智子
1978年仙台市生まれ。Joy DivisionとNew Orderが好きな無職。

(次回更新は7月15日の予定です)