(筆者:高橋智子)
前回はフェルドマンの図形楽譜による楽曲と同時期に作曲された五線譜による楽曲のいくつかをとりあげた。まばらなテクスチュア、特定の音程の繰り返し、2オクターヴ以上に及ぶ極端な跳躍などを主な特徴としてあげてみたが、彼のこの時期の五線譜の楽曲は謎めいていて、なんとも言い難い。今回は1950年代半ばから後半にかけての作品と、彼の周りに起こった出来事をたどる。
1. ニューヨーク・スクールの離散
1950年にフェルドマンがケージと同じロウアー・イーストサイドのボザ・マンションに移り住んだことをきっかけに発展した、音楽におけるニューク・スクールのコミュニティは1954年に実にあっさりと終焉を迎える。この年、ボザ・マンションの建物が取り壊されることとなり、フェルドマン、ケージ、カニングハムら、ここの住人たちは引越しを余儀なくされた。フェルドマンとブラウンは引き続きマンハッタンにとどまる一方、ケージはチュードアらとともにマンハッタンから1時間15分ほど離れたロックランド郡ストーニー・ポイントに移り住んだ。ケージらの新たな住まいであるストーニー・ポイントの家はブラック・マウンテン・カレッジ[1]時代からのケージの友人で児童文学作家のヴェラ・ウィリアムズと建築家のポール・ウィリアムズ夫妻が作った芸術家コミューン、ザ・ランド The Landと呼ばれていた[2]。1970年にマンハッタンに戻るまでケージたちはここに住み続けた。フェルドマンはストーニー・ポイントの家にケージを訪ねたことがあるが、視力の悪い彼にとってケージの家に続く急斜面はとても危なかった。このような理由から、フェルドマンがここを訪れたのはたった一度だけだった。[3]このグループの中で一番若い、当時まだ10代だったウォルフはハーヴァード大学で古典文学を学ぶため、やはり彼もマンハッタンを去らなければならなかった。ハーヴァードに進学したウォルフがニューヨークを訪れることができたのは長期休暇に限られていたことから、彼と他のニューヨーク・スクールのメンバーとの直接的な交流も当然ながら以前ほど頻繁にできなくなった。作曲に数学的な思考と方法を用いることに否定的だったフェルドマンと、数学を修めた後にシリンガー・システム[4]による作曲を学んだブラウンとの間に音楽をめぐる諍いがあったものの、ニューヨーク・スクールの離散はバンドの解散理由でよく用いられる「音楽性の違い」ではなく、上記のようなそれぞれの生活や進路の事情で互いに密接に付き合っていた時期の終わりを迎えたのだった。
後にフェルドマンとブラウンは和解し、1966年にユニヴァーサル・エディションが発行したブラウンの作品カタログにフェルドマンは「アール・ブラウンEarle Brown」と題した文章を寄せている。その中でフェルドマンは自身とブラウンとの音楽家、作曲家としての違いをこのように記している。「私自身とケージによる前衛コミュニティに対する影響は主として哲学的だが、ブラウンによる影響はさらに具体的で実践的だ。 While the influence of Cage and myself on the avant-garde community has been largely philosophical, Brown’s has been more tangible and practical.」[5]1950年代、ブラウンはフェルドマンと同じく新たな記譜法を模索していた。「時間記譜法 time-notation」はブラウンが考案した記譜法とその概念の1つである。時間記譜法では音高、音域、ダイナミクスや演奏法が指定されている。音価に関してはたいていの場合、楽譜上の空間的な長さと配置から読み取って演奏する。このようにして、ブラウンは事前に規定された枠組みの中での柔軟性や曖昧さを実現しようとした。音域と演奏される音の数とタイミングをマス目に記して演奏者を困惑させたフェルドマンの初期の図形楽譜よりも、ブラウンの時間記譜法は、先のフェルドマンの文章の引用にあるように具体的で実践的だといえる。「Music for Cello and Piano」(1955)はブラウンの時間記譜法による最初期の楽曲の1つで、拍子記号は書かれていないが、音価は五線譜に引かれた線の長さから読み取ることができる。チェロとピアノのパートがどのように重なるのかは通常の五線譜と同様に視覚的に把握できる。ブラウンは1967年にアテネで行われた現代音楽祭でフェルドマンの「De Kooning」(1963)を指揮していることからも、ニューヨーク・スクール時代の不和とグループの離散を経てもこの2人の付き合いが続いていたようだ。
The Earle Brown Music Foundation
http://www.earle-brown.org/works/view/19
2. やはりなんとも言い難い1950年代中期の楽曲 Three Pieces for Piano(1954)
ボザ・マンションが取り壊された1954年はフェルドマンの音楽にも変化が見られた年だ。1954年から1957年までの4年間、フェルドマンは即興と混同されがちな図形楽譜での試行錯誤を一旦休止して五線譜による楽曲に専念した。前回とりあげた五線譜によるなんとも言い難いいくつかの楽曲から、半音階的な音高操作、特定の音程(2度と7度、完全5度と4度、完全8度[オクターヴ])の頻出と反復、極端に広い幅での跳躍、散発的なテクスチュアといった1950年代前半の彼の音楽のいくつかの傾向を見出すことができた。基本的に1954年代以降の五線譜による楽曲もこれらの特性を引き継いでいるが、さらなる新たな視点が彼の音楽の理解に必要となってくる。それは音楽的な時間である。あるいはもっと正確にいうならば、その楽曲が内包する時間の特性と、それを演奏者や聴き手として経験する際の特殊な感覚ともいえるだろう。
フェルドマンの音楽が内包する時間と、この音楽をとおして私たちが経験する時間は従来の音楽的な時間や日常生活の時間とどのような点で異なっているのだろうか。フェルドマンの音楽における時間の特性を探る前に、まずは音楽的な時間についてしばしば用いられる基本的な考え方を参照する。なぜなら、フェルドマンの音楽の時間が今までの音楽における音楽的な時間とどう違い、どの点が特殊で風変わりかを知るには彼の音楽以前の「従来の」または「慣習的な」音楽的な時間の考え方について知る必要があるからだ。やや大局的な話ではあるが、20世紀以降の音楽における時間の特性の解明を試みたKramerは近代西洋社会に根ざす進歩的で合目的な価値観に支えられた線的な時間について次のように述べている。
西洋的な思想は何世紀にも渡って著しく線的だ。原因と結果、進歩、目的志向といた概念が少なくともルネサンス期の人文主義の時代から第一世界大戦までの人間生活のあらゆる側面に浸透してきた。技術、神学、哲学は人間生活を向上させるために追求されてきた。資本主義は少なくとも選ばれし者にとって物質的な向上の枠組みをもたらすために追求されてきた。科学はニュートンとダーウィンによる時間の経過に沿った線的な理論に支配されている。私たちの言語でさえゴールと目的に言及する言葉が幅をきかせている。
Western thought has for several centuries been distinctly linear. Ideas of cause and effect, progress, and goal orientation have pervaded every aspect of human life in the West at least from the Age of Humanism to the First World War. Technologies, theologies, and philosophies have sought to improve human life; capitalism has sought to provide a frame- work for material betterment, at least for the few; science has been dominated by the temporally linear theories of Newton and Darwin; even our languages are pervaded by words that refer to goals and purposes. [6]
ここで述べられている線的な要素や価値観を音楽に見出そうとするならば、それは西洋芸術音楽の礎ともいえる調性であり、「調性の黄金時代は西洋文化の線的思考の高まりと同期している。Tonality’s golden age coincides with the height of linear thinking in Western culture.」[7]厳密にいうと、調性によってもたらされる動きの感覚はメタファーにすぎず、音楽において実際に動くものとは楽器から発せられる振動と私たちの鼓膜に届く空気の分子である[8]。だが、西洋芸術音楽にある程度親しんでいれば、調性音楽の聴き方を知らず知らずに身につけており、音楽によってもたらされる感覚を前進する動きのメタファーとして認識している。
調性音楽の聴き方を身につけている人々は恒常的な動きを知覚する。それは旋律の中での音の動き、カデンツに向かう和声の動き、リズムと拍子の動き、音量と音色の進行だ。調性音楽は恒常的な緊張状態の変化を扱うので決して静止しない。
People who have learn how to listen to tonal music sense constant motion: motion of tones in a melody, motion of harmonies toward cadences, rhythmic and meter motion, and dynamic and timbral progression. Tonal music is never static because it deals with constant changes of tension.[9]
旋律の動き、様々なリズム、音色や音量の変化も全てが時間の経過とともに起きる。実際には振動数の差異に過ぎない現象であっても、私たちはこれらの旋律やリズムによる出来事が音楽の中に起きて変化しながら進み、最終的にどこかに落ち着くまでの一連のプロセスを期待している(調性音楽の場合、落ち着きや終わりの感覚はカデンツが担っている)。例えばソナタ形式における展開部や遠隔調への転調など、形式的に予定調和を裏切る出来事が曲の途中に予め仕込まれていることが多いが、それでもほぼ期待を裏切ることなく進み、最終的に落ち着くところに落ち着いて聴き手を安心させてくれる。調性音楽の線的な時間はこのような性格の音楽的な時間と運動の感覚を意味する。だが、無調の音楽とともに線的な時間の感覚が希薄になっていき、どこに行くのかわからない旋律、解決しない和音、規則性を見出すのが難しいリズムによる音楽が20世紀前半頃から現れてくる。これに伴って、線のメタファーで音楽的な時間を語ることが困難になり、円環や点や面のメタファーが音楽的な時間について考える際に用いられるようになる。
調性音楽の「線的な時間」に対して、Kramerは20世紀の無調以降の音楽における時間の性質をいくつかに分類している。カデンツによる明確な終止感を持たない音楽は「無方向の線的性質 nondirected linearity」[10]による音楽的な時間だ。「複合的な時間 multiple time」[11]は、1つの曲の中にいくつかのプロセスが存在し、それらは目的地を目指すが、その目的地は曲の様々な場所にあるため単一ではない複合的な時間を感じることができる時間を指す。カールハインツ・シュトックハウゼンのモメント形式 Moment formに倣い、独立した断片が起承転結とは違った感覚で始まって止む、あるいは単に起きて休止する時間をKramerは「モメント時間 moment time」[12]とした。進行感覚、志向性、運動それ自体と、いくつかの運動がもたらす対照性の感覚が欠けていて、時間の継続的な推移を遮断する音楽の時間は「垂直的な時間 vertical time」[13]と呼ぶことができる。この垂直的な時間はフェルドマンの音楽にも大いに関係のある概念で、今回とりあげる楽曲のいくつかにも当てはまる。音楽と時間に関する議論では、前進する感覚があまりにも希薄で、茫洋と広がるドローンのような音楽には無時間性という言葉もしばしば使われる。密度の極めて低いテクスチュアや無音の部分が多くを占め、とりたてて何も起こらないのに時間だけは長い音楽や、静謐さを主とする音楽には退屈[14]の概念さえも用いられる。音楽的な時間についての議論は恣意的、主観的、経験的な視点がどうしても入り込んでしまう領域であるが、フェルドマンの音楽のように、何かがおかしいけれどそれが何に起因するのかわからない時や楽譜から読み取れる情報に限界がある場合に参照すると有用な視点であり、音楽を現象として捉える際の一助にもなる考え方だ。
フェルドマンの音楽に話を戻そう。前回と同じく、ここでとりあげる曲もやはりなんとも言い難い。前回はフェルドマン自身の言説にも度々出てくる「音そのもの」に着目して半音階的な音の操作を探った。ここではまずフェルドマンが散発的なテクスチュアの作風をさらに追求する発端となった「Three Pieces for Piano」(1954)を見ていく。
「Three Pieces for Piano」の第1曲には1954年3月12日、第2曲には1954年2月、第3曲には1954年10月[15]の日付が記されている。作曲から5年後の1959年3月2日にチュードアのピアノでニューヨーク市のサークル・イン・ザ・スクエア・シアターにて初演された。楽譜はペータース社から1962年に出版された。全3曲とも、この時期のフェルドマンの楽曲に特徴的な演奏指示「ゆっくりと――ほんの少しのペダルかペダルを使わずとても控えめに Slow—very soft with little or no pedal」に即して演奏される。拍子記号は記されていないが、3曲とも1小節あたり16分音符3つ分の音価で揃えられているので3/16拍子と見なすことができる。しかし、後述するように、ここでの3/16拍子の拍子記号と、楽譜に規則正しく引かれた小節線は見方を変えると本来の機能を果たしているとはいえない。
第1曲は単音を中心としていて、曲中で最も音数の多い19小節目は左手3音、右手3音の計6音からなる和音だが、16分音符1つ分の音価で控えめに打鍵されるため、その密度の高さをそれほど実感できない。右手の最高音が単音で同じ音を反復する箇所が見られるものの(25小節目のG#6と27小節目のG#7、26小節目と28小節目のB4)、それぞれの音は非常に断片的で、フレーズどころか流れや継続性を見出すことが難しい。49-50小節目と53-54小節目に右手がオクターヴでA4とA5を、左手がG3とC4を4音同時に鳴らして曲が終わる。前回、このような曲を表す場合には出来事という言葉が便利だと述べたが、この曲の場合も各々の断片がそれ自体で自己完結した出来事のようにも見える。
この曲を最もよくわからなくしているのが随所に挿入される全休符の小節、つまり演奏される音が記されていない小節である。この全休符の小節によって、音楽が時間の流れとともに動き、変化を遂げながら発展し、途中で盛り上がりを見せて最後はどこかに落ち着いて終わるという感覚が粉砕されている。この曲は楽譜からは3/16拍子と読み取ることができるが、規則的なリズムの変化はなく、楽譜を見ないで聴いているといつ音が鳴るのか、鳴らないのか、全く予想がつかないので盛り上がるどころか聴き手はむしろ緊張感と不安に襲われる。この曲が内包する音楽的な時間はKramerのいう直線的な時間とは対照的な性質だろう。いつ打鍵されるのかわからない音はそれ自体で完結している刹那的なモメント時間の性質を帯びていると同時に、時間の継続的な推移の感覚を遮断する点で垂直的な時間でもあるといえる。下記に第1曲から3曲までの全休符の挿入を図にまとめた。色のある部分は何かしら音符(装飾音と、音を出さずに打鍵して共鳴させる音も含む)が記されている小節、白い部分は全休符の小節である。出版譜のレイアウトに倣い1段あたりの小節数を6小節とした。
Three Pieces for Piano 音のある小節と全休符の小節
Three Pieces for Piano Ⅰ
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 |
7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 |
13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 |
19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 |
25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
31 | 32 | 33 | 34 | 35 | 36 |
37 | 38 | 39 | 40 | 41 | 42 |
43 | 44 | 45 | 46 | 47 | 48 |
49 | 50 | 51 | 52 | 53 | 54 |
Three Pieces for Piano Ⅱ
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 |
7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 |
13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 |
19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 |
25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
31 | 32 | 33 | 34 | 35 | 36 |
37 | 38 | 39 | 40 | 41 | 42 |
43 | 44 | 45 | 46 | 47 | 48 |
Three Pieces for Piano Ⅲ
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 |
7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 |
13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 |
19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 |
25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
31 | 32 | 33 | 34 | 35 | 36 |
37 | 38 | 39 | 40 | 41 | 42 |
43 |
第1曲、第2曲に比べて第3曲は息の長いフレーズが展開されるように見えるが、第3曲も他の2曲同様に断片的な部分が次々と現れるため、実際に聴いていると継続や運動の感覚は希薄である。テンポが遅いので聴き手も演奏者と同じく3/16拍子での32分音符や64音符を正確にカウントできないわけではないものの、自然に音楽の流れに身を任せることのできる3拍子の感覚をこの曲の中でつかむのは簡単ではない。先にも述べたように、この曲では拍子の感覚や小節線がほとんど無効化されているともいえる。規則正しく割り付けられた小節の中に書かれた音符は、全休符に阻まれながらも拍節の感覚を飛び越えようと五線譜の中で試行錯誤しているようだ。
3. 交わらない4つの時間 Piece for 4 Pianos (1957)
休符に遮られる「Three Pieces for Piano」とは異なり、「Piece for 4 Pianos」は曲の最初から最後まで音が響きわたる。1957年に作曲されたこの曲は同年4月30日にニューヨーク市のカール・フィッシャー・コンサートホールで初演された。この時の4人のピアニストはケージ、ウィリアム・マッセロス、グレーテ・スルタン、チュードア。1962年にペータース社から出版された楽譜には以下のような演奏指示が書いてある。
最初の音は全てのピアノが同時に鳴らす。それぞれの音の持続は演奏者の選択に任せられている。全ての拍はゆっくりだが、必ずしも等しくはない。ダイナミクスは最小限のアタックとともに控えめに。装飾音を速く演奏しすぎてはならない。音と音の間に記された数[16]は休符と同じ意味を持つ。
The first sound with all pianos simultaneously. Durations for each sound are chosen by the performer. All beats are slow and not necessarily equal. Dynamics are low with a minimum of attack. Grace notes should not be played too quickly. Numbers between sounds are equal to silent beats.[17]
フェルドマン自身が清書したと思われる「Piece for 4 Pianos」の出版譜は大譜表5段からなる。上記のとおりテンポは「ゆっくり」以外は明示されていない。拍子記号、小節線も記されていない。ピアノ1、ピアノ2といったパート配分はなく、4人の演奏者全員が同じ楽譜を見て演奏する。装飾音が付された音符と符桁(ふこう:音符と音符をつなぐ桁の部分)でつなげられた音符以外は符尾が記されておらず、音価の不確定な楽譜である。符桁でつなげられた数音のまとまりも1つの音あるいは和音と見なして曲中に現れる音の出来事を数えると全部で62となる。途中で何度か挿入されるフェルマータが曲のいくつかの部分に区切る役割を持っている。このフェルマータは音符だけでなく、何も書かれていない箇所(通常の五線譜では全休符の小節に値する)にも記されており、フェルマータ fermataの本来の意味である「停止」や「休止」に近い用いられ方である(現在、楽典の教科書等ではフェルマータは「その音を十分に長くのばす」と記されていることが多い)。フェルマータをもとにしてこの曲を区切ると5つの部分に分割することができるが、4人の奏者がそれぞれのペースで演奏を進めるため、全休符に値する箇所でのフェルマータであっても完全な無音の状態にはならない。
曲の中で用いられている音の音高に注目してみると、音の垂直の重なり、つまり和音を形成する音の音程は2度と7度、完全4度と完全5度、増減4度と5度、完全8度(オクターヴ)が頻出する。これらは和音の外声部(その和音を縁取る最高音と最低音)として、あるいは14-18までのDのようにユニゾンで配置されていて、この曲の中でも比較的聴き取りやすい特徴的な音程でもある。ただし、曲が進むにつれて前後の音が混ざり合うため、楽譜を見ながら聴いていてもどの部分が演奏されているのかを特定するのはあまり簡単ではない。
Piece for 4 Pianos 音の一覧
表の1段目は各音(断片、出来事と呼んでもあるいはよいだろう)の通し番号。2段目は右手、3段目は左手に記された音高。ピアノの鍵盤の真ん中にあたるCをC4とし、音名とともに記された数字は音域を表す。
セクション1
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 |
G4, A5 | E4, B4 | G4, A5 | E4, B4 | G4, A5 | E4, B4 | G4, A♭5 | G4, A♭5 | G4, A♭5 | G4, A♭5 |
B♭2 | B2, F#3, G3 | B♭2 | B2, F#3, G3 | B♭2 | B2, F#3, G3 | C4 | C4 | C4 | C4 |
11 | 12 | 13 fermata | |||||||
C5, C6 | D5, E♭6 | ||||||||
B0 | D#3, E3 | F#2 |
セクション2
14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 | 21 | 22 fermata | 23 |
D5, D6 | D5, D6 | D5, D6 | D5, D6 | D5, D6 | A5 | B♭3 | B♭3 | C6 | |
D4 | D4 | D4 | D4 | D4 | C3 | F#2 | |||
fermata ×3 |
セクション3
24 | 25 | 26 fermata | 27 | 28 | fermata ×4 |
E6, C7 | F4, A♭4, E5 | C6 | C5 | ||
D#3, A#3 | A3 | F#1 | E♭2 |
セクション4
29 | 30 | 31 | 32 | 33 | 34 | 35 | 36 |
D#5, D#6 | F4, G7 | A5 | A5 | A5 | E♭4, F#5, C#7 | G#3, E♭6, G5, B3 | E4, G5 |
E1, B1 | A3 | A3 | A3 | F1, F4, E♭1 | B♭1 | F3 | |
37 | 38 | 39 | 40 | 41 | 42 | 43 | 44 |
C#6 | E5, E♭6 | A#4, C#6 | E♭5, G5, B5, E7 | F4, D#5 | G#5 | B♭6, G#4 | |
G#4, A4 | G#3, A3 | G#2, B3 | F#3, C#4, D4 | A#2, C#3, E3 | G#3 | E♭2 | A3 |
セクション5
45 | 46 | 47 | 48 | 49 | 50 | 51 | 52 |
C5, B3 | E♭5 | C5, B3 | E♭5 | C5, B3 | E♭5 | C5, B3 | E♭5 |
D♭2, | D♭2, | D♭2, | D♭2, | ||||
53 | 54 | fermata ×3 | 55 | fermata ×2 | |||
C5, B3 | E♭5 | A5 | |||||
D♭2, | |||||||
56 | 57 | 58 | 59 | fermata | fermata | 60 | 61 fermata |
A3 | A4 | B3, C4, D4 | F7 | E5, E6 | E4, G4, B♭4, F#5 | ||
E♭3 | D♭3 | G♭2, F3 | B3 | F#2, B♭2, D♭3, A3 | A♭2, C#3, E♭3, G3 | ||
62 fermata | |||||||
E2 |
前回とりあげた「Piece for Piano 1952」同様、この曲も個々の音の響きの特性を活かす曲である。余計な手を加えずにその音が持つ響きの特性を最大限に発揮させようとする手法はフェルドマンの「音そのもの」を追求する態度を反映している。特に音価の定まっていない自由な持続の楽曲の場合、フェルドマンは個々の音を旋律のようなまとまりを形成する際の部分として見なさず、音の響き自体が楽曲を生成する方法を試みている。フェルドマンはこの考え方と手法を実際に自分の教え子にも説いていたようだ。作曲家のトム・ジョンソンは60年代後半に作曲のレッスンのためフェルドマンのもとに通っていた当時の出来事について書いている。ある時、フェルドマンは彼に「トム、提案がある。しばらく曲を書くな。和声をじっと聴き、それについてただ考えるのだ。そして、和音をいくつか集めて持ってくるのだ。”Tom, I have a suggestion. Don’t write any music for a while. Just listen to harmonies and think about them, and bring me a little collection of chords.”」[18]この課題を出されてからジョンソンは毎日のように試行錯誤を重ねるが、彼が見つけた和音はフェルドマンやストラヴィンスキーや他の作曲家の音楽のように聴こえるものばかりだった。[19]それから2、3週間後にジョンソンは7つの和音を書いてフェルドマンのもとに持って行った。この時書いた7つの和音をもとに、1969年にジョンソンはピアノ曲「Spaces」を作曲している。
それらの和音は全部似たような響きだったが、私は全部気に入っていたし、これを上回る解決策はもう見つからなかった。いささか慄きながらも和音をフェルドマンに見せた。彼はこれらの和音を様々な組み合わせで10回以上弾き、しっかりと聴いていた。それは彼のいつものやり方で、私にも求められているやり方でもあった。最後に彼は視線を上げてこう言った。「悪くないね。これは本当にあなたの音楽だ。あなたはこの小さな練習から多くを学んだのです。」フェルドマンは決して生徒を落胆させなかったが、ほめることもめったになかったので、ここでの彼の肯定的な反応は私にとってはとても意義深かった。
They all sounded similar, but I liked them all, and I couldn’t find any better solution. With some trepidation, I showed my chords to Feldman, who played them over about 10 times in different combinations, really listening, the way he always did, and the way he wanted me to. Finally he looked up and said, “You know, that’s not bad. This is really your music. I think you learned a lot from this little exercise.” Feldman was never discouraging, but he did not pass along compliments very often either, and his positive reaction here was very meaningful to me.[20]
ジョンソンとのレッスンの中でフェルドマンが様々な配置で和音を10回以上弾きながら吟味する光景は、おそらく「Piece for 4 Pianos」のような音の響きに根ざした曲を作曲する際にも見られたはずだ。フェルドマンの楽曲全体にいえることだが、実際に楽譜を詳細に分析していくと特定の音や音程の強調や、音域やパート間の均衡を取るといった操作が行われていることはこれまでこの連載でも何度か指摘してきた。しかし、上記のエピソードから、フェルドマンの作曲にはやはり直感と身体的な感覚も多くを占めているのだと考えられる。作曲の際にピアノを用いていたフェルドマンにとって、ピアノから発せられる音を聴く聴覚と同じくらい、打鍵する時のタッチも音楽の命運を握るほど大事な要素だったのだろう。楽譜上で音価を明確に規定しないでおけば音のアタックと減衰を成り行きに任せることもできる。「Piece for 4 Pianos」はひとたび放たれた音の成り行きを無理に制御しない、邪魔しない音楽だともいえる。しかも4人の奏者がそれぞれのペースで演奏するため、そこには4つの交わらない時間が並存している。この独特の時間を創出するには、どのように演奏すればよいのだろうか。フェルドマンは次のように答えている。
聴かなければうまくいく。多くの人が耳を傾けがちで、そうすればより効果的な時間に入っていけると思っているのだと私は気付いた。だが、この曲の精神は単に効果的な何かを創出することではない。その音を聴き、それを自分自身の参照点の中でできるだけ自然に、美しく演奏するだけでよい。もしも他の演奏者の音を聴いているならば、この曲のリズムも凡庸になってしまう。
It works better if you don’t listen. I noticed that a lot of people would listen and feel that they could come in at a more effective time. But the spirit of the piece is not to make it just something effective. You’re just to listen to the sounds and play it as naturally and as beautifully as you can within your own references. If you’re listening to the other performers then the piece tends also to become rhythmically conventional.[21]
もしもお互いを聴きながら演奏すると通常のアンサンブルの楽曲のようになんらかの周期性を持った慣習的なリズムが生まれてしまう。それを避けるために、フェルドマンは4人の演奏者に各自のペースで演奏させた。
フェルドマンがピアニストとして参加している録音(上記のYouTube音源参照)での演奏時間が7分25秒であることから、テンポも音価も具体的に指定されていないこの曲のおおよその演奏方法が推測できる。出だしの和音は4人全員が揃って弾き、それ以降はそれぞれのペースで次の音に移るため、楽譜にその音が1度しか記されていなくても時間差でその音が4回鳴らされる。例えば、14-18の音の部分ではD4(装飾音)、D5(装飾音)、D6からなるユニゾンとしてDが5回書かれているので、これを4人の奏者がそれぞれ演奏すると全部で20回Dの音が聴こえてくることになる。録音では56秒前後からこの部分が始まる。時間がある人はDがどのように鳴らされているのかDを20回数えながら聴いてみてほしい。さらに余裕があれば、途中から前後の音がどのように混ざっているのかにも注意して聴いてみてほしい。56秒前後からの約40秒間はこの曲の中でも最も不思議な時間を感じられる部分のはずだ。ここでは同じ音が矢継ぎ早に不規則な間隔で鳴らされるため、時間が戻っているのか進んでいるのか、あるいは止まっているのかわからない。この曲でフェルドマンがテープ音楽の方法を参照していた可能性は極めて低いが(1954年にケージ、ブラウンとともにフェルドマン唯一のテープ作品「Intersection for Magnetic Tape」を作った時も乗り気ではなかった[22])、ここで聴こえる音響的な効果はテープを狭い範囲で何度も巻き戻して再生させたものと似ている。時間差で同じ楽譜を演奏するという極めて単純な方法であるものの、「Piece for 4 Pianos」は直線的な時間とは明らかに異なる時間を創出している。Kramerによる分類に倣うならば、この曲には音が打鍵されるたびに時間がリセットされるモメント時間と、運動や志向性の希薄な垂直時間の性質を帯びていて直線的な時間とは明らかに異なっている。4人の奏者がそれぞれのペースで演奏する点で、この曲では複数の独立した時間が展開されるといってもよい。
複数の演奏者が同じスコアを見て演奏するが、曲を進めるペースが各演奏者に委ねられている曲としてフェルドマンの「Piece for 4 Pianos」よりもはるかによく知られているのがテリー・ライリーの「In C」である。この曲は「Piece for 4 Pianos」の7年後、1964年に作曲、初演された。「In C」は53からなる各モジュールの反復回数が基本的に奏者の任意とされているので複数のモジュールが混ざり合う。「(互いの音を)聴かない方がうまくいく」フェルドマンの場合と異なり、アンサンブルによって得られる音楽的な効果を重視したこの曲では、少なくとも1回か2回はユニゾンの状態を作り出すことが望ましいとされ[23]、他の演奏家を完全に無視して自分の演奏だけに集中することは認められていない。[24]どちらの曲も演奏者がそれぞれのペースで同じ楽譜を演奏する点で共通しているが、フェルドマンの「Piece for 4 Pianos」では4人の演奏者による息のあった共同作業はまったく求められておらず、彼らはむしろ孤独を追求しなければならない。
色々な編成による録音があるが、1968年のコロンビアからリリースされたレコードがこの曲の初録音。ライリーはサックスで参加している。
In Cスコア https://nmbx.newmusicusa.org/terry-rileys-in-c/
フェルドマンの音楽における時間の感覚と概念は「Piece for 4 Pianos」以降も変化すると同時に、彼の創作に付いて回る重要な事柄である。1960年から始まる符尾のない音符のみによって構成された「Durations」シリーズや「Vertical Thoughts」シリーズといった持続の自由な楽譜による楽曲は、線的な時間の感覚から完全に隔絶された独特の時間の感覚を持っている。1970年代後半から始まる長大な作品もフェルドマンの音楽における独特の時間の感覚に基づいている。時間とともに移ろい、展開する音楽は時間芸術の1つとされているが、フェルドマンの音楽における時間は展開も発展もないことが多いので、従来の考え方を疑うところから始めなくてはならない。今回はそのほんの始まりの部分に触れたに過ぎず、時間の問題はこの連載でこれからも言及する。
4 久しぶりの図形楽譜「Ixion」(1958)
1953年からの数年間、五線譜の作品に専念していたフェルドマンだが(とはいえ上述の「Piece for 4 Pianos」のように風変わりな五線譜も書いていた)、1958年の「Ixion」をきっかけにして図形楽譜を再開させる。その主な理由をClineは次のように論じている。1つは彼の周りの作曲家たちが不確定性の音楽と図形楽譜に関心を持つようになったことだ。[25]既にケージは「Water Music」(1952)、「Music for Piano 1」(1952)、「Music for Piano 2」(1953)など不確定性や図形楽譜による曲を書いていたが、1957年の「Winter Music」(1957)と「Concert for Piano and Orchestra」(1957-58)でより革新的な方向へと発展する。[26]フェルドマンの創作における精神的支柱の1人でもあったエドガー・ヴァレーズは1957年頃に突然ジャズに目覚めてオクテットによるセッションのための図形楽譜を書いてミュージシャンに配り、ブラウンの主催でそれを実際に演奏するワークショップを行った。[27]アメリカ以外での不確定性や図形楽譜への関心の高まりは、1954年と1956年にチュードアがヨーロッパ・ツアーに出てニューヨーク・スクールのメンバーの作品を演奏したことに起因する。フェルドマンは1950年12月に既に図形楽譜のアイディアをスケッチし、1953年には演奏上の様々な問題を解決できなまま図形楽譜をやめてしまっていたが、その間の世の中の趨勢は彼とは逆の方向に流れていたのだった。
もう1つの理由はマース・カニングハムからの音楽の依頼だった。1958年、カニングハムは新しいダンス作品「Summerspace」の音楽をフェルドマンに依頼する。この新作ダンスの舞台美術と衣装はロバート・ラウシェンバーグが手がけた。
Summerspace概要
https://dancecapsules.mercecunningham.org/overview.cfm?capid=46033
Summerspace 2001年に行われた上演の様子 ここでの音楽は2台ピアノ版。
https://dancecapsules.mercecunningham.org/player.cfm?capid=46033&assetid=5702&storeitemid=8832&assetnamenoop=Summerspace+%282008+Atlas+film%29+
マース・カニングハム・ダンスカンパニーのメンバーで、当時ブラウンと結婚していたキャロライン・ブラウンは「Summerspace」初演時の苦労を次のように語っている。「(「Summerspace」は)当時の自分にとって極めて難しい演目だった。—ほとんどがターン、ターンの連続で、私の大嫌いなものばかり!彼(カニングハム)はゆっくりとしたターン、すばやいターン、ジャンプしながらのターン、崩れ落ちるターン、ターンの複雑な組み合わせを私に振り付けした。… for me at that time, extremely difficult material—mostly turns, turns, my bete noire! He gave me slow turns, fast turns, jumping turns, turns ending in falls, and complex combinations of turns.」[28]彼女の回想からわかるように、このダンスではターンの動きが重要視されていた。だが、舞台美術と音楽はダンスの動きに呼応していなかった。
ラウシェンバーグの舞台美術と衣装は「点描的 pointilistic」なイメージで着想された。6人のダンサーはラウシェンバーグが製作した大きなキャンヴァスによる舞台美術と同じ点描的な柄の衣装を着て踊る。舞台美術とダンサーたちの衣装を同じ柄にすることで、彼らの舞台上の存在がカムフラージュされる効果を生む。「点描的」というイメージを伝えられていたフェルドマンは五線譜ではなくて図形楽譜での作曲を選んだ。これを機にフェルドマンは約5年ぶりに図形楽譜での作曲にとりかかる。
「Ixion」には2つの版があり、1958年8月17日にコネティカット州ニュー・ロンドンでのアメリカン・ダンス・フェルティヴァルで「Summerspace」が初演された際は13から19の奏者によるアンサンブル版が演奏された。アンサンブル版の編成はフルート3、クラリネット、ホルン、トランペット、トロンボーン、ピアノ、チェロ3から7、コントラバス2から4。1960年の再演時には2台ピアノ版がケージとチュードアによって演奏されている。現在、このダンスが上演される際は2台ピアノ版が使用されることが多いようだ。テンポは1つのマス目あたり、当初およそ♩=92が指定されていたが[29]、カニングハムのダンスが15分から20分程度の時間を要するため、実際の演奏の際にはこれより遅いテンポで演奏するか、ある特定の箇所を繰り返すこともあった。
この曲の楽譜には「Projection」(1950-51)シリーズ、「Intersection」シリーズ(1951-53)などの初期の図形楽譜と同じく、グラフ用紙のマス目に演奏される音の数が書かれている。初期の図形楽譜の楽曲の大半において高・中・低の音域の分布と各パートの分布の均衡が保たれた全面的なアプローチがなされていたが、「Ixion」では中間の短い部分と終結部を除いて全てのパートが高音域のみで演奏するよう指定されている。だが、初期の図形楽譜同様、具体的な音高の決定は奏者に委ねられている。音域を高音域に限定することで演奏者の選択肢が狭まる。こうすることで、理屈上、作曲家が理想とする音響を実現する可能性が高まる。このような演奏者に対する選択肢の限定はフェルドマンの初期の図形楽譜に見られた即興音楽との誤解や、演奏に演奏家の手癖やパターンが反映されることを回避するために取られた策ともいえる。音域を高音域に限定することの利点として、全てのパートが比較的スムーズに1つのテクスチュアを作ることが挙げられる。楽器による音色の違いはあるものの、様々な音色と音域が一緒くたになった初期の図形楽譜の楽曲よりも、音の響きに統一感がもたらされる。
「Ixion」ではラウシェンバーグの点描的な舞台セットと衣装と同じく、音楽でも点描的な効果を狙っている。「Projection」シリーズもどちらかというと点描的な音楽だが、それぞれの音がはっきりと独立している自己完結した点の集まりだ。対して「Ixion」の場合は個々の点(それぞれのパートの音色)が重なったり、これらの音の境界を曖昧にして混ざりあったような効果を創出する意味での点描的な効果を生み出している。ラウシェンバーグの舞台美術とフェルドマンの音楽はともに遠目に見た時、あるいは聴いた時に1つのテクスチュアが浮かび上がる効果を狙っていたのだろう。
「Ixion」でも演奏に際して困難が生じる。アンサンブル版の場合、単音楽器である管楽器のパートに7と記されていれば、非常に素早く任意の7音をマス目に収まるように演奏しないといけない。これによって回転するような素早いパッセージが達成できる。ピアノは和音やグリッサンドで即座に対応できるが、単音楽器の場合は演奏の難易度が上がる。当時のフェルドマンは管楽器の事情をそれほど深く考慮しなかった可能性があり、ホルンのパートの1マスに7、トランペットのパートの1マスに10と記されている箇所がある。アンサンブル版で行われた1958年の初演時には、やはり演奏者がこの楽譜に当惑したため、急遽ケージが五線譜に書き直した。ケージはその時の様子を「この楽譜を慣習的な方法に――覚えている?4分音符に――書き換えた。それはこの曲のあらましではなくて、演奏者たちがすぐに演奏できるようにするためだった。I translate it into something conventional—with quarter notes, you remember? —which was not what the piece was but which permitted the musicians to quickly play it.」[30]と語っている。チュードアが「Intersection 2」(1951)、「Intersection 3」(1953)を五線譜に書き換えて演奏したように、「Ixion」においても最終的には演奏の際に五線譜への書き換えが行われたのだが、この曲をきっかけにフェルドマンは図形楽譜の作曲を再開した。だが、これ以降のフェルドマンの図形楽譜には変化が見られ、例えば「… Out of ‘Last Pieces’」(1961)では図形楽譜と五線譜を組み合わせることによって演奏の際の曖昧さを少しでも減らす工夫がなされている。
1954年からの五線譜による楽曲ではフェルドマンは従来のリズムや拍子とは異なる感覚の音楽を創出する一歩を踏み出したといってもよいだろう。「Piece for 4 Pianos」では音価を不確定にして演奏者に裁量を与える一方、1958年以降の図形楽譜は1950年から1953年までの図形楽譜と比べて記譜にやや具体性が帯び、奏者の選択の幅を狭めている。フェルドマンの楽曲の変遷は記譜法の変化と連動していることは初回に述べたとおりだ。次回とりあげる予定の1960年からの楽曲にはどのような変化が見られるのだろうか。
[1] Black Mountain Collage Museum + Arts Center http://www.blackmountaincollege.org/
[2] John Cage’s Stony Point House https://greg.org/archive/2017/05/03/john-cages-stony-point-house.html
[3] Morton Feldman Says: Selected Interviews and Lectures 1964-1987, Edited by Chris Villars, London: Hyphen Press, 2006, p. 262
[4] 作曲家で理論家のジョゼフ・シリンガーが考案した作曲法。音価などのパラメータを数値化して作曲に援用する。Josph Schillinger Society https://www.schillingersociety.com/
[5] Morton Feldman, Give My Regards to Eighth Street: Collected Writings of Morton Feldman, Edited by B. H. Friedman, Cambridge: Exact Change, 2000, p. 43
[6] Jonathan D. Kramer, “New Temporalities in Music,” in Critical Inquiry, Spring, 1981, Vol. 7, No. 3 (Spring, 1981), p. 539
[7] Ibid., p. 539
[8] Ibid., p. 539
[9] Ibid., pp. 539-540
[10] Ibid., p. 542
[11] Ibid., p. 545
[12] Ibid., pp. 546-547
[13] Ibid., p. 549
[14] Elidritch Priest, Boring Formless Nonsense: Experimental Music and the Aesthetics of Failure, : NY: Bloomsbury Academic, 2003 はこの本のタイトルが示す特性を持つ楽曲や音楽実践を例に、聴取や音楽的な時間の問題を論じている。
[15] Morton Feldman: Solo Piano Works 1950-64, Edition C. F. Peters, No. 67976, 1998. Volker Straebelによる巻末の校訂報告より。
[16] フェルマータの下に数字が記されている。
[17] Morton Feldman, Pieace for 4 Pianos, 1962, C.F. Peters Corp., 1962.
[18] Tom Johnson, “Introduction to “Spaces,”” in March, 1994 https://www.cnvill.net/mftomj1.htm
[19] Ibid.
[20] Ibid.
[21] Feldman 2006, op. cit., p. 88
[22] David Cline, The Graph Music of Morton Feldman, Cambridge: Cambridge University Press, 2016, pp. 45-46
[23] Keith Potter, Four Musical Minimalists: La Monte Young, Terry Riley, Steve Reich, Philip Glass, Cambridge: Cambridge University Press, 2000, p. 112
[24] Ibid., p. 113
[25] Cline 2016, op. ct., p. 48
[26] Ibid., p. 48
[27] ヴァレーズのジャズへの関心と彼の図形楽譜についてはOlivia Mattis, “The Physical and the Abstract: Varèse and the New York School,” in The New York Schools of Music and Visual Arts: John Cage, Morton Feldman, Edgard Varèse, Willem de Kooning, Jasper Johns, Robert Rauschenberg, edited by Steven Johnson, New York: Routledge, 2002, pp. 57-74に詳述されている。
[28] Caroline Brown, Chance and Circumstance: Twenty Years with Cage and Cunningham, New York: Alfred A. Knopf, 2007, p. 217
[29] アンサンブル版の演奏の際、ケージは曲中のセクションごとにテンポを変える、特定の箇所を繰り返すなどしてダンスの時間の長さと合わせていた。Cline 2016, op. cit., p. 215
[30] John Cage and Morton Feldman, Radio Happenings Ⅰ-Ⅴ, Köln: Edition Musik Texte, 1993, p. 181
高橋智子
1978年仙台市生まれ。Joy DivisionとNew Orderが好きな無職。
(次回更新は9月15日の予定です)