現在、弊社で出版している作品のアーティスト(ピアニスト、作曲家、編曲家)のご紹介いたします。
- ロン・イェディディア
- マーク・ヴァイナー
- 榎政則(えのき まさのり)
- レオポルド・ゴドフスキー
- ローガン・スケルトン
- レスリー・ハワード
- 平尾貴四男(ひらお きしお)
- アリスター・ヒントン
- 福間洸太朗(ふくま こうたろう)
- サラ・デイヴィス・ビュクナー
- 黛敏郎(まゆずみ としろう)
- ヴィンチェンツォ・マルテンポ
- 森下唯(もりした ゆい)
- 諸井三郎(もろい さぶろう)
- 大和誉典(やまと たかのり)
- アレクシス・ワイセンベルク
ロン・イェディディア
彼の作品は過去20年間に国際的な注目を浴びるようになりました。彼の作品は世界の主要なコンサートホールで取り上げられている他、映画、ラジオ、テレビ番組にも登場し、彼の作曲家兼ピアニストとしての地位を確かなものにしています。1960年、イスラエルのテルアビブに生まれ、幼い頃からアルフレッド・コルトーの弟子であったプニーナ・ザルツマンのもとでピアノを学びました。8歳にして「Young Concert Artists Competition of Israel」で第1位を受賞しピアニストしてのキャリアをスタートさせましたが、15歳で作曲家の道に進むことを決意します。1984年にジュリアード音楽院の作曲科に進学しデイヴィッド・ダイアモンドやミルトン・バビットの元で研鑽を積みながらLincoln Center Scholarship、the Irving Berlin Scholarship、Henry Mancini Prize、the Richard Rodgers Scholarship等の主要な賞や奨学金を贈与された他、1987年と1989年にはジュリアード作曲コンクールに入賞しました。1991年に同音楽院の博士課程を卒業した後は当時の現代音楽の流行からの脱却を決意し、伝統的な旋律 - 和声 - 形式 - 耽美主義 - 和声感 - ドラマ性 - 対話性の再構築に乗り出しました。彼はフォークやジャズといったクラシック以外のジャンルも愛好しており、これらの音楽が根源的に調性に基づいていることから、彼の音楽語法の拡大に結びつきました。彼は現在まで、独奏から大編成オーケストラ作品、宗教音楽やフォークソングなども生み出しています。2007年5月にはオーケストラ作品「ステップ・イン・ザ・ワンダーランド」の世界初演がイスラエル・フィルハーモニー管弦楽団によって行われました。主な委託作品としては『ラプソディー』/ サン・アントニオ国際ピアノコンクール(2006年)、ピアノとクラリネットとチェロのためのトリオ / シアトル室内楽協会(2007)、 ニューヨークのZamir Choraleがあり、2009年には、マンハッタンのBaruch Performing Arts Centerで開催されたThe Concert Meister Seriesのレジデントコンポーザーを務め、数々の作品がベルリン・フィルハーモニー管弦楽団等の著名なオーケストラによって演奏されました。イェディディアの作品は、EMIやナクソス、ソニーBMGなどの大手レーベルにも収録されている他、イギリスのレーベル・アルタラスによってリリースされた『Yedidia Plays Yedidia』は彼の自作自演アルバムとして国際的な注目を浴び話題となりました。1994年にはワンダ・トスカニーニ・ホロヴィッツの依頼によりウラディミール・ホロヴィッツの未出版ピアノ作品の校訂と録音にも携わった他、ニューヨーク・ピアノ・アカデミーの創設者として後進の育成に力を注ぐなど活躍の場は多岐に渡っています。現在までにイェディディアの作品は、EMIやナクソス、ソニーBMGなどの大手レーベルにも収録されました。イギリスのレーベル・アルタラスによってリリースされた自作自演アルバムである『Yedidia Plays Yedidia』は世界中の作曲家やピアニストから注目を浴び話題となりました。また、ニューヨーク・ピアノ・アカデミーの創設者でもあり後進の育成に力を注ぎ多くの作曲家やピアニストを育て上げています。
マーク・ヴァイナー
1989年に生まれる。11歳の時にピアノを始め、その2年後に奨学金を得てパーセル音楽学校に入学し、テッサ・ニコルソンに師事する。その間にスミス・スクエアやセント・ジョンズ(ロンドン)、ウィグモア・ホールなどのコンサートホールを筆頭に各地で演奏活動を行う。その後は、奨学金を得て王立音楽大学に入学する。ニール・イメルマンの下で6年間学び、2011年の最終試験で最高得点を獲得しサラ・ムンドラク記念賞を受賞、最優秀生徒として学士号を取得する。またThe Countess of Munster Musical Trustによる奨学金も得て、優秀な成績で修士を得て2013年に王立音楽大学卒業する。2012年、ギリシャ・アテネで開催されたアルカン・ジンメルマン国際ピアノコンクール第1回では第1位を受賞する。ギリシャで公式デビューリサイタルを行い、メディアでも「2012年の最も素晴らしい演奏会」として取り上げられた。現在までに、ファロス芸術財団やフーズム・ピアノ珍曲祭、レヴォカ・インディアン・サマー音楽祭、チェルトナム音楽祭、オックスフォード歌曲祭などの数多くの音楽祭に招待され、BBCやDeutschlandfunkなどのラジオ放送局にも出演する。マーク・ヴァイナーの生まれ故郷であるオックスフォードのシェルドニアン劇場では、マリオス・パパドプーロス指揮でオックスフォード交響楽団と共演する。近年は、Keyboard Charitable Trustとの提携によりアメリカ合衆国、ドイツ、イタリアの参加国でツアーを行い大好評を博す。演奏・教育活動の傍ら、ライターやフランツ・リスト協会やシャルル=ヴァランタン・アルカン協会の会長も務める。また、CDレーベルPiano Classicsよりタールベルクやリスト、アルカンのピアノ作品を積極的に録音、各方面から高い評価を得ている。
榎政則(えのき まさのり)
1991年生まれ。2009年麻布高等学校卒業。東京藝術大学音楽学部作曲科を2013年に卒業し、そののち渡仏し、パリ国立高等音楽院音楽書法科第二高等課程および鍵盤即興科第一高等課程を2018年に卒業。2013年に稲垣足穂の小説による自作音楽劇「黄漠奇聞」を発表。2016年にARS MUSICA音楽祭に招待されヴァイオリンとピアノのための「竹文様」を発表。その他日本と欧州を中心に委嘱作品を多数発表している。2016年よりFondation Jérôme-Seydoux Pathéの無声映画の伴奏ピアニストとして定期的に活動するほか、Forum des Images、Cinémathèque Françaiseなどパリの主要や映画館でも無声映画の伴奏ピアニストを務める。また、2016年より小原花と「空箱」を結成し、声と即興演奏の舞台作品を定期的に発表している。
ローガン・スケルトン
ピアニスト、教師、作曲家として活躍し、彼の作曲作品は世界的に評価を受けている。ピアニストとして、アメリカ、ヨーロッパ、アジアにて演奏会を行い、中国のラジオ放送、ルーマニア国営放送など、数多くのテレビ・ラジオ放送に出演している。現在までに多くのCDをCentaurやAlbany、Crystal、Blue Griffin、Equilibrium、Supertrainからリリース、そしてNaxos RecordsのCDでは彼の友人であるコンポーザー・ピアニストのウィリアム・ボルコムと共に2台ピアノを演奏した。数々の国際ピアノコンクールに審査員として招聘され、世界各地で開催される音楽祭にも出演している。作曲家としては、特に歌曲に愛着を持っており、いくつもの歌曲集を含む200近くの歌曲を作曲してきた。また、教師としても熱心に活動し、その高度な教育を讃えられ、ミシガン大学からハロルド・ハフ賞等を、最近では大学で最も名誉あるArthur F. Thurnau professorshipを授与された。スケルトンのピアノの生徒たちは、いくつもの世界的コンクールで賞を授与されている。現在、マンハッタン音楽大学、ミズーリ州立大学およびミシガン大学にて教鞭を執っている。
レスリー・ハワード
70歳の記念を迎えるにあたり、レスリー・ハワードはフォロワー達から求められていた仕事を準備していた。たくさんの国で演奏したリストのオペラから着想を得た作品のプログラムだ。2018年にはリストの未録音作品をさらにもう1枚リリースした。100枚の全集から更に追加録音を行い続け、クラシックのソロアーティストが1人で成し遂げた業績として並ぶもののないものとなった(この追加録音はハイペリオンから2011年に発売された全集ボックスセットに収まるようになっている)。このプロジェクトにより、ハワードはギネスブックに載り、6つのレコード大賞、サンステファン勲章、ハンガリー文化賞、そしてリストの手の銅像をハンガリーの大統領より受け取った。レスリーハワードは、大量のレコーディングと世界中でのコンサートツアーを半世紀にわたり両立してきた。レパートリーは常に聴衆に新しい経験をもたらすもので、固定観念への挑戦を行ってきた。世界でも最高のオーケストラと共演を重ね、室内楽の音楽家としても活躍し、世界最高峰の音楽家やアンサンブルと共演してきた。 リストのソロピアノ曲録音に加えて、他の世界初録音として重要なものの中に、ルビンシュテインの4つのピアノソナタやチャイコフスキーの3のピアノソナタ、そしてスカンジナビア半島の作曲家のピアノソナタの録音がある。彼の初期のグレインジャーのソロとデュオ(デヴィッド・スタンホープと)の録音は5枚組CDセットとしてEloquenceから再発売されている。 ハイペリオンに録音したルビンシュテインのピアノ五重奏曲集や、ArtCorpに録音した自作曲集「25の黒と白の練習曲」、ラフマニノフの二つのソナタをMelba Recordingsよりリリースしている。Melbaからはマッティア・オメットと共に、レナルド・アーンのピアノ2台及び連弾曲集(CD2枚組)をリリースしている。 進行中のものとしては、ブリリアント・クラシックスよりオメットと共にリストの2台ピアノ曲全集があり、第1弾はリスト自身による2台ピアノ版交響詩全12曲が収録されている(3枚組3セット)。最新のソロ作は、ヘリテージレーベルからリリースされた、ベートーヴェンの「エロイカ」変奏曲と「プロメテウスの創造物」のベートーヴェン自身によるピアノ版だ。 またハワードは優れた学者として、一次資料をあたり、室内楽全集を含む13巻のリスト集をリスト協会(ハーディプレス刊)から出版した他、30巻におよぶリスト協会ジャーナルへの音楽記事集、7巻の新リスト原典版をペータースからリリースしている(これには高評価を得た「ソナタ ロ短調」や「ダンテを読んで」が含まれている)。他の校訂者としての業績には、パガニーニのヴァイオリン協奏曲5番を復元しオーケストレーションしたほか(イタリアのパガニーニエディションに収録)、ベリーニの「アデルソンとサルヴィーニ」のフルスコアや、現在定番となっているラフマニノフのピアノ協奏曲4番の二台ピアノ版(ブージー&ホークス)がある。
福間洸太朗(ふくま こうたろう)
パリ国立高等音楽院、ベルリン芸術大学、コモ湖国際ピアノアカデミーにて学ぶ。20歳でクリーヴランド国際コンクール優勝(日本人初)およびショパン賞受賞、以来五大陸で演奏活動を展開。 これまでにサントリーホール、カーネギーホール、リンカーンセンター、ウィグモアホール、ベルリン・コンツェルトハウス、サルガヴォーでリサイタル他、クリーヴランド管、モスクワ・フィル、イスラエル・フィル、フィンランド放送響、トゥールーズ・キャピトル国立管、ドレスデン・フィルなど、海外の著名オーケストラとの共演も多数。 これまでに以下のレーベルからCDを発売している。Naxos、ARS Produktion、Éditions Hortus、Orpheus Classical、Accustika、日本コロムビア、そしてこの「モルダウ」の編曲も、”水に寄せて歌う”(日本コロムビア)のアルバムに収録されている。テレビ朝日系「徹子の部屋」やNHK FMなどにも出演。第34回日本ショパン協会賞受賞。
サラ・デイヴィス・ビュクナー
際立つ音楽的才能、世界的な芸術感性 そして他の追随を許さない高い先見性を兼ね備えたサラ・デイヴィス・ビュクナーは現代の最も独創的なコンサートピアニストのひとりである。その演奏は ”知性、誠実さに加え 全てにおいて完璧なテクニック”(ニューヨーク タイムズ紙)”音楽に貢献する思慮深い芸術家としての手腕”(ワシントン ポスト紙)“魅了され仰天させられる名人技”(フィリピン スター紙)”ビュクナーに勝る者はない”(日本インテューン誌)など世界各地のメディアから絶賛を浴びている。二十代のビュクナーは、エリザベート王妃国際コンクール(ベルギー)、リーズ国際コンクール(イギリス)、モーツァルト国際コンクール、べートーヴェン国際コンクール(共にオーストリア)、シド ニー国際コンクール(オーストラリア)などで受賞、そして1986年ロシア・モスクワでのチャイコフスキー国際コンクールでは銅メ ダルを受賞、1984年ジーナ・バッカウアー国際ピアノコンクール(アメリカ)では第1位ゴールドメダル受賞など 世界で最も権威ある国際コンクールで数多くの受賞歴を持つ。演奏では、ソロ、室内楽コンチェルトと幅広い活動を繰り広げ、北米(アメリカ、カナダ)では全ての州と地域で公演実績を持つ。ニューヨーク・フィルハー モニック、サンフランシスコ交響楽団、フィラデルフィア管弦楽団など世界の著名オーケストラとの共演のほか、カーネギーホール 、ケネディーセンター、 ハリウッド ボウルなど権威ある会場に数多く出演。中南米やヨーロッパ各地でも広くコンサートツアーを行う他、オセア ニアではシドニー交響楽団やニュージーランド交響楽団、アジアに於いては新日本フィルハーモニーや上海フィル管弦楽団など多数のオーケストラのソリストとして共演。現代音楽にも精力的に取り組み、マイケル・ブラウン、ジョン・コレグリアノ、レイ・グリーン、ディック・ハイマン、ヴィテスラバ・カプラロバ、ジャレッド・ミラー、ホアキン・ニンクルメル、西邑由記子の各氏に 新作を委嘱し初演を手掛ける。またビュクナーの多才さは映画やダンス(マーク・モーリス舞踏団とのツアーや 歌舞伎マスクでのパントマイムダンサー 平野弥生)とのコラボレーションなど既存のピアニストの枠を超えた 幅広い活動を展開している。ビュクナーは数多くの非常に稀なピアノ音楽のレコーディングも熱心にリリースし高い評価を受けている。ルドルフ・フリムル(このCDはニューヨークタイムズに“世紀の発見”として採り上げられた)ダナ・スウィース、ジョセフ・ラム、ホアキン・トウリーナ、ミクロス・ロージャ、そしてフェルッチョ・ブゾー ニ(世界初演のバッハ/ブゾーニのゴルドべルグ変奏曲を含む)各氏の作品集をリリース。 ガーシュウィンのピアノ曲集CDはステレオファイル誌で「今月の最優秀レコード」に選ばれ、 バーナード・ハーマンと フランツ・ワックスマンの作品によるハリウッド・ピアノ協奏曲はドイツの権威ある Deutsches Schauplatten Preisを受賞した。 また2014年には、 無声映画クラシック「マスター オブ ザ ハウス」(カール・ドレイヤー監督1925年制作)をクライテリオン・コレクションDVDのサウンドトラックの演奏を担当した。マンハッタン音楽大学、ニューヨーク大学、ブリティッシュ・コロン ビア大学で教鞭をとった後、2016年よりテンプル大学(米国ペンシルバニア州フィラデルフィア)音楽学部教授に就任。世界各地の教育機関での マスタークラスや講演会、主要な国際ピアノコンクールの審査員として数多く招聘されている他、ドーバー出版イン ターナショナルの編集顧問も務める。 また、トランスジェンダーの女性としてLGBTQの重要な行事に演奏や公演で参加することも多く、自身の体験を元にした数多くの記事やインタビューが世界各地のメディアで取り上げられる。 米国とカナダの両国籍を有し、現在はフィラデルフィアを拠点に国際的な演奏活動及び教育活動を行なっている。
ヴィンチェンツォ・マルテンポ
1985年、イタリア・カンパニア州ベネヴェント生まれ。セルジオ・フォオレンティーノの弟子であったサルヴァトーレ・オルランドに師事し、2005 年にローマ・サンタチェチーリア音楽院を最高位の成績で卒業。2006年の第13回ヴェネツィア・ピアノコンクール入賞後は、アメリカやヨーロッパ、アジアの世界各地で演奏活動を行う。これまでにドイツ・フーズム城音楽祭やライディング・リスト音楽祭、マイアミ・国際ピアノ音楽祭、メキシコ・国際ピアノ音楽祭“El blanco y negro”など数々の音楽祭にも出演し熱狂的な支持を得る。2013年にはシャルル=ヴァランタン・アルカンの「全ての短調による12の練習曲」の全曲演奏会を日本の横浜で行い好評を博す。リストのピアノ作品集(Gramola)やアルカンの「全ての短調による12の練習曲」(Piano Classics)、リストのハンガリー狂詩曲全曲(Piano Classics)やリャプノフの「12の超絶技巧練習曲」(Piano Classics)他などを録音し、これまでに合計11枚のCDをリリース。それらのCDは数々の音楽雑誌から高い評価を得て特選盤として紹介される。ピアニストとしての活動の傍ら、ラヴェルの組曲「ダフニスとクロエ」やハンス・ロットの交響曲第1番をピアノ独奏用に編曲、「ピアノソナタ」や「ピアノのための練習曲」などの自作曲も生み出している。また、教育活動も積極的に行っており、各地のマスタークラスに講師として招待されているほか、オランダ・アイントホーフェンにてイモラ国際ピアノアカデミーの分校を設立する際には設立者・講師の一人としても活躍した。現在は、ベネヴェントのカルロ・ジェズアルド音楽院で教鞭を執る。
森下唯
日本のピアニスト・作編曲家。ソロでのリサイタルのほか、オーケストラとの共演、リート伴奏、室内楽などの分野で活動し、スタジオ・ミュージシャンとしても多くのレコーディングに参加。演奏以外にも、映像作品への楽曲提供や文筆など幅広く手がけている。「ピアニート公爵」としては、2007年のニコニコ動画への投稿で一躍注目の的となった(「ピアニート公爵」は動画投稿時にニートを自称していたことから視聴者に名付けられたもの)。2011年、ドワンゴ・ミュージック・エンタテインメントよりアルバム『シンギュラリティ~特異点~』をリリース。その後、日本、台湾、シンガポール等で演奏活動を行っている。近年では『GRANBLUE FANTASY PIANO COLLECTIONS』、『Piano Collections FINAL FANTASY XV』等で演奏を担当。2018年、『コードギアス 反逆のルルーシュ ピアノソロコレクション』では演奏とともに編曲も手がけ、楽譜集も出版された。本名の森下唯名義では作曲家アルカンの紹介に力を入れており、アルカン生誕200年となる2013年から継続的にオール・アルカン・リサイタルを行う。2015年よりアルカン作品を集めたCD「アルカン ピアノ・コレクション」(ALM RECORDS)シリーズをリリース、『レコード芸術』誌をはじめ各所で高く評価されている。東京藝術大学卒業、同大学大学院修了。2004年、第2回東京音楽コンクール第2位。調布国際音楽祭アソシエイト・プロデューサー。2015年より東京藝術大学非常勤講師(指揮科演奏研究員)。
諸井三郎
準備中
大和誉典
ピアノ音楽愛好家でアマチュア・ピアニスト。東京大学在学中は「東大ピアノの会」に所属、会長を務める。コンポーザー=ピアニストの作品、特にリスト、ブソーニ、ゴドフスキーの編曲作品、メトネルの作品を好んで演奏してきたが、フォーカル・ジストニア発症後は左手の作品を演奏しつつ、右手の機能回復のリハビリテーションを行っている。
アレクシス・ワイセンベルク
色々な音楽家のプロフィールをざっと比較してみると、年齢や生まれ、そのほかちょっとした個人的なこと以外は、驚くほど似かよっている。私の場合、仕事が人生で最も重要な要素だ。仕事こそが本質的な定数であり、欠かすことのできない神経であり、心配や喜びの中心であり、いわば私の可能性のバロメーターであり、キャリアの支えである。私は1929年にソフィアで生まれ、ヴラディゲロフのもとでピアノと作曲の勉強を開始した。何年かのち、私が17歳になった1946年に、ニューヨークのジュリアード音楽院で、オルガ・サマロフの指導のもと、音楽教育を終了した。シュナーベルからの素晴らしい助言、そしてとりわけランドフスカが見せてくれた沢山の忘れがたい手本は、私が行く道を指し示してくれた。早熟だった私はブルガリア、トルコ、パレスチナ、エジプト、初の南アフリカツアーなどで沢山のコンサートを行ってきたけれども、私の本当のデビューと言えるのは、1947年にレーヴェントリット国際コンクール入賞後に行った、初めてカーネギーホールで演奏したコンサート(ジョージ・セル指揮ニューヨーク・フィルハーモニーとの共演)だ。同じ年、フィラデルフィア管弦楽団主催のユースコンペティションで優勝して、ユージン・オーマンディ指揮の下、やはりデビューを飾った。それから、私は他の音楽家たちと同じパターンを経験した。音楽家になるための訓練にまつわる不安とそれが報われた時のこと、直感の発露と「職人的」な演奏の両立という避けられない矛盾への疑念そして喜び、楽器についての知識と精神的な表現が総体として伸し掛かる大きな個人的責任、スーツケースを持って劇場を回る単調な日々。でも何よりも、指揮者とソリスト、繊細な感性と感性が交流し合い、魔法のように溶け合う素晴らしい瞬間!選択することが共通分母であり、改善し、完成させ、簡素化し、見直し、学び直し、繰り返すことが主要な要素であり、またそれこそがほとんど無限の希望を実現するための唯一の担保であるという、そんな人生だ。私のキャリアにおいては、次だけを加えておこう。音楽を仕事にし、その中で生活するという稀な特権を与えてくれた様々な環境(そして幸運)に感謝したい。そしてさらに、そのことに気がつかせてくれた全ての人、音楽をより良く理解させてくれて、より好きにさせてくれた全ての人、彼らの芸術を通して、新しくて古びることのないインスピレーションの源泉を見せてくれた人々に感謝したい。それは、リパッティ、ハスキル、ランドフスカ、フォイアーマン、ゼルキン、ラフマニノフ、ブルーノ・ワルター、フリッチャイ、マリアン・アンダーソン、コーガン、クライスラー、ルービンシュタイン、ミトロプーロス、ギーゼキング、チェリビダッケ、ハイフェッツ、カペル、ロストロポービッチ、ベルガンツァといった人たちのことだ。その他のこと、誕生日や出身地や学歴やコンクール受賞歴や成功には、本当の重要性などない。真に重要なことは聞くこと、そして毎回、自分なりの常に更新された方法で、この同じ真実を解釈する探求を止めないことだ。その真実とは一つ。音楽とそれを聞く人の前での、才能と愛への誠意だ。(このテキストは私たちが普段なじんでいるような「古典的」プロフィールの代わりに、ワイセンベルクのコンサートプログラムにしばしば使われたものです)