Landmarks of Recorded Pianism vol.2(米Marston 52075-2, 2020年3月)*定期購入会員先行販売
(参考)Moriz Rosenthal The Complete Recordings (英APR APR 7503, 2012年)
衝撃の瞬間はハンガリー狂詩曲第2番開始から6分22秒後、フリスカの序奏部の後にやってきます。この小節の2拍めの左手、ゴワッシャア!という凄まじい轟濁音!派手なミスタッチか?いや違う、そこから7小節間、2拍めごとに計8発の轟濁音が打たれます。
これは紛れもない確信犯。そのエゲツない轟濁音はおそらく手のひらで鍵盤をチョップ、いや、そんなものではない。エルボーか、いや、ヘッドバットか、ストンピングか。そうだ、尻だ、雷電ドロップに違いない。右手はリストの譜面通りを弾いているから、その体勢は!?超人業だっ!!!……などアホなことを夢想してしまわせるほど、とんでもない音のする怪演が、モーリッツ・ローゼンタールが1929年に放送録音したハンガリー狂詩曲 第2番(しかも今回初出)です。
そして7分33秒。音楽は前代未聞の轟濁音に包まれます。嗚呼、この瞬間、私の中のクラシック音楽の何か大切ものが崩れ落ちてしまった……そんな陶酔的絶望に胸は震えます。さらにローゼンタールは自作のカデンツァからエンディングでもどっかんどっかん轟濁音を振り下ろします。敬意をこめてこの奏法を「クラスターチョップ」と私は命名しました。素晴らしい(かも)。現代ではもうだれもやらない(というか、やれない)幻のピアノ秘技です。
ローゼンタールは翌年に同曲をスタジオ録音していて、CDには続けて収録されています。が、こちらはクラスターチョップは控えめ。控えめ過ぎると盛大なミスタッチに聴こえるので使用法は気を付けないといけませんね。2012年にAPRから出ていたローゼンタール全録音(5枚組:今回のハンガリー狂詩曲は新発見なので入っていません)ではヨハン・シュトラウスの編曲もので時折「クラスターチョップ」を使っています。ただその使用頻度において今回のハンガリー狂詩曲は別格。こんなピアノ演奏も「あり」だったのかと目から鱗が大瀑布です。
Mark Hambourg ベートーヴェン:ピアノソナタ「悲愴」(日Green Door GDFS-0016, 2005年)
と、ここで他のクラスターチョッパーにも参戦してもらいましょう。その名はマーク・ハンブルク。ショーンバーグの名著『ピアノ音楽の巨匠たち』で「ハンブルクのスタイルには火山のような激しさがあった。テクニック的な正確さといったつまらないことにこだわることを潔しとせず、響の上に響きを重ねるのだった。」と言われた怪物ピアニストです。とにかく20世紀前半は大人気だったようで、2,000曲以上録音したと言われています。YouTubeには爆笑モノの演奏映画映像もあります。本当に人気者だったのですね。そのミスをいとわぬスタイル故か、死後すっかり忘れられ、録音曲数の割に復刻も多くありません。
で、日本のGreen Doorから2005年に出たハンブルクの復刻アルバムが彼のチョップを記録しています。曲はシューベルト(タウジッヒ編曲)の軍隊行進曲。ハンブルクにはこの曲の録音が複数ありますが、ここに収められた1927年録音のものが強烈。快適なテンポで“テクニック的な正確さといったつまらないことにこだわらず”弾き進められ、まず1分00秒頃にクラスターチョップの香りがします。ただ、タウジッヒ編の元々の譜面が濁りっぽいのでここは看過。そして来ました、3分19秒と24秒、ここは明らかなクラスターチョップ! ショーンバーグの言う通り、まさに火山の爆発、マグマの噴出です。ま、ローゼンタールに言わせればハンブルクのは単なる盛大なミスタッチと片づけられるかもしれませんがね。(補記:ちなみにのGreen Door盤の最大衝撃はあまりに自由に弾いてるショパンのワルツ5番です)
これらの演奏は、技巧的全盛期を過ぎた技巧派ピアニストの悲しき咆哮と思う人もいるでしょう。しかし、このクラスターチョップという表現は、あまりに危険ですが、たまに聴くには確かに面白い。現代のピアノ演奏からは失われたピアノ演出を見つけて楽しむのもCD集めの大きな楽しみです。
追記:お父さま、お母さまへ
お子様にこれらの録音をお聴かせして、万が一「いいね!」となりますと、お子様の腕力ではあの音は出ず、おそらくお尻で弾くことになると推察いたします。そんなことでは清く正しいピアニストにはなれませんので、決してまねをしないよう厳しいご指導をよろしくお願いいたします。
【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。