Condon COLLECTION HOROWITZ SBSM0003-2 BMG 1991年(他にも収録盤多数)
Encores & Rarities Mark Hambourg(p) APR 6023 2018年
通常より速いテンポで演奏すること自体は何の問題もありません。たとえばゾルタン・コチシュのラフマニノフ協奏曲全集。濃厚ロシア風味はありませんが実に爽快です。永く聴き続けるには意外と適した演奏かもしれません。たとえばTESTAMENTから出ているジョン・オグドンの弾くリストの小人の踊り。2分14秒で完奏という驚異の速度で、常軌を逸したピアノテクを堪能できますし、音楽としてもある種の狂気を孕んでいて圧倒されます。
しかし、ものには限度というものがあります。曲自体が崩壊しかねない、または何の曲かわからないほど速いというのは如何なものなのでしょうか。第13回で取り上げたFalossiのモーツァルトのピアノソナタK.545の第2楽章もこの類に入る気がします。で、あるのですね、さらにひど……スゴいのが。
まずは大ホロヴィッツ様。1928年、まだ20代半ばのホロヴィッツが自動ピアノに記録したラフマニノフの前奏曲op.32 no.8。この曲を知ってる人のみならず初めて聴く人でも、あまりに急速に動く音の渦に呆気にとられることでしょう。もはや“音楽”として成立していないレベルの高速音塊です。もともとテンポの速い音楽で、通常のこの曲の演奏は1分40秒くらいです。で、ホロヴィッツは1分08秒。この短い曲でこれだけ尺を縮めるとなると、平均的な演奏テンポ♩=160を♩=240近くに上げなければなりません。しかも楽曲は16分音符の連続。♩=240ということは16分音符を毎秒16、1分では960弾くことになります。これだけ音を高速で詰め込むと“音楽”が変質してしまうのがご理解できるのではないでしょうか。で、一つの疑問が浮かびます。この演奏は自動ピアノによる記録なので、機械的にテンポを速めている、もしくは再生ミスではないかと。これに関して「ホロヴィッツの遺産」の共著者である木下淳氏によれば、「このop.32 no.8が記録されたロールにはもう1曲、ラフマニノフのop.32 no.10も記録されていて、そちらの演奏は普通のテンポ感であるため、op.32 no.8の異常高速はトリックや再生ミスではなく本来のものであろう」とのこと。うーーむ、状況証拠的に納得。ただ、納得はしましたが、やっぱこれ、いくらなんでも速すぎでんがな。
さて、お次は第1回に続いての登場、マーク・ハンブルク。もっぱら熱血暴れん坊タイプの演奏をする御仁です。彼が1921年に録音したセヴラックの「古いオルゴールが聞こえるとき」が異様に速い。この曲はオルゴールの動きや音色を模した可愛らしい作品で、ピティナ・ピアノ曲事典では標準演奏時間1分30秒となっています。実際、多く演奏は平均的にそのくらいのスピード感で可愛くキラキラッと弾いています。それに対しハンブルクは1分00秒。正直、速過ぎてオルゴール感はゼロ。可愛らしさもゼロ。どうしてもいうなら「ネジ巻きすぎてぶっ壊れる寸前!半壊オルゴール、戦慄の暴走」のような音楽になってしまっています。私も正直この演奏を最初に聴いたとき、セヴラックのこの曲だとは気づかないほどでした。しかし、ハンブルクの場合さらに上には上があるのです。ハンブルクが同じ1921年に録音したクープランの「神秘的なバリケード」。この曲はゆったりとした分散和音を慈しむように奏でる作品で、ある種の崇高感すら漂う柔らかな音楽です。ピティナ・ピアノ曲事典によれば演奏時間は2分20秒くらいです。かの暴れん坊シフラも2分30秒程度、人によっては3分30秒くらいかけて厳かに弾く人もいます。これに対し、ハンブルクはたったの1分08秒。クープランからはかけ離れた超快速お指の練習曲のようにしか聴こえません。この演奏を聴いて「あぁ、クープランの神秘的なバリケードだな」と思う人は皆無でしょう。私もまったく気づきませんでした。なんかごちゃごちゃ凄い勢いで分散和音弾いてるなぁ位にしか聴こえなかったのです。もちろん神秘性なし、バリケード(=障壁)って早弾きの難しさの事?という演奏です。ハンブルクがこれら2曲においてなぜ異常高速演奏を行ったのかはわかりません。収録時間の短かった1921年当時の録音盤に無理矢理押し込むためとも考えられますが、他の楽曲では部分的に省略するなどして時間を削り、音楽としてのテンポ的な体裁は保つ場合が多いのです。やはりこの2曲に関してはハンブルクの確信犯的解釈ではないかと思う次第です。うーーむ、ただ、やっぱこれ、いくらなんでも速すぎでんがな。
やたらと遅いコブラの演奏。一方ではやたらと速いこれらの演奏。どちらが音楽破壊度が高いかと言えば、やたらと速い方に軍配が上がると思います。常軌を逸した速さ。その意気は大いに認めましょう。ただ、何の曲かもわからないほど速いというのは、ゲテモノ好きの私でも考え込んでしまいます。
【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。