3. 打ち消し合う記憶 Piano Piece (to Philip Guston)
ピアノ独奏曲「Piano Piece (to Philip Guston)」(1963)は1963年3月3日に作曲された。初演にまつわる情報は現在のところ明らかになっていない。タイトル通り、この曲は当時フェルドマンと親しくしていた画家のフィリップ・ガストンに捧げられている。当時、フェルドマンは自宅アパートの壁にガストンの「Attar」(1953)を掛けていた。この2人の親しい付き合いはフェルドマンが抽象表現主義絵画に傾倒し始めた1951年にケージを介して始まった。しかし、1970年10月〜11月にニューヨーク市のマルボロ・ギャラリーで開催されたガストンの個展「Philip Guston: Recent Paintings」を訪れたフェルドマンは、ガストンがカリカチュア風の具象画に転じたことに失望し、2人の約20年にわたる友情がここで終わってしまう。「Piano Piece (to Philip Guston)」はまだ2人が互いに共感し合っていた時期に書かれた。1966年にフェルドマンが『Art News Annual』第31号に寄稿したエッセイ「Philip Guston: The Last Painter」[1]によれば、彼らは「ほとんど何もない想像上の芸術について語り合ってばかりいた。we all talked constantly about an imaginary art in which there existed almost nothing.」[2]おそらくケージの影響もあるだろうが、彼らは「無」について問題を共有していたようだ。音楽の場合、「最小限のアタックによって音はその出自が失われたといえる we would say the sound was sourceless due to the minimum of attack」[3]。フェルドマンは、音の出自が失われた状態が「重さを完全に欠いた絵画について説明している This explains the painting’s complete absence of weight.」[4]と述べ、音楽と絵画双方での「ほとんど何もない」作品を実現させる可能性を示唆する。フェルドマンのここでの考えに従えば、音楽においては聴こえてくる音のアタックを、絵画においては色や輪郭といった絵画に実体をもたらす要素を可能な限り抑制することで「ほとんど何もない」作品が生まれる。しかし、実際のところ、ケージの「4’33’’」(1952)と違ってフェルドマンの曲では楽器の音が鳴るし、ロバート・ラウシェンバーグの「White Painting」(1951)と違ってガストンの絵には何かしらが描いてあるので、2人が試みようとしていた「無」は即物的な無音や空白ではなく「無に近い状態」あるいは「無を喚起する状態」だったと考えられる。
音の去り際、すなわち減衰を重要視するフェルドマンの考え方も実はガストンに依っている。フェルドマンによれば「しばしば絵画は、鑑賞者がその場を離れ始めてようやく“作動する” the paintings often “perform” only as the viewer begins to leave them.」[5]。この一見よくわからない主張はフェルドマンがガストンの倉庫で体験したエピソードに基づく。
そう昔でもないが、ガストンは私を含む何人かの友人たちに彼の近作を倉庫に見に来てくれないかと頼んだ。そこにあった絵画はほとんど呼吸せずに眠っている巨人のようだった。他の人たちがその場から去り始めた時、私は最後に一目見ようと振り返り、彼にこう言った。「そこに絵がある。絵は起きているよ。」そこにあった絵は既にその部屋を包み込んでいた。私たちは友人と一緒にエレベーターに乗り込んだ。
Not long ago Guston asked some friends, myself among them, to see his recent work at a warehouse. The paintings were like sleeping giants, hardly breathing. As the others were leaving I turned for a last look, then said to him, “There they are. They’re up.” They were already engulfing the room. We got into the elevator with our friends.[6]
人が去る頃に眠れる巨人は目を覚ます。絵画が鑑賞の対象である間、それはまだ完全な絵画ではない。鑑賞物としての役割を終える頃に絵画は姿を現す。これをフェルドマンの音に対する考え方に当てはめてみると、アタックとともに生じる瞬間の音はまだ音ではない。音が消えゆく頃に音が姿を現す。もちろん、絵画と音楽はそれぞれ異なる媒体を用いるのでガストンの倉庫でのエピソードがフェルドマンの音の減衰に対する態度に完全に対応しているとはいえない。だが、フェルドマンができる限り抑制された音のアタックにこだわっていたことや、自由な持続の記譜法によって出来事が際限なく打ち消される音楽を書こうとしていたことを思い出すと、当時の彼はまだ抽象画だった頃のガストンの茫洋とした絵に作曲のヒントを見出そうとしていたのではないだろうか。
Philip Guston/ Attar (1953)
https://www.cnvill.net/mf-living-room-03.htm
The Guston Foundation内のカタログ(アカウントを作成してログインすれば作品を拡大して観ることができる)
https://www.gustoncrllc.org/home/search_result?utf8=✓&search%5Bterm%5D=attar&search%5Bcirca_begin%5D=&search%5Bcirca_end%5D=
「Piano Piece to Philip Guston」は自由な持続の記譜法で書かれていて、テンポは音符1つあたり66-88。「極端なくらい柔らかくExtremely soft.」と記されており、フェルドマンの他の曲と同じくこの曲もできるだけ音のアタックを抑えて演奏される。装飾音は速すぎることのないように演奏しなければならない。譜表の1段ごとに出てくる音を書き出したのが下の表である。頻出する音高と音程、極端に乖離した和音と極端に密集したクラスター状の和音に着目して、この曲の音の配置と動きを追ってみよう。表の1行目はそれぞれの音の登場順に付けた番号、2行目は右手(高音部譜表)、3行目は左手(低音部譜表)。この行のセルが結合されている箇所は、点線で結ばれた同じ音を示す。この点線は通常の五線譜ではタイと同じ役割を持っている。音名に付けられている数字はピアノの鍵盤中央のCを4とした際のオクターヴの位置を示す。
Piano Piece (to Philip Guston) 音高一覧
1段目
1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 |
B4, D#5, E5, B♭5, D6 | D4, E4, C#5 | F4, A4, C#5, G♭5 | G7 | G♭2, C3 | E4, F4, A4, | E4, F4, A4, D#5 | E4, F4, A4, D#5 | G3, A3, F#4 | |
E♭3, G#3, B3 | D#4, E4 | E♭2, F2 | B1 | C#3, D4 | C#3, D4 | C#3, D4 | D#2, C#3, E3 |
11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 | 18 | 19 | 20 |
G4, A4, C#5, E5, F5 | C3 | G4, B4, E5, F5 | G7 | E5, G5, D#6 | C4, D4, B4 | G4, A4, C#5, F5 | C6, E6, G♭6, D♭7 | G2 | G3, A♭3, F#4 |
B♭3, E♭4, F4, G♭4 | D#3, G#3, A#3, B3 | G#4, C#5, D5 | B♭2, D#3, F#3, A#3 | B♭3, E4, F#4, G#4 | A4, C#5, D#5, E5, F#5 | C#3, D#3, E3 |
2段目
21 | 22 | 23 | 24 | 25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |
D4, E4, F34, C#5 | F#5, G5 | C8 | D4, F4, C#5 | A#4, B4, C5 | G♭6 | F4, A4, B♭4, E5 | F5, G5, A#5, B5 | A3, B3, C4, G4 | |
D♭3, A♭3, B♭3, C4 | A♭4, E♭5, F5 | B♭4, C4 | G1 | D4, E♭4, G#4 | B♭2, F#3, G#3, A3 | G#4, C#5, D5 | A#2, C#3, E3, F3 |
31 | 32 | 33 | 34 | 35 | 36 | 37 | 38 | 39 | 40 |
G4, A4, B♭4, F#5 | F7 | G4, A4, B♭4, F#5 | C4, D4, C#5 | A4, B♭4, G#5 | G7 | D3 | B3, C4, A#4 | E♭5, G♭5 | D2 |
C#4, D#4, E4 | C#4, D#4, E4 | A♭2, E♭3, G3 | D4#, F#4, G4 | E♭1 | E#3, F#3, G3, A3 | B♭3, E4, F4 |
3段目
41 | 42 | 43 | 44 | 45 | 46 | 47 | 48 | 49 | 50 |
B♭5, A6 | C3 | C4, D4, C#5 | C4, D4, C#5 | G6 | C4, D4, C#5 | G4, A4, F#5 | F#5 | F#5 | F#5 |
G#4, B4, C5 | B♭2, G3 | B♭2, G3, B1 | B♭2, G3, B1 | G#3, C#4, D#4, E4 |
51 | 52 | 53 | 54 | 55 | 56 | 57 | 58 | 59 | 60 |
D4, E4, C#5 | G5, C6 | E4 | E♭5 | A1 | D4, C#5 | C7 | A3, G#4 | A3, G#4 | |
G#2 | E♭3, G#3, A#3, B3 | G#4, C#5, D6 | D♭3, G#3, C4 | B3 | G#1, B2 | G#1, B2, F3 |
4段目
61 | 62 | 63 | 64 | 65 | 66 | 67 | 68 | 69 | 70 |
A3, G#4, E♭5, G♭6 | E4, F4, A#4 | B3, D4, E♭4, B♭4 | B3, D4, E♭4, B♭4 | E4, F4, D#5 | G6 | ||||
G#1, B2, F3 | D1 | G♭3, B3, C4 | A♭2, F3, G♭3 | G♭3, B3, C4 | B♭2 | B♭2 | B♭2 |
71 | 72 | 73 | 74 | 75 | 76 | 77 |
C#5, D#5, E5, D#6, E6 | D#6, E6 | F5 | F5 | F5 | F5 | |
E3 | C#3, F3, G♭3, A3 |
5段目
78 | 79 | 80 | 81 | 82 | 83 | 84 | 85 | 86 | 87 |
F3, D♭4 | A4, G#5 | E5, F5, G♭4, C6 | B♭6 | F♭5 | F♭5 | A4, G#5 | |||
E♭1, D2 | C#3 | A#3, C#4, D4, E4, F4 | G#4, D♭5 | G1 | A♭3 | E♭3 |
88 | 89 | 90 | 91 | 92 | 93 | 94 | 95 | 96 | 97 | 98 |
C8 | E4, G4 | A4, B4, C5, A5 | A4, B4, C5, | A4, B4, C5, | A4, B4, C5, | G4, A4, G#5 | E4, D#5 | E4, D#5 | ||
D♭4, F#4, G4 | D#3, A♭3 | A♭2, D#3, E3, F3 | B♭6 | B♭6 | E1 | G#7 | A♭2, C#3, D3 |
6段目
99 | 100 | 101 | 102 | 103 | 104 | 105 | 106 | 107 | 108 |
E4, D#5 | E4, D#5 | E4, D#5 | E♭7 | B♭3 | D5, G5, B5, C6 | ||||
G1 | A♭3, C#4, D4 | D4 | D4 | E1 | G#1 | B♭3, D#4, E4, A4 | A4 |
109 | 110 | 111 | 112 | 113 | 114 | 115 |
G#2 | F#7 | A4, B4, E5, G#5 | G#5 | G#5 | ||
A4 | B3, D#4, F4, G♭4 | F#2 |
7段目
116 | 117 | 118 | 119 | 120 | 121 | 122 | 123 | 124 | 125 |
G#6 | F4, B♭4, G5 | G5 | G5 | G5 | B♭6 | B♭6 | B♭6 | B♭6 | |
F#2 | G#3, C#4, D4 | A1 | A1 | A1 | A1 |
126 | 127 | 128 | 129 | 130 | 131 | 132 | 133 | 134 | 135 |
A♭4, G5 | A4, A5 | F#2 | F4, E5 | B♭0 | E♭4 | D♭6 | E♭4 | E♭4 | |
G#3 | G3, F4, A♭4 | D3, C#4 | C#2 | C#2 | C#2 |
8段目
136 | 137 | 138 | 139 | 140 | 141 | 142 | 143 |
G♭3, F4 | C#4, D4, A#4 | D6, C#7 | B4, E5, C6 | B4, E5, C6 | B4, E5, C6 | B6 | |
A1 | G#3, B3, C4 | B4, C#5, D5, E♭5 | G1 | B♭3, F#4, G4, A#4 | B♭3, F#4, G4, A#4 | B♭3, F#4, G4, A#4 |
ペータース社の出版譜[7]は見開き1ページに大譜表8段が配置されている。1段あたり20前後の和音ないし「出来事」が起きる。この大譜表のレイアウトに基づいて曲中に出てくる音の数を数えると、1段目105、2段目93、3段目66、4段目52、5段目65、6段目39、7段目40、8段目31となり、合計すると491音。この合計にはあまり意味はなく、むしろ曲が進むにつれて1段ごとの音の数が減っていることに注目したい。Bernardは、時間の経過とともに音の数が減り、テクスチュアの密度が下がるこの曲の進み方に「絵の完成が近付くにつれてあまり付け足さなくなるガストンの絵画作法 Guston’s method of painting, with less being added as the painting comes to completion」[8]との類似性を見出している。この様相は実際の鳴り響きからわかるだけでなく楽譜や表を見ても明らかだ。最初の2段までは構成音の多い半音階的な和音が立て続けに鳴らされる。3段目を過ぎると単音の持続が頻出し、曲の様相が少なからず変化していることに気付く。6段目以降は和音の構成音の数が前半と比べると極端に減っている。また、密集した音域の和音配置も少なくなっており、隙間の空いたテクスチュアへと変化しているのがわかる。最後となる8段目は再び構成音の多い和音が現れるものの、140-142まで点線で繋がれているせいか、動きが止まったのかのような効果を生み出している。
この曲でもフェルドマンのピアノ曲に特徴的な極端な音域の配置と跳躍が頻繁に現れる。例えば1段目の4番目のG7の直後に、両手は低音域の半音階的な和音へと即座に移動しないといけない。そしてまた、高音域を中心とする和音へとすばやく移る。このような音の極端な移動はこの曲の特徴の1つだといえるだろう。ある和音を高低どちらかの音域で鳴らした後、そこから極端に離れた音域へと移る動きは楽曲全体に見られる。特に顕著なのは2段目36-37、3段目41-42、55-56、4段目70-71。後半はさらにこの傾向が強まる。5段目は81の音からこの段が終わる98の音までの範囲一帯が極端な音域で配置されている。6段目、7段目もほとんどすべてがその都度の極端な音域で跳躍している。また、和音も乖離した配置のものが多い。これらのほとんどどれもが、和音の後に極端に離れた音域の単音が続くパターンを形成している。対して、半音階的に隣り合うクラスター状の和音は楽曲の前半に集中している。このタイプの和音が現れるのは1段目5、11、17、18、20、2段目26、31、33、34、35、38、4段目63、66、後半は8段目137のみである。実際に演奏している動画で手の動きを見てみると、音域の離れた和音を打鍵する時の両手の空間的な隔たりと、クラスター状の和音を打鍵する時の両手の接近とが対照をなしているようにも感じられる。
和音の構成音に関しては、1950年代前半からのフェルドマンの楽曲に頻出する7度音程がこの曲でも多く見ることができる。表中の灰色部分は外声(その和音の最高音と最低音)が7度音程で構成されている和音だ。なかでも目を引くのがD-C(場合によってはC#-D)の2音で、この曲の中で最も多く登場すると言ってもよい。クラスター状の和音を除いてこの2音を含む和音は1段目2、7-8-9、15、2段目21、24、34、3段目43-45-46、52、53、57。しばらくこの2音は姿を見せないが曲の締めくくりに近づいた7段目130、8段目138に再び現れる。実際に聴いている中でこの2音が頻繁に現れることにはなかなか気づかないのだが、楽譜に書かれている音としての頻度は高い。
もう1つ、この曲全体を通して現れる音がある。それは単音Gだ(表中、赤字になっている音)。Gが単音で現れるのは1段目4、14、19、2段目25、36、3段目45、4段目67、5段目82、6段目99、7段目119-121、8段目139。Gは様々な音域に配置されているうえに、装飾音や点線による持続音でも用いられている。極めて安易な発想を承知でいうとGはGustonの「G」と読むことができる。フェルドマンがこの曲のGの用法に込めた真意は定かではないが、面食らってしまうほどとりとめのない楽譜を見ていくうちに、Gが単音でどの段にも必ず配置され、際立たせられていることがわかる。だが、このGも聴取の中ではほとんど記憶に残らない。
以上のように楽譜に配置された音の様子から、これまでとりあげてきたフェルドマンの楽曲と同じく、何度も現れる音や特定の音程を見つけることができた。しかし、矢継ぎ早に複雑な響きの和音が繰り広げられるので、聴取の際は次々と聴こえてくる音のどの側面を寄る辺にしたらよいのかわからなくなってしまう。時折聴こえる極端に低いか高い音域の単音がこの中で比較的記憶に残りやすいが、それまでに聴いた音やこれから聴く音と関係付けられるわけでもない。まるで、ある出来事がその前後の出来事を打ち消して、私たちの記憶を阻害しているようだ。フェルドマンやKramerが言おうとしていた「垂直な音楽」、「垂直な時間」は際限なく現前する出来事をとおして私たちに否応なく「今」を突きつける。
次回は室内編成の「De Kooning」(1963)を中心に、やや変化した自由な持続の記譜法について考察する予定である。
[1] Morton Feldman, “Philip Guston: The Last Painter,” in Art News Annual, Vol. 1966, pp. 97-99 このエッセイはフェルドマンのエッセイ集Morton Feldman, Give My Regards to Eighth Street: Collected Writings of Morton Feldman, Edited by B. H. Friedman, Cambridge: Exact Change, 2000, pp. 37-40に再録されている。本稿ではフェルドマンのエッセイ集を参照した。
[2] Feldman 2000, op. cit., p. 37
[3] Ibid., p. 39
[4] Ibid., p. 39
[5] Ibid., p. 39
[6] Ibid., pp. 39-40
[7] Morton Feldman Solo Piano Works 1950-64, Edition Peters No. 67976, 1998.
[8] Jonathan W. Bernard, “Feldman’s Painters,” in The New York Schools of Music and Visual Arts: John Cage, Morton Feldman, Edgard Varèse, Willem de Kooning, Jasper Johns, Robert Rauschenberg, edited by Steven Johnson, New York: Routledge, 2002, p. 202
高橋智子
1978年仙台市生まれ。Joy DivisionとNew Orderが好きな無職。
(次回更新は12月15日の予定です)