吉池拓男の名盤・珍盤百選(30) ガヴリーロフという幸福

FRÉDERIC CHOPIN Andrei Gavrilov(p)  K&K Verlagsanstadt  LC 04457 2000年
FREDERIC CHOPIN NOCTURNES  Andrei Gavrilov(p)  UCM 2013年
Musci as Living Consciousness vol.1 Andrei Gavrilov(p) UCM/DA VINCI CLASSICS C00330 2020年

筆者は主に経済的な理由で滅多に演奏会に行きません。しかし、2020年の秋に珍しく2回演奏会に足を運びました。それがガヴリーロフです。本当は1回だけのつもりでしたのですが、あまりに自由奔放にして繊細かつ乱暴な(矛盾してるが本当)演奏だったために、それが常態なのか確認のためにもう一度聴きに行った次第です。で、2回ともほぼ同じ演奏でした。何度も暗譜がこけたり、打鍵が強烈過ぎるせいか前半だけでピアノの調律が狂いまくったのはご愛敬として、解釈やフレージングはほぼ定番ギャグの世界にまで昇華されていると深く感じ入った次第です。

ドイツグラモフォンに移籍して以降ほとんどフォローしていなかったので、今回略歴などを読み、改めてここ20年くらいの3枚のアルバム(それしかないはず)を聴き、なかなか大変な人生航路を辿って、今、こういうピアニストになっているのだなぁと勝手に解釈させていただきました。私見を交えた経歴としては、

1955年生まれ
1974年チャイコフスキー国際コンクール優勝
1976~1990年EMI専属 特に前半は暴れん坊ぶりを発揮。ガンガンバリバリの凄演多々。
80年代前半はソ連政府から政治的理由で睨まれて、なかなか大変だったようだ
1990~1993?年ドイツグラモフォンに移籍。らしくないつまらない演奏のCDを次々と出す。角を矯めてなんとやらの典型か。
1994~2000年演奏活動を離れて、哲学や宗教の研究に没頭。ま、迷ったのね。
2000年~演奏再開。ただもう忘れられたピアニストとなっていた模様。
2011年自伝発表。(筆者は未読)
2013年ショパンの夜想曲集のCDを自分で立ち上げたレーベル(UCM)から発表。たぶん10数年ぶりのCD。このCDは最初は自伝第2版の付録だったらしい。
2020年「生きていることを意識する音楽」シリーズ第1集を自分のレーベルから発売
2020年から始めたCD連作のネーミング(特に和訳)がスゴイですねぇ。迷った挙句の帰結にしては若干まだイタい感じがあります。

ではそんな迷いの時代のガヴリーロフのCDをご紹介しましょう。

★ショパン ライブ 1999年9月10日  K&K Verlagsanstadt  LC 04457

FRÉDERIC CHOPIN Andrei Gavrilov(p) 

1999年にドイツの修道院で行われた演奏会のライブ録音盤。演奏活動を離れて哲学と宗教の研究に没頭していたという時期のもの。ソナタ2番、バラード1・4番、練習曲5曲を収録。演奏解釈自体はグラモフォン時代のように真っ当で、後述する2013年の夜想曲集のようなことはありません。ただ、ガヴリーロフの長所の一つである美弱音へのこだわりも薄め。で、問題は技巧的な乱れ。いくらライブと言えども、ミスタッチや音抜け、暗譜落ちに近い別フレーズ弾きが細々とあり、特にバラード1番は悲しい出来です。2000年にこのCDを聴いたとき、個人的にはガヴリーロフというピアニストと別れを告げた思い出があります。このころ何を悩み、何処を目指していたのか。今回、宗教と哲学の日々だったという経歴情報を得てみると、この録音の出来の意味は変わってくるような感じがします。

★ショパン 夜想曲集 UCM 2013年

FREDERIC CHOPIN NOCTURNES  Andrei Gavrilov(p)

10年以上の時を経て発表された夜想曲集は、ガヴリーロフが独自の世界に旅立った事を如実に語っています。伸縮自在のテンポとフレージング、美弱音への徹底的なこだわり。2020年の来日公演での演奏とほぼ同じで、その時の印象含めて言えば「幸せなことがあって泥酔しているおっさんの鼻唄」です。もっとも特徴が良く出ているのが夜想曲第13番。特に前半は一拍ごとにテンポが変化するような凄いフレージング。右手の主旋律の歌い崩しもベテラン演歌歌手のようです。5番と9番はやたら休符やスタカーティッシモを意識した不思議なフレージング、第8番では極上の美弱音で揺らぎまくる鼻唄フレージングを聴けます。13番ほどの違和感はないのですが、いずれもテンポの揺れは激しいのでご注意ください。

このCDでは各曲のわりと長い解説もガヴリーロフが書いています。作曲者の声を直感によって現代の声に翻訳して伝えるというのが悩んだ日々の末にガヴリーロフが見つけた光明のようで、楽曲にとっぷりと身と心を委ねた姿が良くわかります。気のせいかもしれませんが、19世紀スタイルで弾いていた戦前のピアニストの演奏美学に近い香りが漂います。ただし、見方を変えると「おっさんのかなり困った自己本位演奏」でのあるので、聴く側にも度量が求められるなかなかにオモロイ演奏集です。

★「生きていることを意識する音楽」シリーズ第1集 UCM/DA VINCI CLASSICS C00330 2020年

Musci as Living Consciousness vol.1 Andrei Gavrilov(p)

あらためて見ても凄いタイトルですねぇ。収録曲はシューマンの「蝶々」「交響的練習曲」ムソルグスキーの「展覧会の絵」で、2019年の来日公演のプロと同じです。ジャケットのイラストからして、作曲家と自分が一体化していることを表現していると思われます。日本発売盤の帯裏には「この多面性を持ったアルバムによって、私は自身の新知識、技術、科学。哲学、演奏、新しい音楽のすべてを聴衆と共有している。直観を置き換えることは、音楽言語を純粋に知ることであり、それぞれの作曲家の音楽言語を純粋に知ること(日本語訳:生塩昭彦)」というありがたいガヴリーロフのお言葉が掲げられています。

で、2013年の夜想曲集からさらにどう進化したかと言うと……わりとフツーになっています。もちろん泥酔おっさん鼻唄風のこだわりフレージングは所々観られます。テンポの細かくて激しい揺れも健在です。自由度の大きい「展覧会の絵」の方がそういう行った側面は顕著ですが、全体としてみると「もっと2013年の夜想曲集の先にある独自世界を見たかった」という感想でしょうか。

かなり苦難の歴史を経てきたガヴリーロフは少なくとも2013年の夜想曲集以降、独自の新しい境地に進みつつあると思います。そのあまりに自由で“直感”的な演奏は羨ましくもあります。ライブで演奏が終わると聴衆に向かってWピースサインを突き出す彼の笑顔は、一つの確かな幸福を具現化しているように思います。演奏家はどんどん独自の道に行けばよいのです。誰も行かない道で見つけた幸せを私たちと共有できれば(あくまでも「できれば」ね)良いと私は信じます。

補記1《某所の演奏会で私の隣にいた品の良いおばさまたちの会話》
「なに、今日の演奏会。ピアノを強く叩きすぎてうるさいし、ショパンは変よね。ガヴリーロフだけはもう勘弁だって、主催者の〇〇さんに言っておくわ。」

補記2《ガンガンバリバリ時代の代表録音》
ガヴリーロフがEMI時代に録音したラフマニノフの前奏曲変ロ長調op.23-2。某ピアニストがこの演奏の2分18秒からの和音の連打は人間離れしていて呆れるしかないと語っていた。

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。