黛敏郎「君が代」と絶筆の「パッサカリア」

黛 敏郎

日本を代表する作曲家として現在も高い人気を誇る作曲家・黛敏郎。今回、ミューズプレスでは、日本の作曲家専門レーベル スリーシェルズの代表を務める音楽評論家の西耕一氏と黛家の協力のもと黛敏郎の編曲作品と絶筆となった未完のオーケストラ作品2点のフルスコアを出版します。

本日より2021年2月28日まで予約受付とします。発送は2021年3月1日より順次行います。なお、予約受付期間内にご予約をいただいたお客様には日本国内に限り送料無料でお送りさせていただきます。

黛敏郎 編曲「君が代」
黛敏郎の管弦楽編曲による《君が代》。これは伝統と現代の間で悩み、独自の音を探求してきた作曲家による一つの返答である。日本の伝統音楽を基にした《BUGAKU》や《昭和天平楽》とも共通する音響美がある。自国の文化、伝統が、未来に受け継がれ、続いてほしいと願うことに何の不条理があろうか。(西耕一)

黛敏郎 編曲:日本国歌「君が代」(オーケストラ編曲)
2000円(税込)
菊倍版|12頁
解説:西耕一
企画協力:スリーシェルズ、黛家


黛敏郎 作曲「パッサカリア」(未完・絶筆)
当時、指揮者・岩城宏之が率いるオーケストラ・アンサンブル金沢の委嘱により「パッサカリア」の作曲を始めた黛敏郎。コントラバスやハープによる空虚な5度和音を土台として不穏なピッコロソロに始まり、次第に様々な楽器も加わり、ベートーヴェンやモーツァルト、バッハなどの作品の断片が随所で駆け回ります。そこには混沌とした世界が広がります。この作品は、無念にも黛の死により完成されることはありませんでした。

《パッサカリア》は、黛敏郎の遺作であり未完。盟友・岩城宏之の率いるオーケストラ・アンサンブル金沢のための作曲であり、プリペアド・ピアノ協奏曲を構想していた。既に何度か死線を彷徨い、入院中に、テレビ番組や講演、会議等と並行しての作曲だった。しかし、その筆に迷いはない。(西耕一)

黛敏郎:パッサカリア(未完・絶筆)
2000円(税込)
菊倍版|12頁
解説:西耕一
企画協力:スリーシェルズ、黛家


これまでに弊社で刊行した黛敏郎の作品

黛 敏郎(まゆずみ としろう)
1929年(昭和4年)2月20日、横浜生まれ。東京音楽学校(東京藝術大学)で橋本國彦、池内友次郎、伊福部昭等に師事。1948年(昭和23年)に作曲した「拾個の独奏楽器の為のディヴェルティメント」により才能を認められる。1950年(昭和25年)作曲の「スフェノグラム」は、翌年のISCM国際現代音楽祭に入選して海外でも知られるようになる。1951年(昭和26年)パリ・コンセルヴァトワールへ留学、トニー・オーバン等に学ぶ。フランスから帰国後、ミュージック・コンクレートや日本初の電子音楽を手がけた。1953年(昭和28年)芥川也寸志、團伊玖磨と「3人の会」を結成。また、吉田秀和等と「二十世紀音楽研究所」を設立。雅楽・声明をはじめ、日本の伝統音楽にも造詣を深める一方、交響曲、バレエ、オペラ、映画音楽等の大作を発表した。1964年(昭和39年)より、テレビ番組「題名のない音楽会」の企画、出演。東京藝術大学講師、茶道「裏千家淡交会」顧問、評議員。「日本作曲家協議会」会長、「日本著作権協会」会長などを歴任した。 「涅槃交響曲」(1958)で第7回尾高賞、「BUGAKU」で第15回尾高賞を受賞。 主な作品に「ルンバ・ラプソディ」(1948)、「饗宴」(1954)、「曼荼羅交響曲」(1960)、「シロフォン小協奏曲」(1965)、オペラ「金閣寺」(1976)、「KOJIKI」(1993)、バレエ「The KABUKI」(1986)「M」(1993)他がある。ピアノ曲は、「前奏曲」「金の枝の踊り」「天地創造」などがある。ISCM入選(昭和31、32、38年)。毎日映画コンクール音楽賞(昭和25、32、38、40年)。毎日演劇賞(昭和33年)。ブルーリボン賞(昭和40年)。仏教伝道文化賞(昭和50年)。紫綬褒章(昭和61年)。 1997年(平成9年)4月10日逝去。