あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(14) 不揃いなシンメトリー -1

 フェルドマンが次に着目したのは絨毯の色合いにグラデーション状の微かな変化をもたらす技術、アブラッシュ(abrashまたはabraj)だ。アブラッシュはウルドゥー語で「しみのような、まだらな」を意味し、絨毯の色の微妙な差異やヴァリエーションを指す。微妙な色合いの織り糸を用いてパターンを編んでいくことで、アブラッシュによるグラデーションのような効果が絨毯にもたらされる。

大部分の田舎の絨毯の色の度合いは実際に目に見えるよりも広範囲に広がっているようだ。なぜなら、同じ色の濃淡が夥しいヴァリエーションを持っているからだ(アブラッシュという)――そのヴァリエーションは少量ずつ染めた糸によって生じる。私は作曲家として、絨毯の染色とそれが生み出す極めて微細な色合い全体に作用する、この類稀な側面に反応している。私の音楽は、色が本質的に単純な仕組みで使われている方法から主に影響を受けている。それはまた、音楽の素材の特性について私に問いかける。同じくらい単純な方法で、音楽の色に対応するには何を用いるのが最適なのだろう?パターンだ。

 The color-scale of most nonurban rugs appears more extensive than it actually is, due to the great variation of shades of the same color (abrash)—a result of the yarn having been dyed in small quantities. As a composer, I respond to this most singular aspect affecting a rug’s coloration and its creation of a microchromatic overall hue. My music has been influenced mainly by the methods in which color is used on essentially simple devices. It has made me question the nature of musical material. What could best be used to accommodate, by equally simple means, musical color? Patterns.[26]

 アブラッシュの技術は絨毯の色彩や影の要素に深く関わっている。だが、興味深いことに、フェルドマンがこの技術から喚起されたのは、音色やオーケストレーションといった音楽の色彩にまつわる考え方や技法ではなかった。彼は絨毯の繊細な色の数々ではなくて、これらの色の差異と類似性の原理に着目したのだった。彼はアブラッシュの技術を自身の音楽におけるパターンの技法に重ねようとする。

絨毯のパターンは記号、自然、あるいは幾何学的な形から抽出された――現実世界からの手がかりを残している。ジャスパー・ジョーンズのキャンヴァスはレンズに近くて、彼の目の動きに応じて導かれていて、そこでの形勢は――やや異なり、やや同じでもある――ケージの格言「自然をその作用方法において模倣する」[27]を思い出させる。パターン化された芸術を連想させる絵画もある一方で、他方、その起源が不明なところから生じる抽象的な詩もある。ジョーンズの絵について、それが本当にパターンなのかどうかを問うことだってできるだろう。パターンはいつパターンになるのだろうか?

 Rug patterns were either abstracted from symbols, nature, or geometric shapes—leaving clues from the real world. Jasper Johns’s canvas is more a lens, where were guided by his eye as it travels, where the tide—somewhat different, somewhat the same—brings to mind Cage’s dictum of “imitating nature in the manner of its operation.” There paintings create, on the other hand, the concreteness we associate with a patterned art and, on the other, an abstract poetry from not knowing its origins. We might even question in Johns whether they are patterns at all. When does a pattern becomes a pattern?[28]

 この一節はわかりやすくはないが示唆に富んでいる。絨毯を構成する個々のパターン自体が具体的な事物を象徴することはないが、その起源は現実に存在する記号や自然にまつわる表現にたどり着く。これらを抽象化したのが絨毯に用いられている小さなパターンの数々なのだとフェルドマンは述べている。次に唐突にジャスパー・ジョーンズ[29]が登場する。Steven Johnsonは、この時期のフェルドマンが絨毯だけでなく、類似したパターンの配置から構成されたジョーンズのクロスハッチ絵画 crosshatch paintings(パターンを網目状に配置した絵画) にも興味を抱いていたはずだと推測する。[30]Johnsonの論考ではジョーンズの作品「Scent」(1975-76)と「Usuyuki」(1979)の構成が分析されている。このことをふまえると、上記の引用でフェルドマンが心に描いていたジョーンズの作品は、これらの2作品と同時期の、類似した傾向の作品だといえるだろう。ジョーンズの作品を観ることは、対象物それぞれの特性、他のものと比べた場合の差異と類似性、それらを並べてできた全体的な構成、部分と全体との関係について思索することにも通じる。フェルドマンは、個々のパターンが織りなす全体から具体的な事物を読み取ろうとは思っていない。ケージの言葉の引用からわかる通り、フェルドマンの関心は事物の表層や表現や意味よりも、その事物が生成される機序にある。アブラッシュによってもたらされる色彩のグラデーションは、フェルドマンの創作にパターンの生成、パターン間の差異と類似性にまつわる問いを投げかけた。

 次のセクションでは、絨毯が彼の音楽のどの側面に影響を与えたのかを考察する。


[1] フェルドマンはYorukと書いているがYörükのアルファベット表記も存在する。
[2] Morton Feldman, “Philip Guston: 1980/ The Last Works,” Give My Regards to Eighth Street: Collected Writings of Morton Feldman, Edited by B. H. Friedman, Cambridge: Exact Change, 2000, p. 130
[3] Sebastian Claren, Neither: Die Musik Morton Feldmans, Hofheim: Wolke Verlag, 2000巻末に収録のバイオグラフィーのS. 539(インタヴュー集Morton Feldman Saysにはこのバイオグラフィーの英訳が収録されている)では、フェルドマンが初めてイランを訪れたのが1976年と記されている。シラーズ芸術祭についてのいくつかの資料(シラーズ芸術祭の歩みをまとめたMahasti Afshar, “Festival of Arts: Shiraz-Persepolis,”(刊行年不明)と、脚注6で引用したCharneyの論文)から、フェルドマン初のイラン渡航は1977年の可能性が高い。従って本稿では1977年をフェルドマンのイラン初渡航とみなす。
[4] Bunita Marcus, “The Square Knot: A Memoir,” in Vertical Thoughts: Morton Feldman and the visual arts, Dublin: Irish Museum of Modern Art, 2010, p. 197
[5] Ibid., p. 197
[6] Joshua Charney, “The Shiraz Arts Festival: Cultural Democracy, National Identity, and Revolution in Iranian Performance, 1967-1977,” Doctoral Dissertation of US San Diego, 2000, p. 26
[7] 前述のClarenによるNeither巻末バイオグラフィー(S. 539)にはフェルドマンがシラーズで初めて絨毯を買ったと記載されている。
[8] Marcus 2010, op. cit., p. 197
[9] Ibid., p. 197
[10] Ibid., p. 197
[11] Ibid., p. 198
[12] Ibid., p. 200
[13] Ibid., p. 201
[14] Ibid., p. 201
[15] アイルランド近代美術館(Irish Museum of Modern Art)Vertical Thoughts: Morton Feldman and the visual arts https://imma.ie/whats-on/vertical-thoughts-morton-feldman-and-the-visual-arts/
[16] Marcus 2010, op. cit., p. 201
[17] Ibid., p. 201
[18] Ibid., p. 201
[19] Ibid., p. 201
[20] Feldman “Crippled Symmetry,” Give My Regards to Eighth Street: Collected Writings of Morton Feldman, Edited by B. H. Friedman, Cambridge: Exact Change, 2000, p. 134
[21] Feldman 2000, op. cit., p. 134
[22] Ibid., p. 134
[23] Ibid., p. 134
[24] Ibid., p. 136
[25] Ibid., p. 137
[26] Ibid., pp. 138-139
[27] この部分の訳は白石美雪『ジョン・ケージ 混沌ではなくアナーキー』東京:武蔵野美術大学出版局、2009年、59頁から引用。白石によれば、ケージがしばしば引用しているこの一節はインドの哲学者、アーナンダ・クーマラスワミーの言葉「imitate Nature in her manner of operations」に由来する。
[28] Feldman 2000, op. cit., p. 139
[29] MoMAのサイトでジョーンズの作品を閲覧できる。 https://www.moma.org/artists/2923「Four Panels from Untitled 1972」(1973-74)、「The Dutch Wives」(1978)等の作品もクロスハッチ絵画に分類される。
[30] Steven Johnson, “Jasper Johns and Morton Feldman: What Patterns?,” The New York Schools of Music and Visual Arts: John Cage, Morton Feldman, Edgard Varèse, Willem de Kooning, Jasper Johns, Robert Rauschenberg, edited by Steven Johnson, New York: Routledge, 2002, p. 219

高橋智子
1978年仙台市生まれ。Joy DivisionとNew Orderが好きな無職。
(次回掲載は5月31日の予定です)