あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(14) 不揃いなシンメトリー -2

2. 絨毯からの影響 1970年代後半から1980年にかけての楽曲の変化

 絨毯の結び目の種類、織り方、染色、パターンによる構成についての知識が深まるにつれて、フェルドマンは絨毯の技術や製法に引きつけて自分の創作を思索し始める。先のセクションに引き続き、「不揃いなシンメトリー Crippled Symmetry」の概念の解釈の可能性を探りながら、絨毯が彼の楽曲に与えた影響を考える。

 オペラ「Neither」のローマでの初演を終えた1977年夏にイランのシラーズを訪れて以来、フェルドマンが絨毯に熱中し始めたのは既述した通りだ。「Neither」以降のフェルドマンのどの楽曲に絨毯の影響が現れてきたのだろうか。フェルドマンは1983年に行われたインタヴューで次のように語っている。

古い中東の絨毯では染料が少量しか作られないので、これらの染料の色の変化によって絨毯全体に不完全さが広がってしまう。ほとんどの人はこれらの色の変化を不完全だと感じている。それにもかかわらず、絨毯をすばらしいものにしているのは、これらの少量の染料の群がりの上にできる光の反映だ。私はこれを、調子を合わせることと調子を外すこととして解釈している。絨毯のこのやり方には名前がある――アブラッシュと呼ばれている――色の変化は「Instruments III」[1](1977)のような曲へと導く。この曲は私の絨毯のアイディアの始まりだった。

In older oriental rugs the dyes are made in small amounts and so what happens is that there is an imperfection throughout the rug of changing colors of these dyes. Most people feel that they are imperfections. Actually it is the refraction of the light on these small dye batches that makes the rugs wonderful. I interpreted this as going in and out of tune. There is a name for that in rugs – it’s called abrash – a change of colors that leads us into pieces like Instruments 3 [1977] which was the beginning of my rug idea.[2]

 ここでフェルドマンは「Instrumental 3」が絨毯に着想を得た最初の曲だと明言している。この曲で彼は、少量の染料が醸し出すグラデーション効果、アブラッシュの技術を音楽で初めて試みる。

Feldman/ Instrumental 3
https://www.universaledition.com/morton-feldman-220/works/instruments-3-2898
Universal Editionのサイトで2分間試聴できる。

 編成はフルート(アルト・フルートとピッコロ兼)、オーボエ(コール・アングレ兼)、打楽器(グロッケンシュピール、トライアングル、サスペンド・シンバル3)で、3人の奏者で演奏される。演奏時間は約15分。UEのサイトで聴くことのできる2分間では、サスペンド・シンバルのトレモロ風の連打とその残響が滲み出るグラデーションのイメージを掻き立てる。アルト・フルートとイングリッシュ・ホルンの音の引きのばし、重なり、行き交わしはサスペンド・シンバルによるグラデーションの上で展開される柄やパターンに喩えられる。木管楽器の後を追うように鳴らされる煌びやかなグロッケンシュピールの音色は光の反映だろうか。やや強引ではあるが、絨毯におけるアブラッシュの効果をふまえると、この曲を以上のように描写できる。

 オペラ「Neither」の作曲を経て、「Instruments 3」と同じく1977年に作曲されたピアノ独奏曲、その名も「Piano」にも絨毯からの影響がうかがわれる。この曲の演奏時間は約25分。フェルドマンがピアノ独奏曲を作曲するのは1964年の「Piano Piece (1964)」以来13年ぶりだ。

Feldman/ Piano

 「Piano」でのフェルドマンの主な関心事として、パターンとその配置、ヴァリエーションと反復、不揃いなシンメトリー crippled symmetryの概念があげられる。Paula Kopstic Amesは絨毯がこの曲に与えた影響について次のように述べている。「絨毯の配色がフェルドマンの反復とヴァリエーションに類似性を見出している。後者は声部の再構成、半音階的な変更、音域の再配置を含む。絨毯のパターンの不規則な配置が音楽の不規則な足取りへと変換されている。The rugs’ coloration finds its analogue in Feldman’s repetitions and variations. The latter include revoicings, chromatic alterations and reregistrations. The irregular placement of the rugs’ patterns translates into irregular musical pacing.」[3] 1つの和音やモティーフを繰り返すたびに構成音の音域や音高を微かに変化させる手法は、これまでのフェルドマンの楽曲にもとても頻繁に見られた。絨毯との出会いによってこれらに新たに加わった特徴があるならば、それはフェルドマン独自のシンメトリーの概念だろう。フェルドマンが提唱する「不揃いなシンメトリー」は、シンメトリーの枠組み内での不規則、不完全、不均衡といった、シンメトリーの概念と矛盾する要素をむしろ肯定的に内包しているのだった。

フェルドマンにとって、シンメトリーは2つの意味を持っていた。ひとつは、完璧に均整のとれた対象(または構造やパターン)。もうひとつの見方は、他の対象との位置関係。規則的な間隔に見えたならば、それは対称的だ。このようなシンメトリーは周期性を示し、音楽の場合は予測可能なリズムのパルスを意味する。この文脈は強力な参照基準を聴き手にもたらす。フェルドマンがシンメトリーを「不揃いにした」時、彼は対象(パターン)とその配置両方に関してそれを行ったのだ。「不規則な時間の間隔は……パターン作りの際の緊密な結びつきの側面を弱めてしまう」ので、予測不可能性の要素をもたらす。しかしながら、シンメトリーを変えるには限度がある。特定の範囲を超えると、参照点が消滅してしまう。

To Feldman, symmetry had two meanings: the standard view of a perfectly balanced object (or structure or pattern), and an additional view of its placement in relation to other objects. If it appears at regular intervals, it is symmetric. Such symmetry implies periodicity, and in music, a predictable rhythmic pulse. This context provides a strong standard of reference for the listener. When Feldman “crippled” the symmetry he did so with regards to both the object (pattern) and its placement. Placement at “irregular time intervals… diminish(es) the close-knit aspect of patterning,” and provides the element of unpredictability. However, symmetry can be altered only so much; beyond a certain limit, the standard of reference dissipates.[4]

 前のセクションで、音楽におけるシンメトリーの概念は聴取よりも記譜や楽譜の中で捉える視覚的な性格が強いのではないかと考察した。だが、フェルドマンの発言(引用文中「 」および“  ”はAmesによるインタヴューでのフェルドマンの発言)をふまえたAmesの解釈を読むと、彼のシンメトリーの概念は必ずしも記譜や楽譜の外見に限ったことではない。フェルドマンのシンメトリーの概念は、その音楽に対する記憶や期待(文中では「参照点」と呼ばれている)と結びつけられた規則性と不規則性、予測可能性と予測不可能性の要素に関わっているのだとわかる。これらの要素は、聴き手がその音楽を聴いている時に経験する時間と空間の性質にも関わっているといえるだろう。絨毯におけるシンメトリーは外見、つまり視覚に関わる、どちらかというと即物的、物理的な事柄だ。一方、音楽におけるシンメトリーは聴き手の記憶に依拠しているので把握し難い。フェルドマンが絨毯の技術から学んだのは、シンメトリーの枠組みを維持しながら最大限に逸脱する際のさじ加減だったのかもしれない。