あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(14) 不揃いなシンメトリー -2

2. 絨毯からの影響 1970年代後半から1980年にかけての楽曲の変化

 絨毯の結び目の種類、織り方、染色、パターンによる構成についての知識が深まるにつれて、フェルドマンは絨毯の技術や製法に引きつけて自分の創作を思索し始める。先のセクションに引き続き、「不揃いなシンメトリー Crippled Symmetry」の概念の解釈の可能性を探りながら、絨毯が彼の楽曲に与えた影響を考える。

 オペラ「Neither」のローマでの初演を終えた1977年夏にイランのシラーズを訪れて以来、フェルドマンが絨毯に熱中し始めたのは既述した通りだ。「Neither」以降のフェルドマンのどの楽曲に絨毯の影響が現れてきたのだろうか。フェルドマンは1983年に行われたインタヴューで次のように語っている。

古い中東の絨毯では染料が少量しか作られないので、これらの染料の色の変化によって絨毯全体に不完全さが広がってしまう。ほとんどの人はこれらの色の変化を不完全だと感じている。それにもかかわらず、絨毯をすばらしいものにしているのは、これらの少量の染料の群がりの上にできる光の反映だ。私はこれを、調子を合わせることと調子を外すこととして解釈している。絨毯のこのやり方には名前がある――アブラッシュと呼ばれている――色の変化は「Instruments III」[1](1977)のような曲へと導く。この曲は私の絨毯のアイディアの始まりだった。

In older oriental rugs the dyes are made in small amounts and so what happens is that there is an imperfection throughout the rug of changing colors of these dyes. Most people feel that they are imperfections. Actually it is the refraction of the light on these small dye batches that makes the rugs wonderful. I interpreted this as going in and out of tune. There is a name for that in rugs – it’s called abrash – a change of colors that leads us into pieces like Instruments 3 [1977] which was the beginning of my rug idea.[2]

 ここでフェルドマンは「Instrumental 3」が絨毯に着想を得た最初の曲だと明言している。この曲で彼は、少量の染料が醸し出すグラデーション効果、アブラッシュの技術を音楽で初めて試みる。

Feldman/ Instrumental 3
https://www.universaledition.com/morton-feldman-220/works/instruments-3-2898
Universal Editionのサイトで2分間試聴できる。

 編成はフルート(アルト・フルートとピッコロ兼)、オーボエ(コール・アングレ兼)、打楽器(グロッケンシュピール、トライアングル、サスペンド・シンバル3)で、3人の奏者で演奏される。演奏時間は約15分。UEのサイトで聴くことのできる2分間では、サスペンド・シンバルのトレモロ風の連打とその残響が滲み出るグラデーションのイメージを掻き立てる。アルト・フルートとイングリッシュ・ホルンの音の引きのばし、重なり、行き交わしはサスペンド・シンバルによるグラデーションの上で展開される柄やパターンに喩えられる。木管楽器の後を追うように鳴らされる煌びやかなグロッケンシュピールの音色は光の反映だろうか。やや強引ではあるが、絨毯におけるアブラッシュの効果をふまえると、この曲を以上のように描写できる。

 オペラ「Neither」の作曲を経て、「Instruments 3」と同じく1977年に作曲されたピアノ独奏曲、その名も「Piano」にも絨毯からの影響がうかがわれる。この曲の演奏時間は約25分。フェルドマンがピアノ独奏曲を作曲するのは1964年の「Piano Piece (1964)」以来13年ぶりだ。

Feldman/ Piano

 「Piano」でのフェルドマンの主な関心事として、パターンとその配置、ヴァリエーションと反復、不揃いなシンメトリー crippled symmetryの概念があげられる。Paula Kopstic Amesは絨毯がこの曲に与えた影響について次のように述べている。「絨毯の配色がフェルドマンの反復とヴァリエーションに類似性を見出している。後者は声部の再構成、半音階的な変更、音域の再配置を含む。絨毯のパターンの不規則な配置が音楽の不規則な足取りへと変換されている。The rugs’ coloration finds its analogue in Feldman’s repetitions and variations. The latter include revoicings, chromatic alterations and reregistrations. The irregular placement of the rugs’ patterns translates into irregular musical pacing.」[3] 1つの和音やモティーフを繰り返すたびに構成音の音域や音高を微かに変化させる手法は、これまでのフェルドマンの楽曲にもとても頻繁に見られた。絨毯との出会いによってこれらに新たに加わった特徴があるならば、それはフェルドマン独自のシンメトリーの概念だろう。フェルドマンが提唱する「不揃いなシンメトリー」は、シンメトリーの枠組み内での不規則、不完全、不均衡といった、シンメトリーの概念と矛盾する要素をむしろ肯定的に内包しているのだった。

フェルドマンにとって、シンメトリーは2つの意味を持っていた。ひとつは、完璧に均整のとれた対象(または構造やパターン)。もうひとつの見方は、他の対象との位置関係。規則的な間隔に見えたならば、それは対称的だ。このようなシンメトリーは周期性を示し、音楽の場合は予測可能なリズムのパルスを意味する。この文脈は強力な参照基準を聴き手にもたらす。フェルドマンがシンメトリーを「不揃いにした」時、彼は対象(パターン)とその配置両方に関してそれを行ったのだ。「不規則な時間の間隔は……パターン作りの際の緊密な結びつきの側面を弱めてしまう」ので、予測不可能性の要素をもたらす。しかしながら、シンメトリーを変えるには限度がある。特定の範囲を超えると、参照点が消滅してしまう。

To Feldman, symmetry had two meanings: the standard view of a perfectly balanced object (or structure or pattern), and an additional view of its placement in relation to other objects. If it appears at regular intervals, it is symmetric. Such symmetry implies periodicity, and in music, a predictable rhythmic pulse. This context provides a strong standard of reference for the listener. When Feldman “crippled” the symmetry he did so with regards to both the object (pattern) and its placement. Placement at “irregular time intervals… diminish(es) the close-knit aspect of patterning,” and provides the element of unpredictability. However, symmetry can be altered only so much; beyond a certain limit, the standard of reference dissipates.[4]

 前のセクションで、音楽におけるシンメトリーの概念は聴取よりも記譜や楽譜の中で捉える視覚的な性格が強いのではないかと考察した。だが、フェルドマンの発言(引用文中「 」および“  ”はAmesによるインタヴューでのフェルドマンの発言)をふまえたAmesの解釈を読むと、彼のシンメトリーの概念は必ずしも記譜や楽譜の外見に限ったことではない。フェルドマンのシンメトリーの概念は、その音楽に対する記憶や期待(文中では「参照点」と呼ばれている)と結びつけられた規則性と不規則性、予測可能性と予測不可能性の要素に関わっているのだとわかる。これらの要素は、聴き手がその音楽を聴いている時に経験する時間と空間の性質にも関わっているといえるだろう。絨毯におけるシンメトリーは外見、つまり視覚に関わる、どちらかというと即物的、物理的な事柄だ。一方、音楽におけるシンメトリーは聴き手の記憶に依拠しているので把握し難い。フェルドマンが絨毯の技術から学んだのは、シンメトリーの枠組みを維持しながら最大限に逸脱する際のさじ加減だったのかもしれない。

 「Piano」のテンポは♩=約63。全29ページで構成される出版譜には小節番号や練習番号が付されていないが、フェルドマンのスケッチと1982年に行ったフェルドマンへのインタヴューに基づいたAmesによる分析では、スケッチの段階でフェルドマンが全体を55に区切っていたことが明らかにされている。[5] Amesはこれらの区切りを「システム system」と呼ぶ(本稿では曲中での個々のシステムの範囲については省略する)。Amesはこれら55のシステムをグループとしてまとめ、「Piano」にA-B-C-コーダの構成を見出している[6]

A:スコア1ページ、1小節目(システム1)から16ページ、8小節目(システム28)まで
B:16ページ、9小節目(システム29)から20ページ、12小節目(システム36)まで
C:20ページ、13小節目(システム37)から27ページ最後(システム50)まで
coda:28ページ、1小節目(システム51)から29ページ最後(システム55)まで[7]

 各セクションの長さは、セクションAが最長、Bが最短、CはAとBの中間くらいの長さ、コーダはその性質上Bよりもさらに短い。セクション間の長さを比べると、もしもAとCの長さがほぼ同じだったら、AとCがBを囲むシンメトリー構造になっているといえるが、ここではそうはなっておらず、A-B-Cとコーダの長さの比は不均衡だ。

 曲中の音の動きは以下の8種類に分類できる。下の一覧はこれらの動きの特性と、これらが登場する主な箇所をセクションAを例に記している。

①不規則に動く和音:1ページ目1小節目から2ページ目5小節目など
②左手のB5-C6と右手のD♭6とによって形成されるオシレーションのような動き:2ページ目、5-9小節
③同一和音の連打:5ページ目、6-9小節
④構成音の配置をその都度変えて打鍵される同一和音:3ページ目、9小節目から4ページ目、1小節目まで(右手:F#-G-A♭、左手:D#-E-F)
⑤両手で交互に打鍵される単音:9、10、14、16ページ目
⑥和音の半音階的な下行:4ページ目、5-11小節
⑦コラール風の和音の揺れ動き:5ページ目、10小節目から6ページ目、9小節目まで
⑧同じペースで打鍵される和音:6ページ目、13小節目から7ページ目、5小節目まで

 セクションAでは、上記で言及されなかった範囲の音の動きの大部分が①不規則に動く和音に分類されるといってもよい。①は時に幅広い跳躍を伴い、前後のつながりを考慮せずランダムに和音や単音が配置された1950年代のピアノ曲を思い出させる。この中で比較的、耳でシンメトリーの感覚を捉えやすいのは②のオシレーションのような動き、③の同一和音の連打、④の異なる配置で打鍵される同一和音の響きだと思われる。なぜなら、これら3つは、同じ、またはよく似たものを繰り返すうちに聴き手に記憶の参照点を与えているからだ。最初はなんだかわからなかったパターンや響きに対して、聴き手は反復の過程でそれらに慣れてきて、いつのまにか自分自身の記憶の中になんらかの参照点を作り出す。シンメトリーを形成する明確な中心点の把握にいたらなくとも、聴き覚えのあるパターンや響きの中に規則性の感覚を抱くことも可能だろう。このような一連の聴取の過程を、耳で捉えるシンメトリーということができる。既に述べたように、フェルドマンにとってのシンメトリーの概念は規則性と不規則性、予測可能性と予測不可能性に関わっている。文字で読むだけではこれらの感覚を実感しにくい。「Piano」が生み出す響きと、それを聴く行為を通して、これらの感覚が実体験として現実味を帯びてくる。スコアを見てみると、②③④のいずれも同じものをそっくりそのまま繰り返しているわけではないことがわかる。むしろスコア3ページ目に起きる④は、その都度、和音が転回し、さらには音価も異なるので、この範囲の和音が実は全て同じ構成音の和音であることに気付きにくい。これまでのフェルドマンの楽曲にもしばしば見られたが、記譜、つまり視覚から得る印象と、実際に音を聴いた際に得る印象の乖離がこの曲でも起きている。

 スコア7ページの6小節目からは大譜表が2つ重ねられている。さらには11-14ページの半分までの範囲では大譜表が3つ重ねられている。これらの大譜表の重なりをAmesは「層 layers」とみなして分析している。大譜表の重なりについてAmesがフェルドマンに質問したところ、彼はこれを「機能的なコラージュ functional collage」とみなしたが、後日、次のように解説してくれたという。[8]

実際のところそれはコラージュではない。私のコラージュの定義は2つの明らかに異なる(種類の)素材を持っている場合をいう。私はこれらをさらに深い(テクスチュア)を生み出す垂直な構造だと思っている。コラージュというよりも、「重ね合わせ」が適切に見える……ある意味、私はそれを層よりも対位法や和声の構造に結びつけて考えている……フーガとそっくりな。

It’s not really a collage. My definition of a collage is when you have two obviously different (kind of) material. I feel that these are vertical structures creating a more dense (texture). Rather than collage, I think the word ‘superimposition’ is more apt… in a sense I see it more related to counterpoint and harmonic textures rather than layering… very much like a fugue.[9]

 フェルドマンはひとりのピアニストのために複数の大譜表を重ね合わせて、より深いテクスチュアを作ろうとした。もちろん「Piano」には対位法や、和音間の声部連結法の意味での和声構造は見られない。フーガの要素も希薄だ。ここでフェルドマンが言おうとしているのは、これらの技法そのものではなく、複数の要素を同時に重ねることでできる複雑な構造のことだろう。その喩えとして「フーガ」という言葉が出てきた。絨毯のことを思い出すと、細かいパターンによってできた複数のブロックが寄り集まって1つの面を構成している様子も、ブロック間の重なりや絡まり合いの点でフーガにたとえることができる。スコア13ページの4小節目から14ページ前半までの重なりの様子を見てみると、上から1段目は①の不規則な動き。2段目は④で、13ページでの和音は3ページの9小節目から4ページ、1小節目までの和音と同じで(右手:F#-G-A♭、左手:D#-E-F)、14ページからはこれらの和音の構成音が若干変わる。3段目は⑤の単音の動きを次のページまで続ける。3段とも拍子は同じだが、全く違う3つの流れが同時進行しているといってもよい。極端に速いパッセージではないものの、音域、音の長さ、動きが三者三様のこの箇所をひとりのピアニストが同時に弾くには相応の技術が必要だろう。

 スコア16ページ目の後半から始まるセクションBは、④構成音の配置をその都度変える和音を中心としている。このセクションの冒頭から3小節間は、左手の1つ目の和音に含まれるF#3を例外として、G-G#/A♭-A-B-C-C#-Dの7音でできている。これらの音が様々な組み合わせで配置されている。ここでは交互に記された強弱記号fffとpppもパターンを作る。fffとpppとの交換によるパターンは17ページ後半から18ページ3小節目までの2段目の大譜表、19ページ3段目の大譜表の最終小節から20ページ4小節目までの範囲にも見られる。これらのfffとpppとの交換は強弱の対照的な効果だけでなく、fffでの強力なアタックの残響と余韻をpppが受け止めて、fffから波紋のように広がる音響のイメージを喚起させる。その様子は、絨毯の色のグラデーション効果をもたらすアブラッシュの技術を思い出させる。

 上述の通り、セクションBは7つの構成音の様々な組み合わせから始まる。その後、徐々に構成音が変化し、別の和音やパターンが始まる。耳では把握しにくいが、17ページ2-3小節目の右手和音の最低音E4-B♭4、5-6小節目と7小節目の最高音E5-B♭5は減5度、つまり3全音が3回繰り返されている。フェルドマンがここで3全音の跳躍を繰り返した意図や理由は不明だが、スコアからはっきりと読み取ることができるので指摘しておく。

 セクションBでは拍子記号、小節の配列、休符もシンメトリーの形成に寄与している。1つの大譜表に戻った20ページ、6-12小節間の拍子は3/4 | 5/8 | 3/4 | 5/8 | 3/4 | 5/8 | 3/4 |の順に並んでいる。全休符の9小節目を中心軸に、6小節目と12小節目、7小節目と11小節目、8小節目と11小節目が鏡像形、つまりシンメトリーを形成している。ここで重要なのは対応関係にあるそれぞれの小節が完全に同一ではないことだ。例えば6小節目はG♭1、12小節目はG4-A♭4なので、Gの周辺の音で共通しているが、完全に同じではない。8小節目と11小節目の関係も同じで、この2小節の和音を比べてみると、構成音をいくつか共有しているが完全に同じではない。このようなわずかな差異や逸脱を含んだシンメトリーを「不揃いなシンメトリー」と呼ぶことができるだろう。

 セクションBを締め括る不揃いなシンメトリーの直後、スコア20ページ、13小節目からセクションCが始まる。セクションBも拍子が頻繁に変化したが、セクションCでは拍子がさらにめまぐるしく変化する。例えば、このセクションの始まりから21ページ目までの23小節間では1小節ごとに拍子が変わり、同じ拍子が2小節以上続くことはない。拍子のめまぐるしい変化の一方、この部分にはパターン化された動きが見られる。このパターンの始まり(20ページ、13小節目、5/16拍子)は左手のB1、右手のC4-D6。この3音を中心として、16分音符でのE♭-A4(減5度、3全音)が右手のC4-D6に対する前打音のように打鍵される。この装飾音のようなパターンは3回鳴らされる。左手は20ページ、15小節目ではA#1-B2、続く16小節目では先の2音がB1-A#2へと入れ替わる。同じ入れ替わりは21ページの2小節目と4小節目でも行われている。次いで21ページ目、5小節目から14小節目まで、右手が4度か5度の2音を、左手が9度(E2-G♭3を異名同音のE2-F#3に読み替えている)の2音を不規則な間隔で鳴らす。スコアを見ると、拍子、和音、音価が全て1小節ごとに異なるので非常に不安定で忙しなく感じるが、この範囲の鳴り響きは比較的安定したペースで進んでいるように聴こえる。

 22ページ、8小節目からのアルペジオは、これまでとは異なる素早い身振りの感覚をこの曲にもたらす。今までと性格の異なる要素を突然挿入する書法はフェルドマンが得意とするところだろう。アルペジオを伴う一連のパッセージが23ページの2小節目で終わると、曲は和音の引きのばしを中心とするテクスチュアに戻る。

 24ページの後半から再び大譜表が層状に重なる。ここで重ねられているそれぞれの大譜表は曲中で既に現れた素材からできている。

p. 24 後半

1段目p. 20, mm. 13-16, p. 21, mm. 1-2
2段目p. 21, mm. 4-8

p. 25 前半

1段目p. 21, mm. 3-4, p. 20, mm. 13-15
2段目p. 21, mm. 13-15の途中まで(全休符の2小節間を除く)
3段目p. 21, mm. 9-10, p. 21mm. 4-5
*1段目3小節目(7/16拍子、全休符)は20ページ、15小節目(7/16拍子)から派生。

p. 25 後半

1段目p. 20, mm. 15-16, p. 21, mm.1-4
2段目p. 22, mm. 15-17, p. 23, mm. 1-3
3段目p. 21, mm. 6-9
*1段目6小節目(3/16拍子、全休符)は21ページ、4小節目(3/8拍子)の変化形。
*2段目6小節目(7/16拍子、全休符)は23ページ、3小節目(7/8拍子)の変化形。
*3段目3小節目G#3-A3-E5-B5と、21ページ、8小節目G#3-A4- B5-E6は、配置は異なるが構成音が同じ和音。

p. 26 前半

1段目p. 23, mm. 3-5
2段目p. 23, mm. 10-13
3段目p. 23, mm. 17-20の途中まで
*1段目3小節目(8/7拍子、全休符)は23ページ、5小節目(11/8拍子、全休符)の変化形。

p. 26 後半

1段目p. 23, mm. 6-10
2段目p. 23, mm. 14-18
3段目p. 23, m. 20(p. 26, m. 4からの続き), p. 24, mm. 1-3
*3段目2小節目A♭3-G3-D5-E♭5は、24ページ、1小節目のA♭3-G3-D5-E♭6の最高音を1オクターヴ低くした和音
*3段目4小節目A♭3-F#4-D5-E5- E♭6は24ページ3小節目のA♭3-F#4-G4- D5-E5- E♭6の変化形とも解釈できるが、ここで23ページの方の和音からG4を省く理由を考えにくい。このG4の欠如はフェルドマンか出版社による書き間違いの可能性もある。

p. 27 前半

1段目p. 23, mm. 17-20の途中まで(p. 26前半3段目と同じ)
2段目p. 23, mm. 10-13(p. 26前半2段目と同じ)
3段目p. 19, mm. 6-9
*3段目と19ページ目6-9小節間の和音は同じだが、拍子が異なる

p. 27 後半

1段目p. 23, m. 20(p. 27前半4小節目からの続き), p. 24, mm. 1-3(p. 26後半3段目と同じ)
2段目p. 23, mm. 14-18(p. 26後半2段目と同じ)
3段目p. 16, m. 10, p. 16, m. 12, p. 16, m. 9
*3段目1小節目の和音は16ページ、10小節目1つ目の和音に、2小節目の和音は16ページ10小節目2つ目の和音に対応している。
*3段目3小節目は16ページ、12小節目1つ目の左手和音を1オクターヴ低くした和音。右手は16ページの同じ右手和音のオクターヴと構成音の配置を入れ替えた和音。
*3段目4小節目の右手和音A4-B♭4-A♭5は16ページ、9小節目の右手和音A4-B♭4-G#5と異名同音の関係にある。

 スコア24ページからの大譜表の重なりの様子から、スコアの1ページ内の譜表を解体し、それらを2つか3つの大譜表に割り当てている傾向がわかる。これは譜表および小節の水平な流れを垂直な重なりに再構成する作業ともいえ、同じページ内の素材を再構成することで、本来ならば同時に鳴ることのなかった音同士が一斉に鳴らされる。この再構成が巧妙なのは、ここに用いられている素材が24ページ目以降とそれほど離れていないことだ。ほとんどの素材が「すぐそこにある過去」の再出現なので、それらをはっきり覚えているわけでなくとも、完全に忘れ去ったわけでもない。27ページになると、その直前の26ページと同じことを繰り返し、自己反復によって過去がもっと近くなる。24ページ後半から27ページまでの大譜表の重なりは、既存の素材を並べ替えただけの単純な作業に過ぎないかもしれないが、何かをほんの少しずらしたり、繰り返したりするだけで、そこから思いがけず大きな差異が生まれる可能性を示唆している。

 スコア28ページから始まるコーダの和音のいくつかはセクションBの和音に由来する。[10]セクションCの最終ページである27ページ目後半の3段目の大譜表がセクションBの和音を先取りしていたため、セクションCとコーダの連結はスコアの上ではスムーズに見える。コーダの和音は最高音がG5またはA♭5。この2音の揺れ動きが繰り返される構成だ。この2音以下の音の組み合わせはその都度変化する。

 セクションBの和音がコーダでどのように用いられているのかを概観すると、例えば、ここで頻出する和音の1つである28ページ、1小節目の和音B2-C3-C#3-D3-G#4-A4-B♭-G5は異名同音や転回を用いながら様々なかたちで現れる。2小節目の和音B2-C3-D3-C#4-G4-A4-B♭-A♭5もこの和音と構成音を共有している。この和音のルーツはセクションBが始まって間もない、16ページ、10小節目の2つの和音C#4-D4-B4-C5-G#5-A5-B♭5-G6とB2-C3-D3-C#4-G4-A4-B♭4-A♭5にたどることができる。もう1つの例をあげると、28ページ7小節目の和音A#2-B2-C3-D3-F4-D♭5-F#5-G5の和音は、16ページ12小節目の1つ目の和音、A#3-B3-D4-C5-F5-G5-F5-G5-D♭5-F#6と構成音を共有している。この2つの和音も構成音の配置が違うので同定しにくい。G5またはA♭5を最高音とする同じような2種類の和音が内部の構成音を少しずつ変えながら打鍵される様子は、微妙な差異を持つ糸の色合いから創出される絨毯のアブラッシュ技法を思い出させる。ここで言及したのはたった2つの例だが、コーダ全体がセクションBという現在地からやや遠い過去の素材と記憶を再構成している部分だとわかる。すぐそこにある過去を呼び戻したセクションC後半の大譜表の重なりと比べると、離れて位置するコーダとセクションBとを関連づける記憶の参照点の効力は若干、弱めかもしれない。

 フェルドマンが絨毯の作業手順や考え方から着想した概念「不揃いなシンメトリー」を「Piano」の様々な側面から探った。この概念は、既に出てきた素材を複数の大譜表で重ねる手法とその視覚的な効果(ピアノを弾く人にとってはかなりインパクトのある譜面である)、小節の配列、和声の構成音の操作などに作用している。絨毯から得た着想を音楽に採り入れた最初期の楽曲「Piano」のなかで、フェルドマンは基準、中心点、参照点といったものからどの程度まで逸脱できるのかどうかを試行錯誤したのだろう。1980年頃から始まる、パターンとその反復を中心とした楽曲においても絨毯からの影響と「不揃いなシンメトリー」の概念が色濃く反映されている。

 次回は、引き続き「不揃いなシンメトリー」の概念を考察しながら1980年代前半の楽曲について取り上げる予定である。


[1] 「Instruments 3」はThe Barton Workshopによる演奏で1997年に録音されている。CD番号はETCEITERA KTC3003。
[2] Morton Feldman Says: Selected Interviews and Lectures 1964-1987, Edited by Chris Villars, London: Hyphen Press, 2006, p. 155
[3] Paula Kopstick Ames, “Piano,” The Music of Morton Feldman, Edited by Thomas DeLio, New York: Excelsior Publishing Company, 1996, p. 100
[4] Ibid., p. 100
[5] Ibid., p. 102
[6] Ibid., p. 102
[7] Ibid., p. 102
[8] Ibid., p. 104
[9] Ibid., p. 104
[10] Ibid., p. 104

高橋智子
1978年仙台市生まれ。Joy DivisionとNew Orderが好きな音楽学者。
(次回掲載は6月24日の予定です)