あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(15) 不揃いなシンメトリーと反復技法-3

3 mm. 189-253/ p. 10, m. 1-p. 13, m. 3

 絶えず動いていた前の2つのセクションから打って変わり、セクション3は1小節分引きのばされる5つの和音から始まる。その後、3段が絡まり合うパターンの反復が再開する。A♭-G、D-C#、F-E♭などの7度音程によるパターンが様々なオクターヴで繰り返される。このセクションの特徴の1つとして、オスティナート調の反復パターンによる動の性格と、和音の引きのばしによる静の性格との不規則な間隔での交換があげられる。ハーフ・ペダルでペダルがずっと踏まれているので、全休符の小節でも音が途切れることはない。この全休符の間に、これまで演奏されていた様々な音の残響や余韻が突如前面に出てきたかのような感覚に襲われる。

4 mm. 254-325/p. 13. m. 4- p. 15, m. 12

 音域の離れた両手のユニゾンB4-B6、D♭5-D♭7、A#4-A#6、D5-D7で始まるセクション4はセクション3よりも静の性格が強い。この静の性格は、全休符の小節とセットになった反復パターンにも起因している。頻出するパターンはC#-D、C#/D♭-C、A♭-G、A♭-A、A-B、B-Cなどで、いずれも2度と7度の音程だ。これらのパターンに異質な要素Xが挿入されるパターンはこれまでと変わらない。ここでXに値する異質な要素として、13ページ、最後から2小節目(m. 280)のA♭3-C#4-E♭4の和音、14ページ、3小節目(m. 284)のC#5-G5(減5度、3全音)、5小節目の最初のD4-F5(短3度)、15ページ、2小節目(m. 315)の右手のA5(装飾音)+E♭6-A♭6(完全4度)があげられる。これらXが2度と7度を中心とするパターンの秩序に逸脱をもたらしているともいえる。

5 mm. 326-439/ p. 15, m. 13-p. 19, m. 18

 C-C#-D-E♭の半音階的な4音が基本となり、これら4音が様々な音域とリズムによってパターンのヴァリエーションを作っている。このセクションから小節線を跨いだ音の分割やリズム・パターンが頻出するようになる。セクションの始まりからしばらくは4音によるパターンが繰り返されるが、16ページ、10小節目(m. 351)にXとして、15ページ、2小節目(m. 315)の右手のA5(装飾音)+E♭6-A♭6(完全4度)と同じ和音がここに突然現れる。左手のC#5-D5もそっくりそのまま前のセクションと同じだ。それからすぐに元の4音パターンの反復に戻る。17ページ、2小節目(m. 371)から新しいX、F5-E5が登場し、この2音をとり入れたパターンが9小節間続けられる。その後は再び4音パターンの反復に戻り、18ページ、12小節目(m. 408)からC#4-E♭4-C4-D4が1音ずつ1小節の間隔を空けて鳴らされる。

6 mm. 440-651/ p. 19, m. 19-p. 29, m. 9

 セクション6は、音域の離れたオスティナート調の反復パターン、小節をまたぐ息の長いパターン、揺れ動く和音の反復パターン、クラスター状に密集した和音の反復パターンなど様々な種類のパターンが現れ、曲中で最も変化に富んでいる。これまでのセクションに出てきた素材を踏襲したパターンと、Xとみなされる初出のパターンとの両方がこのセクションで展開される。出だしの2つの和音A3-C#4-E♭5-B♭5とE♭5-B♭5-B4-D5の揺れ動きはここで初めて現れるパターンで、非常に強い印象を与える。この和音が2小節間繰り返された後、1小節の全休符を挟み、19ページ、22小節目(m. 443)からクラスター状に密集した和音の揺れ動きが8小節間繰り返される(20ページ、5小節目まで)。20ページ、7小節目(m. 452)からは譜表が3段になり、音域の離れたオスティナート調のパターンが始まる。3段目に頻出するG♭2-C#4、G♭2-C4のパターン以外はほぼ全てが2度か7度音程だ。2度と7度の傾向はパターンの中心が和音になっても変わらない。20ページ、16小節目(m. 461)から譜表が2段に戻るのと同時にパターンの様相も変わる。セクション5で中心的な役割を果たした4音C-C#-D-E♭がここで再び登場する。今度はこの4音がC#5-E♭5、C5-D5の組み合わせによるパターンを繰り返す。その後、21ページ、4小節目(m. 470)からC#3-E♭4に和音F5-E6が組み合わさった新たなパターンに交替する。ここではF5-E6をXの要素とみなすことができる。このように、なじみのあるパターンや音高にXの要素を加えて新たなパターンを生成する過程はこれまでのセクションと変わらない。セクション6ではこうした漸次的な変化の他に、突如として新たなパターンが現れる場面もある。

 22ページ、7小節目の最後(m. 497)から新しいパターン、B4-A#5-A4が突然始まる。このパターンは時折、装飾音A6を伴う。このパターンの繰り返しの中に、同ページ、16小節目(m.506)にA♭5-A5とC#5-G5のパターンが挿入され、その後、さらに新しいパターンB4-A#4-G#4が始まる。このパターンの繰り返しに21小節目(m. 511)のE♭5-F4-E4-D3+装飾音C#6のパターンが続く。これを機に先ほどまでのパターンを中心としていた様相に変化が生じる。先に出てきたA3-C#4-E♭5-B♭5とE♭5-B♭5-B4-D5から派生したと考えられる、和音の揺れ動きパターンA♭3-C4- E♭5-B♭5とE♭5-B♭5-B4-D5が23ページ、3小節目(m. 516)で繰り返される。このパターンを中心として曲が進むが、23ページ、17小節目(m. 530)から再びC#5-E♭5、C5-D5に基づいたパターンに中心が移る。

 25ページ、3小節目(m. 562)から息の長いパターンが装飾音C#を交えて登場する。このパターンはF-E♭-D-Gの4音をひとまとまりとしていて、この4音が音域とリズムをその都度少しずつ変えて1つの連桁で繋がれている。このパターンを機に、このページの8小節目(m. 567)から和音がさらに新たないくつかのパターンが現れるが、このページの23小節目(m. 582)からC-C#-D-E♭の4音パターンが装飾音F6を交えて繰り返される。これまでの経過を見ていると、他のパターンに領土を奪われようと、C-C#-D-E♭が隙を見て領土を奪い返すオセロゲームのような攻防が展開されている。26ページ、13小節目(m. 595)からは、音域が離れていてわかりにくいがD5-C#6-C4-E♭7によるパターン、つまりC-C#-D-E♭の4音が再び中心的な存在となる。その後、この4音は他の音を加えて増殖しながら、クラスター状の和音による反復パターンへと変貌を遂げる。28ページに入ると音の密度が低下して、オスティナート調の反復パターンに戻る。このページの8小節目(m. 632)から譜表が3段になり、オスティナート調の反復パターンの絡まり合いがさらに複雑になる。これも新たなパターンの登場に見えるが、実は違う。前回解説した「Piano」と同様に、既出の素材がここで突然戻ってくるのだった。28ページ、10-14小節目(mm. 634-638)は9ページ、3-7小節目(mm. 173-177)、11-12小節(mm.639-640は10ページ、8-9小節目(mm. 197-197)と同じパターンが用いられている。続く、28ページ、13-14小節目(mm. 642-642)は8ページ、16-17小節目(mm. 169-170)の順番を逆さまにして17-16小節の配置にしたものと同じだ。このように具体的にそれぞれのパターンを照合してみたが、8-10ページのパターンの再来にいったいどれだけの聴き手が気付くだろうか。それは聴き手次第であるが、スコアの中で、遠くない過去がここに呼び戻されて現在となる。その後、クラスター状の和音によるパターンがしばらく続いて、セクション6が終わる。

7 mm. 652- 777/ p. 29, m. 10-p. 34, m. 17

 セクション7はC-C#-D-E♭の4音が連桁で繋がれた息の長いパターンで始まる。このパターンは他の音を加えながらクラスター状の和音へと変貌する。装飾音を伴った和音のパターンは全休符の小節を挟みながら、動いては止まる動作を繰り返す。30ページ、18小節目(m. 680)からは再び息の長いパターンが始まる。このパターンの中で隣り合う音同士の音程は、異名同音での読み替えを含むと、ほとんどが2度か7度だ。このことはスコアを見れば一目瞭然だ。たとえ音程に関する知識や感覚がなくとも、なんとなく似たような幅で音が跳躍する様子を耳で察知できるのではないだろうか。この範囲で聴こえるのは、ランダムに鳴らされているように聴こえる音だが、何かしらの類似性や関係性がここで微かに示唆されている。33ページ(m. 733)からは、C-C#-D-E♭の4音を様々に組み合わせたパターンが再びここでの主役の座を取り戻す。

8 mm. 778-900/ p. 34, m. 18-p. 40, m. 8

このセクションはC-C#/D♭-D-E♭の4音がオスティナートや和音ではなく、4音が連なった反復パターンを中心としている。ここでの半音階的なパターンC5- D♭5-D5-E♭5は、ベケット三部作−「Elemental Procedures」「Orchestra」「Routine Investigations」(いずれも1977年)−とオペラ「Neither」(1977)において重要な役割を担ったベケットのモティーフの再来ともいえるだろう。これらの楽曲の場合と同じく、このパターンは「Triadic Memories」でも執拗に繰り返される。セクション8が始まる34ページ、18小節目(m. 778)から36ページ、13小節目(m. 822)まで、止まることなくこのパターンが繰り返される。その後、1小節分の全休符を挟み、36ページ、15小節目(m. 824)からE5-F5-A5-A♭5-G7の5連符での素早いアルペジオ風パターンが登場する。この5連符のパターンは様々に変化しながら繰り返される。セクション8は半音階的なパターンと5連符のアルペジオ風パターンとのせめぎ合いを見ているようだ。

9 mm. 901-1065/ p. 40, m. 9-p. 47, m. 15

 左手C#1-D1と右手E♭7-C#7のトレモロ風のパターンから始まり、それぞれ音価の異なる3つのパターン[9]を経て、40ページ、13小節目(m. 905)からセクション8でも登場した5連符のアルペジオ風パターンが繰り返される。41ページ、1小節目からページの終わりまで(mm. 913-938)から強弱記号pppppとともに急激に様相が変わり、和音が静かに打鍵される。ここは様々な和音の響きが混ざり合い、ハーフ・ペダルが最も効果を発揮する箇所の1つといえる。その後、42ページ、2小節目(m. 941)からは、例えばC#5- D5-E♭5-E6の4音や、同ページ、13小節目(m. 951)のE4-F4-A4-A♭4-G5のようなグリッサンド風のすばやいパターンをいくつか交えながら、装飾音を伴った和音のパターン、和音による装飾音を伴った単音のパターン、和音の連打のパターンが展開される。44ページ、1小節目(m. 985)から非常に低いオクターヴでのグリッサンド風パターンC#1-D1-E♭1-F3-E2がしばらく繰り返される。45ページ、14-20小節目(mm. 1025-1031)での装飾音を伴った和音のパターンによるベルのような響きの後、同ページ、最後から2小節目(m. 1033)に再び場面の転換が訪れる。これまでにも登場した、主に2度と7度の音程からなる息の長いパターンが時折、全休符による休止を挟んで展開される。これまでのパターンによる反復と違い、この息の長いパターンは反復の性格が希薄だ。パターンというよりも、単音が次々と連なるフレーズと呼ぶ方が適切かもしれない。ここで曲全体が動のモードから静のモードに切り替わったといえるだろう。

 47ページ、7小節目(m. 1057)からはコラールのように和音が静かに打鍵され、このセクションが終わる。

10(コーダ) mm. 1066-1092/ p. 48, m. 1-p. 49, m. 12

 このセクションはコーダに値し、C-D♭-D-E♭の4音からなる半音階的なパターンがここで再び現れる。初めは16分音符で蠢いていたパターンは途中からゆっくりとした動きへと変わっていく。49ページ、3小節目(m. 1083)の複付点4分音符でのC5- D5-E♭5-D♭5を最後に、このパターンは姿を消す。その後、1小節間の全休符を挟み、グリッサンド風パターンE5-F5-A4-A♭5-G6が4回繰り返されて曲が幕を閉じる。

 以上、49ページからなるスコアに書き記された約90分に渡る楽曲を、パターンとその変化の過程に着目して辿ってみた。様々な種類のパターンが次々と現れては消えていくこの曲をとおして、フェルドマンは音楽の形式と人間の記憶との関係を示唆ししている。

 西洋音楽の形式が何になってきたのかというと、記憶のパラフレーズだ。だが、記憶は他の方法でも作用する。私の新しいピアノ曲「Triadic Memories」では、様々な種類の和音からできているセクションがあり、そこではそれぞれの和音がゆっくりと繰り返される。ある和音は3回繰り返され、別の和音は7、8回繰り返されることもある――どのくらいそれを続けるべきかどうかは私の感覚次第だ。新しい和音に移るや否や、その前に繰り返されていた和音を忘れてしまうだろう。それからそのセクション全体を再構築した。以前起きた進行を並べ替え、特定の和音の反復回数を変えた。この作曲法は記憶の混乱の「形式化」を意図した試みだった。和音はいかなる識別可能なパターンもなく反復される。この周期性のなかで(テンポの微かな差異はあるが)、私たちが聴いているものが機能的で指向性も持っているのだと示唆される。だが、これは幻想なのだとすぐに悟る。ベルリンの街を歩いていると、たとえ実際はそうではないにせよ、建物全てが同じように見えるのに少し似ている。

 What Western musical forms have become is a paraphrase of memory. But memory could operate otherwise as well. In Triadic Memories, a new piano work of mine, there is a section of different types of chords where each chord is slowly repeated. One chord might be repeated three times, another, seven or eight—depending on how long I felt it should go on. Quite soon into a new chord I would forget the reiterated chord before it. I then reconstructed the entire section: rearranging its earlier progression and changing the number of times a particular chord was repeated. This way of working was a conscious attempt at “formalizing” a disorientation of memory. Chords are heard repeated without any discernible pattern. In this regularity (though there are slight gradations of tempo) there is a suggestion that what we hear is functional and directional, but we soon realize that this is an illusion; a bit like walking the street of Berlin—where all the buildings look alike, even if they’re not.[10]

 フェルドマンが試みた「記憶の混乱の「形式化」」によって、私たちの知覚や記憶はいとも簡単に錯覚を起こすようだ。「Triadic Memories」を注意深く聴けば聴くほど、それぞれのパターンの同一性と差異が曖昧になってくるように感じられる。

次回は80年代の室内楽曲を中心に考察する予定である。


[1] Liner notes by Christopher Fox, Morton Feldman: Triadic Memories & Piano, hat[now]ART 2-205, 2010.
[2] Cy Twombly Foundation http://www.cytwombly.org/
[3] Morton Feldman Says: Selected Interviews and Lectures 1964-1987, Edited by Chris Villars, London: Hyphen Press, 2006, p. 148
[4] Morton Feldman, “Triadic Memories” Give My Regards to Eighth Street: Collected Writings of Morton Feldman, Edited by B. H. Friedman, Cambridge: Exact Change, 2000, p. 155
[5] Ibid., p. 155 引用元では和音は譜例で記されているが、本稿では音名に書き換えた。
[6] Ibid., p. 156
[7] Ibid., p. 156
[8] Universal Edition https://www.universaledition.com/morton-feldman-220/works/triadic-memories-5426
[9] Marilyn Nonkenによる演奏(Feldman Edition 8: Triadic Memories, mode 136, 2004)は40ページ、11小節目(m. 903)の全音符によるトレモロを約1分半続けている。
[10] GMRE, pp. 137-138

高橋智子
1978年仙台市生まれ。Joy DivisionとNew Orderが好きな音楽学者。
(次回掲載は7月12日の予定です)