吉池拓男の迷盤・珍盤百選 (5) 里帰り子分の独白

CARNEGIE HALL presents Ronald Turini (p) January 23, 1961
The Great Moment at CARNEGIE HALL(43枚組)よりCD 10/11 – SONY Classical 2016年

いえ、私は破門されてはいません。組の代紋をかつぐことは認められています。ただ、もうすっかり無沙汰をしてまして、しのぎ、いやいや、お仕事もあまり目立つことはしていません。

親父には本当によくしていただきました。親父の下で修業させていただいたのは昭和32年から37年まで。七人いた子分の中では一番長かったんじゃないかなぁ。昭和36年の金木会館かーねぎーほーるでの御披露目興行も親父に準備していただきました。他所のお国のショバにかちこみ、いやいやいや、武者修行にも行かせてもらいました。まぁ、てなことしてる内に「そろそろ独り立ちしたらどうだ?」と親父に言われてお暇した次第です。円満卒業、ですよ。その後も親父がいろいろ仕事を世話してくれたんですが、なんか里心がついてしまいまして、故郷の加奈陀かなだに帰りました。故郷じゃ、若いもんに仕事を教えるのが好きになりましてね、もっぱらそれで食べさせてもらってます。独り仕事ですか? いやぁ、独りで大舞台に立つのはちょっと。誰かと室内で楽しく演るのが性に合ってますね。井田いだの姐御とはよく演らせてもらってます。「あいつは腕は確かだが、度胸がなくていけねぇ」ですって? ああ、親父が私のことをそう言ってましたか。何でもお見通しですね。

The Great Moment at CARNEGIE HALLのCD10と11に収録

そういえば金木会館の125周年記念記録盤全43巻に、私の御披露目興行が2巻に渡って入ったそうですね。畏れ多いことです。だって親父も入ってますし、親父の義理の親父さんも入ってる、露西亜ろしあ組の有名な御仁たちもいらっしゃる、そんな中に加えていただけたなんて身に余る光栄ですよ。

え、出来を紹介してくれって? うーーん、一言でいうと若気の至り。若い力と感激に 燃えよ若人 胸を張れ、って感じですかね。親父の愛弟子の御披露目ということで各界の方々に注目していただきましたし、親父からも徹底的にしごかれましたから、すごい緊張感ですよ。最初の臭満しゅーまん短編小説のゔぇれって其の壱もこんな瑞々しく生気に溢れた仕上がりは珍しいでしょ。同じ臭満の奏鳴曲そなた第弐も全力で突っ走っりましたよ。活きの良さなら負けないですからね。あ、最終章ふぃなーれは親父の大好きな捨てられた最初の奴(遺作)で演らせてもらってます。当時は珍しい試みだったと思いますよ。

それから勺旁しょぱんをいくつか演りました。特に訓練曲えちゅーど拾之壱は1分41秒で駆け抜けました。これはちょいと自慢です。ここまでの切れ味はそうそうないですよ。もちろん勢いだけでないところは訓練曲廿伍之七でお出ししてますがね。え、所々威勢の良さが顔を出すって? 言ったでしょ、若気の至りだって。続けて勺旁は譚詩曲ばらーど第壱も演りました。細かいしくじりはありますが、なかなかの勢いでしょう。そのあとの貧出水戸ひんでみっとの奏鳴曲第弐は私の大得意。同じ近世ものでは親父得意の救狸夜瓶すくりゃーびんの訓練曲を親父がバリバリの頃よりも速く演ってます。続く一覧表りすと拾四行詩そねっと佰四をこんなに想いのこもったキレの良さで演った例は滅多にないんではないでしょうか。興行のトリは親父譲りの洪牙利はんがりー狂詩曲。親父に敬意を表して親父の演ってない拾弐番目を献上いたしました。速いでしょ。活きがいいでしょ。熱さと激しさなら前人未到かも、なんてね。若かったなぁ……親父は弟子が親父流の改変をするとお怒りになることがあるので、なるべく帳面通りに演りました。

お聴きのようにお客さんは大喜び。奏鳴曲の途中だっつうのにどっかんどっかん拍手来るんだから吃驚でしたよ。こんだけ喜んでいただいたんですから、調子に乗ってもう四つ舞台で演ってしまいました。最後の解れ端らゔぇる接触曲とっかーたはちょっと飛ばしすぎましたかね。いや、お恥ずかしい。ただねぇ、この興行、残念なことに記録の具合が良くないんですよ。昭和36年でこの状態というのは申し訳ない限りですね。普通はもう少し綺麗な感じになるんですがねぇ。ま、それでも私の灼熱の若気はわかってもらえると思います。

え、親父の名前ですか? ウラディミール・ホロヴィッツですよ。私ですか? 私はロナルド・トゥリーニです。親父が認めた三人の弟子のうちの一人です。


以上、グレン・プラスキン著「ホロヴィッツ」第19章:九十四丁目の音楽学校、から筆者による勝手な翻案。

補記:
・「若い力と感激に 燃えよ若人 胸を張れ、」 作詞:佐伯孝夫(1947)「若い力」から引用
・「臭満」 某大学ピアノサークルのY氏の発案(1972頃)から引用
・「貧出水戸」…この物語はフィクションであり 実在の人名団体名 特に地名とはまったく関係ありませんので そこんとこよろしく (補記の説明:魔夜峰央「翔んで埼玉」(1982)から引用)

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。

吉池拓男の迷盤・珍盤百選 (4) 破門された子分の独白

Coleman Blumfield piano – SONORIS SCD5151 1993年

Coleman Blumfield piano

へい、組を破門されたコールマンっつうのは確かにあっしの事です。組に居たのは昭和31年から2年ほどっすね。厳しい親父で、子分は7人くらいいたんですが、次々破門されちまいまして、組に残れたのはジャニス兄貴、グラフマン兄貴、あと弟分のトゥリーニの野郎くらいでっさ。あっし含めて破門された奴らは、組に居たことを名乗ることも許されねえし、その後のしのぎもさんざんでさぁ。あ、デイヴィスの野郎だけは、組に入った時点でもう一端の仕事人だったんで破門されても上手くやってたな。

組に入ったいきさつですかい? まぁ、親父もあの世に行っちまったんでお話ししますよ。

あっしは最初は別の組にいたんでさぁ。その別の組でも冴えねえ下っ端だったんですが、大姐御の紹介で親父に会わせていただき、ラッキーなことに仕事っぷりが気に入られてお世話になることになったんですわ。親父と言えば雲の上の上の上のお人でしたから、その時は天にも昇るような、ほんとに夢のような気持ちになりやした。そこから2年、みっちりしのぎを叩き込まれたんっすが、どうも覚えが悪くて親父に見限られたっていうとこでさ。無理ないっすよ、親父は超天才っす。化け物っす。誰も親父のようにはできないっす。しかも親父は教え方が気まぐれで、散々振り回されましたわ。恨んでるかって? うーーーん、確かにわだかまりはありやすが、親父の仕事が凄すぎて破門されてからも憧れの的でしたっすね。とにかくあの親父は別格っす。誰もかなわないっす。いや、もう逝っちまったんで、誰もかなわなかった、っすね。

平成の元年に親父が亡くなったんで、破門されたあっしですが、ま、怒るお方もおりやせんので、勝手に追善興行をさせていただきやした。世間様は情け深い人が多ござんして、こんな破門されたあっしの興行を結構褒めてもらえましてね。それで今度しぃーでーを出そうかって話になりまして、追善興行の演目で演らせていただきやした。おや、よくよく考えたら、あっしの初アルバムですかねぇ。南米の熱帯雨林でもあっしの過去仕事は見つからないそうで。ま、嬉しいやら、悲しいやら、ってとこっすかね。

追善興行しぃーでーの内容ですかい? 嬉しいですねぇ、聞いてくださるんすか。お話ししやしょう。

まずは親父お得意のすかるらってぃから3つ。皆親父が演ってたもの(L.23,203,164)でっさ。親父ほどキリッとは演れませんが綺麗でっしゃろ。続きますはしうべるとの90-3。親父は2種類演ってたんですが、あっしは変止の方で演りやした。お次は親父の肝煎り、展覧会の絵っす。親父は帳面に仔細を残してくれなかったんで苦労しやしたよ。でも、だいたい親父の作法で演ってやすよ。最後もちゃんとデレデデレデデレデデレデって思いっきり演りやしたよ。細けえこと言やあ、ちょこちょこ違うところはありやすが、ま、破門された身なんでご愛敬ということでご勘弁を。親父の好きだったしよぱんからは、ばらあどのピンを演らせていただきやした。親父みたいに低音ドカーンと、しかも中入りでかまさせていただきやした。ちょっと雑? へっ、しょせん破門された野郎ですよ。最後は親父がバリバリだった頃の十八番、さんさんすの死の舞踏。追善のケツにはうってつけですわな。もちろん親父のようには行かんかったですが、結構気張らせていただきやした。南無阿弥陀仏。

へ? 親父の名前ですか? ウラディミール・ホロヴィッツいいます。あっしですか? あっしの名前はコールマン・ブルムフィールドっす。ま、ほとんどどなたもご存じないですがね。


以上、グレン・プラスキン著「ホロヴィッツ」第19章:九十四丁目の音楽学校、から筆者による勝手な翻案。

補足資料:Wikipedia英語版 Vladimir Horowitz よりStudentsの項に掲載された7人の弟子。カッコ内は弟子入りしていた時期。晩年には何人かのお友達的門人(ペライアなど)を受け入れている。

この7人のうちピアニストとして華々しいキャリアを築けたのは、ジャニスとグラフマンのみ。デイヴィスは(Wikiによれば)生涯に12枚のアルバムを発表する程度の活躍は続けられた。

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。

吉池拓男の迷盤・珍盤百選 (3) 散財報告書~シューマン第3ソナタ、謎のフィナーレ

Schumann: Beethoven Studies – Olivier Chauzu(p) NAXOS, 8.573540, 2016年
(参考1) Schumann: Concert pour Piano seul – Florian Henschel(p) ARS MUSICI, AM 1306-2, 2002年
(参考2) Schumann and the Sonata 1 – Florian Uhlig(p) 独Hänssler CD 98.603, 2010年

Schumann: Beethoven Studies, Olivier Chauzu(p)

Naxosから出たChauzuの弾くシューマン作品集は衝撃でした。

聴いたこともない曲がピアノソナタ第3番の「廃棄されたフィナーレ」として弾かれていたのです。確かにラスト20秒くらいは現行の第3ソナタと同じなので、間違いなく第3ソナタでしょう。でもこれ何? Wikipediaにもピティナの曲解説にもシューマンマニアのHPにも言及がないし、IMSLPに譜面もないし、最も根性の入った楽譜と思われるヘンレ版「1836年版+1853年版+削除された楽章と変奏付き2冊セット」にもない。同じヘンレ版の新シューマン全集にもない。なんだこれ、誰か教えてくれ。Naxos盤の解説にも「廃棄されたもの」としか書かれていない。うーーーーむ。

そして始まる散財の旅~フィナーレは6つあった?

一般的な曲目解説によれば、シューマンの第3ソナタは1836年春に5楽章のソナタとして自筆譜(初稿)が出来上がりました。ところが出版社の意向で2つのスケルツォ楽章を削り、同年秋に3楽章からなる「管弦楽のない協奏曲」として世に出ます。これが1836年版(初版)といわれるものです。月日は流れて1853年、シューマンは第1楽章とフィナーレに手を入れ、削除されたスケルツォ楽章の1つを復活させて4楽章形式の「グランドソナタ(1853年版:改訂版)」として出版します。初版と改訂版はヘンレ版で譜面確認ができます。

詳細な説明をさらに探し求めました。すると上述した“根性の入った”ヘンレ版楽譜の解説のところに、「このソナタの自筆譜のフィナーレはoriginal versionのbeginningだけが書かれている。new versionは別の紙に書かれた。」とありました。これか?これなのか?でも「beginning」しかないというのにNaxos盤は見事に完結してるぞ。Naxos盤の謎のフィナーレは何なのだ。

そして散財が始まりました。新たに2種類のCD盤を購入。老眼をこらえて解説をむさぼり読み、シューマンの第3ソナタには少なくとも6種類のフィナーレがあることがわかったのです。

【散財のその1: 自筆譜(初稿)の確認】

Schumann: Concert pour Piano seul / Fantaisiestücke op. 12 – Florian Henschel (p)

自筆譜(初稿)はおそらく出版されていませんが、大英図書館にある自筆譜を基に演奏をしたというFlorian Henschelの録音盤があったので、まずこれを購入。聴くと、従来言われていた「初稿からスケルツォ楽章を2つ削ったのが初版」が違うことがわかりました。正確には「初稿からスケルツォ楽章2つを省き、第1・5楽章のところどころ書き換え、変奏曲形式の第4楽章の変奏6つから2つ省いて変奏の順番を入れ替えたのが初版」でした。ただし終楽章はNaxos盤の曲ではなく、初版や改訂版とほぼ同じもの。ヘンレ版解説にある「original versionのbeginning」については何の記載も演奏もありません。どうやら第5楽章は “別の紙に書かれたnew version=初版のフィナーレの自筆譜”を引っ張り出して弾いたと推察されます。確かにこのCDでは「自筆譜で弾いた」とあるので嘘ではないですね。

【散財その2:Florian Uhligによるシューマン全集録音の管弦楽のない協奏曲op.14】

Schumann and the Sonata I – Florian Uhlig(p)

あっけなくもNaxos盤の謎の終楽章はここにありました。シューマンが1829年(?)に作曲したロマンス(断片)を基にソナタのフィナーレを書き始め、4ページだけ書いて止めた“断片”があったというのです。このCDではその“断片”からJoachim Draheimと演奏者が完成版を作って演奏していました。このCDの解説によると「初稿から初版になるときに新しいフィナーレを書いた」とありますので、ヘンレ版の解説の記述とも矛盾しません。ただこの「4ページの断片」はストックホルムにある音楽財団が所有しており、大英図書館の自筆譜にある「beginning」との関係はどこにも記載がなく、確認が取れません。実際に演奏されている曲はとても「beginning」だけなんていうレベルではなく、後述するようにユニークな全体構成を持っていますので、たった4ページ(フィナーレはテンポが速いので初版を基に推測すれば500小節≒15ページくらいあって不思議はない)というのも違和感は残ります。でもまぁ、謎のフィナーレはこれ、ですかね。

とりあえず謎は解決、と思いきや……問題はさらに勃発! Uhlig盤のフィナーレとNaxos盤のフィナーレは最後まで聴くと全然違ったのです。Naxos盤は最後の2~30秒間、初版以降のフィナーレと同じ終わり方をしますが、Uhligのは全く独自のもの。もうこれ以上資料がありません。お手上げです。

ひとまず6つの「フィナーレ」のわかっているデータを載せてみましょう。

 発想記号拍子小節数演奏時間
1836年初稿(自筆譜。Beginningのみ)不明不明不明不明
1836年初稿(別の紙の自筆譜)Prestissimo possibile不明不明7分02秒
1836年初版Prestissimo possibile16分の6拍子714小節7~8分
1853年改訂版Prestissimo possibile4分の2拍子359小節7~8分
Naxos盤のFinale*不明(vivacissimo )不明不明5分13秒
Uhlig盤のFinalePresto possibile16分の6拍子不明5分38秒
Naxos盤の解説にはvivacissimoの発想記号はないが、CDをリッピングするとこの発想記号が曲名表示に現れる

「Beginningのみ」は結局どういう曲だかわかりませんでした。ただ、Uhligが全く弾いていないところから推察するに、4ページ断片と同じ曲なのではないかと思われます。あと、初版と改訂版で小節数が大きく違うのは拍子の取り方の違いによるものです。4分の3拍子の曲を8分の6拍子で書いたら小節数が半分になるのと同じです。細部の違いはあれど初稿(別の紙の自筆譜)と初版と改訂版はだいたい同じ曲です。NaxosのとUhligのはコーダ部分以外は(たぶん)同じ曲です。

ここいらで散財の結果をまとめてドンと私見(偏見)で解決してしまいましょう。音楽学者でもない人間がCD集めだけで得た知識の範囲内ですから、信用しちゃだめよ

極私的見解~シューマン第3ソナタの真実!?

シューマンは1835年頃、第3ソナタを書くにあたって、以前書きかけで止めてたピアノ曲「ロマンス」を引っ張り出して、第5楽章フィナーレとして大改作し始めた。が、なんか気に入らないことがあって放棄。書き始めた自筆譜も最初の辺りだけ書いてそのまんま。試行錯誤した4ページくらいの断片譜面もお蔵入り。気を取り直して新たなフィナーレを速攻で作曲して初稿を完成させる。初稿から出版するにあたり、これにちょこっと手を入れて初版とし、改訂版を作る時にどさっと手を入れる。150年後、シューマン全集録音で一発当てようとしたUhligおよびCD企画者が、シリーズ第1弾の目玉企画として第3ソナタの放棄されたフィナーレ断片(とその原曲のロマンス)を引っ張り出して補作して完成して弾いた。ところがその(たぶん補作者が創った)コーダ部分があまりにダサいため、おそらくはNaxos盤で弾いてるChauzuか誰かがその部分を初版以降のコーダと同じ進行に変えて弾いた。

……ということかな。ま、Chauzuさんにお手紙書けば一発で解決するんですがね。

ようやく喉のつかえが自分勝手に取れました。では最後にこの「廃棄されたフィナーレ」がどういう曲かをお伝えしておきましょう。

シューマンの直筆譜~British Library Music CollectionsのTwitterより

まず、第3ソナタ冒頭から使われる下降音型を含んだ急速で曖昧模糊とした主題で始まり、しばらくすると第2主題っぽいのが出ます。この主題、モーツァルトの「ドン・ジョヴァンニ」の有名な「お手をどうぞ」そっくり。ちょっとびっくりします。(ただし、この主題は原曲といわれるロマンスにもあります。)その後いろいろ展開して中間部で静かになり、「クララの主題による変奏曲」楽章の第1変奏がゆったりと奏でられ、その後再び盛り上がってNaxos盤は1836年版、1853年版と同じ音型で終わります

で、ふと気づきます。この曲、第2ソナタの廃棄された終楽章(アレグロ・パッショナート、遺作)と印象が似ているのです。最初の主題の急速で模糊とした感じ、そして途中の主題が過去の有名曲にそっくりなところが。ちなみに第2ソナタの廃棄終楽章ではベートーヴェンのクロイツェルソナタ終楽章にそっくりの主題が中間に現れて展開します。この廃棄された2つのソナタ終楽章の類似が偶然なのかどうか、ちゃんと研究した人の意見を待ちたいものです。ちなみに私の超勝手な妄想は、クララ・ヴィークが「なんかこの終楽章、もごもごしてるし、難しいしで嫌い。それに盗作っぽいわよ。恥ずかしくなくなくない?」みたいなことを言ったのではないかな、と。少なくとも第2ソナタの終楽章を廃棄して書き換えさせたのがクララの意見であることは有名な事実です。

散財によってようやくここまで来ました。ちなみに散財のきっかけを与えてくれたNaxos盤は、この曲のほかにもシューマンの珍品が多数収められています。びっくりするのは「シューベルトの主題による変奏曲」。シューベルトの主題提示がなく、いきなり「謝肉祭 op.9」の冒頭部分が始まります。シューベルトの主題(ワルツ D.365-2)が出るのは、謝肉祭に続いて実質10の変奏(正確にはVariationとRitornellがそれぞれ5曲ずつ)のあと、つまり曲の最後。不思議な構成です。そのほかも珍曲揃いですが、「トッカータ op.7」の原曲「練習曲(1830)」は面白い。よくぞこの「練習曲」から「トッカータ」にまで昇華させたものだと感心します。ちなみに「ショパンの夜想曲による変奏曲」は夜想曲第6番ト短調 op.15 no.3が主題です。

演奏者のOlivier Chauzuはパリ音楽院出。技術的な安定度も高く、割とクールに各曲を攻めていて、この手の珍曲弾きとしてはうってつけです。

以上。

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。

吉池拓男の迷盤・珍盤百選 (2) 先生、本当に生徒に聴かせて良いのですか?

The Weil Recital Hall Morey Hall(p) Morey Hall Recordings MH-01

Morey Hall Recordings
MH-01

2016年にSteinway & SonsのTop Teacher Awardを受賞し、今もニューヨークでピアノ教師・ピアニスト・作曲家として活動を続けるMorey Hall 先生が、1996年にカーネギーホールで開いたリサイタルの直後に同じプログラムで一発録りしたアルバムです。Steinway & SonsのTop Teacher Awardという賞がどれほど素晴らしいものかは不勉強で知りませんが、天下のSteinway & Sonsが年間のTop Teacher だと賞賛したのですから、さぞや素晴らしい教育者なのでしょう。

でも、Hall先生、これヤバくないですか? 生徒さんに聴かせて商売大丈夫ですか? 本当にこれでカーネギーホールでリサイタルしたのですか??? うーーーむ。

最初のモーツァルト(K.475、457)から、よれまくるテンポ、破綻しまくる細かなフレーズ、これ、先生の解釈なのでしょうか。前代未聞のモーツァルト演奏になっていませんか。そして、リスト。愛の夢第3番中間部。これ4分の6拍子ですよ。8分の7拍子×2じゃないですよ。そして葬送曲。不意打ちのような急速テンポ変化は先生の得意技なのですね。あと、そこらじゅうで妙なフレーズ弾いてますね。暗譜、飛びましたか? 忘れたらその場で作っちゃだめですよ。ここまでこれだけスゴければハンガリー狂詩曲第2番への期待は膨らむばかり。冒頭から3拍子っぽいリズム取り、やってくれますね。変わらぬ急発進も慣れました。ラッサンの難しいところ、ことごとく弾けてませんね、期待通りです。おっと、ラッサン終わりからフリスカのところで自作のカデンツァ入れてますね。これは洒落てるなぁ。さぁフリスカ。凄いなぁ、これ。6分06秒(194小節)から20秒にかけての珍妙なフレージング、6分50秒(236小節)の全身の生命力を奪い去るような情けないミスタッチ(確信犯なら天才)、そして8分10秒(322小節)からのリズムもテンポも楽譜も伸縮自在の泥酔したようなトンデモフレージング、ここは技巧的には簡単なのでHall先生、完全に意図的ですね……あぁ、もうきりがない。短いながらも自作のカデンツァを弾いて全曲終了、11分20秒間、お疲れさんでした。人類の録音史上、おそらくは最畸のハンガリー狂詩曲体験をありがとうございました。

CDの解説によるとBlue Sky Recordingの1996年最優秀CDにもなったそうですね。いやぁ、素晴らしい。で、Blue Sky Recordingって何?

ピアノマニアを40年くらいやってきましたが、こんなCDには他でめぐり逢っていません。「ピアノ界のジェンキンス夫人」とお呼びしましょう。ここまでやれば大したもんです。何よりもいまだに音楽活動を続け、Steinway & SonsのTop Teacher Awardに輝くところまで来たのですから感動しかありません。

で、Hall先生、改めて言いますが、本当に生徒に聴かせて良いのですか?

豪華対位法的オケ編曲! シュレーカー作「リストのハンガリー狂詩曲第2番」ほか

コダーイ/シュレーカー管弦楽作品集 ギュンター・ノイホルト指揮ブレーメン州立フィルハーモニー管弦楽団 ANTES  BM-CD 31.9084 1996年

ANTES  BM-CD 31.9084
1996年

くらくらするHall先生のハンガリー狂詩曲の後は、シュレーカー渾身のオケ版で耳掃除。歌劇作曲家として20世紀初頭のドイツでR.シュトラウスに次いで高く評価されていたシュレーカーは、リストのハンガリー狂詩曲第2番のオケ版を作ります。シュレーカー本人の興奮気味の曲紹介文がCDブックレットに載っていますが、早い話、ワインガルトナーやゴドフスキがウェーバーの「舞踏への勧誘」でやった“対位法的編曲”をハンガリー狂詩曲で徹底的にかましたぞ!というものです。ストコフスキ編の上を行っていると自画自賛もしてます。1953年にホロヴィッツが同曲の旋律を複数同時演奏するバージョンを披露していますが、その先駆的作品であり、比較にならないほどゴテゴテに対旋律で飾り立てたオミゴトなバージョンです。

曲の進行自体はほぼリストの原曲通りで、開始から2分間くらいはなんとなく対旋律っぽいのもありますが普通のオケ編曲です。衝撃は2分40秒(ピアノ版62小節目)。世代の古い私は、ラジオの混信か?CDの編集ミスで別の曲を重ね焼きしたか?と思わず再生機を確認してしまいました。有名な冒頭のフレーズに乗せてちょっとビミョーな対旋律がもわーんと始まるのです。その後、4分00秒付近やフリスカ以降は対旋律のオンパレード。曲中の旋律を使うこともありますが、シュレーカー自作のが多いですね。一番の聴き所は8分39秒(344小節)からフリスカの進行にラッサン冒頭のフレーズが朗々と重ねられ、続く8分55秒から全旋律揃い組の大カオスとなるところでしょう。計算されつくしたハチャメチャで本当に楽しい。素敵なお祭り騒ぎです。さぁ、カデンツァはどうする?と思っていると、なんとピアノ独奏。シュレーカー本人の指示ではオイゲン・ダルベール作のカデンツァを弾け、とのこと。面白いこと考えますねぇ。この演奏でもダルベールのカデンツァを弾いてますが、前半部分だけです。後半は主要旋律の重ね合わせ(ほとんど後のホロヴィッツ)なのでオケ本編とかぶると思ったのでしょうね。

このCDにはコダーイの伽藍多舞曲(よい変換だ)とハーリ・ヤーノシュ組曲も入っています。ただCDブックレットの解説の長さからしてシュレーカー1曲がコダーイ2曲の3倍くらいありますので、このアルバムの制作陣がいかにこのハンガリー狂詩曲に賭けているのか如実にわかります。そのくらい面白い対位法的編曲作品です。

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吉池拓男の迷盤・珍盤百選 (1) 幻のピアノ秘技 必殺!クラスターチョップ ~よいこはぜったいまねをしてはいけません~

Landmarks of Recorded Pianism vol.2(米Marston 52075-2, 2020年3月)*定期購入会員先行販売
(参考)Moriz Rosenthal The Complete Recordings (英APR APR 7503, 2012年

衝撃の瞬間はハンガリー狂詩曲第2番開始から6分22秒後、フリスカの序奏部の後にやってきます。この小節の2拍めの左手、ゴワッシャア!という凄まじい轟濁音!派手なミスタッチか?いや違う、そこから7小節間、2拍めごとに計8発の轟濁音が打たれます。

Landmarks of Recorded Pianism Vol.2
Landmarks of Recorded Pianism vol.2

これは紛れもない確信犯。そのエゲツない轟濁音はおそらく手のひらで鍵盤をチョップ、いや、そんなものではない。エルボーか、いや、ヘッドバットか、ストンピングか。そうだ、尻だ、雷電ドロップに違いない。右手はリストの譜面通りを弾いているから、その体勢は!?超人業だっ!!!……などアホなことを夢想してしまわせるほど、とんでもない音のする怪演が、モーリッツ・ローゼンタールが1929年に放送録音したハンガリー狂詩曲 第2番(しかも今回初出)です。

そして7分33秒。音楽は前代未聞の轟濁音に包まれます。嗚呼、この瞬間、私の中のクラシック音楽の何か大切ものが崩れ落ちてしまった……そんな陶酔的絶望に胸は震えます。さらにローゼンタールは自作のカデンツァからエンディングでもどっかんどっかん轟濁音を振り下ろします。敬意をこめてこの奏法を「クラスターチョップ」と私は命名しました。素晴らしい(かも)。現代ではもうだれもやらない(というか、やれない)幻のピアノ秘技です。

Moriz Rosenthal - The Complete Recordings(5CD)
Moriz Rosenthal – The Complete Recordings

ローゼンタールは翌年に同曲をスタジオ録音していて、CDには続けて収録されています。が、こちらはクラスターチョップは控えめ。控えめ過ぎると盛大なミスタッチに聴こえるので使用法は気を付けないといけませんね。2012年にAPRから出ていたローゼンタール全録音(5枚組:今回のハンガリー狂詩曲は新発見なので入っていません)ではヨハン・シュトラウスの編曲もので時折「クラスターチョップ」を使っています。ただその使用頻度において今回のハンガリー狂詩曲は別格。こんなピアノ演奏も「あり」だったのかと目から鱗が大瀑布です。

Mark Hambourg ベートーヴェン:ピアノソナタ「悲愴」(日Green Door GDFS-0016, 2005年)

Mark Hambourg ベートーヴェン ピアノソナタ「悲愴」日Green Door GDFS-0016
Mark Hambourg – ベートーヴェン:ピアノソナタ「悲愴」

と、ここで他のクラスターチョッパーにも参戦してもらいましょう。その名はマーク・ハンブルク。ショーンバーグの名著『ピアノ音楽の巨匠たち』で「ハンブルクのスタイルには火山のような激しさがあった。テクニック的な正確さといったつまらないことにこだわることを潔しとせず、響の上に響きを重ねるのだった。」と言われた怪物ピアニストです。とにかく20世紀前半は大人気だったようで、2,000曲以上録音したと言われています。YouTubeには爆笑モノの演奏映画映像もあります。本当に人気者だったのですね。そのミスをいとわぬスタイル故か、死後すっかり忘れられ、録音曲数の割に復刻も多くありません。

で、日本のGreen Doorから2005年に出たハンブルクの復刻アルバムが彼のチョップを記録しています。曲はシューベルト(タウジッヒ編曲)の軍隊行進曲。ハンブルクにはこの曲の録音が複数ありますが、ここに収められた1927年録音のものが強烈。快適なテンポで“テクニック的な正確さといったつまらないことにこだわらず”弾き進められ、まず1分00秒頃にクラスターチョップの香りがします。ただ、タウジッヒ編の元々の譜面が濁りっぽいのでここは看過。そして来ました、3分19秒と24秒、ここは明らかなクラスターチョップ! ショーンバーグの言う通り、まさに火山の爆発、マグマの噴出です。ま、ローゼンタールに言わせればハンブルクのは単なる盛大なミスタッチと片づけられるかもしれませんがね。(補記:ちなみにのGreen Door盤の最大衝撃はあまりに自由に弾いてるショパンのワルツ5番です)

これらの演奏は、技巧的全盛期を過ぎた技巧派ピアニストの悲しき咆哮と思う人もいるでしょう。しかし、このクラスターチョップという表現は、あまりに危険ですが、たまに聴くには確かに面白い。現代のピアノ演奏からは失われたピアノ演出を見つけて楽しむのもCD集めの大きな楽しみです。

追記:お父さま、お母さまへ
お子様にこれらの録音をお聴かせして、万が一「いいね!」となりますと、お子様の腕力ではあの音は出ず、おそらくお尻で弾くことになると推察いたします。そんなことでは清く正しいピアニストにはなれませんので、決してまねをしないよう厳しいご指導をよろしくお願いいたします。

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。

吉池拓男の迷盤・珍盤百選 〜開始のごあいさつ

~はじめに~

本当に便利な世の中になりました。音源も楽譜もネット上に溢れ返っています。チョチョイと検索すれば、昭和の御代には入手困難だったものがヒョイヒョイ見つかりホイホイ手に入ります。しかもYouTubeやIMSLPのおかげでほとんど無料。いーい時代です。ただ、その反面、情報がネット上に大氾濫していてかえって見つけにくいということも起きています。検索上位にくるものが良いものだという習慣的価値観も恐ろしいことです。

そこで、あえて今、不朽の名盤になれなかった(もしくは、なれそうにない)CDのニッチな魅力を、少しでも情報として刻印しておこうと紹介文を書くことにしました。細かな話や斜め見した私的見解が多いので、ネット上にはあまりない内容と思います。少しでもご興味が湧きましたら、ぜひ音盤をご検索ください。驚くことにかなりの確率で見つかります。古いCDでもamazon中古市場で買えることがあります(ものによってはバカ高いですが……)。NaxosやiTunesなどの配信サイトにも大量の音源があります。もちろんYouTubeが安くて便利ですがね。ただ、できればCDを手に入れてほしいと思います。演奏者自身の想いの詰まったコメントや超マイナー領域研究者の執念の解説などをブックレットで読むことができるからです。録音データや原盤番号、使用楽器、プロデューサー情報もCDには記載されることの多い貴重な情報です。どうか頑張って散財してください。

自分の趣味嗜好からピアノ曲を中心に書いていきます。ピアノは独りで完結できる楽器なので、演奏者の個性が最もよく出ると思います。つまりそれだけヘンナモノが出やすくオモシロイのです。お暇なときにもご一読いただければ幸いです。

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。

【編集者による連載紹介】
本連載を担当する吉池拓男氏の文章には、90年代末にMarco PoloやNaxos、CPOの日本語カタログで初めて出会いました。今でこそ知らない作曲家の曲でも気楽にネットで聴けますが、当時はCDやレコードが唯一の資料。名前も知らない(ひょっとしたら読み方も知らない)作曲家のCDを、独特のユーモア溢れる筆致で紹介した文章は、これら未知の作品への興味を大いに掻き立てくれたものです。あの面白さを令和にもお届けできればとこの連載を依頼しました。紙媒体では決して読めない情報がふんだんに出てきます。どうぞご期待ください。