あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(8) 垂直な経験、垂直な時間 1960年代前半の楽曲-1

(筆者:高橋智子)

 前回は1960年代前半から始まったフェルドマンの新たな記譜法「自由な持続の記譜法」について解説した。この記譜法の実践をとおして、彼は「垂直な構造」の視点で音楽を捉え直そうと試みたのだった。今回は1960年代のフェルドマンの音楽を語る際に鍵となる概念の一つ「垂直」を主に音楽的な時間の視点から考える。

1 垂直な経験

 前回解説したように、フェルドマンは音の特性を、音が発せられる瞬間のアタックではなく音が消えゆく際の減衰とみなしていた。実際、これまでの楽曲の大半にはダイナミクスやアタックを極力抑える演奏指示が記されており、音が鳴る瞬間よりも消えるプロセスに重きが置かれているのだとわかる。拍子記号と小節線を持たない五線譜に符桁(音符のはたの部分)のない音符を記す自由な記譜法の楽曲では拍節やリズムの感覚はほぼ皆無に近く、比較的ゆっくりとしたペースで音が鳴り、前後の音の響きが混ざり合い、響きが消えてゆくプロセスが繰り返される。前回とりあげた「Durations」1-5(1960-61)と「For Franz Kline」(1962)は音楽が時間とともに展開も前進もしない。たしかに現実世界での時間はその音楽が演奏された分だけ経過しているが、その音楽が聴き手にもたらす時間の性質は、進んでいく感覚や発展していく感覚とは異なる。「Durations」も「For Franz Kline」も、この非常に単純なプロセス――音が鳴る、響く、消える、次の音がまた鳴る――が曲の長さの分、開示されるだけであって、個々の要素が結合して時間の経過とともに全体像を構築する類の音楽ではないことは一聴して明らかだ。それぞれの楽器や声の音色の出自を曖昧にし、さらには音のアタックを可能な限り抑えることで、フェルドマンは自由な持続の記譜法の楽曲で音の減衰を聴かせようとしたのだ。なぜ彼はこれほどまでに音の減衰にこだわるのだろうか。ここで手がかりとなるのが「Vertical Thoughts」と題された彼の短いエッセイである。冒頭で彼は音の先在的な特性「音それ自体 sound itself」を絵画における色になぞらえて次のように述べている。

色がそれ自体の大きさを持っていると主張すれば、画家は自分の願望はさておき、色のこの主張に同意するだろう。彼は、例えばドローイングや差異を作る他の方法で色をまとめるために色の幻影的な要素に頼ることもできるし、色を「あるがままに」しておくだけでもかまわない。近年、音もそれ自体の大きさほのめかしたがっているのだと、私たちはわかってきている。この考え方を追究していると、私たちが音を「あるがままに」したいなら、差異を作り出したくなる欲求はどんなものでも放棄されるべきだと気付く。実際に私たちは、差異を作り出す全ての要素が音それ自体の中に先在していたことをすぐに知るようになる。

A painter will perhaps agree that a color insists on being a certain size, regardless of his wishes. He can either rely on the color’s illusionistic elements to integrate it with, say, drawing or any other means of differentiation, or he can simply allow it to “be.” In recent years we realize that sound too has predilection for suggesting its own proportions. In pursuing this thought we find that if we want the sound to “be,” any desire for differentiation must be abandoned. Actually, we soon learn that all the elements of differentiation were preexistent within the sound itself.[1]

フェルドマンが言う「differentiation」をここでは「差異を作ること」と解釈した。この差異は、手付かずの生来の特性や素材に何かしらの方法で特徴を加えて、別のものとして際立たせることを意味する。この営みは素材の加工、つまり材料から何かを作り上げる創作のことを指すともいえる。素材の加工は生(なま)の素材に特徴を与える差異化の営みだと言ってもよいだろう。これに対する概念が「色そのもの」または「音そのもの」だと据えることができる。「音そのもの」が具体的に音のどのようなあり方を指すのかは各人の見方や捉え方によって大きな違いがあるが、フェルドマンは人間の手に染まっていない音があるはずだと思い込んでいたか、信じていたはずだ。音の生来の姿の追求は、音楽の抽象性を追求した1950年代の彼の創作から一貫している態度でもある。音の去り際である減衰の中に聴こえる音響は、特にピアノのような楽器においては、電子音響のように完璧に人間の手で制御され得ない。人間の手の及ばない音の去り際にフェルドマンは音の本来の姿を見出した。

 作曲家自身が自由に音を操ることと、音を生来の姿のままに自由にしておくこととの関係をフェルドマンはどのように捉えていたのだろうか。

ある曲では音高の操作を、別の曲ではリズムとダイナミクスやその他あれこれの操作をあきらめるプロセスを用いる時、自分が「自由だ」と感じるわけではない。このように私は自分の役割に関して宙ぶらりんの状態にあるが、最終的に生じる結果に対して希望を持っている。私が操っているのは自分の意志である――楽譜の1ページよりはるかに難しいものを操っている。

I do not feel I am being “free” when I use a process that gives up control of pitches in one composition, rhythm and dynamics in another. etc. etc. Thus, I am left in a suspended state with regards to my role, but in a hopeful one with regard to the eventual outcome. What I control is my will – something far more difficult than a page of music.[2]

 これまでのフェルドマンの図形楽譜や自由な持続の記譜法の実践を見れば、彼の楽曲と記譜法の多くが音の何かしらの側面を自由にさせておく類の音楽だったことは明らかだ。前回解説した自由な持続の記譜法の場合は音の長さが奏者に委ねられていた。上記の引用の中で、フェルドマンは音ではなくて自分の意志を操っていると言っている。人間の意志や意図の及ばない領域での創作を実現する手段としての偶然性や不確定性の音楽は1950年代初期の大きな発見だったはずだが、この1963年に書かれた文章の中では、フェルドマンは自分の意志をコントロールしていると述べているのだ。さらにはその直前に、自分の役割、つまり作曲家としての役割を「宙ぶらりん」だとみなしている。音を自由にすることと、作曲家としての自分の意志を操ることとは一見、相容れないようにも思われる。だが、音を自由にすることは、この時点でのフェルドマンが自己との葛藤から引き出した答えの1つとして考えられる。たとえそれが自分の書いた音であっても、自分とその音とを同一視せず、さらにはその音を自分の所有物や占有物としてみなすこともなく、フェルドマンは自分と音との間に一線を引いていたとも解釈できる。

 前回解説した通り、1960年代前半当時のフェルドマンにとって音を操作して差異をもたらす最たる方法は音を水平に、つまり横の方向に配置して連続させることだった。音を水平に連ねて旋律や和声進行による1つの流れを作るのではなく、彼は音の長さを奏者に任せて散発的な音の減衰に耳の注意をひかせようとした。この試みの発端にあったのが「垂直 vertical」という新たな概念だ。この垂直という概念は、一方向に進む水平な連続性に相対する概念と位置付けられる。前回は垂直の概念の発見が記譜法と音の可塑性を追求した自由な持続の記譜法の着想にあったことを考察した。今回はより経験的な視点で、とりわけ音楽的な時間との関係からフェルドマンの言う「垂直」が意味するところを考えていく。垂直という概念が記譜法や音の響きと減衰だけでなく、音楽に内包される時間と、私たちが音楽を聴いている時に経験する時間に関係していることをフェルドマンは1964年2月にレナード・バーンスタイン指揮、ニューヨーク・フィルによって「…Out of ‘Last Pieces’」が演奏された際の楽曲解説の中で示唆しており、音の抽象性と可塑性の探求から垂直の概念にいたるまでの彼の思考の変遷をここから読み取ることができる。

 フェルドマンが書いた楽曲解説の内容に移る前に、1964年2月6日から9日まで4日間にわたって行われたニューヨーク・フィルの演奏会のついて触れておこう。この演奏会は、1964年2月の時点での前衛音楽並びに現代音楽の気鋭の作曲家に焦点を当てたバーンスタインによる企画「The Avant-Garde Program」シリーズの第5回目として行われた。現在もたまに驚くような構成の演奏会を見かけることもあるが、とりわけこの演奏会はプログラム構成自体が前衛的だ。前半はヴィヴァルディの『四季』から「秋」(2月なのに!)、チャイコフスキーの交響曲第6番「悲愴」。この2曲の前に10分程度の演奏会用序曲を入れれば普通の定期演奏会のプログラムとして完結しそうだ。だが、この演奏会は前衛的なのでここで終わらない。チャイコフスキーの後に休憩を挟んで後半はこの演奏会のメイン企画「Music of Chance」へ。1964年2月7日の『New York Times』に掲載された演奏会評によれば、午後8時30分に始まったこの演奏会は11時5分に終わり、開演時と比べて聴衆はだいぶ減っていたようだ。[3]

 後半の「Music of Chance」では、バーンスタインによる曲目解説に続いて、ケージの電子音響を伴う「Atlas Eclipticalis」と「Winter Music」の2曲同時演奏、デヴィッド・チュードアをソリストに迎えたフェルドマンの「…Out of ‘Last Pieces’」、アール・ブラウンの「Available Forms Ⅱ for Orchestra Four Hands」[4]が演奏された。「…Out of ‘Last Pieces’」はこの曲の完成からまもない1961年3月17日にニューヨークのクーパー・ユニオンで初演されており、1964年のカーネギーホールでの演奏は再演に当たる。プログラムのケージ、フェルドマン、ブラウンの曲目解説はチュードア名義だが、「…Out of ‘Last Pieces’」の解説の中でチュードアは「下記の情報はフェルドマン氏から提供されたものです The following information has been supplied by Mr. Feldman」[5]と記し、実質フェルドマン自身が解説を執筆した。4日間開催されたこの演奏会のどこかの1日に、オーケストラでこれらの楽曲を演奏する困難を抱えたバーンスタインに代わって、当時たまたまニューヨークにいたカールハインツ・シュトックハウゼンがフェルドマンの曲を指揮したというエピソードがあるが真偽は定かではない[6]。下記のリンク先の動画の説明にあるように、自分たちの楽曲が即興とみなされることを危惧していたケージは事前にバーンスタインに手紙を送っていた。ケージの心配は現実となり、オーケストラはケージの曲で作曲家が意図しない即興演奏をしたようだ。

プログラムノート https://archives.nyphil.org/index.php/artifact/2fbec537-ec06-47ec-b99b-3296626ff5a2-0.1/fullview – page/1/mode/2up

バーンスタインによる1964年2月9日の演奏会での解説
John Cage/ Winter Music with Atlas Eclipticalis
Feldman/ …Out of ‘Last Pieces’(1961)

Earle Brown/ Available Forms Ⅱ for Orchestra Four Hands (1962)
http://www.earle-brown.org/works/view/27

プログラムノートの中で、まず彼はこれまでの図形楽譜の実践を振り返っている。1950年代の図形楽譜および不確定性の音楽では、既に確立された様式や演奏者の技巧や記憶の蓄積とは無縁の「音そのもの」を直接的に体現した音楽を作り出すことが目的とされていた。

作曲のプロセスとして認識されている機能は、音が多くの構成要素の1つにすぎない音楽を可能にすることだ。音それ自体が完全に可塑的な現象になることができ、それ自体のかたち、設計、詩的なメタファーを示唆するのだと発見したことで、私は図形楽譜の新しい仕組みの考案にいたった――それは作曲のレトリックに妨げられずに音が直接生じることができる「不確定な」構造だ。

なんらかの様式を持つ、あるいは様式化された、最も経験的で洗練された実例を記憶の中から選び出すことにもっぱら依拠している即興とは違い、図形楽譜の目的は記憶を消すこと、超絶技巧を忘れることだ――音そのものに関して直接的な行動以外のあらゆるものを無に帰すことだ。

 The recognized function of compositional process is to make possible a music in which sound is only one of many components. The discovery that sound in itself can be a totally plastic phenomenon, suggesting its own shape, design and poetic metaphor, led me to devise a new system of graphic notation—an “indeterminate” structure allowing for the direct utterance of the sound, unhampered by compositional rhetoric.

 Unlike improvisation, which relies solely on memory in selecting the most empirical and sophisticated examples of a style, or styled, the purpose of the graph is to erase memory, to erase virtuosity—to do away with everything but a direct action in terms of the sound itself.[7]

 だが、これまでも本稿で何度か指摘してきたように、1950年代の図形楽譜の楽曲は即興と混同されることが多く、フェルドマンが意図してきた演奏を実現できた機会はほとんど稀だったと思われる。これまでの図形楽譜のように音域のみを指定し、演奏すべき具体的な音高を奏者に委ねただけでは、やはり凡庸な結果を招きがちだ。音高が不確定であろうと、マス目を1拍とみなしてそれに沿って進む図形楽譜の楽曲では、時間の進み方に関していえば、左から右へと水平に一直線に進みゆく従来の西洋音楽の時間の感覚となんら変わりない。フェルドマンは、この発展的な感覚に基づく慣習的な時間に沿った水平な出来事の連なりが音楽における可塑性を妨げる原因だと考える。

これらの初期の作品(訳注「Projection 1」、「Intersection 2」、「Marginal Intersection」)は今もなお、時間が文字どおりに(慣習的に)扱われた出来事の水平な連なりと見なされていた。水平な連続性で作曲しているならば、大雑把な言い方だが、まだ差異を作り出すことに頼っているのだ――私の場合、音域の対照的な音の並置が差異を作り出すことだった。全体の空間の中での音を思い描けば、絶えず分岐し続ける空間に常にたどり着く。音にとって決定打にはならないことがまだ起き続けている。その音はさらに弾力を帯びてきているが、まだ可塑的とは言えない。次の段階は深さの中で音を探求することだった――つまり垂直に音を探求することだ。

These earlier works were still conceived as a horizontal series of events in which time was treated literally (conventionally). Working in a horizontal continuity, one is still, broadly speaking, dependent of differentiation—in my case, the juxtaposing of registers. Envisioning sound in a total space, one arrives always at a continually sub-divided space. That which is not crucial to the sound still con(s)tantly occurs. The sound has become more elastic, but it has not yet become plastic. The next step was to explore sound in depth—i.e., vertically.[8]

 彼がここで意図することを掘り下げると次のように解釈できるだろう――時間の流れに沿って音を高・中・低の音域に配置することは一見センセーショナルだったが、依然、音を時間に従属させることを意味し、音の可変性や可塑性をまだ実現していない。今度は水平な視点で音と音楽を捉えるのをやめて、垂直な視点で音に迫ってみよう――。彼の「水平がだめなら垂直へ」という発想はいささか安易にも見えるし、水平と垂直を対峙させるフェルドマンの考え方がどのくらい論理的に一貫しているかは疑問が残る。実際、音楽の構造やテクスチュアは多くの音楽の基本となる旋律と和音に始まり、トーン・クラスター、ドローン、反復パターンなど、水平と垂直だけで語りつくせないほど多種多様だ。だが、本稿はフェルドマンのアイディアの矛盾を検証することだけを目的とはしていない。むしろ彼が当時抱えていた葛藤や問題意識にも焦点を当てると、時に理解しがたい論理で展開される彼のアイディアの真意が少しでも浮かび上がってくる可能性がある。その可能性の方に注視していきたい。

 このプログラムノートが書かれた1964年という時代を振り返ると、トータル・セリーの技法がヨーロッパ以外の世界各国にも浸透し、目的に向かって発展的に進む音楽とは異なる構造と時間を提示する音楽が試行されていた時期である。ニューヨークのダウンタウンのシーンでは1962年夏頃から既にラ・モンテ・ヤングらがThe Theatre of Eternal Musicの活動を開始し、従来の演奏時間の概念を覆す、ドローンを主体とした長時間の音楽を打ち出していた。フェルドマンが水平か、垂直かで逡巡していた時期は音楽における構造、形式、時間のあり方そのものを問い直す機運にあったといえる。抽象表現主義絵画からの影響が最も大きかった1950年代のフェルドマンが、楽曲の中に出てくるそれぞれの音の役割をほぼ均等に扱う「全面的 all over」なアプローチによって音楽からレトリックを取り除こうとしたことを思い出すと、音楽的な時間のあり方に着目した1960年代前半の「水平か、垂直か」の問いは、彼の問題意識が音楽の構造だけでなく音楽を経験する主体にも向けられるようになってきた兆候とみなすことができる。

 上記の時代背景から、1964年当時の彼の関心事として主に3つの事柄――音、楽曲の構造、時間――が挙げられる。これら3つは彼の音楽が新たな位相に入る1970年代前半までの間、「垂直」の概念をもとに実践されていく。プログラムノートの続きを見てみると、「…Out of ‘Last Pieces’」ではフェルドマンの考える「垂直な経験」と「時間のない状態」が作曲家の視点からはひとまず達成されていたようだ。

水平な線(時間)が断ち切られると、垂直な経験(無時間)が出現する。水平なプロセスに不可欠な要素である差異化を今や放棄することもできる。さらに「全面的な」音の世界に向かっている。もはや音域の分割もなく、まるで1つの音域で作曲していたかのようだ。時間の隔たりはもはや音楽にかたちや輪郭を与えない。時間は音楽をかたち作らない。音が時間をかたち作るのだ。

「…Out of ‘Last Pieces’」(1961)はグラフ用紙に書かれていて、グラフ用紙のマス目1つ分がmm. 80のテンポに値する。それぞれのマス目の中に演奏されるべき音の数が記されており、演奏者はそのマス目のタイミングで、あるいはそのマス目の長さの中で音を鳴らす。ダイナミクスは曲の間中とても控えめに。アンプを用いるギター、ハープ、チェレスタ、ヴィブラフォン、シロフォンはどの音域から音を選んでよい。低音域の音が指示されている短いセクションを除いて、他の全てのパートの音は各自の楽器の高音域で演奏される。

 When the horizontal line (time) is broken, the vertical experience (no time) emerges. Differentiation, an integral part of the horizontal process, can now be discarded. One is going toward a more “all over” sound world. There is no longer the separation of registers. It is as though one were working in one register. Time intervals no longer give the music its shape and contour. Time does not shape the sound. The sound shapes time.

 …Out of ‘Last Pieces’ (1961) was written on coordinated paper, with each box equal to mm. 80. The number of sounds to be played within each box is given, with the player entering on or within the duration of each box. Dynamics throughout are very low. The amplified guitar, harp, celesta, vibraphone and xylophone may choose sounds from any register. All other sounds are played in the high registers of the instruments, except for brief sections in which low sounds are indicated.[9]

 フェルドマンの解説にあるように「…Out of ‘Last Pieces’」は図形楽譜で書かれている。作曲家自身が解説する通り、グラフ用紙が使われ、テンポが指定され、マス目1つを1拍とみなし、音域を指定する点ではこれまでの図形楽譜とほとんど同じだ。打楽器独奏のための「The King of Denmark」(1964)終結部のヴィブラフォンと同じく、この曲ではピアノパートの最後に五線譜が挿入されるので、五線譜と図形楽譜によるコラージュのような状態が作られている。また、「…Out of ‘Last Pieces’」ではこれまでの図形楽譜の楽曲に比べて持続音の登場が顕著だ。前半はそれぞれの楽器が高音域で鳴らす小さな音のジェスチャーが同時多発して重なり合い、周期的な拍ではカウントできない複雑なテクスチャーが創出されている。後半は徐々に持続音が増えていく。音をひきのばし、その音が減衰するまでの行く末を聴かせようとする傾向は、近い年代に作曲された自由な持続の記譜法による「Durations」と「For Franz Kline」にも共通している。

 記譜に関しても、「…Out of ‘Last Pieces’」は五線譜で書かれたこれら2曲と共通点を持っている。それは、音をひきのばす箇所に点線が用いられていることだ。「Durations」と「For Franz Kline」では同じ音高が点線で結ばれており、その分だけ音をひきのばす。この点線は通常の五線譜のタイと同じ役割を果たしている。「…Out of ‘Last Pieces’」はマス目の中に点線を引いて複数のマス目を結んでいる。こうすることで、音を出すタイミングだけでなく、その音をどのくらいのばすのかが具体的に示される。マス目1つ分がmm. 80と指定されている以上、どうしても通常の規則的な拍の感覚が抜けきらず、水平な連続性が生じるのではないかと危ぶまれるが、解説には点線で結ばれた「そのマス目の長さの中で within the duration of each box」と書いてあるだけで、厳密にそのマス目の長さ分だけ音をのばせとは書かれていない。つまり、点線で結ばれたマス目の長さの中のどこかに音の「入り」があればよいのだと読むことも可能だ。このような曖昧さを残した、ややわかりにくい演奏指示によって、メトロノームでは測り得ないタイミングでの音の出だしが起きる。実際にこの曲を聴いてみると、mm. 80のテンポにそれぞれの音の出だしが正確にはまっているとは考えにくく、マス目の整然とした区切りでは記されないタイミングで音が鳴っている様子がわかる。この曲は拍の単位から逸脱した音で満たされており、聴き手に前後不覚の感覚を与える。前回とりあげた、記譜と実際の鳴り響きが大きく乖離する「For Franz Kline」も各パートの錯綜と、そこから聴き手にもたらされる前後不覚の感覚という点では「…Out of ‘Last Pieces’」と類似した楽曲だ。「For Franz Kline」は五線譜を用いた自由な持続の記譜法で書かれており、「…Out of ‘Last Pieces’」は図形楽譜で書かれているという大きな違いがあるものの、どちらの場合においても、規則的な拍では測りえない時間の感覚を作り出している。測りえない時間と、それに伴う前後不覚の感覚がフェルドマンのいう「垂直な経験」ならば、やはり「…Out of ‘Last Pieces’」は一応、彼の目的が達成された曲だと言えるだろう。しかし、十分に予想できることだが、この時の聴衆や批評家の反応はフェルドマンが期待していたものとはだいぶ異なっていたようだ。

 1964年2月7日の『New York Times』のSchonbergによる演奏会評では「プログラムノートは詳細だったし、バーンスタイン氏の解説も詳しかったが、そのどちらもこの音楽を理解するには全くの無力だ。問題は音楽だ。The program notes were detailed, and so were Mr. Bernstein’s comments. But none of those are really of any help for understanding this music, it is music.」[10]と記されており、ケージ、フェルドマン、ブラウンの曲がプログラムノートを読んだとしても一聴して理解するには難しい音楽だった様子が伝わってくる。だが、Schonbergは「アクション・ペインティングのある種の形式との強い類似が見られ、多くの偶然性の音楽の作曲家たちが、とりわけ当夜の3人がジャクソン・ポロック、フィリップ・ガストン、ロバート・ラウシェンバーグの作品を絶えず喚起させていることは大きな意味を持つ。There is a strong analogy to certain forms of action painting, and it is significant that many aleatoric composers, especially these three, constantly evoke the work of Jackson Pollock, Phillip Guston and Robert Rauschenberg.」[11]と同時代の絵画との関係を指摘し、この3人の作曲家の創作の背景をある程度理解していたようだ。聴衆の反応については次のように描写されている。

だが、これだけは言っておくと、この日のプログラムは客席にいた多くの純粋無垢な聴衆に揺さぶりをかけたのはたしかだ。彼らの多くは若い前衛たちに強い衝撃を与えている類の音楽に初めてさらされた。今では彼ら純粋無垢な聴衆は、あらゆる種類の奇妙で、おそらく不道徳な物事が音楽の世界に入り込んでいることを知っている。スカートの裾を持って恐怖のあまり逃げる人もいるだろう。さらなる探求のために戻ってくる人はごくわずかなはずだ。

これらの曲の、新しい音に満ちたどの出来事にも見られる明らかなカオスと気味の悪さは聴衆を激しく動揺させた。

If nothing else, though, the program did shake the innocence of many listeners in the audience. For the first time many of them were exposed to a type of music that is making a strong impact on the young avant‐garde. Now those innocents know that there are all kinds of strange and possibly immoral things going on in the world of music. Some may flee in horror, picking up their skirts. A few may come back for further investigation.

In any event, these pieces, with their new sounds, apparent chaos and weird textures, shook the audience quite a bit.[12]

 ヴィヴァルディとチャイコフスキーを聴いた後にケージのライブ・エレクトロニクス作品、フェルドマンの図形楽譜のオーケストラ作品、ブラウンの即興的なオーケストラ作品を立て続けに聴けば、大半の聴衆はここでSchonbergが書いているような感想を抱くことは想像に難くない。ここでの指摘は専ら音響(この時ケージは電子音響を用いた)や音色の珍奇さに終始している。これは、フェルドマンがいくら言葉で「垂直な経験」や「時間のない状態」を説明しようと、時間や音楽の構造ではなく音の響きに対する印象が聴衆、つまり聴き手の経験の中で優位を占めるのだと物語っている。「カオス」という描写が示す現象や体験を掘り下げていくと「垂直な経験」に行き着く可能性があるかもしれず、おそらく聴衆に限らず作曲家自身もこの時点ではこの種の音楽の中での経験をまだうまく言語化できていなかったとも思われる。それでもフェルドマンはここで発見した垂直の概念を手放さず、1960年代は自身の言説と記譜法を始めとする実践の両面で垂直を追求していく。

次のセクションではフェルドマンとケージとの対話などを参照しながら垂直な時間について考察する。


[1] Morton Feldman, “Vertical Thoughts,” Give My Regards to Eighth Street: Collected Writings of Morton Feldman, Edited by B. H. Friedman, Cambridge: Exact Change, 2000, p. 12
[2] Ibid., pp. 17-18
[3] Harold Schonberg, “Music: Last of a Series; Bernstein et al Conduct 5th Avant-Garde Bill,” New York Times, February 7, 1964
https://www.nytimes.com/1964/02/07/archives/music-last-of-a-series-bernstein-et-al-conduct-5th-avantgarde-bill.html
[4] ブラウンの「Available Forms Ⅱ for Orchestra Four Hands」はオーケストラを2人の指揮者が指揮するので「腕4本のための」と題されている。
[5] New York Philharmonic One Hundred Twenty-Second Season 1963-1964, “The Avant-Garde” Program Ⅴ
https://archives.nyphil.org/index.php/artifact/2fbec537-ec06-47ec-b99b-3296626ff5a2-0.1/fullview – page/6/mode/2up
[6] このエピソードの出典はMorton Feldman Says: Selected Interviews and Lectures 1964-1987, Edited by Chris Villars, London: Hyphen Press, 2006巻末のフェルドマンのバイオグラフィー(p. 265)。しかし、シュトックハウゼンが実際に指揮をしたという記録は当時の新聞等を遡ってみても見当たらない。
[7] David Tudor and Morton Feldman, “…Out of ‘Last Pieces’” in New York Philharmonic One Hundred Twenty-Second Season 1963-1964, “The Avant-Gards” Program Ⅴ https://archives.nyphil.org/index.php/artifact/2fbec537-ec06-47ec-b99b-3296626ff5a2-0.1/fullview#page/2/mode/2up
[8] Ibid.
[9] Ibid.
[10] Harold Schonberg 1964, op. cit.
https://www.nytimes.com/1964/02/07/archives/music-last-of-a-series-bernstein-et-al-conduct-5th-avantgarde-bill.html
[11] Ibid.
[12] Ibid.

高橋智子
1978年仙台市生まれ。Joy DivisionとNew Orderが好きな無職。

(次回更新は11月24日の予定です)