吉池拓男の迷盤・珍盤百選 (26) 珍曲へのいざない 番外編 歌謡曲クラシック列伝

上田知華+KARYOBIN  WARNER L-10151E (1979年) *1
春野寿美礼 Chopin et Sand -男と女-  EPIC RECORDS ESCL 3495 (2010年)

クラシック音楽のポップス化は洋の東西でこれまで大量に行われています。ヒットチャートを飾った楽曲も少なくありません。日本でも古くはザ・ピーナッツの「情熱の花」(1959年)、同じ原曲のフレーズをさらに多く取り入れたザ・ヴィーナスの「キッスは目にして!」(1981年)、平原綾香「Jupiter」(2003年)、SEAMO「Continue」(2008年)あたりが売れましたね。中でも平原綾香は全曲クラシックというアルバムをこれまで3枚リリースしています。まぁ「Jupiter」でデビューした平原綾香がクラシックを演るのは当たり前な感じがあるのですが、意外なところではその昔、殿様キングスが全曲クラシックネタというアルバム「パロッタ・クラシック」(1983年)というのを出してました。その中の収録曲では「係長5時を過ぎれば」は多少知られてますかな。楽曲がヒットしたわけではないですが、人口に膾炙したといえばCM NETWORKの「ちちんVVの唄」(ディスコバージョンよりオーケストラバージョンの方が面白い)もありました。CM音声からはわかりにくいのですが、この曲の歌詞はかなり春歌っぽく、令和の世で人前で歌うことは厳しいものがあります。そういえばシュワちゃんのCMが流れた1990年のレコード藝術誌の読者投書欄に「ちちんVVの唄はショスタコーヴィチに対する許しがたい冒涜だ」という檄文が載ったのも覚えています。あの頃はまだそんな純粋培養系聖クラマニが棲息していましたし、レコ藝誌側もそんな投稿を掲載したりする感覚が残存していたのですね。

さて、歌謡ポップス化したクラシック、しかもピアノ曲からのものをいくつかご紹介しましょう。全曲ピアノ曲という由紀さおり・安田祥子のアカペラスキャットアルバム「ピアノのけいこ」が一般的には良く知られてると思います。バイエルから4曲歌うなど見事な大衆路線である一方、トリに収録されたトルコ行進曲などは中々に見事です。ただ、このアルバムはクラシックの楽曲を歌謡ポップス側の人がほぼ音符そのままで「声で演奏」したもの。どうせなら歌詞を付けちゃったものの方が余計なイメージが色々と添加されていて面白い。

まずは上田知華+KARYOBINが1979年に発表したアルバムに入っていた「BGM」という曲。大人になり切れないお馬鹿さんな彼より私の方が先に大人になってしまった、という内容の別れを予感させる歌詞です。さぁ、この曲、何でしょうか。実はベートーヴェンのピアノソナタ第8番「悲愴」の第3楽章なのです。わりと原曲に沿ったアレンジで、ABACA形式からACAでワンコーラスを創っています。Cのところの歌詞なんて「笑い転げて生きられたなら 少女は女にならずに済むわ」(作詞:山川啓介)ですからね。ベートーヴェン様もびっくりでしょう。よくCをこういう風に変えたもんだと感心すると同時に、ちょい苦笑のツボに嵌ります。上田知華+KARYOBINはピアノ五重奏(ピアノ弾き語り+弦楽四重奏)というかなり特殊な編成のグループでしたので、こういうクラシックな楽曲には音色的に合っていました。編曲及び音楽ディレクターは作曲家の樋口康雄。ピアノ五重奏版の悲愴ソナタ第3楽章としても随所に良い感じを醸し出していて納得のアレンジです。

ピアノ曲の歌謡ポップス化アレンジとして珍しいものには、ショパンの幻想即興曲があります。もちろん古いミュージカルナンバー「I’m always chasing rainbows(虹を追って)」は有名です。アメリカの往年のシンガーは結構歌っていて、幻想即興曲の中間部のメロディをゆったりと引用して淡い夢と希望を紡ぎます。で、中間部のメロディーをポピュラー音楽として歌うのは想像の範囲内なのですが、2010年に幻想即興曲のあの急速な冒頭部分に歌詞を付けて歌うという快挙(または暴挙)に出たアルバムが発売されます。歌ったのは日本の春野寿美礼。元宝塚歌劇団花組トップスターで、2007年の退団後もミュージカル女優として活躍しています。彼女が発表した「Chopin et Sand -男と女-」はクラシックから5曲(ショパン3曲、シューマン、マーラー)選んで歌っているミニアルバムです。この中の「メモワール -Memories of Paris-」が幻想即興曲なのです。さすがにあのフレーズを急速なままは歌いません。テンポをぐっと落とし、ものすごくムーディーに壊れかけた恋を歌うのです。冒頭のフレーズに付いた歌詞は「私がこのままこの部屋出て行けば 永遠にあなたを失うでしょう」(作詞:菅野こうめい)です。原曲の13小節目からなんて「ねえ何か話してよ まだ愛してるなら」ですからね。ウーーーム、雰囲気や良し。問題はメロディラインです。たとえテンポを落としたとしても、人間が歌うことなんて全く想定外で書かれているメロディですから、音域は極めて広く、ぽんぽん飛びます。これを歌うだけでも大変な作業と思われますが、宝塚っぽさとアンニュイな雰囲気を保ったまま歌い続けた春野寿美礼の努力には頭が下がります。ま、でも、結果的には選曲ミス、かなぁ。いずれにしろあの幻想即興曲をここまで変容させてしまった音楽的衝撃という点では弩級でしょう。なお、同じアルバムにはショパンの夜想曲第20番をタンゴっぽく演った「追憶のバルセロナ」も収録されていて、これもかなりのインパクトがあります。

メタモルフォーズされた音楽は、作曲者が思いもしなかったような魅力が引き出されることがたまにあります。その新たな魅力、往々にして時代の最新の衣を纏った魅力は、原曲の演奏解釈にプラスになることがないわけではない……ようなやっぱダメなような……ともあれ演奏においてオモシロイ“抽斗”にはなるでしょう。開けるかどうかは別としてね。それが歌謡曲クラシックの魅力のひとつです。なかなか見つけにくい存在ですが、ぜひとも探索してみてください。ひたすらにアンニュイな幻想即興曲とか、「笑い転げて生きられたなら少女は女にならずに済むわ」という詞が脳裏に木霊するような悲愴を聴いてみたいじゃないですか。

クラシックには良質のメロディーがわんさかあります。ネタに困った音楽プロデューサーやミュージシャンが新たな発掘と改変を続けて行ってくれることでしょう。改変の幅は創造力の続く限り広大無辺です。その中でもかなり振り切った方の好例として春野寿美礼のアプローチは語り継がれると思います。ま、私は本稿の脱稿後、二度と聞かないとは思いますが・・・

*1:上田知華+KARYOBINのアルバムは演奏者名とアルバムタイトルが同じ。

《補足:その他の私のおすすめ歌謡ポップス化クラシック 3題》

  • ブリーフ&トランクス 「ティッシュ配り」(1998年)
    ラヴェルのボレロにギャグ系の歌詞を付けたブリトラの傑作。メロディだけではなく低弦と小太鼓が刻むリズムの方にも歌詞を付け、そちらを先行させたのが秀逸。彼らにはクラシックネタの楽曲がいくつかあり「小フーガ ハゲ短調」「カテキン」などもよい。
  • ザ・ズートルビー 「水虫の唄」(1968年)
    イントロにベートーヴェンの田園交響曲冒頭、歌のサビにメンデルスゾーンの春の歌を引用して創られている。ギャグ系の歌詞だが、春の歌の部分の歌詞は曲想に合っていて麗しい。
  • 薬師丸ひろ子 「花のささやき」(1986年)
    モーツァルトのピアノ協曲第23番第2楽章。薬師丸ひろ子の合唱部的な透明感あふれる歌唱が美しく、ヲジサンの中の乙女心に切なく響く。クラシックの歌謡ポップス化の中の名品と溺愛している。女優歌唱の珍品としては高岡早紀の「バラ色の館」もある。妖しい雰囲気が良いが歌唱力に難があって薬師丸には遠く及ばない。

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。