あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(11) 1970年代前半の出来事と楽曲-2

文:高橋智子

2 1970年代の楽曲の主な特徴

 同じニューヨーク州内とはいえ、人口密度の高い大都市ニューヨーク市から、ナイアガラの滝に接するバッファロー市への引越しはフェルドマンの人生に劇的な変化をもたらしたと想像できる。この環境の変化は彼の音楽にも大きく影響し、とりわけ曲の長さや編成に反映されている。1972年にバッファローに拠点を移したフェルドマンの音楽の新たな境地はどのように受け止められたのだろうか。ニューヨーク時代のフェルドマンのかつての教え子で作曲家のトム・ジョンソンは、1973年2月14日にカーネギー・ホールで行われたバッファロー大学のThe Center of the Creative and Performing Artsの演奏会評を『Village Voice』に寄稿している。この演奏会ではフェルドマンの「Voices and Instruments 2」が演奏された。

 とても柔らかなこの曲(訳注: Voices and Instruments 2)は独立した音と和音で構成されていて、その大半が引きのばされており、いわゆる旋律やリズムにまつわる着想はない。音高と音色は注意深く選び抜かれていて、そこから生じた絶えず揺れ動く響きがこの曲での重要な事柄だ。この曲ではアンサンブルはフルート、2人のチェロ、コントラバス、曲の大部分を高音域のハミングで歌う3人の歌手で構成されている。

 この新しい曲はフェルドマンの典型的な楽曲よりもかなり長いのだが、1つの感覚を最初から最後まで維持するというよりも、曲の性格を著しく変化させている。ある箇所では、1つの和音が、その和音の構成音が再び変化するまでしばらく引きのばされる。1つか2つのパートがしばらく演奏しない時もある。この曲の響きの感覚も曲中の別の箇所では違っているように見える。だが、これらの変化は極めて微かだったので、一度聴いただけでは指摘できない。

 今ではフェルドマンはさらに長い形式へと移っていて、時間に対する彼の鋭敏な感覚、響きと音色に対する絶妙な(ぎりぎりの)操作はこれまで以上に目を引いた。フェルドマンを一風変わった細密画家とみなしていた人々は再考を迫られるだろう。

The piece is very soft and consists of individual notes and chords, mostly sustained, without any melodies or rhythmic ideas, to speak of. The pitches and colors are carefully chosen, and there is great concern for the constantly fluctuating harmonies which result from them. In this case, the ensemble consists of flute, two cellos, bass, and three singers who hum, mostly in the upper register.

 The new piece, however, is much longer than the typical Feldman piece, and it changes character noticeably, rather than maintaining one feeling from beginning to end. At one point, a single chord is sustained for quite a while before the notes start to change again. Sometimes one or two instruments will not play for a while. The harmonic feeling of the music also seems to be different in different parts of the piece, though these changes were too subtle for me to put my finger on in one hearing.

 Now that Feldman is moving into longer forms, his sensitivity to time and his exquisite (oops) control over harmonies and tone colors are more apparent than ever. Those who have considered Feldman a quaint miniaturist will be forced to take a second look.[1]

 フェルドマンの元教え子だけあり、ジョンソンによる「Voices and Instruments 2」の描写は的確だ。各パートの音の引きのばしで構成されているこの曲のテクスチュアは動きが少なく平坦に感じられる。ジョンソンが書いているように、この曲は一聴しただけではそれぞれの和音の変化など細部を指摘するのが難しい。スコアを見てみると、彼が言及していないいくつかの特徴を見つけることができる。この曲では平坦なテクスチュアの合間にいくつかの異質な出来事が随所に起きている。6ページの後半からフルートのパートが音のまとまりを感じさせる動きを見せる。また、チェロとコントラバスが予期せぬタイミングでピツィカートによる単音を鳴らす。これらは平坦なテクスチュアに異質な要素を密かにさし挟む役割を担っている。時間の感覚と拍子について補足すると、スコア中央部に配置されたフルートのパートに拍子記号が記されていて、他のパートもこの記号に倣う。1960年代後半の楽曲と同じく、ここでも拍子がめまぐるしく変化する。このコンサートでの演奏についてジョンソンは「彼らはとても柔らかく演奏していたので演奏中の大半は制御を失うかどうかの瀬戸際に立っており、さらにはチェロの弓や歌い手の声がほんの一瞬、制御不能に陥った。They played so softly that they were right on the brink of losing control most of the time, and occasionally a cello bow or a singer’s voice did go out of control briefly.」[2]と描写するが、この曲に対する演奏家たちのアプローチを概ね高く評価している。

Feldman/ Voices and Instruments 2 (1972)

score https://www.universaledition.com/morton-feldman-220/works/voices-and-instruments-2-5700

 ジョンソンは1970年代のフェルドマンの音楽に起きた変化について、音の引きのばしによる音色の絶妙な操作と長さを指摘した。これまでにこの連載で何度か解説したように、1950年代、1960年代のフェルドマンの音楽は記譜法とともに変遷してきたことも看過できない。1967年に図形楽譜の使用をやめ、1969年に自由な持続の記譜法による最後の楽曲「Between Categories」を書いて以来、1970年代から1987年のフェルドマン最晩年の楽曲に至るまで、ほとんどすべての楽曲が慣習的な五線譜による記譜法で書かれている。ポール・グリフィスによる1972年のインタヴューの中で、図形楽譜を再びやめて五線譜に戻った理由を訊ねられたフェルドマンは「それがどんな記譜法であれ、その曲が必要としていると思った記譜法でいつも作曲しているのです。I always worked with whatever notation I felt the work called for.」[3]と答えている。五線譜による正確な記譜法を用いるようになった技術的な理由として、フェルドマンはクレシェンドの用法をあげている。

例えば「The viola in my life」では、ヴィオラのほとんどすべての音の下に微かなクレシェンドが記されています。もはや自由な持続の記譜法ではクレシェンドを書くことができません。リズムのかたちは様々な種類のクレシェンドの長さからもたらされたのです。今では私は正確な記譜法に魅了されるようになりました。なぜなら、私はこの記譜法を他の事柄を測るためにも用いているからです。普通ならこんなことを考えもしなかったでしょう。この2年間の私の音楽の大半は正確に記譜されていますが、曲ごとに違う理由があるのです。

For example, in The viola in my life underlying almost every viola sound there is a slight crescendo. Now in a free duration you cannot write a crescendo, so the rhythmic proportions were brought about because of the durations of the various types of crescendo. I’ve become fascinated with precise notation now, because I use it to measure other things, which ordinarily I would never have thought of. Most of my music of the past two years is precisely notated, but each piece for a different reason.[4]

 1960年代の自由な持続の記譜法による大半の楽曲では、スコアの冒頭に曲全体に対するダイナミクスとアタックの指示「「極端なくらい柔らかくExtremely soft.」(「De Kooning」の演奏指示)や「それぞれの音は最小限のアタックでEach sound with a minimum of attack.」(「Chorus and Instruments」の演奏指示)が書かれるだけだったが、1970年代の楽曲にはクレシェンド、デクレシェンドが細かく書き付けられ、強弱記号も使われるようになる。「The Viola in My Life」1-4 (1970-71)がその顕著な例で、これらの楽曲ではクレシェンドによる音の強弱の変化から音の輪郭を引き出す試みがなされている。五線譜による正確な記譜法はダイナミクスやリズム以外の音楽の側面を測りうるともフェルドマンは言っている。おそらくこれは、細かな指示のダイナミクスと並ぶこの時期の楽曲の特徴のひとつ、拍子の頻繁な変化を指しているのだと考えられる。緻密な記譜の傾向はこの頃から徐々に強まり、やがて1970年代後半からの反復による長大な楽曲へと行き着く。

 1960年代の楽曲は珍しい組み合わせによる室内楽編成が中心だったが、1970年代からは独唱、混声合唱、弦楽四重奏、管弦楽による楽曲も増えてくる。新しい音楽に理解のあるバッファロー大学の同僚や学生による演奏の機会に恵まれたことと、フェルドマンが楽団や組織等から楽曲の委嘱を受けるようになったことが編成の変化にも関係していたはずだ。例えば1973年作曲、1975年1月初演の「String Quartet and Orchestra」は当時バッファロー・フィルハーモニクの音楽監督を務めていた指揮者のマイケル・ティルソン・トーマスと同楽団からの委嘱作品だ。タイトルが示すとおり、この曲は弦楽四重奏と管弦楽による大規模な編成である。1970年代には独奏や独唱と弦楽四重奏、独奏と管弦楽などの一見、協奏曲風の編成の楽曲群も始まる。ここで「協奏曲風」と書いたのは、これらの編成の楽曲では、独奏パートによるカデンツァ、独奏楽器とアンサンブルとの対比などの慣習的な協奏曲の原理とはやや異なる様相でそれぞれのパートが位置付けられている場合が少なくないからだ。フェルドマンの協奏曲編成の楽曲についてはいずれこの連載で考察する予定である。

Feldman/ String Quartet and Orchestra (1973)

score https://www.universaledition.com/morton-feldman-220/works/string-quartet-and-orchestra-5015