あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(12) フェルドマンとオーケストラ-1

文:高橋智子

1 1970年代の楽曲の編成とオーケストレーション

 前回は、バッファロー大学の教授就任をきっかけにバッファローへ転居したフェルドマンの環境が変わり、それに伴ういくつかの要因から曲の長さが次第に長くなっていったことと、楽曲の編成も大きくなってきた様子を概観した。1950年代、60年代のフェルドマンの楽曲は長くとも12分前後の室内楽や独奏曲が主流だったが、1970年代は管弦楽(オーケストラ)曲が増える。オーケストラやオーケストレーションに対するフェルドマンの考えを参照しながら、1970年代の管弦楽曲のなかでも独奏楽器と組み合わさった協奏曲編成の楽曲に焦点を当てて考察する。

 1970年代の主要な楽曲は時期、編成、様式に基づいて次の4つに分類することができる。1. 独奏ヴィオラの旋律を用いた楽曲 2. 小規模または中規模の室内楽曲 3. 独奏パートと管弦楽による協奏曲風の楽曲 4. ベケット三部作。1の独奏ヴィオラの旋律を用いた楽曲には前回解説した「The Viola in My Life」1-4(1970-71)と、このシリーズといくつかの素材を共有する「Rothko Chapel」(1971)が当てはまる。これらの楽曲は、旋律を前面に打ち出した点でフェルドマンの楽曲リストの中で特殊な場所に位置付けられると同時に、1970年以降の新たな境地を開拓するきっかけとなったといえる。なかでもフル・オーケストラ編成の「The Viola in My Life 4」(1971)はその後のフェルドマンの管弦楽書法を考えるうえでの大きな手がかりとなることから、前回はこの曲もとりあげた。今回は3の協奏曲編成の管弦楽曲を中心にフェルドマンの70年代の音楽の特徴を考察するが、必要に応じて2の室内楽曲にも言及する。分析と考察をする前に今回の結論を先に書くと、下記4つのグループに分類される楽曲のほとんど全ては、1977年に完成されたフェルドマン唯一のオペラ「Neither」のための準備や実験とみなすことができる。これまでの本連載での方法と同じく、今回も特定の楽曲について解説するが、視野を広げて考えると、ここで導き出された展望や結論はオペラ「Neither」への布石だといえる。

1970年代の4種類の楽曲

1. 独奏ヴィオラの旋律を用いた楽曲
The Viola in My Life 1-4 (1970-71), Rothko Chapel (1971)

2. 小規模または中規模の室内楽曲
Voices and Instruments 1 (1972), Voices and Instruments 2 (1972), For Frank O’Hara (1973), Instruments 1(1974), Instruments 2 (1974), Instruments 2 (1975), Voice, Violin and Piano (1976), Instruments 3 (1977)

3. 独奏パートあるいは合奏パートとオーケストラによる協奏曲風の楽曲
Chorus and Orchestra 1 (1971), Chorus and Orchestra 2 (1972), Cello and Orchestra (1972), String Quartet and Orchestra (1973), Piano and Orchestra(1975), Oboe and Orchestra (1976), Flute and Orchestra (1978), Violin and Orchestra (1979)

4. ベケット三部作
Orchestra (1976), Elemental Procedures (1976), Routine Investigations (1976)

 1960年代の楽曲を自由な持続の記譜法による音楽的な時間の探求とみなすならば、五線譜に戻った1970年代の楽曲では音色の探求が行われているといえるだろう。例えば、この連載の第6回、第7回で解説したソプラノ、グロッケンシュピール、ピアノ、ヴァイオリン、チェロ、チャイムによる1962年の室内楽曲「For Franz Kline」は、それぞれのパートの音色の特性を活かした色彩豊かな音響を引き出すことではなく、できるだけ個々の音色の特性を抑えたモノトーンの世界を描こうとした。このモノトーンの音の世界は、黒と白を基調とした晩年のフランツ・クラインの作品を想起させる。1960年代の大半の楽曲の演奏指示には、音の出だしのアタックをできる限り抑制し、曲全体のダイナミクスを最小限にすることが記されている。音色、アタック、ダイナミクスに関するこの傾向は第10回で解説した同一編成のアンサンブル2群による室内楽曲「Between Categories」(1969)まで続く。1970年代に入ると楽器や声の特性を抑制する傾向は徐々に薄まり、「The Viola in My Life」1-4のような楽器の特性に根ざした曲が書かれるようになる。この頃から編成や曲の長さも拡張傾向にあるのは前回述べたとおりだ。もちろん、これまでのフェルドマンの楽曲の変化と同じく、楽曲の変化は記譜法の変化も意味し、1970年代以降の楽曲は拍子、音価、ダイナミクスが具体的に記されている。「The Viola in My Life」1-4での独奏ヴィオラのほぼ全ての音に細かく記されたクレシェンドやデクレシェンドは、引きのばされた音が消えゆく様子を見届ける1960年代の自由な持続の記譜法との大きな違いでもある。

 1970年代のフェルドマンの音楽はどのようにして音色を探求していたのだろうか。その様子を解き明かす鍵は彼のオーケストレーション(管弦楽法)に対する態度と考え方にある。フェルドマン自身の発言をたどると、彼は1972年に作曲された5台ピアノと5人の女声による「Pianos and Voices」[1]初演のプログラムノートに「“オーケストレーション”と“作曲”は本質的に同じだ “Ochestrierung” und “Komposition” seinen im wesentlichen das Gleiche」[2]と記している。「Pianos and Voices」は自由な持続の記譜法で書かれている点で、五線譜による正確な記譜法が大半を占める1970年代の楽曲において例外といってもよい曲だが、5台のピアノの和音や単音の引きのばしと5人の女声があえて同期しないことで、響きによるグラデーションの効果が引き出されている。このような音の引きのばしによるグラデーション効果を狙った書法は前回とりあげた「The Viola in My Life 4」での管楽器と弦楽器にも頻出しているので、記譜法は違うものの「Pianos and Voices」もそれぞれのパートの音色とその響き自体が曲を形成する点でそう遠くない関係にある。独奏ヴィオラの旋律を含む「The Viola in My Life」シリーズと「Rothko Chapel」を除けば、フェルドマンの1970年代の室内楽作品、管弦楽作品ともに、個々の声部の出だしのタイミングのずれと、その内部で生じる微妙な差異そのものを曲の実体とする傾向が見られる。絵画にたとえるならば、背景と対象、つまり地と図の境界の曖昧なマーク・ロスコの全面絵画の構成原理に近いだろう。音の引きのばしを主とするフェルドマンのこの時期の楽曲は一見、平坦で変化に乏しい表層を形成しているが、その表層下には無数の差異が蠢いている。5台のピアノと5人の女声が行き交う「Pianos and Voices」を聴けば、これらの絶え間なく織りなすグラデーションの様子が想像できるはずだ。個々の楽器や声の特性をよく理解し、それらの特徴や魅力を最大限に引き出す効果的な声部配置の技術をオーケストレーションの技術のひとつとするならば、彼の70年代の楽曲のどの側面にフェルドマンのオーケストレーションの特徴が表れているのだろうか。オーケストレーションと作曲とを同一とみなしていたフェルドマンの考え方をさらに掘り下げていこう。