吉池拓男の名盤・珍盤百選(33) 寸劇「迷走・CD企画会議」~黒人ピアニストたちの肖像~

George Walker in Recital George Walker(p) Albany TROY 117  (1994年)
JOHANN STRAUSS by LEOPOLD GODOWKY  Antony Rollé(p) FINNADAR RECORDS 90298-1 (1985年、LP)
A LONG WAY FROM NORMAL Awadagin Pratt(p)  EMI CLASSICS  CDC 5 55025 2 0 (1994年)

○弱小クラシックCDレーベル 魔煮悪classics 本社会議室

部長:50代男性  年々下がる売り上げに悩み続ける中間管理職
社員A:25歳男性 クラシックが何となく好きなニートっぽい兄ちゃん
社員B:36歳女性 入社10年を超えた中堅社員

部長:それでは企画会議を始める。皆もわかっていると思うが、クラシック音楽産業は衰退の一途にある。その大きな要因はやはりスターの不在だ。昭和の頃は道端のオッサンでもクラシックの指揮者は?と聞かれれば「カラヤン」くらいの名前は出てきた。新入社員のA君、今のベルリンフィルの常任は誰かな?

社員A:え、、、、、えっと、えっと……ぺ?……プ?……ペトルーシュカ、じゃないし……

部長:まぁ、そんなもんだ。私も先日、クラシック音楽酒場に行ったが即答できた奴はいなかった(筆者実話)。それほど今はスター不在なのだ。しかぁし、そんなことは言っていられない。何としてでもリスナーの財布のひもを緩めるスターを探し出すのだ。

社員B:よろしいでしょうか、部長。

部長:おお、Bくん、逸材に心当たりがあるかい?

社員B:クラシックといえど、古よりスターは美男美女もしくは夭折の天才と相場は決まっています。昔よりは演奏の腕はハイレベルになったと思いますが、正直、みな似たり寄ったり。さっそく音大に行って虚弱な美男美女プレイヤーを探してきます。

部長:いやいや、そのコンセプトはちょっとルイ風(※)かなぁ。確かにみてくれは大事だが、もう少し新しいコンセプトはないかね。

社員B:では、困難と闘う感動のストーリー性という点で、独裁的な国家から政治的迫害を受けている芸術闘士はいかがでしょうか?

部長:タコ・ロストロ路線だね。しかし、今、それほどに顕著な政治的迫害は(ピーーッ)国でもない限りいないんじゃないか? (ピーーッ)は演奏家へのコンタクトも大変だろう。それに芸術的自由だとか政治思想路線の闘争系はもう流行らないのではないかね。

社員B:では、感動のストーリーという点では(ピーーッ)でしょう。既に(ピーーッ)や(ピーーッ)という先例がありますから、市場は安定しています。

部長:こらこら、企画会議での発言は気を付けたまえ。最近オリンピックの演出で内部のブレスト的なやり取りが漏れて大変な事態になったことを忘れたか。間違っても(ピーーッ)とか(ピーーッ)とか(ピーーッ)とか言ってはいかんぞ。

社員B:では(ピーーッ)との闘いはどうですか?それを前面に出したセールスは過去に例はありませんから、斬新なのでは?

部長:ぶぁっかもん!!うちを潰す気か。(ピーーッ)はなし、なし、なし。

社員A:あのぉ……最近のネットの流行りで「ポリコレ」っていうのがあるみたいなんですけどぉ……

社員B:ポリコレ、いいわね、それ。部長、最近の流行りでは人種問題やジェンダー問題などが世界的にもホットなムーヴメントね。

部長:確かに。批判する奴がいたらポリコレ攻撃をかませばよいしな。

社員B:なんか全体的にポリコレの捉え方が間違っているようには思いますが……まぁ、音楽的価値以上の有無を言わせない価値が付加されることにはなりますね。

社員A:それって(ピーーッ)と同じですね?

部長:だから、(ピーーッ)とか口にするなって。お願いしますよ、ほんとにもう。

社員B:まずはより一般的な所から人種問題を取り扱うのはどうでしょう。

部長:ジェンダー問題はダメなのかね?

社員B:それも重要ですが、音楽業界はもともと(ピーーッ)ですし、今更殊更(ピーーッ)を主張しても割とスルーされてしまうのではないかと。

部長:確かに。では人種問題で行くか。

社員A:少し前、ネットニュースでよく見たのは「Black Lives Matter」ですね。やっぱ黒人の人たちへの問題が世界のトレンドかな。そういえば、黒人のピアニストってクラシックではほとんど見ないですね。

社員B:私もほとんど知らない。部長は?

部長:ジャズなら山ほど知っているが、確かにクラシックはあまり聞かないなぁ。その辺を調べてみる必要があるな。きっと知られざる素晴らしい演奏家が沢山いるに違いない。よし、今日は解散だ。次回のmtgまでに二人は色々調べてきてくれ。

社員A・B:了解しました。

~a few days later~

部長:では企画会議を始める。クラシックの黒人ピアニストについて調べてきたかね?

George Walker in Recital George Walker(p)

社員A:はい、部長。僕はGeorge Walkerっていう人を見つけました。めちゃクールなキャリアの人です。彼のホームページに経歴が書いてあって、そこらじゅうに「黒人で初めて first black」という言葉があふれています。音楽学校を出た最初の黒人ピアニストとか、大手の交響楽団や演奏会場に出演した最初の黒人とか、ピューリッツァー賞を取った最初の黒人とか、まさに黒人クラシック音楽家のパイオニアです。

部長:CDは出ているのかね?

社員A:amazonで検索したんですけど5~6種類はありました。ここにあるのは「George Walker in recital」です。1曲目のスカルラッティのソナタL.S.39、びっくりしますよ。

社員B:この曲って、こんなスイング感のあるリズムなの?

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社員A:いやいや、もともとはかっちりとした2分の2拍子(譜例1)ですよ。Walkerの演奏はまるで8分の6拍子(譜例2)。さすがのリズム感っていう感じでしょ?

部長:ほかにもショパンや、ベートーヴェンを弾いてるようだが、スイングするのかね?

社員A:この曲だけです。

部長・社員B:えっ?

社員A:こんな不思議なリズムアプローチはこの曲だけです。あとは極めてまともです。同じスカルラッティももう5曲弾いてますが、極めてまともです。

社員B:なんで? これだけ……でも、面白いわ。これ。

部長:確かにこの1曲目は衝撃的に面白いが、インパクトが続かないなぁ。B君の方は誰か見つけたかい?

社員B:幻のピアニスト見つけました。

部長:なに、幻。そりゃよい宣伝文句だ。

社員B:名前はAntony Rollé。弾いているのはゴドフスキのシュトラウス編曲もの全4曲です。

JOHANN STRAUSS by LEOPOLD GODOWKY  Antony Rollé(p)

部長:シュトラウス=ゴドフスキのあの超難曲を、しかも全曲だとぉ。良く見つけた、偉い!

社員B:しかもこの録音、1985年にLPで出たきりでCD化されていません。

部長:ますますレア感upだねぇ。で、幻というのは?

社員B:この人、その後消息不明なんです。ネットでいくら検索しても出てきません。ピアノはアール・ワイルドに師事したらしいです。そしてデビューアルバムは1980年のメットネル作品集。2枚目がこのゴドフスキです。このアルバムを最後に消息不明です。

部長:消息不明か……交渉が大変そうだが、面白い。で、出来は?

社員B:いたって普通です。下手ではないですが、特に際立ったものはありません。

部長:あの難曲を普通に弾くだけでも大したもんだが、「いたって普通」かぁ……

社員B:で、そんなこともあろうかと、もう一人見つけてきました。どうです?このジャケット。

A LONG WAY FROM NORMAL Awadagin Pratt(p)

社員A:WOW 、Cooooool!

部長:インパクト特大だねぇ。しかもアルバムタイトルが「A Long Way from Normal」、正常からの遠い道のり。イイね、イイね、イイね。そそられるねぇ。

社員B:部長、違います。正常から遠いのではありません。

部長:はぁ? このジャケ写なんだから、どう見てもそうだろう。

社員B:このAwadagin Prattというピアニストは、イリノイ州のNormalという町の出身なんです。だからその故郷を遠く離れて随分と来たもんだという意味です。

部長:なんだ、それ。半分サギじゃないか。で、演奏は?この風体だけのことはあるだろうね?

社員B:極めてまともです。正統派の極みです。コンクールで優勝もしていますが、そりゃ優勝するだろうなという見事なNormal仕上がりです。技巧的にも安定しています。

部長:リストもバッハもフランクもブラームスも、みな真っ当か?

社員B:ひたすらに真っ当です。これはこれで素晴らしいことです。

部長:みてくれで過度な期待をしてはいけないということか……他にはいないかね?

社員A:すみません、今回は見つかりませんでした。

社員B:クラシック音楽が盛んな欧米ではもともと黒人人口は比率的にそれほど多くはありません。おそらくは歴史的・経済的問題も絡んでクラシックミュージシャンは絶対数が意外と少ないのだと思います。

部長:そうか。うーーーん、黒人ピアニストならではのリズム感とかノリとかを期待したのだが、Walkerの1曲を除いて真っ当路線か……

社員A:あのぉ……これって結局、人種とかに関係なく、真っ当に勉強した人は真っ当な結果を出すことができるということではないですか?

社員B:まずは中心値的な部分がきちんとできるということね。変な思い込みは禁物ね。

部長:なんか少しいい話でまとまったねぇ。けど、うちの企画としてはどうしたらよいのかますますわからなくなった。困った。

社員B:うちもまずは真っ当な路線を大事にしましょう、部長。

社員A:ですよ、部長。

部長:いや、真っ当路線は往年の巨匠たちが極上の結果を残してしまっているから、もう今更なんだよなぁ。やはり生き残りを賭けて過去にない斬新な企画を考えねばならないと思うんだよ。

社員A:じゃあ、やっぱ(ピーーッ)とか(ピーーッ)で行きましょうよ。

部長:ぶぁかもんっ!!!だから、そういうことは言ってはいかんって。

補記: 
※ルイ風……「古い」の実在した業界用語。ふるい ⇒ るいふ ⇒ るいふー。ルイ風は筆者による当て字。

【紹介者略歴】
吉池拓男
元クラシックピアノ系ヲタク。聴きたいものがあまり発売されなくなった事と酒におぼれてCD代がなくなった事で、十数年前に積極的マニアを終了。現在、終活+呑み代稼ぎで昔買い込んだCDをどんどん放出中。