あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(13) ベケット三部作とオペラ「Neither」-2

 以上、ソプラノの動向に着目してオペラ「Neither」を概観した。1987年に行われたインタヴューでフェルドマンは「実のところそれはオペラではなく、オペラの長さに拡大した詩に過ぎなかった。it really wasn’t an opera; it was just a poem that I extended into an opera length.」[27]と言っている。ソプラノはベケットが書いた通りの順序でテキストを歌うが、曲中でのそれぞれの行や語の配置はテキストの構成や流れを優先しているとは言い難く、随所にテキストのないソプラノ歌唱を挟みながら途切れ途切れに言葉が歌われる場面も多い。例えばセクションBでソプラノが歌うのはG5の音高だけである。音の高さはそのままに、テキストの言葉が次々と歌われる。音高の変化がないので、それぞれの言葉は平坦であることを強いられる。セクションNでは、このオペラのタイトルでもある「neither」が短いアタックで繰り返される。その様子は歌というより苦悶による叫びのようにも聴こえる。ここでは言葉と音楽の抑揚によって紡がれる「歌」という概念が希薄だ。このオペラでソプラノが歌うのは言葉にならない声であり、さらには、声にならない嗚咽や呻きの瞬間でもある。

 実際、フェルドマン唯一のオペラ「Neither」の上演はどのように行われ、どのような反響を得たのだろうか。1977年6月のローマでの初演に際してフェルドマンがこだわったのは照明だった。フェルドマンは照明による影の効果を演出家とスタッフに求めた。照明を影の中から照らすなど彼らは試行錯誤したが[28]、フェルドマンを満足させる結果はそう簡単には得られなかったようだ。最終的に劇場のスタッフたちは多額の費用をかけてロスコの絵画のような影のグラデーションを作ることに成功した。[29]初演時の舞台照明についてフェルドマンは「影は本当に影だった。舞台も見事だった。もちろんグラデーションも。すべてを取り囲む影、すべてがまぎれもなく影だった。Shadows are really shadows, you know. And the stage looked marvelous, the gradation, you now. And shadows around everything, everything just shadows.」[30]と満足げに回想している。

 ベケット三部作、ベルリンでのベケットとの対話、バッファローに戻ってからの作曲、初演の準備といった過程を経て「Neither」は1977年6月8日にローマ歌劇場でソプラノMartha Hanneman[31]、指揮Macello Panni、ローマ歌劇場管弦楽団、Michelangelo Pistolettoの演出によって初演された。これは充分に予想できることだが、筋書きのないフェルドマンのオペラ「Neither」はローマの観衆にはまったく受け容れられず大きなブーイングにさらされた。[32]初演の翌年、このオペラは1978年10月にベルリンで再演された。この時、客席にベケットがいたと言われている。[33]1978年11月にはニューヨークにて演奏会形式でのアメリカ初演が行われた。筆者は2009年にヘルシンキでの上演を観たことがあり、その時のプログラムでは「Neither」の前にウォーリネンの交響曲が演奏された記憶がある。

 フェルドマンとベケットとのかかわりはこのオペラ1回きりではなかった。1987年に行われたベケット・フェスティヴァルからの委嘱でフェルドマンはベケットのラジオドラマ「Words and Music」の音楽を作曲。23人の奏者のための「For Samuel Beckett」はフェルドマンが亡くなる数ヶ月前に書かれた。フェルドマンがオペラ「Neither」を通して学んだ「方法を変えて同じことを繰り返す」ベケットのやり方は、1980年以降の反復を主体とする長大な楽曲の中に反映されている。

Feldman/ Words and Music (1987)
Feldman/ For Samuel Beckett (1987)

 次回は、トルコやイランの絨毯への興味の高まりから生まれた1970年代後半〜1980年代初めの反復による楽曲について考察する予定である。


[1] Morton Feldman Says: Selected Interviews and Lectures 1964-1987, Edited by Chris Villars, London: Hyphen Press, 2006, p. 270
[2] James Knowlson, “Feldman meets Beckett,” The Life of Samuel Beckett, London: Bloomsbury Publishing, 1996. この章の抜粋が以下のサイトから読むことができる。
https://www.cnvill.net/mfknowl.htm
[3] Ibid.
[4] Ibid.
[5] Feldman 2006, op. cit., p. 75
[6] Ibid., p. 75
[7] Ibid., p. 75
[8] Ibid., p. 75
[9] Knowlson 1996, op. cit.
[10] Ibid.
[11] Ibid.
[12] テキストのレイアウトはUEのスコアと同一にした。
[13] 堀真理子「ベケットと知覚の不思議」、『ユリイカ』1996年2月号、189頁
[14] 同前、189頁。
[15] 同前、190頁。
[16] Feldman 2006, op. cit., p. 232
[17] Morton Feldman, Morton Feldman Essays, edited by Walter Zimmermann, Kerpen: Beginner Press, 1985, p. 163 文中 “our existence is only this much” の箇所はこの本に併記されているドイツ語 “geht unsere Existenz nur bis dahin” を参照して日本語に訳した。
[18] Feldman 2006, op. cit., p. 75
[19] Ibid., p. 75 “waiting for the text!” はベケットの『ゴドーを待ちながら Waiting for Godot』にちなんだ発言と思われる。
[20] Ibid., p. 75
[21] Ibid., p. 75
[22] Ibid., p. 194
[23] Ibid., p. 194
[24] Ibid., p. 76
[25] Morton Feldman, Words on Music: Lectures and Conversations/Worte über Musik: Vorträge und Gespräche, edited by Raoul Mörchen, Köln: MusikTexte, 2008, Band Ⅰ, p. 688
[26] 2006年にUEから出版された「Neither」(UE 21364)のスコアはEmilio Pomaricoによる校訂版。
[27] Feldman 2006, op. cit., p. 232
[28] Morton Feldman, Morton Feldman Essays, edited by Walter Zimmermann, Kerpen: Beginner Press, 1985, p. 163
[29] Ibid., p. 163
[30] Ibid., p. 163
[31] Martha Hanneman(1952-2015)バッファロー出身のソプラノ歌手。「Neither」初演当時はバッファロー大学のCenter for Creative and Performing Artsのメンバーだった。後にブラジルに移住した。
[32] Feldman 2006, op. cit., p. 271
[33] Ibid., p. 271

高橋智子
1978年仙台市生まれ。Joy DivisionとNew Orderが好きな無職。
(次回は5月19日更新予定です)