あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(13) ベケット三部作とオペラ「Neither」-1

文:高橋智子

 前回は1975年の楽曲「Piano and Orchestra」を中心に、フェルドマンのオーケストレーションと協奏曲について考察した。今回は彼の1970年代の楽曲のハイライトともいえるオペラ「Neither」と、このオペラのための習作として位置付けられているベケット三部作をとりあげる。

1 ベケット三部作

 ローマ歌劇場からオペラの委嘱を受けたフェルドマンは1976年春頃から作曲準備に取りかかり、わずかひと月のうちに「ベケット三部作」と呼ばれる3曲を書く。これまでフェルドマンは声を用いた曲や既存の詩に曲をつけた曲を書いていたが、フル・オーケストラで演奏されるオペラは彼にとって初めての経験だ。フェルドマンと歌曲との関わりを振り返ると、未完成のスケッチと未発表曲を除いて、詩やテキストを用いたフェルドマンの楽曲は全11曲。バリトンと室内アンサンブルのための「Intervals」(1961)ではフェルドマンが自らテキストを書いている。セリーヌの詩を用いたソプラノとフルート、クラリネット、バスクラリネット、ファゴットのための「Journey to the End of the Night」(1947)は彼の最初期にあたる作品で、叫びにも似たソプラノ独唱の旋律を聴くと、当時の彼はシェーンベルクやベルクのいくつかの歌曲を参照したのではないかと推測できる。E. E. カミングスの詩を用いたソプラノ、チェロ、ピアノのための「4 Songs to E. E. Cummings」(1951)は「Journey to the End of the Night」よりも起伏の激しい歌の旋律と、チェロとピアノの点描的な音の分布による伴奏は同時期に書かれた図形楽譜の楽曲と類似している。1963年の「Vertical Thought 3」と「Vertical Thought 5」はこの時期の他の楽曲と同じく自由な持続の記譜法で書かれたソプラノと室内アンサンブル編成。この2曲とも、ユダヤ教の聖典としても位置付けられている口伝律法『タルムード』からの一節を英訳した「life is a passing shadow」[1]をソプラノが歌う。先に紹介した2曲と異なり、ソプラノは1つのシラブルを長く引きのばす。歌詞を構成する一語と一語の間が引き離されて配置されているため、ソプラノの声部には旋律のようなまとまりが感じられず、必然的に歌詞は不明瞭に聴こえてしまう。このような「Vertical Thought」の3番、5番における歌と言葉の関係は後述する「Neither」のソプラノを予見している。

 1982年の「Three Voices」はフェルドマンの親友で詩人、美術批評家のフランク・オハラと、作風の変化によって絶交してしまったかつての親友で画家のフィリップ・ガストンの追憶のために書かれた。3つの声は、フェルドマン自身、既にこの世にはいないオハラとガストンを象徴している。初演を手がけたジョアン・ラ・バーバラに献呈されている。フェルドマンはオハラの詩「Wind」に音楽をつけた。この曲はメゾ・ソプラノによる3つのパートから構成されており、第3パートを生演奏で歌手が歌い、第1、2パートは同じ歌手によって事前に録音された音源を用いる。あるいは3人の歌手による生演奏でもよい。1人の歌手と録音で演奏する場合、歌手の両脇にテープ音源のためのラウド・スピーカーを置いたらスピーカーが墓石のように見えたと、フェルドマンは言っている。[2]同じ声や楽器による複数のパートを1人の演奏者が重ねる手法は、スティーヴ・ライヒのクラリネットとテープのための「New York Counterpoint」(1985)、エレクトリック・ギターとテープのための「Electric Counterpoint」(1987)といった一連の「カウンターポイント・シリーズ」と非常によく似ている。ライヒのカウンターポイント・シリーズの最初の楽曲「Vermont Counterpoint」は1982年で、フェルドマンの「Three Voices」の完成と同じ年だ。もちろん既にフェルドマンとライヒはお互いの存在を知っており、1971年にフェルドマンはライヒの「Drumming」(1970-71)の私的な演奏会を聴きに来ていた。[3]しかしながら2人がとりわけ親しく付き合っていたわけでもなく、さらにはライヒがフェルドマンの死後に彼の後期作品をようやく聴くようになったと回想している[4]ことからも、「Three Voices」と「Vermont Counterpoint」との類似性は偶然とみなすのが妥当だろう。歌詞を持つソプラノが出てくるベケット三部作「Elemental Procedures」とオペラ「Neither」を経た「Three Voices」での3つの声は、フェルドマンの後期作品特有の反復によって絶えず重なり合っているが、短いフレーズの中で歌詞がはっきりと歌われるので言葉を聴き取りやすい。「Neither」とは明らかに異なる方法でフェルドマンは声と言葉を扱っている様子が一聴してすぐにわかる。

[詩、その他テキストを用いた楽曲]
・Journey to the End of the Night(1947) テキスト:セリーヌ
・Only (1947) テキスト:リルケ
・4 Songs to E. E. Cummings (1951) テキスト:E. E.カミングス
・Intervals (1961) テキスト:フェルドマン
・Vertical Thought 3, 5 (1963) テキスト:『詩篇』144:4 英語訳
・The O’Hara Songs (1962), Three Voices (1982) テキスト:オハラ
・Elemental Procedures (1976), Neither (1977), Words and Music (1987) テキスト:ベケット

Feldman/ Journey to the End of the Night
Feldman/ 4 Songs to E. E. Cummings
Feldman/ Vertical Thought 5
Feldman/ Three Voices

 作品全体の割合ではほんの一部に過ぎないが、多くの作曲家と同じく、フェルドマンも自身の創作の中で声と言葉の用法を様々な編成やテキストによって試行錯誤していたようだ。彼はオペラを書くにあたってどのような準備をしたのだろうか。

 オペラに向けた実験と習作として、フェルドマンは1976年7月に「Orchestra」(1976年7月3日完成)、「Elemental procedures」(1976年7月18日完成)、「Routine investigations」(1976年7月24日完成)を作曲した。「ベケット三部作」と呼ばれるこれら3曲は特定の素材を共有しており、また、この素材はオペラ「Neither」にも引き継がれている。このような背景から、オペラ「Neither」を考察する前にまずはベケット三部作について検討する。