あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(13) ベケット三部作とオペラ「Neither」-2

文:高橋智子

2. オペラ「Neither」

 1976年7月に「ベケット三部作」による一通りの試作を終えたフェルドマンは1976年9月18日に行われた「Orchestra」初演のためグラスゴーに滞在していた。[1]グラスゴーでの初演の後フェルドマンはベルリンに赴き、9月20日の昼頃シラー劇場で「あしあと Footfalls」と「あのとき That Time」のリハーサルをしていたベケットと初めて会う。[2]劇場の中は照明が暗転して真っ暗だった。暗闇の中でベケットはフェルドマンの親指に握手した。[3]これが彼らの初対面の瞬間だ。フェルドマンはベケットを劇場近くのレストランにランチに誘い、ここで彼は自身のオペラについて話した。[4]「自分の考えだけでなく彼(訳注:ベケット)の考えにひれ伏したかった I wanted slavishly to adhere to his feelings as well as mine.」[5]と語り、ベケットを信奉していたフェルドマンはベルリンで交わした会話を次のように回想している。

例えば、彼(訳注:ベケット)はとても困惑した様子で「フェルドマンさん、私はオペラが好きではないのです。」と私に言った。「そんなのかまわないですよ!」と私は返した。それから彼は「私は自分の言葉に音楽をつけられるのが好きではありません。」と言った。私は「完全に同意します。実のところ私はめったに言葉を用いません。声の曲をたくさん書いてきましたが、それらには言葉が付いていません。」と答えた。そして彼は再び私の方を向いてこう言った。「ならば、何をお望みで?」私は「まだわかりません!」と彼に言った。さらに彼は、私が彼の既存の作品を用いない理由を訊ねてきた。

For example—he was very embarrassed—he said to me, “Mr. Feldman, I don’t like opera.” I said to him, “I don’t blame you!” Then he said to me, “I don’t like my words being set to music,” and I said, “I’m in complete agreement. In fact it’s very seldom that I’ve used words. I’ve written a lot of pieces with voice, and they’re wordless.” Then he looked at me again and said, “But what do you want?” And I said, “I have no idea!” He also asked me why I didn’t use existing material.[6]

 このやり取りから、2人は「オペラが好きではない」点で意気投合したように見える。フェルドマンはどうにかしてベケットを自分のオペラに引き込みたかった。既にフェルドマンはベケットの共通の友人を介してベケットにオペラの台本を依頼し、ベケットもそれに応じて様々な提案をしていた。だが、フェルドマンはベケットの提案に全て目を通した結果「それらは脆弱で、音楽を必要としていなかった they were pregnable; they didn’t need music.」[7]と感じた。「本質的なもの、そこに漂っているだけのものを探している I was looking for the quintessence, something that just hovered」[8]と言い、彼は改めてベケットにオペラのための書き下ろしを依頼したのだった。それからフェルドマンが自作曲のいくつかのスコアをベケットに見せたところ、なかでもベケットは自身の「Film」の序文が引用されている「Elemental Procedures」に強い関心を示し、「自分の人生の主題はたった1つ there was only one theme in his life」[9]と言った。フェルドマンがその「主題」をその場ですぐに書いてくれるようベケットに頼むと、彼はスコアに「To and fro in shadow, from outer shadow to inner shadow. To and fro, between unattainable self and unattainable non-self.」と書き記した。[10]後にこの1文がオペラ「Neither」のテキストの冒頭を飾る。フェルドマンがベルリンでベケットから得られたのはたった1文だった。フェルドマンがバッファローに戻った9月末にベケットからはがきが届く。その裏面にはベルリンでベケットが書いた文の続きで、「Neither」と題された短いテキストが手書きされていた。[11]これがそのままオペラに使われる。

Neither by Samuel Beckett

to and fro in the shadow from inner to outer shadow
from impenetrable self to impenetrable unself
by way of neither

as between two lit refuges whose doors once
gently close, once turned away from
gently part again

beckoned back and forth and turned away

heedless of the way, intent on the one gleam
or the other

unheard footfalls only sound

till at last halt for good, absent for good
from self and other
then no sound

then gently light unfading on that unheeded
neither

unspeakable home[12]

いずれとも知らず 日本語訳 堀真理子

影の中を行きつ戻りつ、内なる影より外なる影へ
不測の自我より不測の無我へ、いずれが先とも知れず

人近づくやその扉、静かに閉じ、背を向けるやまた開く
あかりともる二つの山家やまがをさまようがごとく

灯りに惑いて行きつ戻りつ、ついには背を向け

いずくへ向かうもかまわず、目のみはいずれか一つの灯りを
あきらめず

聞こえぬ足音のみ響きわたる

やがて永遠とわに足を止め、永遠とわに自我・他者とも無縁となる

静寂

ついには顧みられざるにはあらぬいずれとも知れぬものに
灯り静かにともる

いわく言い難き住居すまい
[13]

 この短い詩を日本語に訳した英文学者の堀真理子は「『自我』『他者』になれる状況、仏教で言えば『無我』のような境地に身を置いて、安らかな心境でありたいとする作者の切なる願いが託された詩」[14]と解釈する。自己の存在や感覚が究極的に研ぎ澄まされた境地に達すれば「聞こえぬ足音」も聞こえてくる。[15]少し視点を変えてフェルドマンのこれまでの創作にひきつけてこの詩について考えてみると、「to and fro in the shadow from inner to outer shadow」「beckoned back and forth ad turned away」は何かと何かとの間で揺れ動くイメージを喚起している。さらにこの中の「shadow」という語に着目すると、フェルドマンが1963年の「Vertical Thought 3」と「Vertical Thought 5」のソプラノの歌詞として『タルムード』の一節「life is a passing shadow(生は去りゆく影である)」を用いたことが思い出される。ベケットが描いた揺れ動く影はどちらかの極に帰着するのではなくて「どちらでもない Neither」。この「どちらでもない」態度は、自分の音楽を時間と空間の間、絵画と音楽の間、音楽の構造と表面の間にあるものと位置付けようとする1969年のフェルドマンのエッセイ「Between Categories」にも共通している。さらにもうひとつ、予言的な出来事を指摘することができる。オペラの委嘱の話が舞い込むはるか前にさかのぼり、1969年にフェルドマンは「Neither/Nor」というエッセイを書いていた。だが、このエッセイはベケットの「Neither」とは無関係で、フェルドマンの当時の愛読書だったキルケゴールの『Either/Or』(原書は1843年にデンマークで出版された)のパロディだと思われる。このエッセイでフェルドマンはケージやノーノを例に芸術、社会、政治の関係を論じた。ベケットの「Neither」とフェルドマンの「Neither/Nor」は単なる偶然の一致かもしれないが、見過ごせない奇妙な符号でもある。フェルドマン自身による「Neither」の解釈は次の通りだ。彼は人間の認識や存在を「影」との関係で捉えようとしている。

この主題は本質的に次のようなことを言っている。認識の影の中にいるのか、または非認識の影の中にいるのか。とにかく結局は影の中にいるという意味だ。いかなる理解の境地にも達することはないだろう。これ――人生という厄介事 hot potato――を抱えてそこに残されたままだ。

The subject essentially is: whether you’re in the shadows of understanding or non-understanding. I mean, finally you’re in the shadows. You’re not going to arrive at any understanding at all; you’re just left there holding this—the hot potato which is life.[16]

 フェルドマンはさらに具体的に「影」について説明している。私たちの生と死は常に影の間を揺れ動いていて、その影の中では自分の存在さえ認識できない。あるいはこうとも言えるだろう。私たちの存在は生と死の影の間で揺れ動いているに過ぎないのだと。ここでの存在と認識に対する考え方は「Elementary Procedures」で引用されたベケットの「Film フィルム」における「男または客体 O」と「自意識または目 E」の関係を思い出させる。

私たちの生が私たちの辺り一帯にある影に取り囲まれている。これがベケットのオペラの主題だ。私たちには影の中が見えない。影の中が見えないことは私たちの生が影であることを意味する。私たちは影の中を見ることができないので私たちの存在は影の中にとどまるしかない。私たちは生と死の影の間で揺れている。

The subject of the Beckett opera is that our life is framed in shadow all around us, we cannot see into the shadow. Being that we cannot see into the shadows, our life is the shadow. Being that we cannot see into the shadows, our existence is only this much and we are fluctuating the shadows of life and death.[17]

 ベケットから「Neither」を受け取ったフェルドマンはどのようにオペラを作曲していったのだろうか。フェルドマンによれば、ベケットからのはがきが届く前に彼は既に作曲を始めていた。「そんなわけで、この曲は言葉のないところから始まる。私はテキストを待っていた。 That’s why the piece begins textless. I was waiting for the text.」[18]曲が始まり、ソプラノが歌い出すまでの約4分間をこのオペラの序曲とするならば、「この序曲がなんたるかを発見した。テキストを待ちながら!I discovered what an overture is: waiting for the text!」[19]フェルドマンは作曲当時のことをふり返る。ベケットからの「Neither」が届いた時、フェルドマンは文と文との空間、つまり視覚的な句読法の形式に心を打たれた。[20]最初の行を精査していると、フェルドマンにはそれが時間の1つの長いピリオドに見えてきた。[21]フェルドマンはこのテキストを読んでいた時の経験を次のように語る。

彼(訳注:ベケット)は英語で何かを書いたらそれをフランス語に翻訳し、それから、その思考の意味を伝える英語に戻って翻訳し直すそうだ。彼はこれを続けているのだという。1977年、彼は私のためにあるものを書いてくれて、私はそれを受け取った。今それを読んでいる。すべての行が同じ考えを違う方法で言っているのだと最後にわかった。それでもなお、まるで何かが起きているかのように連続性が作用している。だが何も起こっていない。プルースト的ともいえる方法であなたたちが行なっているのは、ますます深みにはまる思考への耽溺である。

He would write something in English, translate it into French, then translate that thought back into the English that conveys that thought. And I know he keeps on doing it. He wrote something for me in 1977, and I got it. I’m reading it. Finally I see that every line is really the same thought said in another way. And yet the continuity acts as if something else is happening. Nothing else is happening. What you’re doing in an almost Proustian way is getting deeper and deeper saturated into thought.[22]

 アイルランド生まれのベケットは英語を母語とするが、彼の作品の多くは自身によってフランス語でも書かれている。ベケットはまず英語で書き、それを次にフランス語にしてみて、さらに再びフランス語から英語へと訳し直す。その文の最終的な意味や結論は同じであれ、ベケットの手にかかると言葉が2つの言語の間で揺れ動く。この揺れ動きは先ほど指摘した「Neither」の2つの箇所に見られる動きの感覚や、フェルドマンのエッセイ「Between Categories」ともつながるといえるだろう。フェルドマンはさらにもう1つのことに気づく。ベケットが書いた「Neither」はそれぞれが異なる語によって別のことを言っているように見えるが、その実、方法を変えて同じことを繰り返しているのだった。外見や方法がいくら違っていても、その大意や本質は変わらない。いくら繰り返そうと発展や変化には行き着くはずもなく、出来事が堂々巡りで起きるだけである。フェルドマンは「Neither」の中でベケットが書いた言葉の意味やイメージを音楽で描いたのではなく、違う方法で同じことを何度も繰り返すベケットの方法を次のように実践した。

そして私が行ったのは、何か言って、それを音高がついている状況に翻訳する。それから、音程がさらにはっきりしている状況で同じことを行い、そこで提示されたものを別の種類の音高へと戻す――もはやもとの音高ではなく、行ったり来たりさせる。常にもとの言語に翻訳し直して、それを言ってみて、今度は違う焦点に合わせてそれをやってみよう。

What I do then is, I translate, say something, into a pitchy situation. And then I do it where it’s more intervallic, and I take the suggestions of that back into another kind of pitchiness—not the original pitchiness, and so forth, and so on. Always retranslating and then saying, now let’s do it with another kind of focus.[23]

 もしもフェルドマンがこれを本当に実行していたならば、一見同じだが、繰り返されるたびに音高や音価が微かに変わる「Neither」の反復書法の源泉の一端がここに垣間見られる。加えて、繰り返しの過程の中で微細な変化や差異を生んでいく方法は1980年代に入るとさらに顕著になる。

 この連載でも何度か解説したように、フェルドマンは1950年代から一貫して音楽における連続性や発展性を避けてきた。以下の発言を読むと、「Neither」でもその傾向が変わらないことがわかる。フェルドマンはそれぞれの文を1つの世界として捉え、文と文との因果関係や物語としての結びつきを考慮せずに曲を書き進めた。楽器による間奏の長さも正確な計測に則って決められたのではなく、彼自身が考え込んでいる時間、つまり作曲家の主観的な時間が間奏の長さを決定付けている。

楽器パートの間奏の長さは何で決まるのか? 私には答えられない。まるでじっと考え込んでいるようなものだ。私は原因と結果による連続性を求めていなかった。それは1つの考えから別の考えに移行させる一種の接着剤だ。私はそれぞれの文を1つの世界として扱いたかった。そこには考えるべきたくさんのことがあった。なぜなら、曲が進むにつれて、この曲がより悲劇的になってくることに気づいたからだ。耐えがたくなってきた一方、今ではそう悪くもない。

What made me determine the length of the instrumental interlude? I can’t answer. It’s almost as if I’m reflecting. I didn’t want a cause-and-effect continuity, a kind of glue that would take me from one thought to another. I wanted to treat each sentence as a world. And there was much to think about, because I noticed that, as the work went on, it became much more tragic. It became unbearable, while here it’s tolerable.[24]

 テキストの全編が届く前に既に作曲を始めていたフェルドマンだったが、違う方法で同じことを繰り返すベケットの書き方がオペラの作曲を進めるうえで彼にどのような影響をもたらしたのだろうか。なんらかの物語ではなく、短い散文詩をテキストに据える「Neither」は従来のオペラとは異なる点の多い厄介なオペラだ。フェルドマンの母は「どうやって歌手1人だけのオペラを書けるというの? How can you have an opera with one singer?」[25]と息子を心配した。