あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(15) 不揃いなシンメトリーと反復技法-1

 3パート間に優劣や主従関係を作らない方法は、この曲の拍子の用い方にも表れている。例えば「Why Patterns?」スコア1ページ目(このリンクから見本を閲覧できる https://www.stretta-music.com/en/feldman-why-patterns-fuer-floete-altfloete-schlagzeug-und-klavier-1978-nr-350140.html)では、アルト・フルートは2/2、5/16、5/8、3/4という具合に1小節ごとに拍子が変わる。グロッケンシュピールも2/4、5/4、5/8、2/2など拍子が1小節ごとに変わる。ピアノだけ拍子が一定していて、3/8拍子がしばらく続く。3パート間は初めから同期しておらず、優劣や主従関係を成立させる余地がどこにもないといえる。また、個々のパターンが大きな全体に向かう部分として扱われることもなく、3つのパートのそれぞれのパターンが各自のペースで淡々と繰り返されて、その過程で変化する。

 3パートは同期することなく各々ペースで進んで行くが、「Why Patterns?」の中でとりわけ聴き手の注意を引くのはグロッケンシュピールの音色だ。フェルドマンはこの楽器を単なるおもちゃ以上のれっきとした楽器として扱った。[4]グロッケンシュピールを選んだ理由として、フェルドマンはこの楽器がアブラッシュと同様の調子外れな性格を持っていて、そこから生じる「様々なフルートとピアノに調子を合わせたり外したりするメタファーが気に入っているI like the metaphor of going in and out of tune with the various flutes and with the piano」[5]からだと説明する。この曲でのグロッケンシュピールの硬質な音色は、ピアノとフルートの柔らかな響きが生み出す雰囲気に異質な要素を躊躇なくぶつけてくる。グロッケンシュピールは、ともするとフルートとピアノが調和するかもしれない状況が見えてくるや否や、それを悉く打ち破る役割を負っているともいえるだろう。だが、フェルドマンは決して無秩序や無政府状態を望んでいるわけではなく、常に変化しながらもイディオマティックな特性を残しておく技法を絨毯職人たちのやり方をヒントに考え続けていた。それは変わらないものと変化するものとのバランスをいかに保つかという問題でもある。

その結果、私はこの形式に行き着いた。個々のパートは極めて正確であるものの、それらをまとめて配置すると、本質的にはポリフォニーのやり方とはいえないのでポリリズムと言いたいが、垂直な出来事が引き起こす不正確さがこの正確さに加わって、多少なりとも絨毯のような感覚が生じる。そんな音楽だ。

So consequently I came up with this format. The music, every individual part is super precise, yet when you put them together, essentially not polyphonically however, I would say polyrhythmically, this precision plus the imprecision of its vertical happenings more or less created the feel of the rug.[6]

 それぞれのパターンの正確さと可変性、パート間の関係とその配置による効果を活かして、フェルドマンは絨毯のような秩序と逸脱とが同期している状態を「Why Patterns?」で実現しようとした。3つの楽器は一度たりとも揃わないが、それほど大きな混乱状態ともいえない。「Why Patterns?」を集中して聴いていると、3つの楽器が気ままなペースでそれぞれのパターンを繰り返し、それらがいつのまにか別のものへと変化している様子を耳で追うことができる。全体を構築する感覚やどこかへ向かう感覚が希薄なので、耳を澄ましているうちに曲が終わっている。

 エッセイ「Crippled Symmetry」に戻ると、次にフェルドマンは1979年に作曲された「String Quartet No.1(弦楽四重奏曲第1番)」を例に、同じ和音の執拗な反復について説明している。「String Quartet No.1」は、この時期のフェルドマンの楽曲の中で最長の演奏時間約100分の大曲だ。ここでフェルドマンが採用したのは弦楽4パートが各々の和音を1小節ごとに異なる拍子で繰り返す手法だった。

Feldman/ String Quartet (1979)

https://www.universaledition.com/morton-feldman-220/works/1-streichquartett-83

 フェルドマンがこのエッセイで例示した「String Quartet」のある部分(上記リンク先のKronos Quartetによる演奏では40:08付近)では各パートの小節と拍子が以下のように配置されている。ここでフェルドマンは4種類の拍子、5/2、9/8、2/2、7/4拍子をブロック状に配置して、リズムや拍節の感覚を曖昧にしようと試みた。この4小節間、第1ヴァイオリンはA#3-A4、第2ヴァイオリンはF4-C5、ヴィオラはB3-F#4、チェロはA♭3-G4の和音を鳴らし、各パートの音高は変わらない。

ヴァイオリン1 |5/2|9/8|2/2|7/4|
ヴァイオリン2 |9/8|5/2|7/4|2/2|
ヴィオラ    |2/2|7/4|5/2|9/8|
チェロ     |7/4|2/2|9/8|5/2|

 4種類の拍子が格子状に配列されている。この4小節間の拍数と時間の長さは各パート間で同じである。実際にこの部分の演奏を聴いてみると、拍節の感覚はほとんどなく、4パートが一斉に奏でるクラスター状の密集した響きの中でのうねりのような効果を聴き取ることができる。フェルドマンはこのような効果を得るために拍子の配置とずれ、4パートが同時に鳴らされた時の音響的な特性を緻密に設計したのだろうか。また、演奏家はこの部分をどのように演奏すべきなのだろうか。この疑問に対して、彼は次のように述べている。

スコアを読む人に対して、ここでの小節線を額面通りに受け取るべきではないと警告する必要がある。このパッセージは結果として生じる、複雑だがパターン化されていないシンコペーションによってリズムが曖昧にされている。リハーサルを経てようやく、そしてスコアをたどってみてようやく、私は1つの独立したパターンがある楽器から別の楽器へと交差しているのだと把握できた。

I must caution the reader not to take the bar lines here at face value. This passage becomes rhythmically obscured by the complicated nonpatterned syncopation that results. Only after rehearsals, and by following the score, could I catch an individual pattern as it crisscrossed from one instrument to another.[7]

「小節線を額面通りに受け取るべきではない」という助言を果たして額面通りに受け取ってしまってよいのだろうか。フェルドマンの多くの楽曲では、複雑な記譜の外見が誘発する音の動きのイメージをあっさりと裏切り、細かな音符が連なっていようと静的な印象を与えることが多い。ここでも同様のことが起きていると考えられ、この4小節間は4つの楽器がそれぞれの和音を引き延ばしているだけに聴こえるが、その内部を見てみると、4パート間に格子状に配置された異なる拍子とリズムの分割による複雑なテクスチュアが形成されている。しかし、その複雑さは聴覚だけでは捉えにくい。