あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(15) 不揃いなシンメトリーと反復技法-2

2 フェルドマンのピアノ曲

文:高橋智子

 「Triadic Memories」の考察に入る前に、このセクションでは、これまでのフェルドマンの楽曲におけるピアノ曲の位置付けと変遷について概観する。現在までに作曲年代が判明しているフェルドマンのピアノ曲をSebastian Clarenの著書Neither[1]とウェブサイト Morton Feldman Pageの「Works」[2]を参照して下記にまとめた。ここにまとめたのはピアノ独奏曲か複数ピアノによる楽曲で、ピアノと他の楽器による楽曲は含まれない。1950年以降の楽曲の( )の数字は演奏者の人数およびピアノの台数を表す。同じ( )に記されているのは初演時のピアニストの名前で、Tはデイヴィッド・チュードア、Cはジョン・ケージ、Fはフェルドマンを表す。

フェルドマンのピアノ曲一覧 *の付いた楽曲は未出版

1940s:
Composition*(194?), First Piano Sonata (To Bela Bartok)*(1943), Preludio* (1944), Self Portrait (1945)*, Illusions (1949, T)

1950s:
1950: For Cynthia*(195?), Three Dances*, Two Intermissions (T), Nature Pieces
1951: Intermission 3, Projection 3 (2), Variations (C), Intersection 2
1952: Intermission 4, 5(T), Extension 3 (T), Piano Piece 1952 (T)
1953: Intersection +* (T), Intersection 3 (T), Extensions 4 (3, C, T, William Masselos, Grete Sultan), Intermission 6 (1 or 2, C, T)
1954: Figure of Memory, Music for the film “Sculpture by Lipton”*, Three Pieces for Piano (F), Two Pieces for Two Pianos (2, C, T)
1955: Piano Pieces 1955
1956: Piano Piece 1956 A, B (T)
1957: Pieces for 4 Pianos (4, C, M, T, Grete Sultan), Piano Three Hands (C, T), Two Pianos (2, C, T)
1958: Work for Two Pianists (2), Piano Four Hands (F, T)
1959: Last Pieces

1960s:
1960: Ixion (version for 2 pianos) (2)
1963: Piano Piece (to Philip Guston), Vertical Thoughts 1 (2, C, T), Vertical Thoughts 2 (T?)
1964: Piano Piece (1964)
1966: Two Pieces for Three Pianos (3)

1970s:
1972: Five Pianos (5 and celesta, F, C, Cornelius Cardew, Frederic Rzewski, T), Pianos and Voices (5, Cardew, F, Nicolaus A. Huber, John Tilbury, Christian Wolff)
1975: Piano and Orchestra (Roger Woodward)*
1977: Piano

1980s:
1981: Triadic Memories (Takahashi/ Woodward)
1985: For Bunita Marcus (Takahashi)
1986: Palais de Mari (Marcus)

 フェルドマンが本格的に作曲家の道を歩み始めた1950年から1960年代前半まで、ほとんど毎年のようにピアノ曲が数曲書かれている。1950年代のいくつかの楽曲(「Three Pieces for Piano」「Piano for 4 Hands」など)はこの連載でもとりあげた。この時期の楽曲は3分程度、長くとも8分程度の小規模なものがほとんどを占めており、半音階的な音の重なり、広い音域での跳躍、不規則なペースでの反復などが主な特徴としてあげられる。1950年代のピアノ曲には図形楽譜による楽曲(「Intermission 3, 4, 5」「Projection 3」)も含まれる。1960年代に入るとピアノ曲の数が減る。この時期のフェルドマンの楽曲は3人から10人程度までの小、中規模な室内楽曲が中心で、ピアノはアンサンブルの1パートとして用いられることが多かった。ピアノ曲は他の編成の楽曲と同じく、音符の符尾のない自由な持続の記譜法で書かれている。1966年の「Two Pieces for Three Pianos」を最後にピアノ曲がフェルドマンの作品リストからしばらく姿を消す。1972年に再びピアノ曲が始まる。この年に書かれた2曲はどちらも複数ピアノの編成だ。「Pianos and Voices」はピアノと声によるアンサンブル編成に見えるが、声のパートは5人のピアニストが兼任するのでピアノ曲として分類した。どちらの曲もフェルドマン自身が初演のメンバーに名を連ねている。1975年には協奏曲(concerto)とは題されていないが事実上のピアノ協奏曲「Piano and Orchestra」が作曲される(この曲の詳細は第12回参照)。1970年代はフェルドマンがオーケストラ作品に数多く着手した時期で、フル・オーケストラとソプラノ独唱のためのオペラ「Neither」(1977)の他、「Orchestra」(1976)、協奏曲編成の「Cello and Orchestra」(1972)、「Flute and Orchestra」(1978)がこの時期の代表作であろう。1977年、オーケストラ曲の合間に突如現れたかのように見えるのが、フェルドマンにとっては久しぶりのピアノ独奏曲「Piano」だ。この曲のいくつかの側面に、フェルドマンが夢中になっていたトルコの絨毯からの影響が反映されているのは前回解説した通りだ。1970年代から徐々にフェルドマンの楽曲が長くなり始める。その傾向は「Piano」にも同様で、この曲の演奏時間は約25分。複数楽章に基づかない独奏曲としては比較的長い楽曲といえる。「Piano」を機にフェルドマンの作品リストに再びピアノ曲が姿を現し始める。1950年代の小曲の時代とは異なり、1981年の「Triadic Memories」と1985年の「For Bunita Marcus」はいずれも1時間を超える長大な楽曲だ。これらは今も演奏会のレパートリーとして多くのピアニストに演奏されている。