初演を担ったピアニストたちの顔ぶれを見てみると、1950年代はフェルドマンの盟友ケージとチュードアが頻繁に登場する。1960年代のピアノ曲初演のデータは作品リスト等を見る限り現時点ではまだ不明のことが多い。1970年代はフェルドマンがイギリスの音楽家たちと親交を持ち始めた時期で、カーデューが初演を手がけることもあった。1975年の「Piano and Orchestra」はロジャー・ウッドワード Roger Woodwardに献呈されており、初演も彼が務めている。1980年にピアニストの高橋アキがバッファロー大学Center of the Creative and Performing Artsのクリエイティヴ・アソシエイツ・メンバーに着任。フェルドマンの後期のピアノ曲の全ては高橋の演奏を一定の基準として参照しながら作曲されている。[3]
以上のようにフェルドマンのピアノ曲の変遷を概観すると、楽曲の様式だけでなく演奏に関わるピアニストの顔ぶれも時期ごとに異なっていることがわかる。フェルドマンの後期に当たる1970年代後半と1980年代以降はウッドワードと高橋の存在が彼のピアノ曲にインスピレーションを与えていた。「Triadic Memories」は先にあげたピアニストたちの存在なしには生まれなかった曲で、フェルドマンは「Triadic Memories」の解説文[4]の中で「私の人生の中でのピアノにまつわる過去の思い出と、3人のとても重要な演奏家たちの最近の思い出がこの曲に関係している。it has to do with memories and recent memories of three very important performers in my life at the piano.」[5]と述べている。この3人とはチュードア、ウッドワード、高橋のことで、フェルドマンは3人の存在が作曲そのものに大きな影響を与えたのだと語る。「デイヴィッドの弾き方を思い出し、ロジャーとアキの演奏に思いを巡らせながら、これまで書いたどの曲よりも、まるで自分が彼らの演奏をただなぞっていただけだと感じる場面がとても多かった。ある程度、作曲の段階において彼らの存在が「Triadic Memories」を構成している。And more than any piece I ever wrote, many times it was as if I was just taking dictation, remembering the way David played, thinking about Roger’s playing and Aki’s playing. And to some degree, they’re part of Triadic Memories in writing a piece.」[6]3人のピアニストはフェルドマンの音楽の優れた担い手だっただけでなく、それぞれ違った演奏スタイルを持っている。彼らの違いをフェルドマンは次のように描写している。
デイヴィッド・チュードア:驚異的な反射神経で一度にたったひとつのモザイクに集中する。同じ強度と明瞭さを持った方向感覚のないアプローチによって、何が演奏されていようと時間の積み重なりの効果が凍りつく。
David Tudor: amazing reflexes, focused on just one mosaic at a time, a nondirectional approach of equal intensity and clarity, regardless of what was being played, an accumulative effect time being frozen.[7]
「驚異的な反射神経」を要する1950年代のフェルドマンのピアノ曲といえば、マス目状の図形楽譜で記譜された「Intermission」の第3番と第4番があげられる。チュードアは一切の妥協のない、すばやいテンポでクラスター状の和音を次々と打ち鳴らしていく。「方向感覚のないアプローチ」は、当時のフェルドマンがポロックの絵画から着想を得て試みていた全面的(allover)なアプローチとも解釈できる。下記の録音で、頑強なタッチで瞬間瞬間を俊敏に掴みとっていくチュードアの名人芸を聴くことができる。
フェルドマンはチュードアとウッドワードを対比させて、ウッドワードの演奏に伝統的な性格を見出している。彼の演奏は伝統的なだけではなく、散文にも似た、ある種の自由さも併せ持っているようだ。
ロジャー・ウッドワード:より伝統的だが、これは彼の動き方と間合いの取り方が予測不能であることを意味する。私はこれを散文詩様式と呼ぶ。チュードアが瞬間に集中するのに対し、ウッドワードは楽曲の純粋な感触を見つけて、それをしっかり掴むと、大きな一息でその音楽全体の大きさを表現しようとする。チュードアと同じく、ウッドワードは全てを重要な素材として演奏する。彼は長距離ランナーだ。チュードアはバーの上を高跳びする。楽曲の因果関係と呼ばれるものに影響を受けることなく、チュードアが瞬間を切り分ける一方、ウッドワードは瞬間をじっくり味わい、その瞬間を引きのばすのに適切な音を見つける。
Roger Woodward: more traditional, which also means more unpredictable in how he shapes and paces. I would call it a prose style. Where Tudor focused on a moment, Woodward would find the quintessential touch of the work, hold on to it and then as in one giant breath, articulate the music’s overall scale. Like Tudor, Woodward played everything as primary material. He is a long-distance runner. Tudor jumps high over the bar. Where Tudor isolates the moment, by not being influenced by what we might consider a composition’s cause and effect, and Woodward finds the right tone that savors the moment and extends it.[8]
「楽曲の純粋な感触を見つけて」しっかり把握し、「瞬間を引きのばすのに適切な音を見つける」ウッドワードの演奏は、「Piano and Orchestra」でのベルに喩えられる和音の揺れ動きやアルペジオを想起させる。それぞれ趣が異なるが、「高跳び」チュードアも「長距離ランナー」ウッドワードも「動」の性格を感じさせる演奏スタイルだ。対してフェルドマンは、高橋アキの演奏に祈りにも似た厳かな「静」の性格を強く感じていたようだ。
高橋アキは全く違う。高橋は完全に静止しているように見える。まるで祈りに集中しているかのように、何にも妨げられることなく静かで落ち着いている。カフカは祈るような気持ちで自分の作品に迫っていくのだと書いている。
また、画家のフィリップ・ガストンもこれと同じ状態について語っていて、彼は、ピエロ・デッラ・フランチェスカとモンターニャ[9]が高橋アキのような静けさを彼らの作品全てにもたらす方法に驚嘆していた。彼女の演奏は、自分が極めて敬虔な儀式に招待される栄誉に預かったのだと思わせる。
Aki Takahashi is very different. Takahashi appears to be absolutely still. Undisturbed, unperturbed, as if in a concentrated prayer. Kafka writes about approaching his work as if in a state of prayer.
And the painter Philip Guston also talked about the state similar to this, and marveled how Piero della Francesca or Montagna could bring it to all their work, as Aki Takahashi does. The effect of her playing to me is that I feel privileged to be invited to a very religious ritual.[10]
高橋の演奏がもたらす静けさはフェルドマンのピアノ音楽の新たなインスピレーションとなったようだ。この静けさはフェルドマン後期のピアノ曲を代表する「Triadic Memories」に結実する。
次のセクションでは「Triadic Memories」におけるパターンとその反復の様子を観察し、フェルドマンの反復技法の特徴を考察する。
[1] Sebastian Claren, Neither: Die Musik Morton Feldmans, Hofheim: Wolke Verlag, 2000.
[2] Morton Feldman Page https://www.cnvill.net/mfhome.htm “Works”から作品リストのPDFをダウンロードできる。
[3] Morton Feldman Says: Selected Interviews and Lectures 1964-1987, Edited by Chris Villars, London: Hyphen Press, 2006, p. 271
[4] “Triadic Memories”としてエッセイ集Morton Feldman, Give My Regards to Eighth Street: Collected Writings of Morton Feldman, Edited by B. H. Friedman, Cambridge: Exact Change, 2000に収録されている。この解説文はCD『Triadic Memories』、ピアノ:高橋アキ、ALCD-33、1989年のライナーノートとしても用いられている。
[5] Morton Feldman, “Triadic Memories,” Give My Regards to Eighth Street: Collected Writings of Morton Feldman, Edited by B. H. Friedman, Cambridge: Exact Change, 2000, p. 153
[6] Ibid., p. 153
[7] Ibid., p. 154
[8] Ibid., p. 154
[9] フェルドマンは“Montagna”と記しているが、ここで言及されているのはイタリアのルネサンス期の画家、版画家アンドレア・マンテーニャAndrea Mantegna(1431-1506)の可能性が高い。
[10] Ibid., p. 155
高橋智子
1978年仙台市生まれ。Joy DivisionとNew Orderが好きな音楽学者。
(次回掲載は7月12日の予定です)