長短2/7度の音程を重視するフェルドマンだが、もちろん「Triadic Memories」にはこれ以外の音程による様々なパターンや和音が用いられている。ロンドンでのウッドワードによる初演時、フェルドマンはこの曲を「囚われの身のとても大きな蝶 biggest butterfly in captivity」[8] に喩えた。たしかに、ゆっくりと繰り返されるパターンや和音の響きから蝶の大きな羽ばたきが想像できる。しかし、なぜこの蝶は囚われの身なのだろうか。もしかしたら曲中の様々なパターンの特性と「囚われの身」の表現が関係しているのかもしれない。この曲を構成する様々なパターンをイディオムとして扱うかどうか議論の余地があるが、演奏に約90分を要する全体を見渡すと、それぞれの箇所には中心となるパターンや和音をスコアから読み取ることができるし、聴いていても印象に残りやすい響きがいくつか存在する。とめどなく現れる音の数々の中に微かな参照点を見出す試みの1つとして、本稿では次の方法をとる。この曲をいくつかのセクションに区切り、まずはそれぞれのセクションの中で中心的な役割を果たす、あるいは頻出するパターンを見つける。こうして見つけたパターンを基準に、その前後に現れるパターンがこれと少し違うか、全く違うかを観察する。また、パターンが反復の中で変化する過程や、別のパターンに取って代わられる過程にも着目する。以上の手順による観察から見えてくるパターンの変化や逸脱は、この長い曲の成り立ちを把握する際の手がかりとなるだろう。
Universal Edition
https://www.universaledition.com/morton-feldman-220/works/triadic-memories-5426
「Triadic Memories」のスコアは全49ページ。全体を以下の10のセクションに区切り、各セクションの範囲のページ数と小節番号を併記した。セクション1-8(1-34ページ、17小節目)の途中まで拍子が3/8で一定している。ここまでの範囲では3拍を4分割にしたリズムを基調としている。セクション8(34ページ、18小節目)以降は拍子がめまぐるしく変化し始め、それに伴い、半音階的な息の長いパターン、グリッサンドのようなすばやいパッセージなどの新たな要素が曲に加わる。半音階的なパターンが再び登場する48、49ページをコーダとした。
1 mm. 1-91/ p. 1, m. 1-p. 4, m. 18
右手はG6-B♭6をしばらく繰り返す。この2音はオクターヴを変えて、3ページ、2小節目(m. 50)まで反復される。左手のパターンは①G#-D、②A-C#、③D-G#、④C#-Aの4種類。曲の進行とともにこれらのパターンは右手と左手とで交換することもある。始まりから14小節目まで、非常に低い音域①G#1-D1、②A2-C#1、③D1-G#1、④C#1-A1で繰り返され、その後は右手と同じくオクターヴが変わる。オクターヴは変わるが、パターンそのものの構成音が変わらないので、完全に同じではないけれど、まったく違うともいえない、同一性と変化の間の曖昧な状態が続く。2ページ、19小節目(m. 51)から、この状態にわずかな変化が生じる。右手のパターンのオクターヴがG4とB♭4に移動する。左手の4つのパターンも右手と同じオクターヴ(①G#4-D4、②A4-C#4、③D4-G#4、④C#4-A4)に移動する。この状態は、曲中で両手が最も接近する瞬間であるともいえる。ここで半音階的に隣り合う右手のG4と左手のパターン①、③のG#4がぶつかり、シンコペーションのようなパターンが局地的に生じる。この両手の最接近を経て右手と左手が役割を交換し、右手が①-④の4つのパターンを、左手がG-B♭を繰り返す。また、再び右手と左手は1オクターヴかそれ以上の隔たりで演奏される。これまでのところ、1ページ、5-6小節目(mm. 5-6)で①②を割愛して③④が繰り返される以外、右手も左手もそれぞれのパターンを順序通り堅調に繰り返しているが、4ページ、7小節目(m. 80)から変化が見られる。ここで右手は②と③を割愛し、①④を演奏する。それからさらに変化する。同じページ(p. 4)の9-10小節目(mm. 82-83)の右手に新たなパターン、G♭5-F6が現れるのだ。一方、この間の左手はG-B♭のままで変わらない。突如として現れた新たなパターンをここでは異質なパターンXとみなす。このXはたった2小節間、つまり2回しか繰り返されないので、曲を聴いている分には気づかずに通り過ぎてしまう可能性が高い。だが、スコアを注意深く見ていると、明らかにこれまでとは違う異質な2小節が挿入されている様子がわかる。Xの直後から様相が変化し、4つのパターンの順番がさらに乱れてくる。4ページ、11-18小節目(mm. 84-90)までの左手の4つのパターンの並びは1小節ごとに③③③③①①①①。これまで4つのパターンが①②③④の順序に沿って繰り返されてきたことを考えると、これは決して小さくはない変化だ。パターンによる秩序からの逸脱でもある。おそらくこの変化は、先ほどのXがトリガーとなって引き起こされたと考えられる。スコアを意識せずに聴いていて、これらの変化にどのくらい気付くことができるかには、聴き手の集中力などの要因が関係してくる。少なくともスコアの中では一見単調な反復の過程において、微かではあるが、たしかに変化や逸脱が起きているのだと言える。
以上がセクション1における反復と変化の過程である。このセクションはG-B♭のパターン、①-④までのパターン、変化をもたらす未知の新しい要素X(G♭5-F6)の3つの素材からできていることがわかった。
2 mm. 92-168/ p. 4, m. 19- p. 9, m. 18
ここから譜表が3段になる。セクション1のパターンをそのまま用いている箇所もあれば、例えば4ページ、22小節目(m. 95)、上から1、2段目の和音のように縦に積み重ねてG#-3-D4、B♭4-C#5-A5の和音を作る箇所もある。このセクションの3小節目(p. 4, m. 21/ m. 94)に、セクション1でXとして扱われていたG♭4-F5が登場する。5ページ、2小節目(m. 100)の最上段にはXの2音にB♭5が加わったG♭5-B♭5-F6の新たな和音が登場する。変化をもたらす未知の新たな要素Xはこの後も増え続け、5ページ、10小節目(m. 108)最上段にC4-G4が初めて現れる。この2音とG♭4-F5が徐々にこの箇所に浸透し始め、6ページを過ぎた頃にはもはや異質なXではなくなり、中心的な役割を担うパターンの1つへと変化している。この2つのパターンの他にも6ページ以降はA♭5-G6(6ページ、3小節目/ m. 120、1段目)、D4-C#5(6ページ、4小節目/ m. 121、2段目)、E4-D#5(6ページ、5小節目/ m. 122、3段目)、E♭4-D5(6ページ、10小節目/ m. 127、3段目)といった、セクション1におけるパターンの音の組み合わせとは違う新たなXが姿を見せ始める。和音についても同様のことが起きていて、6ページ、12小節目(m. 129)では2段目にF4-B4-G5、3段目にG♭3-C4が初めて登場する。このページの最後の小節から7ページ目の1小節目にかけて(mm. 135-136)の1段目A4-D5-B♭5、2段目G#3-E♭4の和音もここで初めて現れる和音である。7ページ以降はセクション1の数々のパターンの存在は影を潜め、これまで異物だったXがこの箇所を構成する中心的なパターンに置き換わる。これまで鍵盤の端から端までの広い音域で動いていた様相が7ページ、7小節目(m. 142)で一変する。ここからの3小節間に用いられている音を低い順に並べると、C5-D♭5(3段目)、D5-E♭5(2段目)、F5-G♭5(1段目)で、ここにE5はないがほぼ半音階的に隣り合っていると言える。なかでも3段目と2段目の4音C5-D♭5-D5-E♭5は、セクション5(p. 15、m. 13)冒頭の反復パターンと、セクション8(p. 34、m. 18)の中心を占める半音階的なモティーフの構成音でもある。セクション2では1段目のF5-G♭5がこれら4音とぶつかり合って、セクション8の半音階的なモティーフより複雑なパターンを作っている。また、セクション2からセクション8までは約1時間の隔たりがあるため、セクション2の半音階的なモティーフとセクション8の半音階的なモティーフを音とその記憶によって結びつけるのは難しいが、スコアの中では両者が素材、つまり構成音を共有していると読み取れる。
7ページ、17-18小節(mm. 152-153)からは急に和音によるテクスチュアに変わる。それぞれの音は、1段目D♭6-D7(D♭をC#に読み替えて短2度)とC6-C#7(C#をD♭に読み替えて短2度)、2段目G♭5-F6とF5-E6(ともに長7度)、3段目B4-C5とA#4-B4(ともに短2度)で、フェルドマンが重視している音程、2度と7度からできている。この和音のパターンはその後、8ページの最後の2小節(mm. 169-170)に、1段目と2段目が入れ替わって登場する。他のパターンは3段それぞれが単音によるオスティナート調のパターンを繰り返す。その多くが2度か7度音程だが、9ページ、1小節目(m. 171)の3段目から現れるG♭2-C#4は重増4度(あるいはG♭をF#に読み替えて完全5度)という、ここでは異質な音程Xでできている。Xは他にも見られる。9ページの8-11小節目(mm. 178-181)では1段目がA♭6を、14-15小節目(mm. 184-185)ではA6を連打する。このような同音反復も未知の新たな要素Xに値するパターンだといえる。セクション1と同じく、セクション2でもXが徐々に侵食して、その部分に漸次的な変化をもたらしている。
セクション1、2におけるパターンの反復とその変化の過程をできるだけ詳細に記した結果、現時点までで次のことが明らかになった。中心となるパターンの反復の中に、徐々に異質な要素Xが入り込み、いつのまにか全体の様相も変わってしまうことだ。しかし、スコアを見ない限り、その転換点となる箇所を具体的に把握するのは難しい。また、音域や構成音の配置を操作することによって、1つのパターンから多様な差異や効果が引き出されていることもわかった。
以降のセクションについてはこれら2つのセクションのような詳細な記述ではなく、特徴的なパターンや音の動きに焦点を絞って考察する。