3 Triadic Memories パターンとその反復
文:高橋智子
80年代最初のピアノ曲「Triadic Memories」は1981年7月23日に完成し、高橋アキとロジャー・ウッドワードに献呈されている。ウッドワードが1981年10月5日にロンドンで世界初演を、高橋が1982年3月18日にバッファローでアメリカ初演を行なった。標準的な演奏時間は約90分。3/8拍子で始まり、曲の前半は拍子が一定だ。時折、譜表が3段になる。メトロノーム記号によるテンポ表示はないが、フェルドマンの後期作品で慣例とされている63-66のテンポで演奏すると曲全体の長さが90分に満たないことから[1]、これよりも遅く演奏されることがある。反復記号が頻出するが、具体的な反復回数は指定されていない。いくつかの録音を聴いてみると、反復回数には奏者によって2〜6回の幅がある。もう1つ、この曲の演奏で特徴的なのはペダルの使い方だ。ペダルを半分踏み込む、ハーフ・ペダルが曲の間中ずっと指示されている。フェルドマンはハーフ・ペダルのアイディアを友人で画家のサイ・トゥオンブリー[2]のジェッソ(キャンヴァスに塗る下地材)の使い方から得たと語っている。
いわば私は、彼がある種のジェッソを使っていることに気づいた。それはとても薄いジェッソで、色の濃淡の変化が非常に繊細なので、ある絵画と別の絵画との色の違いがわからないほどだ。そして、そのジェッソは絵画に虹のようなものをもたらした。私は彼からジェッソをほんの少し塗るこのアイディアを得たのだった。言うならば私はこのとても脆いジェッソの滲みの上に立っている。私はこれがとてもうまく作用したと思っている。
And I noticed in a sense that he used a kind of gesso, very thin gesso, where the tint changed ever so slightly you could hardly catch it from one painting to another. And it gave it this kind of—rainbow. And I got that idea from him, I got that idea of putting a little gesso, that I’m on this very precarious gesso smudge, so to speak. And I think it worked very well.[3]
フェルドマンはハーフ・ペダルを、薄い皮膜のような微かな色で覆われたトゥオンブリーのキャンヴァスのイメージと重ねて「Triadic Memories」で用いた。その結果、曲の間中、微かな響きが絶えず混ざり合い、トォンブリーのキャンヴァスのような薄い皮膜を思わせる響きの効果を得ることに成功した。
曲中に現れる主な音楽的な出来事は、反復される短いパターン、クラスター状に密集した和音、音域の乖離した和音、装飾音、半音階的なモティーフである。これらはそれぞれ異なる特性を持っていて、これらに共通する事柄を一言で概括するのは難しい。だが、フェルドマンによれば「この曲は、過度に技巧的にならずに、主に異なる2種類の音程からできている。それは短2度と長2度で、もちろん長7度と短7度も含まれる。Without getting overly technical, the music is made of essentially just two different kinds of intervals: a minor second, a major second, which of course is also a minor seventh and a major seventh.」[4] 2度と7度の音程を好んで用いる傾向は1950年代に既に顕著だった。フェルドマン曰く「Triadic Memories」も主に長短2/7度からできているが、彼自身による解説の続きを読むと、この音程がそっくりそのままスコアに記されているわけではなさそうだ。また、ここで例として用いられている和音は曲の中には出てこない。
他の音程を重ね合わせることで、和音の形ができあがる。私は、とある方法を想定していたのに、それとは別の響きになってしまう作曲法に常に大きな関心を持っていた。この曲もむろん例外ではない。もちろん、たとえ作曲家が違うことを言おうと(笑)どんな楽曲分析も可能だ。例えば、もしも私がこんな和音を書いたら
B3-D4-A4-E5-B♭5
ここに心地よい3度と5度があるのは明らかだ。最上部(訳注:E5-B♭5)は3全音だ。
B3-D4, D4-A4, A4-E5, E5-B♭5
しかし、私はこう考える。
B3-A4, D4-E5, A4-B5♭, B3- B5♭
And it is by superimposing other like intervals that the chord formations are made. I was always very interested in writing music, where you thought one way and yet it sounded another. And this piece is really no exception. Of course, any analysis of a piece is up for grabs, even if the composer says otherwise (laughter). For example, if I would have a chord like this:
B3-D4-A4-E5-B♭5
It’s obvious that you have the sweet third here, and the fifths; and a triton at top:
B3-D4, D4-A4, A4-E5, E5-B♭5
But in my thinking, it is:
B3-A4, D4-E5, A4-B5♭, B3- B5♭[5]
この解説はフェルドマンの音程や和音の捉え方を反映している。彼の言う通り、例示されている和音を見たら、たいていの場合B3-D4(短3度)、D4-A4(完全5度)、A4-E5(完全5度)、E5-B♭5(減5度、3全音)の積み重なりと考えるだろう。だが、フェルドマンは別の方法でこの和音を捉えている。構成音5つを組み直し、4つの組み合わせB3-A4(短7度)、D4-E5(長2度)、A4-B5♭(短2度)、B3- B5♭(B5♭をA#5に読み替えて長7度)を作る。このように組み直すと長短3/6度や完全4/5といった「心地よい」音程は消え、この和音を長短2/7の不協和音程の積み重なりと見なすことができる。
2つの長7和音が2つの短7和音を伴って固有の特性を作り出している。これを安定と呼ぶつもりはないが、それ自体で独自の釣り合いが取れている。この曲がある意味、過度に半音階的に聴こえるようなことがないとしたら、もちろんその理由は、私が重ねる7度が、聴き慣れた長短三和音や七和音、あるいは聴き覚えのあるなんらかの和音の遠い記憶を持っているからだ。だが、これらの和音それ自体は、少なくとも和声に関していかなる形式的な機能も持っていない。
Two major seventh chords with two minor seventh chords, creating its own type of, I wouldn’t call it stability, but it’s own kind of equilibrium. And if the piece in a sense does not sound overly chromatic at times, it’s naturally because the sevenths that I superimpose have the old memory of a familiar triad, either minor, or major, or seventh, or whatever else that might sound reminiscent. But those chords themselves don’t have any formal function, at least harmonically.[6]
たしかに「Triadic Memories」には7度の跳躍による反復パターンや、曲の終盤に現れる半音階的なモティーフを構成する2度音程など、長短2/7度の音程を至る所で見ることができる。フェルドマンは、長短2/7度が耳に心地よく響く他の種類の和音とまったく無関係ではなくて、むしろ、それらの和音の「遠い記憶」を持っているのだと考える。通常は不協和音程や不協和音とみなされる長短2/7度の音程を、自身の楽曲における音の重なりや連なりの基準とすることで、フェルドマンは長短3度のような耳になじむ響きと、これら不協和な響きとの対照性や対立を避けようとしたのではないだろうか。長短2/7度を基準に据えて生み出される響きの数々は終始、踏み続けられるハーフ・ペダルの効果も相まって「特定の箇所で音がほんの少しぼやけたり、うなり始める傾向がある。things tend to get a little muddy or they start to buzz at certain places.」[7]