あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(11) 1970年代前半の出来事と楽曲-3

The Viola in My Life 2

Feldman/ The Viola in My Life 2

 「The Viola in My Life 2」は独奏ヴィオラとフルート、クラリネット、チェレスタ、打楽器(ヴィブラフォン、ティンパニ、カスタネット、マラカス、スネアドラム、テナードラム)、ヴァイオリン、チェロの合計7人の奏者による室内楽編成。1番と同じく独奏ヴィオラ、ヴァイオリン、チェロは終始ミュートを着けて演奏される。スコアに記載されている演奏時間は約10分。楽曲の冒頭にはテンポと全体的な曲想「♩=c 66極めて静かに。全てのアタックはビートの感覚を出さず最小限に抑えて。♩=c 66 Extremely quiet, all attacks at a minimum with no feeling of a beat.」[7]が記されている。先の「The Viola in My Life 1」ではダイナミクス記号は独奏ヴィオラのパートに限られていたが、「The Viola in My Life 2」ではヴィオラ以外のパートにもダイナミクスが細かく記されている。

 曲全体を区切ると9つの場面に分けられる。1-4(1-99小節)の場面までは3/4拍子で一定しているが、5(100小節目以降)からはヴィオラの旋律のゆらぎや、合間に挿入される全休符での沈黙の時間の長さに伴って拍子が目まぐるしく変わる。

1: mm. 1-23
2: mm. 24-34
3: mm. 35-57
4: mm. 58-99
5: mm. 100-117
6: mm. 118-129
7: mm. 130-138
8: mm. 139-173
9: mm. 174-187

 ダイナミクスの他に「The Viola in My Life 1」と異なる点として、それぞれのパートの役割がより明確になっていることがあげられる。このことはスコアの譜表の配置にも反映されている。「The Viola in My Life 1」ではヴィオラは弦楽セクションの一部として配置されていたが、「The Viola in My Life 2」ではヴィオラは独奏パートとして譜表の最上段に記されている。譜表の配置は些細な事柄かもしれないが、このことから、ヴィオラの独奏パートとしての性格が「The Viola in My Life 2」においてさらに強まっていると考えられる。

 ヴィオラ以外のパートの性格と、それらによって生み出される音楽的な役割と効果もここでははっきりしている。Saxerはこの曲の1ページ目が3つの層で構成されていると指摘する。1つ目は「絶えず動き続ける弦楽器の持続音 durchgeende, dynamisch bewegt Haltetöne der Streicher」[8]、2つ目は「フルート、クラリネット、カスタネットによるパターン Pattern aus Flöte, Klarinette und Castagnetten」[9]、3つ目は「ヴィオラの独立した旋律 individualle Melodik der Viola」[10]。これら3つの層によるテクスチュアは1-4(1-99小節)まで概ね変わらない。さらに細かく各パートの動きを見て行くと、ヴァイオリンとチェロはSaxerの指摘どおり音の引きのばしによる持続音で構成されている。だが、「The Viola in My Life 1」と同じく時折チェロがピツィカートを鳴らし、持続音によるテクスチュアとは異なる音色をここに加える。例えば、27-41小節目でのチェロはピツィカートでトレモロを鳴らして打楽器のような効果を出している。84-93小節目でもチェロのピツィカートが現れる。ここでは先ほどの打楽器的な効果とは違い、ヴィオラの旋律を思い出させるゆるやかな音型を作っている。

 木管楽器、すなわちフルートとクラリネットに関していうならば、この2つの楽器はSaxerの指摘どおり一対としてパターンを形成している。フルートの持続音に数拍遅れてクラリネットが追従するパターンはスコアでも耳でも把握しやすい。5番目の場面が始まる箇所からしばらく(100-115小節)、「The Viola in My Life 1」のピアノに、そして「Madame Press Died Last Week at Ninety」にも用いられているパターンと同じパターンが音高を変えてフルートで6回繰り返される。もしも「The Viola in My Life 1」を知っていれば、このフルートのパターンから「The Viola in My Life 1」の記憶が一瞬よみがえるような錯覚に陥るかもしれない。

 打楽器の用法も独特だ。この曲でフェルドマンはカスタネットとマラカスのトレモロを頻繁に用いている。今までのフェルドマンの楽曲の中でこれほどカスタネットとマラカスが聴こえてくる曲は他にない。カスタネットとマラカスに限らず、この曲ではスネアドラム、テナードラム、ティンパニのロールが頻繁に現れる。多くの場合、これらは他のパートに呼応して鳴らされるが、音色の性質上、他の楽器に埋もれることなく強い印象を与えている。

 ヴィオラは「The Viola in My Life 1」よりも息の長いフレーズを奏でる。ここでの一連のヴィオラは旋律といってもよいだろう。この曲ではヴィオラが、木管楽器による反復パターン、弦楽器の持続音とたまに聴こえるチェロのピツィカート、チェレスタの和音、打楽器類のトレモロやロールといったあらゆる要素から抜きん出た存在として扱われているのはたしかだ。旋律とその他のパートというはっきりした関係がヴィオラとその他のパートの間で構築されているともいえる。これまでのフェルドマンの楽曲を振り返ると、各パートや声部間の関係が判然としない楽曲が多くを占めたが、「The Viola in My Life 2」は多層的でありながらも比較的わかりやすい構成でできている。

 独奏ヴィオラによる旋律とそれぞれの楽器の層からなる関係は8番目の場面(139-173小節)から一変する。ここからはチェロの伴奏にのせてヴィオラが旋律を奏でる(この旋律は後に「Rothko Chapel」(1971)の独奏ヴィオラにも登場する)。時折スネアドラムが挿入されるが、ここはヴィオラとチェロの二重奏といってもよいだろう。チェロはF3-G2の2音パターンと、D3-C#4-F4のアルペジオをヴィオラの伴奏としてピツィカートで鳴らす。曲の最後となる9番目の場面(174-187小節)からヴィオラのパートナーはヴィブラフォンに変わる。ここからはヴィオラは旋律ではなく、先ほどチェロが鳴らしていたアルペジオと同じ和音D3-C#4-Fを鳴らす。その直前まで劇的な盛り上がりを見せたヴィオラの旋律が姿を潜め、曲の終わりへゆっくり着地する筋書きだ。これまでこの連載ではフェルドマンの音楽を概して「何とも言い難い」と表してきたが、「The Viola in My Life 2」を見る限りもはやそれは当てはまらない。フェルドマンは物語性さえも感じさせるロマンティックな音楽を書いている。

The Viola in My Life 3

 「The Viola in My Life 3」はヴィオラとピアノの編成。スコア記載の演奏時間は6分10秒。前の2曲が6〜7人の奏者による室内楽だったのに対し、編成も曲の長さも急に縮小する。曲の構成も単純で、半音階的な和音を中心としたピアノ伴奏にのせてヴィオラがダイナミクスを変化させながら持続音を弾く。前の2曲にも登場したヴィオラによるゆるやかに上行、下行する音型も登場する。ヴィオラは持続音の合間に2/3拍子、8分音符で記された12音(G♭3-C4-B3-E4-E♭-C#4-D4-A♭-C5-E5-A5-B5)からなる特徴的なパッセージを3回奏でる。ひと筆書きのように演奏される、音域の広いこのパッセージは増4度(G♭3-C4)と減5度(D4-A♭)を含んでいるせいなのか、聞き流そうとしても印象に残ってしまう奇妙な性格を持つ。実はこのパッセージは既に「The Viola in My Life 2」の83、105小節目に登場している。

 曲中のヴィオラ、ピアノともに全休符の小節は全てテンポ♩=66、2/2拍子で統一されている。このように音の鳴らない時間と空間も具体的に規定することで、フェルドマンは測られた沈黙の状態をここに作り出している。また、不意に現れる全休符による沈黙はヴィオラの持続音が旋律に発展するのを邪魔しているようにも見える。「The Viola in My Life」シリーズは全体的に旋律の性格が強い楽曲だが、フェルドマンは思いだけないタイミングで沈黙を挟むことによって連続する感覚を希薄にしようとしたのではないだろうか。「垂直」の概念に囚われていた1960年代半ばにも、彼は水平に連続する音楽的な時間の感覚に抗おうとしていた。そのことが今ここでも思い出される。

Feldman/ The Viola in My Life 3

score https://www.universaledition.com/morton-feldman-220/works/the-viola-in-my-life-3-5337