あれでもなくこれでもなく〜モートン・フェルドマンの音楽を知る(11) 1970年代前半の出来事と楽曲-3

The Viola in My Life 4

 「The Viola in My Life」シリーズの最後となる「The Viola in My Life 4」は独奏ヴィオラと管弦楽による最も大きな編成。スコア記載の演奏時間は20分。シリーズの中で最も長い。管弦楽の編成は木管6部、バストロンボーンも加わった金管5部、打楽器奏者2人、ハープ、チェレスタ兼ピアノ、弦楽という一般的なものである。今度は二手に分かれた打楽器には、1番と2番で目立っていたカスタネットとマラカス等の他にチャイムやアンティーク・シンバルも加わり、「The Viola in My Life 4」ではより幅広い種類の打楽器の音色を聴くことができる。1番、2番と同じく鍵盤打楽器以外の打楽器は大半がトレモロやロールとして現れる。

Feldman/ The Viola in My Life 4

score https://www.universaledition.com/morton-feldman-220/works/the-viola-in-my-life-4-5338

「The Viola in My Life 4」作曲の経緯や、ここでのヴィオラの旋律についてフェルドマンは次のように解説している。

 The Viola in My Life Ⅳは1971年開催のヴェニス・ビエンナーレによる委嘱作品で、この曲に先立つ3つの室内楽曲で用いられた素材の管弦楽への「翻訳」と言えるだろう。私のここでの意図は旋律とモティーフの断片について考えることと―—ロバート・ラウシェンバーグが彼の絵画の中に写真を使うように—―私の楽曲にさらに特徴的な静的な音の世界にそれを重ねることだった。

 多少なりとも「ありきたりな」響きに聴こえそうな曲なのに、そこに形式的な思考が欠けていることは伝わりにくい。

 周期的に現れる旋律は構造的な機能を持たない。この旋律はこの曲に沿って動くものというより「記憶」として戻ってくる。状況は発展というより微かな変化を伴って繰り返す。静止は期待とその実現との間で発展する。夢の中のように、私たちが目を覚ますまでそこから逃れられない。だが、その夢が終わってしまったからというわけではない。

 The Viola in My Life Ⅳ was commissioned by the Venice Biennale for its 1971 Festival, and could be described as an orchestral “translation” of material used in the three chamber pieces preceding it. My intention was to think of melody and motivic fragments—somewhat the way Robert Rauschenberg uses photographs in his painting[11]—and superimpose this on a static sound world more characteristic of my music.

 What is difficult to convey is the absence of formal ideas on what appears to be a more or less “conventional” sounding composition.

 The recurrent melody serves no structural function. It comes back more as “memory” than as something that moves the work along. Situations repeat themselves with subtle changes rather than developing. A stasis develops between expectance and its realization. As in a dream, there is no release until we wake up, and not because the dream has ended.[12]

 ここでフェルドマンが言及しているラウシェンバーグの写真を使った作品とは、新聞や雑誌の写真を溶液やテレピン油に浸水させ、それを擦って紙に転写するトランスファー・ドローイング、あるいはソルヴェント・トランスファーと呼ばれる技法だと推測できる。[13]この技法を用いて写真をフロッタージュのような方法で擦り付けて紙に転写することで、その写真の持っていた元来の意味や歴史が失われる、またはもとのものとは違う存在として浮かび上がる。これも時間、歴史、記憶に関係する異化効果の1つだといってもよいだろう。このような異化効果と記憶の作用は、場合によっては微かに姿を変えて、少し前に現れた旋律や断片が思いがけない箇所で再び突然現れるフェルドマンの音楽と共通している。「The Viola in My Life」1-3を管弦楽に翻訳した「The Viola in My Life 4」は、これら3曲から曲中の素材や断片が引き出され、全体が再構成されている。フェルドマンがここでラウシェンバーグに言及しているとおり、このような構成方法は絵画におけるコラージュやフォトモンタージュに例えることも可能だろう。

 スコアの概要を見ていこう。スコア冒頭に「♩=c 63極めて静かに。全てのアタックはビートの感覚を出さず最小限に抑えて。♩=c 63 Extremely quiet, all attacks at a minimum with no feeling of a beat.」と、テンポと全体の曲想が記されている。テンポが♩=c 66から♩=c 63へとほんの少し遅くなった点以外、この文言は「The Viola in My Life 2」と同じだ。独奏ヴィオラのパートは弦楽セクションの一番上に配置されている。独奏ヴィオラ、金管楽器と弦楽器(ヴァイオリン、ヴィオラ、チェロ)にはミュート装着の指示が記されている。だが、169-175小節の独奏ヴィオラでは、この曲のシリーズの中で初めてヴィオラがミュートを外して演奏する。ダイナミクスに関する表記は、この曲でもほぼ全パートに渡って細かく指示されていて、前の3曲に続いてダイナミクスの変化が楽曲の中で重要視されていることがわかる。めまぐるしく変化する拍子は独奏ヴィオラの持続音と旋律に基づいており、独奏ヴィオラと他のパートとの従属関係はここでも明白だ。

 場面の変化に応じて全体を12に区切ることができる。下線が引かれているのは、「The Viola in My Life 2」118-129小節目の独奏ヴィオラが旋律を奏で、チェロがその伴奏を担う箇所をそっくりそのまま転用した部分である。先に引用したフェルドマンがラウシェンバーグのトランスファー・ドローイングに言及したと思われる楽曲解説を思い出すと、これらの部分は「The Viola in My Life 2」からのコラージュともいえる。

1: mm. 1-22
2: mm. 23-52
3: mm. 53-65
4: mm. 66-83
5: mm. 84-96
6: mm. 97-132
7: mm. 133-168
8: mm. 169-175
9: mm. 176-187
10: mm. 188-234
11: mm. 235-251
12: mm. 252-259
13: mm. 260-278

 「The Viola in My Life 2」でのヴィオラの旋律だけではなく、「The Viola in My Life 4」は前の3つの曲と素材を共有している。あるいは前の3つの曲に由来する旋律やパッセージをこの曲の中に見つけることができる。それぞれのパッセージの初出はどこなのかをいくつか探してみよう。例えば、曲が始まってすぐの独奏ヴィオラによるG5-B♭5-A5-B5の4音(2-4小節目)は、「The Viola in My Life 1」の中で最も息の長いパッセージを構成する67-69小節目の4音C-5-E5-C#5-F5を想起させる。この2つのパッセージは跳躍の幅、つまり各音の間の音程がまったく同じではないものの、どちらも4音の動きが上行-下行-上行による山と谷を描いており、類似する音型とみなしてよいだろう。2番目の場面にあたる23小節目からは独奏ヴィオラが6〜7音からなる上行形のパッセージをその都度、音高を変えて5回繰り返す。これらのパッセージは、音の数や増減音程を含む点で、そのルーツを「The Viola in My Life 2」の58小節目に現れるG♭3-C4-E4-F4-B4-E♭5にさかのぼることができる。もう1つ、「The Viola in My Life 2」からの引用として、105小節目の独奏ヴィオラの12音からなるパッセージ(G♭3-C4-B3-E4-E♭-C#4-D4-A♭-C5-E5-A5-B5)をあげることができる。「The Viola in My Life 2」83小節目の、この印象深いパッセージは「The Viola in My Life 3」にもそっくりそのまま登場することは既に述べた。「The Viola in My Life 4」では、このパッセージが少しずつかたちを変えながら113、154、225、227、229、231、241小節目で鳴らされる。特に225-231では短いスパンでこのパッセージが繰り返されるので、緊張感を伴う劇的な効果が曲にもたらされている。

 独奏ヴィオラ以外にも前の3曲からのコラージュ、あるいは引用が行われている。6番目の場面にあたる97-99小節の間にピッコロがG4-E♭4の、フルートがG5-E♭5のフレーズを2回繰り返す。この2音は「The Viola in My Life」シリーズの前身ともいえる「Madame Press…」からの引用であり、また「The Viola in My Life 2」100-137小節の間でフルートのB5-G#5として何度も繰り返されるフレーズと同類のものである。「The Viola in My Life 4」では曲の後半になるとフルート以外のパートにもこのフレーズが敷衍されていて、151、153小節では他の木管楽器全てとホルン、トランペット、ヴィオラ、チェロがこのフレーズを鳴らす。

 管弦楽の書法については、9番目の場面にあたる176-187小節がこの曲の中で特筆すべき箇所である。チェロの伴奏を伴わない純然たる独奏ヴィオラの直後、オーケストラのトゥッティが突然始まり、E♭-D-G-Fのフレーズがユニゾンで繰り返される。ダイナミクスのppからfffへの変化もあいまって、まるで映画音楽のようでもある。曲の進行と同じく唐突だが、ここで1つ仮説を立ててみよう。この管弦楽の書法は、ユニゾンを基調としながらもいくつかのパートの内声部によって響きにグラデーションがもたらされていること、2拍3連符によるゆるやかな音型、ダイナミクスの細かな変化といった点で、武満徹の「弦楽のためのレクイエム」(1955-1957)の冒頭と類似しているのではないだろうか(奇しくも「弦楽のためのレクイエム」では短いが独奏ヴィオラが入る)。もちろん「The Viola in My Life 4」の作曲に際してフェルドマンが武満の「弦楽のためのレクイエム」を参照していた確証はまったくないし、これまでのインタヴューやその他資料でも触れられていない。さらには、この2人の直接的な交流が始まったのは1977年代後半[14]からなので、1971年の時点でフェルドマンがどれくらい武満の音楽を知っていたのかもわからない。しかし、「The Viola in My Life 4」の176-187小節間に聴こえる響きは「弦楽のためのレクイエム」との何かしらのつながりや共通点を感じさせる。

武満徹/弦楽のためのレクイエム(1957)

 トゥッティでの劇的な身振りを経て、10番目の場面から(189小節目)、再び独奏ヴィオラの旋律が聴こえてくるが、今度は先の9番目の場面のユニゾンのフレーズから派生した3音のフレーズを鳴らすピッコロとフルートが加わる。この3音は2-3小節目の独奏ヴィオラのフレーズとも同じ音型である。今まではピツィカートだったチェロの伴奏形もここで変わり、旋律と伴奏というこれまでの関係がやや複雑になる。11番目の場面以降もこの3音のフレーズは様々なパートに敷衍される。12番目(252-259小節)での独奏ヴィオラとチェロの二重奏を経て、13番目の場面が始まる。274小節目から再び独奏ヴィオラの旋律が始まる。だが、繰り返し聴こえてきた独奏ヴィオラの旋律で静かに幕を閉じるという予想はあっさり裏切られる。283小節目でピアノが和音を強打し、これまでの叙情的な雰囲気が突然断ち切られるのだ。ピアノの和音の響きの中で独奏ヴィオラが力強くA♭4とD3の2音を鳴らし、これに続いてコントラバスがA♭2をひっそりとpppで引きのばして曲が終わる。

 フェルドマンが楽曲解説で述べていたように、「The Viola in My Life」1-3を管弦楽に翻訳した「The Viola in My Life 4」は先の3曲からの引用やコラージュで構成されていることがわかった。フェルドマンには珍しい要素である旋律を前面に出した曲として特殊な楽曲とみなされるものの、「The Viola in My Life 4」は楽曲の長さや協奏曲風の編成の点で1970年以降の彼の音楽の行く末を予示している。

 次回は1970年代中頃から頻繁に見られるようになった独奏楽器とアンサンブルによる協奏曲風の楽曲についてとりあげる予定である。


[1] Morton Feldman Says: Selected Interviews and Lectures 1964-1987, Edited by Chris Villars, London: Hyphen Press, 2006, p. 47
[2] Ibid., p. 47
[3] Karen Ann Phillipsは1942年ダラス生まれのヴィオラ奏者、ピアニスト、音楽教師。1979年頃に演奏活動を休止している。詳しい経歴はMorton Feldman Page https://www.cnvill.net/mftexts.htmのテキスト・リストにある”Karen Phillips- A Chronology”参照。
[4] Ibid., p. 269
[5] Morton Feldman, “I Met Heine on the Rue Fürstemberg,” Give My Regards to Eighth Street: Collected Writings of Morton Feldman, Edited by B. H. Friedman, Cambridge: Exact Change, 2000, p. 90
[6] Ibid., p. 90
[7] Morton Feldman, The Viola in My Life 2, UE 15399, 1972
[8] Marion Saxer, Between Categories: Studium zum Komponieren Morton Feldmans von 1951 bis 1977, Saarbrücken, Pfau, 1998, s. 181
[9] Ibid., s. 181
[10] Ibid., s. 181
[11] トランスファー・ドローイング、あるいはソルヴェント・ドローイングの概要は以下のサイトに解説されている。Robert Rauschenberg Foundation https://www.rauschenbergfoundation.org/art/lightboxes/transfer-drawings
滋賀県立近代美術館 http://www.shiga-kinbi.jp/db/?p=11967
[12] Feldman 2000, op. cit., pp. 90-91
[13] 前掲の滋賀県立美術館の解説を参照した。http://www.shiga-kinbi.jp/db/?p=11967
[14] 1977年に武満徹はバッファロー大学に招かれて講演を行い、彼の曲も演奏された。フェルドマンは東京で行われたインター・リンク・フェスティヴァルのために1985年に来日し、武満と対談を行った。

高橋智子
1978年仙台市生まれ。Joy DivisionとNew Orderが好きな無職。
(次回は3月18日更新予定です)