以上がフェルドマンとベケットとのベルリンでの初顔合わせから、フェルドマンがこのオペラの作曲を進めていくまでの経緯である。ここからは「Neither」におけるソプラノの特徴を中心に考察する。「Neither」はソプラノ独唱とオーケストラによる1幕のモノ・オペラ。オーケストラの編成は「Orchestra」と「Elemental Procedures」とほとんど同じ。UEのスコア[26]に記されている演奏時間は約55分。テンポは♩=63-66。曲の始まりから10小節目以降スコアには5〜18小節ごとに練習番号が付されており、練習番号は全部で137。オーケストラの書法は第12回で解説した「Piano and Orchestra」(1975)に登場する8つの要素が踏襲されていて、それぞれの要素は「Orchestra」と「Elemental Procedures」で見られたようにブロック状に配置されていることが多い。このオペラでも、狭い音域で半音階的に蠢くベケットのモティーフがソプラノとオーケストラ両方にふんだんに用いられている。音の引きのばしによるグラデーション、突然始まる激しい音のアタック、様々な音高や音価でその都度姿を変えて執拗に繰り返されるベケットのモティーフ。これら3つがオペラ「Neither」のオーケストレーションの主な特徴である。ソプラノはオーケストラの特徴を共有しながらもソプラノ独自の動きを見せる。
score: https://www.universaledition.com/morton-feldman-220/works/neither-3841
1990年のフランクフルトでの上演
1. https://www.youtube.com/watch?v=Q6Ej0FiLmRE
2. https://www.youtube.com/watch?v=lILoynp2wlI
3. https://www.youtube.com/watch?v=tr2RYS299nw
4. https://www.youtube.com/watch?v=a7UFEFOKz9U
5. https://www.youtube.com/watch?v=Y5D7aXzG4oQ
以下は練習番号に沿って全体をA〜Oの10の部分に区切った各セクションの概要である。
A:1-9小節目と練習番号1から13まで
このオペラの序曲にあたる部分。
B:練習番号14から20まで
to and fro in the shadow from inner to outer shadow from impenetrable self to impenetrable unself by way of neither
ソプラノが登場する。ソプラノはG5だけでテキストの最初の3行を歌う。
C:練習番号21-29
as between two lit refuges whose doors once gently close, once turned away from gently part again
「as between two lit refuges whose」までは引き続きG5のみで歌われる。「doors once gently close, once turned away from gently part again」からは半音階的な3音、F#5-G5-A♭5で歌われる。この半音階的な3音もベケットのモティーフとみなすことができる。
D:練習番号29-45の7小節目まで
beckoned back and forth and turned away
練習番号30-37まではソプラノの旋律を模倣するかのようにチェロ独奏がG♭5を執拗に引きのばす。練習番号40の10小節目からソプラノがチェロのG♭5を受け取り、「beckoned back and forth and turned away」をG♭5だけで歌う。テキストには動きを想起させる言葉が並ぶが、それとは正反対にソプラノはG♭5にとどまり動かない。その後しばらくオーケストラのみのグラデーション状のブロックが続く。
E:練習番号45の8小節目から49の3小節目まで
F- F#-G-G#-Aからなるベケットのモティーフをオーケストラが執拗に繰り返す。
F:練習番号49の4小節目から60の5小節目まで
heedless of the way, intent on the one gleam or the other
ソプラノが49の5小節目から50の5小節目までの間、F#5-G5-A♭5の3音モティーフで「heedless of the way, intent on」を歌う。ベケットのテキストの行の構成を見ると、このテキストの区切り方はどこか中途半端だ。その後、先に現れたF-G-F#-G#-A-F-G-G#-F3のモティーフを交えながらオーケストラのみの部分がしばらく続く。練習番号59の4小節目から残りの6語「the one gleam or the other」がG5のみ、しかもそれぞれの語が同じ音価で歌われる。
G:練習番号60の6小節目から68まで
4部に分かれた銅鑼のアンサンブルがしばらく続く。この銅鑼のアンサンブルは、「Orchestra」の結部における6部に分かれた銅鑼を思い出させる。練習番号62の10小節目からソプラノがテキストなしでF5-F#5-G5-A♭5-A5-B♭5-B5の組み合わせからなるベケットのモティーフを歌う。その後また銅鑼のアンサンブルが始まり、オーケストラの他の楽器も加わる。
H:練習番号69から練習番号70の17小節目まで
F5- F#5-G5-G#5-A5の組み合わせからなるベケットのモティーフをソプラノがテキストなしで歌う。ピアノはその2オクターヴ上でソプラノにぴったりと重なってベケットのモティーフを繰り返す。ここでのベケットのモティーフはセクションEと同じ構成音でできているのでセクションEから派生した部分とみなすこともできる。
I:練習番号70の18小節から85まで
このセクションはソプラノがオーケストラの合間に断片的に挿入される構成。ソプラノがF#5-G5-A♭5を2回歌うとオーケストラによるグラデーション状のブロックがしばらく続く。打楽器セクションは4部に分かれた銅鑼から4部に分かれたティンパニに変わる。練習番号76の2小節目からソプラノがF5- F#5-G5-A♭5-A5-B♭5-B5からなるベケットのモティーフを再び歌い出す。練習番号77の4小節目からオーケストラのテュッティが始まる。管楽器、ピアノ、ハープ、打楽器はアタック音を鳴らす。これとは対照的に弦楽器は音を引きのばす。練習番号80から再びソプラノによるベケットのモティーフが始まる。
J:練習番号86から90の8小節目まで
打楽器以外のオーケストラのパートがF-F#-G-G#-Aの組み合わせからなるベケットのモティーフを執拗に繰り返す。後半はホルンとトロンボーンが長めの音価でB♭1-G#1-A1のモティーフを繰り返す。
K:練習番号90の9小節目から103まで
unheard footfalls only sounds till at last halt for good, absent for good from self and other
久々にテキストが登場し、ソプラノが「unheard footfalls only sounds」をD5だけで歌う。この一節は2回繰り返され、さらに「sounds」だけもう2回歌われる。練習番号94の5小節目からベケットのモティーフF#5-G5-A♭5で「till at last halt for good」が、さらに続けてG5-A♭5-A5-B5の音の組み合わせからなるモティーフで「absent for good from self and other」が歌われる。練習番号98からソプラノが新しいベケットのモティーフ、D♭5-C5-A4-B4を歌い始める。練習番号101の7小節目からはフルート、オーボエ、クラリネットがF6- F#6-G6-A♭6-A6からなるベケットのモティーフを始める。このベケットのモティーフはセクションIに出てきたモティーフの1オクターヴ上にあたる。練習番号102の11小節目から再びソプラノがD♭5-C5- A4-B4からなるベケットのモティーフを歌う。
L:練習番号98から119まで
練習番号104、105はオーケストラのテュッティによる短いアタックが連打される。練習番号106からこのアタックが徐々に鳴りを潜め、その中からフルート、オーボエ、クラリネットによるF6-F#6-G6-A♭6の組み合わせからなるベケットのモティーフと、ソプラノのF5-F#5-G5-A♭5の組み合わせからなるモティーフが浮かび上がってくる。練習番号112からソプラノの音価が長くなり、音の引きのばしの性格が強くなる。練習番号114の4小節目途中からソプラノのベケットのモティーフが変わり、構成音がG5-A♭5-A5-A#5-B5に移高する。ここまでの間ソプラノにはテキストがない。その様子は言葉にならない声をあげ続けているようにも聴こえる。
M:練習番号120から127まで
then no sound
練習番号120の5小節目からオーケストラが休止し、ソプラノが「then no sound」と歌う。この5小節間はこの曲の中で唯一ソプラノのみになる瞬間である。練習番号122の6小節目からソプラノがF#5-G5-A♭#5-A5の組み合わせからなるベケットのモティーフを歌い始める。音高は変わらないが、合間に短い休符を挟み、その都度異なる音の長さでモティーフが繰り返される。その様子は同じものを別の方法で言い連ねるベケットのテキストのあり方と似ている。練習番号124からソプラノの様相が少し変わる。これまでソプラノには大きな跳躍音型が出てこなかったが、ここではD♭5-B5(増6度)、E♭5-D6(長7度)、D5-D♭6(増1度または減8度)といった比較的幅の広い跳躍が見られる。その他の箇所は3度以内の範囲での動きが多い。ここでのソプラノはその都度休符を挟んだ四分音符か八分音符で歌われるため、息も絶え絶えに聴こえる。その様子は声をしゃくりあげる嗚咽にも例えられるだろう。
N:練習番号128から134まで
then gently light unfading on that unheeded
neither
ソプラノが「then gently」を、次にB5-B♭5-A♭5-A5-B5のモティーフを繰り返して「light unfading on that unheeded」を歌う。「neither」は音節を分割して2音が当てられており、A5- G5かA♭-B♭5で歌われる。十六分音符の短いアタックによる叫びにも似た「neither」の繰り返しの後、ソプラノは言葉のない状態に戻る。練習番号132の5小節目からA♭4-B5(増2度)、F4-B5(増4度)といった増音程の跳躍を繰り返す。練習番号133の7小節目からソプラノはF5を中心とした平坦な状態に戻るが、このF5にはフルートがG♭6で応答し、半音階的な反復パターンを作っている。
O:練習番号135から137まで
unspeakable home
クラリネットが3部に分かれてD#6/E♭6-E6-F6の3音からなるベケットのモティーフを鳴らす。それと並行して、ソプラノはテキストの最後の1節「unspeakable home」を、F#5-G5-A♭5の3音を様々な順番で組み合わせたベケットのモティーフで歌う。練習番号137の3小節目最後のA♭5からモティーフが変わり、G5-A♭5-A5-A#5/B♭5-B5の5音が様々な組み合わせで繰り返される。最後の1語「home」がB5で歌われた途端、このオペラはぴたりと止む。